SCORPION/スコーピオン

2017年10月09日 月曜日

アメリカでは2014年からCBSで放送されているテレビドラマ「SCORPION/スコーピオン」。
アメリカでは現在シーズン4が放送中。

Dlifeの宣伝でこのドラマに、「ターミネーター2」のT-1000や「Xファイル」のジョン・ドゲット捜査官でお馴染みのロバート・パトリックが出演しているのを知って、そこだけの引きで見てみたら、案の定わたしにとっては老け過ぎたロバート・パトリックが出ている以外何も引きが無かった。

本当に、これは酷い。
一話が始まって15分程で余りにクソつまんなくて早送り。
何がつまらないって、今までの映画やドラマで登場して来た展開を優先させる為だけの理由で何でも簡単に出来てしまう都合の良い天才が主人公で、その天才の典型を寄せ集めただけの様な設定や展開で、これが大嫌いなわたしは辟易しまくり。

始まりからして、「この主人公は天才なんですよ!」と分かり易く言う為に子供の時にNASAにハッキング成功したという時点で安っぽい作り物感しかなく、その時点で萎え萎え。
そのウォルター・オブライエンは天才だけれど人との付き合い方が上手くないとか、始まって直ぐの時点で見飽きた典型を恥ずかしげも無く見せる。
人付き合いが上手く出来ないと見せておきながら、その直ぐ後には仲間とは上手くやっていて、人付き合いが上手くないという設定でも異分野の人間でIQが高いという共通点があれば仲良しとか、その時点で都合良過ぎなだけ。

そこにロバート・パトリック演じる国土安全保障省特別捜査官がやって来て彼らに助けを求めるのだけれど、その捜査官は子供のウォルター・オブライエンを保護し、その後一緒に働いていたという話になるんだけれど、この展開や設定も既視感しか感じない使い古された様なモノ。

その後もウォルター・オブライエンはIQが高いのでシャーロック・ホームズの様に相手の身なりや状態から生活状況等を判断出来る観察眼や推理力があるとか、潔癖症の数学の天才とか、次々と反吐をつく様な臭過ぎる設定をポンポン出して来る。
それに主人公達は天才だけれど口が悪く、常に悪態と冗談を言い続けるとか、これまた典型の典型な様な人物設定。

展開もこの手の天才ハッカーが主人公の映画やドラマで有りがちな、手元のコンピューターでちょこちょことすれば簡単に何でも出来、皆が天才だからなのか、やたらと視聴者に対する説明台詞で喋り、登場人物達だけで勝手に気付いて勝手に解決策を思い付き勝手に納得するという、見ている方が膝を打ったり、映像的に納得させる様な上手さの全く無い、脚本家の持って行きたい方向に持って行っているだけという、これまたご都合主義だけのつまらない展開を堂々としている。

で、最後は過去に因縁はあるけれど、また一緒にやろう!でチーム結成という、これまた何の捻りも無い、「2014年にこれやる?」という様な、如何にも第一話の締めにもゲッソリ。

そして、ペイジ・ディニーンをヒロインとして今後も出させる為に、国家の一大事の秘密作戦を追行していてペイジ・ディニーンは関係無い人なので普通なら捜査官が追い出すはずなのに全く気にも留めずに現場に置いて強引に話に絡ませたりと、この一話で今後の為に力技で枠組みを作ってもいるし。

あと、天才はチェスが玄人級という、これまた記号化された上に擦り倒された事も堂々としていたし。

このドラマって、ここまで典型の典型ばかりで攻めているので、てっきり映画やドラマで多用される天才ハッカーモノの設定や展開をパロディ的に使って皮肉るコメディかとも思ったのだけれど、全くそんな風も無く、「これっておもしろいでしょ!新鮮でしょ!上手いでしょ!」とやっている感じなので、そこでは驚いてしまった。

驚いたのはロバート・パトリックも。
「ターミネーター2」から23年。「Xファイル」から12年なのに、顔がシワシワで老け過ぎだったのに驚いた。
この時点でまだ55歳なのに60代後半から、下手したら70代位のシワシワな老け方。

この「SCORPION/スコーピオン」は近年見たドラマの中では最低につまらなかったシーズン・プレミア。
幾らロバート・パトリックが出ているとは言え、今後見る気は全く起こらないし、そもそも一話の序盤の時点で見る気が削がれまくった訳で、「とにかく4・5話見てから見続けるかどうするか決めようかな…?」という何時もの見方にすら行かなかった。
しかし、このドラマは既にシーズン4を放送している訳で、何が受けたんだろうか?

関連:前期見たドラマはER6とER8

前期見たドラマはER6とER8

2017年10月08日 日曜日

2017年7~9月期のテレビドラマは、見続けて来たドラマはそのまま見続け、もう見る気がしなくなったので途中で見なくなったシリーズや、一話目だけ見てつまらなかったので見ない事に決めたドラマと明暗がくっきり分かれた。

続けて見ていたのは、

CSI:ニューヨーク シーズン4
ER緊急救命室 シーズン678
エージェント・カーター シーズン2

Dlifeの宣伝で気になった「SCORPION/スコーピオン」と「MACGYVER/マクガイバー」を新たに見てみたのだけれど、どちらもつまらなくて一話目で見るのを止めてしまった。
新規ドラマなので別記事「SCORPION/スコーピオン」と「MACGYVER/マクガイバー」で感想を。
 
 
CSI:ニューヨーク 4

前期から引き続き見続けている「CSI:ニューヨーク」のシーズン4.
シーズン4になって、オープニング・クレジットの音楽がこれまでと同じザ・フーの「ババ・オライリィ」だけれど、オリジナルとは違うより乗りの良い編曲に変わったのと同じ様に、内容的にもアクションや銃撃戦が多くなり、CSIの科学捜査を残しながらもハリウッド映画的な感じになっておもしろくなっている。
ただ、ハリウッド映画の悪要素でもあるご都合主義や強引さが目立ってもある。

10話「ヒーローの真実」でこのシーズン前半を引っ張った、マック・テイラーの元に3時33分にかかって来る電話から始まった一連の事件の結末が描かれるのだけれど、子供の時とは言え、マック・テイラーが決して善人ではないという背景を見せて、他のCSIチーフとはまた違う人物にしているのはおもしろい。
ただ、犯人が余りに用意周到過ぎるけれど、そこまで賢そうには思えず、都合良過ぎる展開ではあるのだけれど。

15話「容疑者X」は5話「不思議の国のヴィーナス」で捕り逃したままの女性暗殺者の結末が描かれ、この大分経ってから忘れた頃にその後を描くという展開はおもしろい。
ただ、コンピューター技術やインターネット技術が優れ、尚且つこれまで捕まらずに逃げ切って来た凄腕暗殺者とか、まあ安っぽいと言うか、非常に陳腐で結末を待った割に全てにおいてやり過ぎ感しか無くて白けまくりではあった。

この5話「不思議の国のヴィーナス」と15話「容疑者X」はわたしにとって非常に印象に残っている回で、わたしは以前、まだ「CSI:ニューヨーク」を見た事無い時にたまたまCSの無料放送で「CSI:ニューヨーク」を放送していたので見たのが5話「不思議の国のヴィーナス」だった。
「不思議の国のヴィーナス」自体はおもしろかったのだけれど、結局何も解決しないままで終わってしまい、無料放送なのでその次の回で結末を描いたと思っていた回を見る事無いまま。
暫くして地上波で「CSI:ニューヨーク」が始まったので見始め、シーズン4になってやっと5話「不思議の国のヴィーナス」を見て「ああ、この回見た事ある!」と思い出し、結末を楽しみに6話「呪われたハロウィン」を見たら全然関係無い話で。「え、結末は…?」と驚いた。
で、15話「容疑者X」を見た時に、悪い意味で無敵超人のやり過ぎ暗殺者と時間内に収める為に出来過ぎな展開に、ガックリ来たのを思い出した。
今回も同じ感じ。まだ、数年後の結末でないだけ、既に展開を知っていたのでガックリ感は少ないけれど。

そして、シーズン終盤になり、何話も続くタクシー・キラーの話になり、最終話前の20話「タクシー・キラー」で解決したと思ったら、21話「人質」は外部での遠隔科学捜査かつ人質事件解決がシーズンまたぎのクリフハンガーと終盤でも色々詰め込み、やはりこのシーズンで「CSI:ニューヨーク」の方向性を変えた事ははっきりした。
このハリウッド映画乗りにした事で以降も続いたと思うと、少々捜査が荒くてもこれが正解ではあったんだろうな。

そう言えば、最終話の21話「人質」も地上波で放送していた時に見たけれど、今度はその地上波では別のCSIフランチャイズのドラマが始まって、クリフハンガーなのに解決編を放送しない全く分かっていない酷い編成で、結局数年経ってからシーズン5を放送したので一話目だけ見て、「二度とテレビ大阪のクソ編成で見るもんか。」と決めて、ちゃんと最後まで順番に放送するDlifeに乗り換えた。
ただ、DlifeもDlifeで、ドラマ内にデカデカと別のドラマの宣伝を入れるというクソがあるにはあるのだけれど…。
 
 
ER緊急救命室 6
 
「ER」って、以前BSで放送していた時に観始め、その後DVDでも見て、その後WOWOWで無料放送していた時も見て、Dlifeで一話目から放送し始めたので見始め、そのDlifeでは毎週平日五話放送という空き時間にねじ込んだ感のある速足放送なのにシーズン5までで急に終わってしまい、結局どこまで見たのかを忘れた状態。
Dlifeで半年振りにシーズン6が開始されたので見たのだけど、やっぱり「シーズン6からで良いんだっけ?シーズン5を見逃した訳じゃあないよね?」だったのけれど、2シーズンしかいなかったルーシー・ナイトが初めからいたので問題無かったと、そこで確認。

そんな状態で観始めたけれど、やっぱり物凄くおもしろい。

一話目から店に行き成り自動車が突っ込んでERがてんやわんやになった所に新たなレギュラーのルカ・コバッチュがカッコ良く登場し、良い人だったはずのケリー・ウィーヴァーが掌返しのヒールターンとか、面白要素一杯。

それに、このシーズン6前のシーズン5でダグラス・ロスが辞めてしまい、このシーズン6ではキャロル・ハサウェイが出産してダグラス・ロスの元へと行ってERを辞め、ジェニー・ブレも辞め、ルーシー・ナイトも退場。
そこにパート・タイマーで入って来てスタッフドクターになるルカ・コバッチュや、レジデントのデイブ・マルッチや、シーズン1にデブ・チェンとして登場し、このシーズンで出戻りとなったジン・メイ。産科の看護士として登場後に医学生としてやって来たアビー・ロックハート等、今までの主要レギュラー陣が抜け、今後の「ER」の主要レギュラーとなる人々が次々と入って来るという丁度第一章終了、第二章の始まりの過渡期で、今後の「ER」を知っているとこの交代劇も楽しい部分。

ルカ・コバッチュは静かに登場したと思ったら、既にERでは前から働いていたという設定で、暫く登場したら暫く登場しなくなり、その後ERに常勤するという展開は「ER」ならではの長期に渡る新人物の導入の仕方。

今後そのルカ・コバッチュとの恋愛劇になるアビー・ロックハートは、8話「大いなる期待」で初登場するのだけれど、この回ではキャロル・ハサウェイが出産し、その面倒を見る看護士がアビー・ロックハートで、キャロル・ハサウェイがこの後にダグラス・ロスの元へ行くという降板を知っていて、その穴を埋めるのがアビー・ロックハートで、これまで「ER」の人物や話的にも中心となったキャロル・ハサウェイからその後「ER」の中心人物の一人となるアビー・ロックハートへと引き継ぎする回だと知って見ると、物凄く感慨深い回でもあった。
アビー・ロックハートはこの8話の時点で将来「ER」を背負う人物として決めていたのでキャロル・ハサウェイと絡ませたのかなぁ?
しかし、看護婦として登場したのにその後の12話「医学生アビー」で、実は看護婦はパートタイマーで本当は医学生でした…で医学生としてERにやって来てレギュラーとなるのに、何で一回看護婦としての姿を見せたのだろう?
キャロル・ハサウェイが一時期医者を目指していて諦める事となったけれど、それに絡めての意図なんだろうか?
だとしたら、また同じ様な人物設定にわざわざする意味もあったのだろうか?と思うし、アビー・ロックハートは次のシーズン7で医学生から看護士に戻るので、この行ったり来たりは何なのだろう?

10話「家族の問題」で突如ジン・メイがERに戻って来た。
その理由も父親が多額の寄付して戻って来るって、結構強引。
すぐさまミン・ナ姉さんはレギュラーだし、この好待遇や、突如のレギュラー追加って何だったのだろう?

13話「だれよりも君を愛す」で良い話からの突然のジョン・カーターとルーシーが刺され、14話「悲報」へのクリフハンガーというシーズン6でも「ER」全体でも有名な回へという流れなんだけれど、この14話「悲報」は好きじゃない。
この回が終始鬱々としているとか、ただ悲しいとかの内容部分じゃあなく、むしろ内容としては一気に見せるし、各役者の見せ場の連続だし、演出も色々やっていて、ドラマとしてはこの回は非常におもしろいし見応えたっぷり。
嫌いなのは、ルーシー・ナイトが死亡して退場してしまい、これ以降レギュラーの死亡でぶった切り退場が多くなった切っ掛け、先駆けになっている事。
まだ、ルーシー・ナイトはきちんと振りがあって、周りの人物とのこれまでの関係性からの反応を描いていてレギュラー降板回としては見せるのだけれど、ここでルーシー・ナイトが死亡で退場以降、「ER」の落ちる視聴者数を食い止める為なのか、劇的な展開を見せようとする為にレギュラーの退場の仕方を、突然怪我してそのままいなくなるとか、突然死亡して終わりとか、見ていて「えっ?これでお終い?」と物凄くしょうもないと言うか、投げっ放しと言うのか展開を見せて、大分白ける事が多くなった。
逆にマーク・グリーンの様に、「死にますよ…。死にますよ…。死にました…。」の引っ張りもしんどいし。
生と死を描くドラマとは言え、患者ではなく医者側に死んでの退場者が多いのはどうなの?と思ってしまう。
この回以降、レギュラー陣の死亡が安くなったし。

あと、何よりルーシー・ナイトを演じたケリー・マーティンの降板が勿体無い。
そのまま続けていればマーク・グリーンからジョン・カーターへと引き継がれる「ER」の主役級の立場が、ジョン・カーターからルーシー・ナイトへという可能性もあったはずで、特にロバート・ロマノがルーシー・ナイトを認め、興味を持ち始めたというおもしろい関係が出来始めていたので、ここのドラマも出来たはずなのに全て無くなってしまったし。
特にケリー・マーティンは、もうちょっと続けていれば役者人生も変わっていたはずで、正直な所これ以降のケリー・マーティンは代表作も無く、パッとしていないので色んな意味で勿体無かったなぁと思う。

17話「命の選択」に「X-ファイル」のウォルター・スキナー副長官役でお馴染みのミッチ・ピレッジが登場していたのだけれど、この「ER」シーズン6は 1999~2000年の時期なので「X-ファイル」のシーズン7が放送中の時期と被っている。
他の有名ドラマのレギュラーの役者が別の有名ドラマにゲスト出演するのって珍しいよなぁ。この経緯はどういった事だったのだろう?
分かっているのは日本語版製作陣で、この「ER」でのミッチ・ピレッジの吹き替えはウォルター・スキナー副長官と同じ島香裕だった。

20話「ほつれたロープ」でマーク・グリーンの父親が亡くなるのだけれど、グリーン家って病気で死亡が多い。

21話「決意の日」ではやっとキャロル・ハサウェイがダグラス・ロスの元へと行って、長かった二人の恋愛話も決着が付き、キャロル・ハサウェイだけでなくダグラス・ロスの物語も終わりを迎えた。
ただ、この回はここまでが長かったキャロル・ハサウェイからの目線で見てしまうので良い話だけれど、ルカ・コバッチュから見ると「何じゃい!キャロル・ハサウェイ?」で酷い話だし、ルカ・コバッチュの咬ませ犬感が可哀そうで仕方ない。
それとこの回から、受付にフランク・マーティンが登場するのだけれど、実はこのフランク・マーティンはシーズン1の1話目で名前も無い脇役で演じているトロイ・エヴァンスが登場しており、この時も警官役で自分の足を撃ったと言っており、フランク・マーティンも「足を手術した」と言っている。
もしかすると、この1話目の人物がフランク・マーティンだったという凄い伏線と言うか、誰も覚えていない所から持って来ている。
確か後々にフランク・マーティンが1話目に言及している様な回があったはずだと思ったのだけれどどうだったのかなぁ?

シーズン最終話の22話「危機」でジョン・カーターが薬物中毒で去って行くという、これまた衝撃的なクリフハンガーで終わる。
ルーシー・ナイトの死亡で後に引きずるのってジョン・カーターは当然なんだけれど、そう言えば他の人達って余りルーシー・ナイトの事を引きずらず、ほぼ言及する事も無いままなのは何でなんだろう?衝撃的な展開の割に、後が物凄くあっさりし過ぎ。

シーズン通して見て気になったのは、ピーター・ベントンの話の舵の切り方。
シーズン序盤は息子のリースの親権問題で揺れまくっていたのに、何時の間にかその話が全く無くなり、クレオ・フィンチとイチャイチャし始め、息子の事で悩んでいる描写が無くなってしまった。どうなったの?と物凄く違和感を感じた。
 
 
ER緊急救命室 7
 
シリーズ初期では毎回シーズン最終話でジョン・カーターがどっかに行き、次のシーズンの初回で舞い戻って来るという事をしていたけれど、久々その展開が復活。
ただし、今回はまだ職場には復帰しないという新たな展開を持って来た。
シーズン6での薬物中毒からの復帰で、序盤から重い展開。
それにアビー・ロックハートの母親のマギー・ワイゼンスキーの登場で思い出した。ここら辺りからどうにもならない、面倒臭くて重い話が多くなって行く事を。
アビーの母親の話もそうだし、マーク・グリーンの長期に渡る退場話や、アフリカ話とか、「もう、分かったから次行って…」という展開がしんどくて、ここら辺から段々と見るのが面倒臭くなって来た。
確か、以前BSで放送していた時なのか、レンタルで見ていた時なのか忘れたけれど、一時期見てない時があったのはここら辺だった様な気がしないでもない。

それにERの受付の壁を取り払って、同じセットではあるけれど目新しさを出そうとしている事からも分かる様に、長期シリーズになったのでマンネリを払拭しようとする試みがあちらこちらに見られ、シーズン6でキャロル・ハサウェイ、ジェニー・ブレ、ルーシー・ナイトがいなくなり、新たにルカ・コバッチュ、デイブ・マルッチ、ジン・メイ、アビー・ロックハートが入って来た事で新たな顔ぶれになり、マンネリを防ぐ為なのか話もこれまで以上に各個人の話が多くなった。
ただ、その分医療の話が減ってしまい、特にシーズン序盤は登場人物達の話ばかりで、「ER」のおもしろさである医療部分が極端に少なくて新たな展開が逆に「ER」のおもしろさを減らしてしまっている感があった。
このシーズンから始まったケリー・ウィーヴァーの同性愛話とかは別にケリー・ウィーヴァーで同性愛やる必要も無い気ばかりしたし、ピーター・ベントンは今までの息子の話がほぼ無くなってしまいクレオ・フィンチといちゃいちゃしているし、デイブ・マルッチは存在感はあるし良い感じなのに他の役よりも扱いが薄くて人物の掘り下げが少ないままだったし、ここら辺から今までの「ER」のおもしろさを見失って、迷走して行った感がある。

1話「学園祭」では「ER」の特徴でもある長回しで、一分間ノーカット・ワンシーンで次々と登場人物が現れては出て行ってで現状を説明する場面があり、これでニヤリ。
更にはストライキでERにゴミが溢れかえり、患者が次々と運ばれて来ててんやわんやで、シーズン・プレミアに詰め込んで流石だし、これぞ「ER」。

今まで話には出て来ていたアビー・ロックハートの元夫リチャード・ロックハートが登場したんだけれど、演じていたのがドラマ「ヒューマン・ターゲット」のクリストファー・チャンスでお馴染みマーク・バレーで、「おっ」となった。

15話の「告白」は色々と新しい事や実験的な事をしていて、これぞ「ER」の醍醐味を詰め込んだ様な回。
ルカ・コバッチュの話から始まり、それを最後に別視点でもう一回見せる二度見せをしつつ、間は列車事故に駆けつけるERの医師達の奮闘を描き、まあおもしろいし、見事。
同じ場面を二度描くので、わたしはまんまと初めからもう一回見て演技や見せている部分の違いを見てしまったし、列車事故の部分は相当お金と手間をかけていて、ルカ・コバッチュが走って行くのをカメラがずっと追い駆ける場面は見入ってしまったし、ジョン・カーターが一人で足を切断したりとか次々と緊迫する場面を見せて、ERの外で何か起こると非常におもしろくなるという「ER」の伝統を見せ付ける。
それに、何話にも渡って登場したジェームズ・クロムウェル演じるスチュワート司教の話も引っ張ってのルカ・コバッチュの抱えた人生を見せ、詰め込み過ぎな程にこの回は色々一杯で見所満載。

ジョン・カーターの復帰後からジョン・カーターとルカ・コバッチュとアビー・ロックハートの三角関係が一つの柱になったけれど、改めて見るとアビー・ロックハートの優柔不断さ、あっちもこっちも唾付けとけ感が結構強くて、アビー・ロックハートにイライラ。
以前から「ER」では女性が強くはあったけれど、このシーズンの男性の振り回され感が強い。
アビー・ロックハートはどうなの?なんだけれど、アビー・ロックハートを演じるモーラ・ティアニーは美人とは言えないかもしれないけれど、「ER」の歴代女性の中では確かに一番気になる女性。
モーラ・ティアニー本人の声を聞いてみたらそんなにだったので、吹き替えの葛城七穂のあの鼻にかかった声の魅力もあるかもしれない。

あと、このシーズンの大きな軸であるマーク・グリーンの脳腫瘍の話は、初見の時は「どうなるの?」でドキドキはあったけれど、既に死んでしまう事が分かって見てしまうとおもしろくはない。
丁寧に振って振っての退場として見ると、アンソニー・エドワーズはもうシーズン7から降板する気があったのかな?と思ってしまい、そこで哀しさが出て来てしまった。

最終話の22話「凶悪犯人」は前回からのトンデモない展開で、多分「ER」史上最悪の銃乱射事件で嫌な話なんだけれど、個人の銃の所有に否定的な部分と、銃があったから犯人を捕まえる事が出来たとか、自動車だって人を殺すとかの銃擁護の意見もちゃんとあって、主張の部分で非常に上手い。
しかし、最後の犯人に対しマーク・グリーンが空中で除細動し続けるまま終わって行く所は、「ER」の中でも最高に恐怖なシーズンの終わり方。

不思議だったのは、毎回の始まりに「前回までの『ER』は…」という感じで、これまでの場面が流れるのだけれど、それがシーズン序盤の何回かは画面サイズが4:3。
本編のサイズは全部16:9だったのにと気になったので振り返り場面で使われた前回の本編を見てみると、振り返り場面は4:3になる様に画面を切っていた。
これは何の為の4:3への縮小だったのだろう?
暫くすると振り返り場面は16:9になっていたけれど、それでも本編よりも画質が悪い。何これ?
 
 
ER緊急救命室 8

このシーズン8は、もう既にマーク・グリーンとピーター・ベントンの退場だと知って見ると丁寧に振られているなぁと感心したし、一話一話の話がシーズン7よりもおもしろくなっていた。
 
毎回シーズン・プレミアとなる一話目はレギュラー陣が戻って来るとか、新たなレギュラーが増えるとかの目新しさがあったのに、このシーズン8の一話目「四人の物語」はシーズン7の最終話からそのまま続く様な、シレッと始まったので逆に新鮮。
ただ、四人の目線で時系列が行ったり来たりながらそれぞれの人物を描くと言う実験的な構成にはなっていて、見所もちゃんと作っている。

驚いたのは、2話「長居は禁物」に久々に外科のデイル・エドソンが登場した事。
シーズン2辺りではジョン・カーターとはバッチバチの犬猿の仲だったのに、デイル・エドソンはジョン・カーターの心配をして優しい言葉をかける人物になっていて、そこにも驚き。

2話目までは何時も通りの「ER」で比較的穏やかな展開だったのが3話目の「激怒」で急展開。
ピーター・ベントンの元妻カーラ・リースが交通事故で行き成り死んでいるだけで登場。
デイブ・マルッチはケリー・ウィーバーにブチ切れられて首にされ、そのまま去ってしまう。
マーク・グリーンの娘レイチェル・グリーンは今までの役者イボンヌ・ジーマから交代し、ハリー・ハーシュに変更と、行き成りの驚く展開が目白押し。

カーラの行き成りの死亡は、演じていたリサ・ニコル・カールソンの降板だろうと調べてみたら、リサ・ニコル・カールソンがこの辺りで問題を起こして逮捕されたり、撮影現場での行動を問題視されて解雇されたりと、役者の問題での突然の役の死亡みたい。

デイブ・マルッチは演じていたエリック・パラディーノが後に語った話ではデイブ・マルッチの役の扱いに結構不満だったらしく、それで降板したみたい。
確かにデイブ・マルッチは強引だし、適当だし、軽いしで今までの「ER」の中では結構変わった人物だったのに、その人物像を掘り下げる様な展開が少なくて、確かに見ていても役の扱いは悪かった。
この人物像は結構おもしろかったし、ジョン・カーターとジン・メイとで今後のERを引っ張るであったであろう三人の関係性が「ER」初期のマーク・グリーンとダグラス・ロスとスーザン・ルイスの関係性っぽかったので、おもしろかったのになぁ。
デイブ・マルッチが出て行く時の捨て台詞で「子供がいるんだ!」と言うのは、何でここで出して来たんだろうか?もっと早く出すべき設定だし、これを言わせたのなら今後も話が続きそうな感じはするのに何も無しって、確かに「ER」でのデイブ・マルッチの扱いは酷い。
久々に切れて辞めて行くというレギュラーの降板が来たので、そこではおもしろかったのだけれど。
次の4話でもデイブ・マルッチは登場したけれど、ケリー・ウィーバーを見るだけで台詞無し。

レイチェル・グリーンの突然の役者の交代は毎週一話ずつ見ていれば久々にレイチェルが登場したので違和感も少なかっただろうけれど、Dlifeで週五話で見ていると急にレイチェルが別人なのは戸惑う戸惑う。
「ER」のズルさと言うか、役者の交代の取り繕いっぷりは凄く、本編前の「前回までの『ER』は…」の回想場面で以前のレイチェル・グリーン役だったイボンヌ・ジーマの場面だけを交代したハリー・ハーシュでわざわざ同じ場面と台詞で撮り直しているという手の込み様。そこまでしての交代って、何があったのだろう?

更には4話「決して言わないで」で、後に戻っては来るけれどケリー・ウィーバーのやり方に怒ってジン・メイが辞めてしまい、その穴を埋めるかの様に、この4話でスーザン・ルイスが「ER」にシーズン3以来の復帰。
スーザン・ルイス役のシェリー・ストリングフィールドの復帰はシーズン開始前に決まっていたと思うけれど、マーク・グリーン役のアンソニー・エドワーズやピーター・ベントン役のエリク・ラ・サルのシーズン8での降板って既に決まっていたのでシェリー・ストリングフィールドの復帰だったのだろうか?
製作側は大きな穴にはそれだけの役が必要だと考えていたんだろうとの想像をしてしまう。

そして、5話「もう一度初めから」でスーザン・ルイスが本格的に「ER」に復帰し、ERで再びスタッフ・ドクターとして働き始める。
この5話がおもしろいのは、スーザン・ルイスがいなかった五年でERのスタッフが変わっていなかったり、変わったりの変化や治療のやり方の違いとかでスーザン・ルイスの慣れていたのに慣れない違和感を見せている所。
それに今までの他の登場人物でもそうだったけれど、復帰した時や降板前の台詞って、その役者の立場を重ねてしまう様な上手い台詞が多く、現実をドラマで言わせている感じが好き。
それとこの5話って、最近多かった登場人物達の個人の話に偏り過ぎて医療部分がいまいち盛り上がりに欠ける感じがあったなかでは、以前の楽しい「ER」だった笑いと哀しみを次から次と見せ、そこに個人の問題も描くと言う構成で、スーザン・ルイスが戻って来た事もあって「ER」らしさが前面に出ていて楽しい回だった。

7話「もし神の慈悲に背いたら」でマイケル・ガラントが登場。
その後の主要人物の一人となるけれど、まだおぼこいし、新人感一杯で、まだこの時点ではレギュラーでもないし、その後を知っているとおもしろい。
「ER」での新人って、既に出来上がった「ER」というドラマに入って来ると言う役者の配役での意味でも新人で、撮影現場や演出に慣れていない感じが役としても本当に新人っぽいし、徐々に「ER」に役柄的にも撮影現場での役者としても慣れて行ったであろう感じが上手く合致しているはず。
それにしても、クレオ・フィンチ役のマイケル・ミシェルとピーター・ベントン役のエリク・ラ・サルがこのシーズンで降板する事が決まっていただろうからの黒人マイケル・ガラントの登場って、あからさまな登用だなぁ。

8話「曇ところにより雨」はシーズンに一回はあるだろう「ERの外に出るとスペクタクルになる」回。
今回は大雨の中、刺された妊婦を運ぶ救急車が横転し、その救急車に送電線が引っ掛かっているという窮地にケリー・ウィーバーとマイケル・ガラントが駆け付けるという、緊張の連続でワクワク。
マイケル・ガラントの役柄もそうだし、演じているシャリフ・アトキンスもまだ登場二話目でいきなりのこの特殊な回で、慣れない上にこの状況なので、そこで見てもワクワクする回。
それ以外にも川に落ちた兄弟とか、カーターのおばあちゃんとか、次々と事件事故が舞い込む目まぐるしい回で、全体的に早くおもしろい。

10話「クリスマスはわが家で」で遂にピーター・ベントンが退場。
これまで引っ張り続けた息子の親権問題で去る事になった訳だけど、これまでピーター・ベントンは病院での立場や自分の経歴を優先しまくっていたのに、裁判で負けそうになった途端あっさり病院を辞めてしまうという決断が余りにあっさりして拍子抜け。もう少し悩んでも良さそうなのに…とは思ったけれど、あれだけ自分の仕事を優先させた人物が息子でガラッと変わってしまうのもおもしろいし、退場としては上手い。
 
 
エージェント・カーター 2

この「エージェント・カーター」はシーズン1の早い段階から「あんまりおもしろくない…」という事で、シーズン1は結構適当に見たけれど、更にシーズン2は見るべきかどうしようかで悩んだ。
しかも、シーズン2で話も中途半端に打ち切られた事を知っていたので尚更。
「まあ、別の事しながら、早送りしながらの適当なながら見で粗筋さえ分かればいいか…」という事にして見てみた。

ただ、1話目からテコ入れ感満載で、打ち切られた事を知って見ると打ち切られ感を感じてしまうシーズン・プレミア。
シーズン1ではニューヨークの戦略科学予備軍(SSR)が舞台で、1946年の町並みや衣装等結構お金かかっている感じがしたけれど、シーズン2は1話目で行き成りダニエル・スーザがロサンゼルスのSSR支局を開設したのでペギー・カーターもロサンゼルスに行ってしまう。
SSRの人々もシーズン1ではあれだけのエージェントがいたのにロサンゼルス支局は人が少なく、SSRと分からない様に偽装用に働く人も一人だけになり、シーズン1ではペギー・カーターは女性だけのアパートメントで結構人がいたのに、シーズン2ではジャービス家に厄介になったのでジャービス夫妻だけ。
これって、シーズン2になって大分制作費を減らされてしまって、1940年代を描くにしてもニューヨークよりもロサンゼルスの方がセットとかでお金がかからず、ドンドンと人減らしをして出演費を浮かしたと思ってしまったのだけれど、どうだろう?
それに、シーズン1で追い駆けていたスパイのドロシー・アンダーウッドが行き成り捕まってしまったと思ったら裏取引で釈放。しかもドロシー・アンダーウッドもロサンゼルス来るし、この皆でロサンゼルスに引っ越しは何?

ドラマの内容はつまらなく、ほぼどうでもよかったのだけれど、気になり、特筆したい事が一つだけ。
3話目「女優の秘密」でハワード・スタークが撮影していた西部劇映画が「無法者 キッド・コルト(Kid Colt Outlaw)」というコミックス原作という話が出て来たので調べてみたら、「Kid Colt Outlaw」って本当に当時タイムリィ・コミックスやアトラス・コミックスから出版されていて、その後マーベル・コミックスでも1979年まで出版されていたとは知らなかった。
ただ、ドラマ内で出ていた「Kid Colt Outlaw」のカバーはドラマオリジナルの元のコミックスでは存在しないカバーだし、そもそも「エージェント・カーター」のシーズン2は1947年が舞台だけれど、「Kid Colt Outlaw」の1巻目は1948年8月出版なので、現実とは違う事実ねつ造ではあるみたい。

その後は録画して見るのが面倒臭い程つまらなかったので録画を中止し、Dlifeのアプリで配信していたのを見ていたのだけれど、何時の間にかそれも見るのを忘れてしまい何話かを見る事無く、結局最終話を見ただけ。
最終話も特におもしろくなく、打ち切られたのもよく分かるドラマだった。

関連:SCORPION/スコーピオン
    MACGYVER/マクガイバー

キングオブコント2017

2017年10月02日 月曜日

今年の「キングオブコント2017」で一番笑ったのは、にゃんこスターだったなぁ。

にゃんこスターのアンゴラ村長と言えば、2015年に企画・構成・演出・主演・編集・ロケハン伊集院光の番組「伊集院光のてれび」で見た以来。
あの当時、アンゴラ村長はテレビ初出演で全然パッとはしていなかったのに、二年もしない内にまさかの「キングオブコント」決勝進出で驚いた。

「伊集院光のてれび」にはアンゴラ村長の他にも、メイプル超合金のカズレーザーとか、ANZEN漫才とか、今売れている人達も出演していて、伊集院光が自ら時間をかけてオーディションをしていただけあるし、伊集院光の面白い人を見抜く力が凄いと改めて感心させられてしまった。

伊集院光と言えば、まだ売れていないバイきんぐとか、たんぽぽとか、古くはアンタッチャブルとかを番組に出して、その後、その人達がガンと売れて行ったという印象があって、にゃんこスターも「キングオブコント」での跳ね方を見ると、その後に続きそうな感じがして、伊集院光は凄いなぁ…という感想になってしまった。
伊集院光がラジオで「にゃんこスターはネタがつまらなかったので、縄跳びしとけ!!」と言っていたのが、「キングオブコント」に繋がっているし。
 
 
伊集院光は凄い!という話は置いておいて、「キングオブコント」の感想だけれど、時々起こるわたしの笑いの基準が分からなくなる現象が起きた。

優勝したかまいたちは去年の首が落ちるだけのコントがおもしろくて、今回の特に二本目のネタはそれなりにはおもしろかったけれどわたしはそんなにだったのに審査員の得点が高くて「あれ?そうなんだ…」とちょっと置いておかれてしまった。

一方、勢い凄く、どんな終わり方をするのかが楽しみだったにゃんこスターは一本目でゲラゲラと大爆笑。
二本目は同じ展開でちょっと笑いは落ちたけれど、それでも爆笑。
ただ、点数は余り行かずにかまいたちの優勝と、優勝はしなかったけれど衝撃的印象を残してこれからテレビで見るだろうの予感一杯のにゃんこスターで丸く治めた感じで、「そうなんだ…」と。

にゃんこスターのネタは賛否両論らしいけれど、わたしはこういうぶっ飛んだネタは好き。
最近のネタ大会だと、「R-1ぐらんぷり2016」のハリウッドザコシショウは爆発的に笑ったしなぁ。
ただ、ぶっ飛んだ感じで言うと、「キングオブコント2011」で優勝したロバートは未だに全く笑う事が無い。
長年聞き続けていた「ナインティナインのオールナイトニッポン」からの「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で、最近やたらとロバートの秋山がゲスト出演するのだけれど、全くおもしろくなくて早送りしてしまう位。
一方で、日常の出来事を細かく見せる様な東京03とか、マツモトクラブとかも好き。
それと、今回の「キングオブコント」だと、ジャングルポケットは三人共声が大き過ぎて、そこが気になって面白い面白くないの前に笑いまで行かない。
一方で、よく「声がデカい」「うるさい」といじられるさらば青春の光の森田だけれど、さらば青春の光は面白いし、好きだったりする。
こういう傾向を今回の「キングオブコント」で感じてしまって、「わたしの笑いの基準って何なんだ?」と思ってしまった。

M-1」だと、漫才と言う、ある意味一定に形式化された枠組みの中での競い合いなので審査員の点数や面白い面白くないもある程度納得出来るのに、「キングオブコント」とか「R-1」だと皆がバラバラなので、今回のにゃんこスターの様に方向性が違うと判断基準が何なのか分かり難いし、その細かい審査基準を審査員達は気を使って決して詳しく解説しないので、「このコンビのうけ方だと、もっと高得点じゃないの?」とか、「そんなにうけていないのに何で点数高いの?」とか思う前に、わたしの笑いの基準って、何処で線引きされ、どの方向性向いているのとかが分からなくなってしまい、直感的に面白い面白くないと判断出来る以外の笑いに対して「面白いのか?面白くないのか?」と躊躇してしまい、素直に楽しめば良いのに何か面倒臭い事になってしまっている事を自覚させられてしまって面倒臭い。

白に変えてみた

2017年09月01日 金曜日

これまで服装等、お洒落なんて面倒臭いので、ずっと黒色の服ばかり着ていた。

しかし、この夏に急に黒色の服を止めて、白色の服にしてみた。
特に理由も無く、何が切っ掛けなのかも自分自身でも分からないまま、急に思い立ったので変更。
特に自身の気持ちの変化も無く、白色だと乳首の浮きが気になるので乳首にシールやテープ張って隠さない…の気持ちばかり。

椿三十郎

2017年08月14日 月曜日

黒澤明監督・脚本・編集、三船敏郎主演の1962年の映画「椿三十郎」。

とある藩の若侍達九人が古い神社の中で密談をしていた。
家老の汚職を知ったので城代家老に訴え出たが相手にされず、大目付に話してみると対処してくれるとの返答を得たと言う。
神社の奥で寝ていた一人の浪人がその話を聞き、その大目付こそが危ないと言って来た。
若侍達は反発するが、何時の間にか周囲をその大目付の部下達が囲んでいた。
浪人が若侍達を逃し、浪人が若侍達を率いて彼らの窮地と藩の危機を何とかしようとし始めた。

映画「用心棒」で三船敏郎演じる浪人が自分の名前を尋ねられ、外の桑畑を見て「桑畑三十郎」と答えたけれど、この「椿三十郎」では同じく名前を尋ねられた時に隣の屋敷の椿の花を見て「椿三十郎」と答え、「用心棒」と「椿三十郎」の三船敏郎は同一人物で「椿三十郎」が続編ではないのか?と思わせる続編的映画。
この、はっきりはしないけれど「同一人物じゃあないの…?」と思わせる位のほんの少しの関連性だけという設定からして、ニヤニヤしながら見れてしまう楽しい映画。
映画本編も実に楽しい。

「用心棒」と同じく三船敏郎の先見越しと、どんな窮地でも機知で乗り切ってしまう楽しさが一杯。
たった十人で大勢の藩の侍を相手にしなくてはならず、どうやって敵の意識を逸らすかや、起こってしまった問題をその場の機知でどう乗り切るかのおもしろさったらない。
この裏をかく、やり込めるの作戦が「用心棒」よりも次々と展開し、より痛快さを増している。
話も「用心棒」では小さな宿場町の対立するヤクザ相手だったのが、この「椿三十郎」では藩の権力者と大勢の侍と規模が大きくなり、娯楽作として更に増している。
また上手いのは、「用心棒」は小さな範囲だけの話で、これはこれで非常におもしろいけれど、続編となると似た様な設定では駄目だと全く違うお家騒動という大きな話にしている事。
同じだと思われる主人公の続編で、これだけ雰囲気をガラッと違う映画にしたのは見事。

剣劇場面も三船敏郎の一瞬で数人を切り殺すという「用心棒」からの殺陣は引き続きあり、更には数十人を一人で叩き切る場面もありと、チャンバラ映画としても非常におもしろい。

それにやっぱり各役が濃い。
三船敏郎は当然濃い、濃過ぎる主人公でカッコ良過ぎ。
ただ、「用心棒」程の可愛らしさは無かったかな?
「用心棒」を見た後なら金欲しさや騒ぎを起こして血沸き肉躍るワクワク感を楽しんでいる部分がありつつもこの浪人が良い人と分かっているので行動や動機も分かるけれど、この映画だけだと単に物凄い良い人というだけで、何の為にここまでしているのかがいまいち見えて来ない。

仲代達矢は「用心棒」とは違う落ち着きと悪さを前面に出した侍で、更に目力が凄い事になっている。
見た目は違うけれど「用心棒」と同じく役柄的に三船敏郎に興味を持っていたり、三船敏郎を自分と似た者と感じていながらも自分の方が上という野心家という役で、物凄い既視感を感じる役でもある。

その他にも所々で顔を出す捕まった侍の小林桂樹とか、物凄くほのぼのして非常にコメディリリーフとして一気に雰囲気を変えてしまうけれど家老の妻として冷静に現状を把握していたりする城代家老の奥さんの入江たか子とか、まあ脇が濃い。

ただ、本来ならもっと役が立って前に出て来るはずの九人の若侍が弱い。
若侍達がまだ若手の役者という事もあってか演技は上手くないし、序盤はそこそこ前にも出て来るけれど、常にする事成す事アホ丸出しで余計な事しかせず、終盤になると完全に仲代達矢に喰われてしまい「そう言えばいたっけ」状態な程。
加山雄三と田中邦衛の言い合いなんて完全に「若大将シリーズ」だし、同じく「若大将シリーズ」で若大将の友人であり、後に若大将の妹と結婚する江口役でお馴染み江原達怡も出ていて完全に「若大将シリーズ」なのでそこで楽しんでしまったけれど、本来主人公である加山雄三の存在がドンドン薄くなり、目立つのは加山雄三と田中邦衛と映画「ゴジラ」の芹沢博士役でお馴染み平田昭彦位だけで、他の若侍の存在感の薄さは何だかなぁ。

他にも、展開も「用心棒」では三船敏郎の考えは完璧じゃあないし、強くはあるものの無敵でもなかったけれど、「椿三十郎」では常に三船敏郎の考えは上手く行き、若侍達がそれを台無しにするという展開だし、この映画での三船敏郎はほぼ無敵なのも娯楽色が強くなっていると言えばそうだけれど、上手い事行き過ぎな感もある。
特に三船敏郎が無傷で数十人を切って行くのは興奮する場面ではあるけれどちょっとやり過ぎ。
それに最後の仲代達矢との決闘は物凄い間を取って緊張感と一瞬の爆発力は凄いけれど、妙に二人の間合いが近くて映像の構図の為の距離感に思えたし、あの噴水の様な血飛沫はやり過ぎでコント染みてしまっているし。
この最後の場面も本編中で三船敏郎と仲代達矢との一対一の決闘場面が無かったのでの付け足した感もあるし。

この映画、あの傑作「用心棒」の三船敏郎がもう一度見れるという部分や、その「用心棒」とは雰囲気も方向性も全然違う続編という部分や、痛快娯楽時代劇としては抜群におもしろい。
ただ、若侍達の存在の弱さや上手い事行き過ぎな感じとか、「用心棒」の妙な殺伐さやハードボイルド感が無くて、展開に力を取られ過ぎな感じもある。
だけれどおもしろい映画には変わりない。

☆☆☆☆☆
 
 
関連:用心棒