用心棒

2017年08月13日 日曜日

黒澤明監督・脚本、三船敏郎主演の1961年の映画「用心棒」。

一人の浪人が宿場町に現れた。
その宿場町は跡目のいざこざで揉めた二人のヤクザの親分が対立しており、町が閑散としていた。
その状況を知った浪人はどちらにも自分を売り込み、ヤクザに互い同士で戦わせようと目論んだ。

黒澤明の映画でおもしろい映画は展開と登場人物の立て方が本当に見事。
この「用心棒」も、まあ展開はおもしろいわ、上手いわ、人物は立てまくるわで、見ていても途切れる事の無いハラハラとドキドキで目が離れず、登場人物達にニンマリしてしまう。

展開は非常に分かり易く、初めに対立している事を見せ、そこから三船敏郎がどう立ち回るのかで見せる。
この小さな町で二組のヤクザが対立しているというだけの簡単な構図なのに、そこからの転がし方が見事。
三船敏郎のどちら側にも押したり引いたりの交渉がヤクザの対立を加速させ、それによってコロコロと状況が変わり、その状況にどう三船敏郎が対応して行くかが目を離させない。
この単純な対立の中で微妙に変化する状況を捉えて、どうすればより対立するかを考え出すという展開が本当におもしろい。まるで密室劇の群像劇の様な緊迫感とワクワク感がある。

それに決して痛快娯楽でもないというのもおもしろい。
始めは三船敏郎が機知で悪者同士を戦わせるという知能戦で三船敏郎がヒーローとしての勧善懲悪モノの感じだし、その中で笑いも非常に多いコメディ要素の多い話で痛快娯楽時代劇の雰囲気なんだけれど、終盤になるとあちらこちらで死体が転がり、町もあちらこちらで家が焼け落ち、最後には悪人は全員死んでしまう結構陰惨な話で、三船敏郎は確かに悪者を全員倒しはしたけれど廃墟となった宿場町の中を「後は知らん」と何処かへ去って行く姿を見るとまるで死神の様な恐怖さえも感じ、見終わると痛快娯楽とゾッとする怖さと虚しさも感じてしまい、感情がゴチャゴチャにされる。
これがこの映画の魅力でもある。

登場人物達も魅力的に立つ。
もちろん、際立つのは三船敏郎。
始まりの「枝を投げて行き先を決める」という場面だけで、この浪人が当ても無く旅をしていて偶然足を向けたという人物設定を全く語らずに見せる脚本の上手さもあるけれど、三船敏郎の存在感の強さでこの役は全く過去が語られないのに見ている方は色々想像してしまうだけの奥行きを持たせてしまう。
それに三船敏郎の殺陣は一瞬で数人を叩き切るという息をのむ迫力とその後直ぐに後ろを向いて歩き出すという痺れる位のカッコ良さに加え、時々見せる子供の様な屈託の無い笑顔を見せて可愛さもあるという、男も惚れてしまう様な気持ち良いカッコ良さがある。
他の人物も、例えば三船敏郎に捕まって人質にされて人質交換要員となる二人の無宿者は一目で分かる西村晃と加藤武という元々濃い役者なのもあって、少ししか出て来ないのに見事に人物として立っているし、加東大介演じる亥之吉は強いけれどアホという設定が物語の展開を転がす要素にもなっており、無駄無く人物がいるというのも上手い。
ただ、仲代達矢の卯之助は三船敏郎の好敵手として、三船敏郎の浪人の存在が大き過ぎる事への対抗としてか、大分役柄に色々と重く乗せたのでやり過ぎな人物になっている感はあるんだけれど、それでも仲代達矢のギラギラした感じは印象が凄く強い。仲代達矢は歳を経る毎に眼力が物凄い事になって行ったけれど、その予兆は見て取れる。

この映画、簡単な二組の対立の間で上手い事立ち回るという脚本の展開の上手さ。三船敏郎の魅力。殺陣のカッコ良さ。特に一瞬で終わってしまう殺陣からのスッと立ち去る三船敏郎の後姿のカッコ良さ等々、まあ素晴らしい映画、見事な映画。
この「用心棒」はわたしが見て来た映画の中の上位五位だけでなく、上位三位に昔から入ってた映画。

☆☆☆☆☆
 
 
関連:椿三十郎

七人の侍

2017年08月12日 土曜日

黒澤明監督・脚本、三船敏郎、志村喬主演の1954年の日本映画「七人の侍」。

野武士達に村を狙われた百姓達が窮地を脱するべく侍を雇って戦わせようとする。
ただ百姓達は雇える金も無く、飯を喰わせるという条件だけで侍を探すが見つかる訳もなかった。
百姓達が偶然出会った人助けをする浪人を説得し、その浪人が村で戦うのに必要な七人の侍を見付け出し、村へと向かう事となった。

以前と言っても二十年以上前だと思うけれど、わたしは一度この「七人の侍」を見たのだけれども、その時は終盤の切り合い場面位しか覚えておらず、それでも興奮したのを憶えていた。
しかし今改めて見るとその戦いの場面は素晴らしいけれど、この映画が単なる娯楽時代劇ではなく哲学的な、生きる事を考えてしまう映画だった事も改めて知ったし、登場人物が立ちまくりだわ、人物を非常に丁寧に描いているわで、やっぱり脚本も素晴らしい映画だった。

侍を集める所から百姓達のただ生きるという事さえ苦しみだという事から丁寧に描き、七人の侍がそれぞれの強烈な個性を出し、村にやって来てからの戦の準備と実際の戦いで起こる諸問題と、戦いでの人の生き死にと、まあ見事な描写と積み上げて積み上げての構成が見事。

登場人物達皆が非常に際立った個性を見せ、その個性があるからこそ、その人物に共感し、思い入れを持って見る事が出来るという仕掛けだし、脚本に加えて各役者の個性が強いので皆が活き活きと生きている感じがたまらない。
三船敏郎の菊千代は厳つい見た目とは違いはっちゃけて可愛い人物を全身で出しているけれども哀しさも持った人物で、まあ魅了的。そう言えば、「用心棒」や「椿三十郎」で登場する実は本名が分からず適当に名前を付けた浪人の元祖がここで見れるのも楽しい所。

志村喬の島田勘兵衛はにこやかで優しい人物だけれど、戦になれば非情だし、弓を射る場面は余りにカッコ良い。
それに志村喬を見ていると、台詞以上に顔で語り、彼が演じる島田勘兵衛は自分が活きる場所を見付け様と戦っているけれど、どうも死に場所を見付け様ともしている感じを思ってしまったし。

稲葉義男の片山五郎兵衛は穏やかで、島田勘兵衛とすぐさま意気投合し話が通じ合うのもワクワクさせる。

加東大介の七郎次は島田勘兵衛に付いて来る理由は分かるけれど、もう少し背景や活躍が見たかった。特に槍使いの見せ場が欲しかったし。

千秋実はやっぱり良い役者。林田平八のムードメーカー感はほっこりするし、早々と退場してしまうけれど強く印象に残る。

そして、一番の美味しい役なのは宮口精二の久蔵。
宮口精二って男前ではないし、背も高く無いし、見た目は強くも見えないのに登場からの剣士っぷりと、途中途中で見せる強さとカッコ良さには痺れた。
あの、闇夜の中をかけて行き、実際何をして来たのかを描かず、朝もやの中を悠然と歩いて来る場面の興奮よ。
この久蔵を見ていると、最近の時代劇の身長180cmで男前とか嘘臭さしかない侍や剣士の作り物は見てられず、身長160cmもない宮口精二が当時の本当の侍や剣士の姿を見せてくれている気がしてならなかった。

岡本勝四郎役の木村功は役得の感じがするけれど、おぼこい未熟な侍にはぴったり。

それに与平役の左卜全って、「老人と子供のポルカ」の時でもおじいちゃんだけれど、それより16年前のこの時もおじいちゃん。左卜全って、生まれた時からおじいちゃんじゃあないのかと思えてしまう。
左卜全のしょぼくれ顔は天下一品。

まあこれだけの役者がこれだけの役を演じるのだから、そりゃあ濃いし、そりゃあ役者を見るだけでも、役を見るだけでもおもしろい。
その登場人物達が多くは語らずに行動や顔の表情で人物の背景を思わせるんだからたまらない。

人物だけでなく構成も見事。
酷く暗い百姓達の侍探しから、侍が一人一人集まって行くワクワクする展開に変わり、結構ほのぼのした村での戦いの準備から実際の戦いへの緊迫感へと実際の戦いまでの積み上げも上手いし、実際に戦いが始まってから終わりまでは一時間位もあるのに一切飽きさせず、緊迫感を持ったままで一気に見せるし、本当に脚本が素晴らしい。
どれだけ重要人物でもあっても急にあっさり死んでしまうし、その後の周囲の哀しみとかも非常にあっさりだったりと、この終わらせ方も下手にお涙頂戴にしないで良い。

それに脚本の構成だけでなく、話自体は困窮した百姓が侍を雇って野武士を倒すというだけの話ではあるけれど、そこには百姓として生きて行かなくてはならない辛さや、侍の無為な人生等を端々に描き込み、「生きる」って何だろう?と考えさせる題材を見せるのも素晴らしい部分。
百姓も侍も単なる弱者強者ではなく、誰もが強さ弱さと狡さや虚しさを持っていると物事を一面的に描かない姿勢が単なる娯楽時代劇にはしていない。
百姓は弱く侍が守るという一般的な価値観から脱する為に百姓は実は強いという事を描いてはいるけれど、今見ると百姓の行動って物凄く普通の人間の行動だと思う。生きる為に必死なんだからそりゃそうだろうという行動だし、寧ろ侍達の方が特殊。自分の生きる場所を見付け出したいが為に何の見返りも無く関係も無い人の為に戦うという行動や、それによって死んでしまう事とか、普通ではないよな。

この映画は見る人の現状によって見方も違うだろうと思う。
家族を持って生きている人だと百姓側の目線で、最後の「勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」と言う台詞も、そりゃそうだろうとなって結構娯楽映画になるだろうけれど、島田勘兵衛の様に独り身で思い返しても仕方の無い生き方をしていると最後の台詞も辛いよなぁ。命を懸けて生き場所を見付けるはずが、結局はそんな生き場所でもなく、充実した死に場所でも無かったとなるとただただ虚しさしか残らず、これって社会に馴染めなかった人々や想いが叶わなかった人を描いた映画でもあったのか。

加えて見事なのが映像。
どこを切り取っても一枚の写真として綺麗だし、何処もが見せ場。
役者の存在感だけでなく景色の決まり方で見事な画面になっているし、人物の前に物を映し込んだり、ワンカットでカメラを移動させたりと構図と動きの強さったらない。
最後の雨の中の戦いなんて、まあ見事としか言いようがない迫力と現実味と汚さの素晴らしさ。
まず一回目は話を見て、二回目は画面の作り方を見るだけでも楽しさと成程さに溢れていると思う。

この映画、人物の立て方、役者の存在感、脚本の構成、画面の構成と全ての要素が見事に絡み合って非常に素晴らしい映画になっている。
3時間40分弱もあるのに全くダレる事も無く、一気に見れてしまう。しかも笑いと哀しみと興奮と虚無感と様々な感情が湧き起こされるという凄い映画。

☆☆☆☆☆

隠し砦の三悪人

2017年08月11日 金曜日

黒澤明製作・監督・脚本・編集、三船敏郎主演の1958年の日本映画「隠し砦の三悪人」。

百姓の太平と又七は一旗揚げようと山名と秋月の戦いに参加したが、秋月は負け、二人は山名の捕虜となってしまう。
何とか逃げ出すと偶然薪にしていた木の枝の中から金を見付け出す。その金は山名の捕虜の時に聞いた秋月の隠し軍用金だった。
二人は金を持ち逃げしようとするが二人の前に謎の男が現れ、太平と又七とその男の三人で金を持ちだそうとするが、太平と又七の前には秋月の姫と思われる女が現れ、謎の男は彼女には手を出すなと言う。

わたしは黒澤映画は有名所は見て来たけれど、何でかこの「隠し砦の三悪人」を見てなかった。しかし、この映画痛快娯楽時代劇として非常におもしろいし、非常に素晴らしい。
筋としては皆で軍用金を持ち出すというのは分かっているけれど、「この先、どうなんの?」「この窮地をどう乗り切るの?」と常にワクワク、ドキドキが続き、太平と又七を中心としたコメディとしても面白いし、剣劇としても非常に緊迫感と興奮があるし、人物は誰もがギャンギャンに立っていて、支配者層と普通の人の違いを人間味を持って描いていて、まあ上手い。

始まりから太平と又七の悪口言い合いながらもノホホンとした関係をはっきりと見せながらも、目の前で兵士が殺されて、実は逃げ場が無い追い詰められた状況だと見せる所で、コメディとしてもサスペンスとしても掴みが抜群過ぎて捕まれて離されなかった。

その後の捕虜達の暴動の圧倒さから、ちょこっとだけ遠くに見える真壁六郎太の登場とか、まあ画的な強さも半端無い。

序盤で真壁六郎太が本物なのかどうかの謎も色々ミスリードを見せながらも、早い段階で軍資金と姫を山名領を通り抜けて運び出すという方向へ持って行き、そこから次々と問題が起こるという展開の移り変わりも見事な早さ。

窮地が次々に訪れ、それを機知でかわして行く楽しさを見せておいて、突然真壁六郎太の走る馬上での切り合いから田所兵衛との一対一の決闘へと一気に雰囲気を変えるという展開が非常に気持ち良い。
特に馬上での切り合いは近年のハリウッドのアクション映画でも感じた事の無い興奮だったし、そこから静と動を意識させる田所兵衛との槍での戦いは興奮が止まらなかった。
ここでの対決は真壁六郎太と田所兵衛の関係性と各人がどういった人間かを見せ、それが終盤の展開に繋がって、田所兵衛の行動をすんなりと納得出来るのだから派手な見せ場と人物を見せる場面とそれが振りになっているという本当に上手い脚本。

上手いのはそれぞれの人物の描き方も。
太平と又七の悪態つきながら喧嘩しながらも危機になれば身を寄せ合う仲良しさと、また喧嘩したりの行ったり来たりでこの二人が単純なアホで、その単純なアホさが問題を引き起こすという展開になるし、真壁六郎太のこの状況だからの覚悟と迫力と機転の良さと清々しさとで、この人物だからこそ上手く太平と又七を操れるし、田所兵衛も付いて来るという展開も分かり、この人物像と物語の展開が合致するのが見ていて本当に気持ち良い。

その人物を立てているのは脚本もあるけれど役者の力も凄い。
太平役の千秋実と又七役の藤原釜足は普通の人間としての狡さや恐怖を見せているけれど、二人が文句を言えば笑ってしまうコメディアンっぷりがたまらない。
真壁六郎太役の三船敏郎は、あの迫力と魅力の塊の様な人物はやっぱり三船敏郎じゃあないと成り立たない。
田所兵衛役の藤田進はおいしい役所ではあるものの、こちらも迫力と清々しさがたまらない。
雪姫役の上原美佐は存在感はあるものの、喋るとまあ下手。上原美佐はこの映画が初出演だったらしいけれど、台詞を言うと素人並みで、もうちょっと何とかならんかったのか?と思える。途中のおしという事にしたのも、作中内のどうのこうのよりも彼女に喋らせないという事が先行した様に思えるし。

この映画、まあ全てが見事。素晴らしい娯楽時代劇。
グイグイ引き込まれてしまう展開。機転だけの問題突破だけでなく、剣劇としても抜群に緊迫感と迫力があり、最終的に清々しいめでたしめでたしで、見終わると太平と又七の様に一時の夢を見ていた様な不思議な気持ち良さがある。最後のあの太平と又七でのサラッとした終わりなんかたまらない。
これを見て、改めてやっぱり黒澤明は凄いなと。

☆☆☆☆☆

ゲームセンターCX THE MOVIE 1986 マイティボンジャック

2017年08月09日 水曜日

蔵方政俊監督、有野晋哉主演の2014年の映画「ゲームセンターCX THE MOVIE 1986 マイティボンジャック」。
CS放送のフジテレビワンツーネクストで放送されているテレビ番組「ゲームセンターCX」の映画版。

2006年から2007年にかけて「ゲームセンターCX」で三回に渡って放送された有野の挑戦の「マイティボンジャック」の映像に1986年のゲーム好きの少年ダイスケの物語が挟み込まれる。

「ゲームセンターCX」は以前から毎月第一日曜日はCSが無料放送をするので、わたしはその時に「ゲームセンターCX」を録画し、DVDやブルーレイにダビングして保存しており、調べてみたら百回以上を見ているので大体半分位は見ている。
それに、よゐこの有野晋哉は昔から「オレたちやってま〜す」とか、今だと「オレたちゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン〜」等のラジオ番組を聞き続けていて、わたし自身は全然気付いていなかったし、そんな気もないけれど結構昔から有野晋哉を見続けて、聞き続けていたし、「ゲームセンターCX」も好きではある。
ただ、この映画はそんなわたしでもおもしろくなく、あらゆる部分が酷く、映画としても最低。

有野の挑戦部分はわたしは以前に「ゲームセンターCX 有野の挑戦 アーカイブス」で前編・後編を見てしまっていたというのもあるけれど、劇場公開される映画として作られているのに新たなゲームに挑戦するのではなく、過去の放送を結構編集した総集編を流し、まあ手抜き感、お手軽感ったらありゃしない。
この「マイティボンジャック」のクリアまでの挑戦はテレビ放送から結構編集されているので、全てを見るなら「ゲームセンターCX DVD-BOX4」に「マイティボンジャック完全版」が収録されているのでそっちを見た方が遥かに良い。
この映画での「マイティボンジャック」の挑戦は映画用の編集が結構あるし、何より1986年の少年部分と繋げる為に事実を改変しているし。

この映画の一番致命的なのは、間に挟まれる1986年の少年部分がおもしろくもない上に、必要も無いという事。
「マイティボンジャック」が発売された頃のゲーム好き少年の淡い恋心を描いているのだけれど、「ゲームセンターCX」を見ている30代以上の視聴者の多くが郷愁にかられる様な話にする為か、これがまあ安っぽい話で、はっきり言って陳腐。
わたしもこの時代には近い頃の子供だったけれど、こういう中学生の青春って全然響かない。「はい、はい、典型典型」で興味も無かった。
この少年の話と有野課長の挑戦を繋げる為に無理矢理少年が最後の公開収録に現れるとか意味不明。
まだこの少年が有野課長の少年時代という設定なら見ていても興味は湧くし、過去と現在との繋がりもある訳で何故か未来に行くという展開も分かるのだけれど、全く関係も無い少年の話っていらんだろ。
それに事実のねつ造までして過去と未来を繋げたのにエンド・クレジット後に少年の前に有野課長が現れるとか、お遊びでやったにしろ折角の繋がりを台無しにするだけの最悪なおまけ映像だったし。
まあ、有野課長の少年時代にしてしまったら、有野晋哉の兄ちゃん姉ちゃんがゴリゴリのヤンキーだったからこの展開にはならないからではあるだろうし、そもそも登場人物全員大阪弁じゃあないといけないので、これだけ安く仕上げているのに東京ロケが無理で大阪ロケだと制作費が全然足りないなんて事もあったのかもしれないか。

映像も有野の挑戦部分は2006年なので4:3画面時代で、新作部分は1.78:1なので、この二つの部分が変わる度に画面サイズが変わって違和感しかない。
16:9サイズの時代の映像か、それこそ新作で撮るべきなのに、過去の栄光だけに頼ってしまったばかりの不自然さが前面に出まくり。
これ、映画館で上映した時の有野の挑戦部分の画質ってどんなもんだったんだろう?別にHDリマスターとかしていないなら大分ボヤッとした映像と急に鮮明な映像になっていたのかしらん?
わたしはたまたま放送していたMONDO TVで見たのだけれど、MONDO TVって未だにSD画質なので、二つの映像の違いが大して分からなかった。
それと、この映画とは関係無いのだけれど、MONDO TVって未だにSD画質な上に映画でも途中で宣伝が入るという酷い仕様。有料放送でこれって、酷い…。

この映画って、「ゲームセンターCX」が人気でソフト版でも人気が出て売り上げが高いので、「更に稼ぐ為に映画にしよう!」と息巻いて作られたのが分かるけれど、ここまでの手抜きの総集編と駄目な過去の新作部分で、酷い映画と言うのか、テレビ番組の総集編と言うのか分からないゲテモノ的グチャグチャ感ばかりで、何じゃこりゃ?
「映画だ!」と知って期待して見た「ゲームセンターCX」のハードコアファンの暴動が起きなかったのが不思議な位酷い出来。
テレビ番組からお金を稼ぐ為の映画化はよくある手法だけれど、その中でも一・二を争う最低の映画じゃなかろうか?

★★★★★

スローターハウス5

2017年08月08日 火曜日

ジョージ・ロイ・ヒル監督、マイケル・サックス主演の1972年の映画「スローターハウス5(Slaughterhouse-Five)」。
カート・ヴォネガットの小説「スローターハウス5」が原作。

ビリー・ビルグリムは老年を迎えていたが、過去・未来へと時間旅行をしていた。
過去に経験した第二次世界大戦でのドレスデン爆撃やアメリカ帰国後の結婚生活。そして、突如トラルファマドール星人に誘拐されてのトラルファマドール星での暮らしに自分の意識だけが飛んでいた。

わたしの事前知識としては、「カート・ヴォネガットのSF小説が原作」「時間に関係するSF」位しかなく見てみたのだけれど、全然SFじゃあなく、ドレスデン爆撃を思い出す記憶や意識に障害のある老人の妄想で、全く乗って行けず。

SF要素としてはトラルファマドール星人による誘拐なんだけれど、これが唐突な取って付けた話で、ジョークかと思う程戦争話とは乖離し、大分ポカーン…。
素直にそのまま理解するなら、戦争体験での自閉症的PTSDと、それを解決しようとする電気ショックによる酷い治療。飛行機墜落とそれに発狂した妻の死等、記憶や意識が混沌としてしまう程の経験を重ねた老人が衰えもあって、以前見たポルノ的な映画の女優とどっかの星で暮らすという自分が気持ち良い妄想の世界に行ってしまい、妄想が自分を捕らえる中で過去を走馬灯の様に思い出しているだけにしか思えないんだけれど。
特にトラルファマドール星のあの能天気な景色見ると、より妄想にしか思えないし。
あの飛行機を墜落させたテロリストも結局何だか分からないし、多分四十年以上経ってからの急な復讐も何で今更なのかも分からないし、ドレスデン爆撃以外の話の取って付けた感が物凄い。

トラルファマドールの登場で相当ズッコケてしまうのだけれど、本来の主軸であるドレスデン爆撃の話もいまいち弱い。
この映画を見てから知ったのだけれど、原作の「スローターハウス5」が書かれた1969年頃はまだドレスデン爆撃が知られておらず、実際にドレスデン爆撃を体験したカート・ヴォネガットが書いたという事で非常に重要な意味がある事を知った。
ただ、今にこれを見ても、散々映画等で見て来た第二次世界大戦のヨーロッパでの出来事を、特に盛り上がる話ではなく、自分の意志が見えず何を考えているのか分からない主人公の翻弄を淡々とずっと見せられても全然おもしろくもなかった。

この映画が基本的につまらないのは、やっぱり主人公の意志が見えて来ないからだと思う。
この主人公が何を考え、何をしたいのかが見えて来ないので、終始「だから何?」状態。
戦争に巻き込まれた人を描くにしても、主人公なのにその他大勢程度の薄さしかないし。
むしろ主人公の周りの人々の方が個性が立ち、活き活きとしているので、「主人公の話はいいから周りの人間の話の方が見たい」と思ってしまい、「そもそも話を引っ張るだけの主人公に対する共感性ってあるのかしらん?」と思ってしまった。
トラルファマドール星人は自由意志がどうのこうの言うけれど、一番自由意志が感じられないのがこの主人公で、この主人公を選んでいるのって何かの皮肉なのか、それとも超人的存在のトラルファマドール星人を宗教的な神とする比喩で、神って結局間抜けじゃん!という皮肉なんだろうか?
主人公の意志や感情が見えるのは最後の周りに面倒臭い人間がおらず、自分が憧れてた若いポルノ女優とセックス出来て「ウヒョー!」の非常にしょうも無い部分だし。

ずっと主人公の世話を焼き、何とかアメリカに帰ろうとしていた先生は人形一つ取ってしまい、それを素直に見せてしまった為に簡単に殺されたしまったけれど、大きな家具を盗もうとした主人公は身動き取れないのに助かったとか、何かよく分からない内に主人公は社会的地位を上げていたり、トラルファマドール星人に偶然誘拐されて楽しい理想の老後を過ごせたりと、主人公ってドレスデン爆撃に巻き込まれて壮絶な体験はしているけれど、ただただ偶然に運が良いだけという非常にしょうも無い展開。

それにこの主人公、死を悟った感じで過去も未来もどうのこうの言うのだけれど、この映画の最後の場面って、面倒臭い問題が一切無いトラルファマドール星で若いポルノ女優とセックスして子供が出来て「やっほーい!」でお終いなので、まあ言っている事と見せているこのチグハグ感たらない。

全ての時間軸が前後する編集や見せ方は良いのだけれど、編集を時間軸通りにならべると物凄くしょうもない。

この映画、今見ると退屈な戦争映画だし、SFとして見ると老人の妄想世界しか思えずSFには思えないし、非常にしょうもなかった。
原作小説だともっと丁寧に書いているのかなぁ?

☆★★★★