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ワイルドカード

2015年11月11日 水曜日

サイモン・ウェスト監督、ジェイソン・ステイサム主演の2015年の映画「ワイルドカードWild Card)」。
ウィリアム・ゴールドマンの小説「Heat」が原作で、ウィリアム・ゴールドマン自身も脚本を書いている。

元特殊部隊の兵士だったニック・ワイルドはラスベガスで警備会社とは名ばかりの用心棒稼業をしていた。
ある日、元恋人が暴行された相手を見つけ出し、復讐をする為にニック・ワイルドに依頼して来た。

偶々、Xbox360のカナダタグにしてみたら、この映画が「週末は無料」という表示が出ていたので、わたしは寧ろジェイソン・ステイサムは好きじゃない俳優ではあるけれど無料だったので見てみた。ただ、英語字幕も無いので細かな台詞までは分からず、大体で見ていたけれど大体で十分な映画。

人の良い用心棒が元恋人に頼まれてマフィアをボコボコにして、彼らが持っていた金を奪い、それでギャンブルして、マフィアが金を取り戻しに来る話で意外性も面白味も大して無いし、ジェイソン・ステイサムが主演なのにアクション場面はほとんどなくて終始退屈。
主軸となる元恋人への暴行犯との対決は、引っ張る割に彼らを手早く見付けて、彼らの元に乗り込みあっさり倒して、その後主人公とマフィアの間に調停役が入って対立を治めるものの、やっぱり襲って来て倒すという、真っ直ぐ過ぎて本当に盛り上がりの無い展開。元恋人も後半でもう一絡みがあるのかと思いきや全く出て来ないし。
その敵も力を持っているはずのマフィア達が素人並みの弱さで、簡単に主人公にぶっ倒されて行くだけで、一方的に主人公が暴力を振るうなんて何だかスティーヴン・セガール映画を見ているみたい。ジェイソン・ステイサムは省エネ・アクションしかしないスティーブン・セガールよりは当然動きは良いけれど、アクションは大しておもしろくない。

もう一つの話の軸としては、金持ちの若者サイラス・キニックが主人公を用心棒にと依頼する展開があるけれど、特にギャンブルもせず、直接的に主軸の展開に関わって来る訳でもなく、依頼主が個性的脇役なだけで、結局最後のハッピーエンドの為の金づると言う事だけの様に思うし。

中盤の見せ場である主人公のポーカー場面は、急にツキが付いて次々と勝って行き、大稼ぎだったけれどこれまでの生き方から更に一発勝負し見事に負けるという展開だけれど、これまた意外性も無い、物凄い在り来たりで「そうなるだろうなぁ…」という展開以上の展開を見せず、「ふ~ん…」でお終い。

元々、ジェイソン・ステイサムでハードボイルドやられてもなぁ…というのが大きい。ジェイソン・ステイサムってカッコ付けても全然格好良くも感じないし、渋さを出す演技してもぬらりひょんみたいな風貌と低く落とした声にしても何だか渋さが無いし、この映画の内容でわざわざジェイソン・ステイサムにする必要も感じられなかった。普通にハードボイルドするならもっと適当な俳優がいるだろうし、ジェイソン・ステイサムにしてしまったのでどうしてもアクション場面が入るけれど、クレジットカードで切り付けたり、ペンダントを忍者の様に投げ付けたりしてハードボイルドの雰囲気の中で面白のアクションを狙い過ぎだし、バターナイフとスプーンで戦うなんて最早笑かしにかかっていて、物語部分とアクション部分とのチグハグさが大き過ぎてしまう。

この映画、無茶苦茶つまらない訳ではないけれど、決しておもしろい訳でもない映画。サイモン・ウェストの映画って「トゥームレイダー」にしろ、「ゲットバック」にしろ、「エクスペンダブルズ2」にしろ、つまらないか、おもしろくもつまらなくもない物足りなさばかりが残る映画ばかりの印象。それにジェイソン・ステイサムの主演映画も中々当たりが無い。

☆☆★★★

斬撃 -ZANGEKI-

2015年11月08日 日曜日

リチャード・クルード監督、スティーヴン・セガール製作・主演の2009年のビデオ映画「斬撃 -ZANGEKI-Against the Dark)」。

突然謎のウイルスが蔓延し、感染した人々は狂暴化し人間の血を求めて襲い始めた。社会は崩壊し、生き残った人々は逃げ惑うだけだったが、ハンターと呼ばれる人々は感染者を次々と排除していた。

ほとんど現代劇のアクションモノしかしなかったスティーヴン・セガールが、珍しくホラーをやってみた映画。
始めは人々を襲う感染者が登場して世界が崩壊しているので、何時頃から再び流行り始めたのか分からないけれどゾンビモノではなくバイオハザードモノを今更流行りに乗りたかったスティーヴン・セガールがやったのか?と思ったら、この感染者を登場人物達は「吸血鬼みたいだ」と言っているので、吸血鬼を華麗にやっつける「ブレイド」を今更やりたかったのかと思う様な内容。
…なんだけれど、スティーヴン・セガール映画でもスティーヴン・セガールが主演だけれどほとんど登場せずに他の人物が主役になってしまっている方のスティーヴン・セガール映画で、スティーヴン・セガールが出演しているというだけの売りだけれどスティーヴン・セガールを楽しめない映画。
序盤から病院に集まって来た人々が感染者をかわしながら病院を脱出する話が延々と続き、所々でスティーヴン・セガールが感染者を叩き切る場面が挟み込まれる。終盤に差し掛かってスティーヴン・セガール達が病院を逃げ惑う人々を助けに来るけれど、ほとんどスティーヴン・セガールが活躍はしないと言うか、そもそも登場自体が少ない。ただのお助け人物スティーヴン・セガールが狂言回しになっておらず、話を回している病院の人々の群像劇は全く面白味が無く、逃げ惑う恐怖にしてもグダグダやっているだけで「だからどうした?」以上のモノが無い。
そもそも病院に新たにやって来た人々がいるのに、その人達がやって来た窓から逃げ出さずに感染者がいる病院をうろつく理由も分からない。何故スティーヴン・セガール達が病院目掛けてやって来たのかも分からないし、スティーヴン・セガール達も何で軍の銃を持った兵士ではなく刀を振り回している少数のおっさん軍団が人々の救出をしているのかもよく分からない。

それに感染者は吸血鬼で狂暴に襲っては来るけれど、吸血鬼的な超人的な力や能力も無く、突き飛ばして体をぶつければ気絶してしまうという弱さ。バイオハザードモノなので、ゾンビの様に銃で撃たれたり、切りつけられても平気なのかと思いきや普通の人間と同じく死んでしまうしで、敵としての怖さが全然無い。
敵となる相手が弱いからなのか、何故か登場人物が全然銃を持っていない。病院に集まって来た人々は生き延びようとしているはずなのに誰一人として銃だけでなく武器すら何にも持っていない。アメリカでこんな事になれば、皆真っ先に銃を手に入れるだろうし、そうでなくとも相手も決して死なない訳ではないのだからバットやゴルフクラブの様な打撃系の道具を携帯するはずなのに、それすら持っていない事が不思議。

スティーヴン・セガールが主演なのに主役でもない時点で酷い方のスティーヴン・セガール映画だけれど、近年お馴染みの編集で大して動いていない事を誤魔化している省エネアクションは極まって、この時ブックブクに太っているスティーヴン・セガールが刀を振り下ろしているバストアップの場面ばかりという、まあどうしようもないアクションに仕上がっている。
しかし、この邦題は秀逸。スティーヴン・セガールが全然主役でもないし、活躍もしないけれど、スティーヴン・セガールで売るならスティーヴン・セガールがただ刀を振り下ろすだけの内容なので「斬撃 -ZANGEKI-」はピッタリ。

このビデオ映画、スティーヴン・セガールが「ブレイド」らしきモノをしていますな内容なんだれど、主役はスティーヴン・セガールでもなく、スティーヴン・セガール自体は話の脇役でしかなく、話の展開上全然必要も無い役のスティーヴン・セガールが刀を振り下ろしているだけで酷いモノ。話の主役達はこの手のホラーである展開よりも遥かに面白味の無いグダグダした感染者から逃げ回るだけで展開で見せるモノも無いし、よくこんなのが出来上がったな…という…。

☆★★★★

沈黙の追撃

2015年11月07日 土曜日

アンソニー・ヒコックス監督・脚本、スティーヴン・セガール製作総指揮・主演の2005年の映画「沈黙の追撃(Submerged)」。
劇場公開されていないビデオ映画。

かつて軍の特殊部隊で無茶をした為に投獄されたクリス・コーディーは軍からの依頼を受ける条件で釈放された。依頼とは、ウルグアイでシークレットサービスに米大使が殺された事件の犯人はマインドコントロールされており、その実験をしている科学者の暗殺だった。クリス・コーディーはかつての部下達と共に科学者の隠れ家へと乗り込んで行った。

スティーヴン・セガールの映画は、スティーヴン・セガールだけが目立って一人で殺しまくる映画か、大勢の人を出してスティーヴン・セガールの出番を少なくしておいてスティーヴン・セガールが省エネで映画作るのか二種類に別れるけれど、これは後者。
スティーヴン・セガールが主役なはずなのに部下達やCIA女性捜査官の方が目立ち、かつてのスティーヴン・セガール映画ではなく、まさに21世紀の省エネのスティーヴン・セガールのビデオ映画。

スティーヴン・セガールが大してアクションしないという省エネ・ビデオ映画には何作も見て慣れている所はあるけれど、それでも脚本が酷い。スティーヴン・セガール達を監視するはずだったCIA捜査官は序盤に登場してから5分も経たない内に、何の振りも説明もないままスティーヴン・セガールが裏切り者と見破ったのか、ただ単に気に喰わなかっただけなのかの理由も全く示されないまま一人置き去りにされる。そのCIA捜査官はすぐさま敵側の人間だった事が分かるけれど、振りと収束が適当過ぎる展開で序盤から駄作感が一杯。
そもそも洗脳して遠隔操作で行動するとか、設定が適当過ぎる。どうやって遠隔操作で相手の行動を操作しているのか?とか、その起動方法は?とかが一切出て来ないので、遠くから魔法で相手を操っている様にしか見えない。

酷いのはスティーヴン・セガールの衣装もで、部下達はちゃんと迷彩柄の戦闘服を着ているのに、何故かスティーヴン・セガール一人だけ薄緑色の襟のあるシャツに何時もの丈の長い革のジャケットを着ている。スティーヴン・セガールという記号的な存在や主役でさえあれば良くて、別に舞台設定とか関係無いんだろうなぁ…。
それにスティーヴン・セガールが使っている散弾銃は一切リロードせずに連発出来る謎の銃だし、スティーヴン・セガールは敵の銃弾に一切当たらない。当たらないのはスティーヴン・セガールだからという納得出来る言い訳があるにしろ、元海兵隊とか元特殊部隊だったという部下達が、前から大勢の兵士達が銃を撃って来るのに一切物陰に隠れず、敵の正面に対して棒立ちのまま銃を撃っているという酷い銃撃戦が繰り広げられるのは何なのだろう?それでもまだ、部下の誰一人として弾が当たらないならそういうモノだと納得出来るのに、一人二人は敵の弾にしっかり当たるんだから、そりゃあ隠れないからでしょ…と突っ込み入れるしかないし。
更にスティーヴン・セガールは銃撃って来る敵達に対して急に銃を撃つ手を止めて敵に向かって走り出し、その時は何故か銃を撃って来ない敵を殴り倒してしまう。太ってしまい、走ってもモタモタしているスティーヴン・セガールが敵まで辿り着ける事が何よりも不思議。

この映画での一番の見せ場は、潜水艦の厨房でスティーヴン・セガールが敵との一対一での戦いで、敵が包丁を取り、スティーヴン・セガールも包丁を取っての戦い。完全に「沈黙の戦艦」でのスティーヴン・セガール対トミー・リー・ジョーンズの戦いの再現。ただし、この映画では数秒だけの上、他の場面との行ったり来たりで何が何だか分からないまま終わってしまう。二人が包丁を手に取った瞬間は「おー!」と盛り上がったのに、数秒後にはガッカリしているというこれまた酷い場面。

笑ってしまうのが、スティーヴン・セガールが彼の元部下達が集められた部屋に入ると一人一人の寄りの画になり、名前と元の所属と得意分野が次々と字幕で表示される演出。物凄くゲームっぽい。一般的な映画じゃ、あんまりやんない演出だよなぁ。
そうやって一人一人の人物を立てようとしているのに、ほとんどの部下が全くその個人の得意分野を発揮しないまま死んで行くので、ただカッコ良い風の演出がしたいだけで全く必要が無い演出だった。
その他の場面でも、映画内では終始カメラを動かして短く切った場面を挟んで来る編集が多いので見難い事この上ない。アクション場面でも短く切ったカットを多用するので、何がどうなっているのが分かり難いし。

この映画、全てを強引にねじ伏せたままの酷い展開の連続で、これぞスティーヴン・セガールのビデオ映画。更に日本では頭に「沈黙の~」と付けておきさえすれば、それなりにレンタルやテレビ放送されるんだから「沈黙の戦艦」の影響力は凄い。

☆★★★★

ICHIGEKI 一撃

2015年11月06日 金曜日

レオン・ポーチ監督、スティーヴン・セガール製作総指揮・主演の2004年のビデオ映画「ICHIGEKI 一撃(Out of Reach)」。

孤児支援プログラムで知り合ったポーランドのイレーナという少女と長年文通をしていたカナダに住むウィリアム・ランシングはイレーナが突然消えてしまった事を知り、彼女の身を案じて探しにポーランドまでやって来た。イレーナの失踪には人身売買組織が絡んでいる事が分かり、ウィリアム・ランシングは一人でイレーナを探し始める。

近年のスティーヴン・セガールのビデオ映画の典型を詰め込んだ様な話。
スティーヴン・セガールはかつて何らかの政府組織で働いていたけれど、今はそこを辞めて人里離れた所で一人暮らし。本人は望まないのに問題に巻き込まれて、敵が襲って来るので悪人をバッタバッタと殺しまくる。敵も後先考えずに問題が起きればバッタバッタと人を殺しまくる。スティーヴン・セガールは太った体型を隠す為に長いコートを着用。アクションは余り動き回らずに手をバタバタさせるだけの省エネアクション。撮影費用を抑える為に東欧での撮影等々、見慣れたスティーヴン・セガール映画。
ただ、今回はスティーヴン・セガールが一人で捜査するので、よくある脇役の話や活躍に時間を割いてスティーヴン・セガールが撮影の時楽する様な展開にはなっていないのはまだまし。それでもスティーヴン・セガールのアクションは少ないし、彼側の脇役として現地警察の女性警官と孤児院の男の子が付くけれど、そんなに活躍する訳でもないまま中盤で出て行ったのに戻って来たりと何で出したのかもいまいち分からないし、中盤以降話が追い駆けて逃げられるのサスペンスも無いまま進み、大して進まず間延びもするし、別におもしろくもない。
また何時もにも増して、スタントマンが丸分かり。結構正面からスティーヴン・セガールを移している構図なのに全然違う人の顔が分かってしまうし、後姿でも髪型も横顔も全然違うのに映ってしまっているし。中盤で敵が後姿を見てスティーヴン・セガールだと思って追い駆けたけれど別人だったという展開があるにも関わらずスタントマンが丸分かりって、この場面は製作費の無さや撮影や編集の技量の無さをいじった自虐ネタなんだろうか?

この映画は、まあ何時ものスティーヴン・セガールのビデオ映画以上でも以下でもない。アクション映画としてもアクション場面は少ないし、スティーヴン・セガールがただ無茶苦茶する爽快感も無いしで、非常に中途半端な出来。まあ、それも毎度の事ではあるんだけれど…。

☆☆★★★

奪還 DAKKAN -アルカトラズ-

2015年11月05日 木曜日

ドン・マイケル・ポール監督・脚本、スティーヴン・セガール製作・主演の2002年の映画「奪還 DAKKAN -アルカトラズ-(Half Past Dead)」。

自動車泥棒のサーシャ・ペトロシェビッチは仲間のニックといた所をFBIによって捕まえられた。サーシャ・ペトロシェビッチとニックはアルカトラズ刑務所に収監されたが、刑務所では金塊を強奪した受刑者の死刑が執行されようとした時、何者か達に襲撃され、それを目撃したサーシャ・ペトロシェビッチは抵抗を始める。

流石のスティーヴン・セガール映画。潜入捜査官と犯罪者の友情。金塊の在り処を言わずに死刑に赴く囚人。人質を取って難攻不落の刑務所に立て籠もった武装集団。囚人達と協力する主人公等々、おもしろくなりそうな要素は一杯あるのに、それが大しておもしろくならないまま終わってしまうという、まあ跳ねない駄目な脚本。
この映画で序盤から一気に見る気を失うのは、スティーヴン・セガールと仲間のニックが自動車を意味も無く飛ばしていて、「止めて!」とニックが言ってスティーヴン・セガールが急回転で自動車を止めると、半ドアだったのかニックの席の扉が開き、ニックが凄い勢いで放り出され他の自動車のフロントガラスに叩き付けられてしまい、「えっ?行き成りもう死んじゃうの?」と思ったら、ニックは特に怪我も無く立ち上がり、一言文句言ってそのまま話が続くという意味不明な場面。ここら辺で早くも理解が追い着かず「ぽか~ん…。」
その後もFBI捜査官が犯罪者に協力を求めに来たのに二丁拳銃で撃ちまくるという馬鹿みたいな場面や、結構な近い距離で銃を撃ちあっているのに中々弾が当たらなかったり、アルカトラズ刑務所の所長が黒い革のジャケットを着てマフィアみたいで衣装の意図が分からなかったり、アルカトラズ刑務所を舞台にしたのにそこに立て籠もる意味があんまりなかったり、わざわざ再びアルカトラズ刑務所を開いたのだからそこに収容されているのはとんでもない凶悪犯かと思いきや皆気の良いチンピラの兄ちゃんや意図せず人を殺してしまった強盗犯とかスティーヴン・セガールに協力させる為だけに存在している人々や、どう考えても刑務官の人数が少な過ぎるのに大量の重火器が置かれていて、これも最後の銃撃戦の為だけの設定で、色んな部分で脚本の安っぽさ、アホらしさばかりが強調されてしまう。
導入で出て来た犯罪組織のボスとスティーヴン・セガールの対立も最後に「逮捕した」の台詞だけであっさり終えてしまい、こんな適当な振り邪魔なだけ。
色々詰め込んでいるのに見終わるとスカスカした印象しかなく、主人公のスティーヴン・セガールも特殊な舞台設定なのに何時ものスカしてただ最強なだけで変わり映えはせず、周りの人達の方が役として立ってしまうという悪い部分もあったりする。

しかも、スティーヴン・セガール映画なのだからスティーヴン・セガールのアクションを期待する所なのに、中盤に何時もの大して動かない省エネアクションはあるものの、活躍するのは敵だったり周りの囚人達だったりと、2000年代以降に量産されるスティーヴン・セガールが働かず、周りの役者ばかりに焦点が当たるビデオ映画と同じアクション場面の少なさ。
それにもう太っているスティーヴン・セガールが飛び跳ねたり、簡単にロープをよじ登ったりと身軽のなのも見映えだけが先行した適当なアクション場面。スティーヴン・セガールの替わりのスタントマンの体型が明らかに違うし。

あと変と言うか、駄目な所は、銃を撃つ場面や殴る場面はあるけれど、その後の何処に弾が当たったのか?そもそも撃たれたのか?とか、その殴りで死んだの?とかを見せる1カットが無く、「何が起こったの?」とはっきりしない事になっている部分。

この映画の中で唯一目が行ったのは敵の女戦闘員のシックス。演じていたニア・ピープルズが「可愛いなぁ…」と思っていたのだけれど、このニア・ピープルズってこの時41歳で驚き。見た目でてっきり30歳前後の若い俳優かと思ってしまった。
それにこのシックスの銃撃場面や格闘場面がやたら多く、動きもやたらと派手で一番目立っていたし。

この映画、雑多に色んな事を詰め込んでいてもどれも大して活かされないままで、中盤以降主役であるスティーヴン・セガールでさえ埋没して行き、スティーヴン・セガール本人も大して格闘場面をしなままという、近年の粗製乱造されるスティーヴン・セガール映画の見事な典型。
こんな映画なのに続編「奪還 2.0」が作られたのだから不思議。しかも、続編はスティーヴン・セガールが出ておらず、画を描いていた囚人のトゥイッチと、この映画には登場していない「ゴーバー」ことあのビル・ゴールドバーグが主役という訳の分からないモノだし。まあ、色んな部分でグダグダな映画。

☆☆★★★

沈黙の断崖

2015年11月04日 水曜日

フェリックス・エンリケス・アルカラ監督、スティーヴン・セガール製作・主演の1997年の映画「沈黙の断崖(Fire Down Below)」。

環境保護局の調査官ジャック・タガートの友人が調査中に事故死したが、上司達はその友人が調査していた有毒物質の不法投棄容疑の事件ではそれ以前にも死者が出ていた為、ジャック・タガートを送り調査と証拠収集を命じた。
ジャック・タガートは協力者の牧師の下で働き、町の人々に溶け込んで情報を引き出そうとするが、多くの人は口を閉ざし、一部の人はジャック・タガートに嫌がらせをしたり、直接的な暴力も受け始める。

映画「沈黙の要塞」に続き、多分この時期スティーヴン・セガールがはまっていただろう環境問題と企業倫理を題材にした映画。
ただ、この映画までも、これ以降もスティーヴン・セガールの映画って、やたらと敵を殺しまくる陰惨な内容が多いけれど、この映画は結構ほのぼのしていて何時ものスティーヴン・セガール映画とは雰囲気が違いスティーヴン・セガール映画としては結構良い。
中盤までは町の人々との交流で、どうやって権力によって支配されている町の人々の心を開いてもらうかや、スティーヴン・セガールが気に入ったある過去があって町の人々から疎外されている女性との交流と、スティーヴン・セガールでなければ全然人間ドラマ。敵も因縁付けて来るチンピラで、スティーヴン・セガールは普通の町の人だと思っているので殴るだけに済ましたり、脅しをかけて追い払ったり、スティーヴン・セガール映画を沢山見ているとこの映画の対応は非常に柔らかい。終盤でも何時ものスティーヴン・セガール映画なら敵が無防備でも速攻で殺してしまうのに、殺す必要もないと見逃すし。
しかし、終盤まではおもしろいけれど、結局何時ものスティーヴン・セガール映画のお決まりで、敵は問題がどうしようもなくなって来たら、「とにかく殺せ!」で無茶苦茶し始め、頭の悪さが出て来て荒くなる。
でも、何時ものスティーヴン・セガール映画なら敵を皆殺しにしてめでたしめでたしになる所が、敵は裁判にかけられ罰金刑だけで終わり。そこからスティーヴン・セガールの執念の捜査が始まり、最終的に殺人等で裁判にかける所まで持って行くので、これまたスティーヴン・セガール映画らしからぬ展開だし、ただのアクション映画にしていない結末で非常に良い。ただ終盤での強引さはあるけれど。

気になるのはスティーヴン・セガールの服装。毎度の革のジャケットなんだけど、今回は女優のファッションショー映画並みに場面毎に違うジャケットを着ている。町にやって来た時は手ぶらだと思ったけれど、町に売っているジャケット買い漁ったって事なんだろうか?にしても、何で毎回毎回違うジャケットに着替えて来るのか、映画内的にもスティーヴン・セガールの衣装的にもいまいち意味が分かんない。

ヒロイン役としてマーグ・ヘルゲンバーガーが出ているけれど、「CSI」の三年前の映画なのに「CSI」の時よりも老けて見える。「CSI」のキャサリン・ウィロウズがラスベガスのシングルマザーだからの役作りか、この映画の役が田舎の女性だからの役作りなんだろか。

この映画、スティーヴン・セガール映画と思って、「毎度のとにかく皆殺し何だろうなぁ…」と期待せずに見たら、スティーヴン・セガールの人殺しも少なく、そもそもアクションは少ないけれど、スティーヴン・セガール映画なのに人間ドラマで見せていて、その意外性もあるし内容的にも全然良い。今までスティーヴン・セガールの省エネアクションだけを見せ、話がグダグダな映画ばかり見てしまった事もあるだろうけれど、スティーヴン・セガール映画らしくない映画として、これはおもしろかった。

☆☆☆★★

沈黙の要塞

2015年11月03日 火曜日

スティーヴン・セガール製作・監督・主演の1994年の映画「沈黙の要塞(On Deadly Ground)」。

アラスカで石油採掘所を新規建設中の企業エイジスは、その採掘所が数日後にまで完成しないと採掘権を手放してしまう事になるので不良品の部品まで使い建設を急いでいた。
エイジスで事故処理の専門家を務めているフォレスト・タフトはその事実を知った為に会社から命を狙われるがエスキモー達に助けられ、採掘所を止めに行こうとする。

スティーブン・セガールのアクション映画として見ればそこそこなんだけれど、自然環境保護という社会派の題材を中途半端に入れてしまった為にヘンテコで無茶苦茶な映画になってしまっている。

スティーブン・セガールの近年の映画と言うか、ビデオ映画を見てしまうと、ほとんど手をバタバタ動かすだけで動かず、細かく割った編集で誤魔化している省エネアクションのつまらなさと比べてしまうけれど、この映画ではまだスティーブン・セガールが良く動き、殴って蹴って投げてのアクションも派手で結構良い。石油の採掘と言う事もあり、やたらと爆発するので画面も派手だし。
しかし、話の主題でもある金の為に無茶苦茶する企業と環境保護という部分になると、アクションを見せる為に派手にしているので社会派の主題が付け足し感が出て来てしまって、アクションを入れ込む事によって逆効果しかにしかなっていないし、社会派な事を描きたいはずなのに毎度のスティーブン・セガールが無茶苦茶して解決しようとするのも逆効果だし、そんな無茶苦茶なスティーブン・セガールに「何じゃ、こいつは?」と付いて行けない。

スティーブン・セガールは初めは会社の為に働いているけれど、会社の不正に気付き、エスキモーによって神秘体験を経験して人が変わり、会社を壊滅させようとするけれど、その身の振り方がぶっ飛び過ぎ。元々お金の為に会社の悪事を見て見ぬ振りをしていた感じなんだけれど、会社の社長はやりたい放題していて部下は直ぐ銃を撃つ様な危なさがあるのに何で今までスティーブン・セガールは動かなかったのか?とか、そもそも何で正義感があるはずなスティーブン・セガールがこんな人殺しまでしている無茶苦茶な会社で働いているのか?とか全く描かれないので、見て行く内に疑問ばかり。
スティーブン・セガールの役も「過去の経歴が見つからないけれど、何か政府関係の特殊部隊だったらしい…」というスティーブン・セガール初期の映画でよくある人物設定とは言え、結局何者かさえも分からないままで、スティーブン・セガール製作・監督・主演となるとスティーブン・セガールが謎だけど強いという見ている方に説得力を与えないままでやり切ってしまう、自分自身好き放題のオナニー感が半端無い。
そんなスティーブン・セガールが会社に殺されそうになったの復讐に向かうのかと思いきや、エスキモーの所で不思議な体験をしたので採掘所をぶっ壊すという衝動が抑え切れなくなり、「銃は使いたくないけれど、現実を見ろ!」と言って、銃を撃ちまくって採掘所の人を殺しまくり、爆破させまくるという環境テロリストの中でも最も最悪な環境テロリストになってしまう。最後に、政府と繋がり、儲けの為だけに好き放題している大企業を糾弾する演説を延々とするのだけれど、その前段階で人を殺しまくり、施設を爆破させまくっていたら何の説得力もないじゃん。そんな演説をする前に、採掘所にFBIが来ていて、FBIもスティーブン・セガールが犯人だと分かっているのに何で逮捕もされていないのか不思議。仲間のおじいさんが命をかけてまで守った会社の悪事を暴くデータも、結局何処かの政府関係か報道関係に渡して悪事を暴いたのかも出て来ず、どうなったの?だし。

敵にしても、問題が起きたらとにかく爆破したり、暗殺したりで片付け様として問題が更に大きくなったり、採掘権の期限にまで間に合う様にもっと計画的に出来ないの?とか、始めから不良品を使わなければ問題にもならなかったのに…という間抜けな事ばかりで、よく会社を大きく出来たなと思えるアホな社長役をマイケル・ケインが演じている。マイケル・ケインって何でもするんだな。役の選ばなさが凄い。

この映画、毎度のスティーブン・セガールのアクション映画に自然環境とニューエイジを絡めてしまって中盤以降の方向性がぐっちゃりしてしまう。スティーブン・セガールの映画に社会派って必要?社会派を描きたいんだったら、とにかく殺しまくるアクションはいらんじゃないのとも思った映画。

☆☆★★★

暴走特急

2015年11月02日 月曜日

ジェフ・マーフィー監督、スティーヴン・セガール製作・主演の1992年の映画「暴走特急(Under Siege 2: Dark Territory)」。
原題を見たらけれど、「沈黙の戦艦Under Siege)」の続編。

元海軍特殊部隊のケイシー・ライバックは疎遠だった兄が死に、彼の娘と列車の旅に出た。しかし、テロリスト達が列車を乗っ取ってしまい、ケイシー・ライバックは彼等を倒そうとするのだった。

スティーヴン・セガールの映画と言えば、今でも全くシリーズでもないのに邦題に「沈黙の~」と付けて日本で勝手に沈黙シリーズにしてしまっているのに、この映画はスティーヴン・セガールが「沈黙の戦艦(Under Siege)」と同じ人物ケイシー・ライバックを演じている直接的な続編なのに、何故か「沈黙の」と付いておらず、この時点ですでにグダグダだけれど、映画も続編なのに前作とは関連性がほぼ無いという続編である必要性も無い変な続編。しかも話は「沈黙の戦艦」が結構微妙な感じだったのに、それ以下の続編になってしまっている。

「沈黙の戦艦」は、戦艦を乗っ取られ、その戦艦の乗務員としてスティーヴン・セガールが戦うという状況は分かるけれど、今回は本当に関係の無い場所でテロリストに偶然出会わせてしまい、それを排除するだけなので、そもそもの設定自体がつまらない。
敵はただ金が欲しいから衛星兵器を使って世界中で爆破を起こしいているだけのしょうもない頭のおかしい奴らで、ただスティーヴン・セガールに翻弄されるだけの頭の悪さしかない集団なので、ここもつまらない。

スティーヴン・セガールの戦いも、前半一時間位はテロリストの話ばかりで全然活躍せず、列車の外や上を伝って移動しているだけだし、機転を利かせて相手を出し抜いたりも少ないし、銃で相手を撃ち殺すばかりで肉弾戦も少なくてアクションの面白味は無い。
何より列車と言う舞台設定を特に活かしていないのも面白味が無い部分。列車だからと言って車両内が異様に狭い訳でもないので戦いに特徴が出る訳でもないし、上客が一杯いて人質にされているから彼らと何かしらの協力をして行動するかと思いきや特にそんな事もないし、別に狭く限定された列車でなくとも全然構わない内容でしかない。
そもそもテロリスト達が何で列車を乗っ取ったのかもいまいち分からない。移動していたら位置を特定されないと言うなら列車でなくて大型トレーラー内でやっとけばより自由が利いて人質等の問題も無いじゃん。「前作が列車だったから、今度は列車かなぁ?」という設定が先行して、それに合わせる為だけに脚本を作っている感じしかしないけれど、その設定を活かしていないお座なりな脚本。

他の細かい部分も大分適当。
アメリカ政府が秘密裏に作った衛星兵器は、粒子ビームを発射して対象を爆破したり、地震を起こしたり、高速飛行しているステルス戦闘機にビームを当てる事が出来たりするというSF設定と言うより、トンデモ兵器設定にする必要性が分からない。粒子ビームを発射する衛星って、それだけの高出力の電力源って何なの?とか、粒子ビーム発射するならトンデモない大きさの衛星になるんじゃないの?とか、いらない引っ掛かりばかり出て来て、各国の核兵器を遠隔操作してしまうだけで良いんじゃないのと思ってしまう無駄なSF設定。

前作と同様スティーヴン・セガールは冷蔵庫に入っていて助かるけれど、何で食堂車でケーキを作っているのか?とか、何でライバックの兄が飛行機事故で死んだ話が必要なのか?とか、姪っ子との上手く行っていない関係を出してはいるけれど、それが何かの決着や葛藤を生み出さないから何で出す必要があったのか?とか、そもそも何で姪っ子と旅行していているのか?とか、説明の無い伏線にもならない無駄にしかなっていない話が多く、真剣に見ていると馬鹿馬鹿しくなって来る。ここら辺って後から継ぎ足しただけの様な感じしかしない。
途中でスティーヴン・セガールが列車を降りてしまい、そのまま列車が走り出して置いてけ堀にされるという展開になり、どうやって列車に戻るのかと思ったら、道端に偶然あった自動車を拝借して戻るという、何でわざわざ列車を降りさせる必要があったのか分からない戻り方を出したり、テロリスト達がライバックの姪っ子を探し出すのも乗客全員を一人一人名簿と名前を言わせて確認を取っていないのに、急に姪っ子の前に行って質問したら、その子がライバックの姪っ子だったというカンにしても適当過ぎる展開。本当に脚本がグダグダしている。
この雑な脚本を書いている二人の内、マット・リーヴスって「クローバーフィールド/HAKAISHA」の監督なのか。

まだスティーヴン・セガール初期の映画なのに、一番の見せ場のテロリストの親分との一対一の対決場面では、同じカットを使い回して編集で誤魔化して一杯アクションをしている風に見せるという、これ以降量産されるビデオ映画での省エネアクションの誤魔化しと同じ事をすでにこの時からしている。

この映画、「沈黙の戦艦」の続編ではあるけれど、スティーヴン・セガールが同一人物を演じているだけで特に前作を活かす部分も無いし、前作の限定された設定を活かす様な事を再び狙ってはいるけれど乗っ取られた列車の舞台設定が活きて来ず、人物設定と舞台設定共に無駄にして面白味の無い展開にしてしまっている。
確かスティーヴン・セガール映画って、「沈黙の戦艦」で一気に注目を集め話題になって、それに便乗して全然続編でもない映画「On Deadly Ground」に「沈黙の要塞」という邦題を付けて話題を誘ったけれど、見てみると「沈黙の戦艦」と全然関係無くて「あれ…?」となり、「沈黙の要塞」から一年後のこの続編に何故か「沈黙の~」と付けずに公開して、内容もこれだったので、早くもスティーヴン・セガールが一般受けするアクションスターから転げ落ちて行ったというスティーヴン・セガール映画の歴史的な転換時期の映画として見れば、ある意味おもしろいかも…。

☆★★★★
 
 
関連:沈黙の戦艦

沈黙の戦艦

2015年11月01日 日曜日

アンドリュー・デイヴィス監督、スティーヴン・セガール製作・主演の1992年の映画「沈黙の戦艦(Under Siege)」。

退役を間近に控えた戦艦ミズーリで艦長の誕生日パーティーが開かれようとしていた。パーティーの催し物を出す一団がヘリコプターでミズーリに乗船して来たが、彼らは副艦長と手を結んだテロリストだった。そして、偶然副艦長に反抗し冷蔵庫に閉じ込められていた元海軍特殊部隊で現料理長のケイシー・ライバックが立ち向かう事になる。

映画「ダイ・ハード」がテロリストが占拠したビルの中、たまたま居合わせたジョン・マクレーンが一人で何とかして立ち向かう映画だったけれど、それを海上の戦艦でやってみました…な映画。…なんだけれど、こちらは「ダイ・ハード」程の弾ける様な興奮は無いし、展開や会話等脚本の上手さも無く、閉鎖的で孤独な舞台設定を入れただけで、やっぱりスティーヴン・セガールで映画。
「ダイ・ハード」だと、敵に知られず行動しながら外との交渉も行って現状の報告と窮地を救う手助けを求めて行くおもしろさや、ブルース・ウィリスの悪態付きながらの会話もおもしろかったのに、この映画ではスティーヴン・セガールの隠密行動は敵を掻い潜って相手の裏を突いたり、敵に罠にはめられたりのおもしろさが無いし、外とも早い段階で情報のやり取りが簡単に出来てしまい、司令部とのやり取りも余り跳ねないし、スティーヴン・セガールもまだ始めの料理長の時は冗談や悪口言う結構陽気な人物だったのに、敵との戦闘が始まるとほぼ無口の何時ものスティーヴン・セガールになってしまい、会話劇がおもしろくないではなく、会話劇さえ無くなってしまうのでつまらなくなってしまう。
何より、スティーヴン・セガールが特殊な状況に追い込まれているという他のセガール映画とは違う特殊な設定なのに、スティーヴン・セガール演じるライバックは元海軍特殊部隊員なので、銃器や爆薬、特殊な機器も全て熟知していて、問題が起きても簡単に解決してしまい、肉弾戦になっても毎度の全然スティーヴン・セガールが傷付かず簡単に敵を倒してしまうので、今見てしまうと「またか…。」の、あの残念感ばかり。当時、まだスティーヴン・セガールを知らない状況で見た時は結構おもしろかったのに…。

展開も、序盤はスティーヴン・セガールが主役で彼ばかりの展開だったのに、トミー・リー・ジョーンズが正体を現してからは敵一味の話が多く、その悪役と司令部とのやり取りも多く出て来て誰が主人公だか分からなくなる様な配分になってしまっている。
始めはスティーヴン・セガール一人で行動し、それが閉鎖空間で大勢の敵と戦うと言うこの映画の特徴かと思ったら、早い段階で女性と一緒に行動し始めて、孤独な戦いではなくなるし、この女性の導入がそんなに効果的な展開を見せる訳でもないし、その後一気に仲間と合流して一人の隠密行動は無くなるのに、その仲間達の一人一人の人物が立つ程の見せ場は無いままと、何で大勢で行動する様な展開にしたのかいまいち分からない。途中でスティーヴン・セガールと同行する事になった女優は、スティーヴン・セガールが無口なので彼女に説明するからスティーヴン・セガールが喋るという事の為だけに入れ込んだ感じだし、最後までスティーヴン・セガール一人で行動し、一人で敵を倒して行く展開の方がスティーヴン・セガール映画としてもおもしろかった様におもえるのだけれど。

結局トミー・リー・ジョーンズは金の為だけの犯罪者だったけれど、サイコパス的な部分を見せたのでどっちつかずの中途半端な悪役になっているし、そう言えば残った敵一味はどうなったの?とか、CIA絡みの話が出て来たけれど、それを出した意味あった?とか、脚本の緩さが気になるばかり。この映画の脚本を書いたJ・F・ロートンって「プリティ・ウーマン」とか、「チェーン・リアクション」とか、「DOA/デッド・オア・アライブ」とかの脚本を書いた人なのか。成程。

スティーヴン・セガールは序盤こそ、セガール映画っぽくない結構明るい人だったのが、中盤以降はしかめっ面のセガール無双になるので、折角の役も毎度のスティーヴン・セガールになってしまいおもしろくはなく、クリル中佐役のゲイリー・ビジーやトミー・リー・ジョーンズが張り切っているので、段々と誰が主役なのか分からなくなる。特にトミー・リー・ジョーンズは、近年ではしかめっ面の生真面目な役柄が多いけれど、これでははっちゃけてサイコパス的な人物にしていて、彼の印象とは違う役柄で今見るとおもしろい。にしても、トミー・リー・ジョーンズって「逃亡者」とか「メン・イン・ブラック」とかでもそうだけれど、主演の方が名前が大きい様な映画での助演だと主演を喰ってしまう位の存在感と前面に出る感じは凄い。
それに良く見た顔も多く出演。「クローザー」のフリオ・サンチェス役でお馴染みレイモンド・クルス。「24」のアーロン・ピアース役でお馴染みグレン・モーシャワー。「ER」の受付フランク・マーティン役でお馴染みトロイ・エバンス。「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」のマイルズ・オブライエン役でお馴染みコルム・ミーニイ等。コルム・ミーニイって、スタートレック以外で見る時って悪役が多いよなぁ。

この映画、設定はおもしろいのに、今見てしまうと「やっぱりセガール映画かぁ…」と思ってしまう部分が多く、展開や人物がどれも緩く、スティーヴン・セガールでなかったらもっとおもしろくなっていたんじゃないの…?と、思ってしまう。ただ、スティーヴン・セガールとトミー・リー・ジョーンズのナイフでの早い近接格闘場面はおもしろい。でも、昔見た時はもっと長い間キンキンやり合っていた印象があったのに、改めて見ると結構短く、もっとやり合って欲しい部分でもある。

☆☆☆★★
 
 
関連:暴走特急

S・セガール劇場(TRUE JUSTICE)

2015年10月20日 火曜日

2015年の2015年7月から9月の三ヶ月の間で新たに地上波で始まったので見始めた中の一つ、スティーヴン・セガール製作・脚本・主演のテレビドラマ「TRUE JUSTICE」。
2011年から放送され、シーズン1・2とも13話ずつの全26話。
アメリカでの製作なんだけれど、一番初めに放送されたのがスペインで、日本のテレビ地上波では「S・セガール劇場」と題して、CSでは「沈黙の宿命 TRUE JUSTICE」と題して放送された何とも変な経緯を辿っている。

シアトル警察内の特別捜査課(SIU)の捜査員達の日々の活躍を描く。

このドラマが始まった事を知らないままで、気付いたら放送していた。スティーヴン・セガールの映画はそんなにおもしろくもないのに、何でかテレビで放送していたら義務の様に見てしまっているので、「へ~。ドラマにまで手を染めているんだ。」と思って、3・4話辺りの途中からだったけれどどんなモノかと思い見てみた。

話は刑事達が事件を捜査し、犯人を捕まえるのを描くと言う、近年のドラマとしては特に目新しさや特色も面白味も無く、今まであったスティーヴン・セガール映画から「とにかく皆殺し」の残虐性を引き、話を薄めて引き伸ばした様な感じのドラマ。

以前のスティーヴン・セガールはアクションも自分でこなし、動きまくり、腕を動かしまくって結構おもしろいアクション俳優だったのに、1990年代頃からはブクブクと太り出し、動きもせずにただ手をバタつかせて、編集で短く切って誤魔化してばかりいる省エネアクションになり、しかも周りの脇役が主役の様な程話がそちらばかりでスティーヴン・セガールが脇役程度にしか登場しない映画も多くなっていて、どうしようもない似た様な映画、もしくはビデオ映画ばかりを粗製濫造して小銭を稼いでいる様な印象しかなかった分、このドラマはむしろピッタリ。
スティーヴン・セガールは自ら動き回っての捜査を余りせず、チームのボスとして部下に指示を出してどっしりと椅子に腰かけ、犯罪者を痛めつける段になると登場して自分は傷付かずに相手をボコボコにするだけという近年の省エネアクションばかりの映画の極め付けみたいな役柄でも、連続ドラマの群像劇なので部下達が活躍してそれが見せ場になってスティーヴン・セガールの省エネ俳優っぷりはそれ程気にならないし、毎回派手さを求めて挟み込んでいるけれどそれ程は盛り上がらない銃撃戦や、スティーヴン・セガールのアクションも程々に出て来ても、連続ドラマの配分としては問題にはならず見れるし。
ただ、銃撃戦では誰が何処で銃を撃ち、何処に弾が当たっているのかという事が分かり難い様なカット割りをしていたり、アクション場面も迫力を出したいのは分かるけれど、手持ちカメラでブレを出している映像を更に短く割って繋いでいるので、まあ見難い。「今、誰が何した!?」と戸惑う様なアクションになってしまっている。

内容は、それこそ今でのスティーヴン・セガール映画での既視感ばかり。
悪い犯罪者がいるのでスティーヴン・セガールのチームが捜査と言うの名の脅しや強行突入で容疑者をボコボコにして終わるという、「だから、どうした!?」な展開が毎回続く。

そんな、如何にもなスティーヴン・セガール映画的な要素があり、昔からのスティーヴン・セガールの日本等の東洋志向で役がガッチリ固められていたり、スティーヴン・セガールがギター好きらしいのでむやみやたらにスティーヴン・セガールがギターを弾く場面が出て来る。「事件を幾つも抱えていて忙しい!」と言っていたり、部下達が外で走り回っているのに、自分のオフィスで呑気ギターを弾く場面をわざわざ入れたりと、自分で製作から脚本・主演まで、何から何まで好き放題出来る環境で好きな事している感じ。
このドラマではスティーヴン・セガールの日本嗜好が行き切っていて、スティーヴン・セガール演じるイライジャ・ケインの父親は在日米兵で日本人と結婚し、その母親である結婚相手は武士の家系だそうで、母親の父親である祖父が剣士らしく剣術を教えたという時代劇みたいな設定。しかも、そのイライジャ・ケインはアメリカに来て政府の秘密工作員で世界中で暗殺していたというやり過ぎな設定まで出て来る。もう、「はいはい。凄いねぇ~、カッコ良いねぇ~」。

それと気になるのはスティーヴン・セガールの役名イライジャ・ケイン。ケインと言えば、「CSI:マイアミ」のホレイショ・ケイン。このドラマのスティーヴン・セガールも「CSI:マイアミ」のホレイショ・ケインも、大体毎回部下達に指示だけしてどっか行き、脅しと実力行使が役割で、部下達が一生懸命捜査していても最終的にボスが美味しい所を持って行って、「俺って、犯罪を憎み弱きを助ける良い人でカッコ良いだろ~?」という所にしか収まらないけれど、だから同姓にしたのだろうか?

スティーヴン・セガールの部下役で、わたしの中では「ワンス・アポン・ア・タイム」のルビー(赤ずきん)役よりも、あのジョシュ・ホロウェイマーグ・ヘルゲンバーガーと言った有名所を集めて話題性タップリに作られたのに、思いっ切り中途半端な所の1シーズンだけで打ち切られた「サイバー諜報員~インテリジェンス~」のライリー・ニール役でお馴染みのミーガン・オリーが出ていた。
その他の部下達も役は結構立っているのに話が大しておもしろくないので目立って来ず、結局スティーヴン・セガールが持って行ってしまっている。

それに謎なのが、この警察署の検死官役でジョージ・タケイが出て来るのだけれど、てっきり「CSI」みたいに検死官とのやり取りも見所の一つになるのでこの役にジョージ・タケイを配役したのかと思ったら、ジョージ・タケイは二話位登場して、後は一切出て来ず。何でジョージ・タケイが出て来たのかが分からない。このドラマでは、ヤクザだの、スティーヴン・セガールが日本人とのハーフだのとスティーヴン・セガールの日本趣味をやたらと押し出している一環だからなんだろうか?

このドラマ、途中から見たからか、シーズンと引っ張る様な軸となる話はあるんだろうか?と疑問。見ている限りではその日の事件に対応しているだけで連続ドラマにしたおもしろさがあんまり無い。まさにスティーヴン・セガール映画をドラマでやった以上の見所が無く、このドラマ全26話を見るくらいなら、スティーヴン・セガール映画を2・3作見れば良い様な気がして来た。
このドラマも結局は早い段階からゲームをしながらの流し見か流し見ていないかの様な状態。

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