アイズ ワイド シャット

2013年01月10日 木曜日

スタンリー・キューブリック製作・監督・脚本、トム・クルーズニコール・キッドマンが当時まだ夫婦で共演した1999年の映画「アイズ ワイド シャット(Eyes Wide Shut)」。

話は倦怠期を迎え、マンネリで少々心の距離が離れた感のある夫婦の生活、それも性生活を中心に進み、そんな生活の中でトム・クルーズがちょっと性的に好奇心を出す。要は金持ちのおっさんおばはんの夜の生活が上手く行っていないからちょっと怪しい所に走ってみようという下ネタ。

これが非常に退屈。前半は二人の状況を説明するだけで進み、それもまったり、減り張りも無く進み、中盤の怪しい乱交の館も何かに発展するっぽく引っ張る割に、脅しもまったり、解決もまったり。退屈な会話のやり取りと特に何かに発展する訳でも無い間延びしまくるダラダラとした小さな話の連続。寸止めばかりで性欲が強いのか弱いのかも分かり難いトム・クルーズの人物像。エロを描いているのに、エロくも綺麗さも無く、怪しい雰囲気は使い古された様な安っぽさばかりだし。

何と言っても主役の二人がどうにも良くない。
トム・クルーズって、ニコール・キッドマンと並ぶと小さく見えてしまう。彼女が高いヒールを履いているのもあるだろうけれど、トム・クルーズも底上げ靴を履いているだろうし、ニコール・キッドマンよりも少し小さいだけなのに、小者に見えてしまうのはニコール・キッドマンに色んな意味で喰われているという事か。小さいという事で一瞬アル・パチーノ的雰囲気も感じたけれど、アル・パチーノ位の凄い存在感も無い事を見てしまい、思い過ごしと気付く。
それにトム・クルーズって、こういった出来る成功者の役が本当に似合わない。良い人感は良く出ているのだけれど、賢さが一切感じられないのは致命的。なので、積極的に行動しているのがわざわざど壺にはまって行くアホな男にしか見えず、だからどうした感が物凄い。全編コメディにしか見えないのに、笑かす様な演技も演出も無いのでただしょっぱいばかり。トム・クルーズが泣き出した時は、爆笑の引き笑いかと思ってしまった。
ニコール・キッドマンも急に笑い出す場面があるのだけれど、そこで「こんなに演技下手だったっけ?」と思ってしまった。専業主婦らしいけれど、生活に追われる様子や疲れた感じも無く、それこそ女優の様に綺麗で、綺麗過ぎるのが逆に不自然。
何よりやっぱりこの映画で悪趣味なのは、実際にまだこの時は夫婦であったトム・クルーズとニコール・キッドマンが素っ裸で抱き合ってキスしている場面。夫婦の映画での羞恥プレイ見せられても…。それにやたらとニコール・キッドマンが自分の裸を見せるのも、やり過ぎなのでサービスシーンでもなく、三回目位から「私の体って綺麗でしょう!」的な自惚れ感がうっとおしくなって来た。何でかニコール・キッドマンのトイレ場面は見せるのに、性欲満々なはずのトム・クルーズは他の女性とのベットシーンも無く。悶々として一人で抜く位の事しないと人物の説得力何て無いし。
この映画から数年経って、スタンリー・キューブリックがリー・アーメイに「二人が無茶苦茶にした失敗作、駄作だ。」と言ったらしいけれど、それはそこら辺もあるのか。確かに二人の配役は失敗だと思うけれど、二人でなくとも十分駄作だと思うけれど。

よく「スタンリー・キューブリックは完璧主義者」と言われるけれど、序盤で演技している俳優を何かを持って見ているスタッフが立っているのが金属に思いっ切り映り込んでいて、ズッコケそうになった。
演出も至って普通の域を出ていないし、ホテルのフロント係がゲイっぽいのなんて笑かしなのか、違うのか分かり難いし、意図がさっぱり見えて来ない。

この邦題は各単語間に空白がある「アイズ ワイド シャット」が正式の題名なのだろうか?物凄い気持ち悪い。何で「アイズ・ワイド・シャット」ではないんだろうか?それに邦題もそのままだといまいち分かり難いし。

この映画、下の制御が効かないお金持ちのおっさんが行きたいけれど妻もいて踏ん切りが付かないと言う、要はコントみたいなしょうも無い事を延々「芸術」として撮ってしまったので、至ってしょうも無いだけ。原作が1926年のアルトゥル・シュニッツラーの中編小説「夢小説」とは言え、今更…と言っても1999年だけれど、題材が古臭く、こんな話を20世紀の終わりに映像化した意味もいまいち分からない。正直洋ピンのポルノ方がもっと正面からこの題材をエロを持ってキビキビと描いている様な気がする。…良く知らないけれど。

★★★★★

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