Search Results

前期のドラマは「エージェント・オブ・シールド」以外は微妙…

2015年10月17日 土曜日

2015年7月から9月の三ヶ月の間で見たテレビドラマは、

CSI:マイアミ 9
NIKITA / ニキータ 34
HELIX -黒い遺伝子- 2

これに加え、地上波で「ARROW/アロー」とDlifeで「エージェント・オブ・シールド」とアメコミヒーローモノが二作も始まり、気が付いたら何時の間にか「S・セガール劇場(TRUE JUSTICE)」も始まっていたので見始めた。
ただ、同じアメコミヒーローモノでも別にわたしがマーベル・コミックスの方が良く知っているからではなくて、単に連続ドラマとして見たら「エージェント・オブ・シールド」はまあまあに対し、「ARROW/アロー」が全然おもしろくないという対照的な感想になってしまった。
スティーヴン・セガールのドラマは、まあよく見るスティーヴン・セガール映画そのまんま。

各新規ドラマの感想は個別記事「ARROW/アロー」、「エージェント・オブ・シールド」、「S・セガール劇場(TRUE JUSTICE)」にて。

以下は見続けていた各ドラマの感想。

CSI:マイアミ 9

別にシーズン9に限った事ではないけれど、「CSI:マイアミ」は科学捜査の面白味が減り、ホレイショ・ケインの「俺って、強きをくじき弱気を助ける良い人だろ~?カッコ良いだろ~?」ばかりなので、続けて見ていると飽きてしまう。

911への緊急通報や事故らしき事等でも、付近をパトロールしているパトカーの制服警官よりも先に一番乗りして犯罪現場に来てしまうホレイショ単独、もしくはホレイショ率いるCSIメンバーの有り得ない察知能力や瞬間移動的先回り等の超能力や、全速力で逃げ回っている容疑者の前に、何故か逃走容疑者の考えが読めて先回りして銃を構えているホレイショが現れたりすると馬鹿馬鹿しさでヘラヘラと笑ってそこで終わってしまう。こうなれば科学捜査なんていらなくて、ホレイショが常に先回りして犯人に銃を突き付け、何の容疑で逮捕・拘束出来ているのか分からないけれど警察署でホレイショが脅して容疑者から情報を引き出したり、自白させるだけの展開のドラマ「ホレイショ・ケイン」でいいじゃん…と思ってしまう。
しかもこのシーズンではホレイショが犯罪者相手に拷問に近い殴る蹴るや、今まで言葉だけの脅しだったのが物や銃を突き付けての脅しをかける場面が出て来たし、銃を持っている相手に対して警告も無く撃ち殺してしまう場面まで登場して、ホレイショ・ケインが暴走している様にしか思えなくなってしまった。ただ「ホレイショ・ケインは正義」と言う部分だけのやり過ぎな感じも離れる要因。

シーズンの初回は前シーズンからの続きなんだけれど、ジェシー・カルドーザが何の活躍もしないまま死んでしまい、演じているエディ・シブリアンは契約するつもりでドラマもそう作っていたのに、何らかの理由で降板になってしまったので慌てて殺してしまった様な感じばかりした。
それに、ライアン・ウルフを演じているジョナサン・トーゴはシーズン8ではお腹ポッコリで体に分厚さがあったのに、シーズン8の最終話から続いているこのシーズン9の一話目では急に頬がこけてゲソゲソまで行かないけれど痩せていて、その急激なライアン・ウルフの変化の仕方に違和感しかない。繋がらないダイエットって、役者としてどうんなだ?

また前シーズンに続き、ナタリア・ボア・ヴィスタが一切登場しない回があるのは何なのだろうか?

それにカリー・デュケーンが全然現場に出ず、ラボでしか見ない事や、しかも椅子に座ってばかりの登場だし、見た目が太った感じから違和感ばかりなんだけれど、演じているエミリー・プロクターが2010年の12月に娘を出産したそうなので、このシーズン9が丁度妊娠期間中だったと言う事からの配慮でこうなったんだろう。でも、役者の妊娠ではどうしようも隠しようもないので、普通はドラマ内で妊娠を何かしらの形で扱うしかないので導入するけれど、一切隠したまま、そのまま続けるというのも珍しい。
ただ、座ってばかりの登場は違和感があり過ぎると思ったのか、シーズン中盤頃から立ち姿も映す様になって来るのだけれど、それも腹から下は机で隠したりとやっぱり違和感のある画。しかも、歩き姿を見せるのだけれど、それも顔は一切見せず、その後ろ姿はこれまでのカリー・デュケーンよりも明らかに細い。振り返って顔を見せると妊娠していても太り過ぎじゃあないの?と思ってしまう顔なんだから更に違和感。こんな無茶な代役立ててまで歩き姿を見せねばならんかったのか?普通に休みでも良いじゃない。

11話の「落ちる時はIBW」では、自分の娘に成り済ましてチャットしていた母親と、その娘だと思って人を殺した若い男の子をホレイショ・ケインが一緒に留置室に入れ、男の子がおばさんを「お前の為に人を殺したのか!」となじり続けさせるという非常に悪趣味な事をしていた。これまでは出して来なかったホレイショ・ケインの闇の部分である根性悪さが出ていて笑ってしまった。

13話の「仁義なき闘い」は無茶苦茶で、ホレイショ・ケインと結婚したエリック・デルコの姉マリソルを殺したマラノーチェの犯罪者が刑務所に入っていたのに、誰も知らない間に、何時の間にか脱獄していて犯罪を起こしている真犯人だという脚本は酷過ぎる。その過程は全然描かれないけれど、あれ程犯罪者や被害者のその後を追い駆けて色々していたホレイショ・ケインが、自分の結婚相手を殺した相手を一切注視しておらず、刑務所の人間も誰も知らないまま脱獄出来ているなんて、もう劇的な展開だけを狙った無茶苦茶な脚本。劇中では「脱獄していた」と言うだけで、そこを掘り下げもせずそのままで行くし。

本当に「CSI:マイアミ」は脚本の適当感が酷くなって行っている。特にこのシーズンは話は全然つまらない回が多かった。
もう「CSI:マイアミ」は完全に惰性だけで見てしまっている。…と言うか、ゲームしながらのながら見なので、真面に見ていないか…。

ニキータ 3

シーズン前半はディヴィジョンをニキータ達が運営する事になり、その組織力を活かしての活動や、今まで敵だったり、ゲストだった登場人物が仲間になりと、この漫画の王道的な展開が楽しかった。
人物の配置換えで新たな展開を見せるのが「ニキータ」の得意技で、後半では男女間のいざこざや、再びニキータとアレックスの対立等を見せ、更にはディヴィジョンの内部分裂からの崩壊。ショーン・ピアースの死等、前半が調子良く行っていた分の後半はどんどんと哀しい展開に。
しかも、最終話ではまだ次シーズンがあるのでニキータを国家の敵として追われる展開に。ただし、その汚名を雪げる希望は残している。
前半とは逆の所へと行って、これはこれでおもしろい展開なんだけれど、役者の降板はあるんだろうけれど、やっぱりショーンの死亡はいらなかったと思ってしまう。ニキータやバーコフにはイチャイチャする相手がいて、窮地に追い詰められても助けてくれる、助けたい人がいるというのが「ニキータ」の特徴になったのに、アレックスだけ独りぼっちが可哀そう。

ニキータ 4

十分シーズン3で終わる事も出来たけれど、更にシーズンは続き、しかも何故か最終シーズンは全六話という変則な話数での幕引き。

シーズン3からの続きで、崩壊したディヴィジョンの中で、マイケルを救う為にニキータがアメリカ大統領の暗殺犯となり、ニキータだけが逃亡。世界中から追い駆けられるニキータの、この窮地をどう切り抜けるかが中心。

しかし、アメリカ大統領がシーズン3の最後に実際は生きている事を見せてしまっているので解決策が見えてしまい、「ニキータどうなるの!?」では引っ張れず。それに加え、シーズン3の終盤辺りから出て来たアマンダが他人の頭を弄って記憶を自由に操作したり、別人に顔をそっくり作り、記憶も変え、アマンダの命令に従う様な替え玉という、SF設定と言うよりは話の展開上便利なご都合主義的なやり方はやり過ぎな感じばかりで結構白けてしまった。何処に行っても悪い奴が仕込んだ替え玉がいるとか、ニキータ側が優位に立つと替え玉でアマンダ側が優位に立つという「重要人物は替え玉」という展開の連続は正直な所手抜きな感じばかりしてしまった。最終シーズンが六話しかないからの素早い展開の為の都合なのか、幾らでも終わらせれるけれど六話もあるので引っ張るしかないのでの展開なのか分からないやり方。もっと、ニキータの孤独な逃亡生活を描いてからの皆と合流する様な展開の方がおもしろかった様な気はする。

それに終盤、特に最終回の急展開っぷりたらありゃしない。急なシーズン1の様なニキータとアレックスだけ任務に挑み、アマンダを捕まえるまで行く展開は、一時間半位の長さを45分にまとめたかの様な急激さ。「何?何?」と思っている内に終わってしまい、折角の大団円が駆け足過ぎて置いてけ堀な感じもあり、物足りなさばかり。やっぱりシーズン序盤の替え玉の繰り返しをせずに、ここら辺ももっとじっくりと時間を割いて欲しかった。

しかし、これまで同様「ニキータ」の見所と言うのは配置転換による人間関係で、シーズン4では基本的にはこれまでとほぼ一緒の関係性だけれど、初めはニキータ個人で逃亡生活を送る所からの皆との合流になり、これまではディヴィジョンのその他大勢がいた時よりも各人の役割がはっきりし、ニキータとマイケルは現場班。それを飛行機から支援する情報担当のバーコフと情報分析担当のライアン・フレッチャー。アレックスは表の顔は大富豪の社会福祉家として世界中でアマンダを追い、それを補佐する情報担当のソーニャ。そして、オーウェンから本来のサムの記憶が戻り離れて行ったけれど、オーウェンの時の様に戻り始めているサムと、少数精鋭で展開する。
サム以外はほとんど同じだけれど、今まで以上に冴えているライアンの情報分析とか、良い人に戻り始めているサムとか、燃える人物展開が良い。
特にライアンは今まで以上にカッコ良い。何故かニキータは先走って真実が見えて来ないのに、ライアンはキッチリ情報から真実を見抜くという切れ切っれぷりで、最後の最後まで美味しい役で、見せ場が多くて楽しい。これまで「ニキータ」では、良い方の主要人物達はすぐにくっ付いて熱々だったり、痴話喧嘩したりと恋愛話が多かったのに、ライアンは浮いた話が全然無かった。そこの部分でも自制的な情報分析者としてカッコ良かった。結局ライアンが一番美味しい役だった。
それと、サムもあの過去を失くして過去を抱えたオーウェンが無法者のサムになり、そこから更にオーウェンも交じり始めた人物になったのも良い。ただ、最後の最後にアレックスとくっ付くって、「その展開うえ~…」とはなったし、「今まで描いていたショーンとの関係はあっさり無い事かい…」とも思ったし。それにサムがオーウェンに戻っていたのも、描きが少ないのでいまいち分かり難かったし。

「ニキータ」がこれで終りだけれど、最終シーズンが6話という変則的な形で、序盤が似た様な展開から最終回が慌ただし過ぎたので、いまいち満足感が薄かった終わりになってしまった。もうちょっと考えた方が良かったし、これならシーズン3で終わらせておいても良かったんじゃないの…?とも思ってしまった。これまでが楽しく見て来た分だけ、残念な最終シーズンではあった。

HELIX -黒い遺伝子- 2

さて、新規ドラマ以外で、今まで見続けたドラマの中では問題しかない一番のつまらなさだったのが、この「HELIX -黒い遺伝子-」のシーズン2であり、打ち切り最終シーズン。

シーズン1は、北極という閉ざされた舞台設定の中で人間が狂暴化する謎の病原体の原因と治療法を探るというバイオハザード・サスペンスで、序盤から中盤までは非常におもしろかったのに中盤以降のグダグダさや都合良さで最終話を見終わると損した感ばかりで、まあつまらなくなってしまった。アメリカでの視聴者数も低調だったけれど、打ち切られず奇跡的に続いたシーズン2。
シーズン1の中盤以降のつまらなさでシーズン2は見る気が全く無かったけれど、シーズン2はシーズン1の視聴者数150万以下から更に減らし、50万人前後か以下という見事な落ちっぷりになった事や、結局シーズン2で打ち切りになった事を知って、「これはどれだけつまらないのか見なくちゃいけない!」という事で、早くもDlifeでシーズン2が放送されたので見る事にした。しかし、やっぱりシーズン2は舞台もこれまでの登場人物達の配置も全く変わってしまい、一話目からつまんない。

シーズン1の最終話で登場人物達の一斉在庫処理を行なった為、シーズン1の主要人物達は半減し、アラン・ファラガットピーター・ファラガットジュリア・ウォーカーサラ・ジョーダンだけがレギュラーで、シーズン1ではあれだけ重要人物で話の中心になっていた真田広之演じるハタケ・ヒロシは登場するけれど2話だけな上、結局頭がおかしくなりましたと言う何のこっちゃな全く必要も無い話だけで終わってしまうし、同じくシーズン1では非常に存在感があったセルジオ・バリエセロスも登場はしたけれど、何でジュリア・ウォーカーと一緒になっているのかも説明のないままだし、終盤でやっと島に来て活躍するのかと思いきや、本当に何も無いまま退場させるというゴミ捨ての様な扱い。

話自体も、シーズン1のあの黒い謎の病原体も北極すらも関係無く、孤島で起こった謎の黄色い伝染病と島で独自の社会を作って住んでいる人々の謎という、シーズン1の面影も無い全く別な舞台設定で無理矢理続編を続けてしまっていて、最早何のドラマなのか分からなくなっている。

シーズン1は、まだ黒い病原体の抑え込みの為に原因と治療を探り、何か秘密を持っているらしい怪しい所長ハタケ・ヒロシの謎で引っ張り、近年のゾンビ映画よりもバイオハザード映画に影響を受けまくった狂暴な感染者の攻撃という見た目のおどろおどろしさと派手さで見れて行けたけれど、シーズン2は初っ端から黄色い感染症の原因と治療を探るよりも島の共同体の謎ばかりが先行した上に、ジュリア・ウォーカーが行動している30年後を出してしまっていて、話の方向性が散漫で結局何を見せたいのかが曖昧で、見ている方は何を楽しみに見れば良いのかが分からないので全然集中力が持たない。
黄色い感染症が目先の目的ではあるのにシーズン1の様な調査分析のハードSF的要素が一切無く、ずっと話が進まないままグダグダしているだけ。結局この黄色い感染症は登場人物達が島にやって来なくてはならない為の理由だけでしか引っ張れない。
島の共同体の謎も、シーズン1の様な黒い病原体が作り出された意味やハタケ・ヒロシが隠している謎の様な「次はどうなり、何がどうなっているのか?」の謎明かしの面白味が無く、結局シーズン1の黒い病原体とも関係無いし、イラリアとも関係無くブラザー・マイケルが好き勝手やっていただけという話。

登場人物も、シーズン1はそれぞれに個性が立って行動原理も分かる様に出来ていたのに、シーズン2になるとシーズン1で主役だったはずのアラン・ファラガットは序盤は全く登場せず、後半でも何故島にいるのか?や、彼は何がしたいのかがはっきりしないままで進むので、主役にはならず。なのに中盤辺りから主役に移行し始め、主役さえ的を絞れていない拙い展開。

シーズン2で主役なのが兄のアラン・ファラガットとは全然似ても似つかない弟のピーター・ファラガットの方で、彼がCDCを率い、指示を出して行くけれど、シーズン1の終盤で彼が実は裏切り者だった事が分かっているので、どんなに病原体を解明したり、人を救おうとしていても「裏切り者だしなぁ…」となってしまい、主役として話の軸となってはいない。それを思わせない為か、ピーター・ファラガットは序盤ではずっと良い人として描き続け、でもしかし終盤で行き成り残酷な支配者になってしまう。これも心変わりの説明や描写が全然少ないので、この唐突な変身に戸惑うばかり。
それに何でピーター・ファラガットがCDCの責任者になれているのかが不思議。シーズン1での黒い病原体を研究していたのってピーター・ファラガットじゃなかったっけ?北極での出来事は一切誰にも報告せず、そのまま上手い事CDCに雇ってもらえたという都合の良さは何?

サラ・ジョーダンも前シーズン程の存在感が無く、あれだけ冷静な科学者だったのが、今シーズンはただ感情的に喚き散らす癇癪持ちみたいに描かれているし。

ジュリア・ウォーカーの話は、何故か現在から30年後で一人で行動していて、これが上手く現在の話と絡んで来て、あれが実はこうなったのかと分かれば効果的な時間差の描き方なんだけれど、これが大して噛み合わないまま、単に「30年後島の共同体は崩壊しています」だけなのでグダグダした展開に拍車をかけているし、中盤辺りからはこの30年後の話がどうなったのかを急に描かないようになりお座なり感ばかりが増え、そこに現在の島にジュリア・ウォーカーを登場させてしまい更に30年後の話のどうでもよさが増してしまった。で、最終的に30年後で全てが繋がる展開にしても、もう都合良くまとめました感しかないし、だったら現在の島でのグダグダはいらんかったし、この為に引き伸ばしていた感じばかり。後から思っても30年後を先に見せる構成は効果的でもなかったし、いらんかった。

CDCの新たな人物カイル・ソマーも活躍はするものの、もう出来上がっているこれまでの登場人物の中で場違いな感じはあったし、いまいち跳ねないままで、この新人物もいらんかった様な気がする。

島の共同体の人物達も、後々で良い人にも悪い人にも転べる様な描き方をするので終始掴み所の無いまま進み、結局皆が頭がおかしいという投げ出しっぷりも酷い。さっきまで「この人物は怪しくて悪い人だ…」と言う風に描いていたと思ったら、「実はこの人も事情があって…」と移入させる様な描き方にしたのに、「やっぱり頭のおかしい危ない奴」と言う風にコロコロ人物像を変えてしまうので、見ていても「だからこの人物をどう思えっていうんだ!」とイライラし、その人物がどうであろうと無関心になってしまう。
ブラザー・マイケルを引っ張るだけ引っ張っておいて、結局何にも結び付かないまま退場とか、島でしか生きていないのに何故か島の外の価値観を持って島を拒否していたエイミーが島を支配しようとする理由も描かれないままコロコロと変わり身し、やっぱり結局何の為に必要だったか分からない役として急に退場させる始末だし。
島の人だけでなく、CDC側の人達も感情の動きの理由が見えて来ない部分が多く、話の展開上で上手く動いているだけに思てしまう。

それと何故か終盤で、シーズン1の序盤しか登場しなかったCDCのおばちゃんドリーン・ボイルをアラン・ファラガットの夢の中で特に意味も無く出して来たのは何のゲスト出演だったのか?

今回も登場はするけれど、あれ程シーズン1ではバンバン介入して来ていたのに、急に世界の裏で暗躍する顔の見えない組織に今更変わってしまったイラリアの扱いも微妙。
シーズン1の黒い病原体ではなく、今回の黄色い伝染病でもない別の病原体というこのドラマで描いて来た事をぶん投げる荒業を使って世界の人間を八割程減らそうとしているという目的もよく分からない。今までの人間に対する復讐なら皆殺しにするはずだし、人間が増え過ぎたから減らすにしても、減らした後でどうするつもりなのかも全然出て来ず、何をしたいのだろうか?極端に人間が減った世界なんて、最早社会も経済も国家も軍事も崩壊しているのに、その中でただ不老不死というだけで世界を支配出来るんだろうか?物資や経済で牛耳ろうとした所で、それは現在の社会があっての前提じゃないの?…と思ったら、やっぱり目的は違う所にあったらしいけれど、シーズン2ではほぼ登場させず打ち切りなので結局の所は分からず仕舞いという最悪な事になってしまったし。
イラリアに対抗しようとしているジュリア・ウォーカーにしたって、世界中の人間を不妊にするなんて、そんな資金的にも物理的にもトンデモない規模の実験的措置を本気で出来ると思っているんだろうか?これについては科学者であるはずのアラン・ファラガットやCDCの人間は誰も突っ込まないし。

それに演出もいまいち。
シーズン1も初めの頃はサスペンスを押し出していたのに、中盤辺りから深刻な場面や恐怖の場面で軽い楽しげな音楽をかけるという演出があったけれど、今シーズンではそれを結構多用してしまい、それが全然効果的にはなっておらず、結構すべっている。
更に酷い事になってしまっているのは、そんな陰惨な場面で登場人物の台詞を消して音楽しか聞こえて来ないという演出をしているにも関わらず、その回ではその人物が初めて出て来たのでその人物の名前と立場を説明する字幕を入れてしまうDlifeの所業。番組の初めに「作品の意図を保つために…」と出しているのに、作品内のその演出の意図を考えもせずに余計な事をしてぶち壊すDlifeは本当にクソ。Dlifeは全般的に視聴者に丁寧だと思っているのか、ドラマ内で人物名や現在放送している番組名、これから放送する番組名等をやたらとデカデカと入れるけれど、これが本当にお節介であり、ドラマを見たい視聴者をなめているだけの行為でどうにかならんのか?
あと、シーズン1はホラーサスペンスだったのに、シーズン2になってエログロ路線にした意味も分からない。手コキとか、そもそもグダグダして展開とか脚本家は何考えていたの?

つまらないと思ってしまったドラマは、下手に「視聴者数が低下したけれど、もう1シーズンやって終わります」ではなく、話が中途半端なブツ切りでもいいから、さっさと打ち切って欲しいと思ってしまっている。「次シーズンで終り」だと、「一応打ち切りではなく、終わりを迎えて話はまとまる」という事や、これまで見て来た義務感から見なくてはいけないという事がないので楽だから。
この「HELIX -黒い遺伝子-」も1シーズンだけで終わっておけばそれなりなドラマだったのに。下手に不老不死の世界征服を企むイラリアなんてモノを出してしまった為に話は散漫になったし、安っぽくなったし、無理にイラリアでシーズンを引っ張ろうとしているのにイラリアは全然出て来ないという展開にしたため無理矢理引き伸ばしている感じになってしまったし。
こんな内容じゃあ確かにアメリカでの視聴者数はガタ落ちになって打ち切られるよぁ。
本当に「HELIX -黒い遺伝子-」はシーズン1の中盤まで。

関連:ARROW/アロー
   エージェント・オブ・シールド
   S・セガール劇場(TRUE JUSTICE)

WordPress内で検索されない

2015年05月27日 水曜日

以前のWordPressVersion 4.1.3以降のアップグレードでやたらと不具合が出ていて、「公開」ボタンが無く、「レビュー待ちとして送信」ボタンしかないという状況は何とか解決したけれど(Xrea増設とWordPressの「レビュー待ちとして送信」を解消)、「ダッシュボード」の「投稿一覧」の右上にある「投稿を検索」ボックスで英語で検索すると検索結果が出るのに、日本語で検索すると「投稿が見つかりませんでした。」と必ずあるはずの投稿のタイトルや本文にある単語が引っ掛からないという状況になってしまっていた。
これが非常に困る。テレビでスティーヴン・セガールの映画を放送する時、原題とは関係無く邦題にやたらと「沈黙の~」と付いて、どれも似た様な内容な映画ばかりなので、果たしてその映画を見たのか、まだ見ていないのかをさっぱり覚えておらず、これまで見た分はこのブログに書いているので検索すればすぐ見たか見ていないか分かったのに、検索結果が出て来ないとなると非常に不便。
訳が分からないので検索検索。

色々調べてみると、以前の「公開」ボタンが無い事も、WordPress用のデーターベースMySQLの文字コードが「EUC-JP」のせいらしい。
元々WordPress使い始めた時、多分日本語版がWordPress MEしか無かったのでWordPress MEで始めたのだけれど、その時よく分からないのでそのままデーターベースを作った時「EUC-JP」だったらしい。
もう今のWordPressは「EUC-JP」に対応していないみたいで、「UTF-8」にしないと問題が出るみたい。

しょうがないので、サーバーの管理画面からデーターベースの文字コードを変える為に、「MySQLの保存 → 削除 → 文字コードをUnicodeにして作成」をして、サイトのトップディレクトリに保存された「mysql.dump」をダウンロードして、PhpMyAdminから「インポート」でこの「mysql.dump」を読み込んだ。
本来、この「mysql.dump」のデータを何か色々いじらないといけないみたいなんだけれど、ただそのまま読み込んだだけでブログはちゃんと表示されていた。
そこで「投稿一覧」の「投稿を検索」ボックスで検索してみたけれど、やっぱり検索結果が出て来ない…。

検索してもよく分からないので、もうこれはデーターベース内のデータの文字コードの問題だと思い、PhpMyAdminで色々見てみる。
トップ画面の「サーバ接続の照合順序」は「utf8_general_ci」になっている。
WordPressの個別のテーブルを見てみると、「照合順序」が「utf8_general_ci」と「ujis_japanese_ci」が混在している事に気付いた。
「ujis_japanese_ci」になっているテーブルにチェックを入れ、上部の「操作」ボタンを押して「照合順序」のプルダウンメニューから「utf8_general_ci」を選んで「実行」を押す。しかし、実行したはずなのに「ujis_japanese_ci」のまま。
困ったので、多分検索の文字コードに関係しているだろう「wp_posts」のテーブルの「構造」を押して中を見てみると、並んだ項目の中に「照合順序」が「ujis_japanese_ci」になっているモノが幾つもある。この項目の一つ一つ「変更」を押し、「照合順序」を「ujis_japanese_ci」から「utf8_general_ci」に変更して「保存する」を押して、「wp_posts」内の項目全部を「utf8_general_ci」にした。
すると、一番上のに表示される「wp_posts」のテーブルの「照合順序」も「utf8_general_ci」になっていた。
これで「投稿一覧」の「投稿を検索」ボックスで検索してみると、ちゃんと検索結果が表示されるようになった。

他の「ujis_japanese_ci」になっていた項目も「utf8_general_ci」に変更しておいたけれど、特に文字化けも無い様なので成功なのかしらん?

エクスペンダブルズ

2014年11月22日 土曜日

シルヴェスター・スタローン製作・監督・脚本・主演の2010年の映画「エクスペンダブルズ(The Expendables)」。

エクスペンダブルズと自称している傭兵部隊は、謎の男から南米の小島を占拠した将軍の暗殺の依頼を受ける事になる。

1970年代から1990年代にかけてのアクション映画好きにはたまらない映画。わたしは、1970年代・1980年代の映画はテレビで見て、1990年代位の映画から映画館で見た様な世代だけれど、登場する役者に一々しびれてしまった。シルヴェスター・スタローン、ミッキー・ロークドルフ・ラングレンジェット・リーブルース・ウィリスアーノルド・シュワルツェネッガースティーブ・オースティン、ノゲイラ兄弟等々、今まで映画でテレビで見て来た人達がわんさか出まくって、21世紀における本当のオールスター映画でワクワクが止まらない。
シルヴェスター・スタローンとミッキー・ロークという、どちらも人気が出てからの低迷期があって、ミッキー・ロークは整形の失敗だけれど、シルヴェスター・スタローンは整形なのかなんなのか顔面が変な感じになってしまっている二人の立ち直ろうとしようとする場面なんて、現実の二人に重ね合せて見てしまい泣きそうになってしまった。この映画では単にオールスター映画だけでなく、そのスター達の現実を重ね合わした自虐ネタが次々と出て来る部分でもおもしろい。ミッキー・ロークの女好き。ドルフ・ラングレンの薬物依存や、行っちゃったヤバい悪役なんだけれど本当は良い奴。ジェット・リーの背が低いとか、金が欲しいと何度も言ったり。アーノルド・シュワルツェネッガーの政治家ネタ等、皆でさらけ出したり、ファンに楽しんでもらおうとする姿勢が素晴らしい。ただ、シルヴェスター・スタローンは監督から脚本まで自分でしているからか、自身の自虐ネタがほとんど無く、そこが残念。「ジャングル好き」位じゃ物足りない。イタリアの種馬ネタとか、無暗にハムを食べているとかして欲しかった所。今までの映画人生で娯楽作に出て人気が出て、それを払拭する為にサスペンスや演技派を目指したけれど、60歳を過ぎて結局はアクション映画、それも「エクスペンダブルズ(消耗品)」とこれまでの娯楽作役者を揶揄するかの様な自虐的な題名まで付けた映画なんだから、もっと自分をいじってよ。必死で走っているのにモタモタして全然走れていない所さえ特にいじらず仕舞いじゃない。
それに、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンが出ているのだから絶対シルヴェスター・スタローンにスタナー喰らわすと期待していたのに、スタナー所か「What?」も、中指おったても無し。ただし、シルヴェスター・スタローンはSCSAとの格闘場面で首の骨にヒビが入ったらしい。やっぱり、スタナー出してたの?そしてSCSAの最後は、元UFC王者だったランディ・クートゥアとの殴り合い。UFCのトップスター対WWEのトップスターという、ここでも夢の顔合わせ。もっとボッコボコの殴り合いがあっても良いのに、それ程でも無しで残念。それと、SCSAのボスを演じていたジュリア・ロバーツのお兄さんエリック・ロバーツの姿が、白髪のオールバックでスーツ姿、金持ちで金をチラつかせて無茶苦茶するって、完全にビンス・マクマホンで笑ってしまった。
予告や公開前の話題では、シルヴェスター・スタローンとアーノルド・シュワルツェネッガー、ブルース・ウィリスの三大アクションスターの共演が中心だったけれど、実際見てみるとこの三人が揃う場面と言うか、アーノルド・シュワルツェネッガーとブルース・ウィリスの出演は一場面だけ。この時点ではお遊び程度の出演だったのだけろうけれど、「エクスペンダブルズ2」が作られ、そちらでは結構登場する事を知ると、これさえ上手い前振りになってしまっている。

シルヴェスター・スタローンが作って往年や現役のアクションスター達が登場するとなると、話自体は中身の無い、それこそ1980年代から1990年代に濫造されたアクション映画と同じモノになってしまうのは仕方無いのか。軍事力で恐怖の独裁を行なう南米の悪い将軍対、無茶苦茶する政府が関与しない元軍人なんて、見飽きる程擦られた題材。ただ、これだけのスターで押し切るので見ていられるし、やっぱり楽しい。何時頃から増えたのか分からない、政府の陰謀だの、仲間だと思っていた人物が実は裏切っていただの、登場して濃い感じで存在感があるのに意味も無くあっさり死んで行く人物がやたらいるだのの映画って、濫造されて飽き飽きしていた所の2010年代に、こんなただ人を無暗に殺しまくって、あれだけ激しく撃ち合っていたのに仲間は誰も死なず、ドルフ・ラングレンさえも一緒に「めでたし、めでたし」なんて、割り切っていて非常に良いじゃない。娯楽映画としては最高。「将軍も操られていただけで、本当は国を思っての行動なんだ。」とか、「兵士達は将軍の独善を本気で信奉していたのか、それとも仕事としてやっていただけなのか分からぬまま、エクスペンダブルズに殺されてしまった…」とか考えちゃいけない。…と言うか、そんな不必要な考えを起こさせるシルヴェスター・スタローンの脚本が駄目。
それと、アクション場面の激し過ぎるカット割りも駄目。普通に各人が戦っている場面を見せれば良いのに、やたらとカット割りを早くして短く繋いで、場面によっては誰が何しているかさっぱり分からない場面もあるし、折角アクション出来る人達集まっているのにそこをしっかり見せなきゃ意味無いじゃん。これじゃまるで近年のスティーヴン・セガールの省エネアクションの安いビデオ映画じゃん。もっとドルフ・ラングレンの空手対功夫皇帝ことリー・リンチェイのバッチバチなアクションや、ミッキー・ロークが猫パンチを当てたらシルヴェスター・スタローンやドルフ・ラングレンが倒れるじゃれ合いとか、SCSAとランディ・クートゥアのプロレス技の応酬とか、路地裏で延々とバックドロップをし続けるとか見たかったのになぁ…。

この映画、正直話的にも、アクション的にも物足りない。ただ、登場する役者陣が画面を持たすと言うより、出ているだけで画面を作り、彼等の今までの映画や背景を知っていると物凄く深くなり、じっと見てしまう。前半の展開は大分ゆっくりとまったりと進むのに、役者を見ているだけでお腹一杯。色んな事を思いながら見れてしまう。逆に言えば、彼らのこれまでを知らずに見ると「古臭い馬鹿映画」にしか思えないかもしれない。ただ、わたしはワクワクとニタニタが止まらなかった。

☆☆☆☆★
 
 
関連:エクスペンダブルズ2

アサシン・ゲーム

2014年08月21日 木曜日

アーニー・バーバラッシュ監督、ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の2011年の映画「アサシン・ゲーム(ASSASSINATION GAMES)」。

ルーマニアで殺し屋をしているヴィンセント・ブラジル。同じくルーマニアのインターポールの幹部は殺し屋を使い犯罪者を殺害していた事が明るみに出そうになり、その生き残っている殺し屋の一人ローランド・フリントを誘き出して殺そうと企んでいた。ローランド・フリントは犯罪集団への潜入がばれて奥さんを昏睡状態にされてしまい、そのボスであるポロを恨んでいた。インターポールの幹部は刑務所にいるポロを出所させ、ローランド・フリントに命を狙わせて現れた所を捕まえようとしていたが、ローランド・フリントはその殺しの依頼を受けず、ヴィンセント・ブラジルの所へ暗殺依頼が回って来た。二人の殺し屋が一人の暗殺を狙って顔を合わす事になる。

ジャン=クロード・ヴァン・ダムって1990年代に持てはやされ、それ以降落ち目な感じで扱われてはいるけれど、彼の21世紀の映画ってそんなに悪くはなく、結構真面目に作っている物が多い印象で、この映画もその中の一つだと思う。
全体的に話は重く、暗く、画的にも褪せたセピア的な色合いで非常に雰囲気があり、構成もちょっと変わっている。普通なら意識の無い奥さんの復讐をしようとする方が主人公で、それをジャン=クロード・ヴァン・ダムが演じるはずなのに、その復讐をする役を演じるスコット・アドキンスの方はあくまでも脇役で、この映画での主人公は殺し屋をしているだけの男が娼婦に出会う事によって少し感情を持ち始めるという、まるで「レオン」みたいな話の方のジャン=クロード・ヴァン・ダム。しかし、見ている限りでは、やっぱり話を引っ張るスコット・アドキンスの方の話が主軸になっていて、ジャン=クロード・ヴァン・ダムが主人公なのに意外としゃしゃり出てこない。この全く別の二つの話が重なり合い、微妙に主人公の感情に変化をもたらすというのが中々良い。結構ジャン=クロード・ヴァン・ダムのアクション場面が少ないにも関わらず、それ程退屈しない展開と流れになっている。アクションで誤魔化さず、ちゃんと話を見せようと作っているのが好感。

最近の映画や、特に低予算のビデオ映画等では制作費が安く抑えられる東欧での撮影が多い様に思われ、スティーヴン・セガールのビデオ映画でも東欧での撮影が多いけれど、東欧だと物寂しい町の雰囲気や犯罪が蔓延る感じの現実感が出て、撮影場所としては中々良い所。
スティーヴン・セガールの名前を出したけれど、1990年代にアクション映画のアクション俳優として非常に注目を浴びた事もあってスティーヴン・セガールとジャン=クロード・ヴァン・ダムを比べたくなるけれど、わたしは21世紀からだとジャン=クロード・ヴァン・ダムの映画の方が全然好み。スティーヴン・セガールの止まらない体重増から来る、手足だけをバタバタさせてほぼ動かない省エネアクション連発に比べると、ジャン=クロード・ヴァン・ダムはこの映画でもちゃんと肉体鍛えているし、アクションも結構動くし、映画の話を見せるなら自分が引いて脇役の様にもなるしで、ちゃんとしている。ただどちらの映画も、この映画でも結構エグい暴力場面が多いのはあんまり好きじゃない。

この映画、暗く重い話だけれど、全く違う二人の対照を見せていて中々おもしろい。それに下手にジャン=クロード・ヴァン・ダムが大きな顔をせず、ちゃんと話を見せる事を考えて真面目に作っているのが感じられて、そこでのジャン=クロード・ヴァン・ダムのカッコ良さも感じられて、中々良い感じに仕上がっている。

☆☆☆★★

死の標的

2014年08月20日 水曜日

ドワイト・H・リトル監督、スティーヴン・セガール製作・主演の1990年の映画「死の標的(Marked For Death)」。

麻薬取締局の捜査官ジョン・ハッチャーは捜査中に相棒を殺されてしまい、故郷へと戻る。しかし、そこでも麻薬の売人達が蔓延っており、彼等の銃撃戦にジョン・ハッチャーがたまたま居合わせたので手を出すとその報復として関係無い姪が撃たれてしまう。捜査から手を引いたが再び悪い奴らを殺しまくる。

始まりで若く痩せているスティーヴン・セガールに驚き、そのスティーヴン・セガールがこれまた若いダニー・トレホを追っかけているので「おっ!」となるけれど、それ以降は今もほぼ同じ事ばかりのスティーヴン・セガール映画になってしまうので特に見るべき所も無い。始めの一戦闘と別の犯人との戦い。敵もスティーヴン・セガールもやたらと攻撃的で、無慈悲で、人をとにかく殺しまくる。人を殺しまくる割に間延びする展開。一切傷付かないスティーヴン・セガール。まだスティーヴン・セガールが映画主演三作目にも関わらず、これ以降の映画や最近のビデオ映画とも大して変わらない展開だけ。
ただ、ブードゥーが出て来て呪いや何だがあってちょっと珍しい雰囲気があるけれど、それが何かに展開する訳でもないし。それまでアメリカで話が進んでいたのに、急にジャマイカまで行っての戦いになるけれど、「それがどうした…」だしで、やっぱりグダグダな展開には変わりはない。

この映画、スティーヴン・セガール初期の作品なのに始まって20分位で見飽きているという駄目な映画。毎度の手をバタバタさせるスティーヴン・セガールのアクションも中盤ではほぼ無く、スティーヴン・セガールの見せ場も少なく非常につまらない。褒める所があるとすれば、もうほとんど動きもせず、スタントマンの身替わりばかりの最近の映画とは違い、まだちゃんと自分でアクションをしている所。…と言うか、それが当たり前なんだけれど。

☆★★★★

沈黙のステルス

2014年08月19日 火曜日

スティーヴン・セガール製作・脚本・主演、ミヒャエル・ケウシュ監督の2007年のビデオ映画「沈黙のステルス(Flight of Fury)」。

よく分からないが刑務所で記憶を消されそうになっているジョン・サンズが脱走。町で強盗を正当防衛で殺したジョン・サンズは警察に捕まり、身柄を引き受けたのは空軍の将軍だった。空軍では最新のステルス戦闘機が訓練飛行中にそのまま持ち逃げされた為、元ステルス戦闘機の飛行士だったジョン・サンズに奪還を依頼しに来た。

刑務所でのスティーヴン・セガールが何かしらあった様で、それが後の何かしらに繋がって来るかと思いきや何も無し。警察がスティーヴン・セガールを怪しいと思い、その刑事が重要人物になるかと思いきや、それ以降の出番は無し。ステルス戦闘機の奪還が目的なので空中戦になると思いきや、中盤以降はアフガニスタンでの地上戦の話に。全ての振りや設定が意味をなさない酷い流れの脚本。
そして話の展開や設定も無茶苦茶。店に強盗が入って来て、そこにたまたまいたスティーヴン・セガールが皆殺し。これはよく見る展開だけれど、スティーヴン・セガールは正当防衛を主張。警察に捕まり防犯ビデオを見たら警察も正当防衛で釈放してしまう。ステルス戦闘機を奪って来た報酬が1億ドルって、子供の百億万円と変わりもしない馬鹿っぷり。ちなみに作中のステルス戦闘機の値段は7500万ドル。銃撃戦をしているのは兵士のはずなのに、周囲から敵が襲って来ても物陰に隠れもせず、部屋の広い中央にしゃがんで撃ち続けるだけなので、当然撃ち殺されて全滅。敵はテロリストと言うけれど悪さを見せていないので、スティーヴン・セガール達が傷付かず相手を容赦無く皆殺しにしてしまうのを見ていると、誰が悪党なのかが分からなくなって来る。ステルス戦闘機に生物兵器を乗せてばらまこうとしているけれど、拡散すると地球上に広がるって、だったらステルス戦闘機いらんじゃん。拡散し始めるのはどこでもいいし、広がったら地球上全体ってテロリストは何をしようとしていたのかも不明。全てを適当に書き上げたのが見える、流石の脚本家スティーヴン・セガール。

普通ステルス戦闘機と言うと、レーダーに引っ掛からない機体を思い浮かべるけれど、これに出て来るステルス戦闘機はボタンを押すと完全に透明化して見えなくなる光学迷彩という超技術を搭載して、結構ぶったまげ。しかも、頻繁に戦闘機が飛ぶ映像が出て来るけれど、ビデオ映画という低予算からして、これらの映像は多分どっか他の何かの映像から持って来ている感じ。その場面だけ映像が荒いし。

近年の大量生産されるスティーヴン・セガール映画だけあって、彼のアクションは手だけを動かし体は動かさない。近景以外は替わりのスタントマンが全てを演じるという、毎度のセガールアクション。更に酷いのは、ほとんど直接当たるアクションがなく、手元は別人の別カットでスティーヴン・セガールの顔だけが抜かれる場面が多数。しかも、見せ場が飛行機での空中戦なのでアクション場面自体も少ない。だから初めのスティーヴン・セガールの意味も無い虐殺場面があったという事か…と理解。つまり、話的には序盤の将軍と会う以前の場面は全く必要も無い。

この映画、スティーヴン・セガールが出ていてステルス戦闘機と言えば、あの「エグゼクティブ・デシジョン」を思い浮かべるけれど、これもステルス戦闘機を扱っているのに、やっぱりセガール映画で、登場はあれだけだけだった「エグゼクティブ・デシジョン」でのスティーヴン・セガール方が全然良い。スティーヴン・セガールに脚本を書かせた所でこんなんにしかならないのだから書かせるな…と思っても、スティーヴン・セガールが出ていればどんな題材でも同じになるのだから大して変わらないか…。

☆★★★★

ハード・トゥ・キル

2014年08月18日 月曜日

ブルース・マルムース監督、スティーヴン・セガール主演の1990年の映画「ハード・トゥ・キル(Hard To Kill)」。

刑事のメイソン・ストームは、議員が殺人を依頼する現場を録画する。しかし、警察内の裏切り者によって自宅を襲われ妻は殺され、メイソン・ストームは意識不明の昏睡状態になる。七年後、昏睡から目覚めたメイソン・ストームは病院で襲われ、敵から逃げ回る事になる。

スティーヴン・セガール映画主演二作目だけれど、すでに後年のセガール映画の要素は揃っている。家族を失った孤独な刑事の復讐。東洋思想や東洋格闘技に精通し、無敵で敵には容赦の無い無慈悲なヒーロー。これ以降のセガール映画で良く見かける人物像と展開という、この時はこの手の映画も多く、それの主流だったのかもしれないけれど、今見てしまう見飽きたモノばかり。展開としても常にスティーヴン・セガールが狙われ、追いかけ回されるのがほとんどで、防戦一方でおもしろくないし。
それに、敵がやたらと情報を掴み、先回りばかりしているのも都合の良い展開。スティーヴン・セガールが次々と敵を殺して行っても、すぐさま敵がワラワラと登場して来て、スティーヴン・セガールに殺されるの繰り返し。そもそも敵の議員は自分の秘密を漏らさない為に、犯罪を手に染めるチンピラを何人抱えているんだ?とか疑問しかないけれど、敵が大勢出て来るのだから素早く見せる展開になるはずが、次々と敵が出て来る割りに結構展開はもっちゃりしてるし…。
何よりこの映画は、スティーヴン・セガールが若いに尽きる。今のブクブク太り、手足だけ動かさないので編集で誤魔化してアクションをしている省エネアクションと違い、若く細身で結構カッコ良く、アクションも自分で動いて殴ったり、殴られたりもしているのは今見ると新鮮。…と言うか、これが当たり前のアクション映画で、近年の省エネアクションのセガール映画がどうかしているのだけれど…。

この映画、まだ二作目なのに、これ以降のセガール映画で見飽きたモノばかり。これがセガール映画として固定される様々なモノの始まりの一つとして、セガール映画の歴史としては少々興味は持ったけれど、映画自体は1980年代臭のする小規模な暴力アクション映画でしかない。まあ、セガール映画は何時でもセガール映画という事を確認出来る映画。

☆☆★★★

2013年に見た映画グランド大賞

2013年12月30日 月曜日

昨年、2012年は一日一本位で映画を見まくってしまい、更にTVドラマも見ていたので、何をするにも時間が無くなってしまうので今年は見る量を減らそうと実行。2012年は全部で307作だったけれど、今年2013年は去年の約半分の148作を見た。やっぱり見た本数とここに書いた本数はちょっと違うけれど。

映画以上にテレビドラマが多かった。以下、2013年に見たTVドラマ。

ER 56・7・89
CSI 科学捜査班 1・2・8・9
CSI:ニューヨーク 4
LOST 3・4・5
ライ・トゥー・ミー 3
バーン・ノーティス 3・4
ラスベガス 1
プリズン・ブレイク 1
ホワイトカラー 1・2・3
NIKITA / ニキータ
特攻野郎Aチーム
ホームランド

以下のドラマはつまらなかったり、時間的に無理だったので諦めたりで、途中で見なくなったモノ。

NCIS ネイビー犯罪捜査班
ゴースト 天国からのささやき
リベンジ
クリミナル・マインド
BONES -骨は語る-
ワンス・アポン・ア・タイム

全部で400話位か。
結局は「ER」や「CSI」がやっぱりおもしろかったという結論。
 
 
で、映画の方は、今年も古今東西の映画見たけれど、当然おもしろいモノからつまんないモノまで。去年から各映画の評価として五段階で星を付け始め、それの集計を以下に。元々は五段階だったけれど、星無しも出現し、結局六段階に。白星が金星。黒星が多い方が負け越し。

☆☆☆☆☆ 4作

☆☆☆☆★ 10作

☆☆☆★★ 26作

☆☆★★★ 46作

☆★★★★ 53作

★★★★★ 9作
 
 
最もおもしろかった☆☆☆☆☆の映画4作。

クリムゾン・タイド
裏窓
ファンタジア
メメント

どれも確か昔に一回は見たはずで、初見の映画は無かった。去年のグランド大賞「グランド・ホテル」や「吸血鬼 ボローニャ復元版」の様に、初めて見ての感激は無かったが、しかし、どれもおもしろく、息をのみながら、感嘆のため息が出る映画ばかり。

で、今年の最高の一本は「ファンタジア」。「裏窓」も舞台設定、人物設定、舞台装置、脚本のどれもが上手い事絡み合った素晴らしく、物凄く好きな映画だけれども、終始唸りながら見て、泣きそうになったのが「ファンタジア」だった。この映画のアニメーションの表現にはしびれるばかり。表現で笑って、泣いてという映画って他には無いのじゃないだろうか?
そう言えばこの映画は1940年公開で、去年のグランド大賞「グランド・ホテル」は1932年公開で、古い映画ばかりだな。
 
 
一方、つまんな過ぎた★★★★★の映画9作。

アイズ ワイド シャット
サイレント・ワールド 2011
ライラの冒険 黄金の羅針盤
プリティ・ブライド
続次郎長富士
大海原を行く渡り鳥
てぃだかんかん
沈黙の奪還
雷神 RAIJIN

見事にスティーヴン・セガール映画が二本。「続次郎長富士」や「大海原を行く渡り鳥」は前作が☆★★★★だったので、それよりもおもしろくなかったので自動的に★★★★★になってしまった。

で、今年の最低の一本は「てぃだかんかん」。話の題材どうこうよりも、グダッとした脚本、テレビのバラエティみたいな酷い演出等々で、久々に最後まで見切るのを止めようかなと思った映画だった。けれどもそれ以上に、十年以上の「ナインティナインのオールナイトニッポン」のヘビーリスナーとしては、この映画が岡村隆史の休養の原因の一つともなり、ラジオが終わっていたかもしれない、ナインティナイン自体が終わっていたかもしれないと思うと、この映画は色んな意味で見れたモンじゃない。
 
 
作品の次は監督。

今年見た映画の中で一番監督を意識したのは、「ベルヴィル・ランデブー(☆☆☆☆★)」のシルヴァン・ショメ。ディズニーの「ファンタジア」とはまた違う方向性のアニメーションで、「ファンタジア」もそうだけれど、この表現の為のこの手法というのがはっきりと分かり、画面の雰囲気の作り上げが素晴らしい。
そんなにアニメーションは見ないのに、何故か作品・監督共にアニメーションになってしまい、不思議。

一方駄目だった監督。

ライラの冒険 黄金の羅針盤」の監督・脚本クリス・ワイツ。この監督2012年のグランド大賞でも最低の★★★★★だった「ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々」で脚本を書いていた人なんだよなぁ。
「ライラの冒険 黄金の羅針盤」は児童文学の映画化は分かるけれど、話を端折り過ぎて、まるで連続TVドラマの総集編みたい。見ている方はドンドン置いてけ堀の都合の良過ぎる展開ばかりなのに、何も話がまとまらず「次回へ…」という幕切れ。しかも、その続編はこの映画の出来が悪過ぎたからか、作られ仕舞いのままの投げっ放しジャーマン状態。
 
 
監督の次は役者。

去年と同じく、やっぱり市川雷蔵眠狂四郎シリーズを見たので、やっぱり市川雷蔵はカッコ良い。眠狂四郎の様なニヒルな役もすれば、「濡れ髪三度笠」の様なチャキチャキの江戸っ子で笑いも取るし、「殺陣師段平」の様な物静かな書生風の役まで演じ、それがどれも一瞬見た感じだと「えっ、市川雷蔵?」と確認する位見た目が違い、本当に素晴らしい役者だったのだなと思う事仕切り。

一方駄目だった俳優。

★★★★★に二作も入っているスティーヴン・セガール。10作程見たけれど、どれも当たり無し。特にブクブクと太った近年の、ほとんど動かずに敵を倒すの編集で誤魔化しまくっているだけの省エネ・アクションは酷い。同時期辺りに、同じくアクション俳優として出て来たジャン=クロード・ヴァン・ダムは、今年見た最近の映画でも結構おもしろいのに、この差は何だろう?スティーヴン・セガールの小銭稼いでいる感が凄い。
 
 
今年はついでに音楽も。

映画自体は前半はおもしろかったけれど、後半はつまらない恋愛映画になってしまった「ラブソングができるまで」。この映画の始まりで、主人公の一人ヒュー・グラントが1980年代にPoPというバンドで大ヒットを飛ばしたかつてのスター役というのを見せる為、そのPoPの大ヒット曲「Pop! Goes My Heart」のプロモーションビデオを80年代風で作って流している。この「Pop! Goes My Heart」にはまってしまった。ヒュー・グラントが80年代風のポップ・スターを演じながら歌ってのPVなのも面白い所ではあるけれど、このPVがちゃんと良く出来ている。妙に切なく、変なこっぱずかしさがあるWham!風80’s Popを良く再現している上、この曲普通に良い。「♪I said I wasn’t gonna lose my head, But then pop! Goes my heart.」と歌える位何度も聴いてしまう位好き。
 
 
今年の映画は、結構シリーズモノを見たけれど、当たりは眠狂四郎シリーズ位で、何本も続編が作られているシリーズなのに外れが多かった。「ダーティハリー」の35とか、後半に行くにつれ落ちて行くのは分かるのだけれど、小林旭の渡り鳥シリーズは毎回同じ役者が違う役を演じ、ほぼ同じ展開を繰り返すという、見ているとデジャブ感の連続でクラクラして来る謎のシリーズでつまんなかったのに、最終作「渡り鳥北へ帰る」が意外とおもしろいという変なシリーズ。
あと、スティーヴン・セガールの沈黙シリーズは、アメリカでは全然別作品なのに、日本で勝手に「沈黙」を付けてシリーズ風に見せるという、シリーズなのか、何なのか訳の分からないシリーズもどれも外れ。
それに、やっぱり映画を沢山見れば見る程、二時間前後で完結する映画は短編に思ってしまう感が増し、連続して見せ続けるTVドラマの方が見たくなる不思議。二時間かけて見る映画に回す気力は結構入り、TVドラマの方が毎週軽い感じで見続けられて満足があるのも変な感じ。何よりもっと映画を選別して見ないと、全体の割合として駄作が多いと、やっぱり映画見る気が減るよなぁ。
 
 
関連:2012年に見た映画グランド大賞
   2014年に見た映画グランド大賞
   2015年に見た映画グランド大賞
   2016年に見たテレビドラマ・映画グランド大賞
   2017年に見たテレビドラマ・映画グランド大賞
   2018年に見たテレビドラマ・映画グランド大賞

スティーブ・オースティン ザ・ハンティング

2013年12月19日 木曜日

キオニ・ワックスマン監督、ストーン・コールド・スティーブ・オースティン主演の2010年の映画「スティーブ・オースティン ザ・ハンティング(Hunt to Kill)」。
この映画、アメリカではソフトの初日の売上が良く、その年のオリジナルビデオ(Direct-to-video)では成功した一つらしい。

国境警備隊のジム・ローズは相棒を殺されたが仕事を続けていた。彼の娘が万引きで補導されたので保安官事務所に行ってみると、犯罪者達が押し入っていた。彼等は仲間にハメられ、債権を持ち逃げした男を探していた。娘を人質に取られたジムは協力し、その男を探す為に犯罪者達と山へと入って行く事になる。

始めの方はおもしろそうな感じの展開なのに、皆で山に分け入り始めてからはしょうもなくなる。
相棒の死。仲間割れした犯罪者達。それらを始めに振っているのに、相棒の死が何かに繋がるフリでもないし、犯罪者達がどう絡んで来るかと思いきやすんなり主人公と行動を共にさせるので緊張感の無いまったりした感じになるし、展開がおもしろくない。
主人公と犯罪者を一緒に行動させる意図は分かるけれど、結構無理矢理な導入。元仲間を探す為に、元仲間がいる近くの町の保安官事務所に押し入る意味が分からないし、自分達で探せばいいモノをわざわざ何者かも知らぬSCSAを協力させたりと、犯罪者達が微妙過ぎる。始めの一幕で、繋ぎの作業着の下にカジノ関係の服を隠し着ていて、コンピューター担当の男がいて、無記名債権を強奪して来るので、ある程度知的な犯罪者集団かと思いきや、山に入ったら行き成り女性を襲う、仲間で殺し合うといった単なる頭の悪いチンピラ集団でしかなくなるし。
ついでに娘の頭の悪さもいらない。彼女がギャーギャー騒ぐ度に見る気が失せて行く。
始めに入れていた、相棒から送られた時計のベルトの紐の使い道が、崖を降りる為に体を結ぶ綱を木に巻きつける為という、非常にしょうも無い使い方しかしないし。
この設定だと、如何に主人公が敵を引き付け、騙しながら倒すかが見せ場なのに、SCSAは終盤にならないと活躍し始めないし、敵が皆アホなのでやたらと一人になってしまい簡単に主人公と一対一になって見ていてもおもしろくないし、SCSAが一方的に敵をなぶり殺しし始めるのでちょっと引き始めるし。
監督のキオニ・ワックスマンは「沈黙の逆襲」「沈黙の鉄拳」とかのスティーヴン・セガール映画を撮っている人なので、まあ、そんなビデオ映画の駄目な感じで一杯。

今回のプロレス的な部分でのSCSAの見せ場としては、序盤のアームロックから足首ねじったりする寝技と、最後の対決で走って来た敵に対してかますクローズライン位か。

ちょっとおもしろいのは、吹き替え。スティーブ・オースティンは、ほぼ彼専属となっている岩崎ひろしで安心感があるのは良いんだけれど、始めは仲間だったけれど対立する事になる敵方の主要人物二人の吹き替えが麦人井上和彦という、「LOST」のジョン・ロックジャック・シェパードの関係性みたいな二人が担当。井上和彦のギャーギャー騒ぐ悪役って珍しい気がする。

この映画、ストーン・コールド・スティーブ・オースティンだから見たけれど、やっぱりビデオ映画的な要素しかない、まあ面白味の無い映画。設定を活かせよ!フリを上手い事まとめろよ!もっとSCSAを活躍させろよ!アホはもういいよ!とか、不満といらない部分一杯。

☆★★★★

沈黙の復讐

2013年12月12日 木曜日

スティーヴン・セガール主演の2010年の映画「沈黙の復讐(Born to Raise Hell)」。

今回のスティーヴン・セガールは東欧の国際麻薬捜査官。押し込み強盗をする麻薬の売人を捕まえようとする。

この映画も近年のセガール映画と同じく、手を少しだけ動かしての省エネ・アクションと、本人の登場場面が少ない省エネ出演の量産映画。
スティーヴン・セガールは痩せる気はないのか、顔が下膨れ状態で、体も何時もの黒い長めの革のコートで隠そうとはしているけれど、その肉だまり感は消せないブヨブヨ感。アクションはそれなりにしてはいるけれど、その場面自体少なく、別人の足元だけのカットや、短く繋ぐ編集で誤魔化している。何より、中盤には麻薬組織の仲間割れの話になって、主人公であるはずのスティーヴン・セガールの登場場面がほとんど無くなってしまう。この映画の主人公は麻薬組織のボスじゃないの?と思える位、登場さえも節約。
スティーヴン・セガールには新しくやって来た相棒が付く事になるけれど、「相棒は殺されるんだぞ。」「アメリカ映画の見過ぎだ…。」という一ネタの為に殺されてしまい、殺された事に対するスティーヴン・セガールの何らかの感情の発散も無いし、この相棒が「もうすぐ子供が生まれる。」と言う話もありながら、この子供がどうのこうのと言う話も無いし、大して活躍もしないし、登場自体も少ないしで、何の為に登場させたのか意味が分からない登場人物。

多分アメリカで作るよりも安く仕上がるからだろうが、ルーマニアで撮影を行なっており、それが物侘しい雰囲気やお洒落な感じを出す効果になっているのが性質が悪い。短い一場面の中で無駄にカット割ったり、スローモーションにしたりという演出も雰囲気番長なだけ。人物がただ歩いているだけの場面を、急にスローにしたりセピア色にして見たりしていて、見た目の雰囲気を出してはいるけれど、その場面で特に何も無いのにそんな事を繰り返していると、無意味な、馬鹿っぽい演出になってしまっている。

スティーヴン・セガールがこんなおもしろくも無い映画を年数本出しているのは、お金以上のモノはないんだろうなぁ。

☆★★★★