続次郎長富士

2013年11月10日 日曜日

前作「次郎長富士」の直後の続編の1960年の映画「続次郎長富士」。前作と同じく、森一生監督、長谷川一夫、市川雷蔵、勝新太郎共演。

押しかけて来たゴロツキから話は始まるけれど、主題は次郎長組が前作で殺した親分の敵討ちを目論み、目立つ次郎長を潰そうとする今までの親分衆達からの策略や攻撃を如何にかわしてやり返すか。だけれど、次郎長はほとんど出て来ず、本郷功次郎や勝新太郎といった子分達の話が中心に進む。

初っ端から訳が分からない。本郷功次郎演じる七五郎が行き成り次郎長の元にやって来て、勝手に「身内になった」と言って組に入り込むけれど、こんな勝手な奴が何故かすんなり受け入れられ、ちゃんと子分として皆に認められていて、元の子分達との軋轢とか一切無いまま仲間の顔するという酷い導入から始まる。人物達の感情を全然見せない省き過ぎの脚本は一体何?やたらと登場人物が道端で偶然会い過ぎる都合の良過ぎる脚本にも辟易するし。
それに「続次郎長富士」なはずなのに、次郎長役の長谷川一夫はほとんど出て来ない。周りの子分達の話ばかりで、それも一人の話が終わると次の人へとブツブツと切れ切れで、群像劇にしては順番に粗く並べただけの構成。人物描写も人の良いヤクザ以上のモノが無く、ヤクザの縄張り争い、面子を保つ為だけに殺し合うだけで哀しみも何も無い。前作はもっと日常が描かれていたはずなのに、今作はずっとただ殺し合っているだけの印象。

刀での切り合いでは竹光での舐める様な切り合いで、一切血も出ないので記号としてのチャンバラでしかなく、どちらが優勢とかも分からず、死んだのか傷付いただけなのかも分からない。実際、死んだと思ったらまだ息があるという場面や、隙を見せたままで後ろからばっさり切られたのに、その後十人位と切り合いを続けて生き残るという場面もあって、見ている方としてはその場面で切られたのが致命傷なのか全然大丈夫なのかも理解出来ず、もう訳が分からない。

前回では後半に少しだけ登場してすぐ死んでしまった市川雷蔵も出ているので「前作から一体何があって蘇ったのだろう?実は死んでなかったのか?」と思っていたら、全くの別人、代官役で登場。前作で演じた事も無しにして別人を演じさせるなんて、スター俳優をねじ込むだけの無茶苦茶でやり放題な配役。
加えて前作では宿屋の給仕役だった中村玉緒が、前作で勝新太郎を騙した女スリの妹という役で登場。市川雷蔵と同じく、この配役も訳が分からない。中村玉緒の役自体も森の石松の死を印象付ける為だけに無理矢理ねじ込んだ感じしかない急な登場。

この映画、一作目が当たったから早い事続編を作ろうとしたのであろう煮詰まりの無さばかりで、話は散漫な上、おもしろくも無く、次郎長の話のはずなのに次郎長の登場自体が少なく、無理矢理市川雷蔵や中村玉緒を登場させたりと受け狙いばかりが過ぎて、本当にまとまりのないグダッとした映画。出演の並びの一番目と二番目がほとんど出て来ないなんて、詐欺に近い。

★★★★★

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