2024年05月27日 月曜日
チャン・チェ監督・脚本、ジミー・ウォング主演の1967年の香港映画「片腕必殺剣(獨臂刀)」
使用人だった父親が自分の命を捨てて剣術の武術家の師匠の命を救った事でファン・カンは師匠の下で息子の様に育てられた。
ファン・カンを気にする師匠の娘やファン・カンの存在を妬む兄弟子達には疎ましく思われ師匠の下から出て行こうとしていたファン・カンは兄弟子達に決闘を申し込まれた。
簡単にあしらわれてしまった師匠の娘は怒って剣を振り回すとファン・カンは右手を切り落とされてしまった。
ファン・カンは何とか生き延び、シアオマンという一人の女性に命を助けられ彼女と共に暮らすがずっと武術家だった人生で武術さえ出来なくなってしまい自分を見失っていた。
ジミー・ウォングって多分ジャッキー・チェン関連で知ったはずで、そのジミー・ウォングの映画を一回見てみようと思い、配信が終わりそうだったので見てみた。
「片腕必殺剣」なのでハードボイルドな次から次への香港アクション映画だと思って見たら結構じっくりと悩める主人公を描く人間ドラマ重視の映画で良い意味で思っていた感じではなくて中々おもしろかった。
片腕になってしまう理由も、初めに山賊に殺されてしまった父親が出て来たので父親の復讐か、その復讐相手を探す中で悪者と戦って腕を切られてしまうのかと思ったら、ある意味仲間内の揉め事。身内の色恋沙汰のこんな理由で突然腕をぶった切られてしまうので序盤の大事な設定部分から意外過ぎて驚いてしまった。
それからは武術一筋だった主人公が利き手を無くしてしまい自分の意味を見失いながらもシアオマンとの生活で徐々に前向きになって行き、シアオマンは父親が何かの理由で殺されてしまい、それでも武術書を守ろうとした父親と残された母親とシアオマンの今までの人生から武術には否定的で、やがて主人公も武術を捨ててシアオマンと生きて行こうとする恋愛と人生を描いていて、思っていたよりも人生ドラマに重きを置いた話でこれが見応えがあった。
その分アクションは抑え目で、終盤までちょこちょこと戦いの場面はあるものの主人公による本格的な戦いは最後の三十分位。
1960年代という事もあるのだろうけれど皆の剣のアクションはもっちゃりしていて、皆が強くは見えない結構微妙な感じ。
その中で主人公のジミー・ウォングは片腕かつ折れた短い剣で戦うのでカッコ良く見え、相手に対して少し顔を横に向けて相手を見据えないのでそれが凄腕の達人感が出ていて凄くてカッコイイ。
この短い剣も主人公の父親が戦って死んだ時に折られた形見で、それを持ち続けて父親への想いをみせつつ、主人公が片腕になってしまいそれが利き手ではない左手なので通常の剣では重くて扱い難いのでその短い剣を使うという因縁めいた理由がある上手さを出していて更にカッコ良く思えた。
最後主人公は師匠への恩から敵を倒すとその後はシアオマンと共に農家になる為に新たな土地へと旅立つという終わりも良かった。
ただ、1960年代の香港映画だからか結構粗い部分もあり、主人公が初めから強い理由を描かなかったり、片腕になってから修業をしてはいたけれど少ししか描かないので行き成り更に強くなっている様にしか見えなかったり、事故とは言え腕を切ってしまった師匠の娘や兄弟子達はどう思っていたのかのその後が全然出て来ず、師匠の娘は終始うんことしか思えない言動だったり、敵の師匠の顔をずっと隠していた意味がよく分からなかったり、主人公を含めて皆が結構近場で暮らしているのに師匠側に噂話さえ届いていなかったり、序盤であれだけ出ていた兄弟子達があっさり殺され過ぎだったり、敵方の弟子達もあれだけ関わっていたのに手首を切られた後は一切出て来ずだったりともうちょっと描けばいいのにと思ってしまった部分が結構あった。
この主人公の悩める人生と助けてくれた女性の武術に対する否定感等をそのままに現代で再製作したらおもしろそうと思ったら1995年にツイ・ハークがこの映画のリメイク映画「ブレード/刀」を作っていたのか。
だけど粗筋を見てみたらこの「片腕必殺剣」とは結構違うみたい。
この映画、時代もあってかもっちゃりした部分は結構あったり、アクション映画としては微妙な部分はあるものの片腕になった武術家がどう生きるかを中心に描いていて、ジミー・ウォングの見得の切り方も印象的だったし、中々おもしろかった。
続編の「続・片腕必殺剣」も見てみたいのだけれどAmazon プライムビデオだと三作目だけどジミー・ウォングじゃない「新・片腕必殺剣」しかないのか。
☆☆☆★★
関連:新・片腕必殺剣
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2024年05月20日 月曜日
昨年から始まった「THE SECOND」が去年おもしろかったので今年も見てみて、確かに各組の漫才はそれぞれでおもしろかったけれど今年は去年程の色んな世代の人達が色んな漫才でワチャワチャした感じの楽しさが少なくて、何か更なる競技漫才大会の続き「続M-1」感を感じてしまって全体的に乗って行けなかった。
「THE SECOND」って変に競技漫才大会じゃない感じがおもしろいと思ったのだけれど、苦節何十年目のセカンドチャンスとかと言われると素直に漫才を見て笑えなくなる感じが出て来てしまい、「M-1」で感じていた要らない煽りをまだやるんだ…でさめてしまった。
ガクテンソクはやっぱり一番おもしかったけれど、そう言えば何時の間にかカタカナ表記の元々のガクテンソクになっていたのか。
前の学天即の方が好み。
ザ・パンチって以前の「チャッチャチャース」「死んで~」の時以降知らなかったので、まるでヘンテコなギミック乗っけてバラエティに出て来る若手アイドルみたいな感じを受けてしまって引き気味で見てしまってはいた。
決勝戦までの三回の漫才で審査員のお客さんに多分徐々に飽きられて行ったのか、徐々に点数が落ちて行って最後が最低点数って去年のマシンガンズみたいでおもしろかった。
マシンガンズの場合は最後で一気に点数が落ちてそれもネタになっていたけれど、ザ・パンチの徐々に落ちて行ったのってネタにされてなかったか。
それから良かったのは松本人志がいなかった事。
テレビでお笑いの大会をするとなるとやたらと審査委員長的な立場が松本人志ばっかりでみんな似た様な感じになってしまっていて、テレビは松本人志に頼らないと大きな大会出来ないという末期状態から抜け出せたらいいのにねと思っていた所なのでよかったとは思うけれど、大吉先生が「M-1」ばりの審査員の様な批評をするのでやっぱり「M-1」感があって、「M-1」と別の大会として「THE SECOND」を始めたのにどうしても「M-1」的なモノをしたくて仕方ないのかしらん。
あと、こういうお笑い大会はやっぱり後から配信で見た方がわたしには合っていた。
煽り部分やお客さんの感想とかを早送って飛ばして見れるし、特に最近長時間のテレビ番組を見切れなくなって来ていて、この番組も四時間だから実質三時間半位を一気に見れず、何時も長い番組はご飯食べながら見ると満腹になって徐々に眠たくなって集中力が切れるので、長い番組はTVerで前後編になっているのでそこで一旦見終えて次の日に残り半分を見るのが常で、今回の「THE SECOND」もそれで、それが出来るのが配信の良い所。
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2024年03月26日 火曜日
「ブラタモリ」は結構初期から見ていて、その時はおもしろくて毎回録画して、録画をBD-Rに焼いていた位。
その後も見続けたけれど何時頃からか何かおもしろくなく感じ始めて、最近は録画はあるけれど見ないままで何回も残っていたり、ご飯を食べながら見ていてもご飯を食べ終わる20~30分位で集中力が切れ、それ以降は流し見か早送りになっていたりした。
別に見るのを止めればいいだけではあるのだけれど、初期から録画を保存し続けている番組なので完全に惰性ではあるけれど最後まで見なくてはいけないという変な義務感と、食事の時に見る物が他に大して無いからという理由で見ていた。
そんな感じだったのでタモリの年齢も考えるとそろそろ終わりも近いだろうから早く終わらないかなぁ…とは思っていた。
何でおもしろくなくなったのかと思い返すと、元々「ブラタモリ」って「タモリ倶楽部」でやっていた古地図を見ながら現在の町を歩くのの更に詳しい版といった感じで、東京の町を古地図を見ながら歩いて行くのが何だかマニアックでおもしろく、わたしは東京に住んだ事も無いし、東京に行った事も数回なのに東京の細かい街歩きがおもしろくてはまってしまった。
しかし、「森田一義アワー 笑っていいとも!」が終わり、タモリの撮影日程が取れる様になって新シリーズとなって日本各地に出かけ始め、これは初めは目新しさでおもしろくはあったものの、その目新しさが段々と無くなって来ると日本各地のマニアック観光地紹介みたいに思えて来て、今までやっていた東京の普通の町の実はの顔からの方向転換が徐々に微妙に思えて来てしまった。
東京の町の細かさも日本各地の観光地の細かさもどっちもどうでもいい話と言えばどうでもいいんだけれど、何だか日本各地の観光地の方はつまらなく思えて来て、たまに東京の町をする回だと急におもしろく思えてしまった。
タモリが面白がって東京の町や坂を歩くからおもしろいんだと思うのだけれど、その町の観光資源掘り返しにやる気満々感を感じてしまうから段々とおもしろくなく感じてしまったのかなぁ。
最終回の前の回が正倉院で、最早『街歩きの達人・タモリさんが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る「ブラタモリ」』でもなくなっていて、いよいよネタ切れで末期なんだろうなぁ…とも思ってしまったし。
それに徐々に「ブラタモリ」の胡散臭さも感じて来て、何時の回だったか、「この町は~で、だからこの特産品は日本全体で収穫高一位なんです!」と言う話が出て来たのだけれど、この日本一位で出した情報が何故か数年前の時のランキングだったのが気になり、何で最近の二・三年前ではなくて数年前の微妙に古い情報なんだろうと思って調べてみたら、そこから数年後の二・三年前のランキングではその町が二位三位とかになっていて、一位はその周辺の別の町だったので言いたい結論に辿り着かなくなってしまい、先に結論ありきなので一位じゃないといけない古い情報を使っていたのが分かってしまい「ブラタモリ」の情報って基本疑った方がいいよなぁ…と思い始めてしまった。
一番酷かったのがしまなみ海道の回で、その回では村上水軍を扱っていて、だけれど番組では村上水軍ではなく村上海賊と言っていて、わたしは何かで習ったのか昔からずっと村上水軍だと思っていたので村上海賊と言うのに物凄い違和感で、まず「何時から水軍から海賊が一般的になったの?」と疑問ばかりだった所に、「村上海賊は海賊ではなかった!」という話になり、こうなると本末転倒感が過ぎて一気に見る気が失せてしまった。
他にも音関係もうざくなった理由の一つ。
それまでナレーションは本職の声優である戸田恵子だったのに日本各地に出始めたシリーズから草彅剛になり、当時何で本職の声優からジャニーズ?と力関係によるゴリ押しを感じて大分拒否感があり、その草彅剛は声が覇気が無いのはそもそもなんだけれど、回によっては声がガッサガサだったり、完全に鼻声だったりする事が度々あり、プロのナレーターとしては終わっていて、さっさと交代しないかなぁ…とずっと思っていた。
もう最後の方はナレーションによる説明部分になると早送りしていた。
それに音楽の使い方も何時からかうざくなり、やたら壮大とか、ここは感動する所ですよ的な音楽の使い方をしていて、他のバラエティ番組では感じないのに「ブラタモリ」では音楽がうるさい。音楽うざいと感じてしまっていた。
それに何時頃からかスタッフがやたらと笑う様になり、タモリが大して面白い事も言っていないのにスタッフ爆笑とか、民放のバラエティ番組でのスタッフの大きなわざとらしい笑い声と同じ事していて非常に不快だった。
特に最近やたらとタモリが少々程度の駄洒落を言ってスタッフ爆笑という場面が多く使われていたけれど、ずっとこれいる?と思っていた。
まだ最初の頃ってこんなやり取りあったっけ?と思ったのだけれど、こういう場面を入れないといけない位ネタが薄くて取れ高足りないのかと思ってしまったし、こういう場面が多かったりして間延びしているなぁと思うと大体次回に続くの前後編の事が多かったし。
あと、その土地に詳しい人がやたらと立ち替わり入れ替わりで出て来るのもうざくなっていた。
これって見ている方からしたら一人詳しい人がいれば良いだけだし、その人の趣味とか本当にどうでもいいし、何人も別の人が出て来るのって向こうの都合だけなんだろうな。
もうつまらなく感じてしまい、回によっては何度も早送りしていたので、やっと「ブラタモリ」が終わったという感じ。
タモリの年齢的体力的にも番組的にも日本各地の観光地紹介は止めて、元の東京のマニアックな町歩きに戻って四季毎位で放送して欲しいかな。
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2024年03月25日 月曜日
アンジェイ・バートコウィアク監督、ザ・ロック主演の2005年のアメリカ・イギリス・チェコ・ドイツ共同制作映画「DOOM(DOOM)」
2026年に地球で火星の古代都市へと一瞬で移動出来るポータルが発見されアークとして活用され始めた。
20年後、ユニオン・エアロスペース・コーポレーションが火星で研究施設を運営していたが、その施設から海兵隊に救助要請が送られ、八人の海兵隊員が火星へと向かった。
わたしは「Doom」はセガサターンで「1・2」がカップリングになったのをして、多分それがFPS初体験のゲームだったはずで「Doom」は結構思い入れがある方。
その後のDoomシリーズはしておらず、「1・2」の知識でこの映画を見てみたらゲームとは大分違う感じで、セットとか敵とかの雰囲気的にどうやら2004年に発売された「Doom 3」を基にした映画になっているよう。
その映画は全体的には良く言えば王道。悪く言うと在り来たりな限定された空間での謎生物対人間モノでそんなにおもしろくはないのだけれど、終盤での展開とか演出が何かおもしろくて最後までそれ程退屈もしなかったし結構おもしろい気がした。
一番初めで火星まで行って一気に話を進めて、ここら辺の展開の早さは良かったけれど、序盤は施設の通路や部屋とか坑道とかを移動しては何かがいる!?の展開が結構長く、敵が出て来ても造形が微妙だし、敵は銃の弾数発で死んでしまうのに人側があっさりやられ過ぎで盛り上がりには欠けていた。
ただ、この感じって如何にもホラーFPSの序盤の感じだし、セットもFPSっぽくて、ホラーFPSとしてみるとそんなに悪くは無い感じで見ていた。
で、終盤になり、色々と急に方向転換するおもしろさでちょっと笑ってしまった。
これまでずっと部隊のリーダーでこの映画の主役だと思っていたザ・ロック演じるサージが「誰に感染しているのか分からず、地球に広がると危険だから研究員はとにかく皆殺しにしろ!」と言い出して悪役化し出し、初めは一人の隊員でちょっと設定がある脇役だと思っていたカール・アーバン演じるジョン・グリムが正義のヒーローとなり主役化して、終盤で主役の交代劇が起こった。
この当時の知名度的にもこの映画での扱われ方としてもザ・ロックの映画かと思いきや、最後に主役が敵になってしまう展開はおもしろかったし、この展開は好き。
しかも、サージは感染してパワーアップし、ジョン・グリムも遺伝子打たれて超人化して、ハリウッドのアクション映画でのお決まりの最後の主役と悪役の殴り合いはスーパーヒーローのアクションみたいな素早さや吹っ飛び具合になって、結局「Doom」関係無くザ・ロック対カール・アーバンのアクションモノの印象で終わってしまうおもしろさ。
更に、ジョン・グリムが瀕死の重傷となり、それを救う為に遺伝子打たれて意識を取り戻すと何故かそこからFPS視点。映画だとPOV(Point of View)ショットになり、通路を進んで角を曲がると敵がいるので銃で撃つとか、横から敵が急に現れて殴り飛ばすとか、本当にFPSのゲームをやり始める。
これは流石に今までの結構深刻な流れをぶった切って悪ふざけを始めてしまったので笑ってしまった。
おもしろかったのだけれど当時の技術だからか予算なのか、この一連のFPS場面は安っぽい感じがあり、きっちりカメラを振って敵が現れて倒すの繰り返しがぎこちない感じだし、全体的に映像が前に寄っていると言うか視野角が狭い感じがして、折角の悪乗りFPS場面の迫力が削がれていた感じがしてしまった。
途中でサージが研究施設で開発された新型のエネルギー武器でゲームでお馴染み「BFG(Bio Force Gun)」を手に入れてワクワク感を出すんだけれど試し撃ち位でほぼ活躍や見せ場が無く、出すならちゃんと派手な見せ場が欲しかったし無駄に使っている感じが勿体無かった。
ドウェイン・ジョンソンと言えば今ではハリウッドのトップスターになり、出る映画は物凄い予算の超大作の常連の感じだけれど、俳優初期はこんなB級感溢れる映画の主役だったのねで見れそうで、多分WWEのレスラー名義と同じザ・ロックはこの映画まで?
この映画、「Doom」の映画化とか、ザ・ロックやカール・アーバンが出ているとかおもしろくなりそうな要素はあるのに微妙なよくあるB級サスペンスホラーになってしまった感じで色々と勿体無い。
「Doom 3」じゃなくて最初の「Doom」とか、2010年代以降の「Doom」の方を基にしたら、地獄のポータルからモンスターがワラワラと出て来て、それを次々と撃ち殺して行く良い意味で馬鹿アクション映画になりそうで、それこそ今のドウェイン・ジョンソンで作り直したら無駄に大作の映画になっておもしろそうな気がしてしまった。
☆☆☆★★
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2024年03月20日 水曜日
レン・ワイズマン原案・製作、アンナ・フォースター監督、ケイト・ベッキンセイル主演の2016年のアメリカ映画「アンダーワールド ブラッド・ウォーズ(Underworld: Blood Wars)」
シリーズ五作目。
長老達を殺した為にヴァンパイア一族からも狙われているヴァンパイアの処刑人セリーンは命を狙われている娘を自分さえも知らない場所に隠していた。
ライカン達をまとめたマリウスはヴァンパイア一族の元老院を倒す為、強い力を持つ血のセリーンの娘を探しており、居場所を知っているはずだとセリーンを追っていた。
元老院側はライカンから身を守る為に処刑人のセリーンの力を借りようと接触を図って来た。
三作目が千年以上前のヴァンパイア一族とライカン族の争いの大元を描いた話だったので、一・二作目の前編二部作からの四・五作目の後編二部作の完結編の様な最終作。
元々は三作目の配信が終わりそうだったので一作目から見始めて、一作目は結構おもしろかったんだけれどシリーズが進むに連れてドンドンと微妙になり、最終作のこの五作目は大分何だこれ…な映画だった。
今まで出して来なかった話を後出し後付けで次々と出して来るけど詳しく描かず、次々と先に進むのでまるで連続ドラマの総集編の様。
突然ヴァンパイア一族の元老院が出て来たけれど後付けなので、一作目や二作目で長老達が殺されたり復活したりの時は元老院は何してたの?全く役に立ってないじゃん…だし、前作での人間によるヴァンパイア掃討作戦の時も何してたの?とかも特に触れられもせず。
ライカンの方も前作でのライカンも掃討作戦で少数が地下で生き残っているだけだったはずが行き成りヴァンパイア一族を脅かす強大な勢力になっているけどこの説明も特に無く、色んな話が突然現れてしまっていて強引に今作用の設定に持って行っている感じばかり。
多分、前作が興行収入は良かったものの評判的には良くなかったので、前作の近未来感から一作目のゴシックなヴァンパイア一族と力で攻めようとするライカンの対立構図に強引に戻そうとしたからの前作からのぶった切りなのかなぁ。
前作からのぶった切りで言えば、前作は主人公セリーンとマイケルの間に出来た娘イヴを巡っての戦いで、今作でもライカンはイヴの血を狙っての戦いなのに、セリーンは娘を隠したと言うけれど何処に隠したのかは分かっていないと言う話になり、結局イヴは何処にいて何をしているのかとかはさっぱり分からず、争いの大元の張本人が一切出で来ないし説明も無いという訳の分からなさ。
前作だと何故なのかライカンは簡単にイヴの居場所が分かって直ぐ襲って来ていたけど、今回は全く分からないままとこっちも都合がいいし。
同じくマイケルも前作の最後の最後で逃げ出していた!で次回へ引っ張って終わったのにも関わらず、今作では初めから特に触れられもせず、最後になって実は殺されていました…で登場も無く終わりという余りにお座なりな結末にしてしまって、一作目からの大きな軸がこんな終わり方って酷過ぎる。
これはもしかして、一・二作目の監督でシリーズの製作者でもあるレン・ワイズマンが一作目が切っ掛けで一作目公開後の2004年にケイト・ベッキンセイルと結婚したものの2016年には離婚しているから、一作目からセリーンとマイケルを自分達に重ね合わせていたけどこの映画の時には蜜月は終わっていたのでこんな素っ気ない終わりにしたのかとうがってしまった。
セリーンのコルヴィナスから手に入れた超な力とか、セリーンのその力で甦ったデヴィッドもだし、ライカンの指導者マリウスも血によって新たな種っぽくなってはいるものの、それはだから無敵の強さなんです!の理由だけにしかなっていないし、聖なる世界って何?からの、そこを見ると瞬間移動の様な超速度で移動出来るようになるこれまた急な能力を足して来たりとか、各設定を活かした展開にする気も無い様で意味不明過ぎだし安っぽいしで非常にしょっぱい。
雰囲気は一作目の評判が良かった感じに戻して薄暗いゴシックな感じではあるけれど、ヴァンパイア一族の中に権力を狙って裏切り者がいるとか、ヴァンパイアとライカンで惹かれ合っている者がいるとか一作目の焼き直し感と言うか、使い回し感が強かったりしておもしろくはない。
一人のヴァンパイアはヴァンパイア一族内での権力を巡って身内殺しまでやっているのに、デヴィッドが長老の息子だと分かった瞬間に寝返ってしまい、最早いなくて影響力も無い長老の血統だと言うだけで何も権力も無いのに指導者になってしまうデヴィッドとかもついて行けないし、見ていると結局ヴァンパイアとライカンって何で戦っているの?と思ってしまう描きの薄さ、無さで終始乗って行けず仕舞い。
この映画、シリーズでずっとやって来たセリーンとマイケルの関係をぶん投げてしまったし、その二人の娘の話もぶん投げて、セリーンは強くてライカンをやっつけました…と言う、そんな事じゃあない結末やってしまった酷いシリーズ最終回だった。
☆★★★★
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