コンタクト

2022年05月21日 土曜日

ロバート・ゼメキス製作・監督、ジョディ・フォスター主演の1997年のアメリカ映画「コンタクト(Contact)」
カール・セーガンのSF小説「コンタクト」が原作。

天文学者のエリナー・アロウェイは地球外知的生命体を探るSETIプロジェクトを行っていたが、ある日ヴェガから発信された人為的な信号を見付け出した。
それを知ったアメリカ政府はプロジェクトを政府の下に置いて調査を進めると信号の中には膨大な情報が隠されていた事が分かった。
その情報は謎の装置の設計図であり、その装置はヴェガへの移動装置かもしれない事が分かり、世界各国が協力して装置を作り上げた。

わたしは確か昔に一度見た様な気がするけれど全然覚えておらず、改めて見てみると地球外知的生命体らしきモノとのファースト・コンタクトを描いたハードSFではあるけれど、結構何じゃそりゃ?な展開が多く、終盤になると自己啓発的な信仰ファンタジーになるから記憶に残らなかったんだと気付いた。

序盤から主人公のエリーの生い立ちや研究に対する理由をじっくりと描いているのはいいんだけれど、それでもエリーに対する共感性が無いのは、何の実績も出していないのに絶対的な自信だけで他人を説得出来ると思っているのがついていけないし、説得する場面で直ぐ切れちゃうしで、ずっと主人公に乗って行けず。
出会ったパーマー・ジョスとその日に寝ちゃうのは幼い時に両親を亡くした寂しさからかと思ったけれど、別に他の男とはそんな事が描かれず、何で彼だけ?だし、このパーマー・ジョスとの恋愛関係も微妙でおもしろくなく、単に科学と宗教という対立構図を入れる為にパーマー・ジョスと行き成り理由も無く寝てしまっていたり、彼が存在している様に思えてしまった。

謎の信号を受信してからの謎解きは結構おもしろかったものの、そこら辺りからは映画の展開の為の展開みたいな事が多くなってドンドンと覚めて行ってしまった。
信号を分析して出て来た情報は平面ではなく立体に組み合わせるという謎解きの為の手間をかけた仕掛け。
移動装置なのかどうかを機械工学の専門家ではなく天文学者と議論している政府首脳達。
もしもヴェガに行って科学技術が高度に発展したヴェガ人が人間の姿とは全く違う、例えばベチョベチョの流動体生物だったり、ヒューマノイドでも見た目が悪魔みたいだったら特定の信仰がある人間だと危険な言動もあるかもしれず相当に問題が出て来ると思うのに信仰の無い人間では駄目というヘンテコな基準。
これだけ注目されて議論も出ている移動装置の実験なのに、移動装置へ体に爆弾巻いて簡単に侵入出来てしまっているザル過ぎる警備。
どれだけの作業員を動員して、どれだけの膨大な資材を搬入したのかなあれだけの巨大な移動装置を外部に全く知られずに秘密裏に北海道に建設していましたという都合の良過ぎる後出しじゃんけん。
時空移動しているなら何らかの変動の痕跡のデータがあるはずだし、球体の表面の状態の分析とかも普通はするはずだし、今度は無人で再実験とかもするのが普通なのに、それすらしていないのか、それとも単に描いていないだけなのかで主人公は嘘つきとして攻められる展開の為の展開。
今までの防衛大臣が急に辞任して公聴会で主人公を追い詰めるという分かりやすい悪役等々、展開の為に何じゃそりゃ?な事が結構多くて真剣に見ていなくなってしまっていた。

終盤の移動装置でヴェガに行く時も、何故か乗っている球体の内側が透けだすとかは完全に映像的な見た目を優先して後ではそこには一切触れないし、移動中に何が起こるか分からないのに主人公はシートベルト外して方位磁石を取りに行ってしまうし、それで座っていた椅子が壊れたけれど、この壊れた椅子の事も後では一切触れず、実際に椅子が壊れているのか、椅子が壊れていないのかで主人公の妄想だと思っているのかも描かないし、実際に椅子が壊れていたなら主人公以外はあの一瞬で何らかの事情で大丈夫なはずに設計したシートベルトが外れて椅子が壊れたと思っているの?とか何も描かれずで酷い投げっぱなし。

ヴェガ人も話しやすい様に主人公の記憶を覗いて父親の姿にして、何にも説明せずにバイバイとか、まあ言いたい事の為の都合の良さったらない。
これって、例えば謎のメールをたまたま受信した人に自分で飛行機作って私の家までやって来いというメッセージを送って、実際にその人がやって来たらとにかく帰れ!と言って追い出すのと大して変わりなく、それは意味不明だし、頭おかし過ぎるとしか思わないし。
何より移動装置よりもまず通信装置じゃないの?
移動装置を作らせる理由は、通信装置で相互で意思の疎通取れてしまったら話が終わりだし、移動装置を元々持っているヴェガ人がやって来る訳でもなく、わざわざ地球人をやって来させて、それを曖昧にさせないといけないからの移動装置でしかないし。

結論的な「一人じゃない。孤独じゃない」というのも臭過ぎるし、科学と信仰は変わらないと言う為に徹底的に情報収集と分析をしない、情報収集をしたのかすら見せない都合のよさで、やっぱりハードSFではなく、それが言いたい為の自己啓発モノにしか見えず。

この映画、入りが現実にもありそうなハードSFから入ったのに段々と言いたい事や展開が優先された何だかなぁ…な展開になってしまってドンドンと覚めていってしまった。
そんなに地球外生命体は神秘でないといけなく、人間は自己啓発に向かわないといけない理由がよく分からなかった。

☆★★★★

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