新スタートレック シーズン5
2025年06月04日 水曜日「新スタートレック(Star Trek: The Next Generation)」のシーズン4の最終話「クリンゴン帝国の危機・前編」がクリフハンガーで終わったので、そのまま続けて一話目を見たシーズン5。
お馴染みのクリンゴンやロミュランを深掘りする回がおもしろかったし、更にカーデシアに新たにベイジョーが登場して「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」に続く展開も出て来たし、中盤辺り以降では結構いまいちな回もあったけれどいよいよ本領発揮して来た感じ。
ただ、このシーズンからオープニング・クレジットの「Star Trek: The Next Generation」の文字に残像みたいな帯が付いたけれど、これが非常にカッコ悪い。
何で急に変えたんだろう?
1話「クリンゴン帝国の危機・後編」は前回からの続きで、ガウロンがクリンゴンの総裁となった事でかつてガウロンの対立候補でウォーフに殺されたデュラスの姉妹ルーサとベトールが反乱を起こし、クリンゴン内の内戦へと発展し、ウォーフはエンタープライズを降りてガウロン側に付き内戦に参加。
ルーサとベトールにはロミュランが支援していたが、そのロミュランの司令官はエンタープライズ元クルーのターシャ・ヤーの娘シーラと名乗りピカードに接触。
惑星連邦は内政不干渉な為にガウロンからの支援要請を断ったが、ロミュランが関係していた事が分かり宇宙艦隊の船を集めてロミュランの補給網を絶つ為の作戦を開始し、エンタープライズのクルーは各艦に乗って行動する話。
前編がガウロンを中心としたクリンゴン内部のガウロンとデュラス姉妹の駆け引きとウォーフの話だったのが、後編はその直接の戦いとなり、そこにロミュランとの攻防が絡み、更に臨時艦長となったデータの話まで入れ込んで盛り沢山でワクワクが連続する。
ただ、その分詰め込み過ぎな感はあって、各話の描きが足りない感じがして駆け足過ぎな部分もあった。
前編があれだけガウロンの話が中心だったのに後編はロミュランの話が入って来たのでガウロンの話が薄くなり、ガウロンの指導力やクリンゴンらしさが物凄く少なかった。
しかし、ガウロンは前編ではまだクリンゴンの中の一人な感じだったけれど、後編の最期には目をむいての表情がクリンゴンを統べる総裁の感じがあって非常に良かった。
ロミュランの方はターシャ・ヤーを演じていたデニーズ・クロスビーが一旦レギュラーを降りはしたけれどシーズン3の「亡霊戦艦エンタープライズ”C”」でゲストで出てからデニーズ・クロスビーなのか、制作側なのかがやる気を出したからなのか、あのよく分からなかった「亡霊戦艦エンタープライズ”C”」から更に新たな人物としてシーラを出した事で時空がうんにゃりして何だかよく分からない話になり、しかしそのシーラの背景については結局ほったらかしで進むので話の大盛り過ぎをさばけていない感じがしてしまった。
別に全くの新たなロミュラン司令官でも良かったと思ってしまったし、それだとロミュランと惑星連邦との駆け引きがもっと描けたのでは?とも思ってしまった。
足りない士官を補う為にデータが艦長となる話も本当は一話かけてやる話だろうに駆け足過ぎて小話的になってしまっていた。
それと、この話での副官は原語の英語だともっと抑えた声なのに、吹き替えだとあからさまな不信感や敵対感を出してしまっていて、いつの時代でも声優の過剰演技が雰囲気をぶち壊しているんだなぁとも思った。
この人が足りていないエンタープライズで目立っていたのがオブライエンだったのが一番ワクワクしてしまった。
役が育って来ていて、役的にも信頼感が出て来たからブリッジの色々を任せられる位置になったのかと思うとやっぱりオブライエンは良い。
結局この回も後編の結末ではありながらデュラスの息子が急に出て来たけれど今までどうしていたのか?とか、クリンゴンとロミュランの繋がりは?とかの謎の答えは出さないままで結構モヤモヤしたまま終わってしまった。
2話「謎のタマリアン星人」は、これまで何度か惑星連邦と接触はあったものの何の意思疎通も取れなかったタマリアン星人とエンタープライズが接触し、タマリアン星人の個々の言葉は理解出来るが全体の文章が何を言っているのか分からない状態で互いに理解が出来ない中、タマリアン星人の艦長とピカード二人だけが惑星に下ろされて外部からの接触が無い中で理解しようとする話。
この回は以前地上波のテレビ放送の時に見た記憶があり、この内容が非常に独特でおもしろかった事を覚えていて、多分30年位振りに見たけれど、やっぱりSFしているし、分かるんだけれど分からない中での相互理解をしようとする、これぞTNGと言う回で良い。
考えを抽象化して神話や伝説や歴史を使って比喩的に話す言語って良く考え付いたと思う設定で、これを徐々に理解して行くピカードの展開は推理物でもありで見ていておもしろい。
ただ、アメリカのフィクションで向こうからやって来る謎の異星人って、まあそうしないとそういうおもしろい設定にならないとは言え、向こうのやり方や方法で押し掛けて来てこっちのやり方に全然合わせようとしない事が多いけど、タマリアン星人もそう。
あと、タマリアン星人は何が何でも惑星連邦と相互理解をするんだという強い人々でピカードもそれに感心して学んだ感じだったけれど、タマリアン星人はピカード並びに惑星連邦の目が開かれた!ので満足して帰ってしまったみたいで、それ以上の相互理解や交流は求めていないのかな?
クリンゴンのとにかく何でも名誉!の価値観と似た、とにかく相互理解の取っ掛かり!もしくはタマリアン星人を知ってもらう第一歩こそ!の価値観の人達なんだろうか?
それと全然分からなかったけれど、この回のラ=フォージの部下の士官を演じていたのってアシュレイ・ジャッドだったのか。
しかも役者としての初仕事がこれだったみたい。
3話「流浪のベイジョー星人」は、カーデシアに侵略されて長年支配され他の星で散り散りに暮らしているベイジョー人達の中にカーデシアと戦い続ける者達もおり、今までは惑星連邦には何もしていなかったが惑星連邦の植民地を攻撃して来たのでエンタープライズにその首謀者を捕まえろと命令が提督から下った。
その協力者として軍法会議にかけられて服役中だった士官ロー・ラレンが派遣された。
ロー・ラレンは皆とは馴染まずに勝手に首謀者と接触し、その首謀者は惑星連邦の植民地を攻撃していないと言って来た。
ロー・ラレンは実は提督から別の任務を受けているとピカードに話した事で裏で動いている陰謀がある事が分かって来るという話。
この後「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」で中心となるベイジョー人の初登場回。
始めからカーデシアに支配されていて、惑星連邦にとって助けたいけれどカーデシアとの関係で助けられないという非常に微妙な関係性があり、この話でも個人と大きな勢力間の関係性を大きく見せていて、更にそこに陰謀まで出て来るのでおもしろい回だった。
ロー・ラレンが役が立ちまくりで、そこに濃いガイナンが割り込んで来て、突っぱねるロー・ラレンと押し付けるガイナンの会話劇は抜群に見入ってしまった。
画面には出ずに陰湿で冷淡な強い印象を残したカーデシアや、誰を信じて行動するかのロー・ラレンやピカードのやり方等興味深い話が展開される良い脚本だった。
気になったのはベイジョー人の鼻筋のひだが後とは違って眉間辺りに横筋があるとか、宇宙艦隊の提督って勝手に先走って惑星連邦の規則を超えて陰謀を企てて、でも見つかってしまうという事が時々あるけれど、やっぱり惑星連邦って高い理想で運営しているはずなのにダイジョブ?と思ったり。
4話「殺戮の宇宙水晶体」は、シーズン1の「アンドロイドの裏切り」に登場した水晶体が再び現れて植民地を襲い出したので、かつてその水晶体とローアが結託して住民を皆殺しにしたオミクロン・セータで息子を奪われた事で水晶体の研究を行って来たカイラ・マー博士を呼び寄せてデータと一緒に対処しようとする話。
博士の反応は理解出来つつも、博士の行動を変えられる程今回のピカードの意見は強くなかったかな?と思うし、最後のデータの無感情での博士への残念をする為の展開だったのかとは思った。
始まりでライカーの心情を描いていたのに序盤以降は博士の話が中心となり、ライカーの水晶体への憎しみがありつつのピカードに対する意見が少なく、てっきりこのライカーを使って博士との対比を見せるのかと思ったのにそれも無くて、折角おもしろい題材だったのにデータの便利機能で引き起こされた博士の復讐話で終わったのはちょっと勿体無い気もした。
自分勝手で突っ走る危ない提督に続けて同じ様な科学者を出して来たのは惑星連邦の人間も理想的ではない人もいるよと言う違う側面を見せる為なんだろうか?
それに、この水晶体ってローアの初登場回に出て来たから覚えてはいたし、シーズン1から続けて見ているので覚えてはいたけれど、ここでシーズン1の生命体を出して来たのは何故なんだろう?
当時の放送で見ていたら三・四年前の回は覚えていないんじゃないかしらん?
5話「エンタープライズ・パニック」は、航行中のエンタープライズが宇宙現象による事故でシステムダウンしてしまい、各所が隔壁で分断され、それぞれが不慣れな問題に対処する話。
ここ数話は重めの話が多かったからか、続けて原題の「Disaster」の通りにディザスター回だと思ったら結構コメディ的だったり、ほっこりする話だったりと意外と柔らかい話で物凄く楽しかった。
子供が苦手なピカードと子供達のターボリフト脱出話はお互いに関係が近づき信頼関係が生まれたり、産気付いたケイコのお産をウォーフが手助けしたり、身を挺して電流を浴びたデータが頭だけになって、その頭だけのデータを助けて危機を乗り越えるライカーとか笑いの部分が多く、これ以外にもジョーディ・ラ=フォージとビバリー・クラッシャー、ディアナ・トロイが順列的に指揮官となってマイルズ・オブライエンとロー・ラレンの違う意見をどう判断をするか等の珍しい組み合わせで構成されていたのもおもしろかった部分。
まだ新人物だけれどロー・ラレンの気の強い性格を活かした役割も上手かった。
それに、やっぱりオブライエンの機械やコンピューターをちゃんとわかっている安心感は役が育っている感じがして好き。
あと、まだ名前は出て来なかったけれど生まれて来たケイコとマイルズの娘モリーってウォーフが取り上げたのか。
この後DS9でオブライエンがレギュラーになり、一家もDS9で度々登場し、そこに途中からウォーフがやって来るって、ちゃんとマイルズ一家とも繋がっていたのか。
6話「エイリアン・ゲーム」は、ウェスリー・クラッシャーが休暇でエンタープライズに戻って来るとエンタープライズではライカーがライサから持ち帰って来たエイリアン・ゲームというゲームが流行っていて皆がエイリアン・ゲームに没頭し始め、皆の行動が異様になって来て、ゲームの影響を受けないデータはビバリーに機能を停止させられ、真面なのはゲームをしていなかったウェスリーと士官のロビン・レフラーだけで二人でこの状況を乗り切ろうとする話。
久々に登場した元レギュラーのウェスリー主役回で、しかも何時ものレギュラー陣が脇役で敵となるという変わった回で、内容も時々ある突然のホラー回で雰囲気が違い過ぎる結構特殊な回。
始めはライサであのライカーなのでエイリアン・ゲームは何か性的な物かと思っていて、更にこれも何か性的な暗喩なのか?と思える謎の延々とチョコレートアイスの食べ方を語るディアナを描き、そこにウェスリーの色恋話が加わって来たので完全にそっちの方向に行くのかと思いきや、今度はエイリアン・ゲームが麻薬的な依存や退廃を引き起こすと言う話になってそっちの方向に行くのかと思いきや、全員が洗脳されておかしくなってしまった中で二人で立ち向かおうとするホラー・サスペンスになって、振りからの展開のさせ方が二転三転して上手いと思ってしまった。
ただ、ロビンが急に洗脳状態になってしまっている理由は描かないし、データを復活させたウェスリーも描かないし、結局美味しい所をデータが持って行ってしまったし、光の点滅で復活と言うお手軽さも何だかなぁ…で、微妙な部分も多々。
それにしても元々はライカーの下の緩さが問題で、多分この後ライカーはピカードから長い説教を喰らっているだろうなぁ。
それと、今後のTNGでも以降のシリーズでも定番となる黒基調で首と肩回りだけが色付きの制服が多分初登場したけれど、一番最初に着ていたのはウェスリーだったのか。
制服に関しては特に何も言及がなかったけれど、この時点ではアカデミーの学生用だったんだろうか。
あと、制服の時の髪を上げているロビンはあんまり思わなかったけれど髪を下したロビンを見て「ああ、アシュレイ・ジャッドだ」と思った。
7・8話「潜入!ロミュラン帝国」は初のシーズン途中での前後編。
惑星連邦の大使スポックが失踪し、ロミュラン帝国の首都ロミュラスで目撃された情報が入り、かつてスポックの父サレクと精神融合したピカードがスポック捜索の任務を受ける。
ピカードはクリンゴンに遮蔽装置のある船を借りてデータと共にロミュランに潜入すると、スポックはヴァルカンとロミュランの再統合を目指して独断で動いていると説明する。
一方でライカーはフェレンギに盗まれたヴァルカン船の装置の追跡調査を始めたという回。
次々とおもしろい展開の連続で、ジーン・ロッデンベリーへの追悼から始まり、スポックの登場。
スポックがロミュランに行っている。
総裁になったガウロンとの交渉。
クリンゴンに助けを借りてのロミュラン潜入。
ピカードとデータのロミュラン人への変装。
ロミュラン内にあるヴァルカンとの和平や統合の動き。
ロミュラン上層部のヴァルカン侵攻計画。
ヴァルカンの装置の捜査を行う別班のライカー達。
惑星連邦の壊れた船を置いておくだけの場所。
クリンゴン・オペラを歌うウォーフ。
再登場のシーラ。
感情の無いスポックと、スポックに冷静でヴァルカン人に近いと言われたピカードとの会話。
全く感情の無いデータとスポックの会話。
ピカードを挟んでの父と子の理解等々、まあ見所の多い回で全編に渡ってワクワクと興味が尽きなかった。
前後編だけあって色々と詰め込んでも結構じっくりと描いていたけれども、どうしてもスポックが出て来るとスポックの厚みでスポックが大きな軸となり、ピカードはあんまり活躍せず脇役位の感じになってしまってはいた。
でも「宇宙大作戦」とTNGを繋ぎ、スポックやロミュランを更に深堀りして凄く見応えのあった回だった。
これに突然スポックが出て来たのは何でだろう?と思ったら、「宇宙大作戦」の方の最後の映画「スタートレックVI 未知の世界」がこの回の後数週間後に公開されるのでという事があったからなのか。
しかも、レナード・ニモイはそれまでTNGに出演するなら100万ドルを要求していたけれど、この映画の宣伝という事で映画俳優組合の取り決めの最低限の出演料で出たから、出せたからという事もあったみたい。
それに原題「Unification」がヴァルカンとロミュランの統一だけでなく、「宇宙大作戦」とこのTNGを繋ぐという意味もあり、その橋渡しが正にスポックで、その部分でもレナード・ニモイが出ようと思ったらしい。
そう思うとこれまでもそうだったけれど今回の邦題って、しょっぱいよなぁ。
やっぱりスポックは分厚くて良いし、最後のピカードを介して亡くなった父親を知ろうとするスポックは刺さりまくった。
一方、今まで結構伏線張りまくっていたシーラはこれ以降は登場しない様で、結局出自も本当なのかはっきりしないままロミュランの中央にまで進んでいた重要人物っぽくなっていたのに全部ぶん投げたままでお終いって酷い。
やっぱり、これだけ設定こねくり回してまでわざわざシーラという人物作らなくても良かったのでは?としか思わなかった。
9話「26世紀のタイム・トラベラー」は、小惑星の衝突によって大気が粉塵により覆われて太陽の光が遮られてしまった惑星の救助の為に向かっていたエンタープライズの前に時空の歪が起こり、そこから一隻の宇宙船が現れ、乗っていたのは26世紀からタイムトラベルして来た歴史学者だと名乗る人物でピカード達の行動を見学し始めたという話。
まあこのラスミッセン教授は怪しい人物として描いているので案の定未来ではなく22世紀の過去で偶然タイムマシンを手に入れた人物だったとはなったけれど、展開として上手かったのは教授は何か怪しいとは言うけれどそれ程そこを深く追求せず、見ている側には未来人だと前提で話が進み、惑星の方の話が盛り上がって来るので最後のネタばらしまでがすんなりと行く様になっていた事。
最終的にタイムマシンの扉を開けたらエンタープライズのコンピューターが装備品を全部停止させたという余りの都合の良さとか、結局過去から来た人なのに何でピカードの事やエンタープライズの事を詳しく知っていたのか?何故今回の作戦の丁度前だったのか?とかの部分を全く説明せずに投げっぱなしとか、ピカードが自分は過去に干渉しないとか過去を変えないのに教授に教えろ!教えろ!と攻めまくる理不尽さ、非論理的で何時ものピカードとは違う言動になっていたとか、そこら辺は結構酷い脚本で、終盤辺りまでは楽しく見れたのに何だかなぁ…で終わってしまう脚本でもあった。
最初の時点では教授は26世紀からやって来たという事ではあったので、今現在がこの回から三十年以上経ち、TNGの続編の「スタートレック:ピカード」が作られた後に見るとわたしは教授の、あのピカード、あのエンタープライズを見ているという反応に共感してしまった。
10話「新ワープ航法ソリトン・ウェーブ」は、題名にもなっている新たに考え出された新ワープ航法の実験をエンタープライズが手伝う事となるけれど当然の如く問題が起こるという話はどっちかと言うと脇の話で、軸となっているのはシーズン4の「勇者の名の下に」で登場したウォーフの息子アレキサンダーが地球のウォーフの養親の下で育てられていたのが養親も歳でアレキサンダーを育てるのが難しいと言う事でウォーフが急にアレキサンダーを育てる事になる話。
ウォーフは急に子供がいたと知らされるし、急に息子を育てないといけなくなるしで、ウォーフは何時もアレキサンダーとは突然ばかり。
親もウォーフと話をしろよとは思うけれど、急にちゃんと親としなくてはならなくなったウォーフの話は何処でも何時でもありそうな親になる、親にならなくてはいけない難しさを扱っていて、物凄い普遍的な題材で興味深かった。
地球人の下で地球人的に育ったクリンゴンの子育ては何が正解なのかも分からず、見ている方も初めから正解が分からないというのは非常に良い設定。
クリンゴンで育ったクリンゴン人だと嘘をついたり、わがままな子供はとにかくぶん殴って言う事効かせそうだけれど、ウォーフって純粋なクリンゴン人なのに非常に地球人的に良い人というのはおもしろい。
11話「暗黒星団の謎」は、エンタープライズは暗黒星団で消息を絶った宇宙船の救助に向かうが、その船は大破しており、唯一の生存者はティモシーという少年だけ。
一体何が起こったのかを調べようとするが、ティモシーが心を許したのは命を救ったデータにだけだったという回。
TNGでは時々前話と似た様な設定の回を続けてする事があるけれど、今回も前回がウォーフと扱いの難しい子供との関係から人物を深堀りして行くのと同じ様な、トラウマを負った少年からデータとの関係性でデータを掘って行く話で連続感があった回。
今回の方が邦題になっている暗黒星団の話と少年とデータが上手く絡んでいて、そこでの脚本は上手かった。
データは人間に対する憧れが物凄くあるのが分かるけれど、それは何故なのかはよく分からず、そういう風に元々プログラムされているからなんだろうなとも思った。
クレジットを見ていたら「Directed by Patrick Stewart」と出て来て、パトリック・スチュワートの監督回という部分で結構興味深い回であったし、DS9を見ているのでブリーンの名前が出て来たので登場するのかと思いきや言及されただけという部分でもちょっとおもしろかった回。
12話「記憶侵入者ユリア星人」は、エンタープライズで輸送していたユリア星人は相手の昔の忘れていた記憶を思い出せる事の出来るテレパシー能力を持った種族で、彼らと接触したディアナ、ライカー、ビバリーが次々と昏睡状態に陥ってしまうという話。
一番最後で相手に対する精神強姦的な事だったと分かって凄い題材扱っているとは思ったけれど、如何せん初めから怪しい人が犯人で、展開がゆっくりと真っすぐ進むだけなのでサイコパスなホラーではあるのにそのホラー要素は鳴りを潜めてしまう展開と演出でつまらなかった。
題材は凄い挑戦的な事しているだけにそれを活かしきれなかったのかと思ってしまった。
途中のビバリーの記憶の中に出て来たピカードがまだ髪がある時だったのが本来は怖い場面なのにニヤついてしまい、まあ時代的にそうなんだけろうけれど髪の毛は余計だった気もしたし、それにこめかみ辺りに付いていた装置って何だったのだろう?
ボーグの機械ならこの記憶よりも大分後の事だし、ビバリーの記憶が曖昧だっただけなのか、その割にピカードは以前の制服を着ているしで、これは何だったのだろう?
13話「遺伝子操作惑星」は、崩壊した中性子星の破片を調査していたエンタープライズの一行は破片がある惑星に接近している事が分かり、その惑星では二百年前に移住した地球人が完璧な人間と社会を目指して遺伝子操作を行った人々を生み出し外界とは接触せずに暮らしていたが、破片の接近で彼らの住居が破壊される為に接触する事となり彼らの社会に変化が起こってしまうという話。
遺伝子操作された人間の完璧な社会という部分はどっちかと言うと描きたい事を導く為の前段階の設定で、主題は自己完結している閉じた世界に外からの接触があった時に起こってしまう変化の方で、実際の世界でも大航海時代とか、それ以前の初めての異文化接触とかであった事をSFで描いたという話。
遺伝子操作された完璧なリーダーとピカードだったので冷静な理性的な落とし所にはなったけれど、どっちも自分達の理論で進めようとするから問題は起きると言う話でもあって、惑星側はそういう社会だと分かるけれど惑星連邦は毎度新たな文明との初接触の時の不用心さったらない。
あれだけ内政不干渉や相手の社会の重要な部分には関わらない事が絶対的正義や規範になっているのに、それを守る為の細かい判断基準や手続きが全く手順化されていないってどうなの?だから毎度毎度問題起こしまくっているじゃん?と毎度思ってしまう。
あと、形は全然違うけれどディアナの異性関係が一つの軸になっている連続して似ている話をするのが今回もとも思ってしまった。
14話「謎めいた記憶喪失」は、エンタープライズが突如の謎の宇宙船との遭遇後、乗組員全員の記憶が無くなり、全員が手探りで自分は何者で何をしているのかを探っている中、エンタープライズは戦争中で敵の基地を破壊する指令の途中だと分かって来るがと言う話。
見ている方からすれば当然そんな事は無いと分かっているし、突然いる謎の参謀が怪し過ぎるというのはあるんだけれど、初めの各人が自分が何者なのか分からない状態での行動とか、徐々に色々な事が分かって来る展開とかはおもしろく見れ、こういうSFのアイデアストーリーをちゃんとやり切ったので良い回。
結局罠にかけた宇宙人は惑星連邦よりも大分科学が劣っているのにコンピューターシステムを把握し過ぎで、皆殺しにしてエンタープライズ乗っ取れば良いじゃんとか、まず記憶部分にアクセス出来ない機械のデータを修理した方が早いとか、こういう展開に持って行く為の都合の良さはあり、事件解決後に医療記録無いのに記憶は回復出来たの?とか、データは修理出来たの?出来たなら、やっぱり最初に修理すべきじゃんと思ったりもした。
記憶が無い状態の各人がおもしろく、それまでの経験から来る性格や立場上の関係性があって仲が良くなかったライカーとロー・ラレンが本質的な部分では引かれ合うんだとか、クリンゴンの血が騒いで指導者的立場に付いたウォーフが自分の立場が分かるとすんなりとピカードに詫びを入れたり記憶が無くても戦いよりも理性的な判断が出来るとか、見た目でも大分年上だと分かるピカードがいるのに「Hey」とか呼びかけるラ=フォージとか、ここら辺のそれぞれの立場よりも本質的な性格を出して来る所が一番おもしろかった部分。
15話「亡霊反逆者」は、百年以上前に使われていた古い救難信号を受け取ったエンタープライズは発信されている惑星に向かい、その救難信号が二百年前に行方不明になったU.S.S.エセックスからの物だと分かり、調査の為ライカー、ディアナ、データ、オブライエンが地上に降り、電波障害の中何とか戻るとディアナ、データ、オブライエンがバーラウンジに人質を取って立て籠もり、自分達はU.S.S.エセックスの艦長とその部下だと言い出す話。
幾ら宇宙艦隊の人間だとしてもカーク以前の二百年も前の人ならこういう事やりかねないと思って見ていたら全く別の宇宙人の精神?だけだったと言う話で、この宇宙人達はエンタープライズの人々の記憶を上手く読み出せていないのに、空中分解して生きていたのか、既に死んでしまっていたのか分からないエセックスの人々から細かい記憶まで引き出せていたのか?とか、データはアンドロイドなのに精神?が憑り付くと制御出来るとかの都合の良さはあるけれど、悪いディアナや悪いオブライエンが見れたという事ではおもしろかった回。
悪いデータはローアではあるけれど、むやみにウォーフを挑発するのはおもしろかった。
そして、オブライエンは外に出るとろくな目に合わないのは既にこの時からなのか。
そして、問題が解決するとケイコとイチャイチャするのもこの時から。
16話「神経医療エキスパート ドクター・ラッセル」は、事故で脊椎を損傷して下半身麻痺になったウォーフはクリンゴンの戦士として自殺をしようとするが周りの仲間はどうにかしようとする話。
如何に死ぬか、如何に生きるかの話ではあるけれど、多分この放送時から、今だと尚更ウォーフは元に戻るのは分かり切ってはいるので結構茶番ではあるからいまいち入り込んでは行けなかった。
ウォーフはクリンゴンなので当然名誉ある死を!になるんだけれど、ライカーが意外と未だにクリンゴンを理解していないのは腑に落ちない部分ではあり、分かってはいるけれど嫌だではなく、何で?とピカードに対して不満をぶつけているので何かまだ若い感じがしてしまった。
今シーズンではウォーフの深堀回が多く、今回も父親としての成長話の要素が大きかった。
ただ、多くの地球人の中で暮らしているのでクリンゴン的価値観より地球人的価値観になっては行き、それはそれで異文化の中でその異文化に染まって行くのは仕方ないのか?という事の方に興味が行ってしまった。
あと、色んな科学が発展しているのに今から見ると医療が何か遅れていると言うか、雑な感じがしてしまうと言うか。
ドラマとして映像的な見栄えを優先したからとは分かるけれど、脊髄引っこ抜いて複製した脊髄を入れるって無茶だなぁ。
17話「両性具有ジェナイ星人」は、両性具有というよりも一つの性しかないジェナイ星人の行方不明になったシャトルの捜索に協力したエンタープライズだったが、その協力作業の中で以前から自分の女性性を感じていたジェナイ星人のソランとライカーが恋に落ちるのだけれど、ジェナイでは男性女性の性がある事が異端とされて矯正されてしまうのでライカーがソランを助けようとする話。
一つの性しかないジェナイ人側からの男性女性がある事の認識という話が興味深くて、これもSF的な一つのやり方だなぁと思って見ていたけれど、やっぱりライカーは自分の感情に走り勝ちで問題を起こすし、やっぱり宇宙艦隊の誓いって色々と緩いと思ってしまった。
ジェナイのやり方が間違っていると思い、それが気に食わずにライカーは自分が被害者みたいな怒った様な表情で終わったけれど、そもそも人様の文化に首を突っ込んであれこれするのを禁止していて、これが重要なはずなのにライカーはそこら辺は特に触れる事も無く自分が好きになったからで突っ走り、ジェナイの反応ややり方を知った上でも断らなかったライカーの方こそ問題で、極端に言えば恋愛禁止の惑星の人と恋に落ちて、恋愛禁止だと知っていたのに自分の価値観や愛は悪くはなくて「お前ら間違っている!」は宇宙艦隊的には無しだろと。
今回も脇役でほとんど登場しなかったピカードの反応はちゃんとしていて、「そりゃ駄目だし、無茶言うな…」な所を「目をつぶってるから自分で片付けて来い」はピカードだなと。
でも、ライカーがソランを連れて来ていたらどうするつもりだったんだろう?
ジェナイ人が地球人とは逆に性がはっきりすると差別されるというのは逆転の発想で興味深かったものの、ソランの性が無くなると恋や愛が無くなるのは何?とは思ってしまった。
ソランも愛情や触れ合いの話はしていたからジェナイは性を削除したのに加えて異なった価値観を持った異星人との接触で感化されまくって今までの社会の中では異質化してしまったので感化された部分を消してしまったという事なのかしらん。
18話「恐怖の宇宙時間連続体」は、ビバリーが日常で既視感を感じるが、それはエンタープライズ内の他の人々も同じ様な既視感を感じており、実はエンタープライズは時間連続体の歪みと出会って何度も同じ時間を繰り返しているらしいと気付き、そこから抜け出すにはどうしたらいいのかを探る話。
初っ端からエンタープライズの大爆発から始まって掴みは抜群だし、何度も繰り返すけれど徐々に少しずつ違う繰り返しから何かおかしいと気付いてからの調査解決はワクワクするしで非常におもしろかった回。
こういうタイムループモノだと、その原因も理由も全く分からないままと言うか初めからそこを無視してただ作者が思い付いた設定をする為だけの本当に都合がいいだけの話が大嫌いなんだけれど、この回はちゃんとSFしていてそこら辺も一応は説明しながらどうすれば良いのかを見せていたのも楽しめた部分。
ただ、何で初めに戻っても微妙に今までの記憶があるのか?とか、結構どうでもいいポーカーのカードの順番を覚えているのに一番強烈に印象に残っているはずの最後の爆発する辺りは覚えていないのか?とか、エンタープライズの人達は結構早くに気付いたのにボーズマンの方は何十年も気付いていないのか?とかの都合の良さはあったけれど。
見ていて思ったのはこの回の監督がジョナサン・フレイクスだったけれど、この回は演出が難しいかっただろうな。
同じ事の繰り返しなので同じ場面で画面の構図をどうするかが難しいと思って見ていて、全く同じ構図で回を重ねる毎に微妙に違う構図になっている方がおもしろかったのでは?と思ったんだけれど、さっきとは反対からとか、裏から撮るとか結構違う構図にしていて、四十五分程の短い時間だとこういう演出の方が良いのかな?とも思った。
上手かったのは、ビバリーが違う行動を取っても毎回グラスを落として割ってしまうという演出で、これが繰り返しに気付いて違う行動を取っても結局エンタープライズの爆発という結末は変わらないんじゃないか?という不安を煽っていて、見ていてもドキッとなる所。
ここも最終的に落として壊れないとかの結末があっても良さそうな気がしたけれど。
それと、テレビ放送時には爆発後に宣伝が入っていたらしく、宣伝が明けるとまた初めからって、これってテレビでの放送だからの非常に上手い演出になっていたのか。
あと、このシーズンになって結構何度も皆でカードゲームをする場面を描いていたけれど、それが上手く活きた回でもあったし。
19話「悲しみのアカデミー卒業式」は、宇宙艦隊アカデミーにいるウェスリー・クラッシャーがアカデミーを卒業するのでピカードが卒業式で式辞を述べる為に地球へと赴くが、ウェスリーが所属する飛行チームが飛行練習中に事故を起こして同級生一人が死んでしまい、その事故を検証する為の審問会で各人が証言して行くが証拠と証言にずれがある事が分かり、事故で実際に起きた事を彼らは隠しており、ウェスリーはどうするのか?という話。
レギュラーを降板した後のウェスリー登場回は、何時ものエンタープライズの面々は脇役となり、ほぼウェスリーに絞ったウェスリー主役回になるのが今回もで、何時もとは毛色が違う感じではあるけれど同じシーズンでウェスリー主役回を何度もする事かな?とも思ってしまった。
特に前回はエンタープライズの人々を巻き込んでの騒動でウェスリーが活躍する話だったけれど、これは初めからウェスリー一団が事故を隠そうとしているというのは分かるし、他人に押され勝ちだけれどやっぱり真面目なウェスリーが告白するのも分かり切った展開だしでおもしろくはない展開の話だったし。
それに途中で死んでしまった生徒の親とウェスリーとの対話があったけれど、事実を隠していた事が分かった後の親の反応や親とのやり取りが一切無かったのはウェスリーに対してぬるい感じもあった。
見所と言えばウェスリーの同級生ニック・ロカルノで、ニック・ロカルノが出て来た瞬間にトム・パリスじゃん!となって、そこで盛り上がり、その後を知っているとそこで楽しんでしまえた。
ニック・ロカルノ演じるロバート・ダンカン・マクニールはTNG終了後に始まった「スタートレック:ヴォイジャー」で最初から最後までレギュラーだったトム・パリスでお馴染みで、この時のアカデミー生の制服が首回りが赤色で他は黒色のヴォイジャー時代の制服と似ているので余計トム・パリスっぽく、まだ特殊メイクの異星人役なら名前のある役で出演していても後のシリーズでレギュラーになるのは分かるけれど、ほぼそのままでレギュラーになるってどういう考えだったのだろう?
ここでの演技が良かったからというだけなのか、一話だけゲスト出演なら後のシリーズでレギュラーになっても誰も気にしないだろうという考えでロバート・ダンカン・マクニールをレギュラーにしたんだろうか?
このニック・ロカルノが後のトム・パリスに繋がったと思うとこの回は結構意味深く見てしまい、扱い良いレギュラーだったウェスリー役のウィル・ウィトンはシリーズの途中で降板してしまい、この回で話すピカードの会話がウェスリーに言っているけれどもウィル・ウィトンに言っている様にも取れ、一方で自分勝手だったけれど本当にチームの為に退学したニック・ロカルノが数年後にトム・パリスになって最後までやったというのが何か皮肉的な感じがしてしまった。
20話「ラクサナの結婚」は、邦題通り何時も通りラクサナ・トロイが突然エンタープライズにやって来て、今度は結婚すると言い出すけれど、その相手とはまだ一度も会った事も無いのでディアナが困る話と、ラクサナに絡めて父ウォーフといまいち上手く行っていないまだ子供なアレキサンダーとの話と、これらとはほぼ関係無く進む謎の金属を食べる生命体との話。
ラクサナが登場すると皆が振り回される話にはなるけれど、それに絡めたアレキサンダーとの話は上手く絡んで展開したとは思えず、謎の生命体の方はラクサナ話とは切り離して展開するので主軸のラクサナ話の尺が足りずに付け足した感じがしてしまった。
謎の生命体の食事でエンタープライズが危機になるけれど、その時ラクサナ一行がどうなっているのかは全く見せていないし。
途中でラクサナが「一人は寂しいから結婚する。だけれど運命の人と巡り合うとは限らない」という様な台詞があったけれど、これってラクサナを演じるメイジェル・バレットが夫のジーン・ロッデンベリーを亡くし、その追悼と、それでも元気にやっていますよと見せる為の回だった様な気もした。
前回のラクサナ回のシーズン4の22話「決別の儀式」と比べてしまうと大分つまらない回ではあったし、前話と合わせて何時もはいない準レギュラー的脇役を主役にしたおもしろくはない回が続いて、シーズン前半から中盤にかけておもしろさが上がっていたのに急に落ちてしまった。
21話「究極のパートナー」は、クリオスとボルト二星間の和平調停をエンタープライズで行う事になり、クリオスはボルトの首相へ妻を送る為にカマラという女性を連れて来るがカマラは相手の男性が望む様になるというエンパスのメタモーフで、和平の為に首相に妻になる事だけで生きて来たカマラを不憫に思ったピカードだったが、徐々にお互いが惹かれ合っているのではないか?という話。
何時も通り何だかんだ言っても相手の文化や社会に干渉したがる、してしまう宇宙艦隊の人々が今回もだけれど、多分この回はピカードにかけてシェイクスピアのか?な悲劇的な恋を描きたかった回っぽく、でも、これって結局ピカードもカマラの意識的なのか無意識的なのかの誘惑にはまってしまい、ピカードが深入りし過ぎた様な気がしてしまった。
それに、カマラがピカードに対して言っていた事、想った事は何処までが本当なのか分からず、カマラの生まれ付きの能力でカマラはピカードが望んだ相手になり、首相ではなくてピカードに合ってしまったと言い、ピカードが望んだ別れをしただけで、実は全てカマラの能力通りのピカードに対する接待だった様な気がしないでもない。
そう思うと強過ぎるカマラの能力でピカードもライカーと同じくやられてしまっただけの話に思えてもしまい、悲劇感を全然感じずにライカーに対する感覚と同じ様な「はいはい」という感じになってしまった。
カマラでしていた自由意志とかの話は何処に行くのかと思って見ていたら、これって昔からよくある封建時代とかの初めから政略結婚が決まっている姫と大して変わらない話で、そこで別れの決まっている恋愛話になったので特に興味が引かれなかったのだけれど、これはピカード目線で描かれているからピカードが正しいみたいな感じになっていて、じゃあQがピカードに対して「何も分かってない。広い視野を持て。惑星連邦の為に無駄な事をしている。」と言って来るとQが間違いになるんだよな。
おもしろかったのはピカードとビバリーが朝食であれはどうだ。艦隊の誓いなんてどうでもいい。とか、冗談や皮肉交じりに愚痴っていた所。
ピカードのこういう愚痴をたれる場面て余り無かった気がする。
見ていて、ずっとカマラ役の人見た事あるような…?なだったんだけれど、ファムケ・ヤンセンだったのか。
X-MENシリーズのジーン・グレイ役でお馴染みだけれど、ジーン・グレイはテレパシーやテレキネシス使いで、この回での役がエンパスで、更にX-MENシリーズでパトリック・スチュワートがプロフェッサーXを演じていたから色々が繋がり過ぎ。
このファムケ・ヤンセンってDS9でジャッジア・ダックス役を提案されていたらしい。
確かにこの回に登場したクリオスとボルトって顔側面に斑点があって後のトリルっぽかったし、この回でのメイクが後のトリルへと持って行かれたそう。
あと、登場したフェレンギ人の一人を演じていたのがマックス・グローデンチックで、後にDS9でクワークの弟ロムを演じていて、やっぱりTNGで演じた同じ種族の別人をDS9で演じるという流れがここでもあった。
22話「イマジナリィ・フレンド」は、新たにエンタープライズに赴任した父親の士官に連れられてやって来た少女クララは想像の中だけの友達だったはずのイザベラが目の前に現れ、そのイザベラは何やらエンタープライズの中を調べようとする話。
設定上転勤転勤で新たにやって来た子供にしないと話が出来ないと言うのはあるにしろ、全然知らない新たな少女を主人公にした話は興味が持てなかったし、空想の友達が本当に表れたという話はいいのだけれど、その空想の友達の正体を外部からやって来た何かしらの描写を初めに見せているのでそこでのおもしろさは無いしで、全然おもしろくなかった回。
もし子供の空想の友達が本当に表れたら?の発想だけで作ってしまった様な話で、本当に表れたイザベラや、イザベラが徐々に怖くなって行く感じも全然上手く見せていなかった様に思え、この回の脚本を書いたブラノン・ブラーガも後に「三十分程でよかったかも」と言っていた様だけれど、もっとギュッとまとまった展開にした方が間延びしなくて良かったかも。
付け足したかの様な子供から見た大人の話も全然効果的ではなく、最後の非常に当たり前の事しか言わないピカードの説得とか、これを見せれられても「だから何?」だったし。
あと、気になったのが吹き替えで、クララ役の吉田古奈見やイザベラ役の林原めぐみはすんなり見れたのだけれど、前々からアレキサンダーがどうにも違和感を感じ、吹き替えの高山みなみがこの時はまだ始まっていないけれど猪名寺乱太郎か江戸川コナンにしか聞こえず、本来のブライアン・ボンソールの声ってもっと幼くて当然その年齢の少年の声なのに吹き替えだと変にアニメの少年っぽくて全然合っていない。
だからか吹き替え版のアレキサンダーって見ていると凄くイラつく。
この高山みなみの配役が失敗だった様な気がしないでもない。
23話「ボーグ”ナンバー・スリー」は、エンタープライズは何かで墜落したらしきボーグ船を発見して生き残っていた一体のボーグを収容し、そのボーグにウイルスを仕込んでボーグ集合体に帰してボーグの破壊を考えていたが、そのボーグと接触する内にボーグに自我が目覚め始めたという話。
これまでのボーグが個人の意識は無く集合体として文化の同化を目指している、まるで何かの危険な昆虫かの様な存在だった所から更に展開させ、それぞれのボーグは何らかの生命体を使っているので個人として意識が出て来る、自意識を取り戻す事があり、ボーグという存在が複雑な物になり、それをエンタープライズの面々がどう感じるかという話になり、対話出来ないと思っていた存在とどう向き合うかの非常にTNG的な話になっていて興味深いし、おもしろいしで良い回。
ボーグに同化されて仲間達を殺してしまったピカードと種族を皆殺しにされたガイナンはキッパリと反ボーグだったのが徐々に変わって来て、特に初めのやたらと厳しい所からの優しい感じの落差があったので、結局人間は人間で、だからボーグじゃないという優しさや理解がとても良かった。
この回の人々を比喩的に見ると、強い経験から来る強い信念でも実際に触れてみると全く逆に変わってしまう事もあるし、強大なモノの中で常に繋がっていると安心だけれど、そこから切り離されると非常に弱く何も分かってない存在で、自分で考えて選択する事の難しさとかもあるんじゃないかと思ってしまった。
ただ、やっぱり日本語版制作スタッフは酷い仕事。
何故かこのボーグを「ナンバー・スリー」という認識番号にしてしまっていたけれど、本来は「サード・オブ・ファイブ」。
名前も「You」から「ヒュー(Hugh)」なのに、原語では全く無かった「顔が青いからブルー」にしてしまったりと、やっぱり日本語吹き替えってあんまり信用出来ない。
原題も「I, Borg」でボーグなら本来だと「We are The Borg」なのに何故?という所から始まっての「I, Borg」で非常に良い題名なのに、邦題はそもそも「ナンバー・スリー」ではない上に、「ナンバー・スリー」だと三番目、三番手のボーグという意味に捉えてしまうしで非常に悪い邦題になっているし。
24話「転送事故の謎」は、事故が起こったロミュラン艦の救出に向かったエンタープライズだったが、ロミュラン艦からの転送での帰還の際にラ=フォージとロー・ラレンの転送が失敗し、どの場所にも復元されずに死亡したと思ったら、二人はエンタープライズ内におり、お互いは会話も出来るのに周りの他の人々には認識されず、更に二人は壁をすり抜けれもし、一体どうなっているんだ?という話。
初めから行き成りロミュランの救出の話でつかんだと思ったら、死後の世界?からの位相変換で気付かれなくなってしまったのをどうやって気付かさせるかというアイデアSFストーリーで非常におもしろかった回。
自分が死んだ後人々はどうするのだろう?どう思うのだろう?というのは本当に死んでしまった、もしくは死と生の間で漂っているファンタジーである話で、そこからの発想だと思うけれど、それをちゃんとSFでするおもしろさや、どうやって気付かせるかを納得出来る様に見せて行く上手さもあったし、死後の周りの評価からラ=フォージとローを深掘りして行く上手さもあるし、そこに実はロミュランにも同じ様に位相変換していたロミュラン人がいたり、やっぱりロミュランはロミュランという陰謀もありで、流石のロナルド・D・ムーアの脚本の上手さを感じてしまった。
最後も何時もは勝気なローがしおらしくなったと思ったら、それに対してラ=フォージがジョークで返して二人で笑う締めも非常に良かったし。
展開も本来なら敵のロミュランとの協力という結構熱い展開から、二人が認識されていないホラーやミステリーの展開になり、死んだと思われた二人に対する残った人々の想いという泣ける展開になり、そこからラ=フォージが机のズボズボ手を突っ込んでデータがそれを追い掛けるとか、各乗組員が日々の生活をしている所をローとロミュラン人が全速力で追い掛けっこしてイチャイチャしている二人の後ろでローとロミュラン人が戦いロミュラン人が宇宙に放り出されて飛んで行くとか、ラ=フォージの葬式で賑やかな中でローが適当に銃を撃ちまくっていたりと笑いを取りに行ったりと見事に色んな要素を取り込んで楽しかった。
ただ、壁や物は通過するのに床の上を歩けているのは?とか、シャトルで移動出来るの?とか、ローが椅子や装置に触れられているのは何で?とか、都合の良い所はあったけれど。
それと、この回でローという役を深掘りするのと、この設定上必要だった死に関してのベイジョーの宗教観を新たに出して来た事で後のDS9の大きな方向性の一つがここで作られたと思うと興味深い回でもあった。
25話「超時空惑星カターン」は、エンタープライズが発見した謎の物体からの謎のエネルギーによりピカードが意識不明となってしまうが、ピカードは見た事も無い場所で知らない人々と共に暮らしている人物になっており、その人物として長い年月を過ごすという話。
これは今までの中で一番怖かった回。
今までの記憶がありながら全く知らない人物として突然別の人生を過ごさなくてはならなくなり、元の記憶や知識は全部ありながらその世界からはどうあがいても抜け出す事は出来ず、しかもその世界を本当だと感じる事にし、そこで生きると決めて数十年も過ごし、そこでの自分の死の覚悟もある所に突然元に引き戻されるって自分がピカードだと思いながら見ていたら怖くて仕方なかった。
一番近いのは、楽しい夢を見ていて夢の中ではそれが自分の現実だと思っていたのに目が覚めてそれが夢だと理解した時だと思うけれど、それを数十年もの間、本当に現実だと思いながら過ごしたとなると目が覚めた時の虚無感とか絶望感とか半端無いと思う。
わたしの人生は全く良い物では無かったけれど、もし自分が年老いて死んだと思ったら別の人生の途中から始まると思うと怖くて仕方がなくなって来たし。
この回の怖さの理由は初めから嘘・作り物で元に戻ると分かっている人生を何十年も過ごし、それが幸せで、やっぱり戻ってしまう恐怖なのか。
カターンの人々は純粋な不幸な人々みたいな描き方だったけれど、突然何の予告も説明も無く人の頭を乗っ取って有無を言わさずに過去の記憶や出来事を数十年分も見せ続け、そこでの人生をやらせておきながら元に戻すって相当無茶苦茶な事を無理矢理強制させていて、記憶をいじくるロミュラン人よりもやっている事酷いだろこれ。
発想としては既に滅んでしまった人々の記憶を一瞬で追体験させるというSFのアイデアとしてはおもしろいけれど、カターンって結構原始的な生活っぽいのに科学技術が進んでいるらしいのが不釣り合い過ぎだし、惑星連邦よりも大分以前の遅れていると言っていた科学技術なのにエンタープライズが何も出来ずに一瞬で記憶だけで数十年分の追体験をさせるというトンデモない科学技術があるのがやり過ぎで、アイデアを成立させる為に無茶な設定になってしまっている。
この回が凄く怖かったのでインターネットを調べてみたら、どうやらこの回はTNGでも感動の名作になっているみたいで、確かDS9でも名作と言われているらしい「父と子」でも全然感動しなかったはずで、どうにもスタートレックシリーズの感動する名作と言われている回はわたしはピンと来ないみたい。
26話「タイム・スリップ・エイリアン・前編」は、地球の洞窟で過去の地球にエイリアンが訪れていた証拠が見つかったと言う報告を受けてエンタープライズが地球に行き、ピカードがその洞窟で見たのはデータの頭部だった。
調査の結果、そのデータの頭部はデータ本人の物で五百年経っている事が分かり、洞窟の調査から遠く離れた惑星との繋がりが分かったので向かうと、そこでは時空の歪があり、時空がずれている為に認識出来なかった謎のエイリアンが何かをしていた。
データの機能でそのエイリアンと時空を合わせてエイリアンを追い掛けた事でデータは十九世紀のアメリカにタイムスリップしていたという話。
TNGではシーズン3の最終話から始まったシーズンまたぎの前後編モノなんだけれど、今回は非常に微妙。
シーズン3はボーグ。シーズン4はクリンゴンの内戦だったのが、このシーズン5では19世紀のアメリカって引きが弱過ぎ。
スタートレックでの過去にタイムトラベルする話って、「宇宙大作戦」で製作費の少なさを何とかする為に現代劇や時代劇の有り物の衣装やセット等を使い回せるという理由で過去の地球に似た星とか過去に行くみたいな萎える展開を思ってしまうし、展開的にもこれまでのやたらと盛り上がったボーグやクリンゴンの前後編からするとまあ盛り上がらないし、前編の今回は中途半端な変な所で後編が楽しみにならない盛り上がらない所で終わるしで、しょぼしょぼ。
始まりのデータの頭部が過去から発見という掴みは良いし、データが過去に行ってからの話ややり取りやその時代でどうするのか等はおもしろいものの、タイムトラベルモノとしては今までのSFらしさは少なく、強引なファンタジーで、しかもこの結末の後編を見ても結局何だかよく分からないエイリアンに全部ぶん投げた都合の良過ぎるファンタジーになってしまっていて脚本は弱過ぎ。
しかも、前話「超時空惑星カターン」と似た様な慣れない別世界の別時代に無理矢理放り込まれる話で、どうして似た様な話を続けたがるのだろう?とも思ったし。
データは自分の死に関する見方が死ぬ事で人間に近づけると思っているのが如何にもデータな感じでおもしろいし、一方でそのデータの死に関して皆はどうしようか?どうなるのか?で戸惑っているけれどライカーはイラついていて、最近のライカーは何か問題が起こるとやたとイラつくという人物になっているのもおもしろくなってしまった。
これは前編なので続けてシリーズ6の1話目も見た。
このシーズン5は盛り上がるクリンゴン内戦から始まり、ベイジョーに、ロミュランにと新種族や今までの種族の深堀りもありとグングンとおもしろくなって来たけれど、中盤以降結構微妙な回もありで、昔にテレビで放送していた時にはTNGって毎回おもしろかった様な印象だったけれど、もう三十年以上前のドラマではあるのでこちらの受領の問題もあるんだろうけれどそうでもない回も結構あるのねと思ってしまった。
関連:宇宙大作戦 シーズン1・2・3
新スタートレック シーズン1
新スタートレック シーズン2
新スタートレック シーズン3
新スタートレック シーズン4