醒拳

2022年11月29日 火曜日

ロー・ウェイ製作総指揮、チェン・チュアン監督、ジャッキー・チェン主演の1983年の香港映画「醒拳(龍騰虎躍)(Fearless Hyena II)」

六合八卦拳を使うチン兄弟は末世流の天鬼と地鬼に命を狙われており、それぞれ幼い息子を連れて何とか逃げ延びた。
それから十数年後。
息子達が成長したチン兄弟だったが離れ離れに暮らしており、未だに天鬼と地鬼はチン兄弟を狙って探し続けていた。

この映画、映画製作者のロー・ウェイとジャッキー・チェンが色々と揉めたらしく、その結果ジャッキー・チェンはこの映画の撮影途中でどっかに行ってしまったらしく、それでも諦めなかったロー・ウェイが「クレージーモンキー 笑拳」のNGや未使用場面や「拳精」や「龍拳」の場面を使って編集して仕上げたという映画らしく、この情報を知って、このトンデモ感が匂いまくる「醒拳」を見たくなり、それで「拳精」は以前見たので「笑拳」と「龍拳」を見てから「醒拳」を見ようと思ってその二作を見て「醒拳」をやっと見てみた。
「笑拳」で見た場面を無理矢理継ぎ接ぎして無茶苦茶な映画になっているかと思っていたのに意外と普通で物凄く肩透かし。
この映画は撮影が結構進んでいたようで、「笑拳」を継ぎ接ぎしているのは最後のジャッキー・チェンと敵との戦い位で、中盤辺りまではこの映画用のジャッキー・チェンの場面もそれなりにある。
「笑拳」での主人公のジャッキー・チェンと主人公の祖父とが敵から逃げながら暮らしているという設定が、この「醒拳」では同じ役者で主人公の息子ジャッキー・チェンと父親とが敵から逃げながら暮らしていて、似てはいるけれど住んでいる所は別だし、「笑拳」で師匠となった八本足のおじいちゃんと同じ役者が同じ様に杖をついているから「笑拳」から八本足のおじいちゃんとジャッキー・チェンの修業場面を流用してもよさそうなのにそういう場面は無いし、言う程「笑拳」の流用をせずに作り上げている。

だからと言ってこの映画がおもしろい訳でもなく、本来もっとジャッキー・チェンで話を進める予定だったのだろうけれどジャッキー・チェンを使えないので主人公の従兄弟を見せる場面が多く、何かに繋がる訳でも無い従兄弟の性格描写がやたらと多く、全体的に話が散漫になっていたり、前の場面から次の場面では説明も無く急に話が展開していたりと、終始何だか分からない話が延々と続いてつまらない。

ジャッキー・チェンが使えないので主人公が敵から正体を隠すという理由で変装した主人公を別の役者がジャッキー・チェンっぽく演じている場面が多々出て来て、遠めに撮ったり、後姿を多用してなるべく顔を見せないようにはしているけれどどう見てもジャッキー・チェンではないので話に入っては行けないしで、この中盤辺りで真剣に見なくなってしまった。
ただ、このジャッキー・チェンを演じている役者が結構ジャッキー・チェンっぽい動きをするのでこの役者は頑張っている感じはした。

話自体は何だかよく分からない理由で数年から十数年間敵が延々と命を狙って探し続けているという展開や、隠れ逃げる祖父・親と若い青年が祖父・親が殺されて青年が復讐する展開は「笑拳」とほぼ同じではあるけれど、この映画では親は兄弟で二人の従兄弟が別々に育ち、その二人が出会って反目しながらも共に修業して二人の敵を同時に倒すという部分があり、これをちゃんと出来れば結構おもしろい映画になったのに…と思ってしまって勿体無い気はした。

この映画、事前に知ったトンデモない感じの製作過程でヘンテコさを期待して見てみたけれど「笑拳」を流用して出来た映画のヘンテコさが大して無いので大分期待外れな上、話があっちこっち行っては何処もつまらなく、話は説明も無くぶった切り編集で続いて行く事も多いので単につまらない映画位でしかなくて、色んな意味で残念な映画でした。

☆★★★★

龍拳

2022年11月27日 日曜日

ロー・ウェイ製作・監督、ジャッキー・チェン主演の1979年の香港映画「龍拳(Dragon Fist)」

唐山道場の道場主のソウは武術大会で優勝したが、その武術大会に参加しなかったが自分こそが最強だと言う百勝道場の道場主ジョンが挑んで来た。
二人は対決するとジョンが勝ち、急所を突かれたソウは致命傷を負った。
死に行くソウに弟子のタン・ホオウァンは残されたソウ夫人と娘のモゥンランと道場を守る事を誓った。
それから三年後。
タン・ホオウァンは師匠の復讐の為にソウ夫人とモゥンランを引き連れてジョンの道場に乗り込んだが、ジョンの妻がジョンがソウを殺してしまった事を嘆いて自害し、それを悔やんだジョンは懺悔の為に片足を切ってしまっていた。
復讐しきれないタン・ホオウァンはジョンを敵対視するアィ一家に雇われる事となり、彼らの為に犯罪に加担してジョン達を攻撃し始めた。

ジャッキー・チェン主演映画だけれどジャッキー・チェン映画の何時もの笑い要素がほぼ無く、ジャッキー・チェンが攻撃を受けて痛がるリアクション芸とか変顔の顔芸とかも全く無い非常に真剣で暗い映画になっていて、作風としてはこの映画が目指す方向性は分かるし、話も師匠の復讐劇と揉めている二団体の狭間で揺れ動く主人公と分かるけれど、全体的に何を見せたいのかを絞り切れず、常に主人公が変わって行ってしまう様な展開で凄い散漫に感じてしまったし、主人公の考えが見えて来ない上に出番が少ないので何だかよく分からなくなってしまってあんまりおもしろくなかった。

始まりから師匠の死からの若い弟子の復讐劇になるかと思いきや、そこから三十分位まで敵のジョンのその後の悔恨をじっくりと描いているので行き成り「あれっ?」感で一杯。
このジョンの妻が師匠と関係があり、それを怒ったジョンが師匠を殺してしまい、それで妻が自害し、その為主人公の復讐に対して足を切ると言う結構ぶっ飛んだ反省をするという復讐相手をただの悪役にしないという展開はおもしろいものの、その足を切った事が分かった後のジョンは登場人物の中のその他一人位に急に描きが少なくなり、前半のジョンの描きは何だったの?という位存在感が一気に無くなってしまう。

その分主人公の話が前に出来るのかと思いきや、ジョンの弟子だったり、アィ側の話が多くなりと主人公が薄いのは変わらず。
そもそも師匠が負けたので師匠の復讐の為に師匠を超える位強くなる修業したとかも一切描かれず、ジョンのその後が描かれた後は行き成り三年後で、主人公も何故か強くなっているとか、主人公の描きが足りな過ぎて初っ端からこの主人公に乗って行けず、置いてけ堀。
その後も主人公は足まで切ったジョンに対して更に殺しにかかろうとしたり、自分を育てたソウ夫人の病気の薬をもらえるなら見知らぬ他人をボコボコにするわ、子供までを殺しても気にせずアィ側についてるわで、何か感情が欠落した部分があり全然ついて行けず。
それなのに最後で急にアィ側に付くのを止めたけれど、これの理由がいまいち何なのか分からず、やっぱり最後までついて行けず。

それにこの主人公側の人間関係が中々分からないのもついて行けなかった部分。
初めは主人公は弟子かと思って見ていたら中盤辺りで急にモゥンランに「兄さん」と呼ばれて、あれ?この二人兄妹なの?と思ったけれど、でも主人公はソウ夫人の事を「母さん」ではなく「ソウ夫人」と呼んでいて主人公は前妻の子供でソウ夫人が後妻なのかと思っていたら、終盤で主人公が「自分は孤児で師匠に拾ってもらった」と言い出して、主人公はあくまで師匠に息子の様に育ててもらったんだと関係性が分かり、何で初めに関係を説明せずに終盤で出して来て、見ている方をずっとモヤモヤさせたままにしたんだろうと疑問ばかり。
初めにジョンの妻が師匠と関係があったのを見せていたので、てっきり主人公はジョンの妻と師匠の子供。もしくはジョン夫妻の子供で、主人公が復讐しようとしていたジョンは実は自分の父親だった!的な展開になるのかと思いきやそんな事も無く、この人間関係を延々と説明せずに後出し後出しで説明して来るので勝手に想像ばかり膨らんでしまい、これって別に主軸の話と関係無いので人間関係を説明しない意味が全く無くて、人間関係を想像させてしまう事が邪魔。

主人公とこのモゥンランは恋愛感情があるのか?無いのか?もよく分からなかったし、ジョンの娘も主人公に気がある風な展開だったけれど何も無いし、この女性陣の使い方も結局何を見せたかったのだろう?

百忍道場はこの辺りでは最強集団っぽいけれど、やたらとアィ一家に出し抜かれまくりだし、攻めて来たアィ一家にあっさりほぼ全滅させられているし、アィ一家も最後になって急に自分達の企みを一切合切自白するとか、どっちもどっちで間抜け感が凄かった。

アィ一家も弟が初めに主人公にちょっかいを出したから主人公がアィ一家の手下になってからも協力しつつも敵対関係が描かれるのかと思いきや、それも無い所か、その後弟は空気な存在でほぼ活躍が無し。
兄のアィもそれまで強さを発揮する場面が一切無かったのに最後の戦いで急に強い感じを出して来たりと、どの人物もその場その場で急に焦点が絞られて前に出て来るけれど、それ以外では空気とか脚本が適当過ぎ。

この映画、ジャッキー・チェンが主演で主人公の復讐劇なはずなのに周りの人々を描く配分が多くて主人公の描きが少なくなり、結局主人公が薄くてこの主人公に乗って行けないままで終わってしまった。

☆★★★★

クレージーモンキー 笑拳

2022年11月24日 木曜日

ジャッキー・チェン監督・脚本・主演の1979年の香港映画「クレージーモンキー 笑拳(笑拳怪招)」

シンロンは祖父のチェンと二人で暮らしており、チェンはシンロンに武術を教えてはいたがシンロンは何時も真面目に学んではいなかった。
ある日、チェンが男達に襲われている所をシンロンは目撃したので助けようとしたが一人の老人に止められてチェンが殺されるのを何も出来なかった。
その老人はチェンの旧友であり、チェンは行意門派の開祖で、チェンを殺したヤンはチェンを反逆者として行意門一派の武術家達を次々と殺しており長年チェンを追っていたと言う。
シンロンはチェンの復讐の為にヤンを追おうとするがまだヤンを倒せるだけの力がないと老人に止められ、ヤンは老人の下で修業を始めた。

ジャッキー・チェンの初監督映画だそうだけれど、この次の監督・脚本映画「ヤングマスター 師弟出馬」でもそうだったのけれど、序盤は何処を目指しているのか分からない話が長々と続き、それまで結構明るい話だったのが急に殺伐とした戦いになり、ジャッキー・チェンが敵にボコボコにやられながら倒すというどちらも同じ様な内容で、何か既視感。
アクションはおもしろいけれど「ヤングマスター 師弟出馬」と同じで一つのアクションが長く続き、しかも連続で同じ様なアクションが続くので結構飽きてしまった。

話は結局は殺された祖父の復讐譚なのに後から思うと別にいらない様な話で水増ししている感が結構あった。
序盤の道場の用心棒の話はこれが敵に祖父の居場所が知られる引き金になっているのは分かるけれど、この道場破り対決が何度もで、しかも一人一人の対決が長いので、後から思うとこんなに見せる場面でもなかった様に思えてしまった。
ここはジャッキー・チェンのアクションの見せ場なんだろうけれど話的にはここまで引っ張る話でもない。
この道場関係者達をやたらと立たせたから後々何か絡んで来るのかと思いきや、これ以降全く登場せずで結局何だったの?感が一杯。

その後の八本足の麒麟が師匠となっての修業場面が一番おもしろく、二人でおかずを取り合っての箸での攻防とか、壺や鉢の上だけでの移動攻防とか、まあおもしろい事考えて、それを凄い体使いで見せていて物凄く見入ってしまった。

ここが一番だと思ってしまった事もあって、その後の敵との戦いは三人対一人のアクションは結構おもしろかったけれど、一番盛り上がらないといけないヤンとの戦いは長くて結構飽きてしまった。

そして、ジャッキー・チェンの復讐の達成の感想とかも無く急に最後に「子連れ狼」の歌が流れて終わってポカ~ン…。

結局チェンが開祖と言っていたけれど行意門派が何で、どうなって追われる身となったのかとかさっぱり分からないままだし、ヤン一味は十年間もあんな感じでチェンを探していたの?な上に、何故そこまで執拗に追っているのかの因縁話も全く分からないままだし、行意門派はどういう武術なのかもよく分からないままだし、あの喜怒哀楽拳は行意門派とは関係なさそうで八本足のおじいちゃん発案の拳っぽいけれど八本足のおじいちゃんが直接教えている場面も無いので何だかよく分からない拳法だし、何故八本足という異名なのかも分からないままだし、至る所で分からない話ばかり。

ジャッキー・チェンのアクションは発想がおもしろくて凄いのだけれど凄く気になったのがジャッキー・チェンの胸筋。
あれだけバッキバキに体を鍛えていたけれどほとんど胸筋が無いのはどうしてなんだろう?
元々ジャッキー・チェンの胸筋があんな感じなのか、カンフーアクションに振り切った体になるとああいう胸筋になるんだろうか?

この映画、アクションはおもしろかったけれどアクションの連続やどれも長いので段々と面倒臭くなって集中力が続かず、話はやたらと配分が多い前半の道場破りが後から思うといらない気ばかりし、復讐話は何だかよく分からない部分が多くて、まあジャッキー・チェンのアクションを見る映画なんだろうなぁと思った映画でした。

☆☆★★★

シートポストのボルトが折れたのでホームセンターでボルトを買って付ける

2022年11月19日 土曜日

以前(このブログを調べてみたら2017年)に自転車のサドルとシートポストを固定する金具を留めるネジが折れてしまったので、家を探すとこの金具の穴の大きさと長さに丁度良いネジがあったので、そのネジとナットで金具を固定していたのだけれど時々ネジが折れる事があり、今回も自転車に乗っていると「パキッ」という音がサドル付近から聞こえたので「折れたか…」と思って自転車を止めて調べると、ナットを回しても回してもスカスカなのでネジが中央部分で折れた事が分かり、金具は二本のネジで止めてあるので一本が折れても大丈夫ではあるので「帰ってからまた新しいネジと取替えるか…」と思って家路につくと、自転車の走行中に「バキ!」と大きな音が鳴ってサドルが落ちてしまった。

こうなるとサドルと留めている金具とシートポストを手持ちの紐で結んでみてもサドルはグラグラで、慎重にサドルに腰を下ろして自転車を走らせるとサドルがグラグラで暫くするとサドルが落ちてしまいどうしようもない。
金具を取ってサドルをシートポストに差し込むとサドルの形状から何とかシートポストと少しは噛み合って、BMXで極端にした前上がりのサドルみたいな感じでちょっとだけ固定されたので、それでサドルに腰を下ろして何とか帰っては来れた。

留める為のネジが無いとどうしようもないのでホームセンターでネジ探しの前に金具の穴の直径を計り、それでも不安だったので金具も持ってホームセンターへ。
ネジは「太さ5mm(M5)」で「長さ30mm」以上で「頭が六角レンチで回せる」物を目指してホームセンターへ行くけれど売ってない。
ボルトやナット等の資材をばら売りしているホームセンターでM5×30の六角穴付きボルトを見付けれたけれど、一応持って来た金具の穴とボルトを合わせて見るとスカスカ。
M6(6mm)のボルトだとピッタリだったので、やっぱり現物で確認するべきなんだとで安心した。

結局M6×40のボルト二本とナット二個で百円弱。

自転車に取り付けるとガッチリ固定。
それまでの家にあったネジだと何時の間にかサドルがグラグラして来て時々ネジやナットを締め直していたから、この金具の穴とネジの合わなさがネジに負担がかかって折れていたんだろうなぁ。
ちゃんとさっさと合うネジにすれば良かったと学びました。

LOOPER/ルーパー

2022年11月14日 月曜日

ライアン・ジョンソン監督・脚本、ジョセフ・ゴードン=レヴィット製作総指揮・出演、ブルース・ウィリス出演の2012年のアメリカ映画「LOOPER/ルーパー(Looper)」

2044年のカンザスではルーパーと呼ばれる殺し屋がいた。
30年後の未来ではタイムマシンが開発されたが法律で禁止されて犯罪組織だけがタイムマシンを使っており、その犯罪組織は殺したい人間を未来から2044年に送り込んでルーパーが殺害し、ルーパーは送り込まれた人間に付けられた銀を報酬としていた。
ある日、ルーパーの一人が未来から送られて来た人間を殺そうとするが、その送られて来た人間が未来の自分だと分かって殺す事を戸惑って逃がしてしまった。
標的を逃がした為にルーパーの組織から命を狙われるルーパーが、仲間であるルーパーのジョーの下へとやって来て、かくまって欲しいと頼んで来たので仲間をかくまったジョーだったが、組織に説得されて仲間の居場所を教えてしまった。
ジョーは仕事に戻り送られて来る人間を待っていたが時間通りに送られて来ず怪しく思うが暫くして現れた人間に反撃されて逃がしてしまった。
その逃がした人間は未来の自分だと気付いた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、タイムトラベルモノ位の前知識だけで見てみたのだけれど、この映画って多分話の中心軸となる部分を先に思い付いて、それを実現する為に他の設定や物事を付け足して行ったからよく分からない部分と言うか詳しい説明したら成り立たないからあえての無視やほったらかしが多いんじゃないかと思える内容で、この一々の疑問で引っ掛かってしまったり、中盤以降の何じゃそりゃな展開で終始乗って行けなかった。

タイムトラベルモノって、相当細かく設定や展開を作らないと矛盾が多くなるけれど、この映画はそこら辺は非常に曖昧にしかなっていないので、良い風に言えば想像の余地なんだけれど、単に有耶無耶で「?」ばかり。

未来でタイムマシンを幾ら法律で禁止したからと言って、それを全員が律儀に守り、唯一の犯罪組織だけがタイムマシンを使っているとか便利設定。
タイムトラベルの移送後は場所も時間も非常にキッチリ指定出来て人を送り込めるなら確実に殺せる溶鉱炉とかに送ればいいのにそういう事は思い付かないのかせず、何故か三十年前に送って人に殺させるという不便さかつ不確かさを取る理由が分からない。
ここら辺はそうしないと未来の自分がやって来れない、逃げ出せないという展開の為だけなんだろうけれど…。

そこら辺までは、まあそうなのかぁ…で見てはいたけれど、主人公の未来の年取った主人公がブルース・ウィリスという時点で一気に白けれてしまい、そこから集中力が続かない。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットが二十数年経つとブルース・ウィリスになっているとか最早コメディ。
何故この二人が同一人物?
パッと見ただけでもジョセフ・ゴードン=レヴィットは顎が割れているのにブルース・ウィリスは割れ無しで全然違い、その違い分かった所から顎ばかり見てしまった。
未来の主人公は何か犯罪で揉めたから整形手術したとかならまだ分かるけれど、そういう描写も無いし。
多分、映画の興行とか宣伝的な部分でブルース・ウィリスを配役したから仕方ないのでブルース・ウィリスが未来の主人公にせざるを得ないという事になってしまったのかなぁ?
この話なら未来の主人公もジョセフ・ゴードン=レヴィットが老けた特殊メイクでないと成立しないのにブルース・ウィリスって余りに酷い。

その後の主人公と未来の主人公の話になって行くけれど、現在の主人公の行動で何故か未来の主人公の体の傷等が出来たり、それだけでなく記憶も変わるんだったら主人公と未来の主人公が出会った時点で未来の主人公の過去が全く別のモノになるのだから一瞬で記憶がなくなったり、未来の主人公は過去に自分を殺した歴史を歩んだのだからその歴史が無くなり、その未来の世界が存在しなくなった未来の主人公は消えるんじゃないの?とか思ったけれど、やっぱりそれもそうしてしまうとこの話が成り立たないから深く触れずに誤魔化したのだろうなぁ。

その未来の自分との話になって行くのかと思いきや主人公が農場に行き、そこから急に女性との関係をまったりやり始めて更に飽きてしまった。
これは結末を描く為に必要だとは言え結構退屈で、そこから急に「オーメン」っぽくなったり、「キャリー」っぽくなったり、始めに説明は入っていたものの、タイムトラベルモノのSFから超能力ファンタジーになってしまって一体何を見ているんだろうか?感で大分飽きていた。
超能力はタイムマシンと何か関係があって現れたのかと思っていたけれど特に何の関係も無く、単に超能力を使える人が急に現れました…というだけって乱暴だし、これも結末に必要だからという都合の良さしかない。

色々考えてみたけれど、この映画の理屈では現在が変わると現在の未来から来たモノも変わってしまうのだから、最後に未来から送られた銀がそのままあったので未来の犯罪組織はそのままで、結局未来は大して変わってないんじゃないの?と思ったら良い話風で終わっても全部が何も意味が無かった様な気がしてならないし、過去を知っていて対処も出来るのにわざわざルーパーに未来の自分を殺させるのは何か意味があって、そこら辺が未来に繋がるのかと思いきやそうでもないみたいで、結局思い付いた流れと落ちをやりたいだけなので色々適当なんだろうか?

この映画、演出や雰囲気や編集で見れはするけれど一々引っ掛かる事が多く、それの説明も無く「タイムトラベルは複雑」でぶん投げてしまう上に、SFの土台を作って置きながら原因も無い便利な超能力というファンタジーをやってしまうので、最後に来ての台無し感で乗っかっては行けず、更に未来の主人公がブルース・ウィリスという製作の都合だけの強引過ぎるやり方にも、まあ乗って行けずで、作り手としては「細かい事は気にするな それ ワカチコ ワカチコ!」なんだろうと思うと真剣に見るだけ無駄の様な気がしてならなかった。

☆★★★★