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新スタートレック シーズン1

2023年12月02日 土曜日

元々は「スタートレック:ピカード」を見ようと思い、それなら「新スタートレック」も一から見ようと思い、それなら数話しか見た事がなかった「宇宙大作戦」を見ようと思い、「宇宙大作戦」を全話見て、そこからこのクルーの映画も見ようと思ったけれど「スタートレックIV 故郷への長い道」しか配信がなかったのでその四作目を見たので「新スタートレックStar Trek: The Next Generation)」を見始めた。

わたしは確か昔にテレビの深夜放送で「新スタートレック」を見た事が切っ掛けでスタートレックにはまって見るようになったんだけれど、「新スタートレック」は最終話やその後の映画も見たのに何処から見始めたのかは全く覚えておらず、このシーズン1も多分初見の回ばかりだったので新鮮に見れたし、まだ色々と固まっていないお試し部分もあるだろう初期を見るという部分でも非常に楽しめた。

わたしにとってはお馴染みだけれど「宇宙大作戦」から新たなクルーになってより群像劇として人間ドラマとして強く押し出していてドラマとしておもしろくなっているし、やっぱりヘンテコな形の新型艦エンタープライズDに、SF感があるコンピューターのインターフェイスのLCARSとかホロデッキとかSFガジェットのワクワクするモノが沢山だし、低予算の関係で宇宙での宇宙船の場面が少なかった「宇宙大作戦」から比べると予算が多くなった「新スタートレック」では格段に色んな宇宙船が登場して映像的にも見ていて楽しかった。

「宇宙大作戦」からの「新スタートレック」なので「宇宙大作戦」との違いを出す為なのか、「宇宙大作戦」と似た様な設定の話もあるけれど「宇宙大作戦」だとカークの独断で暴走しがちな部分はジャン=リュック・ピカードは冷静に対処しようとするし、クルー同士で情報を出し合う会議をして対策を練るという場面が多いし、他種族や多文化に干渉しない前提がある中で干渉せざるを得ないのでどうしよう?という話が出てきたりと、それこそQに対して人類は進歩しているんだと言う様な理性的な行動原理に基づいた人々の話になっていて、今見ても理想を行く、理想を目指すという部分では古臭く感じなかった。

ただ、まだ1シーズン目なので後期とは結構違う事もあり、保安部長がお馴染みのウォーフではなかったり、機関部長だと思っていたジョーディ・ラ=フォージが操舵?についていたりで何の部署の人なのかよく分からなかったり、保安部長のナターシャ・ヤーって後にゲスト出演した時に見たはず位で全然知らないし、そう言えばビバリー・クラッシャーの息子ウェスリーがいたなぁと思い出したけれど、この時点ではウェスリーってレギュラーだったのかとか、ウィリアム・ライカーは若いし髭ないしで、全体的な印象が結構違った。
そのレギュラーのナターシャ・ヤーはこのシーズン1で退場してしまうので良く知らなかったのかと分かったり、レギュラーのはずでオープニング・クレジットにも名前が出ていたウェスリーは全く出て来ない回があったりと、何か色々模索していた感じも見れた。

以下各話の感想。

1話「未知への飛翔」のオープニングクレジットが出て来た時点で鳥肌が立って、何だか分からない感動で泣きそうになってしまった。
1話目だから色々と盛り込み過ぎな位盛り込んでいるけれど、ちゃんと初めの話として説明にもなっていて楽しい一話目。
エンタープライズが最新鋭艦として既にピカード艦長下で少し航行している所にウィリアム・ライカーを始めるとする新たなクルー達が赴任して来て、ちゃんと入りやすい1話目になっている。
ただ、始まりでジャン=リュック・ピカードが影の中から登場する場面は何のどうですか!演出だとか、意味も無くピカードが機関室を歩き回ったりして、一話目なので説明的に船内を見せていたのには笑ってしまったけれど。
その一話目の話は、「宇宙大作戦」から続けて見ると「宇宙大作戦」で多用されて来た「人智を超えた存在がクルー達を翻弄して来る」というお馴染みのネタなんだけれど、仕切に「人間はもう野蛮じゃない」と言わせているのって「宇宙大作戦」のカークがとにかくぶっ壊して終わりとか、攻撃的な相手にはまずぶん殴ったり、フェイザーぶっ放していたのから変わったんですよ。もう違うスタートレックなんですよと示す為だったのだろうか?
初期の「宇宙大作戦」だと訳の分からない存在をぶっ壊して終わりそうな所を、この1話目では助け出して何だか愛っぽい感じで終わらせていたし。
それに「宇宙大作戦」だと直ぐに上陸したがるカークはやたらとブリッジを空けていたけれど、この1話目ではピカードは全く船から降りずに上陸班はライカーというのも明確に差をつけているんだろうなぁ。
でも、Qは「宇宙大作戦」に度々出て来た全知全能の存在の発展版で、本当にスタートレックはこれが好きだよなぁ。
これってジーン・ロッデンベリーの趣味なんだろうか?
この優れた存在が遅れた人類を糾弾したり導いたりって今見ても古臭い題材。
Qはこの後にも何度も登場して段々とコメディリリーフと言うか、変に可愛らしい存在になって行ってくから、そこは「新スタートレック」「The Next Generation」ではあるんだろうな。
1話目は確か以前に見た様な記憶があるんだけれど、全然覚えていなかったと言うよりもほとんど見た覚えがない事ばかりだったから、もしかすると最終話とごっちゃになっているだけなんだろうか。
1話目では各登場人物達の背景や性格を説明的に見せて行くだけでも結構濃いのに、ピカードとビバリー・クラッシャーのクラッシャーの夫の死から来る微妙な関係や、ライカーとディアナ・トロイの過去に何かあったらしい関係とかも挟み込み、人物達だけでもこれ以降が楽しみに作られている。
船内の色々な仕組みとか、ホロデッキとかのSFガジェットも楽しく、初っ端からエンタープライズの船体分離までするもんだから映像的な見せ場も作ってる。
しかし、この1話目で一番の興奮場面は何と言ってもマイルズ・オブライエンの登場場面。
まだエキストラ扱いなのか設定が決まっていないみたいで赤服の制服で操舵師?で登場だったけれど、既に1話目から登場しているマイルズ・オブライエンに興奮。
この後徐々に登場して活躍し始め、「新スタートレック」の次の「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」ではメインレギュラーにまで成長する普通のおっさんマイルズ・オブライエンがわたしはスタートレックシリーズの中で一番大好きな人物なので、ここからマイルズ・オブライエンの物語が始まるという意味でも興奮。

2話「未知からの誘惑」は行き成りコメディ回で結構ずっこけた。
これも「宇宙大作戦」でよくあった、宇宙からの何らかの影響でクルー達が何時もとは違う変な行動を起こす展開なんだけれど、しかしこれってある程度登場人物達がこういう人ですよというのをしっかりと見せた後でないと何時もとは違う姿がおもしろくないのに、行き成り二話目でこれする?と大分疑問。

5話「謎の宇宙生命体」では1話から話には出て来ていたフェレンギが初登場。
フェレンギと言えば「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」のレギュラーだったクワークでお馴染みなんだけれど、「DS9」でフェレンギを掘り下げたのを見て慣れていたからこの最初期のフェレンギ人が物凄い違和感。
フェレンギ人と言えば何よりも金儲けが一番の拝金主義者の種族で、取引に関しては姑息でも卑怯でも自分が儲ける為なら何でもする銀河一の交渉人でもあるというのが刷り込まれているけれど、この時点でも商人という設定はあるものの粗暴で馬鹿で姑息という、まあフェレンギらしくない宇宙人。
どうやらジーン・ロッデンベリーは「宇宙大作戦」での惑星連邦の敵だったクリンゴンやロミュランを「新スタートレック」では再使用しないと製作前の早い段階から考えていた様で、その新たな敵種族としてフェレンギを作り出したらしい。
だからの一話目から伏線として名前を出していたりもしたけれど、このただ粗暴で馬鹿さ加減が出過ぎでヘンテコな動きをするフェレンギ人の評判が良くなかったらしくて、速攻でライバル的な位置から脱落してしまったらしい。
確かにこの回でのフェレンギ人じゃあ人気にはならないよなぁ。
だけれど「DS9」の掘り下げでフェレンギ人も魅力ある一種族にはなるから、この時点では序盤の手探り感で失敗したという事かな。
内容は「宇宙大作戦」ならカークがフェレンギ人をぶん殴ってめでたしめでたしにしそうな所を、粗暴なフェレンギ人と共同で上陸調査をするという対話と理解を進めようとする「新スタートレック」の姿勢がちゃんと入っている。
ただ、この話も「人智を超えた存在がクルー達を翻弄する」毎度の展開。
見ていて気になったのが、フェレンギ人の中の一人がクワークと似ているなぁと思って調べてみたら、正に演じていたのは後にクワークを演じる事になるアーミン・シマーマン
アーミン・シマーマンがこのフェレンギ人初登場の中の一人を演じていて、後にフェレンギ人と言えばになるクワークを演じる事になると思うと、そこで何かワクワクしてしまった。

6話「宇宙の果てから来た男」ではこれまた「宇宙大作戦」で白けてしまった「簡単に現在の技術を遥かに超えてしまう」話で、一瞬で銀河も超えて何億光年先に行ってしまうとか流石にこのワープエンジンでそこまで出ないだろうとか無理があり過ぎ。
しかも科学技術で超ワープをする訳ではなく謎の宇宙人の精神力によって超ワープしてしまうという、これまた「宇宙大作戦」で白けてしまった「考えるだけで何でも出来てしまう人智を超えた存在がクルー達を翻弄する」の発展形。
序盤で似た様な事を使い回すって何?と結構ガッカリなんだけれど、でもこの序盤で似た様な話を使い回すのも「宇宙大作戦」からの伝統か。
それに、最終的に無事に元に戻って来てウェスリー・クラッシャーが活躍して少尉代理になれたのでめでたしめでたしで終わったけれど、結局旅人の目的もはぐらかされた感じで何だかよく分からないし、結局旅人も何で消えて何処行っちゃったの?だし、あれだけ嫌な奴としてバリバリに前に出ていたコジンスキーが最終的に何を思ってどうしたのかも描かずに完全に尻すぼみで存在感が消えてしまったりと、話が適当なままで強引にめでたしめでたしにして醒めてしまったけれど、この強引にめでたしめでたしで終わらせる感じも「宇宙大作戦」っぽい。

7話「姿なき宇宙人」は敵対する種族を和平の交渉の為に移送すると言う話と、未知の生命体と遭遇しててんやわんやになると言う話を同時に見せて行き、各話自体は「宇宙大作戦」でもお馴染みだけれどそれを同時にするのは新たな試み。
ただ、どっちも最終的に何だかいまいち分からないままで終わってしまう。
それよりも見所は、一話目に次いでマイルズ・オブライエンが登場する所。
一場面だけなんだけれど黄色の制服になっていて、どうやら保安部員らしい。

8話「神からの警告」は「宇宙大作戦」の遺産みたいな回。
初めて訪れた惑星は楽園の様な穏やかさで人々も平和的なんだけれど、やたらと犯罪に厳しく、柵を越えただけでも一律死刑という世界でウェスリーが裁かれる事になる話。
全く初の星なのに何故か異星人はほぼ地球人と同じだったり、やたらと露出度の高い服だったりとかの設定も「宇宙大作戦」的だけれど、このどうしようもない状況でピカードは自分達の艦隊の誓いを守りつつも相手の法律も守りつつもウェスリーを助けようとしていて、これが「宇宙大作戦」のカークだったら「こんな世界間違ってる!」でこの社会を崩壊させてまでもクルーを助けただろうかつての結構強引で無茶苦茶だったカークに対する新世代の尻拭いみたな話になっていた。
ただ、最終的に何だか分かった様な分からない様な感じで終わって、結局艦隊の誓い的には合っているのか良くなかったのかもはっきりさせず、上の種族も納得したっぽいけれどどう思ったのかもはっきりせず、地上の人達は結局こちらの法律無視して力強くで自分達の望む様にして去って行ったじゃん!なんだけれどそれは描かずで凄いモヤモヤした感じで終わってしまった。
ピカードももっと学びたかったじゃあなくて自分達の調査不足を反省しないのかいだし。

9話「復讐のフェレンギ星人」では早くもフェレンギが再登場。
「宇宙大作戦」ではクリンゴンやロミュランが1シーズンに一回位しか出て来なかった事を考えるとフェレンギを育てようとはしてたのか。
話はピカードの過去の出来事を描きつつ題名通りの一人のフェレンギ人の復讐を描いていて、ピカードやフェレンギの深掘り話としてもおもしろかったし、エンタープライズとフェレンギマローダーとスターゲイザーの並びの宇宙船の映像的ワクワク感もあり、ここまでの中では中々おもしろかった回。
しかし、まだ儲けよりも復讐が先行してしまうフェレンギって設定が甘いよなぁ。

10話「死のゲーム」でもこちらも早くもQが再登場。
ちょっとQの置かれた事情を出して何故エンタープライズの面々にちょっかいを出して来るのかを見せてたけれど、一話目の段階からQを拡げて行こうという構想はあったんだろうか?
そう言えば、この時もまだQの指パッチンって無いんだな。

11話「夢の人」でディアナ・トロイの母親ラクサナ・トロイが初登場。
「宇宙大作戦」で気になった看護師のクリスティンを調べてみて、演じていたメイジェル・バレットがジーン・ロッデンベリーの奥さんで、「新スタートレック」でこのラクサナ・トロイも演じていたと知っていたけれど、それにしても一番出番の多かったクリスティンよりもそれ以外の役の方が強烈な印象を残すのも不思議。
このラクサナ・トロイもだし、「宇宙大作戦」のパイロット版「歪んだ楽園」での副長のナンバーワンは冷静な補佐役として役が立っていて、このクルーでのドラマが見たくなる位だったし(実際このナンバーワンとパイク船長とスポックのドラマ「Star Trek: Strange New Worlds」が2022年から始まっている位)
あと、ディアナの花婿役だった役者がどっかで見た事ある様な気がしたので調べてみたらロバート・ネッパーで、ロバート・ネッパーと言えば「プリズン・ブレイク」のティーバッグ役でお馴染みの人じゃない。
ティーバッグのあの悪役と比べても仕方無いけれど若いからか好青年過ぎ。
それから始めに出て来た喋る人の顔が付いた謎の銀色の箱のあの顔の人って後のクワーク役のアーミン・シマーマンだったのか。

13話「アンドロイドの裏切り」でデータの兄弟ロアが登場。
ロアって早い段階から出てたんだな。
序盤での各クルーの背景の掘り下げをちゃんとしているのでもあるし。
普段は吹き替え版しか見ていないのでデータが人間の言葉を話すのが不得意と言うのがいまいち分かり難かったけれど、原語の英語を見て台詞を聞いてみると、ロアは「Can’t」「isn’t」と言えるけれどデータは「cannot」「is not」と省略出来ていないとか、ロアは「Tomato」を「トメイト」と発音し「Potato」を「ポテイト」と発音出来るけれど、データは「トマト」「ポタト」と表記通りにしか発音出来ないとか分かって成程ねと思ったけれど、こういう所って吹き替え版の欠点弱点だよなぁ。
英語の表記と発音にずれがあるのでデータが表記に従って「トマト」「ポタト」と言うのは分かるのだけれど短縮形を使えないのはよく分からない所。
データって「know」とか「knight」とかも「ク」の音から発音しているのだろうか?
あと、ウォーフが毎回あんまり見せ場が無くて、今回もクリンゴンなのに弱い。
一方、最後のロアと対決するデータはウェスリーを助けようと戦っていて中々熱かった。

12話「奪われた女神達の惑星」は「宇宙大作戦」でありそうな感じ。
女性と直ぐ寝ちゃうライカーはカークっぽいし、あからさまではないけれど相手の法律や社会は間違ってると言う惑星連邦の価値観を推す感じもカークっぽいし。
カークだと相手の社会は知った事じゃないで滅茶苦茶にしそうだけれど、これでは相手も聞く耳を持っていて考える人達だった。
それよりなによりライカーとピカードのフサフサの胸毛にばかり目が行ってしまった。
よりにもよってこの回で一気に二人の胸毛を披露した意図って何?
この回で初めて「新スタートレック」でロミュランが言及されて、いよいよロミュランが出て来るのかなあと思ったし、中立地帯でロミュランの戦艦となるとロミュランウォーバードが出て来るの?と思ったらこの回ではどうなったのかは無いし、以降の回でも一切触れられないままで、どうなったのかが物凄く気になったままで結構消化不良。
これが最終話に繋がっているのかな?
でもそれだと大分間が開いているなぁ。

14話「盗まれたエンタープライズ」は話は「宇宙大作戦」でよくあった、まず先に全部話せよで問題無くなる話なんだけれど、見所は修理の為に宇宙ステーションに入って行くエンタープライズ。
特撮が良く出来ているし、ワクワク感のある映像。
エアロックに通路を付けての人の出入りの場面もあり、そういう細かい現実感のあるSFを映像で見せるのが好き。

19話「さまよえるクリンゴン戦士」でウォーフ以外のクリンゴン人が登場。
今までクルーの中で唯一のクリンゴン人で一番気になるのにほとんど掘り下げられる事もなかったし、ウォーフがクリンゴン人である事自体も触れられる事がほとんどなかった中で、やっとウォーフの背景が見えておもしろかった回でもあるし、クリンゴン人が揃うと画面が濃いので見栄えも良い。
更に吹き替え版だとウォーフの銀河万丈に、クリンゴン人二人が玄田哲章と若本規夫で声まで濃い。
話も中立地帯でロミュラン?フェレンギ?と色んな種族の名前を出しつつの推測からクリンゴンという意外性で楽しい展開だし、クリンゴンがどういった種族なのかの話になりで中々おもしろかった回。
しかし、最強の戦闘民族のはずのクリンゴン人があんまり強く見えないし、それ以上に艦隊の保安部員なのに強そうには見えないし、あっさりと死んでしまうなぁ。

22話「悲しみの星に消えたターシャ」では行き成り序盤でナターシャ・ヤーが死亡。
これがこの話に何か関わって来るのかと思いきや特に何も無く、演じていたデニーズ・クロスビーの降板しか感じさせない退場で大分白けてしまった。
こういう主要人物が話の序盤で死ぬ時って大体その後何だかんだで生き返るのがよくあるけれど、このまま特に何もないまま本当に死亡って珍しいという部分では関心したけど。
この回の話自体も流動体生命体の話は特に盛り上がりも無くつまらなかったし、こういうどうでもいい感じの回でレギュラーだったナターシャ・ヤーを終わらせるって製作陣とデニーズ・クロスビーの関係が上手く行ってなかったのかなぁ?と思ったり。
一応最後にホログラムでナターシャ・ヤーがクルー個人個人に挨拶する場面があるけれど、これは演出としては臭いししつこいしで萎え萎えだったし。

24話「恐るべき陰謀」は惑星連邦内の上層部で何やら陰謀が巡って次々と士官達が殺されているという陰謀論から始まって、結構早い段階で惑星連邦って実は危ないのでは?という話をしているのもあって結構ワクワクして見始めた。
しかし、それが謎の小さい虫の様な異星生物が寄生して頭脳を乗っ取っていたという結構しょうもない落ちになってしまい、しかも人間の頭が吹っ飛んで溶けた体から異星生物が出て来るとか妙にグロさを出して来て、まるで1980年代の安っぽいホラー映画みたいな感じで、これってスタートレックでする事?と思ってしまって尻すぼみ感が凄かった。
ただ、TNGの初期ってこんなB級ホラーもしていて、方向性がブレブレではあるけれど何か違った事をとやっていたのかとちょっと関心した。

シーズン最終話の25話「突然の訪問者」は中立地帯でロミュランが活動しているらしいというワクワクする話。
そこに20世紀に冷凍保存された地球人を発見して蘇らせ、20世紀人が24世紀に戸惑うという話も入れ込んでいるんだけれど、この20世紀人の話はほとんどロミュランとの話に関係なくて、入れ込んだ事によってどちらの話も散漫になって深く突っ込めずで、せっかく新たなスタートレックでいよいよロミュランが登場する回なのに20世紀人の話が本当に余計だった。
ロミュランとの対立もお互いの前哨基地の消滅の謎は原因がほったらかしのままで結局何だかよく分からない話で終わっているし、20世紀人の話ももっと深堀りすればおもしろくなる話だと思うのになぁ。

シーズンを続けて見てみると初めは新たなスタートレックとして一気に飛び出しておもしろく見れていたけれど、徐々に各話の掘り下げ具合の弱さ、物足りなさが目立って来て、設定や人物やSFで持ってはいるけれど話自体は結構微妙な回も出て来たり、新たなスタートレックでの主な敵として軸にするつもりだったフェレンギが当時評判が悪かったみたいで初めは物凄く前に出していたのに何時の間にか出て来なくなり、本来は新たなスタートレックなので新たな異星人を出す目的もあっての「宇宙大作戦」からのクリンゴンやロミュランを出さない予定が何時の間にか登場したりと色々暗中模索な感じはあったんだろうなぁと思ったりで、後のシリーズを見たからこれはこれで初期として興味深く見れたけれど、これが初めてでドラマとしてだと結構微妙っちゃ微妙な感じもありで、シーズン1としては爆発的ではなくてこんなモノなのかなぁ…という感じだった。
まあ、これからクリンゴンやロミュランはもっと出て来るし、ボーグやカーデシアといった新種族の広がりもあるので楽しみではあるし、何よりマイルズ・オブライエンがドンドンと立って行くのが楽しみなので、これからが本番なのかな?
 
 
関連:宇宙大作戦 シーズン123
   新スタートレック シーズン2

宇宙大作戦 シーズン2

2023年05月26日 金曜日

宇宙大作戦」のシーズン1に引き続きシーズン2も見たけれど、低予算から来る全体的な安っぽさはやっぱり気にはなるし、話は大分いまいちな回が多くて、どうにも乗って行けなかった。

シーズン1よりもエンタープライズのブリッジの操作盤のパネルとかスイッチがまだ良くなっている感じではあったけれど、やっぱり低予算なのか、地球から離れた未知の惑星でも住んでいるのはほぼ地球人と同じ見た目の異星人がやたら多かったり、多分衣装部から衣装をそのまま借りて来られるからか、未知の惑星に降り立つと地球そっくりの文化になっているという話が何度もあったりと製作的に都合が良い設定が多くて白けてはいた。

話もシーズン1から多用される地球人の力や科学技術を遥かに超えた力や科学技術を持つ存在に無理矢理その星に連れて来られたリ捕まったりしてそこから逃げ出す話に既視感と言うか使い回し感を感じてしまって、この手の話になると早い段階から飽きてしまっていた。

カークの活躍で解決するヒーロー感を褒め称える感じにはなっているのだけれど、そのカークの独善的で強引なやり方は英雄譚としてはいいかもしれないけれど物語としてはおもしろくはなく、乗組員がバンバン死んで行ってもカークが頑張って解決した風でめでたしめでたしって、いや解決じゃないだろ…という強引な最後が多いし、この船には乗りたくないなと思わせる最高司令官カーク。

シーズン1でもそうだったけれど、カーク、スポック、マッコイの三人は毎回登場しているのに他のレギュラーのはずのモンゴメリー・スコット、ウフーラ、ヒカル・スールー、パヴェル・チェコフが全く登場しない回があったりして、そのいない事についての劇中での説明も特に無いのが気になった。
カトーことヒカル・スールーが暫く連続して全く登場しないのは見ていて気になったし、チェコフがシーズン2からの登場なのに既にエンタープライズで勤務していた事になっていたのも気になった所。
チェコフは新たに赴任して来た新顔じゃあ駄目だったのだろうか?
それにチェコフが初登場してから数回はカツラを被っていたのは何だったのだろう?
初期は髪の毛が非常にもっさりと多くて違和感。

シーズン1で気になった士官の制服の色だけれど、シーズン2にもなると慣れはして来たけれど違う疑問が出て来て、そこに何時も引っ掛かってしまった。
新スタートレック」以降の24世紀以降の話ではブリッジの士官が赤色で技術系が黄色の制服で慣れていたので、23世紀が舞台の「宇宙大作戦」ではブリッジの士官が黄色で技術系が赤色の制服でどうにも慣れず、何で「新スタートレック」でこの色を丸っと取り替えたんだろう?という疑問はあるのだけれど、「宇宙大作戦」でのカークは何時もは黄色の制服なのに時々緑色の制服があるのが気になってしまった。
見ているとどうやら何かの式典とかの正装的な制服が緑色の制服っぽいのだけれど、そういう事も無い普通の時でも時々カークが緑色の制服を着ていて緑色の制服の意味がよく分からず。

その他各話で気になった所。

6話目「宇宙の巨大怪獣」は多分これまで見た事が無いはずなのに何故かこの回に登場した謎の巨大兵器は何処かで見た気がして仕方なく、凄く変な感じのまま。
あのチョココロネみたいな巨大兵器って他の何かで似た様なモノがあって、それで既視感を感じたんだろうか?

10話目「惑星オリオンの侵略」は色んな異星人が登場して揉めつつ議論したりと非常にスタートレックっぽくて好きで、そこにスポックの両親が登場してスポックの掘り下げもあってシーズン2ではおもしろかった回だったのだけれど、最後の犯人ばらしで今まで何も出て来なかった謎のオリオン人の話が突然出て来て「ん?」となり、結局このオリオン人はこれ以降のシーズン2では登場しないままで、この急に出しておいてそれ以降触れないって「宇宙大作戦」ってこんな事ばかりしてるなぁ。

15話目「新種クアドトリティケール」でトリブルが登場し、この回を使って合成して「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」の「伝説の時空で」をしたの知っていると楽しい回。
「伝説の時空で」を見てから見比べるのもおもしろいかもとも思った。

23話目「細菌戦争の果て」は大事な部分を投げっぱなしジャーマンでほったらかしで酷かった。
始まりはクルーがいなくなった宇宙船を発見しカーク達が乗船。
その宇宙船のクルー達は上陸した惑星で謎の奇病に感染して全員死亡するが惑星に降りれば助かると知ってカーク達は惑星に上陸。
そこには宇宙船の船長が生き残って惑星の住民コム族を率いてヤン族と戦っており、その船長は謎の病気がコム族を長寿にしていると信じてカーク達を無理矢理協力させようとするという強引ではあるけれどSFだしスタートレックっぽい話になっているのだけれど、そこからの展開が意味不明。
ヤン族は何故か数百年前のアメリカの合衆国憲法を神の言葉として崇めており、ヤン族の名前はヤンキーから来ており、コム族はコミュニストから来ていて、アメリカの自由と共産主義者の戦いだったんだ!という何のこっちゃ?な展開に突然なってしまって、ぽかーん…。
何故地球から遠い惑星で惑星連邦以前の数百年前のアメリカ関係の物があるのか?とか、この惑星の人達って地球人の移民なの?とか、細菌兵器で戦争する位の科学技術があったのにその痕跡や遺物が全然無いの?とかの疑問に対して一切の説明は無いまま、ヤン族とコム族は協力しましょう…で終わりって何じゃこりゃ?
この終盤での急展開の脚本酷過ぎ。

25話目「もう一つの地球」も地球から離れた惑星は何故か地球とほぼ同じで、住んでいるのも地球人とほぼ同じで、文化はローマ時代がそのまま1960年代まで発展した様な世界と言う、またの地球そっくり話。
今回もこのほぼ地球の何故?に対しての説明は一切無く、やっぱり衣装やセットを使い回せるからという理由しか見えて来ない無茶苦茶な話で、もう辟易して来た。

シーズン最終話の26話目「宇宙からの使者 Mr.セブン」はもうやりたい放題。
初っ端からエンタープライズは既に1969年の地球にタイムトラベルしているという、遂に面倒臭い事を省いてやりたい事を簡単にしてしまっている状態から始まり、そこに当時の地球人だけれど何処か謎の異星人によって指令を与えられたミスター・ゲリー・セブンが現れ、話はこのゲリー・セブンがアメリカの水爆宇宙ミサイルを阻止しようとする展開がほとんどでカーク達が全然活躍もしないし、カーク達の出番さえ少なく、最早「宇宙大作戦」でもない回で何じゃこりゃ。
見ているとこれって他のドラマやスピンオフドラマのパイロット版じゃないの?と思える様な内容で、調べてみたらそうだったのだけれど、この「宇宙からの使者 Mr.セブン(原題「Assignment: Earth」)」はジーン・ロッデンベリーが考えていた他のドラマの企画(「Assignment: Earth」)をこの回用に書き直したらしく、それを何故か「宇宙大作戦」でやってしまっている。
しかし、ゲリー・セブンは渋めのおっさんでSFスパイで役が立ちまくりだし、彼の使う何でも万年筆ってドクター・フーのソニック・スクリュードライバーみたいだったり、融通の利かない対話式コンピューターとか、ゲリー・セブンは常に黒猫と行動し、その黒猫は本当は人型の異星人?みたいだし、何も分かっていない馬鹿役の秘書の女性とか、このゲリー・セブン周りがやたらときっちり作られていて見事に立ちまくりで、よっぽどこっちの方がおもしろそうに思えてしまった。
この異星から来た、ソニック・スクリュードライバーみたいな超科学技術を駆使して何でも分かって行動する謎の人物と相棒の猫、もしくは女性秘書のコンパニオンってほとんど「ドクター・フー」だけれど、「ドクター・フー」は1963年から始まっているので大分影響を受けている?
結局このゲリー・セブンのドラマは実現しなかった様で、そうなるとこの回は主人公はゲリー・セブンで「宇宙大作戦」じゃないし、この誰からか指令を受けて行動しているゲリー・セブンという人物の謎は一切謎のままで終わりなので、まあ「宇宙大作戦」毎度のほったらかし、散らかして終わりと言う酷い回ではあった。
しかも何故シーズン2の最終話でこの内容なのかも謎。
どうやら「宇宙大作戦」は当時人気が無くて、このシーズン2で打ち切られる可能性もあったらしい事を考えると、最後に「宇宙大作戦」の予算使って新ドラマのパイロット版を作ってしまってそっちに移行だ!という思惑があったのかしらん?
もしシーズン2で打ち切りだったら最終話の内容がほぼ別のドラマのパイロット版になっていたのか…。

真面に「宇宙大作戦」を連続して見た事がなかったのでシーズン1から見ていたけれど、このシーズン2でも続けて人智を超えた存在に捕まるとか、降りた惑星が地球とほぼ同じという話が更に多過ぎで大分つまらなかった。
ネタ切れ感が凄いし、今見てしまうとSFとしても微妙だし、話自体も有耶無耶で解決とかが多くて見続けるのが結構きつかった。
 
 
関連:シーズン1
   シーズン3
   スタートレックIV 故郷への長い道
   新スタートレック シーズン1

宇宙大作戦 シーズン1

2023年04月17日 月曜日

日々うんこの様な事がマリマリなので、アマゾン プライムビデオを見て何かおもしろいモノはないかな?と思って探していたら、「スタートレック:ピカード」が目に入り、そう言えばこれは全く見ていなかったので見てみようかな?と思ったのだけれど、「スタートレック:ピカード」の主人公であるジャン=リュック・ピカードが登場した元々のドラマ「新スタートレック」は大分前に深夜にテレビで放送していたのを途中から見始めたので何処から見出して最後まで見たの分からないので、まず「新スタートレック」を見ようかと思ったけれど、それならCS放送無料の日に数話だけしか見ていない大元の「宇宙大作戦」をまず見てからと思い、Netflixで「宇宙大作戦」を見始めた。

わたしはスタートレックシリーズでは「新スタートレック」「スタートレック:ディープ・スペース・ナイン」「スタートレック:ヴォイジャー」「スタートレック:エンタープライズ(途中まで)」を見た程度のファンで今回本格的に「宇宙大作戦」を見たのだけれど、ある程度スタートレックシリーズを見ていて、かつ「宇宙大作戦」が1966~1969年の低予算テレビドラマだと分かっていても中々きつい部分が多かった。
セットや小道具が安っぽいのはまだ飲み込めるのだけれど、話がいまいちおもしろくない。
もっと詰められそうな部分で変な間延びがあったりするのは1960年代のドラマだからというのはあるのだろうけれど、気になる部分が投げっ放しでよく分からないままとか、まだシーズン1なのにネタの使い回しの様な感じの回が多いというのがあって話に乗って行けず。

投げっ放しで驚いたのが5話の「魔の宇宙病」で、話はクルーが病気でおかしくなってしまうというモノなんだけれど、最後になって突然タイムワープし始めて過去に戻ったと言い出し、そこから直ぐに現在に戻ってそのまま終わってしまう回で、見ていても何これ?でポカ~ン…。
余りに意味不明なので調べてみたら、元々は20話の「宇宙暦元年7・21」での過去に戻る話をする為の導入として作られ、前後編にするつもりだったのが二つに分けられたかららしい。
ただ、それでも別の二話に分けたなら最後のタイムワープはいらないのに残したのがよく分からない。

それよりも酷いと思ったのが9話の「400才の少女」で、これでは地球から大分離れた惑星に降りたら、そこは何故か1960年代のアメリカっぽい街だったのだけれど、この部分は特に解明する事も無くほったらかしのまま、この星では大人になると病気で死んでしまうという話に移ってしまって何故地球の町になっていたのかは全く不明のままで投げっ放し。
何も説明せずに終わったので、え~!!でびっくり。
こういう一番の引っ掛かりが投げっぱなしジャーマンでほったらかしって当時のアメリカドラマでは結構普通だったのだろうか?

使い回しも結構多く、クルーがおかしくなる。同じ人の別人が現れる。神の様な存在に振り回されるという展開が序盤に結構何度もあり、そこら辺で既視感と言うか、まだシリーズ1なのにネタ無いの?と感じたりで結構興味が折れてしまった。

あと、これも低予算だからなのか、登場する人物は地球人が多く、スタートレックと言えば色んな宇宙人が出て来ての楽しみが少なかった事や、エンタープライズ内部だけでとかセットだけで済んでしまう話も多くて宇宙モノなのに宇宙でのエンタープライズの活躍が少なかったのも物足りなさ過ぎた。

低予算とは逆にNetflixではデジタルリマスター版での配信で、このリマスター版って製作費があったからなのかエンタープライズ等の特撮場面はCGになっており、これが寧ろお節介。
わざわざ1960年代のSFドラマとして「宇宙大作戦」を見ているのだからオリジナルの特撮でいいじゃん。オリジナルの特撮が見たいのに。

驚いたのは、スタートレックシリーズでお馴染みのロミュランやクリンゴンはこのシリーズ1では1話だけしか登場していなかった事。
もっと出ていたから人気種族になったのかと思っていた。
これも低予算だからかロミュランもクリンゴンも額のでっぱりが無くてほぼ地球人と変わりがなくて違和感だし、クリンゴンのクリンゴン感の無さはだからウォーフも触れて欲しくないのか。

レギュラー陣もジェームズ・T・カークとスポックとレナード・マッコイは毎回出ているけれど、レギュラーだと思っていたモンゴメリー・スコット、ウフーラ、ヒカル・スールーがいたりいなかったりの回があるのも不思議。
これも製作費が関係しているのだろうか?

この「宇宙大作戦」では23世紀が舞台で、「新スタートレック」以降の24世紀以降が舞台のスタートレックシリーズの方がよく知っていると、百年近く前だから知っている惑星連邦や宇宙艦隊とは何か違う違和感を感じると言うより、「新スタートレック」が作られた1980~1990年代と「宇宙大作戦」が作られた1960年代の価値観等々の違いから来る違和感が結構あって、カークはゴリゴリに自分の価値観で相手を変えようとするし、スポックは論理的に今殺しておけと言って結構暴力的だったり、他のクルーも結構暴力的攻撃的で直ぐフェイザーをぶっ放すしでクリンゴンと大して変わらない様な感じだし、クルーは精神が結構不安定で直ぐおかしくなるし、上官が喋っている途中で割って入って反論批判したり、皆が情報共有せずに自分だけで何とかしようとしたりと、結構野蛮だし混沌感がある。
これって1960年代っぽさなのか、単に脚本の展開が先行して人物描写が適当なだけなのか。
まあ、毎回の様に死者が出ていればクルーは皆こんな感じにはなるか。
あと、エンタープライズが攻撃を受けてコンソールが爆発する伝統は既にこの時からか。

登場人物は確かに魅力的で役が立っていて、カークは強引で独善的ではあるけれど魅力たっぷりで英雄的な感じ。
ただ、カークが上官だと問題は絶えなさそうで、あんまりついて行きたいとは思わない艦長。
スポックは後のヴァルカン人からすると結構感情的だし非論理的に見えるしで、ここら辺が地球人とのハーフだからで魅力なのか。
驚いたのがマッコイで、見た目からしてカークよりも大分年上に見え、ほとんどおじいさんの年齢だと思っていたら演じているデフォレスト・ケリーはこの時46歳。
ケルヴィン・タイムラインの方の映画シリーズでレナード・マッコイを演じているカール・アーバンが50歳だと思うと、このデフォレスト・ケリーの老け感は凄いな。
レナード・ニモイも35歳には見えない老けっぷりで、ウィリアム・シャトナーとは同い年で誕生日が4日違いって、この時代の役者の老け感って凄い。

日本語吹き替えは、多分以前にも見た事があるからだと思うけれど非常にしっくり来るんだけれど、日本での「宇宙大作戦」の最初のテレビ放送の時に放送時間の都合でかカットされた部分があるらしく、そこは当時の吹き替えが無いので後から追加で吹き替えが収録されたそうで、これが物凄く違和感。
始めの放送から三十年位経ってからの追加収録なので仕方が無いのでしょうがないんだけれど、声優も歳を取っているので声が変わっていたり、既に鬼籍に入っていたりで声優が変わっているので、カットが変わると突然カークの声がおじいさんになっていたり、同じ場面でも次の台詞になると登場人物の声が別人になったりと見ていると結構クラクラして来る。

日本版のオープニングでも気になる部分があり、若山弦蔵のナレーションが終わり切る前に曲が始まってしまうのが毎回物凄く気持ち悪い。

おもしろかったのは1話目のカークが船長ではなくクリストファー・パイク船長が主役のパイロット版「歪んだ楽園(The Cage)」
見る前に色々調べてから見たので、この「歪んだ楽園」は初めには見ずに2話目から見始めて12話目の「タロス星の幻怪人(前編)」の前に「歪んだ楽園」を見てみた。
そうすると慣れたカークの物語ではなくカーク以前の船長だったクリストファー・パイクの物語が前日譚としておもしろく、しかもこのパイロット版を使ってその後を描いた「タロス星の幻怪人」もおもしろく見れ、色々と興味深かった。
カークの方で慣れていると後から見て前日譚をパイロット版でしている事とか、クリストファー・パイクが船長で士官としてスポックがおり、スポックのメイクもまだ前段階で違っていて若い感じだし、副長に女性のナンバー・ワンがいて、このナンバー・ワンが結構冷静沈着でやたらと役が立っていて、このクルーの物語がもっと見たくなってしまった。
と思ったら、アメリカではこのクリストファー・パイク以下のクルーによるドラマ「Star Trek: Strange New Worlds」が始まっているのね。
予告編を見てみたら、今時のお金をかけている感じで「歪んだ楽園」の雰囲気は無い感じだけれどこれはこれでおもしろそう。
ただ、クリストファー・パイクって最後は「タロス星の幻怪人」での意識はあるけれど何も反応出来ない体になって箱に詰められ、ランプの点滅回数だけでしか答えられない存在になり、そこから少しでも幸せであろう幻影の世界に去って行くという結末になると思うと物凄く切ない。
「Star Trek: Strange New Worlds」ではクリストファー・パイクの最後をプライム・タイムラインと同じにするのかどうするんだろう?
「歪んだ楽園」「タロス星の幻怪人」の流れで見るとクリストファー・パイクにはまってしまう。

1話目で言えば「宇宙大作戦」が不思議なのはドラマとしての1話目が無い事。
カーク船長でのパイロット版である「光るめだま」も、「宇宙大作戦」の1話目になる「惑星M113の吸血獣」も、「歪んだ楽園」でもクルーが集まって初めてエンタープライズが出航して宇宙に飛び出すみたいな事が特に無く、どの時点でももう既にエンタープライズでの生活が続いているという状態で、1話目らしい始まりが存在していないのって何故なんだろう?
「宇宙大作戦」が特殊なのか、この時代のアメリカドラマってこういうやり方が結構あったのだろうか?

違和感は制服も。
24世紀の方のスタートレックシリーズを見慣れているとブリッジの士官の制服が黄色なのがどうにも違和感。
黄色の制服と言えばマイルズ・オブライエンを代表とする様に技術系の士官という印象が強過ぎて船長のカークが黄色なのがどうにも馴染めない。

あと、制服は下に黒いシャツを着て、その上にそれぞれの色の服を着ているのかとずっと思っていたけれど、この制服は首付近の黒い部分が色の服に縫い付けてある仕様なのも意外だった。
カークが戦いで服がビリビリになって首回りの黒い部分が縫い付けてあるのが分かったけれど何で首周りだけ別でなのか?とか、あの服一枚だけで素肌に着ているのが正式で一枚だけって気持ち悪くないのか?とか思ったりした。

今見るとピンと来ないのは「宇宙大作戦」の先見性や先進性が当時はどんな感じだったのか?という部分。
転送は今でもSFだけれど、シャトルで惑星に上陸するとその分特撮や撮影でお金がかかるからの転送と言う発想だと知ると、SFと言うよりも寧ろ低予算から転送を思い付いた方に感心してしまう。
通信機もトランシーバーの延長線上にあったからそれ程目新しくないのかと思うし、個人で通信機を持っているのに船内だと館内放送が入るとわざわざ壁に付いている通信機まで行ってスイッチ押して答えているのって、当時から通信機持ち歩けばいいじゃん!だったのかがよく分からず。
ウフーラが耳にはめている機器が単なるイヤホンなのか、見た目がマイクロフォンっぽいのでマイクも付いているのか分からないけれど、これも当時のSF感からすると進んでいたのかあるあるだったのかもピンと来ず。
登場人物達が何かを書いているらしいタブレット端末みたいな物も、それにカメラが寄らないので何なのかはっきりせず、見た目だと電子機器っぽくなく、しかも下士官が持って来てそれに何か書き込んで下士官が持って行くので、バインダーに挟まった紙に鉛筆で書いている感しかしなく、これも当時としてはSF感はあったのだろうかとピンと来なかった。

今回本格的に「宇宙大作戦」を見始めてシーズン1を見終わったけれど、どうにも微妙な話が多く、結構ながら見状態になってしまう事も多かった。
シーズン2・3と見るけれど、「宇宙大作戦」以降のスタートレックシリーズを見ないで行き成り「宇宙大作戦」から今「宇宙大作戦」を見ると大分きついと思ってしまい、もしわたしがスタートレックシリーズをある程度見ていないで新たにスタートレックシリーズを見ようと何も知らない状態で「宇宙大作戦」を見ていたら多分シーズン1の途中で止めていたと思ってしまった。
 
 
関連:シーズン2
   シーズン3
   スタートレックIV 故郷への長い道
   新スタートレック シーズン1

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

2022年12月18日 日曜日

マイケル・ドハティ監督・脚本、カイル・チャンドラー主演の2019年のアメリカ映画「ゴジラ キング・オブ・モンスターズGodzilla: King of the Monsters)」
ゴジラ映画としては2014年の「GODZILLA ゴジラ」の続編の二作目。
モンスター・ヴァースとしては三作目。

一作目から五年後。
世間に巨大怪獣の存在が知られると世界各地に休眠状態の巨大怪獣が何体も発見され、その監視を秘密組織モナークが行っていた。
モナークの一員であるエマ・ラッセル博士は怪獣と交信出来る装置オルカを開発し、孵化したばかりのモスラの行動をオルカを使って制御した。
そこに謎の部隊が入って来てエマ・ラッセルと娘を拉致しオルカも奪った。
これを知ったモナークの芹沢猪四郎博士はエマ・ラッセルの夫マーク・ラッセルの下に行き拉致された家族を助け出す為に協力を得た。
エマ・ラッセルを探す芹沢猪四郎とマーク・ラッセル一団は五年間静かだったゴジラが行動し始めた事を知る。
謎の部隊はエマ・ラッセルを連れて南極に氷漬けになっているモンスター・ゼロをオルカを使って復活させようとし、ゴジラも南極へと向かい始めた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので見てみようと思い、一作目は確か見たはず…と思ってこのブログを調べたら五年前に見たと出て来たけれど五年前なので忘れているし、かつ一作目が全然だったので記憶が薄くなっているのかと思って改めて一作目を見てからこの映画も見てみた。

一作目がゴジラの初登場なのにゴジラよりもムートーの方が出番も説明も多いとか、芹沢博士はどれだけ人が死のうが「ゴジラを信じろ」だけで進めてしまう意味不明さとか、人間側の話のつまらなさとかでつまらなかったけれど、その続編はそれ以下のつまらなさだったかもしれない。

ゴジラは相変わらず何故他の怪獣と戦うのか?何故人間側についている感じなのか?とかはよく分からず、芹沢博士も相も変わらず「ゴジラは人間の味方」「ゴジラは自然の調和を取る」とかそれが何故なのかの理由も説明も無いままに押し切り、あれだけ町を破壊し人々を殺しまくっているにも関わらずゴジラを良い者にしたがる芹沢博士は終始ゴジラ狂信者にしか思えずついて行けず。
しかも、キングギドラや他の怪獣を復活させて町を破壊させて人々を殺して世界を浄化!と言っている敵側と、ゴジラが世界を救う!と言う芹沢博士が言っている事ややっている事が大して違わないので主人公側の正義の人であるはずの人物に共感出来もしないままで話が進んで行ってしまい、更に息子を殺されてゴジラを憎み、それでも何とか生きて来たマーク・ラッセルが何だか理由もよく分からないまま芹沢博士に共感して「ゴジラは良い者だ!」となって、誰にもついて行けず。

モナークの人々って、大勢の生死よりも怪獣様を信じなさい!ってこんな人間ばかりだから、そりゃあ世界各地が壊滅するよなぁ。
もしかしてこれって、自然や科学技術の脅威に対して馬鹿が管理するとトンデモない事になるよ!トンデモない被害を出した馬鹿でも称えれば英雄だよ!って言う皮肉なんだろうか?
だとしたら、この映画後の新型コロナ禍の日本や世界を予知していて凄い…という訳じゃあないか。

怪獣に関しても、ゴジラは前作から登場していたので飲み込めはしたけれど序盤のキングギドラが出て来た所で一気に安っぽくなって白けてしまった。
わたしは昭和ゴジラシリーズは全部見て、その時はその時代性や子供向け怪獣映画として怪獣も「まあねぇ」で受け入れられたけれど、これだけお金をかけて、結構大人向けにしている内容であの造形のキングギドラが出て来て、更に宇宙怪獣という話まで出て来るとどうしても安っぽ過ぎて駄目だった。
見て行くとゴジラとモスラが共闘したり、他にも怪獣が出てきたりと、ああこれは昭和ゴジラシリーズの中期以降の怪獣集合の怪獣プロレスをやっているのかと分かり、そのパロディ的な映画としてならおもしろい?のかもしれないけれど、それでもパロディ的ではなく多分真面目に大人も見れる大作映画として作っているのだろうと考えると結構きつかった。
もう、最後の方は出ている役者が真剣に演じれば演じる程何だか気の毒になってしまった。
モンスター・ヴァースとしてまだまだ続編は作る気だろうに、この早い段階でモナークの中心人物だった芹沢博士が死んでしまった時には「ああ、渡辺謙、これ以上やっても損すると思ってこのシリーズに見切りをつけたんだろうなぁ…」って思ってしまったし。

その渡辺謙は一作目でも思ったのだけれど英語が下手なので演技が下手に見えてしまう。
これって、日本人役だからわざと下手な英語と言うかディフォルメした日本人英語で喋っているんだろうか?
そうだとしたら例えばアメリカ人が英語で喋っている時は普通の演技なのに多分その場の指導で覚えた下手くそな日本語で喋ると一気に演技が下手にしか見えなくなるのと同じで、演技よりもまず英語でしょと思い続けていた。

怪獣部分もこの真剣な雰囲気を作っておいてゴジラが熱線吐いたり、キングギドラが雷線吐いたりしたら見た目の派手さはあるけれど子供向け昭和ゴジラシリーズと何が違うの?で雰囲気はどっかに行ってしまうし、キングギドラが謎能力で他の怪獣を制御したり、キングギドラに勝ったゴジラに他の怪獣が跪くとか、もう白けまくり。
やるんだったらキングギドラはM宇宙ハンター星雲人が操っていたとか、サングラスをかけただけの伊武雅刀が「私がX星人です」とか言わせないと流石に笑えもしない。

あと、音楽もよくなかった。
オリジナルの伊福部昭のゴジラのテーマの編曲版が使われていたけれど、何で二作目からで急にだし、使うなら一作目でだしでゴジラのテーマが流れて来ても燃えなかったし、怪獣大集合なんだから怪獣大戦争マーチの方だろとも思ってしまった。
モスラの歌も出て来たけれど、わざわざ双子設定なんだからチャン・ツィイーに「♪モスラヤ~モスラ~ ドゥンガンカサクヤン インドゥム~」って歌わせないと。

この映画、人間側は誰にもついて行けずに置いてけ堀で、全体的に真剣な雰囲気なのに怪獣達のノリだけは昭和ゴジラシリーズなのでチグハグ。
怪獣プロレスも物足りずで結局何も楽しめずにお終い。

☆★★★★
 
 
関連:ゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版
   ゴジラの逆襲
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   ゴジラ FINAL WARS
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LOOPER/ルーパー

2022年11月14日 月曜日

ライアン・ジョンソン監督・脚本、ジョセフ・ゴードン=レヴィット製作総指揮・出演、ブルース・ウィリス出演の2012年のアメリカ映画「LOOPER/ルーパー(Looper)」

2044年のカンザスではルーパーと呼ばれる殺し屋がいた。
30年後の未来ではタイムマシンが開発されたが法律で禁止されて犯罪組織だけがタイムマシンを使っており、その犯罪組織は殺したい人間を未来から2044年に送り込んでルーパーが殺害し、ルーパーは送り込まれた人間に付けられた銀を報酬としていた。
ある日、ルーパーの一人が未来から送られて来た人間を殺そうとするが、その送られて来た人間が未来の自分だと分かって殺す事を戸惑って逃がしてしまった。
標的を逃がした為にルーパーの組織から命を狙われるルーパーが、仲間であるルーパーのジョーの下へとやって来て、かくまって欲しいと頼んで来たので仲間をかくまったジョーだったが、組織に説得されて仲間の居場所を教えてしまった。
ジョーは仕事に戻り送られて来る人間を待っていたが時間通りに送られて来ず怪しく思うが暫くして現れた人間に反撃されて逃がしてしまった。
その逃がした人間は未来の自分だと気付いた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、タイムトラベルモノ位の前知識だけで見てみたのだけれど、この映画って多分話の中心軸となる部分を先に思い付いて、それを実現する為に他の設定や物事を付け足して行ったからよく分からない部分と言うか詳しい説明したら成り立たないからあえての無視やほったらかしが多いんじゃないかと思える内容で、この一々の疑問で引っ掛かってしまったり、中盤以降の何じゃそりゃな展開で終始乗って行けなかった。

タイムトラベルモノって、相当細かく設定や展開を作らないと矛盾が多くなるけれど、この映画はそこら辺は非常に曖昧にしかなっていないので、良い風に言えば想像の余地なんだけれど、単に有耶無耶で「?」ばかり。

未来でタイムマシンを幾ら法律で禁止したからと言って、それを全員が律儀に守り、唯一の犯罪組織だけがタイムマシンを使っているとか便利設定。
タイムトラベルの移送後は場所も時間も非常にキッチリ指定出来て人を送り込めるなら確実に殺せる溶鉱炉とかに送ればいいのにそういう事は思い付かないのかせず、何故か三十年前に送って人に殺させるという不便さかつ不確かさを取る理由が分からない。
ここら辺はそうしないと未来の自分がやって来れない、逃げ出せないという展開の為だけなんだろうけれど…。

そこら辺までは、まあそうなのかぁ…で見てはいたけれど、主人公の未来の年取った主人公がブルース・ウィリスという時点で一気に白けれてしまい、そこから集中力が続かない。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットが二十数年経つとブルース・ウィリスになっているとか最早コメディ。
何故この二人が同一人物?
パッと見ただけでもジョセフ・ゴードン=レヴィットは顎が割れているのにブルース・ウィリスは割れ無しで全然違い、その違い分かった所から顎ばかり見てしまった。
未来の主人公は何か犯罪で揉めたから整形手術したとかならまだ分かるけれど、そういう描写も無いし。
多分、映画の興行とか宣伝的な部分でブルース・ウィリスを配役したから仕方ないのでブルース・ウィリスが未来の主人公にせざるを得ないという事になってしまったのかなぁ?
この話なら未来の主人公もジョセフ・ゴードン=レヴィットが老けた特殊メイクでないと成立しないのにブルース・ウィリスって余りに酷い。

その後の主人公と未来の主人公の話になって行くけれど、現在の主人公の行動で何故か未来の主人公の体の傷等が出来たり、それだけでなく記憶も変わるんだったら主人公と未来の主人公が出会った時点で未来の主人公の過去が全く別のモノになるのだから一瞬で記憶がなくなったり、未来の主人公は過去に自分を殺した歴史を歩んだのだからその歴史が無くなり、その未来の世界が存在しなくなった未来の主人公は消えるんじゃないの?とか思ったけれど、やっぱりそれもそうしてしまうとこの話が成り立たないから深く触れずに誤魔化したのだろうなぁ。

その未来の自分との話になって行くのかと思いきや主人公が農場に行き、そこから急に女性との関係をまったりやり始めて更に飽きてしまった。
これは結末を描く為に必要だとは言え結構退屈で、そこから急に「オーメン」っぽくなったり、「キャリー」っぽくなったり、始めに説明は入っていたものの、タイムトラベルモノのSFから超能力ファンタジーになってしまって一体何を見ているんだろうか?感で大分飽きていた。
超能力はタイムマシンと何か関係があって現れたのかと思っていたけれど特に何の関係も無く、単に超能力を使える人が急に現れました…というだけって乱暴だし、これも結末に必要だからという都合の良さしかない。

色々考えてみたけれど、この映画の理屈では現在が変わると現在の未来から来たモノも変わってしまうのだから、最後に未来から送られた銀がそのままあったので未来の犯罪組織はそのままで、結局未来は大して変わってないんじゃないの?と思ったら良い話風で終わっても全部が何も意味が無かった様な気がしてならないし、過去を知っていて対処も出来るのにわざわざルーパーに未来の自分を殺させるのは何か意味があって、そこら辺が未来に繋がるのかと思いきやそうでもないみたいで、結局思い付いた流れと落ちをやりたいだけなので色々適当なんだろうか?

この映画、演出や雰囲気や編集で見れはするけれど一々引っ掛かる事が多く、それの説明も無く「タイムトラベルは複雑」でぶん投げてしまう上に、SFの土台を作って置きながら原因も無い便利な超能力というファンタジーをやってしまうので、最後に来ての台無し感で乗っかっては行けず、更に未来の主人公がブルース・ウィリスという製作の都合だけの強引過ぎるやり方にも、まあ乗って行けずで、作り手としては「細かい事は気にするな それ ワカチコ ワカチコ!」なんだろうと思うと真剣に見るだけ無駄の様な気がしてならなかった。

☆★★★★

フライト・ゲーム

2022年10月21日 金曜日

ジャウム・コレット=セラ監督、リーアム・ニーソン主演の2014年のアメリカ映画「フライト・ゲームNon-Stop)」

酒に依存しながらアメリカ航空保安官の仕事を続けているビル・マークスは航空保安官としての仕事でニューヨーク発ロンドン行きの飛行機に乗った。
離陸後暫くするとビル・マークスの携帯電話に誰からからメッセージが入り「口座に1億5000万ドルを入金しなければ二十分毎に乗客を殺して行く」と書かれていた。
ビル・マークスはこのメッセージを疑いながらも航空保安官の身分を隠しながらメッセージを送った犯人を捜し始めた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、リーアム・ニーソンが出ている飛行機内での密室モノ位の前知識で見てみた。
始まりで主人公のリーアム・ニーソンが酒を飲んでいたり、娘の写真を見ていたりと、安全を守るはずの航空保安官が駄目な奴という設定が出て来た時点でこの王道な設定、悪く言ってしまえばベタ過ぎな人物設定で大丈夫?と入りの期待が低かったからか、最後までワクワク、ハラハラで飽きさせずに見せ切る映画で中々おもしろかった。

この手の飛行機内だけでの話はテロリストが機内を牛耳って主人公と数人が頑張るか、主人公が乗客に気付かれずに一人で頑張る様な展開が多い中、その部分もありつつも初めに見せた駄目な主人公という設定を使って犯人の仕掛けによって主人公に問題があって主人公がテロを起こそうとしているのでは?と周りの人々に信じ込ませるという展開に持って行き、本来なら皆で協力し合う時なのに主人公が窮地に追い込まれて行くという状況になるのが上手い。
これって、初めに主人公が酒を飲んでいたり、主人公目線の映像がスローになったりぼやけていたりしたから本当に主人公自身が何を考えているのか分からない信用できない語り手として主人公がテロリストの可能性もあるのでは?と観客に見せる意図かあったのかと思ったけれど、主人公は完全に正義の人としか描かれないのでそこはなかったのか。

乗客達は誰もが怪しく思えるのだけれど最終的に皆が協力する展開は結構熱かったし、こういう展開は好き。

密室サスペンスとして結構おもしろかったけれど曖昧と言うか、お座なりな部分もあって、後から思うといまいちな部分も。
序盤から携帯電話でのメッセージの文章のやり取りを空中に見せて主人公の表情と行動を文章と共に見せる位しっかり描いて見せていたのに、犯人側がどうやってメッセージを送っていたのかは全然描かれず。
主人公達が乗客の行動を見張っていたけれど、犯人が二人だからどちらかが隙をついて送っていたという事なんだろうか?

犯人が二人だったけれど、一人は飛行機の爆破が目的で、もう一人は金が目的だったので飛行機から逃げ出すつもりなのに逃げれないとなるとそりゃあ揉めるし、初めから一番大事な所で揉める計画って問題ありじゃない?
それに、何故犯人達は主人公のこれまでを詳しく知っていて狙いにしたかとか、何故もう一人の航空保安官も問題があるのを知っていて、何故その二人が同じ飛行機に乗るのを知っていて、何故事前に二人が乗る飛行機のトイレの壁に細工して穴を開けられているのかとか、説明しない部分が結構あって、説明しないのは作り手側の都合の良さで結構覚めてしまった。

それと機長を殺した意味もいまいち分からなかった。
コクピットは密室なので主人公に疑いがかかる訳でも無いし、機長がいなくても副操縦士がいるので操縦は問題無いし、一瞬だけ副操縦士に疑いを向ける為だけという事?

役者は、リーアム・ニーソンはまだ五十歳位までは演技派という印象だったのが歳を取ってからアクション俳優になった印象で、この映画ではサスペンスが中心ではあるもののリーアム・ニーソンのアクションも所々に入り、正にアクション俳優のサスペンス映画。
最後に犯人に向けて後ろ飛びで銃を撃つ場面の見せ方とか笑ってしまったし、主人公の六十代でのこの強さの驚きもそうだったけれど、それよりも文章を打つ早さの驚きの方が大きかった。
ジュリアン・ムーアは他の映画でもそうでもなかったけれど、この映画のジュリアン・ムーアは何か良かった。

この映画、後から思うと色々いい加減で都合のいい部分もあるけれど、飛行機内だけの密室サスペンスとしては原題が「Non-Stop」という様に次々と展開して行って最後までおもしろく見れました。

☆☆☆★★

チャッピー

2022年10月14日 金曜日

ニール・ブロムカンプ監督・脚本の2015年のアメリカ映画「チャッピー(CHAPPiE)」

2016年。南アフリカのヨハネスブルグの警察は多発する犯罪に対して兵器会社テトラバールが開発した人型の人工知能搭載ロボットであるスカウトを導入して犯罪を減らしていた。
スカウトを開発したディオン・ウィルソンは更なる人工知能を開発しており、新しいプログラムをインストールしようと攻撃を受けて廃棄処分となった1体のスカウトを会社から密かに持ち出した。
そこに金で困り大金を盗み出す為に邪魔なスカウトを停止させる方法を知っていると思ったギャング達がディオン・ウィルソンを誘拐。
しかし、スカウトを停止させる方法が無いと知ったギャング達はバラバラになったスカウトを見付け、ディオン・ウィルソンに組立てさせた。
ディオン・ウィルソンはそのスカウトにプログラムをインストールするとスカウトはまるで人間の子供の様な反応を見せながら学習を始め徐々に自らの考えも言葉で話す様になった。
そのスカウトをチャッピーと名付けたが自分達の為に犯罪をさせようとするギャング達は創造性を見せたチャッピーを育てたいディオン・ウィルソンを追い出してチャッピーをギャングとして育て始めた。

この映画はニール・ブロムカンプが2004年に作った二分弱の短編映画「Tetra Vaal」を基に長編化した映画なんだけれど、確かわたしはこの「Tetra Vaal」を何時か、大分昔に見たはずで、その時この「Tetra Vaal」の雰囲気が物凄く良く感じて、これが長編だったらおもしろそうと思ったのを覚えていて、それから多分十数年後に見てみた。

この映画は人間っぽい人工知能を描いていて人工知能と人間という古典的な題材をちゃんと現代で描いている中々おもしろい映画ではあったのだけれど、チャッピーを人間的に、感傷的に描き過ぎていて違和感を感じたり、ニール・ブロムカンプの映像や描いている題材の雰囲気は結構好きなのに「エリジウム」でもあったハリウッド映画的展開や盛り上げに白けてしまう部分もあったりで微妙な所もあった。

チャッピーは基本的に良い奴で、本当の親は創造性を信じるエンジニアなのにギャングに育てられてしまった、まるで貧しいけれど真っ直ぐに育てたい良い母と暴力を振るい悪い道に引きずり込む父親のいる家に里子に出された人間の子供を描いている様な話で、ロボットではあるけれど共感し易く作ってあり人工知能を見せるのには非常に上手いと思った。

ただ、そういう事を描きたいが先にあるのでチャッピーがやたらと人間的である必要があるのは分かるし、ディオン・ウィルソンがそういう人工知能として作ったと言われればそうなんだろうけれど、プログラムとしての人工知能が人間的と言うか、共感させようとする狙いが見えてしまってどうにも乗って行けず。
チャッピーの初めの子供みたいな反応って、まっさらな人工知能にしては人間的で、その後の反応も何故か人間の子供的な興味や優しさがあり、何故銃は怖がるのに投げ物は喜んでいるのか?の理由は無いし、ディオン・ウィルソンが作ったから彼の言う事を守る理由がよく分からないとか、全ての学びが余りに間を飛ばして一を聞いて千や万を知るになっていて都合良く感じてしまった。
子供から思春期に至る子供をチャッピーでやるのは分かるけれど、もう少しその過程を描いて欲しかった。

人間側も描きが少なく、ディオン・ウィルソンは最後あんまり戸惑いも無くあっさりと変化を受け入れていたり、ニンジャのチャッピーに対する感覚がいまいち見えて来なかったり、ヒュー・ジャックマンは何でそこまで自分の研究にこだわっているのか?とか、全然採用されないムースを研究し続けられている理由とか、何か人間の描きが足りない様に感じてしまった。
「エリジウム」に続けてシガニー・ウィーバーが出ているんだけれど、わざわざシガニー・ウィーバーが演じているので何かに絡んで来るのかと思いきや特に何かをする訳でも無い脇役でしかなく、この役が別にシガニー・ウィーバーである必要が全然無かったのも「?」だった。

終盤までは人間の様になって来た人工知能と人間の関係を描いていたのに、終盤になるとチャッピー対ムースの銃撃戦という、まさにハリウッドのアクション映画でよくある最後に主人公と敵のボスの一対一の殴り合いで決着をつける見せ場の為のアクション場面みたいな事をするので急に醒めてしまい、しかもムースの操作に人間の意識とか必要無さそうなのに人間の頭の外のヘルメットから人間の全意識を収集してデータ化出来る超技術が登場し、まだプログラムの人工知能のチャッピーのデータを解析するのは分かるとしても人間の全意識を一瞬でデータ化してとんでもない量になるはずのそのデータを一瞬で容量の限られたロボットの記憶媒体に入れて、そのデータでロボットを動かすとか、もうやり過ぎで一気に醒めてしまった。
この最後は思い付いたオチの為に大分やり過ぎてしまった感じ。

ただ、ニール・ブロムカンプの映画って何時も最後ハッピーエンド風だけれどそうではない、怖い感じで終わるのはおもしろいと思う。

この映画が描いている人工知能と人間とか、ロボットによる治安とかって、そもそもの一番の問題はテトラバールの緩々なガードキーの管理なんじゃないかと思ってしまった。
ガードキーでスカウトを無線で操作出来ているのに外部からのハッキング等が不可能なのは都合が良過ぎるけれど、町中の治安もそうだし、暴走したり誤作動があるだけで人に危害が及ぶスカウトは絶対に外部から侵入されてはいけないのに会社内部では何重のセキュリティチェックもせずに持ち出しは簡単に出来るし、持ち出しても明日までに返さないと上司に報告するだけとか、ここの会社の管理がザル過ぎるのが何より問題。
だからチャッピーは勝手に作れちゃうし、会社は終わりだろうし。

この映画、やりたい事や見せたい事は分かるのでここに乗って行けたらおもしろく見れるんだろうけれど、色々引っ掛かってしまうともっと脚本を詰めて欲しかったと思ってしまった。

☆☆★★★

ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門

2022年09月12日 月曜日

ジョン・ウー監督・脚本・出演、レオン・タン主演の1976年の香港映画「ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門(The Hand Of Death)」

清の時代になると清は少林寺を弾圧し始めた。
少林寺で拳法を学んだシー・シャオフェンは少林寺を裏切って清側につき、少林寺の門徒達を次々と殺して行った。
逃げ延びたユン・フェイは拳法を学び、清を倒す為に動いているチャン・イーを助け、シー・シャオフェンを倒す為にある村へと赴いた。
その村ではシー・シャオフェンの部下達が暴れており、ユン・フェイは彼らに兄を殺された青年や愛する女性を死なせてしまった剣士を味方に付けてシー・シャオフェン一味と戦おうとする。

この映画は映画自体はそんなにおもしろくはなかったけれど、色んな部分でびっくり。

まず、題名に「ジャッキー・チェンの」と付いているからジャッキー・チェンが主演かと思って見たのにジャッキー・チェンは脇役で主役は別にいる。
しかも、若い時代のジャッキー・チェンは目が小さいと言うか、腫れぼったいと言うかで、これ本当にジャッキー・チェン?と思ってしまう位その後のジャッキー・チェンの顔とは何か違う。
ただ、演技やアクションはジャッキー・チェンなので少し引いた映像だとジャッキー・チェンと分かるけれど、顔に寄るとジャッキー・チェン?となってしまう不思議な感じ。
ジャッキー・チェンのやられた時の痛がる顔芸はこの頃からだったのは感心。

主人公演じるレオン・タンは小柄でほとんどの役者から頭半分位背が低く、しかも体も小さいので強い主人公感が無い。
アクションも変な間があったり、いまいち迫力に欠け、若いジャッキー・チェンの方が上手い気がした。

サモ・ハン・キンポーが敵役で出て来るのだけれど、初めは凶暴な無法者だったのが暫くすると主人公の力を認めて気に入り仲間に誘い出して単なる悪い敵ではなく、少し頭の悪い情のある乱暴者というジャイアンみたいな可愛らしさが出て来た役だったのはおもしろかった。
サモ・ハン・キンポーは分かりやすい悪役の象徴として少し出っ歯の入れ歯を付けているのが昔の香港映画感が溢れている。

見ていて気付かなかったけれど後から調べて知ったのが、ジャッキー・チェンとサモ・ハン・キンポーだけでなくユン・ピョウも出ていたのにもびっくり。
何処で出ていたのか気付かなかったのでザっと見直してみたら、シー・シャオフェンが弓の練習している場面でお茶を出して矢で射抜かれる役がユン・ピョウだった。
この役が何処の回し者だとか、シー・シャオフェンを暗殺しようとしていたのは誰とか一切振りも無いし、その後も触れられずで無理矢理入れた様な場面ではあった。

更に後から調べて知って一番びっくりしたのはこの映画の監督がジョン・ウーだと知らず、しかもジョン・ウーは主人公達が守ろうとしたチャン・イー役で出演までしていた事。
そう言えば、脇役の背景を長く描いたり、大事な人を殺されての復讐で戦うけれど次々と死んで行く仲間のハードボイルド感とかってジョン・ウーっぽさなんだろうか?と思ったけれど、この時ってジョン・ウーが自分で役者までしていたのか。
ジョン・ウーって歳を取ってからの姿は何となく知っているけれど、この時29歳で、若い時って結構痩せていて精悍な感じだったとは知らなかった。

話は、悪い敵を倒そうとする主人公が単身敵地に乗り込んで多勢に無勢で逃げ帰って敵を想定した修練を積んだり、哀しい過去を持つ特徴のある仲間を集めて、更に主人公用の対ボス戦の武器を作ったり、鈍らになった剣士の剣を研ぎなおし、八虎将や二人の隊長と戦い、最終的に主人公とボスの一騎打ちとなるという非常に熱い設定や展開なのに何故かあんまりおもしろくない。
今見てしまうからの間延び感を感じてしまう部分はあるのだろうけれど、アクションがいまいちおもしろくないのが大きいのだろうか?
ジョン・ウーがまだ若手でカンフーの見せ方が上手くないのかと思ったけれど、ジャッキー・チェンのアクション部分は結構おもしろかったから主人公役のレオン・タンとボス役のジェームズ・ティエンの二人が何かいまいちだったのかもしれない。
最後の一騎打ちは展開としては盛り上がるはずなのにしょっぱさも感じてしまった。

この映画、日本では劇場公開していないみたいなので、その後のジャッキー・チェン人気で世に出せたと思われるのでこの題名も仕方無いのかなとは思う。
話自体は何だか盛り上がらずで大しておもしろくないけれど、若い脇役のジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーを見るにはおもしろかったし、同じく若い時のジョン・ウーの監督映画としてやジョン・ウー自身の出演作として見ると、その部分では楽しめた。

☆☆★★★

ダークナイト ライジング

2022年08月31日 水曜日

クリストファー・ノーラン製作・監督・脚本、クリスチャン・ベール主演の2012年の映画「ダークナイト ライジングThe Dark Knight Rises)」
ダークナイト トリロジー三作目。

前作から八年。
ハービー・デントの犯罪が隠されたままハービー・デントを犯罪撲滅の象徴とし、デント法を施行した事によってゴッサム・シティでは犯罪が減っていた。
一方ブルース・ウェインは人目を避けて暮らし、バットマンも八年間現れていなかった。
ある日、ブルース・ウェインの屋敷に泥棒が入り、その泥棒はセリーナ・カイルで、彼女の目的はブルース・ウェインの指紋を手に入れる事だと判明。
その指紋を悪用してブルース・ウェインを貶めようとしたウェイン産業の役員が依頼しており、更にはベインと呼ばれている傭兵がゴッサム・シティの地下で暗躍し始めた。
危険を感じたブルース・ウェインは再びバットマンとなりベインの計画を探り阻止し始めた。

Amazon プライムビデオでダークナイト・トリロジーの配信が終わりそうで、確か以前に一作目の「バットマン ビギンズ」を見たはずだったけれど、それ以降は見た記憶が無かったので、一作目、二作目と見たので続けて見てみた。
前作がやたらと評判が良過ぎるの知ってから見た反動でそれ程はまらなかったけれど結構おもしろくはあったので、その続編なのである程度期待して見てみたけれど一作目と二作目を合わせて焼き直した様に思えてしまって全然だった。
一作目と同じ影の同盟が何だかよく分からない理由でゴッサム・シティを破壊しようとするという展開と、二作目でのジョーカーが常に先手を取ってバットマンや警察を翻弄し続ける展開をこの映画でも同じ様にしていて既視感ばかりを感じて全然乗って行けず。

一作目の時からラーズ・アル・グール率いる影の同盟がやたらとゴッサム・シティを壊していたがったけれど、この理由が全然ピンと来ず、今回もベインが同じ様な事を言って同じ様な事をしているので、やっぱりピンと来ず。
ラーズ・アル・グールのゴッサム・シティが悪に溢れかえり堕落した街だから破壊すると言うのもよく分からなかったけれど、今作のゴッサム・シティって犯罪が減って大分上向いているんじゃないの?と思ったら、ベインは金持がどうのこうのの話をして、とにかくゴッサム・シティの破壊が前提で話が進むので終始ベインに乗って行けず。
結局このベインの理屈や説教は何の意味も無く、惚れた女性がラーズ・アル・グールの娘タリアで、タリアは父親の復讐の為にゴッサム・シティを破壊したかったからベインはゴッサム・シティを破壊しようとしただけなので、最後になって話が非常にしょうもなくなってもいて更に乗って行けず。
この最後にミランダ・テイトが実はラーズ・アル・グールの娘タリアでしたというのも途中でラーズ・アル・グールの息子がベインでは?というミスリードが入るのだけれど、アメコミのバットマンを知っていると「流石にラーズ・アル・グールの息子がベインとか無茶し過ぎでしょ。」「ラーズ・アル・グールの子供ってタリア・アル・グールじゃん…?」となって、最後のどんでん返しまで何となく気が付いてしまうし、この身近な仲間が実は黒幕でした…って、ハリウッド映画はどれだけこの擦られまくってしょうもない展開が好きなんだろうかで大分興ざめ。

ベインの行動も、二作目で感じた常に悪者が様々な情報を持って先手を打って準備し行動し、ほとんど悪者の思い通りに進んで、バットマンと警察は間抜けかの様にもてあそばれて最後に逆転するという展開が似ていて既視感だし、これがどうにも乗って行けずで、結局はバットマンがボコボコになって、そこから立ち上がるという、正に「人はなぜ落ちるのか。這い上がるためだ」という言葉を見せる為の展開で、それを見せる為が先行しているのが気になり過ぎて乗れないまま。
ゴッサム・シティの全警官を動員して生き埋めにされる展開は流石に笑ってしまったし、あれだけ各地で多くの爆破物を仕掛けているのに誰も気付かず成功するとか、二作目のジョーカーの時もそうだったけれどゴッサム・シティの人って本当に大量の爆破物を気付かないんだよね。
そのゴッサム・シティの人々って二作目の時は市民によって正義が行われる事を信じても良いという話になっていたのに、この映画では爆弾で脅されているとは言え、ベインがゴッサム・シティを支配した後に抵抗してるのは小規模の警察だけで市民の抵抗が一切無いとか、この「市民なんて結局こんなもの。正義を行うのは警察とバットマンだけ」になってしまっていたのが物凄くガッカリだった。

このベインが簡単にゴッサム・シティを掌握出来たのって都合良過ぎるなぁ…と思っていたけれど、これ何でなんだろう?と思って少し腑に落ちたのは、多分「No Man’s Land」をやりたかったからなんだろうと思ったから。
「No Man’s Land」はバットマンの話の中でも有名で、地震で崩壊したゴッサム・シティを隔離して数か月でゴッサム・シティがヴィラン達の支配下となり、バットマンは現れないって、この映画の展開と似ている。

それに終盤でベインが支配しているのにブルース・ウェインが怪我してバットマンが現れない、何だかまごついて結構退屈な場面とかも「Knightfall」をやりたかったからなはず。
「Knightfall」も有名な話で、正にベインによってアーカム・アサイラムの収容者を全員解放し、バットマンを弱らせて襲って背骨を折って活動出来なくさせて、そこからバットマンが復活して来るという話だったけれど、これまで独自路線のオリジナル要素が多かったダークナイト・トリロジーで最後の三作目で急にアメコミの話を多用したり話の軸にしたのって何でだろ?

ベインもアメコミだとバットマンの背骨をへし折った強敵として有名ではあるけれど、いざ実際に実写化するとヘンテコなマスク付けてアフレコの様な加工した声で話す、とにかく肉弾戦のマッチョマンの感じがしょっぱくて何だかなぁ…な感じだったし、どうでもいい演説が非常にウザかった。
本来ならいよいよバットマンとベインの直接対決で一番の盛り上がり所となるはずの市庁舎前での対決が、周りは大勢過ぎる警官達と囚人達の殴り合いはコントっぽいし、しかも昼間のバットマンはやっぱり珍奇なコスプレ野郎にしか見えずでしょっぱい感じで笑えてしまった。
それに、話はずっとバットマン対ベインで煽っておいたのに、最後は突然セリーナ・カイルが現れて銃をぶっ放して、ベインは死んだの?どうなったの?も分からないままで終わって、急に黒幕になったタリアの方に話が移行するのでベインが実は当て馬だったと分かって尻すぼみ感が半端無かった。

あと、気になったのはバットマンの正体を知っている知らない問題。
二作目がバットマンの正体は誰だ?が話の重要な要素になっていたけれど、今作では大分バットマンの正体が結構な人にばれていて、ジョン・ブレイクが自分も孤児だから見ぬけたという大分無茶な理由でブルース・ウェインだと見抜いたり、セリーナ・カイルはブルース・ウェインを破滅させる情報を売っていて信用なんてあったものでもないのに何故か信用して正体もバレるのは気にしていなかったり、影の同盟側は正体を知っていて、だけれど世間にはばらさないとか、何よりあれだけ身近で行動を共にしている勘の鋭いはずのジェームズ・ゴードンがバットマンの正体に最後まで全く気付いていなかったとか何の冗談?だった。
バットマンの装備や乗り物があれだけ金かかっていたり超技術なのに資金力や技術力を考えてブルース・ウェインでは?と言う話が一切出て来ないし、ブルース・ウェインが引きこもって表に出て来なくなったらバットマンも消えてしまったのに誰も怪しまないとか、やっぱりゴッサム・シティの人々って馬鹿なんじゃないかと思ってしまった。

それと時間のいい加減さも。
最後核融合爆弾が爆発するまで後一分位なのに、ザ・バットに爆弾引っ張らせて海の沖合まで行くのに一分以上かかっているのに都合良く爆発しないとか、途中でも昼間で明るかったのに数分後には真っ暗な夜になっていたり、夜だったのが急に朝になったりと時間の扱い方が結構いい加減だった。

この映画、最後のこの後も続く様な締め方は好きでシリーズを締めるには上手い終わりだったのだけれど、一作目と二作目を足した焼き直し感を感じて結構飽きてしまったし、ベインの魅力も無いし、シリーズを通してそれまで正義だ悪だ、バットマンのその後をどうするのかをやっていたのに、結局バットマン万歳!で後継者の一人のヒーローが誕生する可能性だけで終わるのってどうなの?とは思ってしまった。

☆☆★★★
 
 
関連:バットマン ビギンズ
   ダークナイト

ダークナイト

2022年08月29日 月曜日

クリストファー・ノーラン製作・監督・脚本、クリスチャン・ベール主演の2008年の映画「ダークナイトThe Dark Knight)」
ダークナイト トリロジーの二作目。

ブルース・ウェインはバットマンとして活動し始めた事で汚職が蔓延るゴッサム・シティの中でもゴッサム市警のジム・ゴードンがバットマンに協力し、検事のハービー・デントも犯罪撲滅に熱心になり、徐々に犯罪者達が捕まり始めていた。
そんな中に謎の犯罪者ジョーカーが現れてゴッサム・シティのマフィア達の金を盗み出した。
対策を話し合うマフィア達の元にジョーカーが現れ、マフィア達が追い詰められ始めている元凶であるバットマンを殺すので金をよこせと要求して来た。
マフィア達がジョーカーの提案を受け入れるとジョーカーはバットマンが正体を明かすまで市民を殺し続けると脅迫し出した。

Amazon プライムビデオでダークナイト・トリロジーの配信が終わりそうで、確か以前に一作目の「バットマン ビギンズ」を見たはずだったけれど、それ以降は見た記憶が無かったので、一作目から続けて見てみた。
世間ではこの映画が傑作だとやたらと評価が高いのを知っていたので異常な程に期待が高かったり、こっちもどんなもんだ?と構え過ぎて見てしまったからか、確かにおもしろかったけれどそこまでなのかとも思ってもしまって、わたしの中では結構微妙な所になってしまった。

一作目よりもブルース・ウェイン周りの人間をじっくりと描き、特にジェームズ・ゴードンやハービー・デントが良い者側の主人公じゃないかと思える位に描き、そこに正にジョーカー的に神出鬼没であらゆる事が自由自在のジョーカーという強烈な悪役が出て来てバットマン対ジョーカーの映画としては非常におもしろかった。

そのジェームズ・ゴードン、ハービー・デント、ジョーカーが強烈な分だけブルース・ウェインやバットマンの存在が薄くなり、バットマンは活躍しているけれど見終わると何かバットマンの印象が薄い感じで終わってしまい、強烈な主人公バットマンの映画と言うよりも群像劇感でバットマンが物足りない気がした。

それに、この映画がジョーカーが常に先手を打ってかき乱すという映画なので当然なんだけれど、「ジョーカー出て来る → 皆で追いかける → ジョーカー逃げ切る」とか、「ジョーカー捕まる → ジョーカー逃げる」という展開が結構続き、これだと「バットマンや警察側がやりました!」の展開の次に「バットマンや警察側がやられました…」の展開になってバットマンや警察側が間抜けに見えて来てしまったり、ジョーカーがやたらと用意周到過ぎで、実行には大勢の人が必要だったり、時間をかけないと無理だろという事も短時間で出来てしまっている展開の為の都合の良さがどうにも乗って行けない部分だった。
流石に建物が倒壊する位の大量の爆薬を病院に仕掛けているのに誰一人として気付く事無く爆破成功させていたけれど、爆破という派手な映像やジョーカーを見せる為の見せ場として必要だとしても、ちょっと見せ場の為の都合の良さを感じてしまって結構白けてしまったし。
元々わたしが他の映画やドラマでも行っちゃってる犯罪者が常に先手を取って、賢いはずの主人公側の人々が翻弄されまくるという展開になると物凄く醒めてしまうからというのもあるんだけれど、このジョーカーの感じは終始乗っていけなかった。

後から思い返すと香港でのやり取りって展開上別に必要無かったのでは?と思ったけれど、これってバットマンの見せ場が少ないからバットマンを見せる為に入れたのかな?とも思った。

あと不満だったのが、ヒース・レジャーのジョーカーは行っちゃってるヤバさは抜群なんだけれど、ジョーカーなのにジョークは言わないし、変なブラックユーモア的な事をしない終始真面目なジョーカーだった事。
だったら別にジョーカーでなくともよくない?と思ってしまった。
ジョークだったらアルフレッド・ペニーワースの方がジョーカーだったし。

笑ってしまったのがバットマンの方で、バットモービルで頑張らないといけない時に運転席が前の方に潜って行って、そっちの方が運転し辛いんじゃないの?と思う変形マシン感とか、そのバットモービルが大破すると中から無傷でバットポッド出て来たりとか実用感は無い無駄に凝っているのが最早ふざけてる様に思えてしまったし、犯罪者には強いのに犬に何度もやられまくるのには笑ってしまい、特に何度も犬にやられるって何か意味があったのかしらん。
ジョーカーの捕まって逃げる展開とか、この犬にやられるとか、一作の映画内で何度も同じ事を繰り返すのって何の必要性なんだろうとずっと考えてしまった位必要無い天丼に思えた。

それと一作目に続きスケアクロウになってしまったジョナサン・クレインも出て来たけれど、これではただの薬物の売人になってしまっていて、結局一作目のジョナサン・クレインが何をしたかったのかとかはよく分からないままだし、一作目でお座なりな退場だったので続編でけり付けましたよ的に逮捕されて終わりというちょっとの出演にも笑ってしまった。

もう一つ不満だったのが、レイチェル・ドーズ。
役者が一作目のケイティ・ホームズからマギー・ジレンホールに変わっていて、役者の降板は仕方ないとは言え流石に続編で別人はキツイよなぁ。
一作目でのケイティ・ホームズが結構酷評されたらしく、ゴールデンラズベリー賞で最低助演女優賞に入れられてしまった位だったから首切れたのかなぁ?
だけれど後任のマギー・ジレンホールが良いという訳でもなく、このレイチェル・ドーズを見ていても大富豪でバットマンのブルース・ウェインとゴッサム・シティの正義の顔になって来たハービー・デントの二人が惚れていたのが全然よく分からない魅力が見えて来ない人物なのはどうなの?
ブルース・ウェインは幼馴染というのはあるけれど、今回はレイチェル・ドーズの検事としての活躍がほぼ無しでハービー・デントは何に惚れたんだろう?

そう言えば、一作目でゴッサム・シティに高架鉄道が行き渡っていたけれど今回はその高架鉄道が無くなっていたのは前回で酷い使われた方して終点近くの一部が壊れたので全線廃止にしたんだろうか?
特に説明も無く、一作目の無かった事感が凄かった。

この映画、大失敗はわたしがこの映画の公開時位の時期に見なかった事。
映画はバットマン対ジョーカーとしてはおもしろいのだけれど、公開から既に十五年近く経って世間のやたらと傑作だという意見を知ってしまってからの異常な程の高い期待から見てしまったので、逆にそうか?になってしまった。
この映画でのバットマンとジョーカーは表裏一体とか、正義と悪との曖昧さとかや葛藤ってアメコミのバットマンでずっとやっている印象があるからか、そのバットマンとジョーカーを描いたアメコミ映画としては良く出来た映画だとは思ったけれど、寧ろバットマンっぽいしアメコミっぽいけれどそれ以上なんだろうか?とは思ったし、既に三部作と知っているので三作目でどう締めるんだろう?が先にあるからか中間地点の二作目だと思って見てしまってそんなでもなくなったのだろうかで見る前の異常に高かった期待値を超えなかったのだろうなぁ。

☆☆☆★★
 
 
関連:バットマン ビギンズ
   ダークナイト ライジング