スタンド・バイ・ミー

2013年04月18日 木曜日

スティーヴン・キングの「死体(The Body)」を原作としたロブ・ライナー監督の1986年の映画「スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)」。

田舎町の四人の子供が死体があると言う噂を聞き付け、線路を辿って死体を探しに行く。

この映画は良い映画と聞いた事あるけれど、それが全くピンと来ない、とても退屈と言う訳でもないけれど、おもしろくはない映画だった。
こういった子供が主人公のロードムービーって、劇的な事が起こる訳でもないので、話の構成や展開で見せるのではなく子供時代への共感性や郷愁で見せる映画だと思うけれど、この1950年代のアメリカの田舎町の馬鹿な四人のガキが死体を探しに行くという話には、何ら共感や郷愁を感じない。
彼らの行動や習慣、風俗等に「へぇ~、この時代のアメリカの田舎ってこんな感じなのか…。」と言う関心は行くけれど、「荒野や森の中を通る単線の線路を歩いて行く」とか、「コヨーテの鳴き声が聞こえる森の中で、拳銃持った見張りがいる中、焚火の周りで子供達だけで一夜を明かす」なんて、共感や懐かしさなんて全く出て来るはずもなく、ファンタジー映画を見ているのと大して変わりがない。
要は「オズの魔法使い」なんだろうけれど、「オズの魔法使い」は完全にファンタジーな分、比喩的な部分で共感性が出て来て一般化されるのに対し、この映画は1950年代のアメリカの田舎と言う完全個別化の話なので、何に対して共感すべきなのか、懐かしさを感じるべきなのかがさっぱり分からないまま。
自分を振り返るきっかけにもならないし、振り返った所で、この少年達の行動と見比べても自分と遠い世界のお話では比べる意味も無いし。

主役の四人は非常に良い演技なんだけれど、本来なら特に何か劇的な起こる話でもないのに、ちゃんとネタ振っていたり、何分毎に何かが起きたり、登場人物達皆何か重いモノを抱えていたりと、飽きさせない様なキッチリとした構成になっている分、あざとい作り物感があり過ぎて全然乗って行けず、少年達も話の上で動いている感が否めなかった。
それが分かり易いのは、水溜りに入ったら短時間で体中に万遍なくヒルが付いていて、しかもやっぱり股間にヒルがいる場面。余りに仕事がきっちりし過ぎで、ベタなコント見せられた感じ。
あと、構成で言えば、途中のパイ喰い競争の話とか全くいらなかった様に思えたけれど、これってだから何なんだ?この話って『「キャリー」を五分でしました。』と言う、スティーヴン・キングへの皮肉の冗談なのだろうか?
多分、この映画で有名な場面は「川に架かる線路を歩いていると、後ろから汽車がやって来る」だと思うけれど、これもきっちり汽車来ますよ…と振り入れておいて、当然汽車がやって来ると子供と背景は思いっ切り合成。引きで実際に汽車から逃げている場面は明らかに子供達とは別人の大人で、物凄いあれれ…感一杯。

気になったのは、この子供時代は1950年代なのに物凄く1980年代の雰囲気がある事。当然と言えば当然だけれど、作られた1950年代感は違和感。

それに、この映画でも更に有名になったベン・E・キングが歌う「スタンド・バイ・ミー」だけれど、この話の後に、行き成り「♪so darlin’, darlin’, stand by me, oh stand by me.」と流れたら、映画の内容と全然合っておらず、意味不明。
この歌って、「怖くないよ…。泣かないよ…。君が側にいれば…。」と言う、甘えたの泣きかけている男の甘いラブソングじゃん。
この映画は「だけど、かつての親友はもういない」という話なのに、この歌が流れてしまうと、この主人公は作家として成功しているらしく、子供もいるおっさんなのに「ダーリン!ダーリン!」って流れたら「かつてのダーリン、側にいて!」ってショタコン野郎のヤバい奴にしか思えなくなるし。

おもしろかったのが、馬鹿なガキだと言う記号はタバコを吸っている事。
1980年代半ばのアメリカの煙草の害悪の社会的な認知度や、1950年代の煙草に対する印象がさっぱり分からないので、これが何処までの分かり易さなのか分からないけれど、子供が煙草吸うなんて今じゃあまずしないので、記号としての煙草の使われ方に興味は行く。

この映画にキーファー・サザーランドが出ていたという話は知っているけれど、今見ると現在有名な俳優が結構出ていたのに驚いた。
主人公の子供時代役のウィル・ウィトンは、この後「新スタートレック」こと「スタートレック ネクスト・ジェネレーション」のドクター・クラッシャーの息子ウェスリー・クラッシャーで有名になるし、クリスことクリストファーはリバー・フェニックスだし、主人公の兄はジョン・キューザックだし。
ウィル・ウィトンは子供時代はキリッとした男前だったのに、現在はスリムクラブの内間政成みたいな完全なるとっちゃん坊やになっていて、驚き、笑ってしまった。
キーファー・サザーランドはこの当時20歳で、今のキーファー・サザーランドを知っていると、この若いけれど今のキーファー・サザーランドと変わらない姿に笑ってしまう。
彼は「24」が無かったら、今でも「『スタンド・バイ・ミー』に出ていたドナルド・サザーランドの息子ね。」となっていた可能性も。映画の影響力って凄いし、怖い。

本来ならこの映画から自分の子供時代の何かを思い浮かべる事によって共感や郷愁を得るのだろうけれど、わたしはこの映画見ても自分の子供時代の何かを思い出す事なども全く無く、単に「ふ~ん…」以上のモノが無く、「だから?」感ばかり。
全く知らない外国人の子供時代の自叙伝を読んだ感じ。
それならそれで興味を引くモノがあればいいけれど、全く異質な世界での死体探しの旅で盛り上げといて、それが全ては懐かしい思い出で済まされると、こちらの「う、うん…。」と言う、つまづいたけれど、こけれも、のけ反れもしないままの宙ぶらりん感で感動なんてまあ無い。

☆★★★★

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