シャザム!

2022年01月23日 日曜日

デヴィッド・F・サンドバーグ監督、ザッカリー・リーヴァイ主演の2019年のアメリカ映画「シャザム!Shazam!)」
DCコミックスのキャラクターのシャザムの映画化で、DCコミックスの映画シリーズのDCエクステンデッド・ユニバースの七作目。

孤児のビリー・バットソンは新たな里親の下に行く事となり、その家では五人の養子が同居していた。
年齢も近いフレディ・フリーマンと仲良くなったビリー・バットソンは、ある日地下鉄に乗っていると突然他の乗客が消えて見知らぬ場所に地下鉄がとまった。
そこには魔術評議会の最後の一人だと言う魔法使いがおり、ビリー・バットソンに魔法使いの名前「シャザム」と唱えさせるとビリー・バットソンは赤いコスチュームにマントをつけた成人男性に変身していた。
魔法使いはそのまま消滅してしまい、困ったビリー・バットソンは何とか元の世界に戻り、フレディ・フリーマンに助けを求めた。
フレディ・フリーマンはビリー・バットソンがヒーローに変身したと分かり、二人でヒーローの力を遊びながら試し始め、インターネットに動画をした事で一気に有名になった。
町でヒーローの力を見せびらかしていたビリー・バットソンに空を飛んでやって来た一人の男が現れ、ビリー・バットソンの力を渡せと迫られて戦いが始まった。

わたしはアメコミは興味はあるけれどアメコミ映画にはそんなに興味が無いので、ここ十年位のスーパーヒーローモノ映画の大量生産はほとんど見ていなかったけれど、Amazonプライムビデオで配信が終わりそうだったので見てみた。

わたしはDCコミックスは余り詳しくなく、シャザムも「キモタ!」ではなく「シャザム!」の呪文で子供が大人に変身する魔法系のスーパーマンの亜種ヒーロー位の認識で、そこよりはフォーセット・コミックスの元キャプテン・マーベルで、後から出て来たスーパーマンの便乗キャラクターだった事もあってDCと揉めて裁判になり、結果出版停止で後にDCが権利を買うけれど、その間にマーベル・コミックスがキャプテン・マーベルという別キャラクターを出した事もあって名前がシャザムに変わったという、そっちの方が興味があって少し知っていたりする。

そんな位で見てみたけれど、突然スーパーパワーを手に入れてしまったコメディ的なスーパーヒーローモノとしてはまあまあおもしろくはあったけれど主人公が子供なので子供向け要素が強かったし、家族を題材にもしているので説教臭さもあってそこがいまいちだった。

普通の少年が突然大人に変身してシャザムのスーパーパワーを使える様になり、色々試しながらスーパーパワーが分かって行く展開は楽しかったし、子供が大人になって大人だから出来る事をするという王道展開もそこそこ楽しかった。
敵のサデウス・シヴァナとの戦いも減らず口叩きながら、ジョークを言いながら戦うのはデッドプールやスパイダーマンの影響が強いのかな?と思いながらも、中々良く出来ていたと思う。

ただ、シャザムになったら性格まで別人になってしまうのはどうかと。
ビリー・バットソンって、結構内気でそんなに喋る性格でもなかったのに、シャザムになったら急にベラベラ喋り出しジョークを連発していたけれど、その性格ってフレディ・フリーマンの方だし、シャザムを演じていたザッカリー・リーヴァイのコメディを見せる為のシャザムになっていて、ビリー・バットソンが変身した後のシャザムである意味が余り無くない?
だったらビリー・バットソンをもっとシャザムに寄せて性格付けするべきじゃあないの…って思ってしまった。

それにビリー・バットソンの話は新たな里親と家庭の話や、自分を捨てた母親を探し続けていたり、学校でのいじめとかの真面目な話が軸なのに、シャザムになると常に陽気な場面が続いて雰囲気が違い、少年の人生とヒーローコメディという違う軸を無理矢理くっつけた感もあった。

血縁関係の無い家族のビリー・バットソンと血縁関係のある家族のサデウス・シヴァナという対比で家族を描くのは分かるし、ヒーロー対ヴィランという構造が絶対ではあるからだけれど、良い親だから受け入れるべきで、駄目な親だとヤバい奴になる!と言うのも何か薄っぺらさと言うか、説教臭さが出て結構白けてしまった。
共感性としても、わたしもおっさんになるとこの子供のどうしたこうしたとか、青春の悩みとかって全然響かず、むしろサデウス・シヴァナが子供の時の強烈に印象に残った体験や事物を大人になっても追いかけているって、これはほとんどの大人がしている・感じている事だと思えて、初めはサデウス・シヴァナ良かったね!になったし、突然強い力を手に入れると人殺しは駄目だけれど自分を縛っていた物を壊してしまうという危うさの方が共感出来てしまった。
それに強い力に固執したサデウス・シヴァナは、ビリー・バットソンが今後歳を取って自分の老いを感じ始める更年期や老年期に入っても「シャザム」と唱えれば完全無欠のシャザムになってしまう、もしかするとサデウス・シヴァナと変わらない人間になってしまうのでは?と言う将来の危なさを勝手に考えてもしまった。

それにしても魔術師シャザムは無茶苦茶。
何の基準なのか、何人もの人を無理矢理拉致して連れて来させ、お前は純粋ではない!と叩き返すとか、本当に勝手。
しかも、ビリー・バットソンを選んだ基準は純粋とか関係無く、心を開いたからとか、じゃあ今までは何だったんだよ!な勝手な基準。
そもそもサデウス・シヴァナがヴィランになったのも魔術師シャザムのせいだし、拉致する前にまずは下調べをしようよ…なんだけれど。

この映画で一番好きだった場面は、シャザムとサデウス・シヴァナが空中で会話しているけれど二人の距離が開いていてサデウス・シヴァナが何を言っているのかさっぱり聞こえていないという笑いの場面。
これ、笑ってしまったけれど、サデウス・シヴァナがそれに気付いて怒ったとかも無く、ヌルっと二人が戦い始めたのがちょっと気持ち悪かった。

この映画を見てちょっと気になったので、シャザムではなくフォーセット・コミックスのキャプテン・マーベルの初登場「Whiz Comics #2」は「Whiz Comics」がパブリック・ドメインになっていたのでざっと見てみたけれど、ホームレスのビリー・バットソンが謎の男に連れられて地下鉄に乗ると七つの大罪の像がある謎の場所に行き、そこで魔術師と会って「シャザム!」と言うとキャプテン・マーベルになり、悪い科学者ドクター・シヴァナが敵という話で、映画は大体これに沿っていて、意外ときっちり原作として使っていたのかと感心した。

キャプテン・マーベルがシャザムと名称変更したThe New 52の方の日本語翻訳版「シャザム!:魔法の守護者」もあるのでざっと見てみたけれど、こっちが映画とほとんど一緒というか、これが原作か。
ほとんど一緒だけれど大きく違うのは敵がブラックアダムで、サデウス・シヴァナも出ているけれどブラックアダムの手下になっている。
この映画「シャザム!」が初めの時点ではドウェイン・ジョンソンがブラックアダムを演じるとなっていたけれど、何があったのか結局ドウェイン・ジョンソンが出演しなくなり、ただブラックアダムはブラックアダムで単独映画を作る事になったのでアメコミのシャザムのブラックアダムの役割をそのままサデウス・シヴァナに置き換えてのこの映画なのか。

この映画、突然スーパーヒーローになってしまったビリー・バットソンのオリジンをコメディで描いたのは結構おもしろかったけれど、ビリー・バットソンとシャザムの性格の乖離とか、良い話にしようとするのがどうにも響かず、もっと家族との描写を入れて真面目に持って行くか、もっとコメディに振り切るかでもよかった様な気がしてしまった。

☆☆★★★

アド・アストラ

2022年01月17日 月曜日

ジェームズ・グレイ製作・監督・脚本、ブラッド・ピット製作・主演の2019年のアメリカ映画「アド・アストラAd Astra)」

人類が月や火星に基地を作り、太陽系内航行を行う様になった近未来。
ある日宇宙から地球に大規模な電力サージが発せられ、全世界で多くの犠牲者が出る事態となっていた。
アメリカ宇宙軍は海王星からサージが発せられている事を突き止め、16年前に海王星付近で行方不明となった地球外生命体探査計画「リマ」を行っていたクリフォード・マクブライド博士が乗っていた宇宙ステーションからサージが発せられているのではないかと推測していた。
クリフォード・マクブライド博士の息子ロイ・マクブライドは父親と同じ様にアメリカ宇宙軍に属し宇宙飛行士となっており、長年父親は死亡したと思っていたがアメリカ宇宙軍からクリフォード・マクブライドと通信を取る為に火星へと赴く極秘指令を言い渡された。

ブラッド・ピットが出ているSF映画位の前知識で見てみたけれど、近未来ハードSF感が中々良かったし、長年心にわだかまっていた父親との結末を迎える息子の話としても静かに描いていて良かったんだけれど、ピンと来ない所もあったし、何だかよく分からないままで終わってしまった所もあったし、映画の意図しない所で笑ってしまったりで、微妙な所も結構あった。

近未来ハードSFとしては余り行き過ぎないSFの世界観になっていて、惑星間航行しているけれど昔ながらのロケットだし、地上での移動は素っ気無い自動車だし、タッチパネルのモニターだけれどトグルスイッチもあったりとこの感じのSF感は好き。
ただ、火星から海王星まで79日で行けたり、既に反物質を使っていたりと結構オーバーテクノロジー的な所もある。
単に話の展開上到着まで早くないといけないと言うのはあるだろうけれど。
それと月面上での略奪者との戦いの時に、撃った銃の弾がオレンジ色や青色に光っているのはやり過ぎ。
もうスペースオペラ感が凄い。
せっかく、地球と変わらない月面基地内の様子や、月でも資源争いを続けているという現在の皮肉を描いていたり、月面のまるで白黒映画の様な極端な映像が綺麗なだけに、この光る弾で急に陳腐になってしまっている。
この白黒の世界の中で西部劇的な馬や馬車っぽい自動車での銃撃戦は主人公が子供の時に父親と見た白黒映画と何か関係しているのかしらん?

SF映画ではあるものの話の主題は要は偉大とされている父親を自分の中でまだ決着が付けられていない息子が父親と決着を付けに行くって話しで、これをじっくりと描いていて、完全に自問自答モノ。
ロイ・マクブライドは常に沈着冷静で感情を表に出さないけれど、演じているブラッド・ピットが怒りとも、哀しみとも、不安とも見える様な微妙な表情を見せ続けて話と演技が非常に合い、この何とも言えない気持ち悪さの不安定さが抜群に良い。
ブラッド・ピットって余り最近の映画を見ていなかったけれど、歳を取って渋みや濃さが出て来て良い感じの役者だと思ったし、演技も非常に良かった。

ただ、主人公は最後にはスッキリとなってしまい、海王星まで行って帰れて、自分の中の父親とも決着が付き、別れた奥さんも戻って来る感じだし、自分の生きる場所も見付けられて、この結構なハッピーエンド感はこれで良かったのだろうか?とちょっと思ってしまった。
わたしの父親は仕事ばかりで子育ての記憶が無い様な昔の父親で、わたしもこの映画の主人公に共感する土台はあるのだろうけれど、この主人公の様にここまで父親に固執する息子がどうにもピンと来ず、何故そこまでして父親に会いに行くのだろう?と思ってしまった。
父親と息子という対立構造やお互いの理解や父親からの解放とかの話は他でもピンと来ないのはわたしが父親に対して興味が無いからなんだろうか。
そこでサージから地球を救うという要素があるんだろうけれど、この主人公にはそこまで地球を救いたいという強い意志が見えずに、あくまで自分の中の父親との対決なので、まあここは監督ジェームズ・グレイの人生観なんだろうけれど、どうにもピンとは来なかった。

途中で出て来た救助信号で立ち寄った実験船の動物の場面は、長期間の宇宙生活が及ぼす影響が動物にももろに来ていて、もしかして父親も何かの影響を受けているの?という疑念とか、動物の怒りと父親の怒りと自分の怒りを描く意図は分かるものの、ここだけ急に映画「エイリアン」みたいなホラーっぽさがあって浮いている。

この映画で一番気になったのはサージについて。
話を引っ張る大事な問題がサージなのに、結局このサージが何だったのかがよく分からず。
反乱を起こした父親の仲間がサージを発生させたらしいけれど、この意図は何も言っていないので、結局このサージで何がしたかったのだろう?
何故父親はこのサージを発生させている装置をそのままにしていたのだろう?
サージが出てれば地球の人間に気付かれて、実際地球から父親を抹殺しに人が送られているのだから、宇宙ステーションを良く理解している父親がサージの装置を止めたり壊したり出来ないというのも不自然だし。
そもそも、このサージ発生装置って何?
何かを放射してそれで調査するのかもしれないけれど、海王星から地球まで届いて、ピンポイントで大規模な障害を起こせる程の大出力の装置って何?
それに、最近になって急にサージで地球に障害が起きているのだから、十六年前に一度父親の仲間が反乱を起こして殺された時はサージは関係無く、最近になって生き残っていて父親に共感していた仲間が急に反乱を起こしてサージ発生装置を起動したの?
それとも十六年前の反乱の時にサージ発生装置を起動したけれど、それから十六年経ってから何故か急にサージ発生装置が起動したって事?
このサージに関しては話の導入や主人公を父親に会いに行かせる為だけの目的で、その説明の無さは酷い程適当で手抜きで説明をぶん投げてしまっている。

あと、科学面で一番気になったのは、79日も航行しているのに主人公の髪の毛と髭が全然伸びていない事。
散髪も髭剃りもしている様子はないし、三カ月放っておかなくても数週間で髭がモジャモジャになると思うのだけれど。

笑ってしまったのはキャスティング。
まず、ブラッド・ピットの父親役がトミー・リー・ジョーンズで、この親子感の無さでニヤニヤ。
更に大佐役でドナルド・サザーランドが出て来て更にニヤニヤ。
行方不明になったトミー・リー・ジョーンズに、ドナルド・サザーランドが宇宙船乗るって、もう映画「スペース カウボーイ」じゃん。
この映画の中で出て来たクリフォード・マクブライド博士の若い時のオレンジ色の宇宙服の写真って、実際の「スペース カウボーイ」の時のトミー・リー・ジョーンズの写真だよね。
これに気付いてからは真面目な場面でもおもしろくて仕方なかった。

この映画、近未来ハードSFとしては中々良かったし、自分の中の父親と向き合う話を見せる映画としては結構おもしろかったけれど、主人公に共感出来るか否かで印象は相当違うんだろうなぁとは思い、わたしはいまいちピンと来ないままだった。

☆☆☆★★

ジョン・ウィック:チャプター2

2022年01月10日 月曜日

チャド・スタエルスキ監督、キアヌ・リーブスの2017年のアメリカ映画「ジョン・ウィック:チャプター2John Wick: Chapter 2)」
シリーズ二作目。

前作「ジョン・ウィック」の五日後。
犯罪組織のボスであるサンティーノ・ダントニオがジョン・ウィックの家にやって来て仕事の依頼をするがジョン・ウィックは引退したとして断った。
しかし、サンティーノ・ダントニオは以前にジョン・ウィックと交わした誓印の掟は絶対に破れないとしてジョン・ウィックの家を破壊してしまう。
怒ったジョン・ウィックだったが誓印の掟を果たさない限りは他の殺し屋からも狙われ続けると分かり、サンティーノ・ダントニオの依頼を受ける事にした。
サンティーノ・ダントニオの依頼は、死んだ父親の跡を継いで世界中の犯罪組織を支配する主席連合の代表となった自分の姉の暗殺だった。
ジョン・ウィックは姉を暗殺したが、直後にサンティーノ・ダントニオは手下にジョン・ウィックを殺害させようとした。
追手から逃れたジョン・ウィックだったが、サンティーノ・ダントニオはジョン・ウィックに700万ドルの賞金を懸け、ニューヨーク中の殺し屋達から命を狙われ始めた。

一作目の「ジョン・ウィック」を見て、まあまあおもしろかったので続けて二作目を見てみたけれど、大抵シリーズモノは二作目になると更に大袈裟になっておもしろい場合が多いのに、この「ジョン・ウィック:チャプター2」はあんまりおもしろくなかった様な気がした。

一作目はジョン・ウィックの生きる希望となった亡き妻から送られた子犬の復讐で全編突っ走っていたのでハードボイルドモノとして結構おもしろかったのに、この二作目は常に巻き込まれの連続で命を狙われ続けで、ジョン・ウィックはもうやめてよ…なのに次々と襲われるのでしょうがなく相手を殺して行く感じだったのがいまいちの原因なのかもしれない。
それにわざわざローマに行ってしまうけれど、急に世界を飛び回るとか、これが非常に「007」っぽく、結局ニューヨークに戻って来るのだから、ずっとニューヨークで話を展開させれば良かったのにとも思ってもしまった。

それに一作目以上にキアヌ・リーブスの殴る蹴るのアクションがあんまり上手くない様に感じてしまった。
移動はドタドタ。
敵の銃撃をかわす身のこなしもキビキビしておらず、伝説の殺し屋の動きには見えなかった。
特に今回はキアヌ・リーブスのアクションに変な間があって、殴る前とか、相手の攻撃を防御する前に一瞬何もしていない間があって、決まったアクションの動きをするにあたって変な待ちの時間みたいなのがあるのが凄く気になってしまった。
キアヌ・リーブスって真面目に練習通り、リハーサル通りにアクションをしているのだろうけれど、それが物凄く固いと言うか、流れる様なアクションになっていない気がした。

おっと思ったのは映画の初めの掴み。
一作目ではジョン・ウィックの目的が盗まれた自動車の奪還ではなかったにしろ盗まれた自動車がどうなったのかを全然描いていなかったという不満に対して、映画の初めで一作目の敵のボスの兄弟がジョン・ウィックの自動車を持っていてジョン・ウィックが奪還しに行くのを見せていて、ちゃんと不満解消になっていて、そこは楽しかった。

役者ではローレンス・フィッシュバーンが出ており、キアヌ・リーブスがローレンス・フィッシュバーンに対して選択を迫るなんて「マトリックス」の逆オマージュだったけれど、このローレンス・フィッシュバーンの役って別にいらないっちゃあいらない役で、ローレンス・フィッシュバーンと脇役で契約したので作りました感があふれている様な感じだった。

この映画、二作目にしたら一作目を広げた様な広げていない様な感じで一作目に比べると衝撃は弱いし、話がおもしろ訳でもないし、キアヌ・リーブスのアクションが抜群に上手い訳でもないしで、何だか物足りず。
だけれど、この映画は一作目の倍近くの興行収入をあげているのか。

☆☆★★★
 
 
関連:ジョン・ウィック
   ジョン・ウィック:パラベラム

ジョン・ウィック

2022年01月09日 日曜日

チャド・スタエルスキ監督、キアヌ・リーブス製作総指揮・主演の2014年のアメリカ映画「ジョン・ウィックJohn Wick)」

ジョン・ウィックはマフィアのヴィゴ・タラソフの下で働いていた殺し屋だったがヘレンという女性と出会って殺し屋を辞めていた。
ヘレンは病気で亡くなり、彼女の死後にヘレンから子犬がジョン・ウィックへ届けられた。
ジョン・ウィックはその子犬との生活に希望を見出し始めたが、出先で出会った男達にジョン・ウィックが乗っていた自動車に目を付けられ、その夜男達がジョン・ウィックの家に強盗に入り、子犬を殺して自動車を奪って行った。
強盗した男はヴィゴ・タラソフの息子だったがジョン・ウィックは息子を殺す為に再び銃を取る事にした。

「ジョン・ウィック」って題名は聞いた事あるし、キアヌ・リーブスの殺し屋という事位しか知らずに見てみたが、まあまあおもしろかった。

始まりから妻が亡くなったジョン・ウィックを描き、そこから子犬との生活を描いて立ち直ろうとする男をじっくりと描いていて、思っていた映画とは違っていても中々見入る導入。
そこから偶然出会った男が元ボスの息子で、その息子や手下がジョン・ウィックを知らずジョン・ウィックを狙ってしまうという展開は少々都合が良過ぎる感があるものの、元ボスと対立する事になるという設定は中々おもしろく、復讐劇のアクションで攻め切るので飽きる事無く見れてしまった。

設定として一番おもしろかったし、この映画の一つの特徴でもあったのがコンチネンタル・ホテル。
このホテルは殺し屋が集まり、寝床だけでなく情報や医療等も完備した殺し屋向けホテルになっており、殺し屋同士が集まるのでこのホテルでは殺し屋は仕事禁止になっていて、漫画みたいで出来過ぎてはいるけれどワクワクしてしまう設定。
ジョン・ウィックは古株らしく、このホテルで出会う人に色々助けてもらうのも良い感じ。

一方で、ジョン・ウィックを助ける人々は出て来るけれど、それ程深く描かずに退場してしまうあっさりさが勿体無い気がした。
初めに自動車工場のボスでジョン・レグイザモが出て来て、おっ!となったけれど、この場面以降全く登場せずで、何でわざわざジョン・レグイザモを出したのだろう?

友人の殺し屋でウィレム・デフォーが出て来て、度々ジョン・ウィックを助けるのだけれど「友人」と言う台詞以外では二人の関係は全く描かれずに退場してしまい、せっかく良い感じの関係そうだっただけに物足りなさばかり。

ジョン・ウィックが泊まっていた階の他の部屋にいた殺し屋のおじさんも良い感じで出て来て何かやってくれそうな雰囲気だったのに直ぐに殺されて終わりって何じゃそりゃ…?だったし。
ハリウッド映画でよくあるけれど、何か因縁がありそうだったり、良い感じの仲間をあっさりと殺してしまうのって必要なんだろうか?って何時も思ってしまう。

他の役者では、一場面だけだったけれどクラブの用心棒役でケビン・ナッシュが出ていて、わたしはWCWのNWO直撃世代なので、ケビン・ナッシュだ!と喜んでしまった。
コンチネンタル・ホテルの受付役でランス・レディックが出ていたけれど、この人って見る役何かしら怪しい役ばかりだけれど、ただの馬鹿みたいな役とかするんだろうか?

アクションは、近年多くなってしまった変に細かくカットを割って何やっているのか分からない誤魔化しアクションでもなく、ちゃんとジョン・ウィックが何をやっているのか分かり、結構長回しのワンカットで見せていて好印象。
全員の動きがキッチリ決められていて、キアヌ・リーブスはこの次はこう動いてここで銃を撃つという決められた感じが見えてしまっている感じがあるけれど、ジョン・ウィックの近接での体術からの銃撃戦の連続は新鮮でおもしろかった。
ただ、「マトリックス」の時から思っていたけれど、キアヌ・リーブスって殴る蹴るのアクションが余り上手く見えない気がした。
移動はバタバタしているし、殴る蹴るが軽い感じで強そうには見えないし、ちゃんとアクションやってはいるけれど平均点前後感を感じてしまった。

そう言えば、見終わった後に思ったのだけれど、ジョン・ウィックの目的が盗まれた自動車の奪還ではなかったにしろ、結局ジョン・ウィックの自動車ってどうなったのだろう?
マフィア側は目的は子犬ではなく自動車だと思っていたから、自動車をどうにかしたという話があってもいいと思ったのだけれど。

この映画、ハードボイルドな殺し屋映画としても中々おもしろかったし、コンチネンタル・ホテルとか、近接での銃撃戦とかやり過ぎ感はあるけれどニヤニヤしながら楽しめる映画。
ただ今までに無い新鮮さや爆発的におもしろいアクションかと言えばそうにも感じなく、何でここまでスマッシュヒットしたのかわいまいち分からなくはあった。

☆☆☆★★
 
 
関連:ジョン・ウィック:チャプター2
   ジョン・ウィック:パラベラム

福間創

2022年01月08日 土曜日

福間創が亡くなったという報道を見て、そうか…そうなのか…と。

わたしはP-MODELが一番好きなバンドで、今でも全時代のP-MODELの曲をよく聴く。
平沢進はラジオで曲を聞いて小学生時代から知っていたけれど、P-MODELを何時知ったのかは覚えていないが、福間創がP-MODELに在籍していた1990年代半ばから2000年にかけての改訂期はまだインターネット初期だったのでネット情報も無い中で何で情報を知ったのかも覚えていないけれど、「VIRTUAL LIVE」シリーズや「音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE」をワクワクしながらレコード屋に買いに行ったのを思い出した。

P-MODELでは福間創作曲曲は少ないけれど「電子悲劇/〜ENOLA」の「COLORS」とか、それまでにない爽やかさがあって、この路線のP-MODELもあったかもしれないと思い、当時からもっと福間を!って思ったりもしていた。

何時頃からかあれ程はまっていた平沢進もCDも買わず、必死になって追っていた情報も全く追わなくなってしまっていたけれど、何かで新たな音楽雑誌「FILTER Volume.01」の創刊号で改訂期のP-MODELの平沢進、小西健司、福間創が揃って出ていたのを見て、またこの三人でP-MODELしないのかな?この揃いは何かの前兆?と思っていたら、福間創の訃報で、この三人がもう揃う事もないのかと思うと非常に寂しい。

改訂期の「舟」「電子悲劇/〜ENOLA」「音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE」を聞こうと思うけれど、ちゃんと聞けるだろうか…。
 
 
福間創に関するお知らせ

福間創氏の訃報に接して