ジャッジ・ドレッド(1995年)
2025年05月19日 月曜日ダニー・キャノン監督、シルヴェスター・スタローン主演の1995年のアメリカ映画「ジャッジ・ドレッド(Judge Dredd)」
原作はジョン・ワグナー(ライター)とカルロス・エズキエラ(アーティスト)によるブリティッシュ・コミックス「Judge Dredd」
西暦2139年。世界は核戦争で荒廃し、ほとんどの土地が荒野となってしまったが人々は集まり巨大な都市を作り上げていた。
メガシティ・ワンはその中の一つだったが人口の過密に町全体が犯罪都市となってしまい、秩序を取り戻す為に警察・司法・刑執行人を行うジャッジに全ての権限が与えられていた。
ジャッジの中でも厳格に対応するジャッジ・ドレッドはジャッジやジャッジ評議会からも一目置かれる存在だった。
そのジャッジ・ドレッドが覚えのない殺人の罪に問われる事となるが、そこにはかつてドレッドを生み出す事となり、現在では極秘となっているヤヌス・プロジェクトの存在があり、それによってジャッジ全体に危機が訪れた。
多分、昔にテレビの地上波で放送していたのを見た事がある様な無い様なで、Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので見てみた映画。
原作のイギコミって読んだ事は無いけれど、「Judge Dredd」って「2000 AD」に今も掲載され続けている、絶大な権限が与えられた無敵の強さの執行官が主人公で、イギリスっぽく皮肉的な笑いもあるヒーローモノとはちょっと違うイギコミという印象位しかない感じ。
でも、この映画はその位の知識は関係無く、ハリウッドのアクションSF映画、スタローン映画で、つまらない訳ではないんだけれどおもしろくはない映画だった。
この映画が作られたのが1990年代だけれど自動車や機械等がゴツッとした1980年代感のあるガジェットだったりとか、映画「ブレードランナー」から大分頂戴した様な街並みや雰囲気は結構良く、ジャッジの恰好も馬鹿馬鹿しさもあるカッコ良さで見た目的には好きな感じで楽しかったんだけれど、引っ掛かったは話の軸。
この映画は映画化されたのが初めてで、確かに初めはジャッジそのものやジャッジ・ドレッドの紹介としての活躍を見せていて、そこはおもしろかったし導入として良かったのに、その後は実はドレッドの友人リコは生きていて、実はリコは元ジャッジで、でも悪い奴で、実は評議員とリコは繋がっていて、実はドレッドは遺伝子操作で作られた存在で、実はリコも同じ実験で生まれた兄弟で、実は評議会はヤヌスの計画を隠していて、実は評議員の一人は権力を握ろうとしていた等々、実は…の連続になってしまい、全然話に乗って行けず仕舞い。
まずはジャッジやジャッジ・ドレッドがどういうモノなのか、どういう存在なのかを見せて、それが馴染んで活躍するからおもしろいと思うのに、この実は…の連続はまだ馴染んでいない所に次々とドンデン返しを何度も放り込まれても「そうですか…」としかならない。
ハリウッド映画って、一作目から実は内部に裏切り者がいたとか、上層部が権力を握る為に陰謀を行っていたとかの展開が多いけれど、それを一作目からやられてもそもそも何もよく分からない内なので意外性も無いし、おもしろくもないしで何でそういう展開にするんだろう?と何時も疑問に思うのだけれど、この映画なんて正にそれのお手本みたい。
各展開も、ドレッドへの罠も邪魔なドレッドを消す為にしては回りくどいし、ドレッドは当然生き残って帰って来るし、外に追放された長官や一旦外に出てから戻って来るドレッドとかもいらない展開の様な気がするし、ジャッジ・ハーシーや元受刑者のファージーも役が立って活躍している様でしてない様で印象に残らないし、結局脚本がおもしろくない。
でも、この映画の脚本家は映画「ダイ・ハード」のスティーヴン・E・デ・スーザや、映画「ターミネーター2」のウィリアム・ウィッシャーなんだけれど、あれ程良く出来た映画の脚本を書いたとは到底思えない出来。
調べてみると完璧なアクション映画とも言われているらしい「ダイ・ハード」ではスティーヴン・E・デ・スーザは脚本の書き直し・書き足し要員だったそうだし、ウィリアム・ウィッシャーは「ターミネーター2」ではジェームズ・キャメロンとの共同執筆で、この映画を見ると彼らがそれらの映画にどれだけ関わっていたのか分からないと思ってしまう位。
ジャッジ・ドレッドの見た目は無駄に着飾っているけれどあれだけ犯罪や銃撃が頻繁なのに体の防御が薄過ぎとか、乗っているバイクもカッコいい感じではあるんだけれど考えてみると今だとビックスクーターだなぁとか、あの銃の形や動き的にもこのジャッジ・ドレッドって映画「ロボコップ」の影響受け過ぎなんじゃ?とも思ったり。
何より無理があり過ぎたのがドレッドとリコが同じ遺伝子という事。
DNAが同じだからドレッドが有罪だ!というをやりたい、そうしないと話が進まない為に、見た目も性格も全然違うけれど同じ遺伝子って、これは流石になぁ…。
あと、このジャッジ・ドレッドは存在感が圧倒的というのを見せなくてはいけないからかシルヴェスター・スタローンが大分厚底なブーツを履いていたのは笑ってしまった。
ジャッジの装備を脱いだシルヴェスター・スタローンを見た時に「あれ?何か小さくない?結構痩せ気味?」とも思ってしまったし。
シルヴェスター・スタローンって体がもっと分厚い感じだと思っていたのに、これだと凄く薄い感じがしてしまった。
途中でリコの身長が200cmと出て来たけれど、そのリコよりも身長が高かったドレッドだったけれど、2m以上には到底見えなかったし。
この映画、折角おもしろそうな要素が沢山あるのに、それを活かせずに一作目から実は…の連続にしてしまい、一作目からそれしてもなぁの脚本の軸選びの不味さばかりが目立ってしまう映画。
未来の警察的存在だと似た感じの映画「デモリションマン」がコメディに振りつつ、良い者の主人公と似た様な存在の悪者のとにかくぶっ壊しのアクションでおもしろかったけれど、この映画はコメディにも上手く振れず、皮肉的な方にも振れずで中途半端で、結局脚本が駄目なんだと思ってしまった映画でした。
☆☆★★★