スーサイド・スクワッド

2022年07月30日 土曜日

デヴィッド・エアー監督・脚本、ウィル・スミスジャレッド・レトマーゴット・ロビー出演の2016年のアメリカ映画「スーサイド・スクワッドSuicide Squad)」
DCコミックスの各キャラクターやスーサイド・スクワッドが原作。
DCエクステンデッド・ユニバースの三作目。

政府高官のアマンダ・ウォラーは特殊な能力を持ったメタヒューマン達への対策として犯罪者を使い、何か問題があれば使い捨てに出来る部隊を結成しようとしていた。
その部隊にデッドショットと呼ばれる殺し屋フロイド・ロートン。
ジョーカーの恋人ハーレイ・クイン。
キャプテン・ブーメラン、エル・ディアブロ、キラー・クロック、スリップノット達を集め、特殊部隊大佐リック・フラッグに率いらせた。
リック・フラッグは以前から考古学者ジューン・ムーンの警護に当たって恋仲となっていたが、ジューン・ムーンは遺跡でエンチャントレスと呼ばれる古代の魔女の魂の封印を解いた事でエンチャントレスに体を乗っ取られており、リック・フラッグはその事も知っていた。
エンチャントレスは心臓をアマンダ・ウォラーに取られて言う事を聞いていたが、アマンダ・ウォラーから心臓を取り返して逃亡。
人間達を支配しようと魔法を使って町を荒らしており、その対処の為に部隊が派遣される事となった。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、メン・イン・ブラックシリーズに続いてアメコミ原作映画、かつウィル・スミスの映画を続けて見てみた。
全然何も期待して見なかったからか結構おもしろくはあった。

各個人を紹介してスーサイド・スクワッドの結成。
そこから話は一本でエンチャントレスと戦うという非常に分かり易い展開で王道なチームヒーローモノをやっている。
ただ、スーサイド・スクワッドなので悪党が終結する使い捨て部隊と思って見たらそうではないので「何じゃ、こりゃ?」にはなるんだとも思った。

スーサイド・スクワッドはアメコミでは読んだ事は無く、DCヴィラン達を使ったヒーローチーム位の偏見だけれど、この映画だとヴィラン達がヴィランらしさがないと言うか、ヴィラン部分を大して描かないので小悪党感しかないし、徐々にヴィラン同士で友情が芽生えたのかで仲間感が出て来て、本当にDCヴィラン達を使ったヒーローチーム。
DCエクステンデッド・ユニバースの三作目という早い段階でこれをやる必要性ってあったのか?とは思う。
シリーズ全体で見たら、これならジャスティス・リーグに向けて各メンバーの個人映画をやった方が良かったと思うし、ある程度先に色んな映画でヴィランを顔見世で登場させて、そのヴィラン達を集めてスーサイド・スクワッドを作って、そのメンバーが次々と死んで行ってしまう映画でも良かったのでは?とも思ってしまった。
この映画でも各メンバーの背景がざっと描かれていたけれど、それなら最初にバーンとスーサイド・スクワッドの活躍を出して、後からそのメンバーの背景を一話使ってシリーズを進めて行く連続ドラマの方が良かったのでは?と見ていて思ったし。

この映画ではやたらとハーレイ・クインが良い!と言う話を見たけれど、わたしはそこの期待値が高過ぎたからなのか大してではあった。
ハーレイ・クインのジョークはおもしろくなかったし、ジョーカーとの関係も元々サイコパスな犯罪者同士の恋愛は興味無いし、何故ハーレイ・クインはそこまでジョーカーに惚れているのかが分からないし、ジョーカーも何故そこまでハーレイ・クインに入れ込んでいるのかが分からずで全然ハーレイ・クインに乗って行けなかった。
この映画でのジョーカーは孤高の道化感が無く、ハリウッド映画の悪役でよく出て来る頭のおかしいチンピラ感しかない物凄い小物感が何かしっくり来ず。
わたしのジョーカーの印象って、大嫌いで大好きなのがバットマンで、ハーレイ・クインは利用出来たら利用する位で大して興味が無い印象だからか、このジョーカーのハーレイ・クインに対する愛情や入れ込み方が物凄く気持ち悪かった。
ジョーカーの「俺の女に手を出すな!」と言う若いチンピラ感が凄い小物感になってしまっていたし。

このハーレイ・クインよりはデッドショットとか、キラー・クロックとか、エル・ディアブロとかの方が印象が強く、エル・ディアブロなんてほぼ自分で能力を制御出来ずに反省してひっそりと死んで行こうとしている哀しき能力者で、このダークヒーロー感の押し出しの強さったらない。
ただ、最後に能力が覚醒して謎のほねほね炎に変身するのは意味不明。
と言うか、この部隊の中でエル・ディアブロだけメタヒューマンが過ぎるのは何なのだろう?
他の人はキラー・クロックを除き普通の人じゃん。
精神科医だったのにやたらと身体能力が高くなり、飛んでいるヘリコプターからビルの屋上に飛び降りても全然平気なハーレイ・クインは普通の人間ではないか。

キラー・クロックは服を脱いだら意外とガタイが小さいのが気になった。
顔が大きい割に体は普通の人並みだったし。

あと、カタナのコスプレ感は凄かった。
役柄的に別にいらないし、あれっ?と思う程日本語の演技は下手だし、何だかよく分からない背景を台詞だけで入れ込むしで非常にしょっぱい。

おっ!と思ったのは、ハーレイ・クインとジョーカーで1999年のアメコミ「Batman: Harley Quinn」のアレックス・ロスのカバーアートを再現していた場面。
こういう映画でカバーアートの再現するのって好き。

以前から気になっているのが「Suicide」の表記や発音。
英語だと「súːəsὰɪd」なので「スーアサイド」に近いけれど、何故カタカナ表記は「スーサイド」なんだろうと。
「Suicide」なんだから「スーイサイド」でもいいのに、何故最初の「i」を無視して「スーサイド」なんだろう。

この映画、このノリでヒットしたのは分かるけれど、単にチームヒーローモノになってしまっていてDCヴィランを集めたスーサイド・スクワッドとしては意味があんまり無い様に思うし、やっぱりシリーズ三作目でこれをする意味が分からず、DCEUって何をしようとしていたんだろうか?とも思ってしまった。

☆☆☆★★
 
 
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