グランド・マスター
2017年12月27日 水曜日ウォン・カーウァイ製作・監督・脚本、トニー・レオン主演の2013年の香港映画「グランド・マスター(一代宗師)」。
詠春拳の武術家の葉問(イップ・マン)を基に作られた映画。
20世紀初め。引退を決めた北の八卦掌の大物ゴン・パオセンは南の詠春拳を広める為に自分の後継者として葉問を選んだ。
ゴン・パオセンの娘ゴン・ルオメイは葉問が気に入らず、果し合いを申込み、戦いの中で恋心を抱く。
ゴン・パオセンの一番弟子だったマーサンは師匠ゴン・パオセンを殺し、ゴン・ルオメイはマーサンに復讐を果たそうとする。
粗筋書いていても話がバラバラでよく分かり難いけれど、映画も葉問の伝記的映画と思ったら葉問の話は始めと最後の少しだけで、中盤はほとんどチャン・ツィイー演じるゴン・ルオメイの復讐話だし、功夫映画かと思いきやカンフー場面は始めと中盤に少しで、しかも一番の最後の見せ場はトニー・レオンの葉問ではなくチャン・ツィイーだし、全体的に何を描きたいのか分からず話は雑多で散漫。一番の見せ場のカンフー場面は少な過ぎる上に見難くて、まあ酷い出来。
始まりは北だの南だのの話でよく分からない中、次々と人が現れ、様々な流派のカンフーを見せて行くので、まだ持つ。
しかし、葉問が後継者に決まる前後から日本軍が侵略して来たのに呑気だな…と思っていたら、戦争で葉問の生活が困窮し、葉問の武術家ではなく一人の人間としての人生を描いて行くのか…と思うも、葉問は全然登場しなくなりゴン・ルオメイの復讐話に変更。
ゴン・ルオメイが復讐しました…。ゴン・ルオメイが死にました。葉問が生きました…でお終い…。何じゃ、この映画?
葉問が主人公だと思ったら、中盤はほったらかし。中盤の主人公はゴン・ルオメイで、葉問関係無いじゃん。
これだけゴン・ルオメイが取り上げられるから葉問との恋愛話に行くのかと思いきや、それは最後に少しだけ。
一番弟子だったマーサンが初めに葉問とバチバチやり合っていたので、この二人の対決が見られるのかと思ったら、その後一切顔を合わさず仕舞い。
途中に急に出て来た一線天(カミソリ)が登場の仕方でゴン・ルオメイと何かあるのかと思いきや、その後全く無し。
それどころかカミソリは何で登場しているのか、さっぱり分からない関係の無さ。
話は全体的にその場で思い付いて後先考えずにとにかく撮影して、編集で切りまくったので話が関係して来ないみたいな出来。
二十話位ある連続ドラマを二時間にギュッと編集したので訳が分からないような内容。
どうやらウォン・カーウァイが撮るだけ撮って、編集で落として、結構な場面が使われていないみたい。
本来は葉問とカミソリの最終対決もあったみたいだけれど、それも丸々失くしてしまったようで、それだからカミソリの存在意義が分からなくなったし、映画として大分酷い作り方。
そんな事してしまったから、出演していた役者からも相当評判が悪かったみたい。
酷いのはカンフーで、見せ場であるはずなのにカンフー場面が少なく、どれも見辛い。
初めは葉問が色んな流派と戦うのでおもしろいけれど、その後葉問が戦う場面は町のおっさんをボコボコにする位で、見せ場は一切無し。
そのカンフー場面も、短く細かく編集で繋ぎ、間間にスローの動きが入り、足を一歩踏み出すだけとかのカットを挟み込み、カッコイイ風にはなっているけれど、その拳や蹴りが何処に当たったとかが分かり辛く、今何が起こっているのが本当に分かり辛く見辛い。
やたらと足の踏み出しや動きをアップで見せるけれど、一瞬の動きだけなので足の運びが凄いとか綺麗とか全然思わないし。
まるで、自分は大して動かず手足をバタバタしているだけなのを誤魔化す為に短く編集している省エネアクションのスティーヴン・セガールの劇場公開されないオリジナル・ビデオのアクションを見ているかのよう。
ウォン・カーウァイって、カンフー撮るの下手糞過ぎないか。
それに、雨の中での戦いって、映画「マトリックス レボリューションズ」に影響され過ぎじゃない?
まあ、この映画の武術指導が「マトリックス レボリューションズ」もしていたユエン・ウーピンだからというのはあるだろうけれど。
他の場面も映像美と言えば聞こえは良いけれど、内容がスカスカなのを見た目で誤魔化している様にしか思えないし、無駄に色んなカットを挟み込むので話の流れが悪いし、間延びしまくるし、序盤以外は常にもっちゃりして非常にだるい。
それにやたらと壮大な音楽を流すのだけれど、これがずっと見ていると、ずっと聞いているとうっとおしくなり、だるくなるし、その映像と壮大な音楽で重厚な雰囲気を作り出している分、これまでの功夫映画と同じくあの独特な構えでピタッと止まっていると滑稽に見えてしまったし、スーパーヒーローモノのアクション映画並みに人が吹っ飛んで行くって笑ってしまう。
あと、人間の構図も微妙で、多くの場面で人間の顔は頭が切れているし、カメラが少し上や下から撮っているので登場人物が常に何処を見ているのか分からない、あっちゃらの方向見て喋っている感じになるし、誰もが精気が無い風に見えてしまった。
トニー・レオンはカンフーを頑張ってはいるものの、やはりカンフースターではないので、雰囲気はあるけれどやたらと強い武術家には見えないんだよなぁ。
雰囲気もジェット・リーことリー・リンチェイの昔の映画に影響されているんじゃないの?と思えたし。
そういう描き方ではあるし、トニー・レオンの存在で持ってはいるけれど、葉問が何を考えているかがほとんど描かれないので葉問が何処に向かっているのかが見えて来ず、見ていても話に乗って行く感じが無い。
この映画、功夫映画としても、葉問の伝記映画としても、葉問の人生を描く映画としても、葉問とゴン・ルオメイとの恋愛映画としても、どれを取っても中途半端過ぎるし、物足りなさ過ぎるし、まあつまらなかった。
多分「ウォン・カーウァイとトニー・レオンが功夫映画撮った」で楽しめる人向けの映画なんじゃないかしらん。
☆★★★★