沓掛時次郎

2013年11月11日 月曜日

池広一夫監督、市川雷蔵主演の1961年の時代劇映画「沓掛時次郎」。長谷川伸の同名の戯曲が原作。

信州沓掛生れの時次郎はヤクザの元に泊めてもらった義理として一人の男との真剣勝負をする。時次郎は一太刀を浴びせた後、彼を逃す。その勝負はヤクザの親分がその男から妻を奪い去る計画の一つで、始めから時次郎には期待していなかった親分は自分達で男を襲い殺してしまう。その計画を知った時次郎は男の妻と子供を救い出し安全な所まで送り届けようとするが、ヤクザの親分は街道沿いの親分に協力を求めていた。

市川雷蔵演じる時次郎は、義理で全然関係も無いヤクザ者に勝負を挑むけれど、殺すまでは必要ないとそのまま逃がし、その男が悪事で殺されれば関係無い彼の妻子を必至に守るという義理堅さを持ちながら曲がった事が大嫌いで、義理を貫くけれど融通も利く気持ち良い奴。この役を演じる市川雷蔵を見ていると本当に清々しく、気持ちが良い。
設定も未亡人の奥さんは時次郎が夫を殺したと思っていながら彼に付いて行ったり、街道を急ぐ所へ各宿場町の親分が時次郎を狙っていたり、一方で時次郎をかくまう親分がいて、時次郎が原因となる組同士の対立とか、娯楽映画として非常におもしろいフリが入っているけれど、それが活きて来るのがやっと後半になってからなので盛り上がるのが遅く、あんまり上手い構成でもないのが惜しい所。
それに子供は父親が死んだ事も知らないので本当の父親がいるのに見知らぬ時次郎に懐き、彼を父親の様に慕っているのは何でか分からないし、奥さんが時次郎に惹かれて行く理由や原因もはっきり描かれないし、何より何で時次郎がさっさと彼女に旦那の顛末を話して誤解を解かないのかがよく分からない。
それに演出も、当時の娯楽映画の宣伝的な途中途中に何度も入る橋幸夫の歌の中を歩く市川雷蔵の場面が、どうにも安っぽい。しかし、市川雷蔵が歌を歌う場面が出て来るけれど、その市川雷蔵は色気があって、そっちは良い。

それと、やっぱりこの時代のチャンバラは竹光で相手を撫でるだけの剣劇なので迫力は無いし、演じている感ばかり。しかし、この時代って、刀がぶつかり合う時は効果音入れるけれど、相手を切る時は無音。それだと迫力が無いからか、後年の映画では相手を切った時に効果音入れる事が多くなるけれど、それはそれでわざとらしいけれど。

この映画、おもしろい伏線を張って始まった割に、それが活きて来るのが遅く、娯楽活劇としては展開が遅いので、最初の期待に答えられないままで終わってしまう。見た後になると、結局は市川雷蔵の魅力で映画を引っ張っていた以上のモノが無いままで終わってしまったという感想になってしまう。

☆☆★★★

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