スーパーマン(1978年)

2022年06月20日 月曜日

リチャード・ドナー監督、クリストファー・リーヴ主演の1978年の映画「スーパーマン(Superman)」
DCコミックスのキャラクターのスーパーマンの映画化。
スーパーマンの四回目の映画化で、全四作のシリーズ一作目。

クリプトン星ではジョー=エルが恒星が爆発してクリプトン星も消滅するという理論を主張していたが他のクリプトン人達は信用せず、混乱を起こさない様にジョー=エルの主張を宣伝する事を禁止し、ジョー=エル一家のクリプトン星脱出も禁止してしまった。
ジョー=エルは滅んでしまうクリプトン星から自分の息子カル=エルだけでも逃がそうと安全な環境である地球へと息子を宇宙船で送り出すとクリプトン星は恒星の爆発に巻き込まれて破壊されてしまった。
宇宙船は地球に着陸し、カル=エルは通りかかったケント夫妻に保護され育てられて、普通の地球人クラーク・ケントとして超人的な力を抑えながら生きていた。
しかし、養父のジョナサン・ケントが病気で死んでしまった事でクラーク・ケントは家を出て北極へ向かい、ジョー=エルのデータが残った孤独の要塞を見つけ出して自分がクリプトン人である事を知る。
それから十二年が経ち、クラーク・ケントは大都会メトロポリスの新聞社デイリー・プラネットの記者となり、普段は気弱な青年クラーク・ケントとして生活し、何か事件があればスーパーマンとして人々を救い始めた。

スーパーマンと言えば、二十一世紀になってからも映画ではブランドン・ラウスヘンリー・カヴィルがスーパーマンを演じたり、ドラマでも「ヤング・スーパーマン」や最近も「スーパーマン&ロイス」をやっているけれど、何故かわたしのスーパーマンの印象は映画を見た事も無かったのにクリストファー・リーヴ。
なので、そのクリストファー・リーヴのスーパーマンの映画を見てみたけれど、やっぱりクリストファー・リーヴのスーパーマンは可愛らしくもカッコ良くて物凄く印象に残るだけの素晴らしさだった。

元々クリストファー・リーヴがデカくて男前というのはあり、クラーク・ケントの時から一人背が飛び抜けて高くて目立つけれど、普段は冴えないのにスーパーマンになるとカッコ良過ぎで紳士的ってキャラクターが抜群に良い。
途中に出て来たけれど、クラーク・ケントの時は背筋を丸めており、クラーク・ケントが眼鏡を取って背筋を伸ばすとちゃんとスーパーマンに見えるのはクリストファー・リーヴも苦心して役作りしていたんだろうなぁ。

ストーリーもきっちりとスーパーマンの出自と少年時代からスーパーマンの活躍の導入を丁寧に描いていて、一作目としてはきちんとしている。
特に序盤のクラーク・ケントの少年時代が非常に良く、凄い力を持っているのに人に見せびらかせない葛藤や、ジョナサン・ケントに相談したら「お前がやって来たのには何か意味がある。何かあるはずだ…。多分タッチダウンする事じゃないと思うけれど」と冗談交じりに父親もクラーク・ケントも悩みながら暮らしている感じって、アメコミのヒーローモノで今も描かれ続けている自問自答をちゃんとやっているし、その後の父親の死とクラーク・ケントが出て行く決意とか、短い時間でクラーク・ケントの少年時代を描き、映像的にも広大な土地での開けた自然を見せていて、ここの導入が非常に良かったし気持ち良かった。
これを見ていたら、今も昔もアメコミでクラーク・ケントの少年時代を何度も描きたがるのが分かった気がした。

メトロポリスに出て来てからは、クラーク・ケントとしては気弱なんだけれどお茶目で可愛らしかったり、スーパーマンとしては堂々としてるけれど恋には不器用だったりと、どちらも人物が立ちまくり。
それにロイス・レーンとの恋愛話として見ても中々良い。
ロイス・レーンはクラーク・ケントには興味が無く、一方で話題騒然のスーパーマンと直接会って話して空飛んでスーパーマンに夢中とかは仕事人間の女性がスターと会っての恋愛話の様で、ここは少女漫画的で当時の女性はこれにキュンキュンしてたのかな?
ロイス・レーンとスーパーマンの夜の飛行場面はおっさんが見ていてもキュンキュンしまくり。

ただ、話は散漫な部分があり、サッとカル=エルが地球に来ればいいのにクリプトン星での話が長いし、折角の一作目なのに普段のクラーク・ケントを描くのが少ないし、スーパーマンの対犯罪の活躍ももっと見たいし、レックス・ルーサー側の話はジーン・ハックマンで持ってはいるけれど大しておもしろくないし、何でレックス・ルーサーの手下のオーティスが尾行されている場面を長く見なくてはいけないんだ?で、クラーク・ケントとスーパーマンが中心になっていないのが非常に勿体無く思ってしまった。

特にマーロン・ブランドのジョー=エルの見せ場の初めの場面の長さや、特に説明も伏線も無く何で北極にあるの?な孤独の要塞が突然出て来てジョー=エルが説明し出す場面とか、ジーン・ハックマン演じるレックス・ルーサーが自分が何をしようとしているのかを自ら説明したり、スーパーマンの弱点等を全部説明する場面とか、何で各ロケットのコードを間違えてもう一回入れ直す場面を見ないといけないんだとかの別に無くてもよさそうな場面が結構あり、これって映画の最初のクレジットの時からスーパーマンを演じる主役のクリストファー・リーヴよりもマーロン・ブランドとジーン・ハックマンが先に表示されている事からも、この二人の存在が色んな意味で大きかったんだろうなぁ…と分かる二人の見せ場が必要以上に取ってあって、これが余計に感じられてしまった。
ここを削って、クラーク・ケントとスーパーマンの二重生活やロイス・レーンとの関係をもっと描いた方がおもしろかったのになぁ…と思ってしまった。

それに、最後のスーパーマンが地球の自転とは反対方向に飛び、地球の自転が反回転したら時間が戻るという超能力は流石にやり過ぎ。
時間を戻した所で何で地割れが起きていないの?という疑問はあるし、これってジョナサン・ケントの時は助けられなかったけれどロイス・レーンは助けられたという対比にしても、成長して頑張れば死さえ無かった事に出来るって物語として駄目でしょ。

あれっと思ったのは、初めに出て来たゾッド将軍の三人組。
てっきりこの三人とスーパーマンが戦うのかと思ったけれど、初めに登場した以降は忘れられたかの様に全く登場もせず、触れられもせず。
どうやら初めから続編の製作は決まっており、その続編の敵としての伏線で登場させたみたい。
なのに初め以外では登場せずで、後半とか一番最後に登場させて続編に繋げる伏線が無いのは何でだろ?

映像は確かに今見てしまうと安さはあるし、合成も当時の技術なのでしょうがない部分はあるけれど、スーパーマンが飛び立つ所や着陸する所は合成無しにワイヤー等で釣り上げている?生身で撮影しているので、今見ても飛び立つ時の本当にスーパーマンが飛んで行く様な「おっ!」という感じがあるし、飛んでいる空中での動きもカメラを動かして空を飛んでいる感を出していて撮影が上手い。

この映画、1978年の映画という事で結構なめて見てしまったけれど、それを超えて来るおもしろさ、良さ。
もちろんクリストファー・リーヴの素晴らしさもあるけれど、撮影や特撮も結構良いし、話も要所要所を押さえてクラーク・ケントとスーパーマンの対比やロイス・レーンとの恋愛話もおもしろく、当時大ヒットしたのも分かるし、わたしも含め今でもスーパーマンと言えばクリストファー・リーヴというのも分かる映画で、非常に楽しく見れた。

☆☆☆★★
 
 
関連:スーパーマンII 冒険篇
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマンIV/最強の敵
   スーパーマン リターンズ
   マン・オブ・スティール

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