口笛が流れる港町

2013年11月22日 金曜日

斎藤武市監督、小林旭主演の渡り鳥シリーズ第二作目、1960年の映画「口笛が流れる港町」。何故かシリーズで唯一渡り鳥と入っていない。

何処かで拾ったらしい野良馬に任せて進む滝伸次は、寂れた鉱山の事務所に辿り着く。その鉱山の持ち主は博打で借金を作り、町の悪徳業者に鉱山を取られようとしていた。それを滝伸次が解決しようとする。

この映画、シリーズ二作目なはずなのに、デジャブかと思う位ほとんど一作目と同じ展開。流れ者の小林旭がバーでその町の有力者と出会い、急に見初められて彼の下で働くけれど、弱みを握られた良い人達がヤクザに土地の権利を渡せと脅され、それに関係するお嬢さんに小林旭が惚れられた事もあって、困っている人を助けて去って行く。主人公の小林旭以外の、その地元の人達の背景や置かれている状況をダラダラと長く描いているのも同じ。しかも、一作目で出ていた役者が同じ様な役で登場。馬に乗って荒野を行く小林旭と宍戸錠が出会う所から始まるけれど、一作目で二人が出会い共闘していたのに、この映画ではどうやら初めて出会ったらしい事になっており、一作目から続けて見ると行き成り意味不明。宍戸錠は悪者側の凄腕ガンマンで用心棒的な立場だけれど、何でか小林旭を気に入るという、ほぼ一作目と同じ役だし。ヒロインの良い所のお嬢さんは、一作目でも同じ様な役をしていた浅丘ルリ子。この時代の映画って、シリーズで後の作品に同じ俳優が出ていても別人という事が結構あり、大分いい加減に作っている。

一作目から感じていたけれど、全てに置いて何か泥臭いカッコ悪さが蔓延している。宍戸錠はそうでもないけれど、小林旭の格好は笑ってしまう。首にギュッと白いスカーフ巻き付けているのは何だ?それに小林旭が常にギターを担ぎカッコ付けているけれど、ギターストラップは赤と白のネジネジした紐だし、ギターのボディの端周辺には変な模様があり、バラの絵まで入っていて変に乙女チックで、ギターを弾く姿が物凄く滑稽。全体的に西部劇を意識している風だけれども、ギターを弾いて歌い始めると演歌なのか昭和歌謡かな分からないマイナー調な歌で一気に盛り下がるし。アコースティックギターで演奏しているのに何故か音はエレキギターだったりして、もう訳が分からない。当時はこの衣装や台詞回しとかがカッコ良かったのだろうか?今見ると当時の感覚がさっぱり分からない。

一作目でも思ったけれど、やっぱり若い時の小林旭は今と全然違う。何か吉川晃司が似てる。もしくは目の小さい劇団ひとり。今回の小林旭は一作目よりはカッコ良くはなっているけれど、どうにも坊ちゃん的な若さがあんまりカッコ良くない。それに、相変わらずアクションは下手。
浅丘ルリ子は年を取ってからの目の周りがやたら黒い骸骨みたいな浅丘ルリ子しか知らないから、全くの別人。今は面影が無い位。このまだ若い時は可愛らしい。

この映画、一作目と同じ人達が同じ様な役で、同じ様な展開の話を見せるので、一作目と同じくつまらない。ほとんど一作目のリメイクなので、これ見たなら一作目見なくていいし、一作目見ているならこの映画見る必要も無い。

☆★★★★
 
 
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