スーパーマンIV/最強の敵

2022年06月26日 日曜日

シドニー・J・フューリー監督、クリストファー・リーヴ主演の1987年の映画「スーパーマンIV/最強の敵(Superman IV: The Quest for Peace)」
シリーズ四作目。

サミットでの会議は上手く行かず、世界各国は核軍拡へと進み始めた。
それを思い悩んだスーパーマンは国連で核廃絶を宣言。
打ち上げた核ミサイルを次々と捕らえて太陽へと廃棄していた。
しかし、軍拡で儲けようとする武器商人等と手を組んだレックス・ルーサーはスーパーマンの髪の毛から新たな命を誕生させてスーパーマンと戦わせようと思い付き、抽出したスーパーマンの遺伝子を核ミサイルに乗せて太陽で爆発させるとニュークリアマンが誕生した。
ニュークリアマンはスーパーマンを破壊しようと攻撃を始めた。

クリストファー・リーヴのスーパーマンのシリーズは一作目が非常に良かったのに、それ以降はいまいち過ぎで、いよいよシリーズ最終作だったけれど、やっぱりこれもおもしろそうな要素はあるのにどれもお座なりで全然おもしろくないままで終わってしまった。

この四作目は結構意欲的な題材が多く、デイリー・プラネットが売上不振で売却され、新たなオーナーは売る為には飛ばし記事的な見出しで売れれば良いと考える人物で、それに対抗しようとする編集長率いる生粋の記者達。
世界が核の脅威でどうなるのか?に対し、圧倒的な力を持ったスーパーマンはどう行動するべきか?と思い悩む。
スモールビルの生家を売りたいけれど農家をする人に売りたい。
スーパーマン以上の強さの新たな敵。
ロイス・レーンは相変わらずスーパーマンに夢中で、デイリー・プラネットの発行人となったオーナーの娘は真面目過ぎるクラーク・ケントに夢中になるという対比的な恋愛話。
硬軟混ぜて色んな要素があり、これらをちゃんと一つずつ膨らませて描けば結構おもしろい話になったと思うのに、どれもそれ以上は無いし、その結末的なモノさえ無かったりする。

変わってしまったデイリー・プラネットをジャーナリストの誇りで取り戻す…様な話は無く、オーナーの娘がクラーク・ケントに徐々に影響されて「新聞は真実を伝えるべきだ!」となって行ったから、ここら辺りのジャーナリズム精神から何かが変わるのかと思いきや、それまで何の伏線も無いまま最後に突然編集長がお金を集めて株買ったから新たなオーナーは小株主だ!でめでたしめでたしになってしまう唐突で都合良過ぎる結末。

核兵器をスーパーマンが太陽に投げ込んで問題解決になっていたけれど、それするとあちこちの国がスーパーマンを非難して、英語を喋るスーパーマンの活動の中心であるアメリカが戦争起こされる様な気がしないでもないし、これもその後のスーパーマンの悩みや考えが一切描かれずに最後に「やっぱり僕は間違っていた」的な話で皆で平和を作るんだみたいな話をして、スーパーマンの思いがさっぱり意味が分からなかった。

スモールビルの実家を売りに出していたので、と言う事は母親は死んだと思われるけれど、それは一切描かれず。
一作目で父との別れがあり、最終作で母との別れで、また新たな生き方をして行くクラーク・ケントを見せれば良かったのにと思った。

ニュークリアマンは最早意味不明だらけ。
スーパーマンの遺伝子を使ったのにスーパーマンと似ていない。
何故レックス・ルーサーは行き成り遺伝子工学の専門家になったのか?
スーパーマンの遺伝子を服の生地と混ぜて核ミサイルで太陽に打ち込んだら、人型生命体誕生とかぶっ飛び過ぎ。
ニュークリアマンは初めはレックス・ルーサーを部下だと言っていたのに、いつの間にかレックス・ルーサーの言う事を聞いているし。
ニュークリアマンは何故かスーパーマンを破壊する事を植え付けられており、それなのにスーパーマンと戦わずに町を破壊するのが先決。
オーナーの娘の写真が載っていた新聞を見てデイリー・プラネットに行くけれど、その理由は一切不明。
デイリー・プラネットにやって来て暴れ始めたニュークリアマンをスーパーマンは実力行使で止めもせず、待てと説得しかしない。
スーパーマンとニュークリアマンは宇宙空間でも生きているのは元々クリプトン人がそうだからで何となく分かるけれど、普通の人間のオーナーの娘が宇宙空間で普通に生きているとか何のこっちゃ?

ロイス・レーンとの恋愛も一作目で既にやったスーパーマンとロイス・レーンで空を飛ぶとか、二作目やったスーパーマンはクラーク・ケントだと正体を明かし、スーパーマンがロイス・レーンにキスするとロイス・レーンの記憶が消えるという謎の超能力とかをまたやっていて、一緒に空を飛ぶ方はまだしもキスの方は都合良過ぎで二作目で大いに白けたのにまたやり、しかもあっさりだし。
ロイス・レーンとスーパーマンも、オーナーの娘とクラーク・ケントの関係も最後に結局どうなったのかさえ描かず。
折角詰め込んだ事がことごとく何にもならないとか何だこの脚本。
製作会社がキャノン・フィルムズに変わって大分製作費が安くなり、合成や特撮が安くなってしまったのは仕方無いのは分かるけれど、それにしても脚本はもっともっと詰めなくていけなかったと思うのだけれど。

クリストファー・リーヴのスーパーマンとクラーク・ケントは変わらず良いものの、ジーン・ハックマンのレックス・ルーサーは役として弱く、結局スーパーマンへの復讐心なのか何なのか分からない行動原理の人物だったし、ロイス・レーン役のマーゴット・キダーは一作目から十年近く経ったから歳も取ってのおばさんと言うよりも、時々おばあさんに見えてしまう位覇気が無く、一作目の魅力のあったロイス・レーンは何処へ…だった。

この映画、最終作になってやっとクレジットの一番初めに載る事が出来たクリストファー・リーヴだったのに、こんなにおもしろくなりそうでならない最終作って勿体無いし、シリーズとしても非常に残念。
一作目の監督だったリチャード・ドナーがそのまま二作目三作目と作っていれば全然違う良いシリーズになっていたんだろうなぁと思ってしまった。

☆★★★★
 
 
関連:スーパーマン(1978年)
   スーパーマンII 冒険篇
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマン リターンズ
   マン・オブ・スティール

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