マイ・フェア・レディ

2012年03月15日 木曜日

1965年の第37回アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞等8部門で受賞した映画「マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)」。

この喋り方、癖があり過ぎる訛りを直して貧乏な花売り娘を上流階級の淑女に仕込むという話は非常におもしろい。サクセスストーリーとしても政治や商売でなく言葉で名を上げて行くというのは、階級社会な英国社会の言葉からも来る身分差別を上手く使い、そんなモノはどうにでも出来、意味の無い事だし、結局人は見場というおちょくりや風刺も見せ、題材としておもしろい。日本だと、訛っていると田舎者、関西弁を喋ればお笑い要因という、まあ何十年も変わり映えしない大雑把で典型的な人物設定ばかりで飽き飽きするけれど、この映画もそうだけれど欧米だと言葉や訛りでの細かいネタが一杯あって興味の行く所。わたしは英語が完全に聞き取れる訳ではないけれど、この発音や喋り方の違いは聞いていても見ていてもおもしろい。子音が抜けたり、母音が違うのは「成程ねぇ。」と関心し、オードリー・ヘップバーンの喋りも相当練習したんだろうなとそこにも感心。
これの映画が難しいのは日本語翻訳。字幕だと何故かオードリーが江戸っ子調、べらんめい調。「cup of tea」の繰り返しも「いただきます。」と全然違うし。訳が難しいのは分かるけれど、やっぱり英語がある程度分からないとこういう言語ネタの外国語映画は本来以上の人物設定が出て来るし、理解もし難いはず。これの吹き替え版はそこら辺はどうしているのか知りたい所。
また展開は、前半の喋り方の訓練は突如綺麗に喋れたりで徐々に感がないし、淑女としての振る舞いや動きの訓練もほとんどないし、オードリーがレックス・ハリソンに惚れて行く様も急な取って付けた感じがし、長尺な割りに摘まんだ感じの展開。
しかもこの映画がどうしても駄目なのは、ミュージカルを挟んで来る事。急に歌い出すと一気に覚める。今まで普通に話していたのに、普段なら口にしない感情を街中で大声で歌って踊り出すと登場人物は皆頭がおかしくなった様に見え白けるし、皆が陽気に舞台劇のミュージカルの「どうです?面白いでしょ?」の演出が入るとゲロ吐きそう。歌部分は初めは早送りにしていたけれど、一曲目の段階でスキップに。しゃがれ声で下品に喋っていたオードリーが、歌歌ったら綺麗な声で高らかに歌い上げればもうそこで力尽きた。元々ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」のミュージカル版「マイ・フェア・レディ」が大ヒットしたから映画もミュージカルにしたのだろうけれど、はっきり言ってミュージカル部分が無ければもっとおもしろい映画だったのに。ミュージカルだからというのもあるのか、物凄く豪華で作り込まれているけれどセットは如何にもセットだし。
それに主演をオードリー・ヘプバーンにしたのは失敗だと思う。皆綺麗で上品なオードリーを知った上でこの下品な女性を見た所でそちらの方が特殊な設定だし、「綺麗になるんだろうなぁ…。」とどうなるかは分かっているし、発音の訓練というよりは本来のオードリーに戻って行く感じが強く、全くの新人がこの役やればすんなり入って行くのだろうなぁと思った。発音や身なりが綺麗になって行くという前に、「オードリーが元々無茶苦茶綺麗だからでしょ…。」という事にどうしても行ってしまうし。
話は違うけれど、オードリーの初めの大袈裟な下品な女性を見ていたら、モンティ・パイソンの女装の女性を思い浮かべていた。

言語ネタとサクセスストーリーと恋愛物語が合わさり、話的にはおもしろいのだけれど、ミュージカルというのがわたしには致命的。ミュージカル劇として見てもその歌劇場面の少なさは中途半端だし、映画としてもミュージカルが挟み込まれて来まれ、会話劇は小気味良くないしで中途半端。

☆☆★★★

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