大海原を行く渡り鳥

2013年11月25日 月曜日

斎藤武市監督、小林旭主演の渡り鳥シリーズ第七作目、1961年の映画「大海原を行く渡り鳥」。

今回の舞台は長崎県の雲仙。馬車に乗る人々が馬に乗り銃を持った一団に襲われる。そこに偶然いた滝伸次が馬車の人々を助ける。彼等は貿易会社と観光会社の人々で事業金を盗まれてしまった。開発を巡る争いに巻き込まれる滝伸次が活躍して去って行くという、何時もの話。

渡り鳥シリーズお馴染みの、これまでの映画とほぼ同じ展開。偶然小林旭が助けた人の為に敵方のふところに入り込み、彼らの味方している様に見せかけ敵情を探る。ヒロインである浅丘ルリ子が毎回登場するけれど毎回別人。彼女に惚れられた風だけれど気にしているのかしていないのか分からないまま、彼女の敵を殴り倒し撃ち殺す滝伸次と、これまでのシリーズのリメイクみたいな展開は健在。
今回大きく違うのは、毎回別人で出ていたライバルだった宍戸錠がおらず、替わりに藤村有弘がツブテの龍というしょっぱ過ぎる謎の東アジア人がライバル役になっている。このシリーズって、宍戸錠の存在が大きかったはずなのに、何で変えてしまったのだろう?一作毎位に交互に宍戸錠と他の誰かなら分かるのに、毎回同じ役者で同じ様な事をしていたのに、この急な転向はシリーズ末期の尻すぼみだけ。この映画とシリーズ最終作には宍戸錠が出て来ないので、完全にしょうがないからの宍戸錠の穴埋め。
それに今回の小林旭は衣装や髪型が変。…と言うか毎回ダサいけれど、今回は角刈りみたいな四角いリーゼント風の髪型に、軍服の様な茶色い作業着みたいな服に白いスカーフを首に巻いていて、このどう見ても変な格好は何?
この映画でも、始めは小林旭は銃を撃っても相手の銃を落とさせるだけなのに、最終的には近距離からショットガンをぶっ放して人を撃ち殺しているはずなのに、特に捕まる様子も指名手配されている様子もないのは、良い人が悪い人を殺しても問題無いという事で皆が済ましているのだろうか?

この渡り鳥シリーズ、毎回出て来る人が同じだけれど別人、やっている事はほとんど同じなので、何度も繰り返すけれど微妙に違うデジャブの様な悪夢を見ている感じだったけれど、宍戸錠が出て来ないので今までの平行世界に迷い込んでしまった様な違和感が気持ち悪い。宍戸錠のいない事で、ただでさえグダグダしているシリーズが更にグダグダになってしまい、無理矢理の更なる続編に今まで以上にどうでもよくなってしまった。

★★★★★
 
 
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