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バットマン ビギンズ

2022年08月27日 土曜日

クリストファー・ノーラン監督・脚本、クリスチャン・ベール主演の2005年の映画「バットマン ビギンズ(Batman Begins)」
DCコミックスのバットマンの映画化。
ダークナイト トリロジーの一作目。

ゴッサム・シティで大企業ウェイン産業を所有しているトーマス・ウェインは妻との息子ブルース・ウェインとでオペラを見に行き強盗にあってウェイン夫妻は殺されてしまい、幼いブルース・ウェインだけが生き残った。
大人になったブルース・ウェインは犯罪者と戦う為に世界を放浪して犯罪者達の中に潜り込んで犯罪者の考えや行動を学んでいたが逮捕され収監された。
そのブルース・ウェインの下にラーズ・アル・グールの代理人が現れ、悪と戦う組織影の同盟へと勧誘された。
ブルース・ウェインはヒマラヤへと赴き、影の同盟に戦い方を教わった。
影の同盟はブルース・ウェインが組織に加わる為に殺人犯の処刑を命じたがブルース・ウェインは拒否し、影の同盟の拠点を破壊してしまった。
ゴッサム・シティに戻ったブルース・ウェインはウェイン産業に入ってウェイン産業の技術を使って装備を集め、犯罪者に恐怖を印象付けるためにバットマンとして犯罪者と戦い始めた。

以前、この映画を見た事がある気がするのだけれど、Amazon プライムビデオでダークナイト トリロジーの三作の配信が終わりそうだったので一作目から見てみる事にした。

題名通りにブルース・ウェインがどういう境遇で、何を思ってバットマンになっていったのかをじっくり描いていて、アクションもありつつブルース・ウェインを中心とした人間関係やそれぞの人物の葛藤や想い等が軸として描かれ、人間ドラマとしても非常におもしろかった。

父親がゴッサム・シティを何とかしようとしていたのに殺されてしまい、その思いを受け継いでゴッサム・シティを救う為にバットマンになるブルース・ウェインの動機が分かりやすく描かれ、ルーシャス・フォックスの協力を得てバットマンの装備を集めたり、アルフレッド・ペニーワースとバットマンの装備やバットケイブを作って行く工程とかはワクワクしたし、堕落した警察の中で何とかやっているジェームズ・ゴードンを味方につけて行ったりと、孤独なダークヒーローの印象がありそうなバットマンって、アメコミの方でもバッツファミリーと言われている位協力者や仲間が多いというのも描いていて、バットマンとその周辺が作られて行く過程がちゃんと描かれていて良く出来ていた。

ただ、じっくりと現実味で描いて行く分だけに引っ掛かる部分が出て来ると結構つまづいてしまった。
影の同盟がヒマラヤで忍者で行き成り「う~ん…」となったし、渡辺謙のラーズ・アル・グールは偽物でリーアム・ニーソンが本物のラーズ・アル・グールでした…が「だから何?」でこの意図がよく分からなかったし、結局渡辺謙のラーズ・アル・グールって何の目的でラーズ・アル・グールを演じていたのかもよく分からず、この偽ラーズ・アル・グールを出す必要性がさっぱり分からなかった。

スケアクロウになったジョナサン・クレインも、アーカム・アサイラムで収容者を使って何かの実験をしていたみたいだけれどそこは深堀されず、あの不思議な粉はどうやって作ったのかとか、金で影の同盟に協力したとかは言っていたけれどそもそもの動機がよく分からず、結局スケアクロウもジョナサン・クレインもよく分からないままでお座なり。

前半で両親の殺害の犯人がジョー・チルで、ジョー・チルはカーマイン・ファルコーニに繋がり、ファルコーニからブルース・ウェインがバットマンになって行くというのを描いていたから後半でこの流れの決着をつけるのかと思いきや、ファルコーニは薬でおかしくなりました…で以降は全く描かれずで、前半の大事な流れの結末が描かれないのも不満。

この色々な要素を入れて色々出しておきながら後がお座なりって脚本家のデヴィッド・S・ゴイヤーっぽいと言うか、デヴィッド・S・ゴイヤー臭がすると言うか、わたしのデヴィッド・S・ゴイヤーの評価が極端に低いからそう感じたのかしれないけれど、実際この映画以降の続編の二作はデヴィッド・S・ゴイヤーは原案だけで脚本には入っていないので、そういう事だったのかと思う。

それにバットマンの映画だから仕方ないとは言え、あれだけ前半をじっくり描いて、ゴッサム・シティに戻って「さぁブルース・ウェインどうするの?」となった時にバットマンのスーツを作り、コウモリ型のバットラングを一つ一つ手作りで作る非常に変質的な程のマニアックさはやっぱりヘンテコな感じ。
バットマンが出て来るとどうしても珍奇なコスプレ自警団になってしまうので、それまでの流れが急にぶっ壊れる感じが少々あった。
ここまで現実感で作ったのなら思い切ってバットマンの造形をもっと変えても良かったのでは?とも思ってしまった。

あと、脇を濃いベテランの役者陣で固めていて、登場人物が新たに出て来る度にニヤニヤしてしまった。
マイケル・ケイン、リーアム・ニーソン、ゲイリー・オールドマンモーガン・フリーマンルトガー・ハウアーと彼らの存在で映像的にも重厚さが出ていたのは間違いないけれど、揃えた感と言うか、配役に力入れました感が凄くて、その濃厚さでニヤニヤ。
ケイティ・ホームズはわたしはそんなでもなく、それよりもスケアクロウ役のキリアン・マーフィーがベテラン陣に負けず濃さを発揮していた感じがした。

見ていて感じたのは、ゴッサム・シティって現実のニューヨークのあだ名だからニューヨークの印象があるのかなと思ったけれど、何だかシカゴっぽかった事。
この映画で架空の高架鉄道を走らせていたけれど、実際のシカゴでも高架鉄道のシカゴ・Lが走っていて、アメリカで高架鉄道と言えばシカゴの印象になっているからで、この映画での実際の撮影もシカゴでの撮影が多かったそうだけれどシカゴで撮影するから高架鉄道を映画に入れたのか、高架鉄道の発想が先で、じゃあ撮影はシカゴにしようだったのか、どっちなんだろう?

それと、エンド・クレジットでは「BATMAN CREATED BY BOB KANE」と出ていて、この2005年の時でもまだボブ・ケインだけでビル・フィンガーはクレジットされていない時だったか…と、良くない方のバットマンの闇を最後に感じてしまった。

この映画、じっくりとバットマンの誕生を描き、クリスチャン・ベールを始め役者陣の濃さで見応えがあるし、ちゃんとバットマンが活躍して悪者を倒すヒーロー映画にもなっているし、ガジェットの楽しさもあるし、次回作のジョーカーの登場を期待させて終わるなんて抜群の締めだしで、バットマンの一作目の映画としては非常に良かった。

☆☆☆★★
 
 
関連:ダークナイト
   ダークナイト ライジング

インターステラー

2022年08月11日 木曜日

クリストファー・ノーラン製作・監督・脚本、マシュー・マコノヒー主演の2014年の映画「インターステラーInterstellar)」

近未来の地球では異常気象や植物の病気で食糧危機が起こり世界は衰退していた。
元パイロットだったジョセフ・クーパーは父親と息子と娘で農場を営んでいた。
ジョセフ・クーパーの娘は以前から家に幽霊がいると言っており、ジョセフ・クーパーはそれを信じていなかったが娘は本が本棚から落ちる現象を調べていた。
やがてジョセフ・クーパーはそれが何かの情報ではないかと気付き、その情報は位置を示しており、ジョセフ・クーパーと娘がそこに向かうと秘密の施設があり捕らわれてしまった。
その施設は以前に解体されたはずのNASAの研究施設で、このままでは地球の植物が全滅して人類は滅んでしまうと考えたNASAの人々は、数十年前に土星付近に突如現れたワームホールを通って別の恒星系へと行き、人間が居住可能な惑星を探すラザロ計画を行なっていた。
ジョセフ・クーパーはその宇宙船のパイロットとして誘われ、家族を残して長期間の宇宙探査へと向かう事にした。

わたしの前知識としてはクリストファー・ノーランの宇宙モノのSF映画位で見てみて、その宇宙モノのハードSFに前半から掴まれっぱなしでずっと見入って非常におもしろかったのだけれど、終盤の伏線を回収する為の一気な都合の良さで白けてしまい、見終わった後は何だかなぁ…で一杯になってしまった。

導入から、アメリカの片田舎の生活を描いているのだけれど所々で現実とは違う世界というのを見せ、この世界は一体どうなっているんだ?のミステリー的な見せ方に捕まれ、そこから一気に王道の地球外移住の宇宙探査モノになり、宇宙航行にワームホールに未知の惑星にブラックホールとハードSFを映像で見せるのが非常に上手くて集中力が切れる事無く見入っていた。
宇宙船のドッキング場面はサスペンスとスペクタクルだし、宇宙船を回転させて遠心力で宇宙船に重力を作るのを詳しく見せたり、宇宙船が回転しているので窓から回転している地球が見えているとか、宇宙船に付けたカメラ視点の映像なので周囲が動いているとか、映像的にも非常におもしろかった。
ワームホールは他の恒星系が歪んでいたり、未知の惑星では巨大な津波だったり、雲が凍って上も大地の様とかの映像も良く、この景色が歪むとか上下が分からないとかの映像ってクリストファー・ノーラン好きだよなぁと思って見ていた。

ただ、あれ?と思う部分も結構多く、わたしが嫌いなハリウッド映画によくある典型とかも引っ掛かる部分でもあった。
彼らはトンデモない技術力を持っているのに何故か直接接触して来ないハリウッドのファーストコンタクトモノの典型。
モールス信号最強!のハリウッド映画の典型。
ブラックホールの近くの惑星は重力が強いのに探査船のジェット噴射で引力圏外に出ていたけれど、そこより重力が弱い地球から出る時は何段式のロケットが必要だったのは何?
何故かワームホールを抜けて向こうからやって来る電磁波は受信出来るけれど、器機の故障なのかこちらからの送信は出来ない?向こうが受信出来ていない?という都合の良い制限された状況。
先発隊も主人公達も惑星の静止軌道上で停泊して無人探査船を惑星に送り込んで調べてから人間が行くとか一切せず、常にイチかバチかで突っ込んで行く無謀さ。頭の悪さ。
ブランド教授はブラックホール内部の情報が無いと重力の方程式が解けず、多くの人間が住めるスペースコロニーを送り出せないと言っているけれど、これが意味不明で、宇宙船を何度もワームホールへと送り出しているのだから何度も部品を運んで向こうで組み立てて、現状でもやっている遠心力で重力を作り出せばいいのに何故それは出来ないの?
と等々、気に出したら引っ掛かる事ばかりが増えて行った。

極めつけが最後の主人公がブラックホールに落ちた以降で、まあ何かの意思?生命体?が五次元空間を作り出したのはそういうものだろう…と納得はしつつもSFというよりもファンタジー的になってしまって興味が薄れてしまい、こういうモノだからこういうモノなんです!に置いてけ堀感があり、特にあれだけの技術力?なのに何故か主人公が行けるのは本棚の裏だけという展開の都合上の便利さに、トンデモない情報量のデータをモールス信号に変換して腕時計で送るとか、そもそもどうやって腕時計の内部構造に干渉して、どうやって腕時計の内部の機械構造を規則的なモールス信号の動きにしているの?とかは都合良く一切説明しないし、ワームホールから大分離れた所にあったブラックホールから出たら土星のワームホール付近にいる便利さとか、ここまで結構なハードSFで進めていたのに突然説明をぶん投げたファンタジーで片付けてしまい、これって伏線を上手く回収して主人公を帰還させる為だけの脚本の都合上の展開にしか思えず一気に醒めてしまった。
最近「伏線回収」が見え透いてしまう展開が非常に駄目で、お笑いとかでも「伏線回収」しているのが分かると一気に醒めるし、「伏線回収」という言葉自体が陳腐に思えて嫌いになっている事もあるのかなぁ。

それに、愛の物語としても微妙。
主人公の娘への愛は分かるけれど、主人公の父親や息子への愛がほとんど描かれておらず、「娘大好き!親父と息子?何それ?」な主人公は一体何なんだろう?
主人公の父親に対する想いはさっぱり分からず、自分勝手に家を出て行く主人公が息子に「家族を守ってくれ」と言い、それを律儀に農場を守っていた息子に対する愛情は全然無く、主人公が帰還した後娘が生きている事を知って嬉しがっていたけれど「息子はどうなった?」さえ聞かない父親って何?
この主人公の親父と息子への無関心さが怖かったし、クリストファー・ノーランのこの親父と息子への興味無さが怖かった。

あと、後半になって突然マット・デイモンが登場してちょっと驚きで、わたしはマット・デイモンが出演している事を知らなかったので行き成りちょっとだけの役で出て来て笑ってしまったのだけれど、それ以上にそこまで散々天才だ!天才だ!と振りに振っていたマン博士役がマット・デイモンで、そのマット・デイモンはやっぱり天才には見えず、冴えない大学生位にしか見えず、きっちりドッキングしていないエアロック開けて吹っ飛んで終わる、やっぱり頭の悪い人物で、天才マン博士役としては全くの配役ミスだけれど頭の悪いかき乱し役のコメディリリーフとしては良かったかも。

最後に主人公が宇宙船に乗って宇宙に出て行こうとする場面を見て、クリストファー・ノーランってスター・ウォーズが好きなのかな?と思った。
それまで白い宇宙服だったのが急に黒い宇宙服で成長したルーク・スカイウォーカーかよと思ったし、宇宙船の前に主人公が乗って後部座席にTARSが乗ってるって、ルーク・スカイウォーカーとR2-D2のXウイングだし。

主人公のマシュー・マコノヒーは最近見た1997年の映画「コンタクト」での軽い感じから二十年位経って渋さが出て良い感じになっているなぁと思ったけれど、歳を取ってからのトム・クルーズノア・ワイリーに似ている気がして変な集中力の削がれがあった。

あの元海兵隊が使っていたロボットTARSの造形は今までに無い、良くも悪くも斬新な箱型ロボットというのはおもしろかった。
ただ、あの形って地上でも宇宙空間でも邪魔だし、変形すると突如高速に機敏に動いてはいたけれど通常では動きが悪そうで、あの構造であの動きだと床が傷だらけになって文句しか言われなさそうで、何であんな形なのかと思った。
もしかすると、話が最終的に新版「2001年宇宙の旅」みたいになって、何でそこまで「2001年宇宙の旅」に捕らわれているの?と残念ではあったけれど、あの四角いロボットってモノリスから来ていたのだろうか?

この映画、前半中盤のハードSFとしては非常におもしろかったけれど、最後の「伏線回収」の為の展開で急に白けてしまい、娘だけにしか興味が無く息子は気にかけず、アメリア・ブランドに自分を受け入れてもらえる自信しかなく宇宙に出て行く主人公が急に怖くなってしまって、見終わると何だかなぁ…な感じになってしまう映画でした。

☆☆☆★★

紀元前1万年

2022年08月05日 金曜日

ローランド・エメリッヒ製作・監督・脚本、スティーヴン・ストレイト主演の2008年の映画「紀元前1万年10,000 BC)」

紀元前1万年のある地域に暮らすヤガル族の村にヤガル族とは違う青い目の少女エバレットが現れ、巫女はそのエバレットがヤガル族の未来を導く存在だと言う。
ヤガル族のデレーはエバレットに惚れるが、突如現れた他部族の部隊にエバレットとヤガル族の人々が拉致されてしまったので数人の仲間と共にデレーはエバレットを救い出す旅に出た。

ローランド・エメリッヒの映画という事で見てみたのだけれど、ローランド・エメリッヒの凄さを感じてしまった映画。
こんな酷い内容でも企画を通せ、多額の製作費を集められ、ちゃんと完成させて世界公開出来るって、ローランド・エメリッヒの映画製作能力の半端無さったらない。
そこが凄過ぎるんだけれど、肝心の内容は大味なローランド・エメリッヒ映画でも相当大味で、見せ場もいまいち過ぎてつまらない。
軸となる話は非常に分かり易いけれど細部や謎に関する説明は放棄して結局何なのか分からないままで終わってしまう事が多く、それもあってどの人物も役が立ちそうな感じだけれど印象に残らず、早い段階から興味は湧かず、見終わってもつまらないまま。

話の軸は惚れた女性を取り戻しに行くというだけの話で、ここはすんなり入って来るのだけれど、それ以外の部分がさっぱり分からない事だらけ。
ヤガル族は雪山に住んでいるのに隙間が空いたスカスカの服で寒くないの?
ただでさえ食べ物が無いと言っているのに、何であんな何も無い荒野のど真ん中に住んでいるの?
他部族は大分遠くまで時間をかけて出かけて来て、少人数で少人数を捕虜にして、また時間をかけて自分の領地まで戻る効率の悪さや、何故そこまでして遠征や手間暇をかけるのか?
他部族の部隊は後の大勢の人々はほったらかしにして去っているけれど、案の定追跡されて、そもそも近場で全員捕虜にすればあんなに遠征しなくていいじゃん。
雪山の直ぐ側にジャングルがあり、そのジャングルを抜けると直ぐ荒野って、まるで狭いオープンワールドのゲームで変化を出す為に継ぎ接ぎした様な世界設定。
ピラミッドを作っていた部族はあれだけの他部族の捕虜がいるのに、どうやって反乱も無く抑えられていたのかよく分からないし、あれだけの数のマンモスを手懐けられている技術?もよく分からず。
神だと言う人間がいたけれど、何で神だと言っているだけで捕虜達が従っているのかも不明。
主人公の父親が出て行った理由も結局よく分からないし、エバレットに関する事も出自とか、青い目の子供の予言の意味とか、エバレットの死んでから生き返る意味とか、全部放棄。

題名の「紀元前1万年」にミスリードされてしまって、この時代に鉄器とかピラミッドとか有り得ないと思ってしまったけれど、現実ではないローランド・エメリッヒ世界のファンタジーだと思って見ればそうなんだろう。
初めにドレッドヘアーで現代英語を喋っている石器時代人という時点で石器時代コントにしか思えなかったし。

ただ、主人公の父親が出て行った理由が曖昧だったり、エバレットの予言の種明かしが一切無かったり、そもそも青い目の子供って何だったの?だし、ピラミッド部族の支配者?が全然顔を見せず、やたらと背が高く、やたらと星の印を気にしていたので、例えば実は宇宙人だったとか何かがあるのかと思いきや何もないまま槍で串刺しで死亡とか、思わせ振りに入れに入れ込んで引っ張りまくっていたのに何も無いままって、脚本としてどうなの?
これって、ローランド・エメリッヒが最後の方でまとめる時に忘れていたとか、面倒臭くなったので放棄した感じがするんだけれど…。

あと、映像も結構酷い。
2008年の映画なのに序盤から背景と人物の合成が浮いていて、非常に安っぽいクロマキー合成みたいな映像の場面があったり、ジャングルの場面は背の高い草を画面の前に持って来て、今誰が何をしているのかが分かり難かったり。

この映画、この内容の企画からこの映画を作れたローランド・エメリッヒの凄さを見る為の映画の気がして、映画自体はローランド・エメリッヒ映画でも最低の駄作だと思う。
ローランド・エメリッヒ映画って基本的に内容が無いけれど、もっと見せ場や上手く掴む感じだったはずだと思っていたんだけれどなぁ…。

★★★★★

ライフ(2017年)

2022年08月03日 水曜日

ダニエル・エスピノーサ監督、ジェイク・ジレンホール主演の2017年の映画「ライフ(Life)」

地球から送り出した無人火星探査機が火星の土を地球付近まで持ち帰り、その土を国際宇宙ステーションの中で乗組員達が分析を始めた。
土の中には単細胞生物がいた事が分かり、火星の気候を再現すると動き出した。
その生物は急激に大きくなり始め、知性らしきものも現れ始めた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、表示されている画像が宇宙モノの現代SFっぽいという位の前知識で見てみたけれど、入りは良かったのに単なるエイリアン襲撃モノだったのでがっかり。

始まりは撮影に手間暇かけたんだろうなぁと思える宇宙ステーションでの無重量の映像が良く、火星の土の中に生物がいたという調査研究のハードSFな感じでじっくりと見せて行くので「これからどうなるんだろう?」で結構ワクワクして見ていた。
しかし、あの単細胞生物が急激に大きくなって動き出した所辺りからハードSF感が減って怪しさを感じていたけれど、生物が電流装置を壊して持ち出してグローブを破った所で「それはやり過ぎ…」で急激に興味が失せてしまった。
それ以降はこれまで擦られて来た密室でモンスターが襲って来るエイリアンモノでしかなくなって、まあ退屈。
てっきりハードSFだと思っていたのに、初めはハードSFだったのに、急にエイリアンが人々を襲って行く為だけのやたらと都合の良い設定や展開で全然つまらない。
単細胞から大きくなり過ぎとか、火星の環境下で生きていたはずの生物が何故か地球の大気下の無重量状態に速攻で完全に対応し周囲の機械や施設を完全に理解し行動していたり、強力な火を受けても全然平気とか、火星の生物なのに宇宙に出ても変わらず生きて行動出来ているとか、酸素が無い状況でも生きて行動しているのに宇宙ステーションの中で無酸素にすれば活動を休止するだろうとか、設定の都合の良さったら無い。
これって、単に生物を自由に動かして最後まで人々を襲わせ続ける展開の為だけに必要だったという事だけで、この生物感の無さと言うか、単なるファンタジーのモンスターでしかない感じが全然受け入れられないまま。
特に他の宇宙関連の技術は現代の物で結構しっかりと描いている分、このモンスターの都合の良い感じが余計に際立って醒めてしまった。

それにこの生物は初めのまだ小さい時から動き過ぎ、CGで動かし過ぎでこんな生物いないだろう感が一杯だった上に、成長して顔とか出て来たらその造形が如何にもデザイナーが考えた怖そうな生物感満載で更に醒めてしまった。
あの生物の蛸みたい造形って無重量状態だから動けていたし、海の中だと動けると思うけれど、火星の陸上で生きていたというのは相当無理があると思うのだけれど。

登場人物達も初めはそれぞれの背景を描いて人物を際立たせていたので、この人々の人間関係で見せて行くのかと思っていたら単なるモンスターパニック映画になってしまい、後から思うとこの人物描写って必要だった?ってなってしまった。

この映画、役者を集めて、お金をかけて、これまでに粗製乱造されて来た狭い場所でのエイリアン襲撃モノをした映画。
初めからそういう映画だとある程度知って見たらそこそこおもしろいのかもしれないけれど、前知識無しで序盤のハードSF感で期待して見てしまうと序盤を過ぎるとそれからは延々とつまらなくなってしまう。
真田広之が流石と思ったのは演技とかではなく、この映画のインタビューで「この夏は、お化け屋敷の代わりに『ライフ』を見てください」と言っていた事。
正にそう言う事で、これを始めに知っていたら、そういう映画として見れていたんだろうなぁ。
でも、それでもおもしろく見れたかと言えばそうではない気しかしない。

☆★★★★

メン・イン・ブラック3

2022年07月27日 水曜日

バリー・ソネンフェルド監督、トミー・リー・ジョーンズウィル・スミス共演の2012年のアメリカ映画「メン・イン・ブラック3(Men in Black 3)」
ローウェル・カニンガムのアメコミ「The Men in Black」が原作。
シリーズ三作目。

月面の刑務所からボグロダイト星人のボリス・ザ・アニマルが脱獄した。
ボリスは四十年前にエージェントKに片腕を撃たれて逮捕された事を恨んでおり、KとJの前に現れてKを殺そうとするが失敗。
ボリスを捜査しようとするJだったがKのアパートに行くと別人が住んでおり、MIB本部に行くとKではない相棒が現れ、MIBの人々もKの事を知らず、唯一Kを古くから知っているOだけから「Kは四十年前に殉職している」と言われてしまう。
Jの異変に気付いたOは時空破壊が起こり歴史が変わってしまった言う。
Jはボリスが四十年前にタイムスリップしてKを殺した為に歴史が変わったと分かり、四十年前にタイムスリップしてKを救いに行こうとする。

メン・イン・ブラックシリーズを一作目、二作目と続けて見たのでこの三作目も続けて見てみたけれど、どうにもいまいちで、回を重ねる毎に尻すぼんでいる感じがしてしまった。
その大きな要因は、やっぱりトミー・リー・ジョーンズの出番が少ない事。
このシリーズのおもしろさって、真面目顔で堅物のトミー・リー・ジョーンズと常に陽気でノリとお喋りのウィル・スミスの対比の効いたバディモノだと思っているのだけれど、その一番重要なトミー・リー・ジョーンズが主人公の一人ではなく脇役になってしまっているので全体の魅力が激減。
多分、トミー・リー・ジョーンズがこの映画の撮影時2010年は64か65歳で高齢でアクションとかもきつかったのかと思うし、2012年は四作の映画に出演し、2011年には二作で、その中の「The Sunset Limited」は監督もしていて忙しかったというのもあったのだろうけれど、それにしてもトミー・リー・ジョーンズの時間が取れないからって過去に行ってジョシュ・ブローリンが若い時のKを演じて、この映画ではKはほぼジョシュ・ブローリンというのはなぁ…。
Jが過去に戻ってジョシュ・ブローリンを見てKだと言うのは相当無理があるし、苦肉の策感ばかり。
このシリーズって、二作目の時点でも一作目で上手く完結した所から記憶を消したKを連れ戻したりして苦肉の策の感じがあったけれど、今回は特にそれが顕著に出てしまっている。
二作目までZ役だったリップ・トーンも出ていないのでZを殺しちゃうし。
でも、話によるとそのZの葬儀での場面にいた宇宙人をリップ・トーンが演じていたらしく、何だか訳の分からない出演だし。
それに、パグのフランクも今回は登場しておらず、Jの自宅の壁に大きなフランクの写真が飾ってあったけれど白黒の正面写真だったのでフランクも死んでしまったって事?
話でも全く触れずお仕舞いというのも何なのだろう?
あと、新登場人物としてZに変わってボスとなったO役でエマ・トンプソンが出ていたけれど、初めは葬儀ではっちゃけて強く印象を残しておきながら後半では全然登場せずに終わってしまう、何だったの?感が強い勿体無い役だったし。

話は常に何かの説明ばかりで終始間延びした感じで、今までの次々と捜査して立ち向かって行く二人のおもしろさがなくて結構退屈してしまった。
Jが過去のKを救いに行くというおもしろさもあんまりなく、無数の可能性の未来を見ながら生きている宇宙人グリフィンが便利過ぎてJとKの捜査感が無かったし。
このシリーズ特有の、悪い宇宙人が何かを求めているけれどそれで何をしようとしているのかがいまいち分からないので地球の危機感に乗って行けないというのも今回もそうだったし、結局初めのJだけが何故元の記憶を持っていたのかもよく分からないままだったし。
最後のKとJを繋げるのもやり過ぎ、狙い過ぎ感が強くてさめてしまったし、Jってあの距離で懐中時計を目視出来るって凄い視力。

過去のKが使っていたニューラライザーは真空管の付いた巨大な装置だったり、別のバッテリーから充電してからでないと使えない昔だからのローテクを見せておきながら、一方で現代のMIBでも使っていないハイテクなジャイロバイクを容量的に収まらないだろうと思う自動車の中に仕込んでいたりと過去と現在の技術差が無茶苦茶。

この全体的な何だかなぁ…と思うのは何かと思って調べてみたら、撮影は2010年11月16日に始まったのに、6月の時点で脚本が書き直され、11月に新たに脚本家が雇われて過去部分が書き直されて、撮影が始まっても中盤以降は完成していなかったみたい。
大分バタバタで突き進んで行った感じだからなのかな?

あと、気になったのはこのシリーズ毎度の原作のクレジット。
一作目のオープニング・クレジットでは「BASED ON THE MARVEL COMIC BY LOWELL CUNNINGHAM」
二作目では「BASED ON THE MALIBU COMICS BY LOWELL CUNNINGHAM」だったけれど、今回は「BASED ON THE MALIBU COMIC BY LOWELL CUNNINGHAM」
マリブ・コミックスって1994年からマーベル傘下だから何故マーベルじゃないのか?だし、「The Men in Black」の一番初めはエアセル・コミックスからの出版なのに何故マリブなの?だし、何故今回は「MALIBU COMIC」で「S」が無いのかもよく分からない。

この映画、やっぱり見たかったのはトミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスのやり取り、やり合いであって、ジョシュ・ブローリンの別人のKが見たかった訳でないので終始すかされたままで話が勝手に進んで行く感じだった。
流石にトミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスのメン・イン・ブラックの続編となるともうなさそうで、トミー・リー・ジョーンズが大分足りないこの映画で終わりか…となると結構寂しい。

☆☆★★★
 
 
関連:メン・イン・ブラック
   メン・イン・ブラック2
   メン・イン・ブラック:インターナショナル

マン・オブ・スティール

2022年06月30日 木曜日

ザック・スナイダー監督、ヘンリー・カヴィル主演の2013年のアメリカ映画「マン・オブ・スティールMan of Steel)」
この映画の公開時点は違ったが、後にDCコミックスのキャラクターを使った映画シリーズのDCエクステンデッド・ユニバースの一作目となった映画。

クリプトン星は間もなく星の寿命が尽きようとしていた中でゾッド将軍がクーデターを起こし混乱状態となった。
ゾッド将軍への協力を拒否したジョー・エルはゾッド将軍に捕まるが逃げ出し、ゾッド一味に命を狙われたのでクリプトン人達の遺伝子を記録したコデックスを盗み出し、滅び行くクリプトン星から脱出させる息子のカル・エルにコデックスを預けた。
ゾッド一味は捕まりファントム・ゾーンに追放されるがクリプトン星が爆発した事によりゾッド一味が解放された。
地球でケント夫妻に育てられたカル・エルはクラーク・ケントとして生きていたが自分の特殊な力はジョナサン・ケントから明かすべきではないと言われ、自分が本当は何者なのかを探そうと放浪して暮らしていた。
クラーク・ケントは北極で数万年前にクリプトン人が植民地化を行う為に宇宙中に派遣していた宇宙船を発見し自分が何者なのかを知った。
そこにゾッド一味の宇宙船が現れて地球人として暮らしているカル・エルを差し出せと要求して来た。

クリストファー・リーヴのスーパーマンシリーズを四作続けて見て、ブランドン・ラウスの「スーパーマン リターンズ」も続けて見たので、続けてこの「マン・オブ・スティール」も見てみたのだけれど、確かにこれまでの路線とは違う所に行かないといけないというのも分かるし、CGや合成がより進んで映像的は凄くなってはいるのだけれど、わたしはどうにも終始盛り上がらず、カタルシスも無くで、つまらない訳ではないけれどおもしろいかと言えばそうでもない映画だった。

初めはラッセル・クロウ演じるジョー・エルのアクション場面からなんだけれど、クリプトン人の服は珍奇だし、ジョー・エルの鎧?も悪役っぽいし、何よりジョー・エルが何かの生き物に乗って行動する所が別にスーパーマンでやる必要性も感じられずで、掴みが全然はまらず。

その後も、放浪し続けているクラーク・ケントを見せながら子供時代も見せる手法は今回はこういう感じなのか…位ではあったけれど、クラーク・ケントを演じるヘンリー・カヴィルが髭モサモサで胸毛モサモサで寒そうな地方(カナダっぽい?)だったのでウルヴァリンに見えて来て、序盤はずっと何を見ているのだろう?状態になってしまった。

このスーパーマンはスーパーマンになるまでが長く、スーパーマンのカッコ良さが見たいのに中々スーパーマンが出て来ないので結構飽きている部分があった。
それにこのスーパーマン、33歳まで自分探しって長くない?
これって完全にヘンリー・カヴィルを配役したから遅出のスーパーマンにしていない?
このスーパーマンの悩む感じってハイティーンや二十代位までならスッと入って来るけれど、三十過ぎって結構きつくないか?

中盤でやっとスーパーマンとして覚醒してゾッド一味との戦いになったけれど、これがあんまりおもしろくなかった。
普通の場面では普通の人間の動きだけれど、アクションになると動きが速過ぎだし、カメラも普通の場面でも元々キッチリと固定せずに微妙にブレさせていて気にはなっていたけれどアクション場面ではやたらと早く動かして編集も短くして何やっているのか分かり難い見せ方。
わたしは以前からこのカメラをぶらして短く編集するという見せ方が大嫌いなので、この映画でもアクションがいまいちはまらず。
あと、遠目の宇宙の映像から急に宇宙船に寄ってピントを合わせるという演出も嫌い。

それにあれだけ建物に激突してぶっ壊しながら戦い続けていたので決着はどうするんだ?と思っていたら、スーパーマンがゾッド将軍の首捻って終わりって、その呆気無さに肩透かしを食らってしまった。
あれだけ物にぶつかっても首を地面に押し付けても大丈夫なのに首は折れるんだ。
その前のゾッド将軍が目からのビームで家族を狙っていた時にスーパーマンがゾッド将軍の頭を押さえて守っていたけれど、あれってゾッド将軍は目を動かせるんだから意味無くない?と思って見ていた。
本当だったらスーパーマンが必死にゾッド将軍の顔を左側に向けさせ、ゾッド将軍はその状態で目玉を右に寄せているという間抜けな映像になっているはず。
で、結局あの家族って無事だったのか死んでしまったのかすら見せないって何なのだろう?

わたしがスーパーマンの映画を続けて見ていたので、どうしてもヘンリー・カヴィルのスーパーマンの印象が弱くなってしまったのもある。
それまでスーパーマンの映画を全く見ていなかったのにスーパーマンの印象と言えばクリストファー・リーヴのスーパーマンで、実際クリストファー・リーヴの映画を見てみたら、まさしくクリストファー・リーヴのスーパーマンこそがスーパーマンになり、何かいまいちと思ってしまったブランドン・ラウスのスーパーマンの後のヘンリー・カヴィルのスーパーマンだから仕方ないけれど、ヘンリー・カヴィルって結構髭濃いし、あんまり晴れやかなスーパーマンっぽくなく見えてしまった。
それはこのスーパーマンは自分の事ばかりで全然人を助けないというのもあったと思う。
スーパーマンの印象って、メトロポリスが攻撃されてビルの窓ガラスが割れて道の人々の上に降りかかって来た時に飛んで来てヒートビジョンでガラスを消滅させて去って行くというのがスーパーマンなのに、このスーパーマンはメトロポリスが攻撃されて物凄い被害で多くの人が死んでいるのに気にしている様子は無く、とにかくゾッド将軍って、これで人々がスーパーマンを称賛する訳ないじゃない。
このスーパーマンで人々がスーパーマンを求めるって無理やり過ぎ。

ここら辺は見ていて思ったのは、そもそもザック・スナイダーってスーパーマン興味無いんじゃないの?という事。
スーパーマンを変にこじらせた内気な三十代にしてみたり、スーパーマンを映像的に見せるって事が無く、見た目の気持ち良いカッコいいスーパーマンが無くて、「スーパーマン リターンズ」での墜落する飛行機を救うスーパーマンとか、宇宙空間で漂うスーパーマンとか、自動車を持ち上げるスーパーマンとか、画的に見せるスーパーマンを見せていたブライアン・シンガーの方がスーパーマン愛が溢れていて好印象だったし。

あと、死んだはずのジョー・エルが後から出て来て活躍したり、田舎の農場のジョナサン・ケントとか、脇役がラッセル・クロウとかケビン・コスナーとかダイアン・レインローレンス・フィッシュバーンクリストファー・メローニとか濃過ぎるので、ヘンリー・カヴィルのスーパーマンが弱くなってしまっている気がした。
それにしてもジョナサン・ケントの墓標に「1951-1997」と刻まれていて、あのケビン・コスナーが46歳って無理あり過ぎ。
久々にケビン・コスナーを見て、「ああ、何だかおじいちゃんになったなぁ」と思っていたのに46歳設定って、設定だけならミスキャストじゃない。

この映画、そこまでつまらない訳ではないけれど終始盛り上がらず、スーパーマンが常にウジウジしていて爽快感が無く、スーパーマンの悩みを描く割に大惨事で人々が大勢死んでいるはずなのにそれは全然描かず、大勢の人々を助けられなかったスーパーマンの後悔や悩みは描かないチグハグさというか狡さがあったりで全然はまらなかった。
これが巷で聞く、はまる人は絶賛するけれど、はまらない人は何だかなぁ…なザック・スナイダー映画そのものなのかな?

☆☆★★★
 
 
関連:スーパーマン(1978年)
   スーパーマンII 冒険篇
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマンIV/最強の敵
   スーパーマン リターンズ

   スーサイド・スクワッド
   アクアマン

スーパーマン リターンズ

2022年06月29日 水曜日

ブライアン・シンガー製作・監督、ブランドン・ラウス主演の2006年のアメリカ映画「スーパーマン リターンズ(Superman Returns)」
1978年の映画「スーパーマン」。1980年の映画「スーパーマンII 冒険篇」の続編。

スーパーマンは故郷のクリプトン星の残骸が見つかったという話を知り、宇宙に旅立ってから五年が経ち再び地球へと戻って来た。
スーパーマンは再びクラーク・ケントとして暮らして行く事になり、デイリー・プラネットに復帰。
デイリー・プラネットで同僚であり、クラーク・ケントが恋心を持っていたロイス・レインには子供がおり、パートナーと暮らしていた事を知る。
レックス・ルーサーはスーパーマンが突然いなくなり、レックス・ルーサーの裁判でスーパーマンが証言しなかった為に釈放となっていた。
レックス・ルーサーは北極の孤独の要塞からクリプトンのクリスタルを盗み出し、隕石の中に含まれるクリプトナイトを手に入れ、両方を合わせて海に入れる事により爆発的に鉱物を作り出せる事を知り、それを使って北アメリカを沈めて新たな大陸を作り出そうとしていた。

クリストファー・リーヴのスーパーマンシリーズ四作を見たので続けて「スーパーマン リターンズ」も見てみた。
この映画自体は色々詰め込みながらも見せ場も多くて飽きる事無くおもしろかったけれど、やっぱりこの映画の立ち位置が微妙なので、どうしても映画が微妙な感じになってしまっているのが勿体無いと思ってしまった。

映画自体は題名通りに突然いなくなったスーパーマンの帰還を描いていて、始まりから墜落しそうな飛行機を助けるという見た目的にもアクション的にも抜群な登場で掴みは良く、敵はスーパーヴィランではなく、それまでの映画の宿敵レックス・ルーサーが、これまでの様に土地にこだわって今までの土地を壊して新たな大陸を作り出そうとして、これまでの映画のレックス・ルーサーのやっていた事を更に大きくしたという今までの流れを汲んでいるし、これまで余り活かせていなかったロイス・レインの新聞記者設定も謎の大停電の調査からレックス・ルーサーに辿り着くという展開も見せて活かしているし、そのクラーク・ケントとスーパーマンとロイス・レインの恋愛関係も子供や別の相手という新たな要素を入れて新展開を見せているし、アクションもCGをバリバリ使いながらもブライアン・シンガーっぽい抑え目ながらも見せるアクションで良いし、有名なスーパーマン初登場の1938年の「Action Comics #1」のカバーアートを再現するスーパーマンが自動車を持ち上げている場面を入れたり、有名な台詞の「空を見ろ!鳥だ!飛行機だ!スーパーマンだ!(Look! Up in the sky! It’s a bird! It’s a plane! It’s Superman!)」をジミー・オルセンが撮ったピンボケの写真を見ながら「これ鳥じゃない?飛行機だ。いやこれは…」と笑いの場面にして入れていたりと、結構色んな要素を入れ込んで、それが結構上手い事入っていておもしろかった。

ただ、この映画が何故か完全リブートの新作ではなく「スーパーマンII」の1980年から26年経っての続編映画にしてしまったので、どうしても馴染めない部分や疑問が出て来てしまう。
始まりから「スーパーマンII」にも無かったスーパーマンが突然いなくなった話から始まり、これは後からロイス・レインに子供がいて、その子供がマーロン・ブランドが演じていたスーパーマンの本当の父親のジョー・エルの言葉がスーパーマンに引き継がれるという展開にしたかったからだとは分かるものの、前の映画でも無かった展開を入れていて、何だ?何だ?と序盤でつまずいた。
しかも、このスーパーマンがいなくなった事でロイス・レインも記事を書いていたけれど、神の様なスーパーヒーローは必要なのか?という題材も扱いながら、それに関して何も結論的なモノを見せないまま終わるし、それは今後も人間が考えて行かないといけない事だ…的な教訓めいた結論も無いまま、本当に投げっぱなしで終わってしまうし。

恋愛話も、以前のクリストファー・リーヴのスーパーマンでもスーパーマンを出しに使ってクラーク・ケントの方に振り向いてもらおうとする姑息な感じがあったけれど、今回はロイス・レインは既に子供もいて家庭もあるのにスーパーマンで結構攻めるし、家まで飛んで行って盗み見や盗み聞きしているわで、やっぱりこのシリーズのスーパーマンは前から恋愛部分は全然好きになれない。
一方のロイス・レインも、一緒に暮らしているパートナーにはどうやらスーパーマンの子供だと言っていない感じだし、スーパーマンにも子供の存在を言わないし、スーパーマンが戻って来たらスーパーマンに夢中でパートナーに対する愛情が余り見られず、結局パートナーは自分の息子だと思っていたのがスーパーマンの子供だと知ったのかどうかも描かれていないし、スーパーマンの子供を導入した割に非常に中途半端なままで投げっぱなしになっている。
これは多分当時はこの映画の続編も決まっていたのでそこで描くつもりだったのかもしれないけれど結局続編は作られずだったので非常にモヤモヤしたまま。

あと、「スーパーマンII」の続編となってしまうとどうしてもクリストファー・リーヴのスーパーマンと見比べてしまうのはしょうがなく、特にわたしはクリストファー・リーヴのスーパーマンシリーズ四作を続けて見た後のこの映画なのでクリストファー・リーヴのスーパーマンの印象が強過ぎるというのもあったけれど、ブランドン・ラウスのクラーク・ケントの方は結構良い感じだった。
クリストファー・リーヴのクラーク・ケントはもっとドジっ子だったし、もっとお茶目ではあったけれど、クリストファー・リーヴのクラーク・ケントに似ていて背の高い真面目な青年が良く出ていて良かった。
ただ、ブランドン・ラウスのスーパーマンとなると何か印象が弱く、あのクリストファー・リーヴのスーパーマンの精悍さやカッコ良さに比べると相当物足りなかった。
加えて悪かったのが、スーパーマンが空を飛ぶ場面ではブランドン・ラウスの合成ではなくスーパーマンを丸々CGで作ってしまっていたのも大分良くなかった。
ロイス・レイン役のケイト・ボスワースも印象が弱くて、スーパーマンとロイス・レインが向き合っての場面になると「♪お前~誰だよ!」ロックンロールだった。
一方、レックス・ルーサー役のケヴィン・スペイシーは濃くて良く、しかも時々ジーン・ハックマンに見えて来る位だった。

この映画、映画自体は大分良くおもしろかったけれど、やっぱり「スーパーマンII」の続編にしてしまった事で色んな要素を引き継がなくてはならず、そこに今までとは違う要素を入れるとなると何だかなぁ…と思ってしまう部分が出て来て、これは完全リブートで一から始めた方が良かったと強く思ってしまった映画だった。

☆☆☆★★
 
 
関連:スーパーマン(1978年)
   スーパーマンII 冒険篇
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマンIV/最強の敵
   マン・オブ・スティール

スーパーマンIV/最強の敵

2022年06月26日 日曜日

シドニー・J・フューリー監督、クリストファー・リーヴ主演の1987年の映画「スーパーマンIV/最強の敵(Superman IV: The Quest for Peace)」
シリーズ四作目。

サミットでの会議は上手く行かず、世界各国は核軍拡へと進み始めた。
それを思い悩んだスーパーマンは国連で核廃絶を宣言。
打ち上げた核ミサイルを次々と捕らえて太陽へと廃棄していた。
しかし、軍拡で儲けようとする武器商人等と手を組んだレックス・ルーサーはスーパーマンの髪の毛から新たな命を誕生させてスーパーマンと戦わせようと思い付き、抽出したスーパーマンの遺伝子を核ミサイルに乗せて太陽で爆発させるとニュークリアマンが誕生した。
ニュークリアマンはスーパーマンを破壊しようと攻撃を始めた。

クリストファー・リーヴのスーパーマンのシリーズは一作目が非常に良かったのに、それ以降はいまいち過ぎで、いよいよシリーズ最終作だったけれど、やっぱりこれもおもしろそうな要素はあるのにどれもお座なりで全然おもしろくないままで終わってしまった。

この四作目は結構意欲的な題材が多く、デイリー・プラネットが売上不振で売却され、新たなオーナーは売る為には飛ばし記事的な見出しで売れれば良いと考える人物で、それに対抗しようとする編集長率いる生粋の記者達。
世界が核の脅威でどうなるのか?に対し、圧倒的な力を持ったスーパーマンはどう行動するべきか?と思い悩む。
スモールビルの生家を売りたいけれど農家をする人に売りたい。
スーパーマン以上の強さの新たな敵。
ロイス・レーンは相変わらずスーパーマンに夢中で、デイリー・プラネットの発行人となったオーナーの娘は真面目過ぎるクラーク・ケントに夢中になるという対比的な恋愛話。
硬軟混ぜて色んな要素があり、これらをちゃんと一つずつ膨らませて描けば結構おもしろい話になったと思うのに、どれもそれ以上は無いし、その結末的なモノさえ無かったりする。

変わってしまったデイリー・プラネットをジャーナリストの誇りで取り戻す…様な話は無く、オーナーの娘がクラーク・ケントに徐々に影響されて「新聞は真実を伝えるべきだ!」となって行ったから、ここら辺りのジャーナリズム精神から何かが変わるのかと思いきや、それまで何の伏線も無いまま最後に突然編集長がお金を集めて株買ったから新たなオーナーは小株主だ!でめでたしめでたしになってしまう唐突で都合良過ぎる結末。

核兵器をスーパーマンが太陽に投げ込んで問題解決になっていたけれど、それするとあちこちの国がスーパーマンを非難して、英語を喋るスーパーマンの活動の中心であるアメリカが戦争起こされる様な気がしないでもないし、これもその後のスーパーマンの悩みや考えが一切描かれずに最後に「やっぱり僕は間違っていた」的な話で皆で平和を作るんだみたいな話をして、スーパーマンの思いがさっぱり意味が分からなかった。

スモールビルの実家を売りに出していたので、と言う事は母親は死んだと思われるけれど、それは一切描かれず。
一作目で父との別れがあり、最終作で母との別れで、また新たな生き方をして行くクラーク・ケントを見せれば良かったのにと思った。

ニュークリアマンは最早意味不明だらけ。
スーパーマンの遺伝子を使ったのにスーパーマンと似ていない。
何故レックス・ルーサーは行き成り遺伝子工学の専門家になったのか?
スーパーマンの遺伝子を服の生地と混ぜて核ミサイルで太陽に打ち込んだら、人型生命体誕生とかぶっ飛び過ぎ。
ニュークリアマンは初めはレックス・ルーサーを部下だと言っていたのに、いつの間にかレックス・ルーサーの言う事を聞いているし。
ニュークリアマンは何故かスーパーマンを破壊する事を植え付けられており、それなのにスーパーマンと戦わずに町を破壊するのが先決。
オーナーの娘の写真が載っていた新聞を見てデイリー・プラネットに行くけれど、その理由は一切不明。
デイリー・プラネットにやって来て暴れ始めたニュークリアマンをスーパーマンは実力行使で止めもせず、待てと説得しかしない。
スーパーマンとニュークリアマンは宇宙空間でも生きているのは元々クリプトン人がそうだからで何となく分かるけれど、普通の人間のオーナーの娘が宇宙空間で普通に生きているとか何のこっちゃ?

ロイス・レーンとの恋愛も一作目で既にやったスーパーマンとロイス・レーンで空を飛ぶとか、二作目やったスーパーマンはクラーク・ケントだと正体を明かし、スーパーマンがロイス・レーンにキスするとロイス・レーンの記憶が消えるという謎の超能力とかをまたやっていて、一緒に空を飛ぶ方はまだしもキスの方は都合良過ぎで二作目で大いに白けたのにまたやり、しかもあっさりだし。
ロイス・レーンとスーパーマンも、オーナーの娘とクラーク・ケントの関係も最後に結局どうなったのかさえ描かず。
折角詰め込んだ事がことごとく何にもならないとか何だこの脚本。
製作会社がキャノン・フィルムズに変わって大分製作費が安くなり、合成や特撮が安くなってしまったのは仕方無いのは分かるけれど、それにしても脚本はもっともっと詰めなくていけなかったと思うのだけれど。

クリストファー・リーヴのスーパーマンとクラーク・ケントは変わらず良いものの、ジーン・ハックマンのレックス・ルーサーは役として弱く、結局スーパーマンへの復讐心なのか何なのか分からない行動原理の人物だったし、ロイス・レーン役のマーゴット・キダーは一作目から十年近く経ったから歳も取ってのおばさんと言うよりも、時々おばあさんに見えてしまう位覇気が無く、一作目の魅力のあったロイス・レーンは何処へ…だった。

この映画、最終作になってやっとクレジットの一番初めに載る事が出来たクリストファー・リーヴだったのに、こんなにおもしろくなりそうでならない最終作って勿体無いし、シリーズとしても非常に残念。
一作目の監督だったリチャード・ドナーがそのまま二作目三作目と作っていれば全然違う良いシリーズになっていたんだろうなぁと思ってしまった。

☆★★★★
 
 
関連:スーパーマン(1978年)
   スーパーマンII 冒険篇
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマン リターンズ
   マン・オブ・スティール

スーパーマンII 冒険篇

2022年06月22日 水曜日

リチャード・レスター監督、クリストファー・リーヴ主演の1980年の映画「スーパーマンII 冒険篇(Superman II)」
シリーズ二作目。

エッフェル塔で水爆を持ったテロリストが占拠していたがスーパーマンが現れて宇宙空間で水爆を爆発させた。
その付近にはクリプトン星が消滅する前に反乱を起こして逮捕されファントム・ゾーンに幽閉されたゾッド将軍とアーサとノンの三名のクリプトン人が宇宙空間を漂っており、水爆爆発の衝撃でファントム・ゾーンから脱出。
三人は地球に降り立ち、太陽系の太陽の下では特殊な力を発揮出来る事を知り、地球を自分達の支配下に置こうとしていた。
その中スーパーマンはロイス・レーンに彼女への自分の気持ちと正体を明かし、ロイス・レーンと一緒になる為に特殊な力を取り除いて普通の人間になろうとしていた。

一作目に続けて見てみたけれど、一作目がスーパーマンの誕生や犯罪との戦いやクラーク・ケントとスーパーマンの二重生活やロイス・レーンとの恋愛等が上手く混ぜ込まれて非常におもしろい映画だったという事もあったけれど、その続編のこの二作目は期待して見たので期待値が高まり過ぎていたのか、見ていても色々入れている割に間延びしていて余りおもしろくはなかった。

初めから一作目の総集編を入れて分かりやすくしていたけれど、一作目から続けて見ているので既に知っている事で長いしで結構飽きてしまった。
そこからパリを舞台に水爆を持ったテロリストの話になるのだけれど、何故フランス人に英語を話させてまでわざわざパリを舞台にする必要性が分からず、しかも小悪党感しかない犯罪者が水爆持っているのも訳が分からず、このパリ編は緊張感も無いままダラッと進み、結局ゾッド将軍一味を復活させる為の説明だと分かったけれど、それでも掴みの見せ場としても弱いし、復活の為の説明としてもパリの理由も分からず。

ゾッド一味の復活でスーパーマンとの対決を待ち望みながら見ていたのに、その後はクラーク・ケントとロイス・レーンの恋愛話になってしまい、これがおもしろければいいのだけれど一作目程のおもしろさがなかった。
一作目はスーパーマンに夢中のロイス・レーンはクラーク・ケントには興味が無いという対比がおもしろかったのに、今作ではまだ二作目なのにクラーク・ケントが正体を明かして早くも二人がくっついてしまって、クラーク・ケントとスーパーマンの対比は無くなってしまった。
二部作で終了予定だったらその展開も分かるけれど、まだまだ続けるつもりで二作目で正体を明かすって色々出来るのに勿体無いなぁ…と思ってしまい、しかし結局ロイス・レーンの記憶を消しましたという結末にするのだったらこの映画の展開要らなくなかった?とも思ってしまったし。

やっとゾッド一味が動き出すも田舎の小さな町を襲って我が物顔なので結構しょっぱく、終盤でやっとメトロポリスでのスーパーマンとの対決になって、そこは結構おもしろかったけれど、そこまでが集中力が続かなかった。
ゾッド一味は幽閉から脱出して行き成り超人的な力を手に入れ、目からビームを出したり、テレキネシス的な力を使えているのに大して驚いていないのは謎だし、クリプトン人が何で英語を喋っているのかも全くの謎で、ゾッドの極端な支配欲や権力欲も特に説明されないので結構置いてけ堀だった。
メトロポリスでの戦いは空中戦はいまいちだったけれど、地上での戦いは結構おもしろく、ここをもっと見たかった。
スーパーマンとノンが地面下で戦っていて、その揺れで地上の市民がよろけている場面や、ゾッド一味が大風を作り出して人や物が吹っ飛んで行く場面が変に長くて、折角の戦いの合間に戦いを見せない腰を折る様な演出をしていて、見たいのは肉弾戦であってそんな事じゃないのに…と残念だった。

それに良くないと思ったのは、一作目ではスーパーマンが目からビームのヒートビジョンを見せていないのに先にゾッド一味がやってしまったり、ゾッド一味の突然のテレポートをした後にスーパーマンもテレポートをしたりと、何故かスーパーマンの方が後手で特殊能力を見せていた事。
先にスーパーマンが持って使っていた力と同じ力をゾッド一味も発揮出来る様になっているという展開じゃないと意味無くない?

一番好きじゃないのは簡単にロイス・レーンの記憶を消してしまった事。
一作目でも死んでしまったロイス・レーンをスーパーマンが地球の自転を逆回転させて生き返らすという無茶苦茶な事をしていたけれど、今作でもキスしたらロイス・レーンの記憶が消えました…とか酷いよなぁ。
死んだ人は取り戻せない、正体を打ち明けた事の責任とかをスーパーマンが背負いながら生きて行くなら人間ドラマとしても納得出来るけれど、自分の気持ちを抑えられず正体を打ち明けたら何だか面倒臭い事になったので無かった事にしました…って、ドラマとしてはもうどうでもよくなってしまった。

一作目に続き、オープニング・クレジットで主役のクリストファー・リーヴよりも先に表記されていてクリストファー・リーヴ可哀そうと思ってしまったジーン・ハックマン演じるレックス・ルーサーが今回も出ていたけれど、今回レックス・ルーサーは要らないと言えば要らない役回りで、続編だしジーン・ハックマンも配役してしまっているしという感じのレックス・ルーサーの扱い。
一番最後にレックス・ルーサーが機転を利かせて装置を反転させてチェンバーの外に光線を出す様にしたとかだったら役が生きて来たと思ったのに、レックス・ルーサーの活躍も見せ場もほぼ無し。
この最後のゾッド一味を人間にした方法って、スーパーマンがこんな事仕掛けていましたよが全く無いので突然だし都合が良過ぎるだけで意味不明だった。

クリストファー・リーヴは相変わらずクラーク・ケントもスーパーマンも良いのだけれど、一方ヒロインのロイス・レーン役のマーゴット・キダーが物凄く痩せていて、一作目では魅力的に見えたのに今作では見ていても痩せぎす過ぎて大丈夫?と思える位魅力が全然無く、何でこんなにやせてしまったのだろう?と疑問。

この映画、一作目が非常に良かった分だけおもしろくなりそうな要素はあるのに、散漫になって見終わると何だかよく分からないボヤっとした感じに思ってしまった。
製作段階では前作の監督リチャード・ドナーが監督していて、実際に撮影も行なっていたのに、ワーナー・ブラザースやプロデューサーと上手く行かずに降板してリチャード・レスターが引き継いだらしく、出来上がった映画を見てがっかりしたリチャード・ドナーはクレジットに名前を乗せなかったらしいから、やっぱり後から相当変に手を入れた分だけよく分からない感じになってしまったのかなぁ。
その後2006年になって、リチャード・ドナーの思い描いていた本来の映画にする為に使われなかったシーン等も含めて再編集された「スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版」が公開されたけれど、「スーパーマンII」とは大分内容が違うみたいなので見てみたい。
ただ、「スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版」は配信はU-NEXTだけみたいなんだよなぁ。
U-NEXTは契約していないからなぁ。
それにしても、一作目の「スーパーマン」の次って「スーパーマンII」と「スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版」があり、その次は「スーパーマンIII/電子の要塞」だけれど、2006年になって「スーパーマンII」の続編として作られた「スーパーマン リターンズ」もあって、このシリーズの後からの並行世界化って変わったシリーズではある。

☆☆★★★
 
 
関連:スーパーマン(1978年)
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマンIV/最強の敵
   スーパーマン リターンズ
   マン・オブ・スティール

スーパーマン(1978年)

2022年06月20日 月曜日

リチャード・ドナー監督、クリストファー・リーヴ主演の1978年の映画「スーパーマン(Superman)」
DCコミックスのキャラクターのスーパーマンの映画化。
スーパーマンの四回目の映画化で、全四作のシリーズ一作目。

クリプトン星ではジョー=エルが恒星が爆発してクリプトン星も消滅するという理論を主張していたが他のクリプトン人達は信用せず、混乱を起こさない様にジョー=エルの主張を宣伝する事を禁止し、ジョー=エル一家のクリプトン星脱出も禁止してしまった。
ジョー=エルは滅んでしまうクリプトン星から自分の息子カル=エルだけでも逃がそうと安全な環境である地球へと息子を宇宙船で送り出すとクリプトン星は恒星の爆発に巻き込まれて破壊されてしまった。
宇宙船は地球に着陸し、カル=エルは通りかかったケント夫妻に保護され育てられて、普通の地球人クラーク・ケントとして超人的な力を抑えながら生きていた。
しかし、養父のジョナサン・ケントが病気で死んでしまった事でクラーク・ケントは家を出て北極へ向かい、ジョー=エルのデータが残った孤独の要塞を見つけ出して自分がクリプトン人である事を知る。
それから十二年が経ち、クラーク・ケントは大都会メトロポリスの新聞社デイリー・プラネットの記者となり、普段は気弱な青年クラーク・ケントとして生活し、何か事件があればスーパーマンとして人々を救い始めた。

スーパーマンと言えば、二十一世紀になってからも映画ではブランドン・ラウスヘンリー・カヴィルがスーパーマンを演じたり、ドラマでも「ヤング・スーパーマン」や最近も「スーパーマン&ロイス」をやっているけれど、何故かわたしのスーパーマンの印象は映画を見た事も無かったのにクリストファー・リーヴ。
なので、そのクリストファー・リーヴのスーパーマンの映画を見てみたけれど、やっぱりクリストファー・リーヴのスーパーマンは可愛らしくもカッコ良くて物凄く印象に残るだけの素晴らしさだった。

元々クリストファー・リーヴがデカくて男前というのはあり、クラーク・ケントの時から一人背が飛び抜けて高くて目立つけれど、普段は冴えないのにスーパーマンになるとカッコ良過ぎで紳士的ってキャラクターが抜群に良い。
途中に出て来たけれど、クラーク・ケントの時は背筋を丸めており、クラーク・ケントが眼鏡を取って背筋を伸ばすとちゃんとスーパーマンに見えるのはクリストファー・リーヴも苦心して役作りしていたんだろうなぁ。

ストーリーもきっちりとスーパーマンの出自と少年時代からスーパーマンの活躍の導入を丁寧に描いていて、一作目としてはきちんとしている。
特に序盤のクラーク・ケントの少年時代が非常に良く、凄い力を持っているのに人に見せびらかせない葛藤や、ジョナサン・ケントに相談したら「お前がやって来たのには何か意味がある。何かあるはずだ…。多分タッチダウンする事じゃないと思うけれど」と冗談交じりに父親もクラーク・ケントも悩みながら暮らしている感じって、アメコミのヒーローモノで今も描かれ続けている自問自答をちゃんとやっているし、その後の父親の死とクラーク・ケントが出て行く決意とか、短い時間でクラーク・ケントの少年時代を描き、映像的にも広大な土地での開けた自然を見せていて、ここの導入が非常に良かったし気持ち良かった。
これを見ていたら、今も昔もアメコミでクラーク・ケントの少年時代を何度も描きたがるのが分かった気がした。

メトロポリスに出て来てからは、クラーク・ケントとしては気弱なんだけれどお茶目で可愛らしかったり、スーパーマンとしては堂々としてるけれど恋には不器用だったりと、どちらも人物が立ちまくり。
それにロイス・レーンとの恋愛話として見ても中々良い。
ロイス・レーンはクラーク・ケントには興味が無く、一方で話題騒然のスーパーマンと直接会って話して空飛んでスーパーマンに夢中とかは仕事人間の女性がスターと会っての恋愛話の様で、ここは少女漫画的で当時の女性はこれにキュンキュンしてたのかな?
ロイス・レーンとスーパーマンの夜の飛行場面はおっさんが見ていてもキュンキュンしまくり。

ただ、話は散漫な部分があり、サッとカル=エルが地球に来ればいいのにクリプトン星での話が長いし、折角の一作目なのに普段のクラーク・ケントを描くのが少ないし、スーパーマンの対犯罪の活躍ももっと見たいし、レックス・ルーサー側の話はジーン・ハックマンで持ってはいるけれど大しておもしろくないし、何でレックス・ルーサーの手下のオーティスが尾行されている場面を長く見なくてはいけないんだ?で、クラーク・ケントとスーパーマンが中心になっていないのが非常に勿体無く思ってしまった。

特にマーロン・ブランドのジョー=エルの見せ場の初めの場面の長さや、特に説明も伏線も無く何で北極にあるの?な孤独の要塞が突然出て来てジョー=エルが説明し出す場面とか、ジーン・ハックマン演じるレックス・ルーサーが自分が何をしようとしているのかを自ら説明したり、スーパーマンの弱点等を全部説明する場面とか、何で各ロケットのコードを間違えてもう一回入れ直す場面を見ないといけないんだとかの別に無くてもよさそうな場面が結構あり、これって映画の最初のクレジットの時からスーパーマンを演じる主役のクリストファー・リーヴよりもマーロン・ブランドとジーン・ハックマンが先に表示されている事からも、この二人の存在が色んな意味で大きかったんだろうなぁ…と分かる二人の見せ場が必要以上に取ってあって、これが余計に感じられてしまった。
ここを削って、クラーク・ケントとスーパーマンの二重生活やロイス・レーンとの関係をもっと描いた方がおもしろかったのになぁ…と思ってしまった。

それに、最後のスーパーマンが地球の自転とは反対方向に飛び、地球の自転が反回転したら時間が戻るという超能力は流石にやり過ぎ。
時間を戻した所で何で地割れが起きていないの?という疑問はあるし、これってジョナサン・ケントの時は助けられなかったけれどロイス・レーンは助けられたという対比にしても、成長して頑張れば死さえ無かった事に出来るって物語として駄目でしょ。

あれっと思ったのは、初めに出て来たゾッド将軍の三人組。
てっきりこの三人とスーパーマンが戦うのかと思ったけれど、初めに登場した以降は忘れられたかの様に全く登場もせず、触れられもせず。
どうやら初めから続編の製作は決まっており、その続編の敵としての伏線で登場させたみたい。
なのに初め以外では登場せずで、後半とか一番最後に登場させて続編に繋げる伏線が無いのは何でだろ?

映像は確かに今見てしまうと安さはあるし、合成も当時の技術なのでしょうがない部分はあるけれど、スーパーマンが飛び立つ所や着陸する所は合成無しにワイヤー等で釣り上げている?生身で撮影しているので、今見ても飛び立つ時の本当にスーパーマンが飛んで行く様な「おっ!」という感じがあるし、飛んでいる空中での動きもカメラを動かして空を飛んでいる感を出していて撮影が上手い。

この映画、1978年の映画という事で結構なめて見てしまったけれど、それを超えて来るおもしろさ、良さ。
もちろんクリストファー・リーヴの素晴らしさもあるけれど、撮影や特撮も結構良いし、話も要所要所を押さえてクラーク・ケントとスーパーマンの対比やロイス・レーンとの恋愛話もおもしろく、当時大ヒットしたのも分かるし、わたしも含め今でもスーパーマンと言えばクリストファー・リーヴというのも分かる映画で、非常に楽しく見れた。

☆☆☆★★
 
 
関連:スーパーマンII 冒険篇
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマンIV/最強の敵
   スーパーマン リターンズ
   マン・オブ・スティール