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アンタッチャブル

2017年04月09日 日曜日

ブライアン・デ・パルマ監督、ケヴィン・コスナー主演の1987年のアメリカ映画「アンタッチャブル(The Untouchables)」。

1930年代のアメリカでは禁酒法が施行されていたが、密造酒や密輸酒によってギャング達が儲け、酒を買わない相手には暴力を使い買わせるという無法状態だった。
シカゴではアル・カポネが権力と金を握っていたが、そのシカゴへ新たに財務省のエリオット・ネスが派遣された。
エリオット・ネスはアル・カポネを捕まえようと仲間を集め強引に捜査を始めるが、アル・カポネ側も黙ってはいなかった。

わたしは昔にこの映画見た事あるはずだけれど、あの駅の階段の場面位しか覚えていなかったのは改めて見直すとその理由が分かった。この映画が酷くつまんないから。
まるで連続テレビドラマの良い所だけを集めて二時間に収めた様な人物や話の背景が見えて来ない、上辺をなぞっただけの様な薄っぺらさやご都合的な展開や演出で、この映画はよく名作と言われているけれど、駄作に行くか行かないかの凡作の部類だろう…と思えた。

始まりから、まあ在り来たりな展開で、新たに警察にやって来た財務省という別部門のエリオット・ネスが初めは失敗。だけれど、殺された女の子の母親の一言でやる気を出すとか、余りに捻りも何も無い展開で、その時点で一気に冷めた。
エリオット・ネスにも家族がいての共感は分かるものの、実際に自分の家族は少しだけ脅されて大して被害が無いので、話が進む程何でエリオット・ネスがそこまでアル・カポネに執着するのかがいまいち分からない。
犯罪が蔓延する新たに土地にやって来て、有名ギャングを捕まえて出世したい!という出世欲は全く見られないし、ただただエリオット・ネスが良い人というだけなの?だとしたら、相当薄っぺらい人物だけど。
それに、そもそも何で財務省の人間が現場で銃をバンバン撃って人を殺しているのかもよく分からず、この主人公であるエリオット・ネスの背景がさっぱり分からないので、見ていても全然主人公としておもしろくない。

その他の人物の背景も全く見えず、エリオット・ネスのチームの統制を取り指揮もするジム・マローンも、そもそもエリオット・ネスは何が引っ掛かってジム・マローンを優秀だと思い、どの部分でアル・カポネに対抗出来る人物だと思って自分のチームに入れようとしたのかもよく分からないし、ジム・マローンは何十年も巡査だと言っていたのに何故あれだけ対ギャングの戦い方を知っているのか?とか、何で自分の家に人がやって来ただけでショットガンを持って玄関に出るのか?とか、警察署長と過去からの付き合いがあるようで、エリオット・ネスには偉そうに正義について語るのに署長の悪事も知っていたのに何故暴露しないのか?とか、このジム・マローンという人物の背景が全然描かれず、見ていてもジム・マローンの行動には何時もハテナばかり。
このジム・マローンを演じているのがこれまで幾多の英雄を演じて来たショーン・コネリーだからという何か凄そうと思うだけで、人物としてはよく分からないまま。

アル・カポネにしてもそう。
彼が求めているのは権力欲なのか?金なのか?とか彼の行動原理は一切分からず、ただ悪役という記号だけでしか存在していない。
このアル・カポネの悪役の説得力ってショーン・コネリーと同じで、ロバート・デ・ニーロだからの迫力と演技力だけ。
ただ、このロバート・デ・ニーロを見ていると、元どーよのケンキさんじゃない方の元どーよのテルのロバート・デ・ニーロのモノマネを思い出してしまい笑ってしまった。

アンディ・ガルシア演じるジョージ・ストーンも、あれだけ仲間探しで人物紹介の場面があったにも関わらず、ほとんど活躍せず、階段落ちの場面が無ければほぼ活躍無しだった位存在感が薄い。
ジョージ・ストーンの人物設定も後でギャングとの関係性が出てきそうな感じだったのに何も無しだし、結構血気盛んで喧嘩っ早い登場だったのに、それ以降はそんな事も無く非常に冷静で静かな人物になっていたし、この人物設定もチグハグ感が一杯。

他の展開も、カナダとの国境で馬に乗っての銃撃戦とかは「シカゴのギャングモノで、何で西部劇してんの?」と思うし、この場面では簡単に人を殺してしまうマフィアが撃った銃の弾は全然当たらず、銃を持ったギャングがいる直ぐ側でギャングに背を向けて暫くボーっとしているのに撃たれない財務省の帳簿調査員が銃を撃てば常に当たるとか、ほとんどコメディの域。
四人が馬に乗って走る場面もモッチャリしていて迫力が無いし、銃撃戦もいまいちだし、非常に盛り上がらない。

完全にコメディだったのはジム・マローンの死亡場面。
あれだけマシンガンで撃たれまくっていたのに這いつくばって中々死なず、暫くしてエリオット・ネスが現れると再び息を吹き返してジタバタし始めて、でもやっぱり死んでしまうって、刀で切られても中々死なないドリフのコントみたい。
この展開って、執念で死なないジム・マローンが何とか情報を伝えて死んでしまって哀しいという本気の演出なんだよね。見た人のほとんどが「あれだけ撃たれたのに死なないんかい!」って突っ込むと思うけれど。

終盤のエリオット・ネスが仇を銃で撃とうとして思い留まったのに結局突き落としてしまうのも、あれだけ正義や法がどうのこうの言っていたのに、その振り無視かよと思ったし、その法を越えてしまった私刑に関して何も一切咎められる事も無く、その一方でアル・カポネは法で裁かれるとか、余りにチグハグ過ぎるだろ。

主軸となる展開もアル・カポネに対する攻撃が帳簿係を探すだけという展開で、しかもジム・マローンが何処からか情報を持って来るという都合の良い時間短縮展開で非常につまらないし、最後の一番盛り上がらなくてはならない法廷劇もこれまでが帳簿係を探すだけだったのでアル・カポネに対する追い詰める事の出来る証拠集めも何も無いので、非常に雑多に「はい、有罪!」で非常にしょうもない。
帳簿係達もあれだけアル・カポネに深く関わっていて、アル・カポネは家族だろうが子供だろうが関係無しに殺しまくる異常者だという事も知っているはずなのに、帳簿係が警察に捕まったら「はい、何でも喋ります」と素直に警察の言う事を聞くなんて、まあ都合しかない展開。

この登場人物達の行動や背景の薄さやご都合主義でしかない展開って、もう初めに大筋が決まっていて、そこに人物を配置して展開の駒として動かしている感じしかないし、細かい説明を省いて気持ち良いだけの展開にしただけにしか思えないのだけれど。

ブライアン・デ・パルマって結構評価が高い様だけれど、この映画を見ても演出は結構微妙。
盛り上がるはずのカナダでの騎馬戦も馬が走っている時の速さの無さったらないし、最後のエリオット・ネスが仇を追い駆けてビルから落ちた…と思ったら大丈夫でした…って、当たり前過ぎる展開で、この緊迫させないといけない場面でわざわざこんな一件入れて緊張感を削ぐ理由も分からないし、一番有名な乳母車の階段落ちにしても銃撃戦に行くまでにやたらと泣く子供のカットを入れてしつこ過ぎる位だし、乳母車が落ちて行かないといけない展開だからという理由にしても、銃撃戦が始まるとエリオット・ネスは銃撃戦に夢中で、「あ、乳母車忘れてた…」位の行動で間抜けに見えてカッコ良いのはジョージ・ストーンという演出何?だし、普通に階段下りている時は誰も乳母車にも見向きもしないのに、銃撃戦が始まると乳母車を止めようとしているのか何なのか意味も無く立ち上がって結局撃たれてしまう周囲の人の間抜けさで緊迫感が削がれるし、この場面はやたらとスローモーションを使って見ていると結構間延びするし、うっとおしい感じもあるしで、一々演出がわたしにははまらなかった。

それに役者は脇のロバート・デ・ニーロが圧倒的存在感で、「もっと、ロバート・デ・ニーロを見せろ!」だったし、ショーン・コネリーもアンディ・ガルシアもチャールズ・マーティン・スミスも濃い存在感があるので、逆にケヴィン・コスナーの存在感が薄くなってしまっていた様に思えた。
見ていると「ケヴィン・コスナーって、こんな演技下手だったっけ?」とも思えて来たし。

あと、ずっとこの映画の題名からして「アンタッチャブル」なのは誰も手出し出来ないアル・カポネの事だと思っていたけれど、原題は「The Untouchables」と複数形でエリオット・ネス達の方の事なんだな。そりゃ、こっちが主人公だもんな。
だとしたら邦題はやっぱり駄目じゃん。

この映画、連続テレビドラマの総集編なら「こんなもんか…。」と思えたのだろうけれど、一本の映画として見ると煮詰まらない話ばかりで、取って付けたご都合的に舞い込んで来る展開とか、描き切れていない登場人物の背景や行動理念や考えとかで見ていてずっとモヤモヤしたままで弾け切らず、見終わってもつまらなさばかりが残った。
ブライアン・デ・パルマとケヴィン・コスナーの映画は何作か見たけれど、どれも当たりが全然無い。

☆☆★★★

郵便配達は二度ベルを鳴らす(1946年)

2017年04月08日 土曜日

テイ・ガーネット監督、ラナ・ターナージョン・ガーフィールド出演の1946年のアメリカ映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice)」。
ジェームズ・M・ケインの小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」が原作。

風来坊のフランクは辿り着いた町外れのレストランで職にありつけた。
店の主人ニックと歳の離れた若い妻コーラの二人でレストランを営んでいたが、フランクは妻のコーラにちょっかいを出し始め、やがてコーラもフランクになびき始めた。
コーラとフランクは邪魔に思い始めたニックの殺害を計画し始める。

この映画、1946年だからか結構付いて行けない部分は多いし、映画としても結構退屈。

そもそもの部分として、何故コーラがここにいるのか?とか、何故フランクに惚れたのか?とかの描写が少ないのでサスペンスになる以前から結構付いて行けない。
コーラ役のラナ・ターナーは、2010年代の日本人のわたしから見ると綺麗なのか?そうでもないのか?がいまいち分からず、「彼女が映る場面では紗がかかる」「それ程高級ではないレストランなのに何時も綺麗な違った服を着ている」とかの記号でコーラが美人なんだなぁ…とは認識しているけれど、だったらこれまで相当モテたとコーラ自身が言っているにも関わらずレストランにはコーラ目当てのお客が一切いないし、大して金を持っていないニックと金目当てと言って結婚している意味が分からない。
フランクも演じるジョン・ガーフィールドは見た目がショーン・ペンっぽくて、ショーン・ペンって男前と言うよりも演技派・個性派俳優だと思っているけれど、そのショーン・ペンっぽいフランクが何でコーラにモテたのかがいまいち分からない。ジョン・ガーフィールドって、この当時は相当男前俳優だったの?だからコーラが惚れるのも当然なのか、ニックに飽きていたり、どうしようもないレストラン生活に飽きていたので異質なフランクに行ってしまったのかと思うけれど、そういう描写も無いし。
主人のニックも若い奥さんがいるのに、どこぞの馬の骨とも分からないフランクを何の質問も無いままあっさり雇ってしまうのも分からない。てっきり、若い奥さんとフランクが何かするのをこっそり見たいという性癖だからだと思ったらそう言う事も無いし、本当にただ人が良いだけ。奥さんの事愛しているなら、そんな不用心な事しないだろ…。

事件に発展するまでの設定や展開がそこに持って行きたいが為の都合の良さがあるけれど、その後のコーラとフランクの引っ付いたり離れたりの繰り返しも何がそこまで気を引き、逆に気持ちが引いたのかの描写が少ないので付いて行けず、これも展開の為の都合を感じてしまった。

夫殺しの展開となり、そこらへんから少し話が盛り上がるけれど、てっきり「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という題名なので、「夫殺しは完全犯罪だったと思ったら、実は誰かが知っていて郵便物で二人を脅し始める…」みたいな展開になるのかと思いきや、急に法廷モノになって意外。
ただ、意外にこの法廷モノが結構おもしろい。
何とかコーラを有罪にしたい検事と、上手い事やって二人を救おうとする弁護士という対決になる。
この対決はおもしろけれど、良く考えるとコーラとフランクは脇役に落ちるし、急に出て来た弁護士が立ち過ぎてこの弁護士が主役になってしまうし、「何の映画だったっけ?」と思ってしまった。
この弁護士の動機も、見ているだけだと検事にぎゃふんと言わせたいだけで犯罪者を無罪放免にしているし、この弁護士が脅しに来るのかと思いきやそれも無く、ただただ検事をやり任したいだけという妙に薄っぺらい人物になっているし。弁護士出して検事との関係性を詳しく描いていないので何か分からない奴で終わってしまっているし。

それに終盤で行き成りの事故からの取って付けた様なフランクだけが勝手に納得する全部台詞だけによる「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は白けたし、強引な展開でもキリスト教的救いなら問題無しというアメリカ映画には辟易するし、おもしろかったのは法的劇だけだったかもしれない。

この映画、1946年の映画とは言え、前半のコーラとフランクの不倫話は緩慢なのに描写が足りず、一番盛り上がった法的劇は弁護士が主役だし、最後の強引なまとめに至るのはやっぱり付いて行けず、おもしろくはなかった。
原作の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は読んだ事ないけれど、原作の筋を所々省いてそのままなぞっただけの様に思え、原作を読んだ方がもっと納得出来る様な気がした。
それにこの映画含め、全部で四回映画化されている様なので、他の映画見た方がおもしろいと思う様な気がする。

☆☆★★★

ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル

2017年04月07日 金曜日

ブラッド・バード監督、J・J・エイブラムス製作、トム・クルーズ製作・主演の2011年のアメリカ映画「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル(Mission: Impossible – Ghost Protocol)」。
映画ミッション:インポッシブルシリーズの三作目。

IMFのチームの手助けによってモスクワの刑務所から脱獄したイーサン・ハントは、チームを率いてコバルトと呼ばれている正体不明の敵を追ってクレムリンへと侵入する。
しかし、作戦の途中で謎の人物に無線通信に割り込まれて作戦は失敗し、核兵器の発射制御装置をコバルトに取られてしまう。
イーサン・ハントとチームはコバルトを追う事となる。

このシリーズって、一作目「ミッション:インポッシブル」から「スパイ大作戦」ではなかったし、二作目「ミッション:インポッシブル2」で既にトム・クルーズを見せるだけのアクション映画でしかなかったけれど、この四作目は「スパイ大作戦」の要素を少々入れたトム・クルーズ版「007」だな。
アクション映画としてはそこそこおもしろかったけれど、「スパイ大作戦」としてはやっぱり微妙だし、映画としても一杯突っ込み所がある。

一応チームとして敵を罠にはめるという「スパイ大作戦」要素はあるものの、これが全部始めは上手く行くけれど終盤で敵に気付かれたり、敵の方が先回りして先手を打たれて失敗し、結局は殴り合い、銃の撃ち合いの殺し合いで決着が付いたり、派手な爆発や砂嵐でグチャっと終わって、「スパイ大作戦」的爽快さは無い。
一番「スパイ大作戦」であり、「ミッション:インポッシブル」と銘打っているのにそこが無いので最早「ミッション:インポッシブル」である意味も無く、単に「ミッション:インポッシブル=トム・クルーズのアクション映画」でしかなくなってしまっている。

それに見ていると細かい部分で色々と気になる事ばかり。
敵となるカート・ヘンドリクスは元特殊部隊員で、元物理学教授で、核兵器を使って核戦争する事が人類の進化と平和になると考えている人物とか、設定を入れ込み過ぎて、もうグチャグチャとやり過ぎている上に、この訳の分からない狂人設定も安っぽい悪役で馬鹿みたい。こんな人物設定、2011年の映画でやってしまうか?

こんな頭のおかしいカート・ヘンドリクスは行動も頭がおかしく、常に自分で何事もしないと気が済まないらしく、クレムリンに一人で乗り込むわ、起爆コードを手に入れる時もわざわざ変装してまで自分でやって来るわで、実行部隊なのかボディガードなのかの人を雇っているのに何故か現場では自分で全部してしまい、何かあった時は簡単に計画が終了してしまうのに恐ろしいまでの凄い自信と言うよりも、そこまでは考えが至らないアホ。しかし、まあ見事にカート・ヘンドリクスの一人舞台が成功してしまう都合の良さで押し切るし。
ちなみに、カート・ヘンドリクスはクレムリンでのイーサン・ハント達の作戦をどうやって知っていたのか?とか、イーサン・ハント達があれだけ手間暇かけて潜入していたのにカート・ヘンドリクスはどうやって上手い事先回りしていて邪魔出来たのか?とか、起爆コードを手に入れる時にカート・ヘンドリクスが変装して自分で来た理由とかも一切描かれず、カート・ヘンドリクスの行動は謎と言うよりも都合の良い描かれず仕舞い。

ジェレミー・レナー演じる分析官のウィリアム・ブラントも、どう見たって筋肉付いていてガタイが良く、イーサン・ハントよりもぶ厚い体しているのに、イーサン・ハントやチームのメンバーは分析官のウィリアム・ブラントのその体を一切触れる事も無く、暫くしてウィリアム・ブラントの格闘能力が高いのを見て「お前、現場諜報員だったろう!」と突っ込む始末。
わたしでさえ、ジェレミー・レナーが出て来て分析官と言われた時に分析官が全然似合っていないのを突っ込んでしまったぞ。
しかも、このウィリアム・ブラントは登場し始めは人の顔見ただけでその人物を特定出来るという、世界中の主なテロリストや危険人物を全て暗記しているのかという超能力的な能力を見せて、あくまで記号的な凄い分析官能力を見せるのだけれど、ウィリアム・ブラントが元現場諜報員だったと分かった以降はその分析官能力を一切発揮せず、普通の現場諜報員になってしまい、分析官という設定もどっか行ってしまうぶん投げっぷり。

それに気になったのは最終盤の核兵器の扱い。
核ミサイルが打ち上がってそのまま何も無くアメリカ本土に到達してしまっているけれど、アメリカのミサイル防衛システムってこんな緩々なんだろうか?
それにカート・ヘンドリクスも目的は核戦争なのに何故かまず手始めに一発だけ核ミサイルを発射させようとしたけれど、逆に一発だけなら「何で一発?どっかのテロリストのしわざ?」とアメリカも疑う行動になるし、とにかくロシアの核ミサイルを搭載した潜水艦や施設に撃てるだけ撃てと命令出しまくれば核戦争も確実なのに何故かそれはしない。
それは核ミサイルが撃ち上がったけれどイーサン・ハントが止めるだけの為の都合だからという展開なだけ。

あと、ドバイのサーバールームが簡単に割れるガラス張りで侵入し放題だし、後半で別の施設のサーバールームの熱が凄いと言う話だったのにドバイのサーバールームは太陽光を浴びるガラス張りの部屋にあるとか、逆に後半のサーバールームの通風孔と換気扇が馬鹿でかくて、換気扇の先が何故か尖がっているとか、最後の駐車場に留めてある自動車は何故か鍵がかかっておらず簡単に乗り込んで発車させる事が出来るとか、展開を優先させた都合の良さが一杯で白けまくり。

この映画の監督ブラッド・バードって、「アイアン・ジャイアントhttp://wwws.warnerbros.co.jp/iron-giant/」とか「Mr.インクレディブル」とか「レミーのおいしいレストラン」の監督・脚本をしていて評価も高いはずなのに、初の実写映画というだけでこれだけグズグズになってしまうのは何?
製作のトム・クルーズや、わたしが現世代の壮大な張りぼて映画の大家だと思っているJ・J・エイブラムスの何だかんだの横やりでこうなったとしか思えないんだけれど、どうなんだろうか?

何より一番のこの映画の悪い部分はオープニング・クレジット。
映画本編の中からのカットをスパイ大作戦のテーマと共に見せるのは「スパイ大作戦」らしいけれど、そのスパイ大作戦のテーマが全然駄目。
余計な編曲で皆が期待している何時もの始まりの「♪テレレレレ~ジャン、ジャン、ジャンジャン、ジャン~」という気持ち良い部分が無く、ぬるっと始まってしまい肩透かし感が半端無い。その後も妙に間を伸ばしており、「これぞ『ミッション:インポッシブル』!!」という爽快さが無い。
主人公がトム・クルーズのイーサン・ハントの時点でこれじゃない感が強いけれど、今回のオープニング・クレジットのこれじゃない感も相当強い。

わたしの一番の見所だったのは、一番始めに登場した諜報員ハナウェイを演じていたジョシュ・ホロウェイ
ジョシュ・ホロウェイと言えばテレビドラマ「LOST」のソーヤー役でお馴染みで、その後が全然パッとしないでもお馴染みだけれど、そのジョシュ・ホロウェイが登場してカッコ良くアクションしたと思ったら、どう考えても若い女性が歩いていないはずの裏路地に現れた女性に気を取られて、その女性に速攻で殺されたという場面で笑ってしまった。
このカッコ付けていたのに間抜けな感じで殺されてしまった「何じゃ、そりゃ…」感と、このすぐさまの退場がテレビドラマ俳優と映画俳優の格差をまざまざと見せ付ける様な噛ませ犬的仕打ちに笑ってしまった。
「折角良い感じで登場したこのジョシュ・ホロウェイの諜報員の活躍もっと見たかったのに…」と思ったけれど、この諜報員がハイテク・コンタクトレンズで沢山の人の中から顔認識で標的を見付けるという事やっていて、「これ何処かで見た事あるな…?」と思ったら、これって正にジョシュ・ホロウェイが主演していたテレビドラマ「サイバー諜報員~インテリジェンス~」。
このドラマ「サイバー諜報員~インテリジェンス~」はおもしろくなかったけれど、この映画見てからドラマ見たら勝手にスピンオフに出来ておもしろかったかも。

そう言えば、何故かミッション:インポッシブルシリーズの全作に登場しているヴィング・レイムス演じるルーサー・スティッケルも最後に登場するのだけれど、この登場は別に要らない。
ルーサー・スティッケルが全作に登場しているという事実を作るだけの登場で、まあおまけ。

この映画、「ミッション:インポッシブル」と銘打ち、「スパイ大作戦」っぽさもあるけれど、見終われば何十年も延々と作られ続けているハリウッドのアクション映画という分類分けに納まる映画。
始めからトム・クルーズの「007」っぽいアクション映画と分かっちゃいるけれど、「ミッション:インポッシブル」ならもっと「スパイ大作戦」的爽快さを期待するのは間違いなのかなぁ?
「スパイ大作戦」的なモノを期待するなら、それこそテレビドラマ版の「スパイ大作戦」を見れば良いし、最近の「スパイ大作戦」に近い感じならテレビドラマの「バーン・ノーティス 元スパイの逆襲」を見れば良いか…。

☆☆★★★
 
 
関連:ミッション:インポッシブル
   ミッション:インポッシブル2

60セカンズ

2017年04月06日 木曜日

ドミニク・セナ監督、ジェリー・ブラッカイマー製作、ニコラス・ケイジ主演の2000年のアメリカ映画「60セカンズ(Gone in Sixty Seconds)」。
1974年の映画「バニシングin60″」のリメイク。

かつては凄腕の自動車泥棒だったメンフィスは足を洗っていたが、自動車泥棒をしくじり殺されようとしていたメンフィスの弟キップを助ける為に再び自動車を盗み出す事になる。
一晩で五十台を盗まなくてはならず、かつての仲間を集め始めた。

ニコラス・ケイジが出ているので何となく見てみたけれど、わたしが自動車免許を持っておらず、自動車に興味が無いにしろ、映画としてはおもしろくもない。
見た目は派手な感じで人物も立ってはいるけれど話はおもしろくもなく、全然捕まれる部分が無い、如何にも1990~2000年代に大量生産されたジェリー・ブラッカイマー製作の映画。

主役のニコラス・ケイジは毎度の弾け切らない良い人風の顔だけれど、泥棒で悪さもあるとも見せ切れない非常に中途半端な演技なのはしょうがないにしろ、周りの役者はロバート・デュヴァルアンジェリーナ・ジョリーデルロイ・リンドー等濃い人達で固めていて脇役の個性が立っているのに、各人物は深く掘り下げられもせず、見せ場も大して無い。
始めは泥棒仲間の得意分野紹介があるけれど、それが活かされるのも泥棒開始の序盤だけで中盤以降はその得意分野の見せ場は無いし、五十台も盗まないといけないので単に大人数が必要だからの人数合わせ位の意味しかなくなる。
ロバート・デュヴァルは自動車が納入される現場でリスト確認していないので何の役か分からないし、アンジェリーナ・ジョリーがまだ映画「トゥームレイダー」の一年前の映画とは言え、金髪のドレッドヘアーで登場し、見た目は濃いのに本当に活躍場面が薄くて、見た目優先で人物が立って来ない。
キャッスルベック刑事もあれだけニコラス・ケイジを追い回していたのに、最後に「弟想い」というだけであれだけあちこちに騒ぎを起こして隠し切れないニコラス・ケイジの所業を一切見逃している様で、どうやって揉み消したのかとかの疑問が残るし、そもそも許してしまうって適当過ぎる人物に仕上がっているし。

何より展開が緩慢で退屈。
自動車泥棒までのニコラス・ケイジの動機付けや仲間集めはダラダラし、自動車泥棒部分になっても50台も盗まないといけないので次々と盗んで行かなくてはならず、まあお手軽に次々と盗んで行くので緊張も緊迫も無いままダラダラと話は進んで行く。
そして、最後はニコラス・ケイジが因縁を感じている自動車で今まで追っ駆けていたキャッスルベック刑事とのカーチェイスになり、最終的には命を狙った泥棒の依頼主との対決で殺してしまって、めでたしめでたし…と、まあ在り来たりでしかない退屈な展開しか見せない。

普通この設定なら上手い事やる、手に汗握る自動車泥棒を見せたり、派手なカーチェイスを見せるのに、それは少々で物足りなさしかないし、人間関係も薄く、最後の取って付けた様な兄弟の愛情なんて陳腐過ぎて見てられなかったし。

脇役は他にも見た事ある人が結構出ていた。
ドニー役のシャイ・マクブライドはテレビドラマ「ヒューマン・ターゲット」のウィンストン役や、タンブラー役のスコット・カーンはテレビドラマ「HAWAII FIVE-0」のダニー・ウィリアムズ役や、敵のボスのカリートリー役のクリストファー・エクルストンはテレビドラマ「ドクター・フー」の九代目ドクター役(気付かなかった)等、後に何かのドラマで見る人がいて、まだ皆若い事もあって後から思うと「そうだったのか…」という気付きの感じ。

この映画、何で「六十秒」なのか分からないんだけれど、この題名からしてもっと手に汗握る秒単位の攻防が見られるかと思ったのに終始ダラダラ。
登場人物は見た目は立っているのに、幾ら話が進んでもそれ以上の深さが見えず仕舞い。
何処も彼処も1990年代に大量生産されたハリウッドのアクション映画の典型ばかりで飽き飽き。
決して「クソだ!つまらん!」と憤慨するまで行かないけれど、典型をなぞった凡作でしかない。

☆☆★★★

96時間/リベンジ

2017年04月05日 水曜日

オリヴィエ・メガトン監督、リュック・ベッソン製作・脚本、リーアム・ニーソン主演の2012年のフランス映画「96時間/リベンジ(Taken 2)」
映画「96時間」の続編。

前作で娘を誘拐されたブライアン・ミルズは、やっぱり娘が心配で自動車運転を教えたりと顔を会わせていた。
前作でブライアン・ミルズが皆殺しにした犯罪組織のボスの父親が復讐を企み、イスタンブールに仕事で来ていたブライアン・ミルズと彼の元妻と娘の誘拐を計画していた。

前作は、あのほのぼの父娘のコメディから娘の誘拐になり、電話で冷静に取るべき行動を教える父親という非常に上手く緊迫感のあった導入でおもしろかったのに、その続編はクソつまらなかった。

まず、前作で中盤以降主人公がやたらと残虐になり、とにかく皆殺しにしてしまうという展開に疑問を感じてしまったけれど、この続編で「無残に残酷に殺されてしまった息子の復讐に走る父親」という設定で結構納得。しかし、リュック・ベッソンの事だから、とにかく皆殺しで楽しいアクション映画を…と考えて、その結果でたまたま続編が作れるのでそれを活かしただけの事なんだろうけれど…。
この復讐という時点で、始まった瞬間に「また、家族が誘拐されるけれど、結局はリーアム・ニーソンが敵を皆殺しにして終わりなんでしょ…?」と思ってしまい、ほぼそれがそのまま繰り広げられるだけなので、まあただでさえ低い期待値を超える事も無く終わってしまう。

一作目が娘の誘拐で、それを助けようとするリーアム・ニーソンだったので、続編では今度は逆にリーアム・ニーソンと元妻が誘拐され、リーアム・ニーソンが動けない中で娘が助けようとすると言う展開になり、「どんだけ町の地理と自分の位置把握正確なんだよ!」というツッコミはあるにしろ、その部分だけはおもしろかった。
ただ、娘はあの細い路地の中を超一流のスタント・ドライバー並みに自動車運転してしまい白けるわ、元妻を助けに行く終盤になると一切娘が出て来ず、娘の存在がいらなくなってしまうわで、この再び誘拐は序盤は成功かな?とは思ったけれど、終盤では失敗でしょ…と思ってしまった。

それに、この映画の題材が「暴力による解決が更なる暴力を生み出す」「憎しみの連鎖」を扱っているので、そこら辺の主張があるのかと思いきや、流石はリュック・ベッソン。「問題は皆殺しにすれば全て解決し、ハッピーエンド」という酷い結末しか見せずに終わる。

脚本や展開も酷くつまらないけれど、この映画で一番酷かったのが編集。
最近のアクション映画の傾向でもあるけれど、カットを短くして早く繋いでアクションを素早く見せるというのがあるにしろ、この映画の編集は短く切り過ぎて何が行なわれているのかを把握出来ない。
例えばリーアム・ニーソンのアクション場面だと、リーアム・ニーソンが右向いていた直ぐ次の瞬間には左側からのカットになり、直ぐ次にはリーアム・ニーソンの背中側のカットになりと、数秒もない短いカットでリーアム・ニーソンの向いている方向が違ったり、やって来た敵の方向が直ぐ次のカットで別の方向になっているので、見ていても「何?何?誰が今何しているの?」と訳が分かんない。
自動車での街中を走る場面も「今自動車がどっちの方向向いていて、どっちにハンドル切ったの?」とか、見ていても混乱ばかり。
これって、その太った体でアクションをしても動けないのを誤魔化したり、最早自分がアクションをするのが面倒でスタントを多用して、それを誤魔化す為に顔を映さず手足だけのカットを連続して早く繋いで行く、省エネ・アクションの大家スティーヴン・セガールのビデオ映画の編集と同じ。
今回も前回の内容も、家族が誘拐されて自ら一人で犯罪組織に堂々と乗り込んで行って皆殺しにしまくるだけというスティーヴン・セガール映画と大して変わらず、単にスティーヴン・セガールをリーアム・ニーソンに挿げ替えて大きな制作費で作りましたという映画だし。

更に酷いのは邦題。
前作で原題は「Taken」なのに「96時間」と勝手に邦題を付けていたけれど、それは「誘拐されてから無事助けられるのは96時間…だと思う…」と言う主人公の予想からで、しかしそれも今作の元妻の「娘を72時間で助けた」という発言で、実は96時間もかかっていなかった事が分かりながらも一度勝手に付けてしまったので続編も同じ題名にしなくてはならず、しかも今回は96時間は全く関係無く、しかも「リベンジ」しようとしているのは敵側で、最早邦題は何のこっちゃ?な意味不明な題名になってしまっているし。
近年の邦題の出来の悪さ、感性の無さったらなく、日本の配給会社の体たらくしか見えて来ない。

それにしてもリュック・ベッソンって、細い路地でタクシーを走らせるのが好きだな。
彼のお家芸と言えば聞こえは良いけれど、最早そればかり、それでしか見せる事が出来ないんじゃないの?と思えて来てしまう。

この映画、一作目に比べると主人公の情報収集能力や娘を見付ける事が出来るかもしれない…という緊迫感等、あれだけ見入らせた要素を削ぎ落とし、分かり切った誘拐までの時間をかけ過ぎながら、自分が逃げ出した後に元妻を助けに行くと言う緊張も集中力も分断させる二部構成にしてしまったり、暴力が復讐を生み出すという題材なのに皆殺しにしてお終いという見終わってもスッカスカの内容に見難過ぎる編集と本当に酷い映画。
結構以前から、「一作目がおもしろかった映画は二作目の方がおもしろくなる」という傾向を感じていたけれど、ここまで二作目で落ちた映画も珍しいんじゃないだろうか?

☆★★★★
 
 
関連:96時間