プリティ・ウーマン
2013年04月19日 金曜日リチャード・ギアとジュリア・ロバーツ共演の1990年の映画「プリティ・ウーマン(Pretty Woman)」。
イケイケの金持ちの投資家が売春婦と出会い、お互いに惚れてしまう。
この映画、今まで見た事ある様な、それとも何かの特集的映像で見た気になっていたのかはっきりしないけれど、見た気がするけれど見た事無かったのはそれだけ有名な映画という事か。てっきり「マイ・フェア・レディ」の様な映画かと思っていたら、これが全然違うゲスい映画。今だと絶対的悪役である企業乗っ取りの買収屋の妻も愛人もいるやりただけのスケベ中年親父が、たまたま拾った売春婦を上手い事扱い、惚れさせるだけの映画。
このリチャード・ギアが本当にゲスい。投資家と言うけれど、会社を安く買ってバラして高く売るだけの金持ち。金をチラつかせて「もてなせ!」とはっきり言い、「マイ・フェア・レディ」のレックス・ハリソンの様に何かを仕込む、教える訳ではなく、ただ単にジュリア・ロバーツに金を与えて綺麗に見繕わさせるだけ。それに彼の乳首の周りにだけ少し毛が生えているのが、下衆さを倍増させる。彼の常に透かし加減が鼻に付くのに加え、この役柄的に良い男風に描いてはいるけれど、ただのしょうもない成金男でしかないというしょっぱさが、更にリチャード・ギアをゲスく見せてしまう。
それにジュリア・ロバーツへの周囲の対応が変。売春婦だと分かっているのに物凄く優しく、まるで自分の娘かの様に対応するホテルの支配人とか、まあ有り得ない対応。一番普通な反応を見せるリチャード・ギアの同僚の弁護士のジュリア・ロバーツを売春婦として誘う事がリチャード・ギアとジュリア・ロバーツの揉め事になり、それが一番の山場になるという、売春婦を描いているのに普通の女性を描いている様な脚本のしょっぱさ。
衣装にしろ、音楽にしろ、ダサい。そこはまあ、まだ1980年代の雰囲気が残っている1990年だからしょうがないのだけれど。ジュリア・ロバーツの売春婦的服装を良い所の服屋の店員が目を細める場面があるけれど、その演出意図は分かるし、その当時はそのままの事なんだけれど、一方のその店員の服装が今見るとダサ過ぎ、変で、今ではその「如何にも変な格好をしている売春婦と時代の最先端を行っている女性」という意図が崩れてしまい、どちらも変なだけで何だか良く分からなくなってしまっている。
結構日本でも露出が多い服で、目の周りを黒く、頬を赤く、金髪に染めた女性って若い人で多いけれど、そんな人を見て思うのはやっぱり「売春婦っぽい」。それって、この映画でもそうだけれど、まさしくアメリカ映画の売春婦そのモノ。
リチャード・ギアの演技は抑えたと言えば聞こえはいいけれど、結構大根的な演技力の無さ。リチャード・ギアって、今もこんな演技ばかり。こういう気取った役ならまだ分かるけれど、この跳ねない感じの演技って、どうにも面白味が無い。
ジュリア・ロバーツは場末の安い売春婦役で蓮っ葉で下品な演技はしているけれど、この映画で出て来るどの女性よりも綺麗なモノだから、売春婦という嘘っぽさは大きい。「マイ・フェア・レディ」でのオードリー・ヘップバーンは、綺麗になる事は初めから分かり切った事だったけれど、小汚い時は小汚かったし、言葉遣いも別人だったしで、役を非常に上手く演じていたけれど、この映画のジュリア・ロバーツは役を喰ってしまう本人の部分が大きい。
この映画、リチャード・ギアの乳首をコリコリと弄る場面が寄りであるのに、売春婦のジュリア・ロバーツの乳首は一瞬しか出て来ない時点で、売春婦の夢物語を綺麗に描き過ぎて現実味が無いのがありあり。売春婦は無垢な少女な一方、下半身がだらしなく、金に物を言わせるだけの男が素敵な王子様って、女性と男性の描き方も見ている方をも相当馬鹿にした映画。リチャード・ギアとジュリア・ロバーツは何かにぶつかって今を変えようとしたりする事無く、金で見栄えを変えたからお互いが好きになった以上のモノが何も無い、バブル期の浮かれまくった時代性ばかりが出ただけの映画。
☆★★★★