片腕ドラゴン

2024年06月07日 金曜日

ジミー・ウォング製作総指揮・監督・脚本・主演の1972年の香港映画「片腕ドラゴン(獨臂拳王)」

敵対する道場の弟子と揉め事を起こしたチェンロンは師匠から怒られてしまう。
気が収まらない相手の道場主は外国から武道家達を呼び集めてチェンロンの道場に殴り込み師匠や弟子達を皆殺しにし、チェンロンは右腕を切り取られてしまった。

ジミー・ウォングの「片腕必殺剣」やジミー・ウォングは出ていないけれどその続編的別映画の「新・片腕必殺剣」を見たので更にジミー・ウォングの映画をもっと見てみようと思い、この「片腕ドラゴン」を見付けたものの、何故かAmazon プライムビデオには吹き替え版しかなかったので仕方なく吹き替え版で見てみたけれどこれが大失敗。
吹き替え版が酷い。
ジミー・ウォングはこの時三十歳前なのに声がおじいちゃん。
ジミー・ウォングの田中信夫の声が完全におじいちゃんで時々呂律さえ危なっかしい事もあるし、このジミー・ウォングと全くあっていない。
しかも、ヒロイン?の吹き替えの高橋ひろ子もおばあちゃん声で、ジミー・ウォングとヒロインの場面は映像を見ないとおじいさんおばさんの会話にしか聞こえないという最早吹き替えコント。
日本語版の吹き替えが何時録音されたのか分からないけれど、多分1970年代やそれ以降の吹き替えではなくて新たにソフト版を出した時の2010年位に新録された時の物だと思われ、だったらわざわざベテランになってしまった声優で新たに撮り直さなくてもと思ってしまう位この吹き替え配役が完全に失敗していた。
それにこの映画は時代物でもあるのに登場人物が「コントロール出来る」とか「3センチ下だ」とか言っていて翻訳自体も酷い。

映画自体もつまらなく、始めは主人公が切っ掛けとして話が進むものの直ぐに主人公が登場しなくなり、延々と主人公側の道場の人々と敵側の人々の揉め合い、戦いになり、しかも敵側の話が多く、主人公がいないままで話しが進むので暫くするとずっと何を見させられているのか分からなくなって来る。
敵側が外国から武術家を集めて来ておもしろそうな事になりそうなのだけれど、道場で弟子対武術家の戦いを延々と繰り返し、投げ技の柔道家以外は皆同じ様なカンフー?の様な動きなのでアクションもおもしろくなく結構退屈。
外国からの武術家達はやたらと役が濃いのに特に話を膨らます事も無く、沖縄空手とチベット仏教僧との対立を序盤に出しておきながらここの関係性を何も描かないし、主人公の復讐が始まると初めは各武術家と主人公が順番に戦っていたのに面倒臭くなったのか行き成り全員集まってまとめて同じ場所での撮影になったり、折角おもしろくなりそうな全く違う武術対主人公も活きて来ない。

「片腕必殺剣」に続く片腕モノなので、どうしてもどうやって、どういう理由で片腕になってしまうのかが気になる所でもあり、見所でもあるはずなのに、道場で次々と弟子達と武術家が戦う中の一人として主人公が戦い、そこで右手を手刀で切られるという大分無茶な理由で全然おもしろくない。
しかも、腕を切られると医者に運ばれて主人公が出て来なくなり、また道場の人達と武術家達の戦いに戻るので流れの中での一つの話程度の扱いで主人公の存在感が薄過ぎ。

その後主人公が医者から抜け出し?道端で倒れている所を助けられて、そこの家で過ごすのだけれど、そこでの出来事は数枚の写真だけで説明してしまい話を一気に端折る。
左手の強化と修業もそこそこに端折ってしまい、片腕になった主人公がどう思って復讐に向いて行くのかとかは全然描かないので続く最後の復讐が全然盛り上がらない。
左手の強化も復讐の時に大活躍とも言えず、この強化いる?だし、そもそも片腕の必要もある?だし、それよりも主人公が倒れた時に体を真っ直ぐにしたまま起き上がって来るという謎能力が発動するけれどこれについては修業の成果とかの説明は一切無しで意味不明。

全体的なアクションも微妙で、各国の武術家を出しておきながらそれ程違いが無いのもそうだけれど他の弟子達もガリガリだったりで強そうには見えないし、アクションも見所が無いしでアクション映画としても楽しくなかった。
沖縄空手の師匠との対決が一番最後なのは分かるけれど、これまでずっと話の中心人物で一番憎き相手のはずの敵のボスと主人公が一切戦わず、敵が投げて来たダイナマイトを投げ返したら敵のボスが爆死で終わるとか酷い展開。

ただ、各国の各種の武術家達が立ちはだかるとか、主人公が苦行に耐えて強い体や能力を手に入れる所なんかは昔の格闘少年漫画の源流なんじゃないかと思えてそこではおもしろかった。
何処まで本気なのか笑わそうとしているのか分からない中国武術とか格闘技って「魁!!男塾」とか「闘将!!拉麺男」とかの感じ。

この映画、ジミー・ウォングが自分で全部何でもかんでもやってしまったからか主人公の出番は少なくなってしまい、そのせいで何の映画か分からなくなる感じだし、主人公があんまり出て来ない前半部分が変に長くて本来描かないといけない片腕になってしまった主人公を端折りまくって展開はつまらなく脚本が全然おもしろくもなく、何度も集中力が切れて寝落ちしそうになってしまった。
以前の「片腕必殺剣」の好評でこの時の時流のカンフーでやったのは分かるけれど全然「片腕必殺剣」の方がおもしろかった。

☆★★★★

少林寺三十六房

2024年05月30日 木曜日

ラウ・カーリョン監督、リュー・チャーフィー主演の1978年の香港映画「少林寺三十六房少林三十六房)」

明が滅亡して清が支配をし始めた広東。
海産物問屋の息子リューは清の支配を憎み始め、通っていた学校の先生が明の復興を目指す反乱分子だった為に彼に協力し始めた。
広東での清の将軍による鎮圧でリューの家族は皆殺しにされてしまった。
リューは強い力さえあれば戦えたと思い少林寺へと向かい修業を始めた。

片腕必殺剣」「新・片腕必殺剣」と見ておもしろかったので、続けて古い香港アクション映画で配信が終わりそうだったのでこの映画も見てみた。

リュー・チャーフィーは名前は知らなかったけれど剃髪姿は何かで見た事があったし、第三十五房の水に浮いた丸太を渡る場面が何か見た事ある様な気がして大分昔に見た事があったのかもしれないけれど内容は覚えが無く、初見として見てみた。

序盤から少林寺に行くまでは「成程成程」と思いながら見ていたけれど少林寺での修行になるとやり過ぎでちょっと冗談染みて来て心が離れ、終盤は「これで良いの?」でスッキリしないまま終わってしまった。

構成は、初めの三十分位が主人公が少林寺を目指す理由で、中盤三十分位が少林寺での修行で、終盤三十分位が復讐となっていて、この各部分で結構雰囲気が違っていた。
少林寺を目指すまでは歴史物でもあり、真っ直ぐな主人公が力を求めるかまでを結構じっくりと描いていて導入はそれなりにおもしかった。
ただ、これ以降もなんだけれど主人公が余りに素直に真っ直ぐ過ぎるので、これと思ったらそれに突っ走るのにあんまりついて行けないし、この序盤を見ていると主人公のその突っ走りが周りの事を考えずに不幸に導いたと思えてしまって何だかなぁ?な感じもあった。

少林寺に入ってからは結構悪乗りが過ぎて笑ってしまったけれど「どうなの?」感が沢山。
主人公が一年間雑用ばかりで武術を習えていなかったけれど、武術で有名な少林寺でも言わないと習わしてもらえないの?
基礎訓練では水に浮いた丸太を渡るとか、片手で重い錘で鐘を鳴らすとか、頭突きしてから線香をあげるとか、巨大線香の間で顔を動かさずに目で光を追うとか、ここら辺が冗談みたいな悪乗り訓練の連続でニヤニヤしてしまったけれど段々とやり過ぎ感で醒めてしまっていた。
それこそ何処まで本気なのどうなのか分からない昔の少年バトル漫画みたいで、そこら辺の漫画がここから発想を得ているのかなぁ?とも思ったり、そこの房だけで集中的に鍛えるよりは毎日各房回った方が継続的に鍛えられるんじゃない?とも思ったり。
それにしても人が多過ぎ。
修行僧も各房の坊主達も大勢いて、少林寺って数百人から千人越えの巨大組織なのか。
武器を扱う様になってからは普通のカンフー映画になるんだけれど、それにしてもこの辺りのカンフー映画って三節棍好きだよねぇ。
最後も主人公が三節棍で敵が二刀流って、この映画の直ぐ前に見た「新・片腕必殺剣」では主人公や仲間が二刀流(から最後は三刀流)で敵が三節棍で、この映画も「新・片腕必殺剣」も同じショウ・ブラザーズ製作なので何か関係あるのかしらん?

終盤になると主人公が少林寺での修行が終わって外に出て復讐劇となるんだけれど、ここがどうにもついて行けず。
話の構成上最後に復讐にならないといけないのは分かるのだけれど仏門の世界だった少林寺から出たら仏門関係無し?
主人公は初めから復讐目的での少林寺で修業をしたけれど、少林寺では仏教を教えていたはずなのに主人公が仏教に触れて何か心変わりしたとかも無いし、修業を始める時に一番強い房として第一房が最初に出て来て見せていたので最終的に主人公もここで仏教的な何かを理解してその生き方を理解して武術よりも強いモノを見付けるとかになるかと思いきや全く関係無く、第一房は全然出て来ないままだし、坊主達も仏の教えを分かっていない主人公を外に出せば復讐だけの為に武術を使う事が分かり切っているのに寧ろそれを期待する様な感じで外に出していたりして、仏の道とか全然どうでもいいの?と疑問。
主人公も外に出た途端に復讐し始め、すぐ隣でほぼ死んでいる敵を何度も何度も切り刻んでいるのに「阿弥陀仏」と言って祈るだけだけどそれでも僧侶って…。

この終盤の展開も微妙で、この終盤に来て主人公に味方する新たな人物達が次々と現れ、皆まだ粗いけれど鍛えたら良い武術家になりそうな感じを出しているから主人公が作りたいと言っていた第三十六房で鍛えて仲間を揃えて清の軍隊と戦うのかと思いきや、結構直ぐに主人公と敵の将軍の一騎打ちになってお終いで新たな人物達が特に活躍する事も無いまま。
この終盤だと元々はもっと展開させるはずが長尺になり過ぎるので時間が無くて振りは入れたけれど全部端折ってしまった様な感じを受けてしまった。

この映画、中盤の少林寺での冗談みたいなやり過ぎ修行を見せたくて作った様な映画で、ここを笑って楽しめたらおもしろい映画なんだろうけれど、わたしはここで醒めてしまって、しかもその後の僧侶の格好はしているけれど復讐で人を殺す事だけが目的の主人公について行けずで、何だかなぁ…で終わってしまった。

☆☆★★★

新・片腕必殺剣

2024年05月28日 火曜日

チャン・チェ監督、デビッド・チャン主演の1971年の香港映画「新・片腕必殺剣(新独臂刀)」

二刀流の武術家レイ・リーは名前を知られる存在になって来ていた。
若い武術家が気に入らないロン大侠はレイを罠にはめて決闘を行って負かして武術界から追放しようと企てた。
ロン大侠は自分が負ければ腕を切って武術から足を洗うとまで言うのでレイはロン大侠と戦うが負けてしまう。
レイは面子から自分の左腕を切り落とし武術をやめ食堂で働く身となった。
他人に心を開かなかったレイだったが食堂にやって来た二刀流の剣士フォンと打ち解け兄弟分となった。
フォンはロン大侠と手を組む虎威山荘の悪行を聞き虎威山荘へと乗り込んで行った。

ジミー・ウォングの「片腕必殺剣」がおもしろかったので続けてその続編の「続・片腕必殺剣」を見ようと思ったら配信に無かったのでこの「新・片腕必殺剣」を見てみた。
「片腕必殺剣」の原題が「獨臂刀」で、「続・片腕必殺剣」は「獨臂刀王」で、この映画が「新獨臂刀」なので主演がジミー・ウォングから変わったけれど一応三作目とはなっているみたい。

そのジミー・ウォングは一・二作目を製作したショウ・ブラザーズに所属していたのが契約等で揉めてゴールデン・ハーベストに移籍。
ゴールデン・ハーベストで一・二作目の続編でもあり勝新太郎の座頭市シリーズとクロスオーバーした映画「新座頭市・破れ!唐人剣(獨臂刀大戦盲侠)」を撮った事でショウ・ブラザーズが怒り、この「新・片腕必殺剣」の製作となったみたい。
なので原題にも邦題にも「新」と付いている様に全く新たな人物の片腕剣士の話になっていて前作までとは関係無くこれだけで見れる映画。

ジミー・ウォングの片腕剣士とはまた別の人物なのでこちらはこちらでおもしろく見れた。
自分の腕に慢心している主人公が負けて腕を切って武術をやめ、鬱々とした生活の中でもかつての強さを垣間見せる様な人間離れした動きをちょこちょこと入れて後半に振り、その悔しさの中で生きている所に自分を理解してくれるかつての自分の様な若い剣士が現れ、主人公を気に掛ける鍛冶屋の娘との三人の関係性が良くて楽しく、若い剣士が出て来た所でこの剣士の復讐で主人公が再び戦うのは何となく分かるけれど最後へどう持って行くの?で見入ったし、最後三十分位の主人公の圧倒的強さのアクションには笑ってしまった。
最後は主人公一人対百人以上?の敵との戦いになり、まあ主人公がバッタバッタと切り殺して行くのは圧巻過ぎて笑えてしまう。
1967年の「片腕必殺剣」からすると徐々にカンフー映画の流行も出て来た事もあったのか、この映画では剣術アクションが早くなってはいるけれどまだ発展途上な感じはあり、敵が無造作にやられ過ぎだったりもしたけれどこの無茶苦茶な戦いを撮ろうと思った事に感心。

それに戦いの場所となっている虎威山荘が凄い場所に凄い建物があり、その前の凄い橋があるんだけれど、この場所は結構序盤から出ていて、この場所って元々こういう所があったの?何かの映画用で建てられたセットなの?とずっと思ってしまう位で、ここで戦うのだから見栄えとしても凄く良かった。

「片腕必殺剣」とこの映画で大きく違ったのは武術に対する方向性。
「片腕必殺剣」では武術は人を不幸にするからという理由で否定的で、結果主人公は武術を捨てて農業を始める為に別の土地へと行ったけれど、この映画では武術は人を不幸にしていたけれどはっきりとした批判的な台詞も無く、主人公も若い剣士も面子や復讐の部分が大きく、最後この後主人公がどうしたかは描かれず。
そこの部分では「片腕必殺剣」の方がおもしろかったかな。

「片腕必殺剣」では利き腕ではない左腕だけになったので今までの剣が上手く扱えず短い剣を使い、訓練して戦えるまでになっていたけど、この映画の主人公は元々二刀流だったので左手でも今まで通りに剣が扱え、しかも超人的な身体能力だったりと戦えるまでの葛藤等も結構省いていた感じもあった。

それに三節棍で突かれて負けとか、剣で軽く撫でられて切り殺されていた位だったのが、若い剣士は体を上下真っ二つに切り裂かれるという結構残酷な場面を急に出して来たのには驚いてしまった。

あと不思議だったのはロン大侠が使う三節棍は三節棍なので節部分で各棍がぶらぶらしているのに突然三節棍が一直線で一本の棒の様になっていたけれどあれって三節棍がそういう仕組みだったのだろうか?
特に三節棍の説明が無いままだったけれどロン大侠の超能力?

最後鍛冶屋の娘が長い橋に死体が溢れかえっている中を死体を気にせず、あれだけの殺人にも引きもせず主人公に向かって嬉しそうに走って行ったけれど鍛冶屋の娘は何か感覚壊れ過ぎの様な気がしてしまった。

この映画、近年流行りのリブート映画だけれどこっちはこっちで鬱々と主人公を描きつつ、最後のやり過ぎ感のあるアクションまで持って行く映画としては中々おもしろかった。
この映画の続編は無いけれど、このとにかく大勢の敵を切りまくるという方向性を更にやり過ぎての続編も見たかった。

☆☆☆★★
 
 
関連:片腕必殺剣

片腕必殺剣

2024年05月27日 月曜日

チャン・チェ監督・脚本、ジミー・ウォング主演の1967年の香港映画「片腕必殺剣獨臂刀)」

使用人だった父親が自分の命を捨てて剣術の武術家の師匠の命を救った事でファン・カンは師匠の下で息子の様に育てられた。
ファン・カンを気にする師匠の娘やファン・カンの存在を妬む兄弟子達には疎ましく思われ師匠の下から出て行こうとしていたファン・カンは兄弟子達に決闘を申し込まれた。
簡単にあしらわれてしまった師匠の娘は怒って剣を振り回すとファン・カンは右手を切り落とされてしまった。
ファン・カンは何とか生き延び、シアオマンという一人の女性に命を助けられ彼女と共に暮らすがずっと武術家だった人生で武術さえ出来なくなってしまい自分を見失っていた。

ジミー・ウォングって多分ジャッキー・チェン関連で知ったはずで、そのジミー・ウォングの映画を一回見てみようと思い、配信が終わりそうだったので見てみた。

「片腕必殺剣」なのでハードボイルドな次から次への香港アクション映画だと思って見たら結構じっくりと悩める主人公を描く人間ドラマ重視の映画で良い意味で思っていた感じではなくて中々おもしろかった。

片腕になってしまう理由も、初めに山賊に殺されてしまった父親が出て来たので父親の復讐か、その復讐相手を探す中で悪者と戦って腕を切られてしまうのかと思ったら、ある意味仲間内の揉め事。身内の色恋沙汰のこんな理由で突然腕をぶった切られてしまうので序盤の大事な設定部分から意外過ぎて驚いてしまった。

それからは武術一筋だった主人公が利き手を無くしてしまい自分の意味を見失いながらもシアオマンとの生活で徐々に前向きになって行き、シアオマンは父親が何かの理由で殺されてしまい、それでも武術書を守ろうとした父親と残された母親とシアオマンの今までの人生から武術には否定的で、やがて主人公も武術を捨ててシアオマンと生きて行こうとする恋愛と人生を描いていて、思っていたよりも人生ドラマに重きを置いた話でこれが見応えがあった。

その分アクションは抑え目で、終盤までちょこちょこと戦いの場面はあるものの主人公による本格的な戦いは最後の三十分位。
1960年代という事もあるのだろうけれど皆の剣のアクションはもっちゃりしていて、皆が強くは見えない結構微妙な感じ。
その中で主人公のジミー・ウォングは片腕かつ折れた短い剣で戦うのでカッコ良く見え、相手に対して少し顔を横に向けて相手を見据えないのでそれが凄腕の達人感が出ていて凄くてカッコイイ。
この短い剣も主人公の父親が戦って死んだ時に折られた形見で、それを持ち続けて父親への想いをみせつつ、主人公が片腕になってしまいそれが利き手ではない左手なので通常の剣では重くて扱い難いのでその短い剣を使うという因縁めいた理由がある上手さを出していて更にカッコ良く思えた。

最後主人公は師匠への恩から敵を倒すとその後はシアオマンと共に農家になる為に新たな土地へと旅立つという終わりも良かった。

ただ、1960年代の香港映画だからか結構粗い部分もあり、主人公が初めから強い理由を描かなかったり、片腕になってから修業をしてはいたけれど少ししか描かないので行き成り更に強くなっている様にしか見えなかったり、事故とは言え腕を切ってしまった師匠の娘や兄弟子達はどう思っていたのかのその後が全然出て来ず、師匠の娘は終始うんことしか思えない言動だったり、敵の師匠の顔をずっと隠していた意味がよく分からなかったり、主人公を含めて皆が結構近場で暮らしているのに師匠側に噂話さえ届いていなかったり、序盤であれだけ出ていた兄弟子達があっさり殺され過ぎだったり、敵方の弟子達もあれだけ関わっていたのに手首を切られた後は一切出て来ずだったりともうちょっと描けばいいのにと思ってしまった部分が結構あった。

この主人公の悩める人生と助けてくれた女性の武術に対する否定感等をそのままに現代で再製作したらおもしろそうと思ったら1995年にツイ・ハークがこの映画のリメイク映画「ブレード/刀」を作っていたのか。
だけど粗筋を見てみたらこの「片腕必殺剣」とは結構違うみたい。

この映画、時代もあってかもっちゃりした部分は結構あったり、アクション映画としては微妙な部分はあるものの片腕になった武術家がどう生きるかを中心に描いていて、ジミー・ウォングの見得の切り方も印象的だったし、中々おもしろかった。
続編の「続・片腕必殺剣」も見てみたいのだけれどAmazon プライムビデオだと三作目だけどジミー・ウォングじゃない「新・片腕必殺剣」しかないのか。

☆☆☆★★
 
 
関連:新・片腕必殺剣

THE SECOND 2024

2024年05月20日 月曜日

昨年から始まった「THE SECOND」が去年おもしろかったので今年も見てみて、確かに各組の漫才はそれぞれでおもしろかったけれど今年は去年程の色んな世代の人達が色んな漫才でワチャワチャした感じの楽しさが少なくて、何か更なる競技漫才大会の続き「続M-1」感を感じてしまって全体的に乗って行けなかった。
「THE SECOND」って変に競技漫才大会じゃない感じがおもしろいと思ったのだけれど、苦節何十年目のセカンドチャンスとかと言われると素直に漫才を見て笑えなくなる感じが出て来てしまい、「M-1」で感じていた要らない煽りをまだやるんだ…でさめてしまった。

ガクテンソクはやっぱり一番おもしかったけれど、そう言えば何時の間にかカタカナ表記の元々のガクテンソクになっていたのか。
前の学天即の方が好み。

ザ・パンチって以前の「チャッチャチャース」「死んで~」の時以降知らなかったので、まるでヘンテコなギミック乗っけてバラエティに出て来る若手アイドルみたいな感じを受けてしまって引き気味で見てしまってはいた。
決勝戦までの三回の漫才で審査員のお客さんに多分徐々に飽きられて行ったのか、徐々に点数が落ちて行って最後が最低点数って去年のマシンガンズみたいでおもしろかった。
マシンガンズの場合は最後で一気に点数が落ちてそれもネタになっていたけれど、ザ・パンチの徐々に落ちて行ったのってネタにされてなかったか。

それから良かったのは松本人志がいなかった事。
テレビでお笑いの大会をするとなるとやたらと審査委員長的な立場が松本人志ばっかりでみんな似た様な感じになってしまっていて、テレビは松本人志に頼らないと大きな大会出来ないという末期状態から抜け出せたらいいのにねと思っていた所なのでよかったとは思うけれど、大吉先生が「M-1」ばりの審査員の様な批評をするのでやっぱり「M-1」感があって、「M-1」と別の大会として「THE SECOND」を始めたのにどうしても「M-1」的なモノをしたくて仕方ないのかしらん。

あと、こういうお笑い大会はやっぱり後から配信で見た方がわたしには合っていた。
煽り部分やお客さんの感想とかを早送って飛ばして見れるし、特に最近長時間のテレビ番組を見切れなくなって来ていて、この番組も四時間だから実質三時間半位を一気に見れず、何時も長い番組はご飯食べながら見ると満腹になって徐々に眠たくなって集中力が切れるので、長い番組はTVerで前後編になっているのでそこで一旦見終えて次の日に残り半分を見るのが常で、今回の「THE SECOND」もそれで、それが出来るのが配信の良い所。