インターステラー

2022年08月11日 木曜日

クリストファー・ノーラン製作・監督・脚本、マシュー・マコノヒー主演の2014年の映画「インターステラーInterstellar)」

近未来の地球では異常気象や植物の病気で食糧危機が起こり世界は衰退していた。
元パイロットだったジョセフ・クーパーは父親と息子と娘で農場を営んでいた。
ジョセフ・クーパーの娘は以前から家に幽霊がいると言っており、ジョセフ・クーパーはそれを信じていなかったが娘は本が本棚から落ちる現象を調べていた。
やがてジョセフ・クーパーはそれが何かの情報ではないかと気付き、その情報は位置を示しており、ジョセフ・クーパーと娘がそこに向かうと秘密の施設があり捕らわれてしまった。
その施設は以前に解体されたはずのNASAの研究施設で、このままでは地球の植物が全滅して人類は滅んでしまうと考えたNASAの人々は、数十年前に土星付近に突如現れたワームホールを通って別の恒星系へと行き、人間が居住可能な惑星を探すラザロ計画を行なっていた。
ジョセフ・クーパーはその宇宙船のパイロットとして誘われ、家族を残して長期間の宇宙探査へと向かう事にした。

わたしの前知識としてはクリストファー・ノーランの宇宙モノのSF映画位で見てみて、その宇宙モノのハードSFに前半から掴まれっぱなしでずっと見入って非常におもしろかったのだけれど、終盤の伏線を回収する為の一気な都合の良さで白けてしまい、見終わった後は何だかなぁ…で一杯になってしまった。

導入から、アメリカの片田舎の生活を描いているのだけれど所々で現実とは違う世界というのを見せ、この世界は一体どうなっているんだ?のミステリー的な見せ方に捕まれ、そこから一気に王道の地球外移住の宇宙探査モノになり、宇宙航行にワームホールに未知の惑星にブラックホールとハードSFを映像で見せるのが非常に上手くて集中力が切れる事無く見入っていた。
宇宙船のドッキング場面はサスペンスとスペクタクルだし、宇宙船を回転させて遠心力で宇宙船に重力を作るのを詳しく見せたり、宇宙船が回転しているので窓から回転している地球が見えているとか、宇宙船に付けたカメラ視点の映像なので周囲が動いているとか、映像的にも非常におもしろかった。
ワームホールは他の恒星系が歪んでいたり、未知の惑星では巨大な津波だったり、雲が凍って上も大地の様とかの映像も良く、この景色が歪むとか上下が分からないとかの映像ってクリストファー・ノーラン好きだよなぁと思って見ていた。

ただ、あれ?と思う部分も結構多く、わたしが嫌いなハリウッド映画によくある典型とかも引っ掛かる部分でもあった。
彼らはトンデモない技術力を持っているのに何故か直接接触して来ないハリウッドのファーストコンタクトモノの典型。
モールス信号最強!のハリウッド映画の典型。
ブラックホールの近くの惑星は重力が強いのに探査船のジェット噴射で引力圏外に出ていたけれど、そこより重力が弱い地球から出る時は何段式のロケットが必要だったのは何?
何故かワームホールを抜けて向こうからやって来る電磁波は受信出来るけれど、器機の故障なのかこちらからの送信は出来ない?向こうが受信出来ていない?という都合の良い制限された状況。
先発隊も主人公達も惑星の静止軌道上で停泊して無人探査船を惑星に送り込んで調べてから人間が行くとか一切せず、常にイチかバチかで突っ込んで行く無謀さ。頭の悪さ。
ブランド教授はブラックホール内部の情報が無いと重力の方程式が解けず、多くの人間が住めるスペースコロニーを送り出せないと言っているけれど、これが意味不明で、宇宙船を何度もワームホールへと送り出しているのだから何度も部品を運んで向こうで組み立てて、現状でもやっている遠心力で重力を作り出せばいいのに何故それは出来ないの?
と等々、気に出したら引っ掛かる事ばかりが増えて行った。

極めつけが最後の主人公がブラックホールに落ちた以降で、まあ何かの意思?生命体?が五次元空間を作り出したのはそういうものだろう…と納得はしつつもSFというよりもファンタジー的になってしまって興味が薄れてしまい、こういうモノだからこういうモノなんです!に置いてけ堀感があり、特にあれだけの技術力?なのに何故か主人公が行けるのは本棚の裏だけという展開の都合上の便利さに、トンデモない情報量のデータをモールス信号に変換して腕時計で送るとか、そもそもどうやって腕時計の内部構造に干渉して、どうやって腕時計の内部の機械構造を規則的なモールス信号の動きにしているの?とかは都合良く一切説明しないし、ワームホールから大分離れた所にあったブラックホールから出たら土星のワームホール付近にいる便利さとか、ここまで結構なハードSFで進めていたのに突然説明をぶん投げたファンタジーで片付けてしまい、これって伏線を上手く回収して主人公を帰還させる為だけの脚本の都合上の展開にしか思えず一気に醒めてしまった。
最近「伏線回収」が見え透いてしまう展開が非常に駄目で、お笑いとかでも「伏線回収」しているのが分かると一気に醒めるし、「伏線回収」という言葉自体が陳腐に思えて嫌いになっている事もあるのかなぁ。

それに、愛の物語としても微妙。
主人公の娘への愛は分かるけれど、主人公の父親や息子への愛がほとんど描かれておらず、「娘大好き!親父と息子?何それ?」な主人公は一体何なんだろう?
主人公の父親に対する想いはさっぱり分からず、自分勝手に家を出て行く主人公が息子に「家族を守ってくれ」と言い、それを律儀に農場を守っていた息子に対する愛情は全然無く、主人公が帰還した後娘が生きている事を知って嬉しがっていたけれど「息子はどうなった?」さえ聞かない父親って何?
この主人公の親父と息子への無関心さが怖かったし、クリストファー・ノーランのこの親父と息子への興味無さが怖かった。

あと、後半になって突然マット・デイモンが登場してちょっと驚きで、わたしはマット・デイモンが出演している事を知らなかったので行き成りちょっとだけの役で出て来て笑ってしまったのだけれど、それ以上にそこまで散々天才だ!天才だ!と振りに振っていたマン博士役がマット・デイモンで、そのマット・デイモンはやっぱり天才には見えず、冴えない大学生位にしか見えず、きっちりドッキングしていないエアロック開けて吹っ飛んで終わる、やっぱり頭の悪い人物で、天才マン博士役としては全くの配役ミスだけれど頭の悪いかき乱し役のコメディリリーフとしては良かったかも。

最後に主人公が宇宙船に乗って宇宙に出て行こうとする場面を見て、クリストファー・ノーランってスター・ウォーズが好きなのかな?と思った。
それまで白い宇宙服だったのが急に黒い宇宙服で成長したルーク・スカイウォーカーかよと思ったし、宇宙船の前に主人公が乗って後部座席にTARSが乗ってるって、ルーク・スカイウォーカーとR2-D2のXウイングだし。

主人公のマシュー・マコノヒーは最近見た1997年の映画「コンタクト」での軽い感じから二十年位経って渋さが出て良い感じになっているなぁと思ったけれど、歳を取ってからのトム・クルーズノア・ワイリーに似ている気がして変な集中力の削がれがあった。

あの元海兵隊が使っていたロボットTARSの造形は今までに無い、良くも悪くも斬新な箱型ロボットというのはおもしろかった。
ただ、あの形って地上でも宇宙空間でも邪魔だし、変形すると突如高速に機敏に動いてはいたけれど通常では動きが悪そうで、あの構造であの動きだと床が傷だらけになって文句しか言われなさそうで、何であんな形なのかと思った。
もしかすると、話が最終的に新版「2001年宇宙の旅」みたいになって、何でそこまで「2001年宇宙の旅」に捕らわれているの?と残念ではあったけれど、あの四角いロボットってモノリスから来ていたのだろうか?

この映画、前半中盤のハードSFとしては非常におもしろかったけれど、最後の「伏線回収」の為の展開で急に白けてしまい、娘だけにしか興味が無く息子は気にかけず、アメリア・ブランドに自分を受け入れてもらえる自信しかなく宇宙に出て行く主人公が急に怖くなってしまって、見終わると何だかなぁ…な感じになってしまう映画でした。

☆☆☆★★

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