GODZILLA ゴジラ

2017年12月24日 日曜日

ギャレス・エドワーズ監督、アーロン・テイラー=ジョンソン渡辺謙出演の2014年のアメリカ映画「GODZILLA ゴジラ(Godzilla)」。
ゴジラ映画としては30作目。
外国産新作映画としては2作目。
後に同じレジェンダリー・ピクチャーズ製作の映画「キングコング: 髑髏島の巨神」と世界を共有すると発表された「モンスターバース」の1作目。

1999年。フィリピンの炭鉱の地下から巨大な生物の化石が発見され、そこから何かが海へと這い出た様な跡が見つかった。
その後、日本の雀路羅市の原子力発電所で謎の揺れが起こり、発電所は倒壊した。
15年後。倒壊した原子力発電所で働いていたジョー・ブロディは揺れの原因を究明すべく、息子と立ち入り禁止区域になっている原子力発電所跡に侵入。そこで巨大な生物の繭らしき物が管理、研究されていた事を知る。
しかし、その繭から巨大生物ムートーが出現。更にはそのムートーを追ってゴジラまで現れた。

わたしは2016年の「シン・ゴジラ」は見ていないけれど、ゴジラシリーズは一作目は見たし、それ以外にも昭和、平成、ミレニアムシリーズと何作かは見ていて、ただ、別にゴジラ好きでもない程度。
で、この「GODZILLA ゴジラ」を見てみたけれど、話が緩慢でつまらなく、「ゴジラ対ムートー」のVSモノなのに対決ははっきり見せないというツボを外した演出で、結構退屈だった。

オープニング・クレジットは各配役や製作陣の周りの文章を黒塗りにして過去から秘密にされていたとか、ビキニ環礁での水爆実験は実はゴジラを殺す為の作戦だったとかを映像で見せて、この映画の世界観を説明するという上手さで一気に引き込まれはした。
ただその後は懐中時計を想い耽って握りしめる渡辺謙とか、忙しくて誕生日を忘れる科学者とかの演出の時点で、使い擦られた余りに凡庸な演出で「あれ?この映画しょっぱいかも?」と思ってしまったけれど、その後は正にしょっぱさばかり目立つし、一々突っ込みを入れてしまった。

日本の原子力発電所なのに何処かの一般的な工場の様な緩い防備設備しかない原子力発電所で閉じ込めざるを得ずに目の前で妻が死んでしまうという、これまた使い擦れられた演出でゲンナリ。
ここでこれだけのトラウマを受けたなら、ジョー・ブロディはこの後にムートーやゴジラに対して憎しみで立ち向かって行く人物になると思っていたら、序盤であっさり死んでしまい肩透かし。
それを見て息子のフォード・ブロディが父親の仇としてムートーに立ち向かって行く動機になっているのかと思いきや、それもほぼ描かれずに、元々軍人だったから国の為なのか、それとも妻と子供の為なのかもいまいちはっきりしないまま、それを描かないままで進めてしまい、序盤の家族ドラマが何にも発展しないお座なりな脚本。
あれだけ序盤を占めていたジョー・ブロディの研究は「ムートーは何かと交信していたんだ!」と気付いた時には、ムートーのメスが既に街中に現れており、ジョー・ブロディの研究も死も何も役に立たなかったというジョー・ブロディの無意味さったらない。
これだったらジョー・ブロディと息子のフォード・ブロディの物語は全く必要無く、芹沢博士と艦隊の提督との軋轢とか、芹沢博士に近い兵士が活躍する話で良かったんじゃないの?と思ってしまった位、要らない要素だった。

渡辺謙演じる芹沢博士もいらないちゃあいらない。
芹沢博士はムートーを追う理由を「ゴジラは調和を取り戻しに来た」とか映画内の人間も、映画を見ている方も訳の分からない説明で自分勝手に納得し、完全にゴジラにのめり込み過ぎてゴジラを信奉している痛い科学者になっており、アメリカ軍は人間を守るために当然何か対策を講じようとするのに芹沢博士は何か対策を講じる訳でもなく、「ゴジラにまかせておけ」と放任。それでゴジラが何とかしてしまうので、芹沢博士は説明をする為の狂言回しとして必要無いし。

それに不満はゴジラの見せ方も。
所々で、「闇の中に静かに立つゴジラ」とか、「尻尾の先が青く光って、背びれが光って、徐々に青白い光が体を駆け上って行き、熱線を吐く」とか、「煙の中に消えるゴジラ」とか、非常に映える場面はあるものの、ムートーを追い駆けて遂にハワイで両者が激突する!となった瞬間に場面が変わってテレビのニュース映像で終わらせてしまうとか、一番初めの「ゴジラ」にあった様な天災や戦争や核兵器等の象徴としての恐怖を徐々に見せて行くという方向性でもなく、明らかに「ゴジラ対ムートー」で昔のゴジラの怪獣対決モノなのに、一番の見せ所を見せないって何?
この時点で「あ~あ。つまんない…。」と諦めてしまった。
最後の二体のムートーとゴジラの対決も、やっと本格的に対決が見られると思ったら直ぐに人間視点になるし、わざわざ夜の場面にしてしまい、暗くて何しているかよく分からないのは最悪。
怪獣対決モノなのに、その対決をブツブツと切って調子が悪く、見せ場が物足りなさ過ぎる。
この映画の監督ギャレス・エドワーズは「モンスターズ/地球外生命体」という、完全にゴジラ好きが撮ったとしか思えない怪獣ロードームービを2010年に監督・脚本・撮影で撮っており、それが評価が良く、わたしもおもしろかったけれど、しかしそれがハリウッドで大作映画を撮るとこんなに駄目になってしまうのか…。
小作である程度自分の思い通りにやって、評価されて、一気に大作に抜擢というのが最近は多くなっているけれど、ハリウッドの仕組みなのか何なのか知らないけれど、その撮った大作映画が凡作、もしくは駄作になってしまう事が多い様な気がしないでもない。

他にも突っ込んでしまった所が多数。
富士山の近くに巨大都市があり、その都市部の直ぐ近くに原子力発電所があるファンタジー過ぎる風景の雀路羅市という日本語ではない謎の市名の都市とか、日本の風景のはずなのにアメリカ感ばかり感じられる町並みや家並みとか、日本を舞台にしているのに美術関係のスーパーバイザー的位置に日本人や日本在住経験のある人をいれなかったのが不思議。怪獣ブロックバスター映画なのでハリウッドで安く仕上げただけだと思うけれど。

原子力発電所跡にあれだけ巨大な施設を作って、あれだけの大勢で運営しているのに、15年間も外には一切情報が洩れていないとかは冗談並み。
既にネット社会なのに近くを飛んで撮影してインターネット上に上げている人が全くいないとか。

そう言えば、日本の原子力発電の事件なのに自衛隊が一切登場しないのも不自然。
アメリカ軍に全てを丸投げしたからムートーは日本の原子力発電所を一カ所だけ襲ってアメリカに行ったんじゃないかしらん。
原子力発電所と言えば、日本には結構な数の原子力発電所があるのにムートーは一カ所だけ襲ってアメリカに直ぐ行ってしまったけれど、何で他の原子力発電所には行かなかったんだろう?もしかして、原子力発電所の事故で日本中の原子力発電所を全て停止、もしくは廃止したのだろうか?

ゴジラがハワイに現れた時に大量の海水がまるで津波の様に陸に上がったけれど、見ていて「ゴジラ一体にしちゃあ、海水の量多過ぎだろ…」と思ってしまった。
要はゴジラを地震の津波の象徴として扱ったのは分かるけれど、やり過ぎで白けたし、だったら何でサンフランシスコは津波が襲わなかったの?の説明は無く、単にその場でしたい事をしただけなのか。
それと、ハワイでの津波場面では突如少女が主役になる場面が増えたのに、その少女が結局どうなったかは描かず仕舞いとか、いい加減な事するならわざわざ入れんな!と思ってしまった。

ムートーはあれだけ子供を産んでいるのに生き残っているのは二体だけだと相当生存率の悪い生き物だし、そもそも人間の歴史が数千年あって、今まであれだけ巨大な生物の化石も見つからず、モナークという秘密組織が秘密に出来ていたとか驚き。
何より、あれだけ巨大なムートーが空飛んでいるのに秘密に出来ているという時点で都合が良過ぎ。

微妙なのは役者も。
アーロン・テイラー=ジョンソンは、そもそも脚本がフォード・ブロディがどっちを向いて行動しているのかがさっぱり分からない拙さなのでしょうがないとは言え、何を考えて行動しているのかが滲み出て来ない薄さ。
それに兵士として行動し始めると、周りの兵士も同じ服装と装備なので見分け付き難いにしろ、多数の中に紛れ込んでしまうので、まあ存在感が薄い。
渡辺謙は他の映画でもそうなんだけれど、日本語で喋っている時は特に感じないのに、英語で喋ると演技が物凄く大袈裟と言うか、下手と言うかに見えてしまうのは何でだろう?
確かに渡辺謙の英語が日本訛りの英語なので下手糞英語に聞こえて、それに引っ張られて顔の演技も下手に見えるという事なのかなぁ?

この映画、「ゴジラ対ムートー」なのに見せ場がいまいち過ぎ、そもそも対決を見せないとか鬱憤ばかり溜まるし、何にも発展しない人間側のどうでもいい話で散漫かつ退屈になり、わたしはツボを外されまくった。
ゴジラの造形も結構良いし、見せ方も良いので、もっとちゃんとゴジラを見せて欲しかった。

☆☆★★★
 
 
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