2024年06月10日 月曜日
チュー・イェンピン監督、ジミー・ウォング製作・主演、ジャッキー・チェン共演の1982年製作の台湾・香港映画「ドラゴン特攻隊(迷你特攻隊)」
第二次世界大戦時日本軍の襲撃によって50万ドルの軍資金が奪われ、アメリカ軍・イギリス軍・フランス軍・アフリカ軍の将軍が捕虜となってしまった。
ドンに救出命令が出て、ドンは各地にいる馴染みの者を集めて特攻隊を作ろうとする。
ジミー・ウォングの「片腕必殺剣」「片腕ドラゴン」「ファイナル・ドラゴン」と見たのでAmazon プライムビデオの検索で出て来たこの映画も見てみた。
「ファイナル・ドラゴン」と同じくサムネイルではジャッキー・チェンしか写っていないけれどジミー・ウォング主演。
なんだけれどジミー・ウォングは中盤から全然出て来なくなるし、これまで大した役でもなかったジャッキー・チェンが最終的には主役になってしまうという変な映画。
しかも、ずっと何処で何をしているのか分からない話で、コメディ要素を推し出しているけれど終始滑りまくっているというつまらない映画で酷かった。
導入からコメディ的はあったけれどオープニングクレジット終わりから行き成りミュージカルで早くも「何じゃこりゃ?」
しかもミュージカルはこの部分だけで以後ミュージカルは無くて、この掴みだけのミュージカルの意味不明さったらない。
そこからジミー・ウォングが仲間を集める話になるけれど、ほとんどが仲間のどうでもいい一幕が続き、ジミー・ウォングは最後にちょっとだけで出て来て誘うだけ。
仲間が集まると謎のアマゾネス軍団が襲って来てジミー・ウォングはどうやら死んだらしいという話になり、これ以降は仲間だけで話が進んでジミー・ウォングが全然出て来ない。
最後にジミー・ウォングが生きてました…になるんだけれど、このアマゾネス軍団にジミー・ウォングが捕まったのかと思いきやそういう話も無く、ジミー・ウォングは結局どうしていたのかは分からないまま。
このアマゾネス軍団の話が長く続く割にこの話は一切必要も無く、最終的にはアマゾネス軍団皆殺しにして終わりという無茶苦茶な締め方。
その後は突然幽霊屋敷が出て来るホラーになり、これも全く必要が無い。
残り二十分位になってようやく将軍達を助けに行くのだけれど、序盤で日本軍が捕虜をアムステルダムから東京に移送するという話が出ていたのに、どう見てもアムステルダムにも東京にも見えない場所に行き、そこはナチスの基地?で、そこに第二次世界大戦時代の自動車には見えない当時の現代の自動車が押し寄せ、それに「マッドマックス」的な仮面を付けて上半身裸の男達と袴に刀を持った侍が乗ってやって来るという無茶苦茶な最終決戦になる。
そこで今までの仲間は全員死亡し、そこに突如現れたジャッキー・チェンが加勢して機関銃で敵を皆殺しにし、実は金目当てで仲間にナチスと戦わせたジミー・ウォングが突如現れて良い者の主人公となったジャッキー・チェンと悪役ジミー・ウォングとの最終決戦になってしまい、もう何を見せられているのか分からなくなってしまう。
スターになって来たジャッキー・チェンとジミー・ウォングの戦いをしたいならそこで話を作れば幾らでもおもしろく出来ただろうに、何でこんな映画になってしまったのだろう?
この映画、終始その場の思い付きみたいな展開を繋ぎ合わせた話の連続で、主演で主役だと思っていたジミー・ウォングが全然出て来なくなり、かと言って最終的に主役になってしまうジャッキー・チェンが序盤中盤と活躍する訳でも無い脇役の一人のまま仲間達のどうでいい滑りまくった寸劇が続くだけの酷い映画。
何もおもしろがって見たらいいのか分からず、結構早い段階で早送ってしまい、そのまま最後まで行ってしまった。
★★★★★
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2024年06月07日 金曜日
ロー・ウェイ製作・監督、ジミー・ウォング主演、ジャッキー・チェン共演の1977年の香港映画「ファイナル・ドラゴン(風雨雙流星)」
放浪を続ける武術家の梅星河の下に有名な武術家の花無病から使者が来たので花無病の屋敷へと赴いた。
花無病は病床に伏せており、この病気は花無病の妻が盛った毒が原因で花無病から妻を殺して解毒剤を奪って来て欲しいと頼まれる。
梅星河は王宮の密偵で花無病が盗んだとされている宝物の証拠を見つける為に花無病からの頼みを受け入れ、妻から解毒剤を奪おうとする。
ジミー・ウォングの「片腕必殺剣」「片腕ドラゴン」と見たので続けてこの映画も見てみた。
この映画のサムネイルではジャッキー・チェンしか映ってなく、この映画の後にジャッキー・チェンがスターとなってからはジャッキー・チェンの映画みたいに扱われているみたいだけれどジミー・ウォングが主役の映画。
映画は頻繁に特に説明もされずに新たな人物が登場してはよく分からないまま話が進み、人物が行き成り殺されたり死んだりの急展開が連続し、実は死んでませんでしたとか、実は…の細かいどんでん返しが頻繁にあって、見ていても理解する前に何だかよく分からないままで話が勝手に進んで「?」の連続で常に置いてけ堀。
序盤はこんな凄い人が恐れたり尊敬するのがこの人物というまどろっこしい人物説明が連続して、その時点で面倒臭いと思ってしまったけれど急に新人物登場から何だか分からないまま話が進んで何だか分からないまま次の話になり、何処に向かっているのか分からないまま主人公が新たな人物に連れ回される展開が続き、終盤は突如説明も無く最初の泥棒達が主人公の手下として現れた以降、「実は~でした」「実は~は死んでいませんでした」の連続どんでん返しでもう何のこっちゃ?
映画中ずっと主人公が今まで使った事は二回だけしかない謎の武器の奪命流星を引っ張りに引っ張り続けた挙句、最後に取り出した奪命流星は棒の両端に棘の鉄球が付いたヘンテコな形で拍子抜けして、更にその奪命流星は棒部分が伸びたと思ったら鉄球が回転し始め、離れた敵目掛けて鉄球が飛び出して敵にぶつかると鉄球が爆発して敵死亡という謎武器で、もう笑ってしまった。
その後のジャッキー・チェンとの戦いでも奪命流星を使うのだけれど、今度は鉄球部分が空中に発射されると花火の様に火を噴いて落ちて来て、「うわー!」と驚て見ているジャッキー・チェンにぶつかって爆死という謎過ぎる武器で、もうついて行けず。
ジミー・ウォングは歳を取ったからなのか、太ったからなのか以前よりも顔に精悍さが無くて無敵の武術家感がいまいちない。
これはジャッキー・チェンが大スターになった事を分かって見ているからか、ジミー・ウォングよりもジャッキー・チェンの方がスター性があると言うか、見栄えがすると言うかで、ジャッキー・チェンの方が映画スターになるのも分からなくもない。
この映画、常によく分からない人物が次々と現れては行き成り死んだり、実は生きてましたの連続と、細かいどんでん返しの連続で見ている方を常に置いてけ堀にさせながら進んで行く悪い脚本で、見ている方が常に話をこっちで補完しないといけないけれど補完した所で直ぐにそれを台無しにしたりひっくり返すのでついて行くのが非常に面倒臭くなる映画。
ジミー・ウォングとジャッキー・チェンが戦っているという部分だけの見所で見るモノなのかと思うけれど、ジャッキー・チェンは結構自分でアクションしているのに多分ジミー・ウォングは所々スタントダブルでさめるしで、アクションも別におもしろい訳でも無くてアクション映画としても微妙。
☆☆★★★
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2024年06月07日 金曜日
ジミー・ウォング製作総指揮・監督・脚本・主演の1972年の香港映画「片腕ドラゴン(獨臂拳王)」
敵対する道場の弟子と揉め事を起こしたチェンロンは師匠から怒られてしまう。
気が収まらない相手の道場主は外国から武道家達を呼び集めてチェンロンの道場に殴り込み師匠や弟子達を皆殺しにし、チェンロンは右腕を切り取られてしまった。
ジミー・ウォングの「片腕必殺剣」やジミー・ウォングは出ていないけれどその続編的別映画の「新・片腕必殺剣」を見たので更にジミー・ウォングの映画をもっと見てみようと思い、この「片腕ドラゴン」を見付けたものの、何故かAmazon プライムビデオには吹き替え版しかなかったので仕方なく吹き替え版で見てみたけれどこれが大失敗。
吹き替え版が酷い。
ジミー・ウォングはこの時三十歳前なのに声がおじいちゃん。
ジミー・ウォングの田中信夫の声が完全におじいちゃんで時々呂律さえ危なっかしい事もあるし、このジミー・ウォングと全くあっていない。
しかも、ヒロイン?の吹き替えの高橋ひろ子もおばあちゃん声で、ジミー・ウォングとヒロインの場面は映像を見ないとおじいさんおばさんの会話にしか聞こえないという最早吹き替えコント。
日本語版の吹き替えが何時録音されたのか分からないけれど、多分1970年代やそれ以降の吹き替えではなくて新たにソフト版を出した時の2010年位に新録された時の物だと思われ、だったらわざわざベテランになってしまった声優で新たに撮り直さなくてもと思ってしまう位この吹き替え配役が完全に失敗していた。
それにこの映画は時代物でもあるのに登場人物が「コントロール出来る」とか「3センチ下だ」とか言っていて翻訳自体も酷い。
映画自体もつまらなく、始めは主人公が切っ掛けとして話が進むものの直ぐに主人公が登場しなくなり、延々と主人公側の道場の人々と敵側の人々の揉め合い、戦いになり、しかも敵側の話が多く、主人公がいないままで話しが進むので暫くするとずっと何を見させられているのか分からなくなって来る。
敵側が外国から武術家を集めて来ておもしろそうな事になりそうなのだけれど、道場で弟子対武術家の戦いを延々と繰り返し、投げ技の柔道家以外は皆同じ様なカンフー?の様な動きなのでアクションもおもしろくなく結構退屈。
外国からの武術家達はやたらと役が濃いのに特に話を膨らます事も無く、沖縄空手とチベット仏教僧との対立を序盤に出しておきながらここの関係性を何も描かないし、主人公の復讐が始まると初めは各武術家と主人公が順番に戦っていたのに面倒臭くなったのか行き成り全員集まってまとめて同じ場所での撮影になったり、折角おもしろくなりそうな全く違う武術対主人公も活きて来ない。
「片腕必殺剣」に続く片腕モノなので、どうしてもどうやって、どういう理由で片腕になってしまうのかが気になる所でもあり、見所でもあるはずなのに、道場で次々と弟子達と武術家が戦う中の一人として主人公が戦い、そこで右手を手刀で切られるという大分無茶な理由で全然おもしろくない。
しかも、腕を切られると医者に運ばれて主人公が出て来なくなり、また道場の人達と武術家達の戦いに戻るので流れの中での一つの話程度の扱いで主人公の存在感が薄過ぎ。
その後主人公が医者から抜け出し?道端で倒れている所を助けられて、そこの家で過ごすのだけれど、そこでの出来事は数枚の写真だけで説明してしまい話を一気に端折る。
左手の強化と修業もそこそこに端折ってしまい、片腕になった主人公がどう思って復讐に向いて行くのかとかは全然描かないので続く最後の復讐が全然盛り上がらない。
左手の強化も復讐の時に大活躍とも言えず、この強化いる?だし、そもそも片腕の必要もある?だし、それよりも主人公が倒れた時に体を真っ直ぐにしたまま起き上がって来るという謎能力が発動するけれどこれについては修業の成果とかの説明は一切無しで意味不明。
全体的なアクションも微妙で、各国の武術家を出しておきながらそれ程違いが無いのもそうだけれど他の弟子達もガリガリだったりで強そうには見えないし、アクションも見所が無いしでアクション映画としても楽しくなかった。
沖縄空手の師匠との対決が一番最後なのは分かるけれど、これまでずっと話の中心人物で一番憎き相手のはずの敵のボスと主人公が一切戦わず、敵が投げて来たダイナマイトを投げ返したら敵のボスが爆死で終わるとか酷い展開。
ただ、各国の各種の武術家達が立ちはだかるとか、主人公が苦行に耐えて強い体や能力を手に入れる所なんかは昔の格闘少年漫画の源流なんじゃないかと思えてそこではおもしろかった。
何処まで本気なのか笑わそうとしているのか分からない中国武術とか格闘技って「魁!!男塾」とか「闘将!!拉麺男」とかの感じ。
この映画、ジミー・ウォングが自分で全部何でもかんでもやってしまったからか主人公の出番は少なくなってしまい、そのせいで何の映画か分からなくなる感じだし、主人公があんまり出て来ない前半部分が変に長くて本来描かないといけない片腕になってしまった主人公を端折りまくって展開はつまらなく脚本が全然おもしろくもなく、何度も集中力が切れて寝落ちしそうになってしまった。
以前の「片腕必殺剣」の好評でこの時の時流のカンフーでやったのは分かるけれど全然「片腕必殺剣」の方がおもしろかった。
☆★★★★
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2024年05月30日 木曜日
ラウ・カーリョン監督、リュー・チャーフィー主演の1978年の香港映画「少林寺三十六房(少林三十六房)」
明が滅亡して清が支配をし始めた広東。
海産物問屋の息子リューは清の支配を憎み始め、通っていた学校の先生が明の復興を目指す反乱分子だった為に彼に協力し始めた。
広東での清の将軍による鎮圧でリューの家族は皆殺しにされてしまった。
リューは強い力さえあれば戦えたと思い少林寺へと向かい修業を始めた。
「片腕必殺剣」「新・片腕必殺剣」と見ておもしろかったので、続けて古い香港アクション映画で配信が終わりそうだったのでこの映画も見てみた。
リュー・チャーフィーは名前は知らなかったけれど剃髪姿は何かで見た事があったし、第三十五房の水に浮いた丸太を渡る場面が何か見た事ある様な気がして大分昔に見た事があったのかもしれないけれど内容は覚えが無く、初見として見てみた。
序盤から少林寺に行くまでは「成程成程」と思いながら見ていたけれど少林寺での修行になるとやり過ぎでちょっと冗談染みて来て心が離れ、終盤は「これで良いの?」でスッキリしないまま終わってしまった。
構成は、初めの三十分位が主人公が少林寺を目指す理由で、中盤三十分位が少林寺での修行で、終盤三十分位が復讐となっていて、この各部分で結構雰囲気が違っていた。
少林寺を目指すまでは歴史物でもあり、真っ直ぐな主人公が力を求めるかまでを結構じっくりと描いていて導入はそれなりにおもしかった。
ただ、これ以降もなんだけれど主人公が余りに素直に真っ直ぐ過ぎるので、これと思ったらそれに突っ走るのにあんまりついて行けないし、この序盤を見ていると主人公のその突っ走りが周りの事を考えずに不幸に導いたと思えてしまって何だかなぁ?な感じもあった。
少林寺に入ってからは結構悪乗りが過ぎて笑ってしまったけれど「どうなの?」感が沢山。
主人公が一年間雑用ばかりで武術を習えていなかったけれど、武術で有名な少林寺でも言わないと習わしてもらえないの?
基礎訓練では水に浮いた丸太を渡るとか、片手で重い錘で鐘を鳴らすとか、頭突きしてから線香をあげるとか、巨大線香の間で顔を動かさずに目で光を追うとか、ここら辺が冗談みたいな悪乗り訓練の連続でニヤニヤしてしまったけれど段々とやり過ぎ感で醒めてしまっていた。
それこそ何処まで本気なのどうなのか分からない昔の少年バトル漫画みたいで、そこら辺の漫画がここから発想を得ているのかなぁ?とも思ったり、そこの房だけで集中的に鍛えるよりは毎日各房回った方が継続的に鍛えられるんじゃない?とも思ったり。
それにしても人が多過ぎ。
修行僧も各房の坊主達も大勢いて、少林寺って数百人から千人越えの巨大組織なのか。
武器を扱う様になってからは普通のカンフー映画になるんだけれど、それにしてもこの辺りのカンフー映画って三節棍好きだよねぇ。
最後も主人公が三節棍で敵が二刀流って、この映画の直ぐ前に見た「新・片腕必殺剣」では主人公や仲間が二刀流(から最後は三刀流)で敵が三節棍で、この映画も「新・片腕必殺剣」も同じショウ・ブラザーズ製作なので何か関係あるのかしらん?
終盤になると主人公が少林寺での修行が終わって外に出て復讐劇となるんだけれど、ここがどうにもついて行けず。
話の構成上最後に復讐にならないといけないのは分かるのだけれど仏門の世界だった少林寺から出たら仏門関係無し?
主人公は初めから復讐目的での少林寺で修業をしたけれど、少林寺では仏教を教えていたはずなのに主人公が仏教に触れて何か心変わりしたとかも無いし、修業を始める時に一番強い房として第一房が最初に出て来て見せていたので最終的に主人公もここで仏教的な何かを理解してその生き方を理解して武術よりも強いモノを見付けるとかになるかと思いきや全く関係無く、第一房は全然出て来ないままだし、坊主達も仏の教えを分かっていない主人公を外に出せば復讐だけの為に武術を使う事が分かり切っているのに寧ろそれを期待する様な感じで外に出していたりして、仏の道とか全然どうでもいいの?と疑問。
主人公も外に出た途端に復讐し始め、すぐ隣でほぼ死んでいる敵を何度も何度も切り刻んでいるのに「阿弥陀仏」と言って祈るだけだけどそれでも僧侶って…。
この終盤の展開も微妙で、この終盤に来て主人公に味方する新たな人物達が次々と現れ、皆まだ粗いけれど鍛えたら良い武術家になりそうな感じを出しているから主人公が作りたいと言っていた第三十六房で鍛えて仲間を揃えて清の軍隊と戦うのかと思いきや、結構直ぐに主人公と敵の将軍の一騎打ちになってお終いで新たな人物達が特に活躍する事も無いまま。
この終盤だと元々はもっと展開させるはずが長尺になり過ぎるので時間が無くて振りは入れたけれど全部端折ってしまった様な感じを受けてしまった。
この映画、中盤の少林寺での冗談みたいなやり過ぎ修行を見せたくて作った様な映画で、ここを笑って楽しめたらおもしろい映画なんだろうけれど、わたしはここで醒めてしまって、しかもその後の僧侶の格好はしているけれど復讐で人を殺す事だけが目的の主人公について行けずで、何だかなぁ…で終わってしまった。
☆☆★★★
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2024年05月28日 火曜日
チャン・チェ監督、デビッド・チャン主演の1971年の香港映画「新・片腕必殺剣(新独臂刀)」
二刀流の武術家レイ・リーは名前を知られる存在になって来ていた。
若い武術家が気に入らないロン大侠はレイを罠にはめて決闘を行って負かして武術界から追放しようと企てた。
ロン大侠は自分が負ければ腕を切って武術から足を洗うとまで言うのでレイはロン大侠と戦うが負けてしまう。
レイは面子から自分の左腕を切り落とし武術をやめ食堂で働く身となった。
他人に心を開かなかったレイだったが食堂にやって来た二刀流の剣士フォンと打ち解け兄弟分となった。
フォンはロン大侠と手を組む虎威山荘の悪行を聞き虎威山荘へと乗り込んで行った。
ジミー・ウォングの「片腕必殺剣」がおもしろかったので続けてその続編の「続・片腕必殺剣」を見ようと思ったら配信に無かったのでこの「新・片腕必殺剣」を見てみた。
「片腕必殺剣」の原題が「獨臂刀」で、「続・片腕必殺剣」は「獨臂刀王」で、この映画が「新獨臂刀」なので主演がジミー・ウォングから変わったけれど一応三作目とはなっているみたい。
そのジミー・ウォングは一・二作目を製作したショウ・ブラザーズに所属していたのが契約等で揉めてゴールデン・ハーベストに移籍。
ゴールデン・ハーベストで一・二作目の続編でもあり勝新太郎の座頭市シリーズとクロスオーバーした映画「新座頭市・破れ!唐人剣(獨臂刀大戦盲侠)」を撮った事でショウ・ブラザーズが怒り、この「新・片腕必殺剣」の製作となったみたい。
なので原題にも邦題にも「新」と付いている様に全く新たな人物の片腕剣士の話になっていて前作までとは関係無くこれだけで見れる映画。
ジミー・ウォングの片腕剣士とはまた別の人物なのでこちらはこちらでおもしろく見れた。
自分の腕に慢心している主人公が負けて腕を切って武術をやめ、鬱々とした生活の中でもかつての強さを垣間見せる様な人間離れした動きをちょこちょこと入れて後半に振り、その悔しさの中で生きている所に自分を理解してくれるかつての自分の様な若い剣士が現れ、主人公を気に掛ける鍛冶屋の娘との三人の関係性が良くて楽しく、若い剣士が出て来た所でこの剣士の復讐で主人公が再び戦うのは何となく分かるけれど最後へどう持って行くの?で見入ったし、最後三十分位の主人公の圧倒的強さのアクションには笑ってしまった。
最後は主人公一人対百人以上?の敵との戦いになり、まあ主人公がバッタバッタと切り殺して行くのは圧巻過ぎて笑えてしまう。
1967年の「片腕必殺剣」からすると徐々にカンフー映画の流行も出て来た事もあったのか、この映画では剣術アクションが早くなってはいるけれどまだ発展途上な感じはあり、敵が無造作にやられ過ぎだったりもしたけれどこの無茶苦茶な戦いを撮ろうと思った事に感心。
それに戦いの場所となっている虎威山荘が凄い場所に凄い建物があり、その前の凄い橋があるんだけれど、この場所は結構序盤から出ていて、この場所って元々こういう所があったの?何かの映画用で建てられたセットなの?とずっと思ってしまう位で、ここで戦うのだから見栄えとしても凄く良かった。
「片腕必殺剣」とこの映画で大きく違ったのは武術に対する方向性。
「片腕必殺剣」では武術は人を不幸にするからという理由で否定的で、結果主人公は武術を捨てて農業を始める為に別の土地へと行ったけれど、この映画では武術は人を不幸にしていたけれどはっきりとした批判的な台詞も無く、主人公も若い剣士も面子や復讐の部分が大きく、最後この後主人公がどうしたかは描かれず。
そこの部分では「片腕必殺剣」の方がおもしろかったかな。
「片腕必殺剣」では利き腕ではない左腕だけになったので今までの剣が上手く扱えず短い剣を使い、訓練して戦えるまでになっていたけど、この映画の主人公は元々二刀流だったので左手でも今まで通りに剣が扱え、しかも超人的な身体能力だったりと戦えるまでの葛藤等も結構省いていた感じもあった。
それに三節棍で突かれて負けとか、剣で軽く撫でられて切り殺されていた位だったのが、若い剣士は体を上下真っ二つに切り裂かれるという結構残酷な場面を急に出して来たのには驚いてしまった。
あと不思議だったのはロン大侠が使う三節棍は三節棍なので節部分で各棍がぶらぶらしているのに突然三節棍が一直線で一本の棒の様になっていたけれどあれって三節棍がそういう仕組みだったのだろうか?
特に三節棍の説明が無いままだったけれどロン大侠の超能力?
最後鍛冶屋の娘が長い橋に死体が溢れかえっている中を死体を気にせず、あれだけの殺人にも引きもせず主人公に向かって嬉しそうに走って行ったけれど鍛冶屋の娘は何か感覚壊れ過ぎの様な気がしてしまった。
この映画、近年流行りのリブート映画だけれどこっちはこっちで鬱々と主人公を描きつつ、最後のやり過ぎ感のあるアクションまで持って行く映画としては中々おもしろかった。
この映画の続編は無いけれど、このとにかく大勢の敵を切りまくるという方向性を更にやり過ぎての続編も見たかった。
☆☆☆★★
関連:片腕必殺剣
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