渡り鳥北へ帰る

2013年11月26日 火曜日

斎藤武市監督、小林旭主演の渡り鳥シリーズ第八作目で最終作。1962年の映画「渡り鳥北へ帰る」。

友人が死んだ為、その遺骨を函舘に届けに来た滝伸次だったが、友人の父親は受け取りを拒否した。しかし、友人の妹が引き取る事になる。その友人の父親が経営している造船所は借金を抱え、悪徳業者が乗っ取りを企んでいた。友人の無念は自分の性でもあると思った滝伸次は彼らを救おうとする。

今回の渡り鳥は、今までの毎回同じ展開で能天気なアクション映画から急に方向転換。始めから、友人は麻薬中毒で抜け出そうとしたが、結局は手を出し殺されてしまう所から始まるという非常に重い展開。父親と息子の確執とか、父親が死んだとは言えず父親を待つ子供とか、敵方と関係がありつつも旦那を待つ未亡人とか、そんな人々を見て自責の念に駆られる小林旭と全体的に暗め。毎回の小林旭の歌う場面も、何時もは単なるレコードの販促だったけれど、今回は思い出と哀しみを出す為の演出になっているし、毎回スカーフを首に縛り付けて変でダサ過ぎな格好だった小林旭も白いとっくりセーターに黒いコートと結構普通な格好だし、笑いの方向性が消えている。
ただ、小林旭が初めの移動で偶然子供を助け、その子の親が話に関係して来るとか、初めに行ったバー?ナイトクラブ?が敵となる人々の経営する店とか、義理の為弱き人々の味方となり戦う小林旭と、今までのシリーズとほぼ同じ展開はシリーズを通して変わらない。しかも、一作目の「ギターを持った渡り鳥」と同じ函館が舞台で、話の主軸は会社の乗っ取りとほとんど同じ。にも関わらず、一作目とは全然雰囲気が違う。

このシリーズ、小林旭と宍戸錠の映画だったはずが、前作の「大海原を行く渡り鳥」から急に宍戸錠が出て来なくなり、今回を含め毎回別人のライバル的な暗殺者が出て来るけれど、前回は怪しい東アジア人、今回は普通な強面の殺し屋と全く映えず、特に今回は本当に目立った活躍も無く地味な端役位の扱いなのでつまらない。
このシリーズで毎回出て来るけれど毎回別人役の浅丘ルリ子は、もう登場するだけで爆笑してしまう。別人役だけれど、どの役もほぼ一緒だし、演技も同じ。

この映画、シリーズ最終回にして突然の全然別雰囲気の映画にしてしまっていて、最後っ屁と言うか、足掻きにしか見えないのだけれど、その暗めの雰囲気の方が良いし、今見てもまだ見れる映画になっているし、おもしろいと思う。一作目が日本で西部劇をやってしまうという能天気な馬鹿映画だったから人気シリーズになったのだろうけれど、このハードボイルド的な雰囲気でシリーズ化してた方がわたしは良かったのにと思う。多分、徐々に落ち目になって来てこれで打ち切りになったのだろうけれど、最終作が一番おもしろいって、このシリーズどうなの?

☆☆☆★★
 
 
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