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グランド・マスター

2017年12月27日 水曜日

ウォン・カーウァイ製作・監督・脚本、トニー・レオン主演の2013年の香港映画「グランド・マスター(一代宗師)」。
詠春拳の武術家の葉問(イップ・マン)を基に作られた映画。

20世紀初め。引退を決めた北の八卦掌の大物ゴン・パオセンは南の詠春拳を広める為に自分の後継者として葉問を選んだ。
ゴン・パオセンの娘ゴン・ルオメイは葉問が気に入らず、果し合いを申込み、戦いの中で恋心を抱く。
ゴン・パオセンの一番弟子だったマーサンは師匠ゴン・パオセンを殺し、ゴン・ルオメイはマーサンに復讐を果たそうとする。

粗筋書いていても話がバラバラでよく分かり難いけれど、映画も葉問の伝記的映画と思ったら葉問の話は始めと最後の少しだけで、中盤はほとんどチャン・ツィイー演じるゴン・ルオメイの復讐話だし、功夫映画かと思いきやカンフー場面は始めと中盤に少しで、しかも一番の最後の見せ場はトニー・レオンの葉問ではなくチャン・ツィイーだし、全体的に何を描きたいのか分からず話は雑多で散漫。一番の見せ場のカンフー場面は少な過ぎる上に見難くて、まあ酷い出来。

始まりは北だの南だのの話でよく分からない中、次々と人が現れ、様々な流派のカンフーを見せて行くので、まだ持つ。
しかし、葉問が後継者に決まる前後から日本軍が侵略して来たのに呑気だな…と思っていたら、戦争で葉問の生活が困窮し、葉問の武術家ではなく一人の人間としての人生を描いて行くのか…と思うも、葉問は全然登場しなくなりゴン・ルオメイの復讐話に変更。
ゴン・ルオメイが復讐しました…。ゴン・ルオメイが死にました。葉問が生きました…でお終い…。何じゃ、この映画?
葉問が主人公だと思ったら、中盤はほったらかし。中盤の主人公はゴン・ルオメイで、葉問関係無いじゃん。
これだけゴン・ルオメイが取り上げられるから葉問との恋愛話に行くのかと思いきや、それは最後に少しだけ。
一番弟子だったマーサンが初めに葉問とバチバチやり合っていたので、この二人の対決が見られるのかと思ったら、その後一切顔を合わさず仕舞い。
途中に急に出て来た一線天(カミソリ)が登場の仕方でゴン・ルオメイと何かあるのかと思いきや、その後全く無し。
それどころかカミソリは何で登場しているのか、さっぱり分からない関係の無さ。
話は全体的にその場で思い付いて後先考えずにとにかく撮影して、編集で切りまくったので話が関係して来ないみたいな出来。
二十話位ある連続ドラマを二時間にギュッと編集したので訳が分からないような内容。

どうやらウォン・カーウァイが撮るだけ撮って、編集で落として、結構な場面が使われていないみたい。
本来は葉問とカミソリの最終対決もあったみたいだけれど、それも丸々失くしてしまったようで、それだからカミソリの存在意義が分からなくなったし、映画として大分酷い作り方。
そんな事してしまったから、出演していた役者からも相当評判が悪かったみたい。

酷いのはカンフーで、見せ場であるはずなのにカンフー場面が少なく、どれも見辛い。
初めは葉問が色んな流派と戦うのでおもしろいけれど、その後葉問が戦う場面は町のおっさんをボコボコにする位で、見せ場は一切無し。
そのカンフー場面も、短く細かく編集で繋ぎ、間間にスローの動きが入り、足を一歩踏み出すだけとかのカットを挟み込み、カッコイイ風にはなっているけれど、その拳や蹴りが何処に当たったとかが分かり辛く、今何が起こっているのが本当に分かり辛く見辛い。
やたらと足の踏み出しや動きをアップで見せるけれど、一瞬の動きだけなので足の運びが凄いとか綺麗とか全然思わないし。
まるで、自分は大して動かず手足をバタバタしているだけなのを誤魔化す為に短く編集している省エネアクションのスティーヴン・セガールの劇場公開されないオリジナル・ビデオのアクションを見ているかのよう。
ウォン・カーウァイって、カンフー撮るの下手糞過ぎないか。
それに、雨の中での戦いって、映画「マトリックス レボリューションズ」に影響され過ぎじゃない?
まあ、この映画の武術指導が「マトリックス レボリューションズ」もしていたユエン・ウーピンだからというのはあるだろうけれど。

他の場面も映像美と言えば聞こえは良いけれど、内容がスカスカなのを見た目で誤魔化している様にしか思えないし、無駄に色んなカットを挟み込むので話の流れが悪いし、間延びしまくるし、序盤以外は常にもっちゃりして非常にだるい。
それにやたらと壮大な音楽を流すのだけれど、これがずっと見ていると、ずっと聞いているとうっとおしくなり、だるくなるし、その映像と壮大な音楽で重厚な雰囲気を作り出している分、これまでの功夫映画と同じくあの独特な構えでピタッと止まっていると滑稽に見えてしまったし、スーパーヒーローモノのアクション映画並みに人が吹っ飛んで行くって笑ってしまう。
あと、人間の構図も微妙で、多くの場面で人間の顔は頭が切れているし、カメラが少し上や下から撮っているので登場人物が常に何処を見ているのか分からない、あっちゃらの方向見て喋っている感じになるし、誰もが精気が無い風に見えてしまった。

トニー・レオンはカンフーを頑張ってはいるものの、やはりカンフースターではないので、雰囲気はあるけれどやたらと強い武術家には見えないんだよなぁ。
雰囲気もジェット・リーことリー・リンチェイの昔の映画に影響されているんじゃないの?と思えたし。
そういう描き方ではあるし、トニー・レオンの存在で持ってはいるけれど、葉問が何を考えているかがほとんど描かれないので葉問が何処に向かっているのかが見えて来ず、見ていても話に乗って行く感じが無い。

この映画、功夫映画としても、葉問の伝記映画としても、葉問の人生を描く映画としても、葉問とゴン・ルオメイとの恋愛映画としても、どれを取っても中途半端過ぎるし、物足りなさ過ぎるし、まあつまらなかった。
多分「ウォン・カーウァイとトニー・レオンが功夫映画撮った」で楽しめる人向けの映画なんじゃないかしらん。

☆★★★★

96時間/リベンジ

2017年04月05日 水曜日

オリヴィエ・メガトン監督、リュック・ベッソン製作・脚本、リーアム・ニーソン主演の2012年のフランス映画「96時間/リベンジ(Taken 2)」
映画「96時間」の続編。

前作で娘を誘拐されたブライアン・ミルズは、やっぱり娘が心配で自動車運転を教えたりと顔を会わせていた。
前作でブライアン・ミルズが皆殺しにした犯罪組織のボスの父親が復讐を企み、イスタンブールに仕事で来ていたブライアン・ミルズと彼の元妻と娘の誘拐を計画していた。

前作は、あのほのぼの父娘のコメディから娘の誘拐になり、電話で冷静に取るべき行動を教える父親という非常に上手く緊迫感のあった導入でおもしろかったのに、その続編はクソつまらなかった。

まず、前作で中盤以降主人公がやたらと残虐になり、とにかく皆殺しにしてしまうという展開に疑問を感じてしまったけれど、この続編で「無残に残酷に殺されてしまった息子の復讐に走る父親」という設定で結構納得。しかし、リュック・ベッソンの事だから、とにかく皆殺しで楽しいアクション映画を…と考えて、その結果でたまたま続編が作れるのでそれを活かしただけの事なんだろうけれど…。
この復讐という時点で、始まった瞬間に「また、家族が誘拐されるけれど、結局はリーアム・ニーソンが敵を皆殺しにして終わりなんでしょ…?」と思ってしまい、ほぼそれがそのまま繰り広げられるだけなので、まあただでさえ低い期待値を超える事も無く終わってしまう。

一作目が娘の誘拐で、それを助けようとするリーアム・ニーソンだったので、続編では今度は逆にリーアム・ニーソンと元妻が誘拐され、リーアム・ニーソンが動けない中で娘が助けようとすると言う展開になり、「どんだけ町の地理と自分の位置把握正確なんだよ!」というツッコミはあるにしろ、その部分だけはおもしろかった。
ただ、娘はあの細い路地の中を超一流のスタント・ドライバー並みに自動車運転してしまい白けるわ、元妻を助けに行く終盤になると一切娘が出て来ず、娘の存在がいらなくなってしまうわで、この再び誘拐は序盤は成功かな?とは思ったけれど、終盤では失敗でしょ…と思ってしまった。

それに、この映画の題材が「暴力による解決が更なる暴力を生み出す」「憎しみの連鎖」を扱っているので、そこら辺の主張があるのかと思いきや、流石はリュック・ベッソン。「問題は皆殺しにすれば全て解決し、ハッピーエンド」という酷い結末しか見せずに終わる。

脚本や展開も酷くつまらないけれど、この映画で一番酷かったのが編集。
最近のアクション映画の傾向でもあるけれど、カットを短くして早く繋いでアクションを素早く見せるというのがあるにしろ、この映画の編集は短く切り過ぎて何が行なわれているのかを把握出来ない。
例えばリーアム・ニーソンのアクション場面だと、リーアム・ニーソンが右向いていた直ぐ次の瞬間には左側からのカットになり、直ぐ次にはリーアム・ニーソンの背中側のカットになりと、数秒もない短いカットでリーアム・ニーソンの向いている方向が違ったり、やって来た敵の方向が直ぐ次のカットで別の方向になっているので、見ていても「何?何?誰が今何しているの?」と訳が分かんない。
自動車での街中を走る場面も「今自動車がどっちの方向向いていて、どっちにハンドル切ったの?」とか、見ていても混乱ばかり。
これって、その太った体でアクションをしても動けないのを誤魔化したり、最早自分がアクションをするのが面倒でスタントを多用して、それを誤魔化す為に顔を映さず手足だけのカットを連続して早く繋いで行く、省エネ・アクションの大家スティーヴン・セガールのビデオ映画の編集と同じ。
今回も前回の内容も、家族が誘拐されて自ら一人で犯罪組織に堂々と乗り込んで行って皆殺しにしまくるだけというスティーヴン・セガール映画と大して変わらず、単にスティーヴン・セガールをリーアム・ニーソンに挿げ替えて大きな制作費で作りましたという映画だし。

更に酷いのは邦題。
前作で原題は「Taken」なのに「96時間」と勝手に邦題を付けていたけれど、それは「誘拐されてから無事助けられるのは96時間…だと思う…」と言う主人公の予想からで、しかしそれも今作の元妻の「娘を72時間で助けた」という発言で、実は96時間もかかっていなかった事が分かりながらも一度勝手に付けてしまったので続編も同じ題名にしなくてはならず、しかも今回は96時間は全く関係無く、しかも「リベンジ」しようとしているのは敵側で、最早邦題は何のこっちゃ?な意味不明な題名になってしまっているし。
近年の邦題の出来の悪さ、感性の無さったらなく、日本の配給会社の体たらくしか見えて来ない。

それにしてもリュック・ベッソンって、細い路地でタクシーを走らせるのが好きだな。
彼のお家芸と言えば聞こえは良いけれど、最早そればかり、それでしか見せる事が出来ないんじゃないの?と思えて来てしまう。

この映画、一作目に比べると主人公の情報収集能力や娘を見付ける事が出来るかもしれない…という緊迫感等、あれだけ見入らせた要素を削ぎ落とし、分かり切った誘拐までの時間をかけ過ぎながら、自分が逃げ出した後に元妻を助けに行くと言う緊張も集中力も分断させる二部構成にしてしまったり、暴力が復讐を生み出すという題材なのに皆殺しにしてお終いという見終わってもスッカスカの内容に見難過ぎる編集と本当に酷い映画。
結構以前から、「一作目がおもしろかった映画は二作目の方がおもしろくなる」という傾向を感じていたけれど、ここまで二作目で落ちた映画も珍しいんじゃないだろうか?

☆★★★★
 
 
関連:96時間

2016年に見たテレビドラマ・映画グランド大賞

2016年12月31日 土曜日

毎年毎年見た映画が減って来ていて、2012年307作
2013年148作
2014年100作
2015年67作
2016年は40作。

映画って当たり外れの大き過ぎる短編を見ている感じがして、もう、映画を見るのが面倒臭くなってしまっている。
映画を見るのだったら、おもしろいテレビドラマを見た方が楽しめるので、テレビドラマの方が多く見ていた。

と言う訳で、今年からグランド大賞にテレビドラマ部門を追加。

まずはテレビドラマから。

2016年に見たテレビドラマは、

CSI:科学捜査班 67
CSI:マイアミ 3・10
CSI:NY 123
バーン・ノーティス 67
ナイトライダー 1
24 1
バトル・クリーク 格差警察署
ヒューマン・ターゲット
X-ファイル 678
エージェント・オブ・シールド 2
ザ・ラストシップ 2
エージェント・カーター 1
ER緊急救命室 1・2345

で、ざっと計算してみたら450話弱位?
昨年よりも減ったけれど、映画に比べると満足打率はテレビドラマの方が高いかな?

この中で一番おもしろかったのは、新作は「ザ・ラストシップ」のシーズン2
旧作見直しは「ER緊急救命室」

「ザ・ラストシップ」はシーズン1の映画的見せ方と素早い展開で、既にシーズン1でワクチン出来てしまってシーズン2でどう展開させるのか…?と思っていたら、見事にワクチン完成後のゴタゴタを描き、新たな敵との戦いと、まあ見事に見せて非常におもしろかった。
ただ、このシーズン2で十分終わりに出来る内容だったのに、更にシーズン3もあるんだよなぁ…。あのシーズン2最終話の最後の、如何にもシーズン3へ繋げますよと言う強引な振りの展開は物凄く冷めたのだけれど、シーズン3はおもしろいのかなぁ?

以前も地上波や衛星放送やレンタルで見ていたのだけれど、Dlifeでシーズン1から始まったので見直した「ER緊急救命室」だけれど、やっぱり「ER」はおもしろい。
ERだけで進む人間関係と医療を軸にした様々な人々の人生悲喜劇は、見る度に脚本の上手さを感じて止まない。
それにあのステディカムでの動きながらの撮影での演出やら、長期間に渡る撮影で何処までが演出通りなのかアドリブなのか分からない役者の演技等々本当に見ていて楽しく、Dlifeでの放送が在庫処理的週五話という、Dlifeのファッキンさが出るあのクソ編成でも、毎日飽きる事無く楽しんで見れたしなぁ。
続けて見たいけれど、またもやDlifeのよく分からない、昔のもう終了したドラマで、今まで連続して新シーズンを放送していたのに急に次のシーズンを放送しなくなるというファッキンDlifeが発動し、シーズン6は何時から見れるのか分からないし。

わたしの中での三大テレビドラマは「24」「DS9(スタートレック:ディープ・スペース・ナイン)」「ER緊急救命室」で、改めて「ER緊急救命室」を見て、やっぱり三大ドラマの位置は変わらず。
 
 
で、映画。
2016年の見た映画の星取りのそれぞれの数。

☆☆☆☆☆ 4作

☆☆☆☆★ 2作

☆☆☆★★ 9作

☆☆★★★ 11作

☆★★★★ 12作

★★★★★ 2作
 
 
最もおもしろかった五つ星☆☆☆☆☆の映画1作。

ターミネーター
バック・トゥ・ザ・フューチャー
インセプション
エド・ウッド

この中ではやっぱり「エド・ウッド」が2016年最高の一作

「エド・ウッド」はわたしの中の大好きな映画の五本の指に入る一作で、映画に対する愛とこの映画の制作側の映画に対する愛が入り混じり、見ていてワクワクとほんわかの気持ち良さがたまらない。
 
 
一方、つまんな過ぎた星無し★★★★★の映画2作。

沈黙のテロリスト
リボルバー

まあ、スティーヴン・セガールはやたらと見てしまうけれど、結局「つまらない!つまらない!」の繰り返しで、最早セガール映画のつまらなさを楽しむという楽しみ方も出来ず、今まではスティーヴン・セガールの映画をテレビで放送していればとにかく録画して何となく見ていたのに、それさえ止めてしまい一切見なくなってしまったという止めを刺したのが「沈黙のテロリスト」。

「リボルバー」も元々ジェイソン・ステイサムが好きではないのに、ガイ・リッチーが監督・脚本と言う事で見てみたら、これが本当にクソつまらない映画だった。

しかし、2016年一番の最低につまらなかった映画は「アバター
「アバター」は星一つ(☆★★★★ )だったけれど、「アバター」は大ヒットした映画だったのでどれだけおもしろのか?と見たら、これがまあつまらない。
大ヒット映画と言う肩書からの肩透かしによる最低映画という部分も大きいけれど、それでもなぁ…。
2016年の映画の五つ星☆☆☆☆☆の中に「ターミネーター」は入っている訳で、「エイリアン2」も五つ星☆☆☆☆☆なんだから、わたしの中では「どうした!?ジェームズ・キャメロン」なんだよなぁ。
 
 
2016年は良かった監督は、ジェームズ・キャメロンの出世作と最高収益作だけれど酷い映画の差が激しく、ジェームズ・キャメロンではなく、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のロバート・ゼメキス
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」での全てが繋がって行く演出・構図・脚本がまあ見事。一回見て、もう一度見直すと「あれがこれで、これが実は振りなのかぁ!」と感激したし。
 
 
で、一方駄目だった監督。

これは何と言ってもJ・J・エイブラムス
話題になり、ヒットもした「スター・トレック(2009年)」や「SUPER8/スーパーエイト」とか、どれもつまんなかった。
J・J・エイブラムスの映画って、見た目は派手で何か凄い感じはあるのものの、やたらと突っ込み所が多く、色んな部分が緩々していて、見ている途中から始めに少しはあった興奮が見事に無くなって行く。
J・J・エイブラムスの扱われ方って、ヒットする上手い娯楽映画を撮るという感じで次世代のスティーヴン・スピルバーグ的な感じにされているかと思うけれど、わたしにとっては見た目の派手さはあるけれど中身がスカスカしている張りぼて感満載のレニー・ハーリンとか、マイケル・ベイの系譜の正統後継者にしか思わないんだよなぁ…。
テレビドラマ版の「スター・トレック」シリーズが好きで見ていて、「スター・ウォーズ」シリーズもそこそこ好きだったのに、映画「スター・トレック(2009年)」があの出来で、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」は見ていないけれどもこっちも作っているとなると余計に「ファッキン!J・J・エイブラムス」になってしまう。
 
 
監督の次は役者。

これも「エド・ウッド」のジョニー・デップ
ジョニー・デップって、ヘンテコな仮装的役よりも普通の見た目の人の方が好き。
「エド・ウッド」でのジョニー・デップは見事だったし、この映画でアカデミー助演男優賞を受賞したマーティン・ランドーも見事。
役者を見る映画としても「エド・ウッド」はおもしろかった。
 
 
今年はある程度映画を選んで見ていたので、「外ればっかりで映画見るの面倒臭くなった!」と言う事はなかったにしろ、それでも最近は映画を見る事が面倒臭くなってしまっている。
映像的な部分では映画が勝るけれど、物語を見ると言う部分では映画の限界を感じてしまい、物語を見るならテレビドラマ…という事になり、そっちに行ってしまっている。
来年は本当により「これ!」と思う映画しか見なくなると思うと、完全に映画衰退期。
2012年には一年で307作も映画見ていたのは何だったんだ?
 
 
関連:2012年に見た映画グランド大賞
   2013年に見た映画グランド大賞
   2014年に見た映画グランド大賞
   2015年に見た映画グランド大賞
   2017年に見たテレビドラマ・映画グランド大賞
   2018年に見たテレビドラマ・映画グランド大賞

沈黙のテロリスト

2016年07月09日 土曜日

アルバート・ピュン監督、スティーヴン・セガール主演の2001年のアメリカ映画「沈黙のテロリスト(TICKER)」。
アメリカでは劇場公開されていないビデオ映画の様。

捜査中に相棒を殺された麻薬捜査官のネトルズだったが、敵の一味と思われる女性を逮捕した。しかし、警察にはその女性を解放しないと何処かで爆発が起こると脅迫され、実際に爆発事件が起こった。
上司の命令を無視して捜査を続けるネトルズを助け、自分のチームに入れたのは爆弾処理班のグラスだった。
やがて、グラスはその爆弾犯がかつて自分が人質を殺してしまった立てこもり事件の犯人だった事を知る。

これまで見て来たスティーヴン・セガール映画はどれも酷いっちゃあ酷いけれど、その中でも最低に酷いのがこれじゃないかしらん。
脚本は適当な上、散漫。主演であるはずのスティーヴン・セガールが主役じゃない。低予算で仕上げようとした為に編集が酷い事になっている等、散々な内容。

始まりはスティーヴン・セガールがよく分からない理由で諦めた爆弾人質事件で、その数年後が舞台だから、その爆弾犯をスティーヴン・セガールが追い詰めて行くのかと思いきや、偶然その爆弾犯に出くわしたトム・サイズモアが主役となり、スティーヴン・セガールは大して出て来ない。
このトム・サイズモアの方は、かつて爆弾によって妻と子供が殺されている過去を見せるのだけれど、これが今回の事件の犯人と関連があるかと言えばそうではなく、この爆弾事件が何だったかのは一切描かれぬまま。妻子を失くしているなら別に爆弾ででなくてもいいのにわざわざ爆弾にしておいて、特に関連しても来ないという意味不明な脚本。

更に、この爆弾犯をデニス・ホッパーが演じているのだけれども、すでに「スピード」で爆弾犯を演じているので、「また?」という既視感ばかり。
この爆弾犯が、まだ「スピード」の時の様な人物ならば背景があって分かるのに、この映画ではただ単に爆弾を爆発させて人を殺す事が芸術家的だと思っている完全な行ってしまっている人で、まあ何も無い人物。
しかもこのデニス・ホッパーとスティーヴン・セガールの因縁を始めに見せておきながら、デニス・ホッパーとスティーヴン・セガールが対面する場面はほぼなく、最後もスティーヴン・セガールが何もしないままデニス・ホッパーは爆死という、だったら何で初めに因縁を見せたんだ…?という酷さ。

で、このデニス・ホッパーが退場した後も爆弾話が続いて行き、じゃあこれまでのデニス・ホッパーは何だったの?だし、結局女性はどうなったのだし。
爆弾処理班のスティーヴン・セガールの仲間も活躍して役が立って行く様な雰囲気はあるものの、ほぼ活躍のないまま死んでしまう人はいるわ、何時の間にかいなくなっているわで、まあ登場人物の無駄さったらない。
話は終始デニス・ホッパーが好き勝手に爆弾爆発させるだけで、警察側の攻勢もないまま振り回されて、勝手にデニス・ホッパーが死んでしまうという全く面白味の無い展開でグダグダしっぱなし。

何より酷いのが編集。
この映画は爆弾魔が中心となっているのに、その爆発場面はほとんど何かの映画やジャンクフィルムや資料映像らしきものから持って来て繋げただけになっている。
なので、一番初めの立て籠もり事件では、その場所は結構大きなお屋敷だったはずが、爆発しているのは田舎の小屋っぽい所だったり、スーツケースに入れた爆弾が爆発すると周囲の一区画程も瓦礫の山となるトンデモない破壊力の小型爆弾になってしまっていたり、犯人の乗っていた自動車が爆発したはずなのに全然違う場所に止めてあるパトカーがいなかった警察官と共に爆発したりとか、もうそれまでの場面とは関係無くしてしまう適当な編集。
終盤ではそれが頻繁に起こり、突然何処かのレストランかホールの様な場所でパーティーを開いているの場面が出て来るのだけれど、これが何なのかもよく分からない。市庁舎が新たに建設されたという話ではあるのものの、この会場が皆ヘンテコな仮装っぽい格好で音楽かけて踊っているので、どう見ても市庁舎の新築記念には見えないし、終始はてなばかり。
最後の一番盛り上がらせようとすべきスティーヴン・セガールとトム・サイズモアのダブル爆弾解除の場面も、トム・サイズモアの方は「爆発まであと十分だ!」と言っているのに爆弾に表示されているタイマーは残り一分で、再びトム・サイズモアの場面になるとそのタイマーの数字が増えているという酷い編集。
更にその爆弾がもう直ぐに爆発しそうでトム・サイズモアが慌てていると、突然スティーヴン・セガールが自分の人生観や生死観を長々と演説し始め、結局爆弾の素人であるはずのトム・サイズモアに二本ある線の内、切るべき線を好きな方切らすという無茶苦茶で理由も理屈も無い酷い解除方法で解除してしまう。
一方のスティーヴン・セガールの爆弾解除の方法は、スティーヴン・セガールが黙って爆弾の中に手を突っ込んで何かして解除してしまい、爆発が迫っている緊迫感とか、罠があって解除が難しいのかどうなのかさえ何も分からないまま解除してしまうと言う、これまた酷過ぎる幕切れ。

スティーヴン・セガール映画お馴染みの自分はほとんど動かず手足をバタバタさせるだけのセガール・アクションは、酷い時は明らかにスタントマンが演じて、あとは短く編集してスティーヴン・セガールのアップを挟んで行くという省エネアクションだけれど、この映画ではその更に下を行き、スティーヴン・セガールの顔のアップ以外は多分スタントマンであろう人の手足を動かしているアップばかりで、この映画ではスティーヴン・セガールは実際にアクションしていないんじゃないかしらん?と思える究極の省エネアクションが展開される。
ただそれも、スティーヴン・セガールのアクション自体が最終盤まで全然無いのでアクション自体を省いているし。
敵がスティーヴン・セガールがまだ気付いていない背後から銃を構えて近づいているのに、わざわざ「おい!」と声をかけて、当然スティーヴン・セガールが気付いてボコボコにされてしまうという場面は流石に完全コントで度胆を抜かれたなぁ。

この映画、スティーヴン・セガール映画にデニス・ホッパーとトム・サイズモアが出ているという珍しい映画ではあるものの、内容的には脚本は酷い、それを超える程編集が酷過ぎ、話は登場人物が何かある風なのにそこを全然掘り下げず役者の無駄遣い等々、まあクソ。
スティーヴン・セガール主演なのにスティーヴン・セガールが終盤まで全然活躍しないというのは最早どうでもよく、ここまで設定や役者等のお膳立てがありながら、それらを全て台無しにしたクソみたいな酷い映画。
特に何処からか持って来た前の場面と繋がりの無いカットや、これは敵なのか味方なのか、誰が何をして何がどうなったのかもよく分からないカットを無理矢理連続で繋げたり、さっき見たぞという同じカットの使い回しがやたらと出て来る終盤なんて無茶苦茶。

★★★★★

沈黙の聖戦

2016年07月08日 金曜日

チン・シウトン監督、スティーヴン・セガール製作・主演の2003年のアメリカのビデオ映画「沈黙の聖戦(Belly of the Beast)」。

元CIA工作員のジェイク・ホッパーの娘がタイで誘拐された。早速タイへと飛び娘を見つけ出そうとするが、娘を誘拐した相手はかつてジェイク・ホッパーが追っていたテロリストであり、娘と共に誘拐されたのはアメリカ上院議員の娘であったのでアメリカ政府も動き出していた。

もう、スティーヴン・セガール映画って何かしながら、早送りの流し見しかしていないけれど、この映画も舞台がタイという目新しさ以外は無い、毎度の元特殊な職業の強い奴で家族の為に敵を皆殺しにしまくるという何時ものスティーヴン・セガール映画で流し見で十分。
それに何時も通り、結婚していない設定だと突然何処に惚れたのか分からないまま女性が寄って来ると言う、毎度のスティーヴン・セガールのオナニー的恋愛要素もあるし。
スティーヴン・セガールとアメリカ政府という二つの軸や、二重位に敵味方を入れ込んだ構成にしてはいるけれど、別にそこら辺を複雑にした所でアメリカ政府が積極的に絡んで来ないまま、結局はスティーヴン・セガールが無茶苦茶して終わるだけだし、その策略の解明も特に捜査する事無くスティーヴン・セガールが全部台詞で説明して終わりと言う酷い見せ方だけだし。
終盤に来て、突如敵方の呪い攻撃対正義の坊さん達による呪い返しという、何故そこで急にチン・シウトン的武侠映画要素を入れ込んだの?という不可思議な要素があるし。

監督のチン・シウトンが香港のワイヤーアクションで有名な人なのでそこが売りでもあるんだろうけれど、アクションはこれまた毎度の本人がする場面は手をバタバタさせて大して動かず、激しい場面は後ろ向きのスタントがするという省エネアクションも変わらず。派手なアクション場面ではスローで誤魔化し、功夫映画や武侠映画的な見得を切る見せ場もブヨッとした体型のスティーヴン・セガールでは全然カッコ良くないし。
酷いのは、スティーヴン・セガール本人とスタントでは明らかにスタントの方が動きの切れが良いと言う事。

スティーヴン・セガールだけのアクションでは功夫的なアクションを活かせず、スティーヴン・セガールの登場場面を減らす省エネ製作の為なのか、何でかバディモノとしてかつての相棒と再び共闘するのだけれど、この相棒のスンティって人見た事あるなぁ…と思っていたら、演じているバイロン・マンってドラマ「ARROW/アロー」でヤオ・フェイを演じていた人か。
で、このスンティを吹き替えているのが小山力也で、終盤の監禁された娘達を救いに行くって、「24」のジャック・バウアーなので笑ってしまった。。

あと、テロリストの親分がバンダナに長髪に髭って姿で、数学者の秋山仁っぽいのも笑ってしまった。

一番の謎は、このビデオ映画を監督したチン・シウトン。
チン・シウトンって香港人で、「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」や「スウォーズマン」とかを監督した人で、ほぼ香港映画だけで監督しているのに、何故かこのスティーヴン・セガール映画だけ一応アメリカ映画も監督している。何で?

この映画、ちょっと変わった舞台設定を入れながらも省エネ・アクションとどうでもいい展開で、結局スティーヴン・セガール映画でしかない毎度お馴染みのアレ。

☆☆★★★

沈黙の標的

2016年07月07日 木曜日

マイケル・オブロウィッツ監督、スティーヴン・セガール製作・脚本・主演の日本だけ劇場公開した2003年のアメリカのビデオ映画「沈黙の標的(Out for a Kill)」。

考古学者のロバート・バーンズは中国で発掘調査をしていたが、彼の知らない所で遺物に麻薬を詰めて運び出そうとしていた事を知り、麻薬組織に命を狙われる。

スティーヴン・セガールは考古学者で、敵は中国系マフィアで、犯罪に巻き込まれてしまうという展開はスティーヴン・セガール映画を見慣れていると一風変わった設定で初め「おっ?」と思う。…ただ、その後は妻を殺された復讐で、とにかく敵を殺しまくるというだけの毎度のスティーヴン・セガール映画になってしまうので、やっぱりおもしろくはない。
それに流石にスティーヴン・セガールが脚本も書いているだけあって、敵はスティーヴン・セガールが何かを知っているかもしれないという予想だけで次々と刺客を送り込み、当然スティーヴン・セガールにやられまくり、敵が死に際に次のボスがいる場所を吐くのでそこにスティーヴン・セガールが出向いてまた殺しまくるという馬鹿みたいな展開の繰り返しで全然おもしろくない。
実は敵のボスがスティーヴン・セガールを利用していた事も分かるけれど、これも「ただの考古学者だと思っていたら、送った刺客を次々と殺して行くぞ!?だったらスティーヴン・セガールを使って邪魔な手下を殺してもらおう!」という、まあ計画性も何も無い適当な考えのボスで、こんなボスなので手下共は皆殺しにされているのに自分はスティーヴン・セガールが来ても大丈夫という何を根拠にしているのか分からない自信でスティーヴン・セガールと対峙して、当然スティーヴン・セガールに殺されるしで、何処を見ても馬鹿ばかりな馬鹿みたいな脚本。

始めはスティーヴン・セガールを怪しみ、途中からは助け出す麻薬捜査官も登場するけれど、世界の麻薬市場を支配しようとしている様な大規模な犯罪組織に対し、たった二人だけで世界中を回って捜査しているって何?二人で十分と言う事でも、無実のスティーヴン・セガールを犯人だと見なす見る目の無さだし、女性捜査官も敵に対しておどおどして敵の罠にあっさりかかる様な間抜けで全然優秀でもないし、どんだけ麻薬捜査に対して人手が足りていない世界なんだ…。

スティーヴン・セガールは考古学者かと思っていたら、実は元古美術関係の泥棒で、拳法の師匠から格闘技や拳法を習っていたので強いというグチャグチャした設定。
窃盗で捕まって、檻の中で考古学の学位を取得して、そこから身分を変えて大学教授となったらしいけれど、これも真面に生きて行こうとしているのに何でわざわざ身分を変える必要があるのか分からないし。

それにスティーヴン・セガールの毎度の感情が表情に出ないのを極めている。ずっと一緒に働いて来たであろう助手が横で撃たれて死んでも全然悲しんだ表情は無いし、皆殺しの復讐する原因となった妻の死もうつむくだけ。画面効果や編集や音楽で悲しみを表すだけで、スティーヴン・セガールの悲しみの演技なんてありゃしない。

特筆する部分としては、スティーヴン・セガールの映画はスティーヴン・セガールが手をバタバタさせてのアクションだけれど、この映画では敵が中国系マフィアなので功夫使いや剣使いの刺客が登場して、それに少し合わせてスティーヴン・セガールも功夫っぽいアクションをする。
ただ、やっぱりスティーヴン・セガール映画なので基本はスティーヴン・セガールが手をバタバタするだけで動きは小さいし、激しい場面でも良く見ていると直ぐさっきのカットをそのまま使い回している水増し編集。顔の見えない部分は全部スタントマン。まあ、何時もの大量生産されるスティーヴン・セガールの省エネ・アクション。

あと、何時もと違うのはスティーヴン・セガールの髪型。大体は襟足が短いか、ポニーテールだけれど、これではチリチリの後ろ髪を伸ばしたまま縛らないでいる。だから変。おばさんみたい。

この映画、スティーヴン・セガールの製作・脚本・主演と揃っているだけあって、まあ酷い出来。駄目な脚本と編集で誤魔化す毎度の省エネ・アクション。今回の毎度のスティーヴン・セガール映画とは雰囲気の違う折角の中国嗜好も、剣士との対決、猿拳使いとの対決までは多彩で良かったのに、その後はその漫画みたいな路線は無くなってしまいつまらない対決にしかなっておらず、設定も尻すぼみで終わってしまうしで、「何故、わたしは何作もスティーヴン・セガールの映画を見ているのだろうか?」と人生の意味を問いただす様な疑問ばかりを感じてしまう。

☆☆★★★

前期のドラマは「ザ・ラストシップ」と「CSI 5」

2016年01月07日 木曜日

2015年10月から12月までの三ヶ月の間で見たテレビドラマは、

CSI:科学捜査班 5
CSI:マイアミ 3・9・10
バーン・ノーティス 
ARROW/アロー
エージェント・オブ・シールド
アンダー・ザ・ドーム 3
S・セガール劇場(TRUE JUSTICE)

そして、BSフジで始まった「ザ・ラストシップ」を新たに見始めた。

特に期待せず見始めた「ザ・ラストシップ」が抜群におもしろかったし、「CSI 5」は脂の乗り切った時期のCSIでこちらもおもしろかった。

一方「CSI:マイアミ」はシーズン9がつまらなく、シーズン9の時点でゲームをしながらのながら見で飽き飽きしており、そのまま地上波でシーズン10が始まり、一応は見ているけれど、もうどうでもよくなっている。
「バーン・ノーティス」は安定したおもしろさと急展開で楽しい。
「ARROW/アロー」は序盤から期待を全然下回るつまらなさで、最後まで見たけれどやっぱりつまらなかったので、これもゲームをしながらのながら見ているのか見ていないのか分からない状態。
「エージェント・オブ・シールド」は終盤の畳み掛けはおもしろかった。
「アンダー・ザ・ドーム」はシーズン1から微妙だったけれど、シーズンが進むにつれてドンドンと加速度的につまらなくなっているので、これもームをしながらの…。
「S・セガール劇場」は、日本ではシーズン1・2と銘打ってはいないけれど、元々は14話からがシーズン2で、そこから訳の分からないテコ入れで、何時の間にか見なくなってしまった。
 
 
新規に見始めた「ザ・ラストシップ」は別投稿で、以下、各感想。
 
 
CSI 5

Dlifeの毎度の変則的な編成で、「CSI」のシーズン3から4はそのまま続けて放送していたのに、シーズン4から5は9ヶ月位開いてからの放送。しかも、月・火・水という週三日のこれまた変則的な放送。Dlifeの編成って、何処向いてんだろうなぁ…?

しかし、やっぱり乗っている時の「CSI」って非常におもしろい。

シーズン・プレミアは事件が四件もあるという盛り沢山な展開。ちゃんと科学捜査のおもしろさや意外な展開まで入れているし、しかも、そこに各人の悩みや新展開等も入れて上手い事まとめているしで、良く出来た脚本。初回からワクワクと感心とで一杯。

そして二話目は一つの話から始まったと思ったらあっさり事故で解決。そこから全然違った一つの事件に発展と、一話目の一気呵成な展開から一転、じっくり描くという両極端な振り方も上手い。

11話の「ホームズ最後の夜」なんて、「CSI」の元祖でもあるシャーロック・ホームズネタで、観察眼と科学知識を持った現代のシャーロック・ホームズであるCSI捜査官が事件を解決すると言う設定は、科学捜査と推理モノの歴史を見たら興奮する題材。
そこにグレッグ・サンダースの現場捜査官への昇格話を入れ、「動機を突き止めるのは僕らの仕事じゃない」と言う、正にCSIの仕事とシャーロック・ホームズの違いをはっきりと言わせておきながら、動機まで突き止めてしまうギル・グリッソムのどんでん返しとかまで上手いよなぁ。

19話の「冷たい街」も1話目と同じく四件の事件を見せ、この回は一件ずつ事件を解決して次の事件を順番に見せて行くのだけれど、それぞれの事件の時間軸が前後しながら早い時間に起こった事件を後から見せ、各事件の被害者や容疑者が微妙に繋がっているという非常に良く練られた構成で、見応えがあった。

20話の「汚れたエリー」では、この回の主役はジム・ブラスで、ジム・ブラスが娘を助ける為にロサンゼルスまで行き捜査。
この回ではその他レギュラーはウォリック・ブラウンニック・ストークスアル・ロビンスしか登場しないという舞台も登場人物も異質な回。
だけれどジム・ブラス主役の回って重い話が多くても非常に印象に残る。この回も誰も悪くなく、誰もが悪いという嫌な話だけれど、泣きそうになる回だった。
逆に次の21話「禁断の味」にはウォリック・ブラウン、ニック・ストークス、キャサリン・ウィロウズが全然出て来ないという配役。こういう不規則な人物の登場の仕方も慣れが出て来ての意外性でおもしろい部分。

この乗っている時期の各話って、発想とそれの実現がバッチリはまり、見事な構成と見終わった後の唸る様なため息が非常に気持ち良い。

それに他のCSIのフランチャイズと違う部分は、この「CSI」では脇役、準レギュラーが育って行っているという事。
グレッグ・サンダースはラボから現場捜査官の試験を落ちたり、受かったりで現場のレギュラーになったし、分析官のデヴィッド・ホッジス。銃器の専門家ボビー・ドーソン。映像の専門家アーチー・ジョンソン。指紋の専門家ジャッキー・フランコ。昼番からやって来たソフィア・カーティス。新たにやって来た分析官ミア・ディッカーソン。刑事のルー・ヴァルタン。局長代理になり悪役を引き受けたコンラッド・エクリー等、ドンドンと周りの人物が育って立って行く様が気持ち良い。これこそ連続ドラマの醍醐味。
ただ、折角良い感じでレギュラーに馴染んで来たソフィア・カーティスが出て行ってしまった事は残念。でもしかし、確かこのソフィア・カーティスって、後に戻って来てレギュラーになるんだっけ?

ただ、最後の24・25話の前後編「CSI“12時間”の死闘」、これだけ「グレイブ・デンジャー」という題名で単品ソフト化もされている特別回は、やっぱりこのシーズンで一番注目される回だと思うけれど、これがあんまりおもしろくはなかった。
この2話はクエンティン・タランティーノが監督・脚本を担当していて、そこの部分で話題性があった回でもあるんだけれど、元々わたしはクエンティン・タランティーノ映画が嫌いで、序盤で「CSI」では珍しい各登場人物達のどうでもいいくっちゃべりという如何にもクエンティン・タランティーノ的な台詞回しがあってそこで気分は削がれてしまった。
グリッソムの「過去の映画の証明書」とか、ドラマ本編の事件に全く関係して来ないボードゲームのルールをまくし立てて必要以上に解説するホッジスとか、だからどうしたなウォリックのどうにもならなかった彼女との話とか、まあクエンティン・タランティーノ臭しかしないこの手の台詞回しが大っ嫌い。
話自体も、犯人の過去が全然描かれないので理由が分かっても釈然としないという人物が元々は多分普通な人だったのがサイコパスな犯罪と自殺をするとというティーン向けの安っぽいサスペンスやホラー的な、これまたクエンティン・タランティーノ的な話で、これまでのシーズンの流れからしても浮いている。
これを「CSI」でするんだから科学捜査でニックを救い出す展開なら分かるけれど、大して科学捜査もなく、巻き込まれて翻弄されるだけで、グリッソムが調べ物もせずに座ってモニターを見ているだけって非常につまらない。「CSI」のおもしろさって微細な証拠収集からの分析。それが何なのかを理解する知識。そして事件の真相に迫って行く部分なのに、それが後編の最後の部分位しかなかった。
一番最悪なのは、ニックが助かるのか?というギリギリの場面の次に、ブラックジョークだけの謎のニックの妄想場面を入れて折角の話の勢いを削いでしまっている展開と編集。この場面を入れて来た時は、この「外した方、イケてるでしょ?」的な演出に本当に「うげぇ…」と反吐付きそうになった。
この場面を入れてしまうと、ニックってアルやデヴィッド・フィリップスをそんな嫌な目で見ていたの?とか、ニックは親思いの良い息子と描いているのに本心は父親の事嫌いなの?とか、余計な想いが出て来てしまうし。
この回で一番おもしろかったのは、ニックの親が判事だったと言う事。判事の息子でCSIに入ったって、そこまでの道のりが気になってしまう。

この時期の「CSI」も乗っているけれど、吹き替え陣も乗っている。ニック・ストークスを吹き替えている家中宏の軽い感じが何処までアドリブなのかとと思って原語と吹き替えで比べて見てみると、元々は喋っていない部分で吹き替えでは喋っていて勝手に改変している。ただ、このちょっとした蛇足が結構良い感じになっていて、その一言でクスッとする様な笑いもあったりで、全然嫌な感じがしない。
 
 
CSI:マイアミ 3

たぶん、地上波で放送していた時に初めて「CSI:マイアミ」を見たのがこのシーズン3からだったと思う。一話は見た記憶が無かったけれど、二話目の海からボートで行き成り銃撃の場面で見た記憶がある様な気がした。確か地上波でシーズン3を放送していたのが2009年なので、それ以降「CSI:マイアミ」に加え、「CSI」「CSI:ニューヨーク」まで結構な話数を見たけれど、6年前に見た一話を憶えているなんて、わたしは普段の生活での記憶が無いに等しいのに数百話の内の一話を憶えているという無駄な様な記憶力に感心。

一話目から見せ場も無くティム・スピードルが行き成り撃たれて死んでしまう。しかも、追っていた事件とは直接関係無い事件での殉職。これ以降の途中で降板してしまう役者もそうだけれど、「CSI:マイアミ」って出て行く人に対しての最後の扱いがいまいち良くない様な気がする。
それでもティム・スピードルは急にシーズン6でエリック・デルコの幻覚として登場するという変な再登場もあるけれど。

ティム・スピードルもそうだけれど、シーズン2からシーズン3のシーズン・プレミアのレギュラー陣を見ていると、地上波で見ているシーズン9までに大きくレギュラー陣が変わってしまった。シーズン3でさえ、残ったのはホレイショ・ケイン、エリック・デルコ、カリー・デュケーンしかおらず、シーズン3の半分のレギュラーがいなくなった。

変わりに3話目からライアン・ウルフが登場。そう言えば、ウルフって初めは警察官だったっけ。でも、こんな簡単に交通巡査から一気にCSIに配属になるだったけ。
ライアン・ウルフはまだ顔も若くて少年っぽさがあるし、吹き替えている浪川大輔の声も若い。それにたぶん初めてこのシーズン3を見た時も思ったはずだけれど、始めのライアン・ウルフって生意気な「CSI」のグレッグ・サンダースっぽい。

話は津波や爆破等、一番「CSI:マイアミ」としての特色を打ち出して来ていた時期なのでおもしろくはあるけれど、結構曖昧な記憶でその回を見たのか見ていないのかがはっきりしていないので既に二度見の様な気がしている事や、つまらなかったシーズン9も同時期に見ていたので、このシーズン3もゲームをしながらのながら見になってしまい、「『マイアミ』は、もういいかな?」な状態。
 
 
CSI:マイアミ 9

まだシーズン8は大分飽きは来ていたはいたけれど普通に見ていたのに、もうこのシーズン9が余りにつまらないので、いよいよゲームをしながらのながら見なのか、ながら見ていないのかの所まで行ってしまった。
シーズン前半からホレイショ・ケインの「俺って、優しいだろ?カッコ良いだろ?」ばかりの展開は飽き飽きしていたけれど、各話の話自体もつまらなかった。

特に最終話は酷かった。劇的な展開を連続させる為、CSIなのに科学捜査はほぼ無しのまま、捕まえた脱獄犯が何度も何度も警察から逃げまくる。直ぐ側にいるのに見過ごす。直ぐさっき逃げたのに追い駆けない。通常ならホレイショ・ケインが超人的な逃走路の予想の的中で先回りしているのに、この回は一切それが出て来ない。身元調査とかもせず人を雇ってしまう余りにずさんな警察のアホさもあるけれど、ホレイショ・ケインがポカして犯人を逃がしてしまい、それによって殺人事件まで起こっているのに悪びれもしていないホレイショ・ケインや、劇的なクリフハンガーをする為だけにホレイショ・ケインが撃たれてしまうけれど、どうしたって次シーズンの1話目で「ホレイショ・ケイン死亡」なんてありえないのに引っ張る展開。ついでに、更生したと思った人が急に暴走して撃ち殺す事も出来るのに自動車のトランクにナタリア・ボア・ヴィスタを詰めて海に落とすという、これまたクリフハンガーだけの為の展開。人質が逃げ出すかもしれないのに女の子を送り出して、それを自動車の中から見ているだけの犯人。そして、そんな簡単に逃げ出せる状況なのに逃げ出しもしない女の子等々、脚本グダグダ。

途中の回でもこのシーズンの2011年に、しかもCSIで多重人格を扱うって、流石に「何やってんだろ?」って思ってしまった。

どうやらアメリカでもこのシーズン9で離れる人が多かった様で、シーズン8の視聴者数は中盤まで1300万人前後だったのが、後半では1000万人前後。
シーズン9の一話目から1175万人と行き成り低調。その後は1000万人前後を行き来し、1000万人を割り込み900万人以下の800万人台や700万人台まで落ち込んでしまっていた。
流石に一話一話がつまらなくなればホレイショ・ケインでも引っ張れなかったか。

これだけきつくなってしまった「CSI:マイアミ」なので、シーズン10見ようかどうかと悩む所。地上波では続けて最終シーズンであるシーズン10が放送されるけれど、もう本当におもしろくないし、これまで見続けて来た歴史もあるしで、どうしよう。
 
 
CSI:マイアミ 10
 
で、そのシーズン10だけれど、一応はゲームをしながらのながら見で見てはいるものの、ほぼ画面を流れているだけでゲームをしている状態。もう、何で見ているのか分からない…。
 
 
バーン・ノーティス 6

前シーズンから早めに開始されたので、クリフハンガーも前回を結構憶えていての新シーズン。

6話目で特に振りも伏線も無くネイトが死亡すると言う驚きの展開。
「バーン・ノーティス」では誰かが死亡する事自体が少ないし、特にレギュラー陣や準レギュラー陣が死亡するなんて余り無かった事なので、「えっー!!」って驚いたさ。役者の降板なら終盤で行き成りというのはアメリカンドラマでは結構あるけれど、6話目ってまだまだ序盤なのに、この劇的な展開は何なんだ!?
それ以降も今までCIAとの窓口だったピアースが左遷。
信頼もしていなかったけれど、一応は恩師であるCIAのトム・カードが裏切り者。
更にそこからマイケル達が追い駆けられるという次から次へと目まぐるしい展開。
おもしろいから良いけれど、何なのだろう?この急激な展開は。その展開のせいで、前シーズンまであれだけ引っ張っていた、マイケル・ウェスティンが壊滅させた組織の生き残りアンソン・フラートンはあっさりの退場で話しに一切関わって来ないまま、お座なりな感じで幕を引いてしまうし、ネイトの事も話的にはあっさり有耶無耶な感じにしてしまうしで、補足の話にお座なり感が出てしまっていた。
それに毎回次回に続く話になって来たので、毎度の「依頼を受けて、相手を罠にはめる」という作戦も無くなったので、雰囲気が大分変ってしまった。でも、それでもおもしろくはあるから良いんだけれどね。
 
 
ARROW/アロー

このドラマは序盤からつまらなかったので、ずっとゲームをしながらの流し見。

登場人物達って、全員馬鹿か、尻軽か、イラつく人物しか出て来ないので全然集中力が持たなかった。

このドラマって脚本がつまらないし、何処まで本気で書いているのかがいまいちピンと来ない。
妻を殺された男が悪人を捕まえて処刑する回では、オリバー・クイーンはほぼ同じ事をしているのにその男が気に喰わないらしく、あいつは悪いみたいな言動が全然しっくり来ない。やっている事はまだその男は死んだ妻への復讐としてやっているので共感性もあるのに、オリバーの方は未だに何だかよく分からない理由で人殺してしていて自分が正義って見ていても共感性も、頑張れ感も湧いて来ず、まあこのヒーロー頭おかし過ぎるだけだろ。と言うか、ヒーロードラマなのにそのヒーローがヒーローしていなくて、「何言ってんの?何してんの?」じゃあ駄目だろ。

ローレル・ランスの母親ダイナ・ランス役で、「ER」のエリザベス・コーデイ役でお馴染みアレックス・キングストンが演じていたんだけれど、全然アレックス・キングストンとは気付かなかった。だって、「ER」の時よりも太っていて、老けもしていて、あの魅力のあったコーデイは何処行ったの?と言う感じだった。

そう言えば新たな危険な薬物「ヴァーティゴ」というのが出て来るけれど、これってDCコミックスのインプリントである「Vertigo」から取っているんだろうか?「エージェント・オブ・シールド」に登場する薬物だったら「アイコン」とか?

一応最終話まで見たけれど、何より良かったのは続けてシーズン2を放送しなかった事。これでもうシーズン2を見る事も無いはず。
 
 
エージェント・オブ・シールド

このドラマは結構最後まで楽しんで見られた。
始めは不可思議な能力者が毎回登場して、それにエージェント達が対処して行く昔ながらの一話完結型のドラマなのか…と思っていたら、これまでの伏線が中盤辺りから繋がり出して長編話になって行くと言う展開がおもしろかった部分。ただ、わたしは全然マーベル・シネマティック・ユニバースの映画見ていないので、S.H.I.E.L.D.の崩壊とか「何?この振りも無い様な急激な展開は?」と戸惑ったけれど。

また、登場人物達の成長も良く、徐々にスカイが可愛く感じられたけれど、最後までジェマ・シモンズは「早くレギュラーから降りないかなぁ?」とうっとおしいままだった。

やっぱり、ミン・ナ・ウェンが演じるメリンダ・メイは最高。このミン・ナ姉さんのカッコ良さがこのドラマの半分は占めていると言っても過言でもないはずだと言いたい。
13話の「謎の荷物」の、メリンダ・メイが敵に捕まり、殴られ、縄で吊るされて、水をぶっかけられるなんて、最後までこのドラマの中では最高の場面であり、見せ場だった。

1話目で登場したマイク・ピーターソンって、始めはムカデ計画によって強い力を持った特殊能力者で、「また、出て来るんだろうなぁ」とは思っていたけれど、マイク・ピーターソンが協力者となって、そこから更に改造されて、彼がまさかのデスロックになるとは思ってもみなかった。これが一番意外な展開。マーベル・コミックスをある程度知っていると、「まさかデスロックにするとは!」という驚き。

14話から登場したジョン・ギャレットアントニー・トリプレットのS.H.I.E.L.D.のエージェントの様に、途中からの協力者や準レギュラー的な人が登場するのは好き。
ただ、そのよく登場した準レギュラーが実は裏切り者という展開は如何にもな展開でいまいち過ぎる。連続ドラマって、準レギュラーがレギュラーに昇格したり、意外なレギュラーが突然死亡とか辞めるとかで退場して行くという展開がおもしろいのであって、映画でよくある「近くにいる仲間が裏切り者」という展開って、映画でも安易で盛り下がる。

それに、終盤に来てS.H.I.E.L.D.がヒドラによって壊滅的状況になるけれど、これって急展開過ぎて付いて行けなかった。
S.H.I.E.L.D.ってこれまでの描き方だと相当巨大な組織で局員も相当数いる様だし、世界規模で活動しているはずなのに、やたらとS.H.I.E.L.D.内部にヒドラが侵入していたり、簡単にS.H.I.E.L.D.関連施設が破壊されていたりと、やたらと厳しいはずだったS.H.I.E.L.D.の保安警備がスッカスカじゃん。
ヒドラはムカデ計画に関しては暗躍が描かれていたけれど、そのムカデ計画は直接S.H.I.E.L.D.壊滅には関係していないし、そもそもヒドラのS.H.I.E.L.D.に対する暗躍した進攻が大して描かれていないので非常に唐突でご都合主義的な展開。
ここら辺はマーベル・シネマティック・ユニバースの映画を見たら納得出来るんだろうか?

まあ、シーズン2も楽しみなドラマではあるんだけれど、わたしが全然マーベル・シネマティック・ユニバースの映画に興味無いというのが大きな問題かな。
 
 
アンダー・ザ・ドーム

スティーヴン・キングの小説が原作だったり、ドームに覆われて出れないという特殊な状況を描いたドラマだったので結構楽しみにして見始めたけれど、シーズン1の中盤から展開と言い、人物描写と言い、ドンドンと微妙になり、シーズン2は終始グダグダして非常につまらなくなっていた。
で、「シーズン3を見るのどうしようかなぁ…?」と思っていた所に、「シーズン3で打ち切り」という朗報が。これで、「観始めてしまい、謎で引っ張るドラマだけに見続けなくてはならず、それなのに次シーズンもダラダラとつまらないドラマを見続けて、更にその次のシーズンを見るかで迷う」という事が無くなったので、シーズン3も見る事に決定。

だが、やっぱり相も変らず脚本がつまんない。シリーズが進む事につまらなさが増している。
始めの2話目までの、「ドームを出たと思ったら、実はそう思わされているだけで、本当は出ていない」というのは何かで見た様な展開だし、これも以降の繭だの支配だのの振りでしかなくて、現実だと思った世界が嘘で現実の世界のやっぱりな状況とで悩むという部分もあっさりしていて薄々だし、今まで常に現状を理解し行動していたバービーことデイル・バーバラは操られるアホの子になり、主人公だったはずなのに脇役の様な扱いになり、主人公はほぼジュリア・シャムウェイになり、主役の挿げ替え。しかも、これまでいまいち理由が薄いけれど「お前は悪者!!」とされていたビッグ・ジムことジェームズ・レニーが現状を理解した良い人に。
ここら辺の良い人悪い人が逆転する構図は分かるけれど、その良い人悪い人が回によってコロコロ変わって、大ボスだったはずのクリスチャン・プライスも結局操られていただけで本当は良い人とかいうどうしようもない展開から、このドラマでよくある「何で主要登場人物だったの?」と思ってしまうお座なりな退場まであるし。

このドラマって、極限状態の限定された状況に置かれた普通の人々の良いも悪いも両端を持つ人間的な行動や感情を描いているはずだったのに、それらをぶん投げて「無垢の人々がエイリアンによって洗脳支配されて行動していた」という酷い展開にしてしまい、脚本がクソ。本当にクソ。

今まで振りも無く急に暴れ出し、そうかと思ったらバービーとかがなだめると一瞬で静まる展開に都合の良いだけの町の人々の描き方が酷かったけれど、このシーズンでは更にそれが進展し、ただ支配者に従うだけの操り人形に過ぎないというこれまでの町人の描き方を自虐的にイジっているかの様などうでもよさには笑ってしまった。

また、これまでのシーズンでは訳が分からないまま卵の意志だと思われるモノに従って行動していた人達が正義で、自分の意志と欲望で行動するビッグ・ジムが悪という構図だったのに、このシーズンになって卵の意志だと思われるモノに従って行動しているクリスチャン・プライスが悪で、卵の見せた疑似現実を経験した人々は操られている駄目な人々で、卵の意志に従っていないジュリア・シャムウェイやビッグ・ジムが正しく、人殺しまでしても町の人々を救う事が正しいという全くの逆の構図にしてしまっているけれど、じゃあこれまでの卵の一連の話は何の為にあったの?と思ってしまう。単に出て来る人物はどいつもこいつも思い込みで突っ走ってしまっただけの馬鹿しかいなかっただけで、正しいと思ってしていた事は単に卵の良い様にされていただけじゃん。
それなのにシーズン1からの卵側だったバービーやらジュリアやらは卵の真実を知っても自分の行動を後悔したり、恨み言すら言わず、「そんな事あったっけ?」と無視状態の脚本が酷い。
シーズン2の実は生きていたジュニアの母親ポーリーン・レニーとか、死亡から復活したメラニー・クロスとかの話だってシーズン3では全く必要無かった展開だし。

このメラニー・クロスに関しても、このドラマの特徴の一つでもある「シーズン序盤で特に意味も無く主要人物が死んでしまう」というのが今回も。
シーズン2で謎の登場をし、記憶喪失ながら実は数十年前から復活し四人の手の一人となったメラニー・クロスがあれだけ謎で引っ張っておいて、ほぼシーズン2の謎の中心だったにも関わらず、シーズン3の序盤で突如人殺しまでする悪人になり、その変わり身の謎やそもそも何で復活したのかとかの謎を解決しないまま死亡って、酷過ぎる退場の仕方。四人の手も、もう一切触れられる事も無いしね。
ただ、死亡する人達はジョー・マカリスターの友人ベン・ドレイクという、今までも急に出て来ては急に全く出て来なくなる様な特に要らん子だったり、バービー・バーバラの父親とか、これまでの警察官のリンダ・エスキベルや姉アンジー・マカリスターの様な完全にレギュラーから抜けた為の死亡という分かり易い制作陣の都合だけの死亡でグチャグチャして来る訳じゃない、いてもいなくてもどうでも良い人達の死亡なので、「あ、っそう…。」で済ましてしまう事が出来る。
それにしてもこのドラマの新シーズン序盤で主要登場人物を殺して、前シーズンの引っ張っていた話を全く無かった事にする強引さはどうしようもない。

それに、真剣にシーズン2を見ていなかったので、「そう言えば、あの人達は何で出て来ないんだっけ?」と思って、シーズン2で頻繁に登場していた人達がどうなったかを調べてみたら、シーズン1から出ていたFM局のフィル・ブッシー、シーズン2から出て来たビッグ・ジムの妻でジュニアの母親ポーリーン・レニー、教師のレベッカ・パイン、理髪店のライル等、皆死亡しているんだ。全然記憶に無い程印象が無い。シーズン2って、序盤にしろ、終盤にしろ、やたらと人を殺しているなぁ。しかし、それがドームの何かやシーズン3の展開に関わって来なかったって、場当たり的でお座なりな脚本の酷さばかりが感じられてしまう。このドラマ、劇的な展開の為なら、話が終わった登場人物は殺してしまって使い捨てておこうな感じが酷いよなぁ…。

見ていて急に思い出したのは、シーズン1でよくあったジョー・マカリスターとノリー・カルバートが急に発作を起こして「ピンクの星が…」って言い出すあれ。
シーズン2でもポーリーン・レニーがその絵を描いていたりと引っ張りと謎要素だったのに、シーズン1の最後の意味不明なピンクの星の流星でお終いになり一切触れる事も無かったはずだったのが、シーズン3の中盤に来て何の前振りも無くドームの外にピンクの星が降り出した。しかし、これも「実は幻影でした」と馬鹿みたいな展開。ただでさえ、今更ピンクの星を出したら「今までのピンクの星の話は何だったの?」と自分達がぶん投げて何にもならなかった話をわざわざ気付かせる上に、「今回もやっぱり何でもありませんでした」という酷いオチで、シーズン1から「あれは何なの?こうなるんじゃ…」と真剣に見ていた視聴者を馬鹿にしかしていないよな。

笑ってしまったのは最終回。
終始どうでもいい展開ではあったけれど、次シーズンを作る気が本気であったのかは分からないにしろ、もし次シーズンがあったら「連邦議会に入った政治家と、国家安全保障局に入る事が出来た車椅子の青年と、軍に入ったと少女と、自由に動ける元軍人達が地球外生命体の地球侵略を阻止する」という話になっていたであろう結末になっていて、爆笑!!
もう「アンダー・ザ・ドーム」じゃあないし、何このSFヒーローチームモノ。この舵の切り方は、やっぱり制作陣は今までも真剣に作ってはおらず、適当に進めていたただろ!としか思えない。

それに、このドラマはドンドンと視聴者数が減り、見ていれば「このドラマ、もう駄目だな…」と分かりそうなものなのに、新レギュラーとしてアメリカドラマ界で有名な、「CSI」のキャサリン・ウィロウズ役でお馴染みマーグ・ヘルゲンバーガーと、「ER」のピーター・ベントン役でお馴染みエリク・ラ・サルが登場している。
何でわざわざ火中の栗を拾う様な事を受けたんだろうか?特にマーグ・ヘルゲンバーガーは「CSI」後に出演した、「サイバー諜報員 ~インテリジェンス~」はシーズン1で打ち切り。その次に選んだ、この「アンダー・ザ・ドーム」は、シーズン3から参加してシーズン3で打ち切りと、本当に作品選びが下手くそ…と言うか、連続して打ち切りを出す様なドラマに出るって逆に特殊能力が発動している。

にしても、このマーグ・ヘルゲンバーガーの役所が変。大学生のジュニアに対して、50代後半のマーグ・ヘルゲンバーガーが走り寄り、「汗かいちゃった!シャツ貸して!」と着ているシャツをその場で脱いで色気作戦で攻めるんだけれど、いや、大学生が60近いおばちゃんに興奮はしないだろ。ジュニアって、性欲やら恋愛感情が爆発して同年代の姉アンジー・マカリスターを拉致監禁する様なサイコパスなのに、流石におばあさんに近い女性が攻めて来ても戸惑うだろ。
しかも、何が切っ掛けになったか分からない内にジュニアとマーグ・ヘルゲンバーガーがしてしまうって醜悪極まる。これって、脚本家の性癖こそが多くの人に通じる一般的感覚だと思っているのだろうか?これまでの展開を見ていると、脚本家はこれで本気でおもしろい展開だと思っている節はあるしなぁ…。それともマーグ・ヘルゲンバーガーの提案でこんな展開にしたのだろうか?

しかし、吹き替えはマーグ・ヘルゲンバーガーは「CSI」でも、「サイバー諜報員 ~インテリジェンス~」でも担当していた高島雅羅で、エリク・ラ・サルも大塚明夫ですんなり。でも、エリク・ラ・サルは歳を取っていて、大塚明夫の声でも暫くピーター・ベントンのエリク・ラ・サルだとは気付かなかった。
エリク・ラ・サルの大塚明夫に加え、更に「ER」のロケット・ロマノことロバート・ロマノ役のポール・マクレーンも登場し、吹き替えは「ER」と同じく内田直哉
吹き替え版製作の日本側はちゃんとしているけれど、本来の本編のドラマ自体がどうしようもないからなぁ…。

あと、吹き替えで言えば、これまでビッグ・ジムことジェームズ・レニーの吹き替えをしていた中村秀利がシーズン3開始前に亡くなった様で、大塚芳忠に交代。死去の事を知らずに見たので、1話目の頭のシーズン2の復習の時点で行き成りビッグ・ジムの声が変わっていて「何じゃ?こりゃ?」状態だった。
しかし、大塚芳忠は中村秀利とは全然違い過ぎて違和感。中村秀利のビッグ・ジムは、まだ良い人?悪い人?の感じがあったのに、大塚芳忠のビッグ・ジムは完全に悪役。吹き替えの配役で相当人物像が違って見えてしまう。
それに、毎回の始まりの説明台詞がこれまではバービーが喋っていたのに、シーズン3からは何故かビッグ・ジムが喋る事になり、変更してしまった大塚芳忠が喋るので始まりから「喋っている♪お前誰だよ!」状態で違和感ばかり。

結局、この「アンダー・ザ・ドーム」、アメリカでもただただ視聴者数を減らしながらグダグダとしたまま進み、終わってしまった。
実際のアメリカでの視聴者数はシーズン1のシーズンプレミアの1話目は1353万人と結構良い滑り出しだったのに、その後は1000万人前後を超える位で、平均としては1129万人。
シーズン2は1話目は941万人と行き成りシーズン1のどの回よりも低く、600万人を超える位で、平均717万人。
シーズン3は更に落ち込み、1話目は625万人。最低では12話目の370万人まで落ち込み、平均で470万人。
最高から最低まで4割以下の落ち込みで、平均でも4割位までに落ち込むって相当。
まあ、この視聴者数じゃあ打ち切られるだろうし、そもそもこの内容じゃあ打ち切りも当然か…。

わたしもシーズンの初回から真面に見ていたのに、余りのつまらなさ、酷さで早々とゲームをしながらのながら見ならぬ、ながら見ているのか見ていないのか分からない状態だったし。

それにしても、Dlifeの「サタデーナイト・ドラマ」と銘打っている枠の外し率は高い。
「よみがえり ~レザレクション~」「HELIX -黒い遺伝子-」はシーズン2で打ち切り。
「アンダー・ザ・ドーム」はシーズン3で打ち切り。
「サタデーナイト・ドラマ」になる前には同じ枠で、シーズン1で打ち切られた「サイバー諜報員 インテリジェンス」とかもしていたし、この枠って結構呪われた枠と言うか、わざわざ駄目そうな新作ドラマをここに集めているんじゃないか?と思えて来たし、もう「サタデーナイト・ドラマの枠でしているから、別に見なくてもいいか…」になり始めていないか?
Dlifeって、「日本初放送!」とかの新作ドラマの外し方と言うよりも、選球眼の無さが目立って来た。
 
 
S・セガール劇場(TRUE JUSTICE)

何故か急に警察署に傭兵が攻めて来て、レギュラー陣だけで銃撃戦をする回があるのだけれど、雰囲気は「ジョン・カーペンターの要塞警察」。しかも、この回で今まで出て来た脇役や謎のままほったらかしだった人が実はこの傭兵達だったという、分かり難い実は振りと言う後出しジャンケンと、分かったからと言ってそれが劇的になる訳でもない結末を入れ込んでいる。

訳が分からなかったのは、14話から急にオープニング・クレジットが変わり、そこに映っている題名も「TRUE JUSTICE THE GHOST」になっていた。どうやらここからがシーズン2みたい。シーズン関係無く一まとめにするのって適当な日本での作りだな。

そのシーズン2の一話目となる14話も適当。
13話目で傭兵達が警察署を襲撃したけれど、そこで怪我を負っていたジュリエット・ソーンダーズとブレット・ラドナーが14話で実は死亡したという事が分かる。全然生きていたし、生き残る風で次回に続くだったのに。
更にアンドレ・メイソンは普通に警察を辞めてしまう。これまでの病気や子供が生まれそう等の振りも放り投げてしまって意味も無く辞めてしまった。13話の時点で何故か彼一人だけ警察署の襲撃時にはスティーヴン・セガール達と一緒にいなかったし、この扱いは何だったのだろう?スティーヴン・セガールと一対一で辞める事を伝えた時も、スティーヴン・セガールが「辞めたい奴を引き止めない。引き留めてもチームが危険になる。好きなようにしろ」と言っており、嫌味なのか、彼の事を気に入っていたのか分からないやり取りがあるし、このアンドレ・メイソンという役の立ち位置が分からないまま。
結果スティーヴン・セガール以外のレギュラーはサラ・モンゴメリしか残らず。
完全に役者達が「こりゃ、駄目だ…」と思われ、バタバタと辞めて行っただけじゃん。シーズン2なのに、ここまでレギュラー変更したドラマって珍しいよなぁ。

そのシーズン2も、これまでは警察の特殊班だったはずなのに、そこを抜けて部下達の復讐から単なる犯罪者を勝手に殺して行く自警団に成り下がっているし、基地は船だし、レギュラーはシーズン1よりも地味な人々でほぼ別ドラマ。
話は犯罪者をぶっ殺して行くという前シーズンと変わり映えがしないので、ゲームをしながらほぼ見ていないので、途中で止めてしまった。
 
 
前期はただでさえ見続けていたドラマが多かった上に、「CSI:マイアミ」はもう飽き飽きしていた所に、つまらない「ARROW/アロー」「S・セガール劇場」を見始めて続けて見てしまった事に加え、「アンダー・ザ・ドーム」まで来てしまったのでしんどかった。
その分、「CSI」と「ザ・ラストシップ」がおもしろく感じれたたんだけれど。
まあ、今年は見るドラマも減らして、3・4話見て「つまんない」と感じたドラマはさっさと切るべきだなと思い至る。
 
 
関連:ザ・ラストシップ

2015年に見た映画グランド大賞

2015年12月31日 木曜日

毎年毎年見た映画の数が減っていて、2012年307作2013年148作2014年100作。2015年は67作。
もう映画よりもテレビドラマを見ている本数の方が多い。

2015年に見たテレビドラマは、

CSI:科学捜査班 45
CSI:マイアミ 23・8・9・10
ホワイトカラー 4
バーン・ノーティス 56
NIKITA / ニキータ 34
マッドメン
HELIX -黒い遺伝子- 12
X-ファイル 345
ホームランド 3
メンタリスト
ARROW/アロー
エージェント・オブ・シールド
S・セガール劇場(TRUE JUSTICE)
アンダー・ザ・ドーム
ザ・ラストシップ

ざっと、計算してみたら500話弱位?
もう完全に映画よりもテレビドラマ。…なんだけれど、毎日2話位ずつで見てしまうと、ドラマに追いかけられる生活になるし、余計に映画も見る気が減ってしまうしで、まあ来年はドラマももっと減らそうか…。

で、映画。
2015年の見た映画の星取りのそれぞれの数。

☆☆☆☆☆ 1作

☆☆☆☆★ 9作

☆☆☆★★ 10作

☆☆★★★ 21作

☆★★★★ 20作

★★★★★ 6作
 
 
最もおもしろかった五つ星☆☆☆☆☆の映画1作。

ブラックホーク・ダウン

最高の五つ星が1作しかないので、次点である四つ星☆☆☆☆★の映画9作。

96時間
タワーリング・インフェルノ
U・ボート[劇場公開版]
コンテイジョン
少林寺
ニッポン無責任野郎
アパートの鍵貸します
荒野の七人
マイケル・ジャクソン THIS IS IT

古今東西の映画が揃ったけれど、やっぱり見ている時の集中度や終わった後のため息は「ブラックホーク・ダウン」が図抜けていた。
まあ、2015年最高の一作は「ブラックホーク・ダウン」になるしかないよなぁ。
 
 
一方、つまんな過ぎた星無し★★★★★の映画6作。
 
若大将対青大将
帰ってきた若大将
ゴジラvsキングギドラ
バグダッド・カフェ
猿の惑星・征服
大菩薩峠 竜神の巻

やたらと日本映画とシリーズモノが多かった。
どのシリーズモノも同じ事の繰り返しや、ネタ切れでグダグダしたモノばかりだったし。

で、2015年最低の映画は「猿の惑星・征服」。…と、言うよりは、一番初めの「猿の惑星」以降の猿の惑星シリーズ全般
他の「続・猿の惑星」「新・猿の惑星」「最後の猿の惑星」も☆★★★★だったし。
「初代以降は駄作」とは聞いていたけれど、シリーズ全般が初代に合わせる為に設定や展開がグチャグチャ、グダグダしてつまらなかった。本当に何でここまで続編が作られたのかが不思議。
 
 
毎年、その年のグランド監督を書いてはいたんだけれど、今年は「ブラックホーク・ダウン」のリドリー・スコットは、昨年見た「ハンニバル」はつまらなかったし、「U・ボート[劇場公開版]」のウォルフガング・ペーターゼンは無茶苦茶良かったし、上手かったけれど、「ポセイドン」がやっぱりハリウッド行ってからの非常に出来の悪い映画でしかなかったので、今年のグランド監督はハリウッド行く前のウォルフガング・ペーターゼン
 
一方駄目だった監督。

順当に行けば、「猿の惑星・征服」「最後の猿の惑星」の監督J・リー・トンプソンなんだろうけれど、「時計じかけのオレンジ」のスタンリー・キューブリック
スタンリー・キューブリックってやたらと評価が高いけれど、見る映画見る映画、どれもつまらないモノばかり。「時計じかけのオレンジ」も構成とか演出とかも酷かったしなぁ。
 
 
監督の次は役者。

やっぱり好きな役者の映画を見てしまうので、どうしても元々好きな役者が印象に残ってしまう。
初春狸御殿」「大菩薩峠」の三部作、「切られ与三郎」の市川雷蔵は、やっぱり格好良いんだけれど、「初春狸御殿」と大菩薩峠の三部作がつまらなかったので、今年は「タワーリング・インフェルノ」「荒野の七人」のスティーブ・マックイーン
まだ30歳の時の「荒野の七人」から、晩年44歳の時の渋さが滲み出た「タワーリング・インフェルノ」でのポール・ニューマンとの共演とか、やっぱりスティーブ・マックイーンはかっけえ。
 
 
去年に続き、今年もシリーズ映画をよく見た印象。
昨年から続いていた「若大将シリーズ」。
どうしようもない「猿の惑シリーズ」。
今年もつまらないと分かっているのに、わざわざ何で見てしまうのか、自分でさっぱり分かっていない、テレビドラマ「S・セガール劇場(TRUE JUSTICE)」も見てしまった、スティーヴン・セガールの映画(全部で10作)。
これまた、つまらないのに結局「トランスポーター3 アンリミテッド」まで見てしまった「トランスポーターシリーズ」
一作目で折れていたのに、結局全部見た「大菩薩峠」の三部作。
微妙な続編ばかりの「リディックシリーズ」。
見ている時は良い感じで進むのに、見終わると「ん?あれ?」とやっぱり及第点スレスレ下の映画ばかりを撮るブレット・ラトナーの代表作「ラッシュアワーシリーズ」等々。
有名作の続編はおもしろいのに、ここら辺は外ればっか。
外れが多く、67作見て五つ星☆☆☆☆☆が一つだけって効率が悪過ぎる。もう、「これは外れだろ?」と思われる映画は見るのを止めにして、なるべく当たりだと思われる映画に絞って行った方が良いな。
映画だけでなく、テレビドラマももっと絞って、つまんないと思ったらシーズン最後まで全部見ずに切って行かないと、日々映画とドラマに追い駆け回されて時間が無い。
 
 
関連:2012年に見た映画グランド大賞
   2013年に見た映画グランド大賞
   2014年に見た映画グランド大賞
   2016年に見たテレビドラマ・映画グランド大賞
   2017年に見たテレビドラマ・映画グランド大賞
   2018年に見たテレビドラマ・映画グランド大賞

沈黙の鎮魂歌

2015年12月22日 火曜日

ジェフ・F・キング監督、スティーヴン・セガール製作総指揮・主演の2009年のビデオ映画「沈黙の鎮魂歌(Driven to Kill)」。

元ロシアン・マフィアのボスだったルスランは、別れた妻はロシアン・マフィアのお付弁護士と結婚し、娘はロシアン・マフィアのボスの息子と結婚する事になった。結婚式に出る為に娘の元を訪れたが、ルスランが娘の元を去った後に何者かが攻めてき、妻は死亡、娘は意識不明の重体となった。ルスランは娘の婚約者と共に犯人を見つけ出そうする。

珍しくスティーヴン・セガールが元特殊部隊とか、刑事とかの何十回見たんだというお馴染み過ぎて飽き飽きする都合の良い設定ではなく、元ロシアン・マフィアのボスという変わった設定。
しかも、マフィアを継ぎたくはないボスの息子と二人で犯人探しをするのが主軸になって来て、これまたちょっと変わった設定。
ただ、これがまだ1990年代のスティーヴン・セガールが若く、ちゃんとアクション俳優だった時期の映画なら一風変わっていておもしろく見れれたんだろうけれど、やっぱり粗製濫造されているスティーヴン・セガールのビデオ映画。

一応これまた何度も見た事のある「妻子の復讐」という部分はあるにしろ、ただただスティーヴン・セガールが敵を殺しまくるという部分は変わらない訳で、やっぱり「だからどうした?」という話と展開。
敵も毎度の如く、問題を解決する為には「とにかく殺せ!」のアホさ加減だし。

スティーヴン・セガールのアクションも、かつての様な派手な敵への殴る蹴るも少なく、毎度の手をバタバタさせて大して動かない省エネアクションで、顔のアップは本人だけれど、敵と直接体が当たる様なカットはスタント・ダブルばかりで、アクション場面も少なく、多くはそのブクブクとした巨体を乗り出して銃を撃っているのに敵からの弾が全然当たらない銃撃場面が多いしで、毎度のセガールアクションで別に…という感じ。

もう、スティーヴン・セガール映画と「CSI:マイアミ」はどれ見ても、どんな設定でも結局はスティーヴン・セガールとホレイショ・ケインが「俺って、格好良いだろ?優しいだろ?絶対的正義なんだぜ?」の繰り返しなので飽き飽きして来た。最早、「わたしは何でこんなにスティーヴン・セガールの映画を見ているんだろう?」と疑問する為だけに見ている様な気がして来た。

この映画、スティーヴン・セガール映画としてはちょっと変わった設定ではあるけれど、それもスティーヴン・セガール映画をやたらと見ている人にとってはおもしろいものかもしれないけれど、映画としては毎度のスティーヴン・セガール映画でしかなく、「何で見たのか?」「何でこんなビデオ映画を量産しているのか?」と疑問に思ってしまった。

☆☆★★★

沈黙の監獄

2015年12月21日 月曜日

キオニ・ワックスマン監督、スティーヴン・セガールスティーブ・オースチン製作・共演の2012年の映画「沈黙の監獄(Maximum Conviction)」
日本では劇場公開されたが、フィリピン以外はビデオ映画。

元軍人のクロスとマニングは刑務所の閉鎖作業を行っていた。しかし、新たな囚人がやって来、囚人の中には脱獄を計っている者もいた。そこに謎の武装集団が乗り込んで来て、スティーヴン・セガールとSCSAが暴れまくる。

スティーヴン・セガールとストーン・コールド・スティーブ・オースチンの共演が目玉だけれど、まあそれしか見る所は無い。

何か起こりそうな刑務所でやっぱり何か起こり、侵入して来た多数の敵に対し少人数で対抗するという話で、「だからどうした。」だし、脚本を活かす為の特殊な舞台設定と言うよりは撮影費用を安く仕上げる為の一カ所での撮影の様だし、序盤はSCSAが独りで隠密行動しながら暴れまくるけれど、それ以降はほとんど銃撃戦だしで、別にスティーヴン・セガールとSCSAでなくてもいい内容。
話的にも、ただ仲間が殺され敵を殺して行くだけで盛り上がりは無いし、閉鎖された空間の刑務所を活かす訳でもなく、まだ収容されている囚人達を活かす訳でもなく、刑務所内にある監視カメラを活かす訳でもなく、二人が散開して敵を倒して行くのを活かす訳でもなくただうろついているだけだし、本当に色々活かさない。

まあ、話は前提からして突っ込まれるよなぁ。
その日に閉鎖すると言う刑務所なのに、何でまだ囚人がいて、更に新たな囚人が来ているの?全員移送してから閉鎖作業にかかるんじゃないの?退去するはずなのに全然中が片付いておらず、物や設備が大分残ったままだし。
SCSAは敵が二人いた時、片方は速攻で殺したのに、もう一人は殺さず殴って気絶させるだけだし、SCSAは武器はドライバーだけなのに敵が落とした銃も拾わないし、何がしたいんだろうか?

アクションは、スティーヴン・セガールは毎度の手をバタバタさせるだけで、しかも本人ではなくスタントがアクションを行ないカットを短く切って編集で誤魔化す省エネアクションが全開な上、出番自体少ないと言う何時ものスティーヴン・セガール映画で特筆すべき部分は無い。
まだ、SCSAの方がドライバー一本だけで戦ったり、敵にお湯をぶっかけたり、ザ・ロックの必殺技ロック・ボトムを決めたりと多彩な見せ場がある。

この映画、スティーヴン・セガールとSCSAが共演したと言う話題性に喰い付く人向けだけに、それ用として作った毎度のスティーヴン・セガールの粗製濫造されているビデオ映画。
折角SCSAが共演しているんだから、もっと二人で共闘しろよ…と。単にスティーヴン・セガールが出番を省エネして名前で稼ぐ為にSCSAを配役して彼に働かせた感を感じてしまうばかり。

☆☆★★★