アメリカン・スナイパー

2018年05月01日 火曜日

クリント・イーストウッド製作・監督、ブラッドリー・クーパー主演の2014年のアメリカ映画「アメリカン・スナイパーAmerican Sniper)」。
実在した軍人クリス・カイルの自伝「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」が原作。

クリス・カイルはアメリカ大使館へのテロを見てシールズへ入隊。
イラク侵攻で出兵し、凄腕の狙撃兵として「伝説」とまで呼ばれる存在となった。
しかし、アメリカに帰国するとPTSDが徐々に現れ始めていた。

この映画が「愛国映画」とも「反戦映画」とも言われている様で、確かにどちらとも見れる映画になっているんだけれど、それを主人公が何を考えて行動しているのかをはっきり見せないという見せ方で描いているので映画としては終始掴み所が無いままで終わってしまった。

主人公は初めの戦闘で子供を撃ち殺す事になってもその後大して悩まず、狙撃する為に銃を構えつつアメリカの妻と電話で楽しく会話していたりと、初めの時点でこの主人公は元々何かが欠けているサイコパスな人間に見えてしまい、その時点で戦争や帰還兵の問題や苦悩を描く映画の主人公としては付いて行けず。

そもそもこの主人公が何故シールズに入ってまで戦争に拘ったのかがよく分からず、全然話が入って来ない。
父親の教えで保守的な考えが元からあったのは分かるし、その後30歳までロデオをしていてテレビでテロを見て入隊する事を志願するのだけれど、担当士官に挑発的に言われたからシールズに入隊したという自分の意思の無さなのに、何故かシールズでの厳しい訓練に耐えているし、実際の戦闘でも文句一つ言わずに戦っている。
これって、アメリカのマッチョイズム的保守的考えの元で育った人間の意思の無さをいじっているのだろうか?
主人公が子供の時に父親から銃の使い方を習い、その経験があって凄腕の狙撃手になったけれどPTSDで壊れてしまったのにも関わらず主人公の息子にも銃を教えている姿を描いてもいるし。

この掴み所が無く、何を考えているのか見えて来ない主人公だけれど、実際のクリス・カイルを調べてみると映画とは結構違う。
実際のクリス・カイルは元々子供の時から軍人が将来の希望であったらしく、高校卒業後にロデオのプロとなったけれど怪我で諦めて、大学を中退して入隊。
それも特殊部隊を希望していたけれど条件が合わずにシールズへと入っており、この人物だと何故シールズへ入ったのかの理由が分かる。
劇中で主人公が戦う理由として「神、国家、家族」と言ってはいるけれど、主人公は肌身離さず聖書を持ってはいるけれど聖書を読まず、国の為とは言っているけれどその動機がいまいち分からず段々と仲間の為となり、妻との関係はドンドンと悪くなって行き…と、信念がある様で無い様でという分かり難い人物として描き、何処を見ているのか分からない虚ろな人物にしたという事はそこが見せたい部分でもあったのだろうけれど、こういう人物を見てもやっぱり話を引っ張る人物としては捕まれない。

それにこの映画の戦闘場面が結構酷い。
序盤は緊迫する狙撃場面が多く、中々おもしろかったけれど、敵の虐殺者という分かり易い中ボスを出して、虐殺者が親の前で子供の頭をドリルでくり貫いて殺して親も殺してしまうというわざわざ陰惨過ぎる場面を見せておきながら、主人公が虐殺者を倒したのも何だかすっきりとしない感じで終わらせてしまい、非常に映画的な虐殺者という分かり易い悪役出しておいてこれだけ?というガッカリ感。
虐殺者という悪を出すけれど、虐殺者に殺されそうな人々を主人公は助け出そうともしないし、悪と善という対比でもなく、悪と善の曖昧さを見せる訳でもなく、絶対的悪は存在するけれど善は曖昧という事なんだろうか?ここら辺は中途半端な感じで、アメリカの保守層向けへの善悪の曖昧さにしなかったのだろうか?

それになにより凄腕狙撃兵の主人公に対し、敵にも凄腕狙撃者ムスタファという、これまたB級アクション映画的な分かり易いライバル悪役を出して来るのだけれど、こんな敵を出せば最終的に主人公との対決になるのは見え見えで、こんな展開安っぽ過ぎる。

そして最後の主人公とムスタファの対決になるんだけれど、ここが一番酷かった。
主人公達は敵の掌握地帯の建物に陣を構えるのだけれど、建物の周囲はあれだけ敵兵が囲んでいたのに建物にやって来た時は装甲車で大きな音立てて乗り付け、敵に全く気付かれずに建物を掌握しており、まあ都合の良過ぎる入り。
主人公部隊の目的は狙撃兵の排除なのに部隊長は主人公に周りに敵が多過ぎ気付かれるので仕切りに撃つなと言うけれど、じゃああんた達は何しに来たの?だし、撃ったら敵がワラワラと湧いて来るけれど、何でそんな所に陣取っているの?だし、この場所取りはその後の展開の為だけの都合よさったらない。
主人公が銃を構えて待っていると敵の銃撃が真後ろからだと気付いて「しまった!」となるけれど、これってムスタファがアメリカ軍が掌握しているはずの地帯にこっそり忍び込んでいて壁を立てている部隊の真後ろを取ったというムスタファの凄さを表していて、アメリカ軍が間抜けだったという事なの?後ろだと気付いた時は、その間抜けさに笑ってしまったし、これも何か都合がいいだけの様な気もするし。
で、主人公がムスタファの位置を把握するのだけれど、それが何かの光の反射のキラキラ。
これって、わたしの映画やゲームからの知識だとスナイパー・ライフルのスコープの太陽の反射光だと思うのだけれど、ムスタファは銃をほとんど動かしていないのやたらとキラキラ反射しているのは何で?だし、そもそもムスタファと壁を建てている部隊の位置と主人公の位置的に主人公にはスコープの正面近くは見えないんじゃないの?
主人公がムスタファに向けて銃を撃つのだけれど、撃った瞬間に銃弾視点でスローモーションになる馬鹿馬鹿しさ。
この演出ってゲームだと結構あって、そこが盛り上がる部分だけれど、この映画では単なるやり過ぎ。製作側の悪乗りでしなかった。
主人公が銃を撃つと敵がワラワラ湧いて来るのだけれど、これがゾンビ映画や映画「スターシップ・トゥルーパーズ」のバグの攻撃みたいになり、あれだけの数の敵の撃つ銃弾は主人公部隊の仲間には全く当たらず、逆に主人公部隊の銃撃は綺麗に敵に当たって次々と敵を倒して行くとか、これまた安っぽいB級アクション映画になる。
最後も主人公が一人取り残されて回収車に乗れないという展開になるけれど、これも主人公が乗り遅れて敵に殺されるなんて展開になる訳ないのは分かるので、しょっぱい演出。
この一連の場面の安っぽさ、悪乗り感ったらない。
この場面って、本当にクリント・イーストウッドが監督したんだろうか?まるで若手の助監督辺りに、「まあやってみな。」でやらせたら、馬鹿馬鹿しいB級アクション映画になってしまったけれど、どうしようもなくなってそのまま残した感があるんだけれど。

その後は主人公が退役したらPTSDが発症して悩む展開になるんだけれど、全体的に戦闘場面の方が多く、主人公の帰国での違和感のそれまでの振りが物足りずPTSDの問題が結構急で、傷痍軍人達と交流したら突然PTSDが治まり良き父親になるとか、帰還兵の悩みの描きが物凄くお座なり。特に終盤の帰国後の展開は取って付けた様な描きの薄さ。

この映画、戦争を描いているけれど主張はあえて曖昧なままで、そこでは興味深いけれど、主人公目線で見ていても何を感じているのかが見えて来ないので話が入って来ないし、戦争部分は急に1980~1990年代に粗製乱造された安っぽいB級アクション映画みたいになって白けてしまい、そこでも捕まれず仕舞で、結局おもしろくない映画だった。

☆☆☆★★

オール・ユー・ニード・イズ・キル

2018年04月22日 日曜日

ダグ・リーマン監督、トム・クルーズ主演の2014年のアメリカ映画「オール・ユー・ニード・イズ・キルEdge of Tomorrow)」
日本のライトノベル「All You Need Is Kill」が原作。

宇宙から謎の生命体が地球に侵略。地球人はそれらを「ギタイ(Mimics)」と呼び、統合防衛軍を築き戦っていたが劣勢だった。
アメリカ軍の広報担当官ウィリアム・ケイジ少佐は将軍から前線での取材を命じられたが嫌だったので将軍を脅して回避しようとするが将軍の怒りを買って二等兵として戦場に出されてしまった。
ウィリアム・ケイジはパワードスーツを装着し戦場に出るが、ギタイによって殺されてしまった。
しかし、目の覚めたウィリアム・ケイジは出撃前の軍基地に到着した時点に戻っている事に気づく。
ウィリアム・ケイジは何度も基地に到着し、出撃を繰り返し死亡すると再び以前に戻るという体験を繰り返していた。
その中で戦場で出会ったリタ・ヴラタスキを助けると、彼女は「戻ったら自分に会え」と言う。

所謂「タイムループ」「ループもの」と言われる話。
ただ良くあるこの類だと、その何度も繰り返される時から逃れようとするけれど、この映画では逃れる訳ではなく、何度も繰り返す事によって戦闘で鍛えらえ、敵の行動を何度も見る事によって敵の先を読んで活躍するという、正にテレビゲームで何度も繰り返してクリアして行くのをやっている。
しかも、初めは難しいアクションゲームを何度もやり直して敵の出現や行動パターンを知って、それに対処する事によって先に進んで行くという所から、実は何処かにいるボスを倒すのが目的だと分かり、ゲームの「ヒットマン」の様に幾つもある侵入方法と幾つもある手法からどれを選んで行動して行くかをオープンワールドでやっている様な展開になり、この拡張は非常に上手い。

この展開が非常に上手く、物語が二転三転しながら、主人公が何度も試しながら正解を見つけ出して行くのは非常にワクワク感と興奮があり、惹きつけられたまま一気に見せた。

ただ、この序盤から終盤までの展開が上手い分、その他の設定や結末がまあ展開の為に都合が良過ぎ、何じゃそりゃ…感で萎える萎える。
そもそもトム・クルーズはどう見ても50前のいいおっさんで、広報官として結構有名という設定があるにも関わらず、新兵としてやって来て、速攻で戦場に駆り出されるとか、まあ現実味が無い。
まだ、周りにもおっさんなのに徴兵されて文句を言っていたり、恐怖に震える人がいたならトム・クルーズも違和感が無いし、むしろこの強引な導入ではなく、初めから若い新兵が主人公ならすんなり入って行けるのに。
多分、この企画でトム・クルーズを配役してしまったからの強引な導入なんだろう。

で、戦闘になるけれど、兵士が装備しているパワードスーツも非常に微妙。
てっきりこのパワードスーツによって兵士達の戦闘能力が飛躍的に上がると思っていたら、兵士達はパワードスーツ無しで走る方が速そうで、ドタドタ走っているので敵の攻撃を避け切れずにあっさりと次々と死んでしまうし、敵の動きが尋常じゃなく速過ぎるので、このパワードスーツは素早さを削いで防御力が高いのかと思いきや、パワードスーツと言っても外骨格程度しかない体が見え見えなので敵に簡単にやられるし、パワードスーツを何の為に着けているのかが分からない。
パワードスーツを兵士一人に一体だと制作費が相当かかるし、兵士がパワードスーツを使いこなせる為に訓練も必要だろうし、それなのにあっさりやられ過ぎで効率悪すぎだろう。
こんな無駄なパワードスーツを作るくらいなら無人兵器を大量に作れば良いじゃん…と思ってしまった。
パワードスーツが無駄だな…と思っていたら、トム・クルーズとリタ・ヴラタスキはパワードスーツの補助によって跳んで跳ねての超人的動きをしていて、一般兵士がパワードスーツを全く使いこなせていないだけだと分かって更にこのパワードスーツの無駄感が倍増。

で、トム・クルーズがタイムループを行う様になるのだけれど、その理由が、「敵は時間を操る力を持っており、大量にいる敵の中で数十万体に一体だけいる希少個体アルファが死亡すると全ての個体に指令を与えている中枢であるオメガが時を戻しアルファの死亡前に時を戻すのだが、ウィリアム・ケイジがアルファの血を浴びて死亡したから」。
いや、何のこっちゃ?
これはSFなのか?
敵は火の玉を吐き出すか、物理的にしか攻撃して来ない、脅威ではあるけれど大分原始的な攻撃をするのに、どういう原理なのかも全く見せない時間を操る設定は、この物語を展開させるだけの都合の良過ぎる設定。
しかも、アルファの血を浴びたら全く別生物の地球人の時間が戻るとか、これも物語を展開させるだけの都合の良過ぎる設定。

それに何故アルファが少ないのか?何故アルファだけが特殊である必要があるのか?という理由も敵の戦略や侵攻からも全く見えないので別に全部アルファでいいじゃん…と思ってしまったし、そんな大事なアルファが他の雑魚と同じく最前線に出て来るので、アルファはやられて情報収集をする役目なのかな?とも思ったけれど、それだったらもっと数が多い方がいいだろうし、アルファの血を浴びたら時間を戻す力が相手に移る仕様は余りに間抜け過ぎるし、オメガを破壊すると全敵が機能停止するという仕様も余りに間抜け過ぎだし、そもそも地球侵攻時には何処でオメガが指令を出して、あれだけ巨大なオメガが地球に移動して来ても気づかないのか?というものあるし、宇宙空間からでかいオメガが移動して来ている時に攻撃受けたらそこで侵略終了になってしまうし、終始敵の設定で穴ばかりを感じたし、展開される為だけの都合の良さしかなかったんだけれど。

都合の良さの極めつけは結末。
オメガを破壊したら大分前に戻ったのにオメガは破壊されたままとか、ハッピーエンドにする為のだけの強引過ぎる展開に白けまくった。
別にトム・クルーズが犠牲になって終わりでも良かったじゃん。

そうなると物凄く「マトリックス」感が出るか。
この映画、終盤になると急にマトリックスっぽくなった。
そもそもギタイがセンチネルズっぽいのがあったけれど、パワードスーツに両腕マシンガンでギタイを打ち落とすのは「マトリックス レボリューションズ」の既視感があったし、最後のオメガは「マトリックス レボリューションズ」でのデウス・エクス・マキナとの取引と破壊の違いはあるけれど、主人公の自己犠牲であれだけの戦争が一気に終結してしまうとか。

あと気になったのは、タイムループで死に続ける話なのに、そこの演出が結構薄い事。
何度も同じ出来事の繰り返しなのに、それを描くのは初めの数回だけで、後は繰り返しをすっ飛ばして新たな展開を見せて行く。
その分、話の展開が早くて次々に新たな展開を見せ続けて飽きは来ないけれど、何度も繰り返さるを得ない面倒臭さや苦悩が薄くて、トム・クルーズの人物が薄く見えてしまった。
まあ、トム・クルーズって、何時も賢い役をしても賢く見えず、そこはかとないアホの子感で溢れているからかもしれないけれど。

この映画、確かに展開は抜群におもしろい。
繰り返される時間から徐々に理解しながら様々な方向に話が展開して行く上手さで飽きさせないけれど、設定とかがご都合主義過ぎて萎えたし白けた。
展開の為に強引でも存在する設定は全く好きじゃない。

☆☆☆★★

フラッシュフォワード

2018年04月03日 火曜日

アメリカでは2009~2010年にABCで放送されたテレビドラマ「フラッシュフォワード(FlashForward)」。
ロバート・J・ソウヤーのSF小説「フラッシュフォワード」が原作。

ある日、世界中の人々が突然意識を失い倒れた。
その間に自動車事故や航空機事故等が多発し、世界は得体の知れない同時ブラックアウトに混乱していた。
人々がその謎の意識喪失を調べて行くと全員が同じ時刻から2分17秒間意識を失っていた事が分かり、更にその意識不明の間には半年後の自分を見ていたフラッシュフォワードが起こっていた事が分かった。
FBI捜査官のマーク・ベンフォードは意識不明中に自分がそのブラックアウトの原因を探って捜査をしているフラッシュフォワードを見た事により、FBIでのブラックアウト事件の捜査を任される事となった。

以前から何かでこのドラマの粗筋を見ておもしろそうと思っていて、何で見られるのかな?と調べてみたら、わたしがDlifeを知る前にDlifeで「フラッシュフォワード」の放送が終わっていて、何時か再放送しないかな?と思っていたら、突然Dlifeの配信限定で配信されていたので見てみた。

謎のブラックアウトが起こっただけでなく、そのブラックアウト中に未来らしきモノを見るという導入からおもしろさ一杯。
そのフラッシュフォワードの中でマーク・ベンフォードが捜査しているブラックアウトの情報を思い出しながらブラックアウトを捜査して行くという展開で、次々と出されるマーク・ベンフォードが見た繋がりがあるのか分からない捜査情報がブラックアウトの原因に繋がり始め、登場した人物達がブラックアウトの原因に繋がり始める展開とかワクワクしっぱなし。
ただ、わたしも事前にシーズン1で打ち切りだと知っていたけれど、中盤から終盤にかけて、「これ、謎が明かされないままで何もまとまらないんだろうなぁ…?」という感じが急にし始めたのだけれど、それが予想が的中。
全てが解決せぬまま、全てを投げっ放しで終わってしまい、正直酷いドラマだった。

1話目は流石に抜群の引き。
謎だらけで始まり、最後にはブラックアウト中に一人だけ動いている人を登場させて、こんな始まりだと次が見たくてしょうがなくなるじゃん。
ただ、始まりで事故を見せてから四時間前のマーク・ベンフォードの幸せな普段の朝を見せるという展開や演出が余りに典型と言うか、在り来たり過ぎて、大丈夫?とは思ったけれど、このドラマの監督・脚本が相当評判が悪かった映画「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」の製作総指揮・脚本だったデヴィッド・S・ゴイヤーだからなのかと思ったり思わなかったり。

ただ、その後の展開はFBIを中心としたブラックアウト事件の捜査が証拠らしき細かな事物を見付けて徐々に全体像に迫って行くのは抜群におもしろいのに、各個人の問題に移ると途端に流れが急停止してしまい退屈と感じてしまう。
ロイド・シムコーとマーク・ベンフォードの妻のオリヴィアの話も結構だるいし、ブライス・ヴァーレイのフラッシュフォワードの話も、もしかしてシーズン2以降で何か重大な展開に繋がる予定だったのかもしれないけれど、見ていても全くいならい話だったし、話数がフルシーズンの全22話だからの間延び間があった。

9話「ケイコ」では、ブライス・ヴァーレイが見たフラッシュフォワードの中の日本人女性ケイコ役で竹内結子が登場。
話自体はそんなモノか…という感じではあるのだけれど、この回は日本が舞台で本当の日本を知っていると、このアメリカ感一杯の偽物日本にどうしても引っ掛かってしまう。
小さな寿司レストランと言っていたはずなのに、その店は広々としていて、厨房の前に「ラーメン」と堂々と書かれた暖簾がかかっている中国料理店だったり、竹内結子の家は鍵も付いていない開き戸を開けたら直ぐに仕切りの無い居間や台所がある日本では珍し過ぎる古めの日本家屋とか、古い家屋のある住宅街なのに家の前に自動車が路上駐車しまくっている日本では余り見かけないアメリカの都市部っぽい町並みとか、まあ彼方此方日本っぽくなく、如何にもアメリカの美術担当が作りましたなモノばかり。
この回で一番不思議だったのは吹き替え。
竹内結子と会社の同僚と刺青屋だけは演じている人そのままの声なのに、それ以外の日本人は皆吹き替えになっていた。
字幕版だと皆日本語で喋っているのに、何で吹き替え版だと一部の人は吹き替えだったのだろう?
あと、吹き替え版だとブライス・ヴァーレイが日本語の練習をしている部分が英語の台詞も日本語の台詞も日本語なので、日本語の練習だと分かり難い。
他のドラマもそうだけれど吹き替え版で日本語喋る人物出て来ると訳が分からない事になるよなぁ。

笑ってしまったのは11話「ゼロの実体・前編」。
全22話の丁度真ん中になるこの回では、以前から出ていたマーク・ベンフォードの見たフラッシュフォワードは酒を飲んでいたので途切れている部分あり、その部分を思い出すという、今までのマーク・ベンフォードが見たフラッシュフォワードだけではこれ以降の展開では足りないから付け足しを行なっている感じに製作側の都合感が感じられてニヤニヤしてしまった。

この前後編は結構おもしろかったのだけれど、12話「ゼロの実体・後編」の方は物凄い疑問があった。
ロイド・シムコーとサイモン・キャンポスが何者かに拉致されるのだけれど、次の13話「孤独な戦い」でもFBIはロイド・シムコーとサイモン・キャンポスに拉致した犯人を聞き出すとかせず、一切調査しない事。
2人は犯人の顔を見ているのだから容姿を聞き出し似顔絵製作とかするのが普通の捜査だと思うけれど、それは一切やらずにマーク・ベンフォードとロイド・シムコーがロイド・シムコーのフラッシュフォワードでグダグダ揉めているだけ。
犯人捜査しないのは何故?
たぶん捜査してしまうとサイモン・キャンポスに繋がってしまい、ドラマの展開上問題が出て来るからだと思うけれど。
13話「孤独な戦い」では、戦争で死んだはずの娘が生きているフラッシュフォワードを見たマーク・ベンフォードの友人のアーロン・スタークはこれまで大した展開も無いので、アーロン・スタークの話は娘との再会と自分の人生の再生が描かれ、感動の話になるのかな?と思っていたら、傭兵会社の陰謀話が展開し、アーロン・スタークが誘拐された娘を奪い返す為なら何でもするという「24」のジャック・バウワーや「96時間」のリーアム・ニーソンみたいな展開に突然なって、意外性と急展開に笑ってしまった。

で、終盤に行くと、ブラックアウトの原因はビックバンの再現の実験で出た超光速粒子タキオンのせいで地球上の人々の意識だけが未来に移動したとか、宇宙意志が人間の人生を修正するとか、最早SFではなくファンタジーとかオカルトじみて来てしまい、ドンドンと興味が失われてしまった。
最終回では、次のブラックアウトの時期を導き出す方法がマーク・ベンフォードの捜査ボードに貼ってある紐を留めているピンの文字を順番に追って行くと日付と時間が出るとか、もうポカーン…。
これって今までの捜査とは関係無いし、神様のお導き?宇宙意志のお導きって事なの?

最終回はこれだけでなく、他も大分酷く、マーク・ベンフォードが見たフラッシュフォワードでは自分は禁酒していたはずなのに酒を飲んでいる事をマーク・ベンフォードはあれだけ気にして、その未来を実現しないようにしていたはずなのに、捜査が上手く行かないという理由だけで道端で偶然出会った男性が何故か酒の入ったスキットルを渡して来たので飲んじゃうとか、マーク・ベンフォードの妻のオリヴィアも見たフラッシュフォワードをあれだけ避けようとしていたのにロイド・シムコーのよく分からない説得であっさり言う事を聞いてしまうし、ブライス・ヴァーレイもニコール・カービーとくっ付いたはずなのにケイコへの身代わりが早過ぎるし、ニコール・カービーの謎のフラッシュフォワードも実は助けてくれたのでした…というしょうも無さだし、この回でのみんなの心変わりの早さに全然付いて行けなかったし、最終回で一応はシーズン1をまとめようとする急展開の取って付けた感が物凄かった。

そして最終回でのあからさまなシーズン2をやる気満々は、打ち切りだと知って見ると怒りではなく呆れて笑ってしまった。
フラッシュフォワードの未来になった時点から十数分後に次のブラックアウトが起こるとか、まあ題名が「フラッシュフォワード」でフラッシュフォワードが題材上、次のシーズンでもフラッシュフォワードで引っ張らないといけないのは分かるけれど、速攻でブラックアウトが起こりフラッシュフォワードでシーズン2の予告を少し見せるとか、フラッシュフォワードやり過ぎ。
このドラマが打ち切りにならなかったらシーズン2の最終話でもブラックアウトを起こし、シーズン3の最終話でもブラックアウトを起こし、シーズン4でも…と何度もするつもりだったのだろうか?
シーズン3辺りではシーズン中盤辺りでブラックアウトを起こし、シーズン4では個人に未来を見せる技術を確保して数回に一回はフラッシュフォワードを見ながら捜査して行くという展開になりそうだけれど…。

まあ、最終回では新たに出て来た軍事企業やら、ビッグガイもただの駒だったとか、サイモン・キャンポスの反撃とか、伏線と言う伏線を見事にほったらかしのまま終わってしまい、何も解決せず打ち切りなので、これだと見ない方がよかった…かな?

気になったのは、このドラマの放送時期とドラマ内の時間が微妙にずれている事。
1話目のドラマ内でブラックアウトが起こったのは太平洋標準時2009年10月6日。
ブラックアウト中に見た未来は2010年4月29日。
このドラマの1話目の放送日は2009年9月24日で、全22話で22話目の放送が2010年5月27日。
多分、始めから放送時期は決まっていたのだろうから、それに合わせた日付にすれば面白味も増しただろうに。
このドラマの放送日を見ていたら、それまで毎週放送していたのに9話「ケイコ」の放送日が2009年11月19日。10話の「A561984」が2009年12月3日で、次の11話「ゼロの実体・前編」が2010年3月18日と、物凄く変則的な放送で、10話から11話の間は三ヶ月以上も休止期間があったみたい。
この謎で引っ張る展開で三ヶ月以上も放送が無いのはキツイよなぁ…。
視聴者数も、

1話 1247万人
2話 1075万人
3話 905万人
4話 907万人
5話 988万人
6話 897万人
7話 857万人
8話 828万人
9話 798万人
10話 707万人
11話 661万人

22話 496万人

と10話辺りから転げ落ちる様に減って行ったし、確かに内容的にも問題ありだったのかもしれないけれど、放送日の問題が大きかったよう。
こんな変則的で長い休止期間が無ければ、視聴者数は600~700前後で推移したままで終わってシーズン2も作られ、シーズン2で打ち切りになっても何とかまとめて、ある程度納得行く結末で終わったんじゃないかと思うと物凄く残念。

流石に2009~2010年の打ち切りドラマが再開するはずもなく、中途半端過ぎるこのドラマは結構おもしろいけれど、絶対に誰かに勧める事の無いドラマ。
 
 
関連:前期見たドラマはCSI10かな?

マーベル インヒューマンズ

2018年04月02日 月曜日

アメリカでは2017年にABCで放送されたテレビドラマ「マーベル インヒューマンズ(Inhumans)」。
日本ではDlifeで2018年3月から放送開始。

マーベル・シネマティック・ユニバースのドラマで、元々は映画として企画されていたのが、1・2話目はIMAXシアターでの公開後、テレビで1話から放送された特殊な形態。
インヒューマンズという種族は同じABCで放送されているマーベル・シネマティック・ユニバースのドラマ「エージェント・オブ・シールド」で登場し、「エージェント・オブ・シールド」のシーズン4終了後にこの「インヒューマンズ」が開始されており、一応「エージェント・オブ・シールド」のスピンオフという扱いになるのかしらん?
 
 
数千年前に宇宙種族のクリー人の一部が地球で自分達の兵士を作り出す目的で地球人を遺伝子改造し、特殊能力を持つ種族が誕生した。
その遺伝子を持った人類はインヒューマンズと呼ばれ、現代でもその遺伝子を持ったインヒューマンズ達の子孫が後天的に特殊能力を持つ可能性を与えるテリジェン・クリスタルによって特殊能力が発現し始めていた(「エージェント・オブ・シールド」での出来事)

遥か昔に安住の地を求めて月の裏側に移住したインヒューマンズ達はアティランという都市で地球人達から隠れて暮らしていた。
アティランではインヒューマンズの王ブラックボルトを頂点としたロイヤルファミリーが支配していたが、土地が狭かった為にテリジェン・クリスタルから出るテリジェン・ミストを浴びても能力が発現しない国民を地下で労働させていた。
ブラックボルトの弟マクシマスも能力が発現せず、ブラックボルトの消極的な統治に不満を抱き反乱を起こした。
ロイヤルファミリー達は地球へと逃げ延びたがマクシマスは追手を差し向けていた。

コミックスのインヒューマンズはわたしもよく分かっていない三軍・四軍的マイナー種族で、特殊な能力を持ったチームと言えば、先天的ならX-MEN。後天的ならファンタスティック・フォーという、マーベルの一軍のメジャーチームがいるのだけれど、実写映画ではマーベルでもこのX-MENとファンタスティック・フォーを扱えないという事情がある。
現在はマーベル・スタジオズが先導してアベンジャーズ系映画のマーベル・シネマティック・ユニバースを絶好調で展開させているけれど、まだマーベル・スタジオズが無かった昔にX-MENやファンタスティック・フォーの映像化権を売り出し、それを結局購入したのが20世紀フォックスで、20世紀フォックスが製作してシリーズ化。
そのためマーベルであってもX-MENとファンタスティック・フォーはマーベル・シネマティック・ユニバースには登場させられないという状況に陥ってしまった(2018年にマーベルの親会社のディズニーが20世紀フォックスを買収するという一大事が起きて、今後のX-MENとファンタスティック・フォーがどうなるかは分からない事態になっている)

で、X-MENとファンタスティック・フォーが使えないマーベルが取った行動が、インヒューマンズをX-MENとファンタスティック・フォーの替わりに使っちゃおうという戦略。
「エージェント・オブ・シールド」は元々ヒドラとの戦いだったのが、シーズン2から出て来たインヒューマンズが物語の中心となり、それも今まで宇宙人はいるけれど超能力等は無いという方向性から舵を切り、インヒューマンズをABC系のドラマの中心に置いた。
更に内容的にもインヒューマンズ達は突然発現した特殊能力を制御出来ずに危険な存在なので保護するべきだ!の云々かんぬんはX-MENだし、インヒューマンズを作り出したクリー人とかの宇宙系の話も導入出来るのでファンタスティック・フォーの替わりになるしで、突然今までにない日の目を浴び始めたインヒューマンズ。

その突如ABC系ドラマの主役級を背負わされたインヒューマンズの、ブラックボルトを中心とするコミックスでの本来のインヒューマンズ達を扱ったドラマなんだけれど、これが「エージェント・オブ・シールド」みたいに「つまらない!」といきり立つ程でもなく、ダラダラと興味無い話が続くだけのおもしろくはないドラマになってしまっている。

このドラマの一番の問題は、話の主人公となるロイヤルファミリー達は本来なら視聴者が共感したり、応援出来る様なヒーローや追われる者として描かないといけないのに、見ていても悪者にしか思えず、話の中心となるには非常に弱い事。
そもそも描きたい善悪の対立の構図が完全に逆転しているという、何を考えて作ったのか分からない設定。
月面の都市の土地が狭いのでロイヤルファミリーを頂点とする支配者層は特殊な能力を持たない人々を地下で強制労働させ、能力を持つ者が多数を支配し、ほんの数人のロイヤルファミリーが全権力を握っているという完全な身分社会・階層社会で、その社会を維持したいのかどうかも分からない、ただ黙って待っている王ブラックボルトと、元々は下層階級だった妻のメデューサやその妹のクリスタル等のロイヤルファミリー側と、インヒューマンズの王族なのに自分は特殊な能力が発現しなかった事で負い目を感じながら現状を打破する為に強引な方法ではあるけれども能力を持たない人々を解放しようとしているマクシマスという対比を描いてしまったら、感情移入したり、良いモンに感じてしまうのはマクシマスの方じゃん。
マーベル・シネマティック・ユニバースでは現実の世界よりも遥かに科学技術が進んでいる中で、それよりも高い科学技術を持っている様子のインヒューマンズが領土も広げられない間抜けさもあるけれど、民主主義の現代国家に慣れた視聴者側から見たら、職業選択の無い身分社会を黙るだけで維持しようとするブラックボルトはヒーローには見えないでしょ。
ただ、マクシマスもとにかく敵は殺せ!という、まあ典型的でしかない古臭い悪役の単純なやり方しかせず、月面の土地が狭いので地球に侵攻して自分達の物にするんだ!というやり方なので、これまでの様々な物語に登場して来た安っぽい頭の悪い敵役になっているので、マクシマスも非常に微妙な人物になってしまっているのだけれど。
このロイヤルファミリー側とマクシマスが対立すれば、見ている方はまだ解放をしようとしているマクシマスに感情移入する訳で、何でこんな対立構造にしたのか、さっぱり分からない。

それに月面のインヒューマンズは1400人はいると言ってはいたけれど、画面上は全人口100~200人位にしか見えず、権力闘争しているのはブラックボルト側の五人とマクシマス側の数人なのでこじんまりしていて、インヒューマンズという種族の未来を左右する戦争には全く見えず、金持ち一家の家族喧嘩程度にしか見えず、見ていても、まあどうでもいい感じしかしない。

ロイヤルファミリーがハワイに逃亡してからもおもしろくはない。
ブラックボルトは地球人の文化を様子見して何も自ら行動はしないし、ブラックボルトを探そうとしているメデューサの話は退屈だし、ゴーゴンは何故かハワイ人と仲良くなり、そのハワイ人は元軍人で何故かゴーゴンの為に追手と戦う都合が良過ぎるだけの展開だし、カルナクと大麻を密造している人々との交流とかどうでもいいし、本当に見所が無い。
主人公のはずのブラックボルトは何をする訳でも無く、当然語る場面が少ないので主人公にはなっていないのもドラマを引っ張る力が無い原因になってしまっている。
ブラックボルトは結局アティランや国民をどうするつもりだったのか分からず、マクシマスが反乱を起こして失敗してアティランを破壊した事で国民は地球に来れたし、身分制度を解放出来たという漁夫の利を得ただけで、何もせずに制度を維持しようとしていただけの無能な王で終わってしまっていたし。
ブラックボルトは最後まで周りにやってもらうだけで、面倒臭い問題は放置しておくし、ここまで駄目な王として描いたのはどういう意図だったのだろう?

それに、インヒューマンズが主の登場人物なのに特殊な能力を使う場面が少ないのも、わざわざ自ら見せ場を減らしているという駄目さもある。
ブラックボルトは能力を使うのが1話目と最終話位しかなく、それもうっかり口を開けてしまい両親が消し飛んでしまうという馬鹿げた冗談みたいな回想場面と、弟マクシマスがアティランを破壊し、存在する事が危険だと言ってはみたものの、やっぱり弟なので殺せずに生き埋めにするために建物を破壊する位の全く能力を活かさない使い方。
メデューサも1話目で髪の毛を操れる能力を完全に封じてしまう丸刈りにするし、カルナクは行動を事前に検証出来る能力が頭を打った為に不完全になってしまい時々失敗するとか、何をしたいのかよく分かんない事ばかり。

このドラマは元々シーズン1は全8話なので全体の構成としてはロイヤルファミリーが逃亡して態勢を立て直して月に戻ってマクシマスと対決し、その月のインヒューマンズを巻き込んでの権力闘争が中心になるのものだとばかり思っていたら、全8話なのに6話目までハワイでブラックボルトを探してロイヤルファミリーが中々出会えないということを延々とやっていて、退屈過ぎる。
これ連続ドラマにする必要無くて、それこそ初めの計画通りに二時間位の映画にするか、二時間のスペシャルドラマで良かったと思える程、企画を水増しに水増した感ばかりで中身がスッカスカ。

アメリカでも相当数字が悪かったようで、映画としてのIMAXでの公開はアメリカでも一週間程しかなかったようだけれど、興行収入はアメリカ国内で152万ドル。全世界でも285万ドル。
視聴者数も1話目から558万人で、「エージェント・オブ・シールド」のシーズン3程度。
結局中盤からは300万人程度で、録画等を除いたテレビでの放送を見ていた視聴者数は200万人を越えなかった回が三回もありと散々な結果。
この内容じゃあ当然と言えば当然な出来ではあるけれど、結局このドラマは正式に打ち切りになったのかな?と調べてみても、正式なキャンセルにはなっていないよう。

「エージェント・オブ・シールド」にしろ、「エージェント・カーター」にしろ、同じABCのマーベル・シネマティック・ユニバースのドラマは初めは結構おもしろく進むのに、進めば進む程ドンドンとつまらなくなり、それが見事に数字にも表れたけれど、この「インヒューマンズ」は更に進化して初めからおもしろくもなく、数字も良くなくで、マーベル・シネマティック・ユニバースの映画は回を重ねる毎に順調に行っているのとは反対にあるABCのマーベル・シネマティック・ユニバースのドラマの駄目さ加減って、何が原因なんだろう…?
 
 
関連:前期見たドラマはCSI10かな?

前期見たドラマはCSI10かな?

2018年04月01日 日曜日

2018年1~3月期に見たドラマは、新シーズンが開始されたのを含め、引き続き、

CSI:科学捜査班 シーズン910
CSI:ニューヨーク シーズン5
ER緊急救命室 シーズン10

で、それに加え、新規にDlifeで始まった「マーベル インヒューマンズ」と、同じくDlifeで過去に放送した「フラッシュフォワード」が配信限定でまとめて配信されたので見てみる事にしたら、「CSI」は週二話。
「CSI:NY」は週一話。
「ER」は週三話。
「インヒューマンズ」は週一話。
「フラッシュフォワード」は初めは週三話だったのが、五日で五話とかの決まった間隔と話数ではないハイペース配信だった為、一週間で十五話見ないといけないとかになり、まあ面倒臭くなってしまった。

以下、各ドラマの感想で、新規度ドラマの「インヒューマンズ」と「フラッシュフォワード」は別記事で。
 
 
CSI:科学捜査班 9

シーズン8頃から、特にシーズン9の前半はやたらと暗くて重い話が多かったり、「CSI」だけでなく見飽きたサイコパスな犯罪者やら、挑発的な犯罪者やらが多くてつまらなくなっていた。
それに加え、シーズン序盤でウォリック・ブラウン退場。
サラ・サイドルも再度登場したけれど、やっぱり辞める。
ギル・グリッソムも悩んで突然辞職と、これまでのレギュラー陣が退場してしまい、完全に「CSI」崩壊。
その後を引き継ぐ事となったレイモンド・ラングストンは当然ギル・グリッソムの大きな穴を埋める事は出来てはいないけれど、新人捜査官としての参加なのでドラマ的に新規視聴者を意識もしてか、今まで慣れてしまっていて結構省かれていた捜査の詳しい手順を見せるようになり、犯罪科学捜査モノとしてのおもしろさが復活。
各事件も以前の「CSI」的な犯罪捜査や推理モノとしてのおもしろさが戻り、ギル・グリッソムが抜けた事でむしろ好転している。

11話「レベル1」でレイモンド・ラングストンの初捜査。

12話「ラ・マンチャの男たち」で偽のFBI捜査官による犯罪捜査。
この回の精神的に問題のある人がFBI捜査官に成り切って事件の証拠集めをしているとか、この設定で別のドラマシリーズや映画を作れそうなおもしろい設定。

13話「さわやかな凶器」は別の事件が入り組み、結局は事故だったり偽装自殺だったり。

14話「チームワーク」は裁判真っ最中の事件で新証拠が出て来て、怪しいと思った被告が実は…という展開。

15話「目撃者ガレス」は全く関係無いと思われた三つの事件が実は一人の人物で繋がると、推理モノ、科学捜査モノとしておもしろさが戻っている。

18話「オグンのいけにえ」は通算200話で「THE 200th EPISODE」と大々的に始まったはいいけれど、この回はシーズンの中でも一番つまらない。
やたらとスローで見せるルチャ・リブレは何の意味があったの?で、やたらと間を持たせる演出が見ていて面倒臭くなったし、そもそもこの間延び感は「CSI」じゃあないだろ。
「CSI」では次々と展開して行き、45分で意外な転がり方やどんでん返しを見せる科学捜査が「CSI」なのに、このまったりし過ぎな科学捜査の面白さが無い回が記念の200回って、残念過ぎた。
実際、アメリカの視聴者数はシーズン9の中でこの回が最低だったし。
この回は映画「フレンチ・コネクション」や「エクソシスト」等の監督ウィリアム・フリードキンが監督しているらしいけれど、何で外部から完全に過去の人な監督呼んで来て監督させたのかがよく分からない。
それで見事に外しまっくてしまったし。

しかし、その後はおもしろい回が続き、特に20話の「宇宙船CSI」は初代のテレビドラマ「スター・トレック」のパロディ「アストロ・クエスト」という1960年代のTVドラマのファンフィルムのイベントで殺人事件が起き、終始お遊び的内容でおもしろ。
デヴィッド・ホッジスが妄想し、そのドラマの登場人物に成り切って演じてみて、その妄想の中ではウェンディーは常に露出の高い服装だったり、ホッジス、ウェンディーデヴィッド・フィリップスでドラマの台詞の引用ばかりと、終始コメディ。ただでさえラボでは一番可愛いウェンディーがSFマニアという設定は、男性視聴者はもう虜。
「アストロ・クエスト」という題名自体、「スター・トレック」のパロディ映画「ギャラクシー・クエスト」のパロディになってるし。
で、最終的に実はウェンディーがホッジスの事を好きかもしんない…という意外過ぎる落ちで締め、製作陣も皆やりたい放題でおもしろかった。
そう言えば、シーズン8の8話「ラボゲーム」でもホッジスが中心となり、ラボの準レギュラーを妄想で殺して、その事件の手段を考えるという、これまたお遊び回があったけれど、ラボの人々が中心になった回って思い切ったお遊びをして非常に楽しい回になる。

21話「時の過ぎゆくままに」では既に有罪が決まり、収監されている受刑者が数年前のキャサリン・ウィロウズが始めて単独で捜査した事件を再び訴えるという展開で、残された少ない証拠から過去の事実を導き出すという、正に「CSI」を見せて、お遊び回の「宇宙船CSI」に続く回としては見事。

シーズン最終話の24話「捜査官の十字架」はかつてのラスベガスが現在に幸運と不運を生み出し、二転三転する展開で、ラスベガスが舞台の「CSI」らしさが出ていて、しかもサラッと終わって行く感じは中々良い。
 
 
CSI:科学捜査班 10

シーズン9に続けてDlifeではそのままシーズン10も放送を開始したので、わたしもそのまま見た。
シーズン9までは地上波で見ていたけれど、シーズン10からは初見なので楽しみだったがシーズン・プレミアから驚きと見所が沢山。

1話目「ラスベガスリターン」の始まりからして、ラボの中で謎の男達が登場人物達と揉めている瞬間で止まった状態でカメラだけが動いているという今までに無かった見せ方をして、「一体何が起こっているんだ?」からの、その場面の最後にはニック・ストークスの隣にCSIを辞めて出て行き、ギル・グリッソムと仲良くやっているはずのサラ・サイドルがいて、「サラ!?」と驚き。
更にオープニング・クレジットが始まると、デヴィッド・フィリップスとウェンディ・シムズがレギュラー入り。
シーズン9から突然レギュラーとして入って来たライリー・アダムスがおらず、キャサリン・ウィロウズの口から「辞めた」という退場の仕方。
しかもライリー・アダムスはキャサリンのチームをボロクソに批判して辞めた様で、シーズン9の最終話からシーズン10の一話目の数ヶ月の間に一体何があったんだ!?という驚きも。
他のCSIフランチャイズも結構そういう傾向があるけれど、レギュラーや準レギュラーの良い扱いだった役者が降板すると、その登場人物が突然いなくなったり、物凄く扱いの悪いままで退場してしまうのは何でなんだろう?
ライリー・アダムスはシーズン9で次々と辞めてしまうオリジナル・メンバーの穴埋めとして結構良い感じ、良い存在感だったのに、この急で何じゃそりゃ…な退場はモヤモヤする。
特にライリー・アダムスが出て来ないままの退場の回でサラ・サイドルが戻って来るって、サラ・サイドル役のジョージャ・フォックスが戻って来たがり、戻って来たのでお前い~らない!…みたいな感じがしてしまった。
ただ、サラ・サイドルは「皆の顔が見たかった」と言う理由だけで詳しい説明も無いまま戻って来てしまい、鬱に近い程CSIでの仕事に悩んでいたのにギル・グリッソムと一緒になったら元気一杯!って、これまでの展開や辞めたのは何だったんだ!?と、物凄く微妙な復帰。
しかも、戻って来たはずなのに出ていない回も多く、クレジットも「Special Guest Star」で、やっぱり微妙な復帰。

2話目から4話目までは、「CSI」的科学捜査の推理モノとしてのおもしろさもありつつ、最終的には哀しい話になって、益々おもしろくなっている。

10話目の「死ねないロボット」は始まりは三人に囲まれた銃撃戦の最中に無傷だった男という不可思議な事件から始まったと思ったら、最終的には実は哀しい話で、最後も死ぬ事も出来なかったという哀し過ぎる結末。
この回で一番の見所は、ボビー・ドーソンが久々に登場した事。
何時以来?で、登場したら「懐かし~!」だったし。
 
 
CSI:ニューヨーク 5

「CSI:NY」も地上波で見ていた以降の初見ではあるのだけれど、「CSI」程のおもしろさは無い代わりに毎回平均点位はある。

シーズン5の中盤で行き成りリンジー・モンローの懐妊話が出て来て、「何でだろ?」と思ったら、リンジー・モンローのお腹が本当に大きくなったので、演じるアンナ・ベルナップが本当に妊娠した為の策だったと後から気付いた。

18話「その先は闇」には元CSIの検死官だったマーティ・ピノが登場。
確か、シーズン2から検死官から現場捜査官に変わったシェルドン・ホークスの跡を受けてマーティ・ピノが検死官として登場したはず。
過去の映像で、「あ…。そういえば、こんな検死官いたなぁ…」と思い出した。
しかし、何で今になってマーティ・ピノを出して来たのだろう?
しかも、CSIフランチャイズで多い、レギュラーや準レギュラーであっさりと辞めてしまう人の扱いが悪いというのがこの回でも出ていて、かつては陽気な兄ちゃん検死官だったマーティ・ピノが堕ちに堕ち、まあ酷い有様。
もう二度とマーティ・ピノを出す気はないのだろうけれど、何でこんな扱いにしたんだろう?

25話「殉職」ではジェシカ・エンジェルが殉職。
シーズン3から準レギュラー的に登場していたけれど、シーズンの最終話で死亡って、演じていたエマニュエル・ヴォージアの降板が見えるので悲しさは無し。
日本版が酷いのは、ジェシカ・エンジェルが病院に運ばれ、まだ助かるのかどうかの時に、ジェシカ・エンジェルが映っている場面にこの回の題名「殉職」と字幕を出すもんだからジェシカ・エンジェルが死んでしまうのが分かってしまうじゃん。
それにしても、CSIフランチャイズはレギュラーや準レギュラーの降板時に殺したがるよなぁ。
一方でシーズン1・2に登場していたケリー・フーが演じた刑事のカイリー・マカは役も立っていたのに、何時の間にか出なくなったりしたりするし、殺された方が愛があったって事なのかなぁ?

あと、マック・テイラーの事件の被害者の娘がストーカーっぽくなってマック・テイラーに関わって来たので、シーズンで引っ張る更に二転三転する展開なのかと思いきやマック・テイラーの優しさであっさり解決したり、ステラ・ボナセーラのギリシアの古美術関連の話も引っ張る割に飛び飛びで引きが弱いし、追っていた犯人があっさり死亡したり、24話「偽りの地、ギリシャ」であっさり片付いたりで、このシーズンを引っ張るような各展開が良かったのが微妙ではあった。
もう一つのニューヨークの政治家や有名人等の問題を片付けるフィクサーの死から始まったメディア王へと繋がる事件はおもしろかったけれど、やたらとマック・テイラーがメディア王へとつっかかりまくるのがどうにもピンと来ず、何時も冷静なマック・テイラーがそこまで一人で怒ってんだ?と付いて行けず。
 
 
ER緊急救命室 10

数ヶ月振りにDlifeで「ER」の新シーズンが開始。

シーズン8でマーク・グリーンピーター・ベントンが退場し、シーズン9位から登場人物達の若返りや変化を始めて来たけれど、シーズン10はそれがより顕著に。
これまでの中心人物だったジョン・カーターはアフリカに行ってしまい、オープニング・クレジットには登場しているのにシーズン序盤はドラマ自体に全く登場せず。
ケリー・ウィーヴァーも時々に少ししか登場しない準レギュラーみたいだし、あれ程中心人物だったエリザベス・コーデイも大した活躍も無く、ロバート・ロマノは、まあお座なりな退場で、旧世代の存在感が薄い薄い。

一方の新人物としては、ニーラ・ラスゴートラアーチー・モリスサマンサ・タガートが入り、今後の「ER」の中心人物達が揃うんだけれど、毎週一話ずつ見て行くのではなく結構続けて見てしまっているからなのか、ドラマの登場人物として若手の二軍感を感じてしまい前よりも満足感が急に減ってしまった。
たまたまシーズン10開始時期がわたしにとって見なくちゃいけないドラマが多過ぎて、それぞれを楽しむと言うよりも消化しなくちゃいけない…という追い立てられ感が強かったというのがあったからかもしれないけれど。

1話「混乱と悲しみと」はシーズン9の最終話からの続きで、アフリカに行ったジョン・カーターが戻って来る所から。
これまでも「ER」ではシーズンまたぎでジョン・カーターがいなくて戻って来るという展開をしていたけれど、久々の何時もの展開。
そこに医学生のニーラ・ラスゴートラが研修にやって来るという「ER」のシーズン始まりで新規視聴者目線も入れたお馴染みの展開も。
そして前から続けていた、マンネリを打破する為に登場人物だけでなく、ER病棟の改装を進めていたのが本格的な全面改装を開始していたのも。

2話「失われた友を求めて」はシーズン9の最終話から突然始まったアフリカ編の続きなんだれど、このアフリカ編は以前見た時からつまらない。
劇中で「遠い関係の無い場所だから気に留めなくていいのか?」みたいな台詞が出て来るけれど、そもそもドラマとして「ER」と関係無いじゃん。
例えば、もし日本で大規模な自然災害が起きて、それの救助・救援でERの登場人物が日本に来て活動したとして、それがどれだけ良い話でも「『ER』で何見せられてるんだろう…?」となってしまう。
「ER」でアフリカの話やる意味って、単に製作陣の好みにしか思えなかったし。
まだ、何かの関連やシカゴのERでアフリカ関連の話があってのアフリカ行きなら分かるけれど、ルカ・コバッチュにしろ、ジョン・カーターにしろ、ERでの生活がワーっとなって逃げ出した形だし。
それにこの回は特に萎えたのは、最終的に信じたキリスト教が絶体絶命のルカ・コバッチュを救ったという結末。
キリスト教信者ならすんなりの落ちなんだろうけれど、そうでないとよくあるこの手のデウス・エクス・マキナは本当に都合がいいだけだし、本当につまらない。

3話「愛しのアビー」でレジデントとしてアーチー・モリスが登場。
まさか、このアーチー・モリスが後にレギュラーになるとは、この時点では到底思えない。
寧ろ、人物的には同じレジデントのニック・クーパーの方が立っているし。

5話「アフリカへの思い」でサマンサ・タガートが登場。
今後の「ER」の中心人物達が揃った。
そして、アビー・ロックハートも医学生へと復帰。
テコ入れなのか、アビー・ロックハートの看護士と医学生の行ったり来たりは落ち着かない。

8話「悪夢再び」は「ER」の中でも最悪なレギュラーの退場回。
ロバート・ロマノが突然落ちて来たヘリコプターに巻き込まれて死亡。
この幕切れが特に振りも無く、しかもERの緊急入り口前の広場にヘリコプターが落ちて来るという大分強引な展開。
終わり方が笑えもしないブラック・ジョークという事もあるけれど、何よりそれまでのロマノの扱いから何も生み出さずに急に話を打ち切ってしまった事が気に喰わない。
ロバート・ロマノって相当口が悪く、常に嫌味を言いまくる憎まれ役ではあったものの、意外と冷静で的確な判断があり、ピーター・ベントンの息子に見せた手話とか実は優しい人物だったはずが、シーズン9でヘリコプターに手を切断されてからは自分のイラつきを他人に当てまくるだけの嫌な奴になってしまい、登場人物としては相当薄っぺらくなってしまっていた。
それに、これまでのロマノなら腕の切断から義手を付けて、そこから立ち直る姿を期待せざるを得ないのに、それを描かないまま死んで行くだけという投げっ放しに白けてしまった。
シーズン9辺りから徐々に落ちていた視聴者数を気にしてか衝撃的な展開を入れるけれど、群像劇としてはお座なりな部分があからさまに見えて来ている。

関連:マーベル インヒューマンズ
    フラッシュフォワード