モダン・タイムス

2013年04月17日 水曜日

チャールズ・チャップリン製作・監督・脚本・作曲・主演をした1936年の映画「モダン・タイムス(Modern Times)」。

工員のチャールズ・チャップリンはボルトを締める単純作業の繰り返しで頭がおかしくなり、病院へ。その後デモに巻き込まれ逮捕され投獄。出所後は仕事が上手く行かず、無銭飲食で捕まるけれど、出会った女性の為に再びやる気を出す。

チャールズ・チャップリンの社会風刺の笑いって、物凄い微妙と言うか、おもしろくない。主題に関係ある様な真面目な題材を風刺的笑いで切り込むと言うよりは、重めの題材の中で単にチャールズ・チャップリンの動きの笑いを見せたいだけでドタバタコメディを入れ込んで来るので物語の流れを切るし、このドタバタがおもしろくないので白けっ放し。
チャールズ・チャップリンの笑いは、サイレント映画なら非常に分かり易く見ていてもおもしろいのだろうけれど、白黒でもトーキーならどうしても今まで見て来た色々な笑いと比べてしまい、比べてしまうと古臭い、わざとらしい、大袈裟ばかりで、笑う事に乗り切れない。子供の時だったり、当時なら大笑いなのかもしれないけけれど、流石に21世紀の色んな笑いを見たおっさんがチャールズ・チャップリンを見ても、「ふ~ん。そうなのね…。」位で、笑いは無い。それにやっぱり笑いがしつこい。何度も同じ事を繰り返し見せられても、しつこさを感じるだけで余計に笑えない。
あと見ていても、単純作業をして貧乏なのは学が無く、常に他人の邪魔ばかりして、他人の指示なぞ聞かない馬鹿だからとしか映らず、社会批判よりも努力や適応、他人への気遣いをしない人間への批判に感じられた。それに、時代の潮流に乗り、溢れる才能がピッタリはまり、多くの人に映画を買ってもらって、物凄い有名人、物凄い金持ちとなったチャールズ・チャップリンがこの役を演じても、何かいまいちしっくり来ない。

いまいち訳が分からないのは構成。初めは登場人物が普通に喋っていたのに、急にサイレントで物語が進み始め、結局サイレント映画。社会風刺だと思われる主題も、始めの方はあったけれど、中盤はチャールズ・チャップリンのドタバタ劇を見せるだけで関係無い話ばかりで、どっかに行くし。あくまで一番はチャールズ・チャップリンのドタバタ。「モダン・タイムス」と言う題名だと真面目な社会風刺コメディに思ってしまうから、「チャールズ・チャップリンのモダン・タイムス」とすべき。
それと、貧乏という設定なはずのポーレット・ゴダードは裸足で服は裾だけのボロボロなのに、化粧ばっちり、髪の毛は綺麗にウェーブがかかり、美人だし、この人物がどういった人物なのか見た目ではさっぱり分からない。

この映画の題材も時代性が強い。より資本主義化、より機械化して行く社会に対して、時代に馴染めない人の代弁でもあるけれど、現在すでにガッチガチの資本主義社会、全自動機械化でブラックボックス化している事物ばかりの中で育った現在人からすれば、共感はむしろ薄くなっているはず。だって、それによって便利な生活を知って、謳歌して、それに馴染んでいるのだから。それが嫌だったら違う方法は幾らでもある訳だし。「当時はそうだったのか…」という、社会資料的な映画になってしまっている感は強い。それに今の感覚だと、そんなボルトを連続し続け締めるだけ作業ならむしろ機械化すべきだし、こんな危ない奴がうろちょろされると困るからこそ機械化するし、管理をもっと厳しくするし。

この映画、社会批判はほんの少しで、基本はチャールズ・チャップリンのドタバタを見せる為のワンマン映画。最終的に社会に対する批判は鳴りを潜め、「結局は男女二人の愛だ!」と言う非常に在り来たりな所で終わってしまう。この映画もやっぱりこの時代付近に見ないとすんなり入って来ない、古くなってしまった映画。

☆☆★★★

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