マン・オブ・スティール

2022年06月30日 木曜日

ザック・スナイダー監督、ヘンリー・カヴィル主演の2013年のアメリカ映画「マン・オブ・スティールMan of Steel)」
この映画の公開時点は違ったが、後にDCコミックスのキャラクターを使った映画シリーズのDCエクステンデッド・ユニバースの一作目となった映画。

クリプトン星は間もなく星の寿命が尽きようとしていた中でゾッド将軍がクーデターを起こし混乱状態となった。
ゾッド将軍への協力を拒否したジョー・エルはゾッド将軍に捕まるが逃げ出し、ゾッド一味に命を狙われたのでクリプトン人達の遺伝子を記録したコデックスを盗み出し、滅び行くクリプトン星から脱出させる息子のカル・エルにコデックスを預けた。
ゾッド一味は捕まりファントム・ゾーンに追放されるがクリプトン星が爆発した事によりゾッド一味が解放された。
地球でケント夫妻に育てられたカル・エルはクラーク・ケントとして生きていたが自分の特殊な力はジョナサン・ケントから明かすべきではないと言われ、自分が本当は何者なのかを探そうと放浪して暮らしていた。
クラーク・ケントは北極で数万年前にクリプトン人が植民地化を行う為に宇宙中に派遣していた宇宙船を発見し自分が何者なのかを知った。
そこにゾッド一味の宇宙船が現れて地球人として暮らしているカル・エルを差し出せと要求して来た。

クリストファー・リーヴのスーパーマンシリーズを四作続けて見て、ブランドン・ラウスの「スーパーマン リターンズ」も続けて見たので、続けてこの「マン・オブ・スティール」も見てみたのだけれど、確かにこれまでの路線とは違う所に行かないといけないというのも分かるし、CGや合成がより進んで映像的は凄くなってはいるのだけれど、わたしはどうにも終始盛り上がらず、カタルシスも無くで、つまらない訳ではないけれどおもしろいかと言えばそうでもない映画だった。

初めはラッセル・クロウ演じるジョー・エルのアクション場面からなんだけれど、クリプトン人の服は珍奇だし、ジョー・エルの鎧?も悪役っぽいし、何よりジョー・エルが何かの生き物に乗って行動する所が別にスーパーマンでやる必要性も感じられずで、掴みが全然はまらず。

その後も、放浪し続けているクラーク・ケントを見せながら子供時代も見せる手法は今回はこういう感じなのか…位ではあったけれど、クラーク・ケントを演じるヘンリー・カヴィルが髭モサモサで胸毛モサモサで寒そうな地方(カナダっぽい?)だったのでウルヴァリンに見えて来て、序盤はずっと何を見ているのだろう?状態になってしまった。

このスーパーマンはスーパーマンになるまでが長く、スーパーマンのカッコ良さが見たいのに中々スーパーマンが出て来ないので結構飽きている部分があった。
それにこのスーパーマン、33歳まで自分探しって長くない?
これって完全にヘンリー・カヴィルを配役したから遅出のスーパーマンにしていない?
このスーパーマンの悩む感じってハイティーンや二十代位までならスッと入って来るけれど、三十過ぎって結構きつくないか?

中盤でやっとスーパーマンとして覚醒してゾッド一味との戦いになったけれど、これがあんまりおもしろくなかった。
普通の場面では普通の人間の動きだけれど、アクションになると動きが速過ぎだし、カメラも普通の場面でも元々キッチリと固定せずに微妙にブレさせていて気にはなっていたけれどアクション場面ではやたらと早く動かして編集も短くして何やっているのか分かり難い見せ方。
わたしは以前からこのカメラをぶらして短く編集するという見せ方が大嫌いなので、この映画でもアクションがいまいちはまらず。
あと、遠目の宇宙の映像から急に宇宙船に寄ってピントを合わせるという演出も嫌い。

それにあれだけ建物に激突してぶっ壊しながら戦い続けていたので決着はどうするんだ?と思っていたら、スーパーマンがゾッド将軍の首捻って終わりって、その呆気無さに肩透かしを食らってしまった。
あれだけ物にぶつかっても首を地面に押し付けても大丈夫なのに首は折れるんだ。
その前のゾッド将軍が目からのビームで家族を狙っていた時にスーパーマンがゾッド将軍の頭を押さえて守っていたけれど、あれってゾッド将軍は目を動かせるんだから意味無くない?と思って見ていた。
本当だったらスーパーマンが必死にゾッド将軍の顔を左側に向けさせ、ゾッド将軍はその状態で目玉を右に寄せているという間抜けな映像になっているはず。
で、結局あの家族って無事だったのか死んでしまったのかすら見せないって何なのだろう?

わたしがスーパーマンの映画を続けて見ていたので、どうしてもヘンリー・カヴィルのスーパーマンの印象が弱くなってしまったのもある。
それまでスーパーマンの映画を全く見ていなかったのにスーパーマンの印象と言えばクリストファー・リーヴのスーパーマンで、実際クリストファー・リーヴの映画を見てみたら、まさしくクリストファー・リーヴのスーパーマンこそがスーパーマンになり、何かいまいちと思ってしまったブランドン・ラウスのスーパーマンの後のヘンリー・カヴィルのスーパーマンだから仕方ないけれど、ヘンリー・カヴィルって結構髭濃いし、あんまり晴れやかなスーパーマンっぽくなく見えてしまった。
それはこのスーパーマンは自分の事ばかりで全然人を助けないというのもあったと思う。
スーパーマンの印象って、メトロポリスが攻撃されてビルの窓ガラスが割れて道の人々の上に降りかかって来た時に飛んで来てヒートビジョンでガラスを消滅させて去って行くというのがスーパーマンなのに、このスーパーマンはメトロポリスが攻撃されて物凄い被害で多くの人が死んでいるのに気にしている様子は無く、とにかくゾッド将軍って、これで人々がスーパーマンを称賛する訳ないじゃない。
このスーパーマンで人々がスーパーマンを求めるって無理やり過ぎ。

ここら辺は見ていて思ったのは、そもそもザック・スナイダーってスーパーマン興味無いんじゃないの?という事。
スーパーマンを変にこじらせた内気な三十代にしてみたり、スーパーマンを映像的に見せるって事が無く、見た目の気持ち良いカッコいいスーパーマンが無くて、「スーパーマン リターンズ」での墜落する飛行機を救うスーパーマンとか、宇宙空間で漂うスーパーマンとか、自動車を持ち上げるスーパーマンとか、画的に見せるスーパーマンを見せていたブライアン・シンガーの方がスーパーマン愛が溢れていて好印象だったし。

あと、死んだはずのジョー・エルが後から出て来て活躍したり、田舎の農場のジョナサン・ケントとか、脇役がラッセル・クロウとかケビン・コスナーとかダイアン・レインローレンス・フィッシュバーンクリストファー・メローニとか濃過ぎるので、ヘンリー・カヴィルのスーパーマンが弱くなってしまっている気がした。
それにしてもジョナサン・ケントの墓標に「1951-1997」と刻まれていて、あのケビン・コスナーが46歳って無理あり過ぎ。
久々にケビン・コスナーを見て、「ああ、何だかおじいちゃんになったなぁ」と思っていたのに46歳設定って、設定だけならミスキャストじゃない。

この映画、そこまでつまらない訳ではないけれど終始盛り上がらず、スーパーマンが常にウジウジしていて爽快感が無く、スーパーマンの悩みを描く割に大惨事で人々が大勢死んでいるはずなのにそれは全然描かず、大勢の人々を助けられなかったスーパーマンの後悔や悩みは描かないチグハグさというか狡さがあったりで全然はまらなかった。
これが巷で聞く、はまる人は絶賛するけれど、はまらない人は何だかなぁ…なザック・スナイダー映画そのものなのかな?

☆☆★★★
 
 
関連:スーパーマン(1978年)
   スーパーマンII 冒険篇
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマンIV/最強の敵
   スーパーマン リターンズ

   スーサイド・スクワッド
   アクアマン

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