2022年02月07日 月曜日
ポール・W・S・アンダーソン製作・監督・脚本、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演の2002年の映画「バイオハザード(Resident Evil)」
ビデオゲーム「バイオハザード」が原作。
後に全六作のシリーズとなった一作目。
アリスは洋館で目覚めたが自身の記憶が無かった。
そこに特殊部隊が襲撃して来てアリスと地元の警官マット・アディソンが部隊に捕まえた。
特殊部隊は洋館の地下を抜けてハイブという施設に行こうとしていた。
特殊部隊員の話ではハイブは巨大企業アンブレラの秘密地下研究施設で、ハイブを管理しているプログラムのレッド・クイーンがハイブ内の研究員全員を殺してしまった為にプログラムを停止させに行くと言う。
更にアリスはアンブレラの社員であり、洋館でハイブへの入り口を守っていたが緊急事態の為に神経ガスで記憶を一時的に消失させられていると言う。
ハイブに入った一行だったが、死んだはずの研究員達が凶暴化して襲って来た。
わたしはゲームの「バイオハザード」は「1」はやったはずで、「2」「3」辺りはやったのか、ゲーム配信でリメイク版を見たのか位で、未だにクリスやレオンがどのゲームの登場人物だったかを覚えていない位。
この映画も以前に一、二度見たはずで、何とはなく覚えている位で見てみた。
確かにアンブレラで、「1」の様に洋館から始まり、「2」の様に列車で地下の研究施設に行くとか「バイオハザード」ではあるけれど、ゲームでの主人公のS.T.A.R.S.の面々は出て来ず、アンブレラの社員側からの話なので一作目から非常に外伝感が強く、「バイオハザード」を題材に使った別物感は強い。
ただ本来の元々のゲームの方の「バイオハザード」が「7」以降、最早「バイオハザード」のゲームシステムを使ったほぼ別のゲームになっている事を考えたら、よっぽどこの映画の方がバイオハザードしている。
この映画では全員アンブレラ側と言うのも設定としてはいいのだけれど、終始つまらない訳ではないけれどおもしろい訳でもないという微妙な出来になっているのがどうにも。
アリスやもう一人が記憶を失っているという設定が徐々に記憶を取り戻して行っても何だか盛り上がらずで、この記憶喪失の設定を上手く活かしている様には思えなかったし、仲間がドンドンとやられて行く怖さも余り無いし、隊員が咬まれて感染しました。でもしぶとく生き残っています。治療薬があって打ちました。でもやられます。ゾンビになってしまいます…という展開も何だかなぁ…だったしで、常に物足りない感じ。
ミラ・ジョヴォヴィッチが所々でアクションを見せたけれど、そこだけ如何にもアクションを見せる場面ですよ!感が強くて浮いていた感じもあった。
ただ、襲って来る感染者を殴る蹴るで退治するのは結構斬新でおもしろかった。
あとおもしろかったオマージュでは、エレベーターの扉が開くと中から大勢の感染者(ゾンビ)が出て来るとかはジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」かなと思ったし、目が覚めると誰もいなくて世界が滅んでいるというジョン・ウィンダムの「トリフィドの日」から始まるアレかな。
この目覚めたら終わっていたというのはスティーヴン・キングの「ザ・スタンド」とかはこの映画の前だけれど、この「バイオハザード」以降、映画「28日後…」やアメコミからドラマ化もされた「ザ・ウォーキング・デッド」とかのバイオハザードモノやゾンビモノでやたらと使われる印象なんだけれど、普通は何が起こっているんだ?で引き付ける為に始まりでするのにこの映画では一番最後に持って来て、やっと問題解決したと思ったら続きそう…というオチにして、実際に「バイオハザードII アポカリプス」にそのまま続く展開になっていて、最後のこれやるというのは結構斬新かも。
この映画、全編に渡ってあんまり予算が無い中でやり繰りしている感が見える、そこはかとないB級感が漂うアクション映画で、「バイオハザード」部分はまあこういう感じかなとは思ったけれど、バイオハザードモノや襲って来る感染者モノとしては大分物足りないし、やっぱりつまらなくはないけれどおもしろくもないという映画。
☆☆★★★
関連:バイオハザードII アポカリプス
バイオハザードIII
バイオハザードIV アフターライフ
バイオハザードV リトリビューション
バイオハザード: ザ・ファイナル
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2022年02月05日 土曜日
バリー・レヴィンソン製作・監督、ダスティン・ホフマン主演の1998年のアメリカ映画「スフィア(Sphere)」
マイケル・クライトンのSF小説「スフィア 球体」が原作。
心理学者のノーマン・グッドマン博士は政府からの緊急要請で太平洋へと向かう。
ノーマン・グッドマン博士は航空機の墜落事故の被害者の心理面のケアで呼ばれたと思っていたが、海上の軍艦には知り合いの宇宙物理学者、生化学者、数学者も集められていた。
軍からの説明では偶然に海中に巨大な物体を発見し、それが人工物であり、調査により数百年前に埋没した宇宙船だと判断し、内部に何らかの生命体がいる可能性があるので異星人とのコンタクトを取る為に各分野の専門家が集めたという事だった。
科学者四人と軍人で宇宙船内部に入り探索すると生命体は見付けられなかったが、記録から数十年後の日付を示している事が分かり、更にその宇宙船はアメリカ軍の宇宙船だと分かった。
更に探索を続けると宇宙船内部には巨大な球体が浮かんでいた。
この映画、結構前に見た様な、見てない様な位の曖昧な感じで見てみたら、全然覚えが無いので多分初めて見たのだと思う。
展開が初めは異星人とのコンタクトへと非常に小気味良く進んで行き、異星人かと思ったらタイムトラベルして来た未来の地球人だと分かり、そこからスフィアへと流れる様に進んで行って、結構ワクワクドキドキで見れておもしろかった。
ただ、スフィアに入ると潜在意識的な恐怖が現実化するという話になって来ると分かる様で分からない様なふわふわした話になり、サスペンス・ホラーの状況を作り出す為だけの言い訳設定にスフィアを使っている感じで、終盤になればなるほどそんなモノなのかなぁ…位で段々と興味が薄れてしまった。
スフィアについては初めからこれが何かを説明する気がないのでそんなモンなのかしか思わないけれど、一番引っかかったのはサミュエル・L・ジャクソンの態度。
サミュエル・L・ジャクソンが悪い奴にミスリードしたくて、スフィアの中は何だったのか?の質問には「よく分からない」とかの答えを言う訳ではなく沈黙とか、終盤までやたらとサミュエル・L・ジャクソンを怪しくしていたけれど最後は地上に帰るんだで一緒に帰ったから、この怪しいサミュエル・L・ジャクソンの行動が後から思うと意味不明。
見ていた時から気になったのは、この映画って常に他の何かの映画と似ている気がした事。
狭い深海の基地で何かが起こるのは「アビス」
宇宙船っぽい内部で何かが起こるのは「エイリアン」
特に最後の方のウミヘビに襲われるのなんか「エイリアン」のチェストバスターっぽい。
潜在意識が現実化するのは「ソラリス」
見ていた時は独特な新しい様な気がしていたけれど、何だか過去の寄せ集めの様な気がしないでもなかった。
この映画、序盤はミステリー・サスペンスとしてはおもしろかったけれど、終盤の恐怖が現実化する混乱が弱い様な気がして物足りなさを感じてしまった。
特に最後の忘れてしまった三人が座っている場面が直ぐに終わってエンド・クレジットになってしまい、色々あったのに余りにあっさりし過ぎる終わりで拍子抜け。
考えているのか、虚ろなのかな三人を一、二分位は映し続けて欲しかったのだけれど。
☆☆☆★★
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2022年01月29日 土曜日
ネイサン・ジュラン監督、ウィリアム・ホッパー主演の1957年のアメリカ映画「地球へ2千万マイル(20 MILLION MILES TO EARTH)」
見たのは2007年のカラライズ版。
アメリカの金星探査ロケットが金星からの帰還中にイタリアのシシリー沖に墜落した。
乗組員の二人だけが漁師達に助けられたが一人は死病で死亡し、ロバート・カルダー大佐が生き残った。
ロケットには金星で発見した金星の生物の卵が乗っていたが、ロケットの沈没で海に投げ出され海岸へと運ばれ、それを見付けた少年が生物学者に売りつけた。
卵から生物が孵化し驚異的な速さで成長し始め人々を襲い始めた。
古いSFを見てみようで見てみたけれど、レイ・ハリーハウゼンによるストップモーション・アニメーションは抜群に良いのに話が常にのっぺりとしていて起伏が無く、終始退屈だった。
映画内では名前は出て来なかったけれど、どうやらイーマというこの怪物は動きは生きている様に滑らかに動くし、人間と同じ位の大きさの時の背景や人間との合成も中々おもしろく、多分この映画での一番の見せ所のイーマ対象なんて、象も生き生きしていて楽しい。
ただ、イーマ対象は何で謎の怪物と象が戦っているのだろう…と結構ポカーン…だった。
話は終始間延びしていて、怪物が動き始めるまでが長過ぎ、怪物が動き出しても何だかよく分からずに怪物が暴れて、よく分からない内に怪物がどっかに行ってしまうという事の繰り返しで、まあつまらない。
怪物はただ単に突然見知らぬ場所に連れて来られ、見た事も無い奇妙な生物達に追い立てられて攻撃されているだけなので人間側が悪者っぽくなり、人々に危害を加えるので退治しようとする警察署長が真面な判断で、とにかく生きて捕獲しようとする主人公が無能な悪役染みてしまい、誰に共感させる様にしようとしていたのかさっぱり分からなかった。
一方で怪物を悲劇の生き物にしているかと言えばそうでもなく、何処に話を振りたいのかが物凄く曖昧でグズグズ。
怪物の金星生物の設定も金星である必要性もなく、急に地底から現れたとか、研究施設から逃げ出したとかでもいいし。
この映画、イーマを見る映画だし、レイ・ハリーハウゼンの技術を見る映画で、話はおもしろくはなかった。
☆☆★★★
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2022年01月26日 水曜日
ウィルソン・イップ監督、ドニー・イェン主演の2008年の中国・香港映画「イップ・マン 序章(葉問)」
この映画が当たった事でシリーズ化された全四作の一作目。
幾つもの武術道場が競い合っている広東省仏山市で一目置かれていた詠春拳の葉問だったが日中戦争が始まり日々の食事にも困っていた。
仏山を占領した日本軍の三浦将軍は空手を使う日本兵と中国拳法の使い手を戦わせ、勝った者に米を与えていた。
この戦いで友人が死んだ事を知った葉問は三浦の下に赴き日本兵と戦った事で目を付けられる。
更には友人の工場が盗賊に脅された事を知り、今まで弟子を取らなかった葉問が工場員達に自営の為に拳法を教え始めた。
ドニー・イェンのカンフー映画で、ヒットしてシリーズ化された位しか知らずに見てみたけれど、カンフーは流石に凄いしおもしろかった。
ただ、主人公の葉問が掴み所が無いと言うか、結構何しているの?な人なので、話にはいまいちのめり込めなかった。
葉問という人物や詠春拳もよく知らず、後から葉問を調べてみて以前に同じ葉問を主人公にした映画「グランド・マスター」を見ていた事に気付いて、あれも葉問だったのかと分かったりとか、葉問の弟子がブルース・リーだったのかとか分かって、葉問がそういう人と分かった位ではあったけれど、この詠春拳の直立で手で相手の攻撃を防御しながら攻撃を繰り出す戦い方が無茶苦茶カッコ良く、カンフー映画としてはおもしろかった。
ただ、この葉問がどうにものらりくらりしていて、いまいちはまらず。
初めの時点で周囲の人から尊敬されていたけれど、葉問は弟子も取らず、誰にも教えずなのに非常に良い暮らしをしていて、この人は一体何者?で「んっ?」とつまづき、戦争が始まって生活が困窮しても余裕をかまして働かずで、周りの人が死んでからやっと自分の一番の特徴である拳法で戦い始めていて、この何にも考えていない大金持ちのボンボン感の凄さでどうにも乗って行けず。
終盤で葉問の葛藤を描くのは分かるけれど、日本の将校と最終的に戦うのは分かり切っているので、そこまでが結構長く感じられてしまったし。
葉問が実在の人物で、戦争下で生活していたのもそうなんだろうけれど、終盤はこの状況下でも悩める中年の元金持のボンボンだと何だかなぁ…だった。
あと、葉問が最強過ぎて敵に打たれる事がほぼ無かったけれど、この強さの原因が全然描かれないので、やっぱりこの人は一体何?ではあった。
町で道場を開いている武術家や一旗揚げようと日々戦いに明け暮れている様な無頼よりも贅沢に暮らしながら木人で稽古している四十代のおっさんの方が強いってのも何ともすんなりと入って来なかった。
実際の葉問はどんな人だったのかとちょっと調べてみたら、お金持ちの家の息子で、大金を払って師範を家に呼んで詠春拳を習っていたり、香港や日本に留学したり、アヘンを吸いに行っていたり、戦争中は裕福な商人の庇護下で詠春拳を教えていたり、戦後は国民党の下で警察や守備隊の仕事をしていたり、妻子を置いて一人で香港に亡命したりと、映画の印象とは結構違う感じで、ざっとしか調べてないけれどもっとうまく立ち回っていた感じがするのだけれど、映画では家族思いで悲劇のヒーローに振り過ぎている感じもするけれど、どうなのかなぁ?
日本の将校役で池内博之が出ていて悪役なのでこんな感じなのかなぁと思ったけれど、彼の部下役の渋谷天馬が凄く大袈裟な演技だと思ったのは池内博之よりもより悪を際立たたせる為なのか。
池内博之は武士道精神がある様な感じではあったけれど、彼の趣味で戦わされていた部下達は迷惑だよなぁ。
葉問は怒ったら死ぬ一歩手前まで徹底的にやるので部下達は一生歩けないとかの再起不能状態なのに池内博之は全く気にも留めないという、少年漫画でよくある分かりやすい悪役のボスだったし。
この映画で一番気になった場面は、池内博之が正座からそのまま立ち上がる場面で、このやり過ぎには笑ってしまったし、何度見ても何か気持ち悪い。
この映画、詠春拳対何々拳や、拳法ばかりで家族を疎かにする葉問と妻の微妙な喧嘩という前半が特におもしろく、後半の日本人将校との対決が分かっているのにそこまでがどうにもまどろっこしい感じがしていまいち飽きてはいたけれど、二十一世紀のカンフー映画としては結構おもしろかった。
☆☆☆★★
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2022年01月24日 月曜日
スティーヴン・スピルバーグ製作・監督、タイ・シェリダン主演の2018年のアメリカ映画「レディ・プレイヤー1(Ready Player One)」
アーネスト・クラインのSF小説「ゲームウォーズ(READY PLAYER ONE)」が原作。
2045年。「オアシス」と言う仮想現実世界が爆発的に普及し、地球上の多くの人々が「オアシス」に参加していた。
「オアシス」を製作したジェームズ・ハリデーは死去していたが、彼が死後に「オアシス」の世界内に三つの鍵を隠し、その鍵を見付けた者に「オアシス」の所有権と5000億ドルを送ると発表。
人々は三つの鍵を探す為に奔走し、世界第二位の巨大企業IOIも大勢を動員して鍵を探していた。
両親が早くに死にスライム街の叔母の下で生活していたウェイド・ワッツはジェームズ・ハリデーを崇拝する少年で彼も鍵を探しており、ジェームズ・ハリデーの残した記録から鍵に辿り着くヒントを得て鍵に辿り着こうとする。
わたしはバック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズはテレビの地上波の放送で何度も見ていた世代だし、この映画に登場した映画・ゲーム・アニメーション・キャラクターは見たり、遊んだり、それを見てなくても、やってなくても大体は知っていたり、分かったりしたので楽しめる基礎はあるはずだとは思ったけれど、その部分よりもそもそもの話がつまらなくて全くはまらなく終始退屈だった。
これだけの数の様々なキャラクターやガジェットが登場して、最初は「おっ!」とは思ったけれど、次から次へと大量に出て来るので初めの時点で食傷気味で、結構早い段階から何が出て来ても「ふ~ん…」状態。
多分、一番の盛り上がり場所の最後の戦いでメカゴジラとかガンダムが出て来ても、それまでに大量に色んなモノが出ているのでその大量にある中のほんの一つにしかならずに全く盛り上がらず。
権利関係では凄いとはなるけれど、これだけ登場させるとあれが登場したとか、あれがどうしたとか、細かい所とかどうでもよくなってしまった。
何よりこの映画、話がつまらない。
初めに三つの鍵を見付けるという目的を示した時点で話が安っぽく、それを主人公がちゃんと都合良く見付けられても、「はぁ、そうですか…」としかならなかった。
この主人公は常に正解で、常に正しいのは子供が主人公の宝探しのファミリー映画としては間違っていないのだろうけれど、何故かこの世界では主人公チーム以外の人間は何も考えず、様々な事を試しもせずにただ存在している、まさにモブだけという都合の良さはどうにかならなかったのだろうか?
この程度の謎なら主人公以外のベテランの超マニアが簡単に分かりそうなのに、そんな人物は一切存在しない。
これって、インターネット上にいる「自分はネットで調べて全てを分かっており、自分以外の人間は全員馬鹿」という様な人間の比喩や皮肉なのかと思ったけれどそうでもないだろうなぁ。
世界中に存在している様々な分野のマニアという存在をなめてて、ただ俺最強!俺最高…って見てても、まあつまらない。
そもそも現実のオンラインゲームでさえ運営はチーターやハッカーとの戦いがあるのに、この世界ではこれだけの巨額がかかっているにも関わらず皆がちゃんとゲーム通りにやっている善人ばかりで、悪く描かれている大企業さえプログラムを解析したりとか何もしていないって有り得ない。
それに、今も昔も一部にある仮想現実世界サービスへの妄信や称賛をわたしは勝手にセカンドライフ・コンプレックスと呼んでいるんだけれど、この映画は正にそのセカンドライフ・コンプレックスがバリバリで、セカンドライフしかり、最近のVRゴーグルやメタバースの持ち上げからの一般化せずを見てもこの様な世界が来るとは思えず、今でも新しいゲームが出れば一気にそっちに人が行くのに一つのゲームやサービスが世界を支配するとか余りにお手軽な夢想。
この映画でもオアシスは大金が儲かるかもしれないという部分で多くの人を引き付けていたから、仮想現実サービスって結局は売り手が儲けようとするよりも消費者が儲かるが先に来れば当たるのかなぁと思ったりもした。
主人公の話も、初めは大金目当てだったのが何かよく分からない内にオアシスを救うという気持ちになり、周りからも持ち上げられて救世主を気取り始め、でも結局大金も手に入れてウハウハな生活になっていて、これってネットで話題になって持ち上げられて勘違いスターになった人とかの皮肉や比喩…でもないのか。
更にゲーム内で会った女性だと思われるアバターに恋をし、その彼女は「アバターと現実世界の自分は違う」と言いながら、実際に現実世界で会ってみると顔にあざはあるけれど別にブスでもなく、最終的にあれだけオアシスだと言っていたのに勝手にオアシスの休止日を作って彼女とイチャイチャしてるとか、何じゃそりゃ…。
まだ、仲間や世界を救うの描いているのだから最後にオアシス内の仲間達と現実世界でもワチャワチャ言って遊んでいるならまだしも、主人公の親友だったはずの人が現実世界では普通のおばさんだと分かったら「もう知りません」で恋人とイチャイチャで終わるって酷いよなぁ。
これも子供や学生が何かにあれ程熱中していたのに恋人が出来ると急に全く興味を示さなくなるっていう事の皮肉や比喩なのか?
全く言っていないけれど、結局友達や仲間や他人の生活はどうでもよく、「金と女だ!セックスだ!」という非常に下衆い結論に取ってしまったのだけれど。
演出もスティーヴン・スピルバーグにしては小寒い事が結構多く、笑わせにかかっているんだろうなぁ…とは思うけれど笑いはなく、特に途中のビージーズの「Stayin’ Alive」がかかって「サタデー・ナイト・フィーバー」をやる場面はゲロ吐きそうな程だったので早送ってしまった。
この映画で一番気になったのは、キャラクタービジネスが既に終わってる事。
時代が2045年なのに登場するキャラクターやガジェットは20世紀か2000年代位までのモノしか登場していない。
この世界では四十年間位新たに流行ったモノが一切無かったって事?
オアシスは流行ったけれど、オアシスに関連する新たなキャラクターやガジェットが全く誕生しなかったの?
この映画がただでさえ回顧感一杯で作られているのに、映画内の2045年の人々も回顧しかないの?
そう思うと、この2045年の世界って現実世界が相当散々でキャラクタービジネス所ではないからなのかと思ったけれど、それって主人公周辺の一部だけで、核戦争で世界中が荒廃している訳でもなさそうだし。
まあ、この映画の意図がとにかく様々なキャラクターやガジェットを詰め込む事が一つの目的だからにしても後ろ向きで、今のオアシスの流行りはこれというの位出してもよかったのでは?とは思った。
この映画、出て来るキャラクターやガジェットを楽しめれば楽しい映画なんだろうけれど、出し過ぎで、わたしは早い段階でそこでは興味はなくなり、話はサブカルやポップカルチャー大好きな僕が崇拝する天才を僕が一番知っていて理解出来、そんな唯一の特別な存在の僕が周りからチヤホヤされて称えられ、世界を救って大金を手に入れて彼女も出来る!という中学生の妄想みたいなモノを見せられても…で、何処を見ても楽しめなかった。
☆★★★★
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