レディ・プレイヤー1

2022年01月24日 月曜日

スティーヴン・スピルバーグ製作・監督、タイ・シェリダン主演の2018年のアメリカ映画「レディ・プレイヤー1Ready Player One)」
アーネスト・クラインのSF小説「ゲームウォーズ(READY PLAYER ONE)」が原作。

2045年。「オアシス」と言う仮想現実世界が爆発的に普及し、地球上の多くの人々が「オアシス」に参加していた。
「オアシス」を製作したジェームズ・ハリデーは死去していたが、彼が死後に「オアシス」の世界内に三つの鍵を隠し、その鍵を見付けた者に「オアシス」の所有権と5000億ドルを送ると発表。
人々は三つの鍵を探す為に奔走し、世界第二位の巨大企業IOIも大勢を動員して鍵を探していた。
両親が早くに死にスライム街の叔母の下で生活していたウェイド・ワッツはジェームズ・ハリデーを崇拝する少年で彼も鍵を探しており、ジェームズ・ハリデーの残した記録から鍵に辿り着くヒントを得て鍵に辿り着こうとする。

わたしはバック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズはテレビの地上波の放送で何度も見ていた世代だし、この映画に登場した映画・ゲーム・アニメーション・キャラクターは見たり、遊んだり、それを見てなくても、やってなくても大体は知っていたり、分かったりしたので楽しめる基礎はあるはずだとは思ったけれど、その部分よりもそもそもの話がつまらなくて全くはまらなく終始退屈だった。

これだけの数の様々なキャラクターやガジェットが登場して、最初は「おっ!」とは思ったけれど、次から次へと大量に出て来るので初めの時点で食傷気味で、結構早い段階から何が出て来ても「ふ~ん…」状態。
多分、一番の盛り上がり場所の最後の戦いでメカゴジラとかガンダムが出て来ても、それまでに大量に色んなモノが出ているのでその大量にある中のほんの一つにしかならずに全く盛り上がらず。
権利関係では凄いとはなるけれど、これだけ登場させるとあれが登場したとか、あれがどうしたとか、細かい所とかどうでもよくなってしまった。

何よりこの映画、話がつまらない。
初めに三つの鍵を見付けるという目的を示した時点で話が安っぽく、それを主人公がちゃんと都合良く見付けられても、「はぁ、そうですか…」としかならなかった。
この主人公は常に正解で、常に正しいのは子供が主人公の宝探しのファミリー映画としては間違っていないのだろうけれど、何故かこの世界では主人公チーム以外の人間は何も考えず、様々な事を試しもせずにただ存在している、まさにモブだけという都合の良さはどうにかならなかったのだろうか?
この程度の謎なら主人公以外のベテランの超マニアが簡単に分かりそうなのに、そんな人物は一切存在しない。
これって、インターネット上にいる「自分はネットで調べて全てを分かっており、自分以外の人間は全員馬鹿」という様な人間の比喩や皮肉なのかと思ったけれどそうでもないだろうなぁ。
世界中に存在している様々な分野のマニアという存在をなめてて、ただ俺最強!俺最高…って見てても、まあつまらない。
そもそも現実のオンラインゲームでさえ運営はチーターやハッカーとの戦いがあるのに、この世界ではこれだけの巨額がかかっているにも関わらず皆がちゃんとゲーム通りにやっている善人ばかりで、悪く描かれている大企業さえプログラムを解析したりとか何もしていないって有り得ない。

それに、今も昔も一部にある仮想現実世界サービスへの妄信や称賛をわたしは勝手にセカンドライフ・コンプレックスと呼んでいるんだけれど、この映画は正にそのセカンドライフ・コンプレックスがバリバリで、セカンドライフしかり、最近のVRゴーグルやメタバースの持ち上げからの一般化せずを見てもこの様な世界が来るとは思えず、今でも新しいゲームが出れば一気にそっちに人が行くのに一つのゲームやサービスが世界を支配するとか余りにお手軽な夢想。
この映画でもオアシスは大金が儲かるかもしれないという部分で多くの人を引き付けていたから、仮想現実サービスって結局は売り手が儲けようとするよりも消費者が儲かるが先に来れば当たるのかなぁと思ったりもした。

主人公の話も、初めは大金目当てだったのが何かよく分からない内にオアシスを救うという気持ちになり、周りからも持ち上げられて救世主を気取り始め、でも結局大金も手に入れてウハウハな生活になっていて、これってネットで話題になって持ち上げられて勘違いスターになった人とかの皮肉や比喩…でもないのか。
更にゲーム内で会った女性だと思われるアバターに恋をし、その彼女は「アバターと現実世界の自分は違う」と言いながら、実際に現実世界で会ってみると顔にあざはあるけれど別にブスでもなく、最終的にあれだけオアシスだと言っていたのに勝手にオアシスの休止日を作って彼女とイチャイチャしてるとか、何じゃそりゃ…。
まだ、仲間や世界を救うの描いているのだから最後にオアシス内の仲間達と現実世界でもワチャワチャ言って遊んでいるならまだしも、主人公の親友だったはずの人が現実世界では普通のおばさんだと分かったら「もう知りません」で恋人とイチャイチャで終わるって酷いよなぁ。
これも子供や学生が何かにあれ程熱中していたのに恋人が出来ると急に全く興味を示さなくなるっていう事の皮肉や比喩なのか?
全く言っていないけれど、結局友達や仲間や他人の生活はどうでもよく、「金と女だ!セックスだ!」という非常に下衆い結論に取ってしまったのだけれど。

演出もスティーヴン・スピルバーグにしては小寒い事が結構多く、笑わせにかかっているんだろうなぁ…とは思うけれど笑いはなく、特に途中のビージーズの「Stayin’ Alive」がかかって「サタデー・ナイト・フィーバー」をやる場面はゲロ吐きそうな程だったので早送ってしまった。

この映画で一番気になったのは、キャラクタービジネスが既に終わってる事。
時代が2045年なのに登場するキャラクターやガジェットは20世紀か2000年代位までのモノしか登場していない。
この世界では四十年間位新たに流行ったモノが一切無かったって事?
オアシスは流行ったけれど、オアシスに関連する新たなキャラクターやガジェットが全く誕生しなかったの?
この映画がただでさえ回顧感一杯で作られているのに、映画内の2045年の人々も回顧しかないの?
そう思うと、この2045年の世界って現実世界が相当散々でキャラクタービジネス所ではないからなのかと思ったけれど、それって主人公周辺の一部だけで、核戦争で世界中が荒廃している訳でもなさそうだし。
まあ、この映画の意図がとにかく様々なキャラクターやガジェットを詰め込む事が一つの目的だからにしても後ろ向きで、今のオアシスの流行りはこれというの位出してもよかったのでは?とは思った。

この映画、出て来るキャラクターやガジェットを楽しめれば楽しい映画なんだろうけれど、出し過ぎで、わたしは早い段階でそこでは興味はなくなり、話はサブカルやポップカルチャー大好きな僕が崇拝する天才を僕が一番知っていて理解出来、そんな唯一の特別な存在の僕が周りからチヤホヤされて称えられ、世界を救って大金を手に入れて彼女も出来る!という中学生の妄想みたいなモノを見せられても…で、何処を見ても楽しめなかった。

☆★★★★

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