遊星からの物体X

2018年08月21日 火曜日

ジョン・カーペンター監督、カート・ラッセル主演の1982年のアメリカ映画「遊星からの物体X(The Thing)」
ジョン・W・キャンベルのSF小説「影が行く」が原作。

走り、逃げる犬を銃で撃ちながら追って来たノルウェーの観測隊がアメリカの南極観測基地までやって来た。
ノルウェーの観測隊員は犬だけでなくアメリカの観測隊員をも狙った為にアメリカの観測隊員達が反撃し殺害。
ノルウェーの観測隊員達は何故犬を殺そうと追いかけて来て、彼らは一体何をしているのかと思ったアメリカの観測隊員達はノルウェーの観測基地に調査に行くと観測基地は全て焼け落ち、自殺した観測隊員や体が他の人間と融合し変形した様な死体が燃やされていた。
追いかけられていた犬を保護したアメリカの観測隊員達だったが、その犬から触手が飛び出し、異様な姿へと変形し人々を襲い始めた。

わたしはこの映画は、確か以前地上波で見たはずなんだけれど、その時はグロテスクな場面をバッサリ切り落した、所謂地上波ダイジェスト版だった事もあって、さっぱり内容を覚えていなかった。
改めて見ると、宇宙からの謎の生命体の攻撃から逃げ回るという、映画「エイリアン」的ホラー部分から謎の生命体が実は人間に擬態して「本当はあいつは偽物では?」という心理ホラーになっている、中々良く出来た映画だった。
だけれど、グロテスクで気持ちは悪い。

この「こっちの方向で行くんだな」と思った展開が、実は途中から違った方向に行くというのがジョン・カーペンターっぽく、また、本当なら知らない内に誰かに擬態して皆が疑心暗鬼になるのに、そこら辺の描きが不十分なのでいまいち怖さが不足しているという中途半端さもジョン・カーペンターっぽいのかなぁ…と。
ただ、この手の映画って、大抵は最後の場面で怪物を全て倒したと思ったら実は生き残りがいたとかで終わらせる定番があるけれど、この映画ではカート・ラッセルともう一人が生き残り、実はどちらかが擬態した生命体なのでは?と余り思わせない終わり方だし、むしろ生き残ったは良いけれど基地は全壊だし、助けが来るかも分からない状況で外に放り出されていて結局は誰も助からないのじゃないの?と思わせる終わり方で、この上手い終わり方で非常に良い映画に思えた。
登場人物達も数は多いけれど結構人物が立っており、なのにこの手の映画のお約束的な退場の仕方ではない、急に殺されたりと意外性があるのもおもしろく見れる所。登場人物はおっさんばかりなので、怪物と対峙してもギャーギャー口うるさく騒がないのも良い。

話はもう二三歩は足りないのだけれど、カート・ラッセルが主人公というだけでやっぱり良い。
極限の状況でも有無を言わせず仕切って、未知の化け物にも怖気づに行動する姿とか、怪物映画の主人公はやっぱりこういうおっさんでないと。
このカート・ラッセル演じるR・J・マクレディを見ていると、勝手にスネーク・プリスキンの前日譚に思ってしまって、勝手にワクワクしてしまった。

あと意外だったのが、音楽担当がエンニオ・モリコーネだった事。
「♪デデン、デデン」と低いベース音とシンセサイザーの音楽がジョン・カーペンター節なので、てっきりジョン・カーペンターが音楽もしているのかと思いきや、「夕陽のガンマン」とか「ニュー・シネマ・パラダイス」とかの様な音楽の人だと思っていたエンニオ・モリコーネがこの系統の音楽もするんだと意外だった。

この映画、カート・ラッセル!ジョン・カーペンター!という部分でおもしろく、単なる追いかけ回されるだけでなく疑心暗鬼という心理サスペンスでもあるモンスター映画として中々おもしろいのだけど、心理サスペンスとしては煽りが不十分で物足りなく、逆に怪物の造景が攻め過ぎてて、あのグロテスク感がどうにも苦手で、この怪物の造景が話よりも怖いという見栄え先行だったのがいまいちだった。

☆☆☆★★

グランド・イリュージョン

2018年08月20日 月曜日

ルイ・レテリエ監督、ジェシー・アイゼンバーグ、マーク・ラファロ出演の2013年のアメリカ映画「グランド・イリュージョンNow You See Me)」。

ストリート・マジシャンだった四人の元に謎の招待状が届く。
一年後、四人はフォー・ホースマンとしてラスベガスで大規模なマジックショーを開催するまでになっていた。
四人はショーでフランスの銀行から大金を盗む出し物を見せるが、実際にフランスの銀行から大金が盗まれていた。
この事件をFBI捜査官ディラン・ローズとインターポール捜査官アルマ・ドレイが協力して捜査する事になるが四人に翻弄され続け、元マジシャンで現在はマジックのネタバラシをしているサディアス・ブラッドリーに協力を求めた。

わたしは始まりの四人のマジックを見せる部分で、「どう?凄いでしょ?洒落ているでしょ?」のグイグイ感が鼻についた上、メンタリストとは言っているけれど、ほぼ魔法の催眠術師が出て来た所で一気に白けて興味が失せた。
これ以降もつまらない。クソつまらないので早い段階で早送ってしまった。

終始、脚本家がやりたい事を見ている側に納得する様な説明も無く詰め込んでいて、脚本家の手の上で好きに話が回っているだけで白けまくり。
しかも話の軸は常にぶれて外しまくりだし、マジックを扱っているのにどれも現実味が無い。

始まりで四人の人物を見せ、彼らが集まって来るから、この四人が主人公だと思うのに、初めの銀行強盗のマジックを見せ終わると突然四人は脇役になってしまう。
そこからは主人公はFBI捜査官ディラン・ローズで、四人は追いかけられる悪役になり、そこで「あれっ?」。
この序盤でこの映画が何を見せたいのかがいまいちはっきりしなくなる。
始まりで四人に感情移入して下さいと宣言しておきながら、四人は悪役で追いかけられる方な上、彼らの動機が何も見えて来ないので感情移入なんて出来ないし、主人公をFBI捜査官にしてからも最後の狙い過ぎなオチのせいで、後から思うと上手いミスリードではなく、ただ観客に見せる為だけのほとんどメタフィクションみたいになってしまっているし、最後のオチをするならモーガン・フリーマンと四人の対決を見せないと意味が無いのに、モーガン・フリーマンはただ遠くから眺めているだけ。

FBI捜査官は常に翻弄されるだけの良くある出来の悪いサスペンスでしかなく、マジックの種明かしは詳しい証拠分析も無いまま、長年の経験から来る予想でしかないモーガン・フリーマンの説明だけで終わったり、マジックは大規模で用意周到過ぎるけれど、どれも四人側に上手く行き過ぎてて現実味が無いし、何処を取っても低品質。

それにマジックを扱っている映画なのに、そのマジックをCGで描いたら何でもありで、初めから現実味を放棄してしまって作り物の中の分かり易い作り物を見せられた所で見る気失せたし、それよりも全ての一番重要な部分は何でも無敵の催眠術でやってしまうので、ただただ展開に都合が良いだけ。
脚本家が酒飲んだ勢いで一晩で書き上げたんじゃないだろうか?と思える位ツッコミ所が多いし、展開も散漫。

この映画、早い段階でモーガン・フリーマンとマイケル・ケインが出て来た時点で、「この映画ダメ映画臭いなぁ…」と思ったらその予想が当たってしまい、初めの四人の紹介部分で全てが上手い事行くお洒落感の小癪感ったらなかったし、四人の隙間の無い立て続けの会話劇は、まるでわたしが嫌いなクエンティン・タランティーノっぽくて捕まれなかったけれど、それ以降も脚本家に都合の良いファンタジー映画で本当につまらなかった。

★★★★★

前期見たドラマはER 11

2018年07月01日 日曜日

2018年4~6月期に見たドラマは、新シーズンが開始されたのを含め、引き続き、

CSI:科学捜査班 シーズン1011
CSI:ニューヨーク シーズン6
ER緊急救命室 シーズン101112
エージェント・オブ・シールド シーズン4

と、それに加えDlifeで一挙三話まとめて放送した「CSI: トリロジー」も見た。

「ER緊急救命室」は話が唐突に起こったり、長年のレギュラーが抜けたりもあって、落ち込みも激しかったりするけれど、やっぱり安定感のあったシーズン11がおもしろく、その他は長く見続けているのでまあまあ。
「エージェント・オブ・シールド」はやっぱりつまらない。
 
 
CSI:科学捜査班 10

シーズンを通しての事件が被害者の体内に別人の臓器を移植して殺しているという異常者の犯罪なんだけれど、「CSI」のこの手の異常犯罪で引っ張るのは何度もやっているけれど、これが本当につまらない。
「CSI」は基本的に一話完結で毎回次々と解決するのに、この手の事件になると急にCSI班が後手後手で翻弄され続け間抜けにしか見えなくなり、しかも飛び飛びで事件が続くので前の事をあんまり覚えていなかったりするし、毎回の別の事件にこの事件が入って来ると「また、これか…」で興味が失せるし。
それに、特に今回のジキルの犯罪の最終話での結末が、まあ酷い。
これだけサイコパスな犯罪の連続で、どんな危ない異常者の犯人かと思ったら、父親を憎んでいるので他人を勝手に手術したという訳の分からない理由な上、被害者をどうやって手術まで持って行ったのかの説明も無く、これだけ周到な犯人だったのに最終的にはショットガンぶっ放して殺そうとする粗雑な人物だったとか、犯人も脚本も非常に粗雑。
しかもレイモンド・ラングストンが研究していた犯罪者まで都合良く絡めて来てしまい、模型殺人もそうだったけれど「CSI」の一話一話の話は良く出来ていて非常におもしろいのに、シーズンを通しての事件になると途端に犯罪者に都合の良いだけのつまらない話になってしまい、本当に下手だと思うし、いらない。

18話「ラボの事件簿」はここ何シーズンかある、レギュラー陣がほとんど活躍せずにデヴィッド・ホッジスを主役に置いた、デヴィッド・ホッジスの妄想劇回。
今回は数カ月前のまだ未解決の事件を高校生向けの研修プログラムで興味を持った二人の学生と共にデヴィッド・ホッジスとウェンディー・シムズが解決する話なんだけれど、本当はレイモンド・ラングストンとキャサリン・ウィロウズが現場で捜査したのに、それをデヴィッド・ホッジスとウェンディ・シムズが行ったと話上ですり替えた妄想が入って来る。
で、このデヴィッド・ホッジスの妄想回になるとデヴィッド・ホッジスとウェンディ・シムズの恋愛話に展開するけれど、それが今回も。
それがもう直接的にキスしてしまい、二人の仲は確実に。
しかし、ギル・グリッソムサラ・サイドルといい、「CSI」では性格に癖があり過ぎる男性と年の離れた女性の恋愛劇が好きだなぁ。
この回で一番おもしろかったのはオープニング・クレジットに中々行かないというお遊び。
オープニング・クレジットに行くのでは「CSI:マイアミ」はCSIフランチャイズの中でも特にやり過ぎで、毎回オープニング・クレジット前はホレイショ・ケインがサングラスをかけ直し、両手を腰に当て、何か一言言ってフレーム・アウトで「♪イェーーイ!」と The Whoの「Won’t get fooled again」がかかるので、そこで毎回爆笑していたけれど、それの元祖とも言える「CSI」でも毎回レギュラー陣の誰かが何か決めの一言言ってシューンという音からThe Whoの「Who Are You」がかかるのだけれど、それがこの回では決めの一言言ってシューンという音が鳴ったと思ったら別の誰かが喋ってしまってオープニング・クレジットに行かないという事を何度も繰り返しやって、このお馴染みのオープニング・クレジット前を自らいじっていたのがおもしろかった。
 
 
CSI:科学捜査班 11

シーズン・プレミアはシーズン10の最終話から続く後編。
連続殺人犯のハスケルに刺されたレイモンド・ラングストンがどうなるのかのシーズンまたぎで、シーズン10の最終話がアメリカで放送された時はレイモンド・ラングストン役のローレンス・フィッシュバーンが降板するかどうかで死んでしまうか生き残るのかが分からなかったはずだけれど、既にローレンス・フィッシュバーンがシーズン11も続けて出演するのが分かっていると、このどうなるかが茶番なのでつまらない。
それにレイモンド・ラングストンとハスケルの関係もつまらないしなぁ。

ただ、一話一話の事件はレイモンド・ラングストンが慣れて来た事もあっておもしろくはある。
レイモンド・ラングストンは何かにつけて詳しく説明や解説やうんちくを言い、検視官のアル・ロビンスと仲良く談笑しながら解剖したりと、徐々にギル・グリッソム化して来ていて、ギル・グリッソムの後釜らしくなって来ている。
それにこのシーズンでは、デヴィッド・ホッジスとウェンディ・シムズの関係が終わり、キャサリン・ウィロウズがルー・ヴァルタンと付き合ったり、グレッグ・サンダースの恋愛話があったり、サラ・サイドルとギル・グリッソムの関係が描かれたりと恋愛関係の話が多かったのも特徴。
ただ、このシーズンだけでなく、今までずーっとニック・ストークスの恋愛話が出て来ないのが不思議。
ニック・ストークスってモテそうな感じなのに、会話の中でも浮いた話が全然出て来ないのは何でなんだろう?

2話「ベガスの人食い鮫」では突然ウェンディ・シムズがポートランドの現場捜査官になる事が決まり、いなくなってしまう。
それまでのデヴィッド・ホッジスとの関係が徐々に上手く行き始めていた所でのウェンディ・シムズの退場。
哀しい恋愛の結末となり、話的には上手く結末が付いたけれど、ウェンディ・シムズの役回り的には非常に微妙だった。
ウェンディ・シムズはシーズン10では急にレギュラーとなり、オープニング・クレジットに入ったけれど、シーズン10ではレギュラー的な活躍はあんまりなく、回によっては全く登場しない回もあり、登場してもラボでの分析に少しだけ登場するとか、何でレギュラーだったのか分からない登場や扱い。
シーズン6から登場し、長年続けて来て、1シーズンだけレギュラーになっての直ぐの降板って何だったのだろう?

12話「腐った桃にキスを」ではグレッグ・サンダースの恋愛話が急に出て来るけれど、突然の恋愛話は当然に実は事件の為の罠だった。
まあ、事件が意外な方向に行って二転三転する「CSI」のおもしろさがあったので、見え透いた突然の恋愛話の仕掛けは気にはしなかったし、最後にグレッグ・サンダースを励ますキャサリン・ウィロウズのお母ちゃん感が気持ち良かったので楽しい回ではあった。

13話「愛のことば」では、何と久々にギル・グリッソムが登場。
ギル・グリッソムの母親の大学での事件で、初めにギル・グリッソムが電話で声だけの出演だったのが、最後にパソコンのテレビ通話で登場。
サラ・サイドルとギル・グリッソムの夫婦生活や関係がどうなっているのか?と言う視聴者の疑問の答えを見せたし、事件と絡めてのサラ・サイドルの立場を見せたりと中々上手い展開。
サラ・サイドルがいるのにギル・グリッソムの姿を見せないのは完全に役者や製作費等々の裏側の問題で違和感しかなかったから、こういう回は良い。
 
 
CSI:ニューヨーク 6

シーズン5の最終話でジェシカ・エンジェルの死という、番組の展開上は驚きの展開だけれど、CSIフランチャイズでしばしばあるレギュラーや準レギュラーの降板による登場人物の死亡という急な展開で幕を閉じたと思ったら、その最終話はレギュラー陣が集まってジェシカ・エンジェルの死を悼んでいる所に銃撃が行われてのシーズンまたぎのクリフハンガーで終了。

で、シーズン6の1話目「エピローグ」なんだけれど、シーズン5の最終話から一カ月時間が経っている所から始まっていて、Dlifeではシーズン5の最終話から一週間経ってのシーズン6がそのまま開始されたので、「何?このあっさり感…?」位だけれど、アメリカでの放送なら四カ月以上も空けてこの一話目って肩透かし感一杯なんじゃなかったかと思うんだけれど。
その一話目の犯人も、前の最終話がプロによる計画的犯行だっただけに続けての銃撃なので何かしらの陰謀かと思いきや、ただの頭の悪いチンピラの無計画な暴走というしょうもなさ過ぎる犯罪で肩透かし。
シーズン・プレミアでこのしょうもなさは無いだろ…。
それに銃撃によってダニー・メッサーの下半身が麻痺し、車椅子で登場するという番組的には衝撃的な展開にしているけれど、そこよりもあれだけの銃撃で一番前にいたCSIメンバーは誰も死亡せずに、弾に当たったのがダニー・メッサーだけだったという事の方が衝撃的だし、それよりもステラ・ボナセーラアダム・ロスが寝ているという展開が一番衝撃的。
この二人の関係を見せるのだから何か大きな軸になると思いきや、特に大きな展開も無いまま、あっさりと別れて元通りになり、何この無意味な展開?
それに、ダニー・メッサーを車椅子にしたからには、その内歩行出来る様になるとは分かり切ってはいるけれど数話に渡ってダニー・メッサーの苦悩を描くのだと思うのに、この一話目の最後でダニー・メッサーの足が少しだけ動くとか、余りにも早い展開で、このダニー・メッサーを車椅子にしたのって何か意味あったの?と思ってしまった。

「CSI:ニューヨーク」って、初期にあったマック・テイラーの亡くした妻を想いながらも次の恋に進んで行くという展開はおもしろかったのに、この恋が相手役者の降板で何だか有耶無耶の内に終わってしまった辺りから各個人の私生活の話がつまらなくなっている。
CSIフランチャイズの中でも「CSI:ニューヨーク」が一番個人の話がつまらないかもしれない。

6話「幻の女」でははっきりと容疑者が自分が殺したと自白したのに現場からは別の人間のDNAが発見され、更にニューヨーク付近で起こった犯罪でも同じDNAが多数発見されて謎が謎を呼ぶ展開になり、久々に「CSI:NY」でおもしろい展開に。
最終的に、実はDNAを採取する為の綿棒の製作過程で手袋が蒸れるからと言う理由で素手で素材に触ってたという非常に間抜けな落ちで、そこでもおもしろかった回。
 
 
CSI: トリロジー

Dlifeは色々とクソな部分があって、既にドラマの間の宣伝でやっている他のドラマの宣伝を再びドラマ内でデカデカと字幕で入れたり、一番最悪なのはドラマの見せ場や感動する場面とか関係無く、小藪のちょっとお道化た顔もある宣伝を入れたりとか、海外ドラマ好きが小藪好きという訳の分からない思惑は、むしろ海外ドラマ好きは海外ドラマと関係無いという部分でDlifeの小藪には興味無いんじゃ?と思うのだけれど、これは以前Dlifeでやっていて半年くらいで打ち切りになった吉本芸人のトーク番組「ラジオな2人」からして、吉本芸人が悪いんじゃなくて吉本が何でもかんでも手を出して、それがつまらなくなってしまう例のやつだとは思うの。
しかい、Dlifeではアメリカドラマで時々あるクロスオーバー回を特別編成で前後編続けてとか、この「CSI: トリロジー」の様に三話連続で放送するのは有難い。地上波だとクロスオーバー関係無く、ただただシーズンを通して放送するだけで結末が分からないままとかが普通だし。

で、この「CSI: トリロジー」は「CSI: マイアミ」のシーズン8の7話から始まり、「CSI:ニューヨーク」シーズン6の7話、「CSI: 科学捜査班」のシーズン10の7話と続く。
3シリーズで繋がる話を見せるとなれば期待は高まるのに、この三話はつまらなさ過ぎた。

始まりの「CSI: マイアミ」はまだ何も犯罪が行われていないのに警察に助けを求めたけれど、まだ事件としては認められないので足蹴にされる母親の懇願を聞いて娘の捜索を始めるという、「俺、カッコいい」「俺、優しい」でお馴染みホレイショ・ケインから始まり、被害者がベガスにいた証拠が出て来たのでレイモンド・ラングストンがマイアミにやって来て捜査に協力するという展開。
「CSI: マイアミ」は地上波でやっている時にほぼ最後まで見て、同じく「CSI: 科学捜査班」や「CSI:ニューヨーク」は地上波で途中から初めて見たり、途中まで見たりで、Dlifeでの放送が始まって再び初めから見たけれど、「CSI: マイアミ」は再び見る気にはならなかったシリーズで、久々に「CSI: マイアミ」見たら、「ああ、こんな感じだった…」と懐かしかった。
ラボはやたら色とりどりで光が反射しまくって見難いし、画面分割をやって見せるし、ホレイショ・ケインはラボにはほとんど入らず、自分で証拠分析せずに容疑者をやたらめったら脅して情報をはかせるし、母親に娘の死を告げる場面なのに手にサングラスを持って歩いて行くホレイショ・ケインのサングラス芸とか、ホレイショ・ケインの顔のカットからそのままカット・アウトして行くホレイショ・ケインのカット・イン、カット・アウト芸とか、ホレイショ・ケインの尋問場面では決して椅子には座らず立ったまま容疑者の方に体は向けなかったり、首を傾げて下向いていたりのホレイショ・ケインの斜め演技とか、真面目に恰好つけているのに笑ってしまうのが「CSI: マイアミ」。
久々に見たらホレイショ・ケインが登場する度、何か台詞を話す度に笑ってしまった。
それに本来ホレイショ・ケインは非常に丁寧に喋る人物なのに、吹き替え版ではやたら高圧的になってしまっている石塚運昇の余計な過剰演出も思い出した。それもあって「CSI: マイアミ」はドンドンつまらなく感じてしまったのも思い出した。
この時期の「CSI: マイアミ」って、エリック・デルコがおらず、ウォルター・シモンズジェシー・カルドーザや検視官のトム・ローマンがまだ入ったばかりの時期で、レギュラー陣がまだ不安定で、わたしも何時もの面々ではないジェシー・カルドーザとか、そう言えばいた様な…という感じだったし。

「CSI:ニューヨーク」では、「CSI: マイアミ」で単なるコソ泥だと思っていた女性が実は被害者で、マイアミからニューヨークまでトラックで運ばれた所から始まり、レイモンド・ラングストンがニューヨークにやって来る展開に。
ただ、地元での仕事が忙しかったからなのか知らないけれど、「CSI:ニューヨーク」にはホレイショ・ケインは一切登場せず。
ホレイショ・ケインだと、俺が俺がでニューヨークに来そうなもんだけれど。

で、「CSI:科学捜査班」で事件は解決するのだけれど、これにはホレイショ・ケインもマック・テイラーも登場しない。
「CSI:科学捜査班: トリロジー」ではあるけれど、レイモンド・ラングストンが飛び回るだけで三人が揃って画面に出ず仕舞いだったし、ホレイショ・ケインとマック・テイラーが顔を会わせる事も無い始末。
この構成ならホレイショ・ケインとレイモンド・ラングストンが出会い、二人がニューヨークに来てマック・テイラーと出会い、三人がラスベガスに来て、ホレイショ・ケインとマック・テイラーの派手な銃撃戦や追走劇を期待するのに、ただ単に話が三話に続くだけで一番期待する各メインキャストの勢揃いは無いわ、事件は「CSI: マイアミ」では敵は凶悪で巨大な売春組織だったはずが「CSI」では小者を捕まえて終わりだわ、事件の尻つぼみ感爆発で、まあつまらなさ過ぎた。

三作のクロスオーバーで力が入っているからなのか、犯人達も見た俳優達が登場。
「CSI: マイアミ」では「プリズン・ブレイク」のフェルナンド・スクレ役でお馴染みアマウリー・ノラスコが。
「CSI:ニューヨーク」では「24」のシーズン1でバウアー母娘を誘拐したアイラ・ゲインズ役とか、「フラッシュフォワード」のダイソン・フロスト役とかの悪役でお馴染みマイケル・マッシーが。
「CSI」では「スーパーナチュラル」のクラウリー役等のドラマで悪役として見かけるマーク・A・シェパードが登場していた。
 
 
ER緊急救命室 10

シーズン10は結構振りが無いままの急展開が多かった。
これまでの展開上も別に関係無いアフリカにはまってしまったのはルカ・コバッチュだったのに、色々と嫌になって投げ出して彼を追いかけてアフリカに行ったらはまってしまって中々戻って来ないのはジョン・カーターになり、ジョン・カーターはアフリカでケムことマケンバ・リカスと子供作ってしまう。
アビー・ロックハートは看護師から医学生に戻り、ER以外の研修にも周り、今まで全く登場せず、これまでの台詞にも出た事の無かった高圧室や研究ラボ等、このカウンティ総合病院にあったの?という部署が登場。
ケリー・ウィーヴァーは突然サンディ・ロペスが出産し、親になったと思ったらサンディ・ロペスは死亡。そこから息子を巡り、サンディ・ロペスの親族と親権を争う。
振りが大して無い展開が多くて、どれも取って付けた様な急な導入に感じてしまった。

そう言えば、アーチー・モリスと同時期に登場したレジデントのニック・クーパーって何時の間にかいなくなったけれど、どうしたんだっけ?
一方残ったアーチー・モリスは非常に憶病という性格は見せるけれど、それ以上の展開が無くて、何がしたいんだろう?
 
 
ER緊急救命室 11

Dlifeでそのまま続けて始まったシーズン11。

シーズン・プレミアは前シーズンからそのまま続く後編なんだけれど、グレゴリー・プラットジン・メイ・チェンとプラットの患者で自動車乗っていて、他の自動車運転手を挑発したら銃で撃たれて河に落ちるとか、シーズン10から続く唐突な展開。

他にもケリー・ウィーバーの息子の親権問題も、そもそもが急に出して来て揉め始めたのに何だか分からないまま裁判でケリー・ウィーバーが勝って終わりとか、ニーラ・ラスゴートラも突然自信を無くして医者になるのを迷うとか、ここ数シーズンの脚本の唐突さったらなく、正直つまらない。
ただ、シーズン10で急にやり始めたアフリカ話は相当評判が悪かったのかほぼ無くなり、ちゃんとERに話が戻っているし、ジョン・カーターがいる事でドラマとして安定はしている。

1話目でアビー・ロックハートがやっとインターンとして働き始め、新たなインターンのレイ・バーネットもやって来る。
ただレイ・バーネット役のシェーン・ウェストは、ドラマ「NIKITA / ニキータ」の方が見慣れてしまったので、「NIKITA / ニキータ」での吹き替え咲野俊介じゃない中谷一博の吹き替えに物凄い違和感。
それに、1話目だとレイ・バーネットは髭も無く、白衣もちゃんと着て好青年の感じだったのに、2話目になると突然髭が生え揃い、ロック・ミュージシャンが白衣着ている人物になってしまい、たった一話で設定変更したの?と思ってしまった。
それにそれに、レイ・バーネットは一話目からオープニング・クレジットに載るレギュラーなのに、一話目は数場面しか登場しなかった位の扱い。これまでの他の行き成りレギュラーになった人物よりも相当扱いが軽かった。

4話「恐れ」は話的にもえげつない話だし、シリーズを通しての展開としても結構激動。
この回は夫の暴力から逃げようとして窓から子供を逃がそうとして落としてしまう母親が登場するのだけれど、話が進んで行く内に実はこの母親は精神的におかしかったのに薬を飲まなくなって幻想を見てしまい、母親が子供を窓から飛ばせたという事が分かるという展開。
こんなえげつない展開は「ER」的ではあるし、徐々に明かされて行くのは推理ドラマ的。
それにも関連し、医学生のハワードが強迫性障害でERを辞めてしまい、その穴埋めとしてニーラが戻って来るし、子供を出産したスーザン・ルイスがER部長に就任し、違法な臓器移植を強行し、新しくやって来た外科医のルシアン・ドゥベンコと揉めたエリザベス・コーデイが辞めてしまう。
エリザベス・コーデイは役的にマーク・グリーンがいなくなった後の悲しみを描くには確かに良かったけれど、それ以降ERにも余り顔を見せなかったり、ERの面々との関わり合いが薄く、話も薄くてかつての様にドラマに絶対必要な人物ではなくなっていたからなぁ。もっと早い退場の方がより印象に残っていたかもしれない。

で、エリザベス・コーデイが辞める原因の一つともなったルシアン・ドゥベンコなんだけれど、日本語吹き替え版の製作陣は避ける事は出来なかったとは言え、大きな間違いを犯してしまった。
ルシアン・ドゥベンコの吹き替えは堀内賢雄なんだけれど、シーズン12で初登場し、シーズン13ではレギュラーにもなるトニー・ゲイツ役のジョン・ステイモスと言えば、「おいたん」こと「フルハウス」でのジェシー・コクラン役で同じで、ジェシーおいたんの吹き替えと言えば堀内賢雄だったのに、ここでルシアン・ドゥベンコで堀内賢雄を使ってしまったのでトニー・ゲイツは東地宏樹になってしまった。
この時点でジョン・ステイモスのレギュラー加入なんて分からないのでどうしようもないとは言え、これは非常に残念。
だからなのか、トニー・ゲイツの東地宏樹の声が結構堀内賢雄に寄せている感じがした。

6話「末路」は完全にレイ・リオッタの為の回。
レイ・リオッタが患者役で中心に話が回り、この回はほぼレイ・リオッタの話だけ。
レイ・リオッタがほぼベッドの上に寝ているだけで、台詞と顔で魅せる魅せる。
話がレイ・リオッタを見せる為に作られているのもあるけれど、これでレイ・リオッタがエミー賞を取ったのも分かる。
レイ・リオッタと言えば、わたしの中では「この役者が登場すると、その人が悪役、犯人でお馴染み三大俳優」の中の一人。
もう二人はケヴィン・ベーコンゲイリー・シニーズ。ゲイリー・シニーズは「CSI:ニューヨーク」での印象が強くなったので、三大俳優からは外れてしまったけれど。
その「レイ・リオッタと言えば悪役」のレイ・リオッタがこの役で死んで行く演技は抜群。
これだけ見せられるのにレイ・リオッタって顔が悪役顔なのもあるけれど、あんまり演技派って言われないよなぁ。
そう言えば、Dlifeでレイ・リオッタがレギュラーで出演している「シェイズ・オブ・ブルー ブルックリン警察」が始まったけれど、始まったのを後から知って序盤見ていないのだけれど、おもしろいんだろうか?

9話「その夜のことだった」でジン・メイが退場。
ここ数シーズン前からレギュラー陣の退場が微妙。
見ていても響かない理由で急に死んだり、辞めたりして、何だかよく分からないまま終わってしまう。
ジン・メイは元々これまでが結構微妙な役回りになり、レギュラーなはずなのに中国に行って暫く登場しなくなり、親の介護で登場しなくなり、エリザベス・コーデイもそうだけれど、そんなに登場場面を少なくしてまでも出ているのだったら早く辞めた方がよかったのに…と思ってしまった。

14話「これが私」では今まで探し続けていたケリー・ウィーバーの実母が突然現れる。
急なのは良いのだけれど、ケリー・ウィーバーの話って飛び飛びで連続性が無く、ケリー・ウィーバー自体が出て来ない回も多くありと、レギュラーなのにレギュラー感が薄く、レギュラーだから何かネタ振らんとなぁ…での話に思えてしまう。

15話「群衆のなかの孤独」は「ER」史上でも一二を争ううっとおしい回。
運ばれて来た女性は麻痺で実際は喋れないけれど彼女の脳内の会話を聞こえるという演出にしているのだけれど、これがトンデモなくうっとおしい。
自分の置かれている状況を理解出来ずにグダグダと文句言い続けて聞くに堪えない。
見ていても、「いいから、黙って死ね!」と思ってしまい、余りにうっとおしいので彼女の喋る部分を途中から早送りしてしまった。

19話「10年前の悪夢」では十年前のシーズン2登場し、死亡してしまった患者の夫が患者として運ばれて来る。
これだけ続けて来たからの過去の呼び戻し。
凄い事しているけれど、どれだけの人がこのおじいさんの話を覚えていたんだろうか?

21話「愛の決意」でケムを追ったジョン・カーターが22話「自分への手紙」で遂に卒業。
一話目から登場していたスーザン・ルイスは途中抜けがあったので、ずっと続けて出演していたオリジナル・メンバーでは最後のジョン・カーターがいよいよ御終い。
「ER」的ドタバタの中でジョン・カーターが去って行くけれど、ジョン・カーターがいなくても若手達でERを切り盛り出来るという事を分かり易く見せて次の世代に交代した。
ジョン・カーターのお別れパーティーで初期の写真を出して来、マーク・グリーン、ダグラス・ロスピーター・ベントンキャロル・ハサウェイとの写真上での懐かしの共演を見せ、最後にはERでの彼らの思い出の声まで出して来て、中々感動。
しかし、上記のオリジナル・メンバーは最後にもっと時間を割いて、ちゃんと最後を見せて来たのにジョン・カーターの最後は何時もの「ER」でいまいち感動は少なかった。
特に最後はサマンサ・タガートの息子アレックスのヒッチハイク場面で終わるという、ジョン・カーターの最後とは関係無い場面で終わり、物凄く白けてしまった。
 
 
ER緊急救命室 12

Dlifeでそのまま続けて始まったシーズン12。

シーズン・プレミア「再会と別れと」はシーズン11の最終話のアレックスがいなくなった話をシーズンまたぎにしているけれど、この話ってそれだけの引きがあるか?という疑問。
まあ、これはルカ・コバッチュとサマンサ・タガートの関係を見せる為だけれど、それでも二人の恋愛話が中心になって、ERの方が中心でないのも微妙な所。
そう言えば、この1話目ではアレックスの子役が変わってしまい、家出したらアレックスが別人になっているという恐怖を感じてしまった。
マーク・グリーンの娘レイチェルもしらっと、前の子役と似ていない役者に変わってしまい、時々起こるこの役者変わりが物凄く違和感。

これまでの「ER」でのお決まりと言えば、シーズン終盤でジョン・カーターがいなくなり、シーズン・プレミアでジョン・カーターが戻って来るという展開が何度もあったけれど、今回は本当に戻って来ないというのは大きな穴がぽっかりと開いている。
その穴を埋めるのは誰か?となるけれど、前シーズンの最終話では次はアビー・ロックハートとニーラ・ラスゴートラとレイ・バーネットの三人が中心になる様な終わり方で、1話目でもその三人が中心になりつつ引き継いで回して行く展開。
ただ、レイ・バーネットは未熟過ぎ。
ニーラ・ラスゴートラは知識はあるけれど知識が先行し現場は苦手。
アビー・ロックハートは知識も経験もあり何でも出来るけれど、教師としては失格と、皆が問題を抱えていてジョン・カーターの引き継ぎが出来ていない状態。
マーク・グリーンからジョン・カーターへの移行はそれまでの展開や師弟関係もあってすんなりジョン・カーターが中心になり、そのジョン・カーターが中心になる様な話が非常に気持ち良く見れたけれど、チーフになったアーチー・モリス含め未熟さを超えて行くのが中心になって行く。
でも、今までの「ER」がマーク・グリーン、ダグラス・ロス、ピーター・ベントン、キャロル・ハサウェイらのベテラン組は出来ている中でも失敗や悩みがありつつ、若手の出来ないジョン・カーターが成長して行く所から、そのジョン・カーターがベテランになって教える側に回ったという流れがあるのに、今更また若手の悩みを、しかもベテランが少ない中で見せられるのは結構きつい。
 
 
エージェント・オブ・シールド 4

シーズンが進んでも毎度の如くつまらなく、アメリカでもあれだけ視聴者数が落ち込んでいるのに、放送しているABCがディズニー系だからかシーズン6の製作が決定した「エージェント・オブ・シールド」。
わたしは見始めたという事と、マーベルという事以外に最早理由も無く、ただの惰性で別の事しながら見流しているのは変わらないシーズン4。

映画「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」での超人登録法に関連し、S.H.I.E.L.D.も再編。
ジェフリー・メイスが新たにS.H.I.E.L.D.の長官となり、フィル・コールソンは現場のエージェントに戻り、チームはバラバラに。
今までフィル・コールソンが長官として散々秘密主義で好き放題やって来たのに、秘密だからと情報を教えてもらえなかったり、様々な権限が無いと嫌な顔するフィル・コールソンやS.H.I.E.L.D.の現状を理解していない部下達とか、本当フィル・コールソンとその配下の面々てわがままだし、絶対的教祖であるフィル・コールソンに従わないと気が済まない面倒臭い奴らばかり。
こんな人間ばかりだから S.H.I.E.L.D.は崩壊したし、再建がままならなかったんじゃないの?と思ってしまった。
回が進んでもコールソン組の連中は常に文句を言っては勝手な事ばかりして、新体制になった S.H.I.E.L.D.に全く対応出来ておらず、コールソン組の連中って、こんなに変化に対応出来ず、グダグダ文句を言う鬱陶しい人間だったっけ?

シーズン序盤はゴースト・ライダーが登場し、
しかし、テコ入れは分かるけれど何でゴースト・ライダーなの?
ここで急に呪いだの、悪魔だのを出して来て、ドンドン世界観がグチャグチャに。
コミックスの方だとこのゴチャまぜ感は違和感はないのに、実写だと急に「それは魔法です」で済まされてしまうお手軽さ、都合の良さは白ける要因になるからなぁ。
それにこのゴースト・ライダーの登場の理由や、結局ゴースト・ライダーがどうなったのかが分からないままで、本当にシーズン頭でのテコ入れの為の一時投入感が半端無い。

しかし、何でジョニー・ブレイズやダニエル・ケッチではなく、ロビー・レイエスのゴースト・ライダー?
ゴースト・ライダーって、あの姿でバイクに乗っているからの見栄えが成立するのに、ロビー・レイエスは自動車なので降りて来るまで姿が見えずに微妙。
しかも、自動車だとゴースト・ライダーではなくゴースト・ドライバーなのに、誰も一切そこには触れないし。
たぶん、コミックスのゴースト・ライダーがロビー・レイエスになり、そっちを押す為にドラマでもロビー・レイエスなんだろうけれど、やっぱり自動車に乗るゴースト・ライダーってダサいよなぁ。

このゴースト・ライダー編も色んな要素を詰め込んでいるのに話はグダグダして展開は遅くて、数話使っても大して話が進まず、これまで通り退屈。
またしても「助けようとした人間が実は悪党だった」というこれまでも何度も何度も繰り返されて来た安易な展開。

エイダというアンドロイドが出て来て、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」後なので人に近いアンドロイドは危ないと思われているのでエイダがアンドロイドだとは隠そうとするのだけれど、簡単に徐々にアンドロイドという秘密がばれて行き、皆が簡単にアンドロイドだと言い始めて、このダラダラとばらして行く下らない展開は何?
それに人間がそのまま演じているエイダを見て、「アンドロイドには見えない。本当の人間みたい。」と言わせる台詞とか、本当に馬鹿みたい。

デイジー・ジョンソンが S.H.I.E.L.D.から離れて勝手に一人で行動していたけれど、この展開も必要だったか?
デイジー・ジョンソンがチームを離れた時点で直ぐに戻って来るのは分かり切った事だし、デイジー・ジョンソンの勝手な行動が皆に迷惑をかけ問題になっていたのに特にお咎めも無くあっさりとチーム復帰とか、だったら離れる必要もないし。

議員役で「ER緊急救命室」のニーラ・ラスゴートラ役でお馴染みパーミンダ・ナーグラが出ていたけれど、パーミンダ・ナーグラおばさんになってしまったなぁ…。
「ER緊急救命室」がもう十二・三年前なので老けたのは当たり前なんだけれど、太ってしまってインド系のおばちゃんになっていた。

アメリカン・スナイパー

2018年05月01日 火曜日

クリント・イーストウッド製作・監督、ブラッドリー・クーパー主演の2014年のアメリカ映画「アメリカン・スナイパーAmerican Sniper)」。
実在した軍人クリス・カイルの自伝「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」が原作。

クリス・カイルはアメリカ大使館へのテロを見てシールズへ入隊。
イラク侵攻で出兵し、凄腕の狙撃兵として「伝説」とまで呼ばれる存在となった。
しかし、アメリカに帰国するとPTSDが徐々に現れ始めていた。

この映画が「愛国映画」とも「反戦映画」とも言われている様で、確かにどちらとも見れる映画になっているんだけれど、それを主人公が何を考えて行動しているのかをはっきり見せないという見せ方で描いているので映画としては終始掴み所が無いままで終わってしまった。

主人公は初めの戦闘で子供を撃ち殺す事になってもその後大して悩まず、狙撃する為に銃を構えつつアメリカの妻と電話で楽しく会話していたりと、初めの時点でこの主人公は元々何かが欠けているサイコパスな人間に見えてしまい、その時点で戦争や帰還兵の問題や苦悩を描く映画の主人公としては付いて行けず。

そもそもこの主人公が何故シールズに入ってまで戦争に拘ったのかがよく分からず、全然話が入って来ない。
父親の教えで保守的な考えが元からあったのは分かるし、その後30歳までロデオをしていてテレビでテロを見て入隊する事を志願するのだけれど、担当士官に挑発的に言われたからシールズに入隊したという自分の意思の無さなのに、何故かシールズでの厳しい訓練に耐えているし、実際の戦闘でも文句一つ言わずに戦っている。
これって、アメリカのマッチョイズム的保守的考えの元で育った人間の意思の無さをいじっているのだろうか?
主人公が子供の時に父親から銃の使い方を習い、その経験があって凄腕の狙撃手になったけれどPTSDで壊れてしまったのにも関わらず主人公の息子にも銃を教えている姿を描いてもいるし。

この掴み所が無く、何を考えているのか見えて来ない主人公だけれど、実際のクリス・カイルを調べてみると映画とは結構違う。
実際のクリス・カイルは元々子供の時から軍人が将来の希望であったらしく、高校卒業後にロデオのプロとなったけれど怪我で諦めて、大学を中退して入隊。
それも特殊部隊を希望していたけれど条件が合わずにシールズへと入っており、この人物だと何故シールズへ入ったのかの理由が分かる。
劇中で主人公が戦う理由として「神、国家、家族」と言ってはいるけれど、主人公は肌身離さず聖書を持ってはいるけれど聖書を読まず、国の為とは言っているけれどその動機がいまいち分からず段々と仲間の為となり、妻との関係はドンドンと悪くなって行き…と、信念がある様で無い様でという分かり難い人物として描き、何処を見ているのか分からない虚ろな人物にしたという事はそこが見せたい部分でもあったのだろうけれど、こういう人物を見てもやっぱり話を引っ張る人物としては捕まれない。

それにこの映画の戦闘場面が結構酷い。
序盤は緊迫する狙撃場面が多く、中々おもしろかったけれど、敵の虐殺者という分かり易い中ボスを出して、虐殺者が親の前で子供の頭をドリルでくり貫いて殺して親も殺してしまうというわざわざ陰惨過ぎる場面を見せておきながら、主人公が虐殺者を倒したのも何だかすっきりとしない感じで終わらせてしまい、非常に映画的な虐殺者という分かり易い悪役出しておいてこれだけ?というガッカリ感。
虐殺者という悪を出すけれど、虐殺者に殺されそうな人々を主人公は助け出そうともしないし、悪と善という対比でもなく、悪と善の曖昧さを見せる訳でもなく、絶対的悪は存在するけれど善は曖昧という事なんだろうか?ここら辺は中途半端な感じで、アメリカの保守層向けへの善悪の曖昧さにしなかったのだろうか?

それになにより凄腕狙撃兵の主人公に対し、敵にも凄腕狙撃者ムスタファという、これまたB級アクション映画的な分かり易いライバル悪役を出して来るのだけれど、こんな敵を出せば最終的に主人公との対決になるのは見え見えで、こんな展開安っぽ過ぎる。

そして最後の主人公とムスタファの対決になるんだけれど、ここが一番酷かった。
主人公達は敵の掌握地帯の建物に陣を構えるのだけれど、建物の周囲はあれだけ敵兵が囲んでいたのに建物にやって来た時は装甲車で大きな音立てて乗り付け、敵に全く気付かれずに建物を掌握しており、まあ都合の良過ぎる入り。
主人公部隊の目的は狙撃兵の排除なのに部隊長は主人公に周りに敵が多過ぎ気付かれるので仕切りに撃つなと言うけれど、じゃああんた達は何しに来たの?だし、撃ったら敵がワラワラと湧いて来るけれど、何でそんな所に陣取っているの?だし、この場所取りはその後の展開の為だけの都合よさったらない。
主人公が銃を構えて待っていると敵の銃撃が真後ろからだと気付いて「しまった!」となるけれど、これってムスタファがアメリカ軍が掌握しているはずの地帯にこっそり忍び込んでいて壁を立てている部隊の真後ろを取ったというムスタファの凄さを表していて、アメリカ軍が間抜けだったという事なの?後ろだと気付いた時は、その間抜けさに笑ってしまったし、これも何か都合がいいだけの様な気もするし。
で、主人公がムスタファの位置を把握するのだけれど、それが何かの光の反射のキラキラ。
これって、わたしの映画やゲームからの知識だとスナイパー・ライフルのスコープの太陽の反射光だと思うのだけれど、ムスタファは銃をほとんど動かしていないのやたらとキラキラ反射しているのは何で?だし、そもそもムスタファと壁を建てている部隊の位置と主人公の位置的に主人公にはスコープの正面近くは見えないんじゃないの?
主人公がムスタファに向けて銃を撃つのだけれど、撃った瞬間に銃弾視点でスローモーションになる馬鹿馬鹿しさ。
この演出ってゲームだと結構あって、そこが盛り上がる部分だけれど、この映画では単なるやり過ぎ。製作側の悪乗りでしなかった。
主人公が銃を撃つと敵がワラワラ湧いて来るのだけれど、これがゾンビ映画や映画「スターシップ・トゥルーパーズ」のバグの攻撃みたいになり、あれだけの数の敵の撃つ銃弾は主人公部隊の仲間には全く当たらず、逆に主人公部隊の銃撃は綺麗に敵に当たって次々と敵を倒して行くとか、これまた安っぽいB級アクション映画になる。
最後も主人公が一人取り残されて回収車に乗れないという展開になるけれど、これも主人公が乗り遅れて敵に殺されるなんて展開になる訳ないのは分かるので、しょっぱい演出。
この一連の場面の安っぽさ、悪乗り感ったらない。
この場面って、本当にクリント・イーストウッドが監督したんだろうか?まるで若手の助監督辺りに、「まあやってみな。」でやらせたら、馬鹿馬鹿しいB級アクション映画になってしまったけれど、どうしようもなくなってそのまま残した感があるんだけれど。

その後は主人公が退役したらPTSDが発症して悩む展開になるんだけれど、全体的に戦闘場面の方が多く、主人公の帰国での違和感のそれまでの振りが物足りずPTSDの問題が結構急で、傷痍軍人達と交流したら突然PTSDが治まり良き父親になるとか、帰還兵の悩みの描きが物凄くお座なり。特に終盤の帰国後の展開は取って付けた様な描きの薄さ。

この映画、戦争を描いているけれど主張はあえて曖昧なままで、そこでは興味深いけれど、主人公目線で見ていても何を感じているのかが見えて来ないので話が入って来ないし、戦争部分は急に1980~1990年代に粗製乱造された安っぽいB級アクション映画みたいになって白けてしまい、そこでも捕まれず仕舞で、結局おもしろくない映画だった。

☆☆☆★★

オール・ユー・ニード・イズ・キル

2018年04月22日 日曜日

ダグ・リーマン監督、トム・クルーズ主演の2014年のアメリカ映画「オール・ユー・ニード・イズ・キルEdge of Tomorrow)」
日本のライトノベル「All You Need Is Kill」が原作。

宇宙から謎の生命体が地球に侵略。地球人はそれらを「ギタイ(Mimics)」と呼び、統合防衛軍を築き戦っていたが劣勢だった。
アメリカ軍の広報担当官ウィリアム・ケイジ少佐は将軍から前線での取材を命じられたが嫌だったので将軍を脅して回避しようとするが将軍の怒りを買って二等兵として戦場に出されてしまった。
ウィリアム・ケイジはパワードスーツを装着し戦場に出るが、ギタイによって殺されてしまった。
しかし、目の覚めたウィリアム・ケイジは出撃前の軍基地に到着した時点に戻っている事に気づく。
ウィリアム・ケイジは何度も基地に到着し、出撃を繰り返し死亡すると再び以前に戻るという体験を繰り返していた。
その中で戦場で出会ったリタ・ヴラタスキを助けると、彼女は「戻ったら自分に会え」と言う。

所謂「タイムループ」「ループもの」と言われる話。
ただ良くあるこの類だと、その何度も繰り返される時から逃れようとするけれど、この映画では逃れる訳ではなく、何度も繰り返す事によって戦闘で鍛えらえ、敵の行動を何度も見る事によって敵の先を読んで活躍するという、正にテレビゲームで何度も繰り返してクリアして行くのをやっている。
しかも、初めは難しいアクションゲームを何度もやり直して敵の出現や行動パターンを知って、それに対処する事によって先に進んで行くという所から、実は何処かにいるボスを倒すのが目的だと分かり、ゲームの「ヒットマン」の様に幾つもある侵入方法と幾つもある手法からどれを選んで行動して行くかをオープンワールドでやっている様な展開になり、この拡張は非常に上手い。

この展開が非常に上手く、物語が二転三転しながら、主人公が何度も試しながら正解を見つけ出して行くのは非常にワクワク感と興奮があり、惹きつけられたまま一気に見せた。

ただ、この序盤から終盤までの展開が上手い分、その他の設定や結末がまあ展開の為に都合が良過ぎ、何じゃそりゃ…感で萎える萎える。
そもそもトム・クルーズはどう見ても50前のいいおっさんで、広報官として結構有名という設定があるにも関わらず、新兵としてやって来て、速攻で戦場に駆り出されるとか、まあ現実味が無い。
まだ、周りにもおっさんなのに徴兵されて文句を言っていたり、恐怖に震える人がいたならトム・クルーズも違和感が無いし、むしろこの強引な導入ではなく、初めから若い新兵が主人公ならすんなり入って行けるのに。
多分、この企画でトム・クルーズを配役してしまったからの強引な導入なんだろう。

で、戦闘になるけれど、兵士が装備しているパワードスーツも非常に微妙。
てっきりこのパワードスーツによって兵士達の戦闘能力が飛躍的に上がると思っていたら、兵士達はパワードスーツ無しで走る方が速そうで、ドタドタ走っているので敵の攻撃を避け切れずにあっさりと次々と死んでしまうし、敵の動きが尋常じゃなく速過ぎるので、このパワードスーツは素早さを削いで防御力が高いのかと思いきや、パワードスーツと言っても外骨格程度しかない体が見え見えなので敵に簡単にやられるし、パワードスーツを何の為に着けているのかが分からない。
パワードスーツを兵士一人に一体だと制作費が相当かかるし、兵士がパワードスーツを使いこなせる為に訓練も必要だろうし、それなのにあっさりやられ過ぎで効率悪すぎだろう。
こんな無駄なパワードスーツを作るくらいなら無人兵器を大量に作れば良いじゃん…と思ってしまった。
パワードスーツが無駄だな…と思っていたら、トム・クルーズとリタ・ヴラタスキはパワードスーツの補助によって跳んで跳ねての超人的動きをしていて、一般兵士がパワードスーツを全く使いこなせていないだけだと分かって更にこのパワードスーツの無駄感が倍増。

で、トム・クルーズがタイムループを行う様になるのだけれど、その理由が、「敵は時間を操る力を持っており、大量にいる敵の中で数十万体に一体だけいる希少個体アルファが死亡すると全ての個体に指令を与えている中枢であるオメガが時を戻しアルファの死亡前に時を戻すのだが、ウィリアム・ケイジがアルファの血を浴びて死亡したから」。
いや、何のこっちゃ?
これはSFなのか?
敵は火の玉を吐き出すか、物理的にしか攻撃して来ない、脅威ではあるけれど大分原始的な攻撃をするのに、どういう原理なのかも全く見せない時間を操る設定は、この物語を展開させるだけの都合の良過ぎる設定。
しかも、アルファの血を浴びたら全く別生物の地球人の時間が戻るとか、これも物語を展開させるだけの都合の良過ぎる設定。

それに何故アルファが少ないのか?何故アルファだけが特殊である必要があるのか?という理由も敵の戦略や侵攻からも全く見えないので別に全部アルファでいいじゃん…と思ってしまったし、そんな大事なアルファが他の雑魚と同じく最前線に出て来るので、アルファはやられて情報収集をする役目なのかな?とも思ったけれど、それだったらもっと数が多い方がいいだろうし、アルファの血を浴びたら時間を戻す力が相手に移る仕様は余りに間抜け過ぎるし、オメガを破壊すると全敵が機能停止するという仕様も余りに間抜け過ぎだし、そもそも地球侵攻時には何処でオメガが指令を出して、あれだけ巨大なオメガが地球に移動して来ても気づかないのか?というものあるし、宇宙空間からでかいオメガが移動して来ている時に攻撃受けたらそこで侵略終了になってしまうし、終始敵の設定で穴ばかりを感じたし、展開される為だけの都合の良さしかなかったんだけれど。

都合の良さの極めつけは結末。
オメガを破壊したら大分前に戻ったのにオメガは破壊されたままとか、ハッピーエンドにする為のだけの強引過ぎる展開に白けまくった。
別にトム・クルーズが犠牲になって終わりでも良かったじゃん。

そうなると物凄く「マトリックス」感が出るか。
この映画、終盤になると急にマトリックスっぽくなった。
そもそもギタイがセンチネルズっぽいのがあったけれど、パワードスーツに両腕マシンガンでギタイを打ち落とすのは「マトリックス レボリューションズ」の既視感があったし、最後のオメガは「マトリックス レボリューションズ」でのデウス・エクス・マキナとの取引と破壊の違いはあるけれど、主人公の自己犠牲であれだけの戦争が一気に終結してしまうとか。

あと気になったのは、タイムループで死に続ける話なのに、そこの演出が結構薄い事。
何度も同じ出来事の繰り返しなのに、それを描くのは初めの数回だけで、後は繰り返しをすっ飛ばして新たな展開を見せて行く。
その分、話の展開が早くて次々に新たな展開を見せ続けて飽きは来ないけれど、何度も繰り返さるを得ない面倒臭さや苦悩が薄くて、トム・クルーズの人物が薄く見えてしまった。
まあ、トム・クルーズって、何時も賢い役をしても賢く見えず、そこはかとないアホの子感で溢れているからかもしれないけれど。

この映画、確かに展開は抜群におもしろい。
繰り返される時間から徐々に理解しながら様々な方向に話が展開して行く上手さで飽きさせないけれど、設定とかがご都合主義過ぎて萎えたし白けた。
展開の為に強引でも存在する設定は全く好きじゃない。

☆☆☆★★