シャザム!

2022年01月23日 日曜日

デヴィッド・F・サンドバーグ監督、ザッカリー・リーヴァイ主演の2019年のアメリカ映画「シャザム!Shazam!)」
DCコミックスのキャラクターのシャザムの映画化で、DCコミックスの映画シリーズのDCエクステンデッド・ユニバースの七作目。

孤児のビリー・バットソンは新たな里親の下に行く事となり、その家では五人の養子が同居していた。
年齢も近いフレディ・フリーマンと仲良くなったビリー・バットソンは、ある日地下鉄に乗っていると突然他の乗客が消えて見知らぬ場所に地下鉄がとまった。
そこには魔術評議会の最後の一人だと言う魔法使いがおり、ビリー・バットソンに魔法使いの名前「シャザム」と唱えさせるとビリー・バットソンは赤いコスチュームにマントをつけた成人男性に変身していた。
魔法使いはそのまま消滅してしまい、困ったビリー・バットソンは何とか元の世界に戻り、フレディ・フリーマンに助けを求めた。
フレディ・フリーマンはビリー・バットソンがヒーローに変身したと分かり、二人でヒーローの力を遊びながら試し始め、インターネットに動画をした事で一気に有名になった。
町でヒーローの力を見せびらかしていたビリー・バットソンに空を飛んでやって来た一人の男が現れ、ビリー・バットソンの力を渡せと迫られて戦いが始まった。

わたしはアメコミは興味はあるけれどアメコミ映画にはそんなに興味が無いので、ここ十年位のスーパーヒーローモノ映画の大量生産はほとんど見ていなかったけれど、Amazonプライムビデオで配信が終わりそうだったので見てみた。

わたしはDCコミックスは余り詳しくなく、シャザムも「キモタ!」ではなく「シャザム!」の呪文で子供が大人に変身する魔法系のスーパーマンの亜種ヒーロー位の認識で、そこよりはフォーセット・コミックスの元キャプテン・マーベルで、後から出て来たスーパーマンの便乗キャラクターだった事もあってDCと揉めて裁判になり、結果出版停止で後にDCが権利を買うけれど、その間にマーベル・コミックスがキャプテン・マーベルという別キャラクターを出した事もあって名前がシャザムに変わったという、そっちの方が興味があって少し知っていたりする。

そんな位で見てみたけれど、突然スーパーパワーを手に入れてしまったコメディ的なスーパーヒーローモノとしてはまあまあおもしろくはあったけれど主人公が子供なので子供向け要素が強かったし、家族を題材にもしているので説教臭さもあってそこがいまいちだった。

普通の少年が突然大人に変身してシャザムのスーパーパワーを使える様になり、色々試しながらスーパーパワーが分かって行く展開は楽しかったし、子供が大人になって大人だから出来る事をするという王道展開もそこそこ楽しかった。
敵のサデウス・シヴァナとの戦いも減らず口叩きながら、ジョークを言いながら戦うのはデッドプールやスパイダーマンの影響が強いのかな?と思いながらも、中々良く出来ていたと思う。

ただ、シャザムになったら性格まで別人になってしまうのはどうかと。
ビリー・バットソンって、結構内気でそんなに喋る性格でもなかったのに、シャザムになったら急にベラベラ喋り出しジョークを連発していたけれど、その性格ってフレディ・フリーマンの方だし、シャザムを演じていたザッカリー・リーヴァイのコメディを見せる為のシャザムになっていて、ビリー・バットソンが変身した後のシャザムである意味が余り無くない?
だったらビリー・バットソンをもっとシャザムに寄せて性格付けするべきじゃあないの…って思ってしまった。

それにビリー・バットソンの話は新たな里親と家庭の話や、自分を捨てた母親を探し続けていたり、学校でのいじめとかの真面目な話が軸なのに、シャザムになると常に陽気な場面が続いて雰囲気が違い、少年の人生とヒーローコメディという違う軸を無理矢理くっつけた感もあった。

血縁関係の無い家族のビリー・バットソンと血縁関係のある家族のサデウス・シヴァナという対比で家族を描くのは分かるし、ヒーロー対ヴィランという構造が絶対ではあるからだけれど、良い親だから受け入れるべきで、駄目な親だとヤバい奴になる!と言うのも何か薄っぺらさと言うか、説教臭さが出て結構白けてしまった。
共感性としても、わたしもおっさんになるとこの子供のどうしたこうしたとか、青春の悩みとかって全然響かず、むしろサデウス・シヴァナが子供の時の強烈に印象に残った体験や事物を大人になっても追いかけているって、これはほとんどの大人がしている・感じている事だと思えて、初めはサデウス・シヴァナ良かったね!になったし、突然強い力を手に入れると人殺しは駄目だけれど自分を縛っていた物を壊してしまうという危うさの方が共感出来てしまった。
それに強い力に固執したサデウス・シヴァナは、ビリー・バットソンが今後歳を取って自分の老いを感じ始める更年期や老年期に入っても「シャザム」と唱えれば完全無欠のシャザムになってしまう、もしかするとサデウス・シヴァナと変わらない人間になってしまうのでは?と言う将来の危なさを勝手に考えてもしまった。

それにしても魔術師シャザムは無茶苦茶。
何の基準なのか、何人もの人を無理矢理拉致して連れて来させ、お前は純粋ではない!と叩き返すとか、本当に勝手。
しかも、ビリー・バットソンを選んだ基準は純粋とか関係無く、心を開いたからとか、じゃあ今までは何だったんだよ!な勝手な基準。
そもそもサデウス・シヴァナがヴィランになったのも魔術師シャザムのせいだし、拉致する前にまずは下調べをしようよ…なんだけれど。

この映画で一番好きだった場面は、シャザムとサデウス・シヴァナが空中で会話しているけれど二人の距離が開いていてサデウス・シヴァナが何を言っているのかさっぱり聞こえていないという笑いの場面。
これ、笑ってしまったけれど、サデウス・シヴァナがそれに気付いて怒ったとかも無く、ヌルっと二人が戦い始めたのがちょっと気持ち悪かった。

この映画を見てちょっと気になったので、シャザムではなくフォーセット・コミックスのキャプテン・マーベルの初登場「Whiz Comics #2」は「Whiz Comics」がパブリック・ドメインになっていたのでざっと見てみたけれど、ホームレスのビリー・バットソンが謎の男に連れられて地下鉄に乗ると七つの大罪の像がある謎の場所に行き、そこで魔術師と会って「シャザム!」と言うとキャプテン・マーベルになり、悪い科学者ドクター・シヴァナが敵という話で、映画は大体これに沿っていて、意外ときっちり原作として使っていたのかと感心した。

キャプテン・マーベルがシャザムと名称変更したThe New 52の方の日本語翻訳版「シャザム!:魔法の守護者」もあるのでざっと見てみたけれど、こっちが映画とほとんど一緒というか、これが原作か。
ほとんど一緒だけれど大きく違うのは敵がブラックアダムで、サデウス・シヴァナも出ているけれどブラックアダムの手下になっている。
この映画「シャザム!」が初めの時点ではドウェイン・ジョンソンがブラックアダムを演じるとなっていたけれど、何があったのか結局ドウェイン・ジョンソンが出演しなくなり、ただブラックアダムはブラックアダムで単独映画を作る事になったのでアメコミのシャザムのブラックアダムの役割をそのままサデウス・シヴァナに置き換えてのこの映画なのか。

この映画、突然スーパーヒーローになってしまったビリー・バットソンのオリジンをコメディで描いたのは結構おもしろかったけれど、ビリー・バットソンとシャザムの性格の乖離とか、良い話にしようとするのがどうにも響かず、もっと家族との描写を入れて真面目に持って行くか、もっとコメディに振り切るかでもよかった様な気がしてしまった。

☆☆★★★

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