網走番外地

2013年11月27日 水曜日

石井輝男監督、高倉健主演の1965年の映画「網走番外地」。
伊藤一の実録小説「網走番外地」が原作。

網走刑務所に新たに入所して来た受刑者達。雑居房の中では古株の依田と対立する高倉健演じる橘。やがて、その雑居房の囚人達の中で脱獄計画が持ち上がり、病気の母親を心配する橘は計画に乗りたいが、刑期もあと少しなので悩む事になる。

ヤクザの健さんの脱獄モノで、なかなかおもしろいし、健さんの心情も描かれていて成程と思えるのだけれど、構成がどうにも乗り切れない。
独り者を気取り、同居人に組しない健さんと囚人達とのやり合い、出し抜き合いをする様な始まりだったのに行き成り二年後に話が進んでしまい、急に二年後になったのに人間関係が展開しておらず、前と大して変わらない他の囚人と対立するやり取りが行われる。この二年のすっ飛ばしで「んっ?」とつまづいてしまう。なのに、何かがあった訳でも無いのに、急に対立していた他の囚人達が健さんに歩み寄り、脱獄に誘い始め、この人間関係の変化もすっ飛ばしてしまう。この脱獄騒動は、嵐寛寿郎演じる阿久田が気迫の説得により失敗に終わったにも関わらず、暫くするとトラックから飛び降りるという、余りにあっさりした脱走で逃げ出してしまい、嵐寛寿郎の場面が良かっただけに物凄い肩透かし感ばかり。この映画、この嵐寛寿郎が立ち回る所までが頂点で、後は何だかしょうもない。トロッコでの追い駆け合いや、雪原を逃げ回る相容れない依田と橘という話はあるけれど、今まで立てて来た登場人物達は全然出て来なくなるし、最終的に依田も良い人、健さんも救われた感じという、まあ都合の良いめでたしめでたしで物凄い尻すぼみ。後半に行くにしたがって、人は殺すけれど母親と妹思いの良い人で、お涙頂戴のジメジメした如何にもな日本映画になり、徐々に冷め始め、ドンドンおもしろさが落ちた。

興味深かったのは、この当時の刑務官。「プリズン・ブレイク」とか、アメリカの刑務所モノの見過ぎで、刑務官はすぐ暴力振るう、金品を要求するという悪者の印象しかないという偏見に満ち満ちてしまっているけれど、この映画の刑務所の刑務官って、主人公である囚人達に感情移入させる為にも自分の仕事をきちんとこなす役人位の扱いで描かれている。ちゃんと囚人を心配するし、暴力振るわずにコケにされているし。まあ、当時は悪い刑務官なんて描けない時代だったのかもしれないけれど。

田中邦衛が囚人役で出ているのだけど、彼の役が物凄い気持ち悪い。大阪から来た人物らしいので大阪弁なんだけれど、それが江戸っ子訛りを基礎として、そこに思いっ切り田中邦衛訛りが入った関西訛りという、聞いていても何処の人なのか何だか訳の分からない喋りなので、違和感を通り過ぎ、一人変な意味で抜きん出た人物になってしまっている。

この映画、始めは軽犯罪を自慢したり、チンピラの意地の張り合いとか見ていてもつまらないのだけれど、囚人同士の対立から脱獄話となって行く所で位からおもしろくなり、登場人物も皆が立って中々良い群像劇になっているのに、その後の尻つぼみで結局「何だかなぁ…」という感想に落ち着いてしまう勿体無さ。他の映画でもそうなんだけど、丹波哲郎が活躍し始めると「ん…?」感が増して行くのは何なのだろう?

☆☆★★★

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