スーパーマンII 冒険篇

2022年06月22日 水曜日

リチャード・レスター監督、クリストファー・リーヴ主演の1980年の映画「スーパーマンII 冒険篇(Superman II)」
シリーズ二作目。

エッフェル塔で水爆を持ったテロリストが占拠していたがスーパーマンが現れて宇宙空間で水爆を爆発させた。
その付近にはクリプトン星が消滅する前に反乱を起こして逮捕されファントム・ゾーンに幽閉されたゾッド将軍とアーサとノンの三名のクリプトン人が宇宙空間を漂っており、水爆爆発の衝撃でファントム・ゾーンから脱出。
三人は地球に降り立ち、太陽系の太陽の下では特殊な力を発揮出来る事を知り、地球を自分達の支配下に置こうとしていた。
その中スーパーマンはロイス・レーンに彼女への自分の気持ちと正体を明かし、ロイス・レーンと一緒になる為に特殊な力を取り除いて普通の人間になろうとしていた。

一作目に続けて見てみたけれど、一作目がスーパーマンの誕生や犯罪との戦いやクラーク・ケントとスーパーマンの二重生活やロイス・レーンとの恋愛等が上手く混ぜ込まれて非常におもしろい映画だったという事もあったけれど、その続編のこの二作目は期待して見たので期待値が高まり過ぎていたのか、見ていても色々入れている割に間延びしていて余りおもしろくはなかった。

初めから一作目の総集編を入れて分かりやすくしていたけれど、一作目から続けて見ているので既に知っている事で長いしで結構飽きてしまった。
そこからパリを舞台に水爆を持ったテロリストの話になるのだけれど、何故フランス人に英語を話させてまでわざわざパリを舞台にする必要性が分からず、しかも小悪党感しかない犯罪者が水爆持っているのも訳が分からず、このパリ編は緊張感も無いままダラッと進み、結局ゾッド将軍一味を復活させる為の説明だと分かったけれど、それでも掴みの見せ場としても弱いし、復活の為の説明としてもパリの理由も分からず。

ゾッド一味の復活でスーパーマンとの対決を待ち望みながら見ていたのに、その後はクラーク・ケントとロイス・レーンの恋愛話になってしまい、これがおもしろければいいのだけれど一作目程のおもしろさがなかった。
一作目はスーパーマンに夢中のロイス・レーンはクラーク・ケントには興味が無いという対比がおもしろかったのに、今作ではまだ二作目なのにクラーク・ケントが正体を明かして早くも二人がくっついてしまって、クラーク・ケントとスーパーマンの対比は無くなってしまった。
二部作で終了予定だったらその展開も分かるけれど、まだまだ続けるつもりで二作目で正体を明かすって色々出来るのに勿体無いなぁ…と思ってしまい、しかし結局ロイス・レーンの記憶を消しましたという結末にするのだったらこの映画の展開要らなくなかった?とも思ってしまったし。

やっとゾッド一味が動き出すも田舎の小さな町を襲って我が物顔なので結構しょっぱく、終盤でやっとメトロポリスでのスーパーマンとの対決になって、そこは結構おもしろかったけれど、そこまでが集中力が続かなかった。
ゾッド一味は幽閉から脱出して行き成り超人的な力を手に入れ、目からビームを出したり、テレキネシス的な力を使えているのに大して驚いていないのは謎だし、クリプトン人が何で英語を喋っているのかも全くの謎で、ゾッドの極端な支配欲や権力欲も特に説明されないので結構置いてけ堀だった。
メトロポリスでの戦いは空中戦はいまいちだったけれど、地上での戦いは結構おもしろく、ここをもっと見たかった。
スーパーマンとノンが地面下で戦っていて、その揺れで地上の市民がよろけている場面や、ゾッド一味が大風を作り出して人や物が吹っ飛んで行く場面が変に長くて、折角の戦いの合間に戦いを見せない腰を折る様な演出をしていて、見たいのは肉弾戦であってそんな事じゃないのに…と残念だった。

それに良くないと思ったのは、一作目ではスーパーマンが目からビームのヒートビジョンを見せていないのに先にゾッド一味がやってしまったり、ゾッド一味の突然のテレポートをした後にスーパーマンもテレポートをしたりと、何故かスーパーマンの方が後手で特殊能力を見せていた事。
先にスーパーマンが持って使っていた力と同じ力をゾッド一味も発揮出来る様になっているという展開じゃないと意味無くない?

一番好きじゃないのは簡単にロイス・レーンの記憶を消してしまった事。
一作目でも死んでしまったロイス・レーンをスーパーマンが地球の自転を逆回転させて生き返らすという無茶苦茶な事をしていたけれど、今作でもキスしたらロイス・レーンの記憶が消えました…とか酷いよなぁ。
死んだ人は取り戻せない、正体を打ち明けた事の責任とかをスーパーマンが背負いながら生きて行くなら人間ドラマとしても納得出来るけれど、自分の気持ちを抑えられず正体を打ち明けたら何だか面倒臭い事になったので無かった事にしました…って、ドラマとしてはもうどうでもよくなってしまった。

一作目に続き、オープニング・クレジットで主役のクリストファー・リーヴよりも先に表記されていてクリストファー・リーヴ可哀そうと思ってしまったジーン・ハックマン演じるレックス・ルーサーが今回も出ていたけれど、今回レックス・ルーサーは要らないと言えば要らない役回りで、続編だしジーン・ハックマンも配役してしまっているしという感じのレックス・ルーサーの扱い。
一番最後にレックス・ルーサーが機転を利かせて装置を反転させてチェンバーの外に光線を出す様にしたとかだったら役が生きて来たと思ったのに、レックス・ルーサーの活躍も見せ場もほぼ無し。
この最後のゾッド一味を人間にした方法って、スーパーマンがこんな事仕掛けていましたよが全く無いので突然だし都合が良過ぎるだけで意味不明だった。

クリストファー・リーヴは相変わらずクラーク・ケントもスーパーマンも良いのだけれど、一方ヒロインのロイス・レーン役のマーゴット・キダーが物凄く痩せていて、一作目では魅力的に見えたのに今作では見ていても痩せぎす過ぎて大丈夫?と思える位魅力が全然無く、何でこんなにやせてしまったのだろう?と疑問。

この映画、一作目が非常に良かった分だけおもしろくなりそうな要素はあるのに、散漫になって見終わると何だかよく分からないボヤっとした感じに思ってしまった。
製作段階では前作の監督リチャード・ドナーが監督していて、実際に撮影も行なっていたのに、ワーナー・ブラザースやプロデューサーと上手く行かずに降板してリチャード・レスターが引き継いだらしく、出来上がった映画を見てがっかりしたリチャード・ドナーはクレジットに名前を乗せなかったらしいから、やっぱり後から相当変に手を入れた分だけよく分からない感じになってしまったのかなぁ。
その後2006年になって、リチャード・ドナーの思い描いていた本来の映画にする為に使われなかったシーン等も含めて再編集された「スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版」が公開されたけれど、「スーパーマンII」とは大分内容が違うみたいなので見てみたい。
ただ、「スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版」は配信はU-NEXTだけみたいなんだよなぁ。
U-NEXTは契約していないからなぁ。
それにしても、一作目の「スーパーマン」の次って「スーパーマンII」と「スーパーマンII リチャード・ドナーCUT版」があり、その次は「スーパーマンIII/電子の要塞」だけれど、2006年になって「スーパーマンII」の続編として作られた「スーパーマン リターンズ」もあって、このシリーズの後からの並行世界化って変わったシリーズではある。

☆☆★★★
 
 
関連:スーパーマン(1978年)
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマンIV/最強の敵
   スーパーマン リターンズ
   マン・オブ・スティール

スーパーマン(1978年)

2022年06月20日 月曜日

リチャード・ドナー監督、クリストファー・リーヴ主演の1978年の映画「スーパーマン(Superman)」
DCコミックスのキャラクターのスーパーマンの映画化。
スーパーマンの四回目の映画化で、全四作のシリーズ一作目。

クリプトン星ではジョー=エルが恒星が爆発してクリプトン星も消滅するという理論を主張していたが他のクリプトン人達は信用せず、混乱を起こさない様にジョー=エルの主張を宣伝する事を禁止し、ジョー=エル一家のクリプトン星脱出も禁止してしまった。
ジョー=エルは滅んでしまうクリプトン星から自分の息子カル=エルだけでも逃がそうと安全な環境である地球へと息子を宇宙船で送り出すとクリプトン星は恒星の爆発に巻き込まれて破壊されてしまった。
宇宙船は地球に着陸し、カル=エルは通りかかったケント夫妻に保護され育てられて、普通の地球人クラーク・ケントとして超人的な力を抑えながら生きていた。
しかし、養父のジョナサン・ケントが病気で死んでしまった事でクラーク・ケントは家を出て北極へ向かい、ジョー=エルのデータが残った孤独の要塞を見つけ出して自分がクリプトン人である事を知る。
それから十二年が経ち、クラーク・ケントは大都会メトロポリスの新聞社デイリー・プラネットの記者となり、普段は気弱な青年クラーク・ケントとして生活し、何か事件があればスーパーマンとして人々を救い始めた。

スーパーマンと言えば、二十一世紀になってからも映画ではブランドン・ラウスヘンリー・カヴィルがスーパーマンを演じたり、ドラマでも「ヤング・スーパーマン」や最近も「スーパーマン&ロイス」をやっているけれど、何故かわたしのスーパーマンの印象は映画を見た事も無かったのにクリストファー・リーヴ。
なので、そのクリストファー・リーヴのスーパーマンの映画を見てみたけれど、やっぱりクリストファー・リーヴのスーパーマンは可愛らしくもカッコ良くて物凄く印象に残るだけの素晴らしさだった。

元々クリストファー・リーヴがデカくて男前というのはあり、クラーク・ケントの時から一人背が飛び抜けて高くて目立つけれど、普段は冴えないのにスーパーマンになるとカッコ良過ぎで紳士的ってキャラクターが抜群に良い。
途中に出て来たけれど、クラーク・ケントの時は背筋を丸めており、クラーク・ケントが眼鏡を取って背筋を伸ばすとちゃんとスーパーマンに見えるのはクリストファー・リーヴも苦心して役作りしていたんだろうなぁ。

ストーリーもきっちりとスーパーマンの出自と少年時代からスーパーマンの活躍の導入を丁寧に描いていて、一作目としてはきちんとしている。
特に序盤のクラーク・ケントの少年時代が非常に良く、凄い力を持っているのに人に見せびらかせない葛藤や、ジョナサン・ケントに相談したら「お前がやって来たのには何か意味がある。何かあるはずだ…。多分タッチダウンする事じゃないと思うけれど」と冗談交じりに父親もクラーク・ケントも悩みながら暮らしている感じって、アメコミのヒーローモノで今も描かれ続けている自問自答をちゃんとやっているし、その後の父親の死とクラーク・ケントが出て行く決意とか、短い時間でクラーク・ケントの少年時代を描き、映像的にも広大な土地での開けた自然を見せていて、ここの導入が非常に良かったし気持ち良かった。
これを見ていたら、今も昔もアメコミでクラーク・ケントの少年時代を何度も描きたがるのが分かった気がした。

メトロポリスに出て来てからは、クラーク・ケントとしては気弱なんだけれどお茶目で可愛らしかったり、スーパーマンとしては堂々としてるけれど恋には不器用だったりと、どちらも人物が立ちまくり。
それにロイス・レーンとの恋愛話として見ても中々良い。
ロイス・レーンはクラーク・ケントには興味が無く、一方で話題騒然のスーパーマンと直接会って話して空飛んでスーパーマンに夢中とかは仕事人間の女性がスターと会っての恋愛話の様で、ここは少女漫画的で当時の女性はこれにキュンキュンしてたのかな?
ロイス・レーンとスーパーマンの夜の飛行場面はおっさんが見ていてもキュンキュンしまくり。

ただ、話は散漫な部分があり、サッとカル=エルが地球に来ればいいのにクリプトン星での話が長いし、折角の一作目なのに普段のクラーク・ケントを描くのが少ないし、スーパーマンの対犯罪の活躍ももっと見たいし、レックス・ルーサー側の話はジーン・ハックマンで持ってはいるけれど大しておもしろくないし、何でレックス・ルーサーの手下のオーティスが尾行されている場面を長く見なくてはいけないんだ?で、クラーク・ケントとスーパーマンが中心になっていないのが非常に勿体無く思ってしまった。

特にマーロン・ブランドのジョー=エルの見せ場の初めの場面の長さや、特に説明も伏線も無く何で北極にあるの?な孤独の要塞が突然出て来てジョー=エルが説明し出す場面とか、ジーン・ハックマン演じるレックス・ルーサーが自分が何をしようとしているのかを自ら説明したり、スーパーマンの弱点等を全部説明する場面とか、何で各ロケットのコードを間違えてもう一回入れ直す場面を見ないといけないんだとかの別に無くてもよさそうな場面が結構あり、これって映画の最初のクレジットの時からスーパーマンを演じる主役のクリストファー・リーヴよりもマーロン・ブランドとジーン・ハックマンが先に表示されている事からも、この二人の存在が色んな意味で大きかったんだろうなぁ…と分かる二人の見せ場が必要以上に取ってあって、これが余計に感じられてしまった。
ここを削って、クラーク・ケントとスーパーマンの二重生活やロイス・レーンとの関係をもっと描いた方がおもしろかったのになぁ…と思ってしまった。

それに、最後のスーパーマンが地球の自転とは反対方向に飛び、地球の自転が反回転したら時間が戻るという超能力は流石にやり過ぎ。
時間を戻した所で何で地割れが起きていないの?という疑問はあるし、これってジョナサン・ケントの時は助けられなかったけれどロイス・レーンは助けられたという対比にしても、成長して頑張れば死さえ無かった事に出来るって物語として駄目でしょ。

あれっと思ったのは、初めに出て来たゾッド将軍の三人組。
てっきりこの三人とスーパーマンが戦うのかと思ったけれど、初めに登場した以降は忘れられたかの様に全く登場もせず、触れられもせず。
どうやら初めから続編の製作は決まっており、その続編の敵としての伏線で登場させたみたい。
なのに初め以外では登場せずで、後半とか一番最後に登場させて続編に繋げる伏線が無いのは何でだろ?

映像は確かに今見てしまうと安さはあるし、合成も当時の技術なのでしょうがない部分はあるけれど、スーパーマンが飛び立つ所や着陸する所は合成無しにワイヤー等で釣り上げている?生身で撮影しているので、今見ても飛び立つ時の本当にスーパーマンが飛んで行く様な「おっ!」という感じがあるし、飛んでいる空中での動きもカメラを動かして空を飛んでいる感を出していて撮影が上手い。

この映画、1978年の映画という事で結構なめて見てしまったけれど、それを超えて来るおもしろさ、良さ。
もちろんクリストファー・リーヴの素晴らしさもあるけれど、撮影や特撮も結構良いし、話も要所要所を押さえてクラーク・ケントとスーパーマンの対比やロイス・レーンとの恋愛話もおもしろく、当時大ヒットしたのも分かるし、わたしも含め今でもスーパーマンと言えばクリストファー・リーヴというのも分かる映画で、非常に楽しく見れた。

☆☆☆★★
 
 
関連:スーパーマンII 冒険篇
   スーパーマンIII/電子の要塞
   スーパーマンIV/最強の敵
   スーパーマン リターンズ
   マン・オブ・スティール

インタープラネット

2022年06月18日 土曜日

ジェシー・オブライエン製作・監督・脚本、ダン・モール主演の2016年のオーストラリア映画「インタープラネット(Arrowhead)」

強制労働所で捕らわれていたカイ・コートランドを助け出した反乱軍の指導者ハッチはカイ・コートランドの父親が間もなく処刑される事を知らせ、父親を救い出す為に宇宙船アローヘッドからデータを盗み出す様にカイ・コートランドに持ち掛けた。
カイ・コートランドはアローヘッドに潜入してデータを盗み出したが、アローヘッドは磁気嵐に会って乗組員達は脱出。
カイ・コートランドもシャトルで脱出し、近くの星に着陸した。
その星の大気は有毒だったがシャトルの酸素は僅かしか残っておらず、辺りには何かが存在している様だった。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、宇宙SFモノっぽいという事しか前知識の無いまま見てみたけれど、色んな要素が詰め込んである割に終始間延びして退屈で、しかもあらゆる部分で説明不足なので何が何だか分からないままで集中力は続かず、つまらなかった。

初めから終盤までよく分からない部分が多過ぎ。
主人公は強制労働させられているけれど何者で、ハッチとの関係もよく分からないし、父親を救い出そうという理由も父親だから以上は見えず、そもそもの導入部分でつまずいてしまって、この主人公を見て行こうとする気持ちが全然起きなかった。
主人公がアローヘッドからデータを盗んだら父親を助けられるというのもよく分からず、そんな事せずに父親助けに行ったらいいんじゃないの?と思ってしまったし。
アローヘッドも主人公がデータを取り出す為にハッキングしようとしたら防御システムが落ちるという訳の分からない仕組みだし、アローヘッドが大破もしていないし危機的なダメージも受けていないのにアローヘッドから皆が逃げ出すし。
星に着いてからも更に訳が分からなく、シャトルが壊れ、どうやらアローヘッドから乗組員達全員が脱出ポッドで宇宙に出て行ったらしいのに、主人公は色々な物資や機材もありそうなアローヘッドには決して行かず、アローヘッドまで行けるのに何故かシャトル周辺だけで済ませようとする。
星には何かの生き物がおり、それに連れて行かれた主人公はその生き物に何かをされたらしく複製として生きているんだけれど、何故か本体や前の複製の自分とも同じ記憶を共有している。
主人公が死んだら新たな複製として誕生するみたいな感じなんだけれど、そこら辺を何も描かないのでさっぱり理解出来ない。
生き物をおびき寄せる為に自ら首を切って餌になったかと思ったら、その直ぐ側で銃を撃って生き物を殺していたけれど、死んだ瞬間にその前の体の横に行き成り復活するの?
あの黄色い繭みたいな中から出て来ていたけれど主人公もそうじゃないの?
どうやら複製の中に生き物が子孫?を産み付けていた?みたいだけれど、それが成長して人間が変形してあの生き物になるとか無理あり過ぎ。
何故か主人公はその体の中の生き物を抑えられ、完全に生き物に変形しても人間の姿に戻れるとかも無理あり過ぎ。
更に着陸した星は時間の進み方が早く、星での三年が外の世界では20分なのだったら、外から星を見たら雲が凄い勢いで動き回っているはずなのにそんな描写も無いし、主人公の本体は生き物に捕らえられたままで脱出したのは複製の方なのだから、外の世界での一時間は星では九年で、外の世界での一日は216年になるのだから、外に出て行った主人公の複製は一日もしない内に星の主人公の本体が老化で機能停止して複製も死亡じゃないの?とか思ったし。

演出も、何か思わせ振りに間を取って見せるけれど、じゃあそれが何なのか?とか、何に繋がるのか?とかがよく分からず。
結局全部が何だか思わせ振りなんだけれど説明が足りなさ過ぎるので何なのか分からず仕舞い。
これって多分全部自分の好き放題にやったジェシー・オブライエンの中では非常に納得がいっているのだろうけれど、見ている方にはそんな事は分からないので「?」でしかない。

ただ、主人公を演じていたダン・モールはほぼ彼だけが登場するので演技を非常に頑張っていた感はあった。

この映画、おもしろそうな要素を詰め込んではいるけれど全てが説明不足で、見ている方が常に疑問のまま、よく分からないままで置いてけ堀で話が進んでしまうので見ていると話を追うのが面倒臭くなり、どうぞご勝手に…感でお終いだった。

☆★★★★

レッドプラネット

2022年06月18日 土曜日

アントニー・ホフマン監督、ヴァル・キルマー主演の2000年のアメリカ映画「レッドプラネット(Red Planet)」

二十一世紀の地球では環境汚染が進み、その解決策として火星への移住を計画し始めた。
人類は火星に無人船で藻類を送り込み、藻類によって火星に酸素を供給し始めていたが、ある時急激に酸素レベルが落ちた為六人を乗せた宇宙船を火星に調査に向かわせた。
半年の航行後に宇宙船は火星の軌道上に到着したが太陽フレアを受けて破損。
船長一人を宇宙船に残し、五名が着陸船で火星へと脱出した。
火星には先に送り込んだ無人の施設があり、そこへと向かうが大きな嵐にも耐えられるはずの施設が破壊されており、乗組員達の宇宙服の酸素が無くなり、施設から補給も出来ずに死を迎えようとしていたが、宇宙服のマスクを開けると呼吸が出来た。
何故か火星に薄いながらも酸素があり、乗組員達は何とか宇宙船と連絡を取って帰還しようとし始めた。

ヴァル・キルマーが出ている、火星で何かある位の前知識で見てみたけれど、ハードSFを土台にハリウッド映画的な典型や見せ場を入れ込んだら、ハードSFとしてもハリウッド映画的アクションSF映画としても微妙になってしまった感じ。

火星移住の為に藻を使って酸素を作り出そうとするとか、しかし何故か酸素が減ってしまったので調査に行くと何故か大気に呼吸出来るだけの酸素があったというミステリー的なハードSF要素があり、火星に逃げざるを得なかった後、火星で絶体絶命の中でこれまでに火星に送られた探査船を使って火星から脱出しようとするサバイバルSFとしては結構おもしろい題材なのに、それだけでは地味で人を呼べないと思ったからか、何故か人間を殺そうとするロボットとか、結局何だか分からない虫とか、ヴァル・キルマーとキャリー=アン・モスの恋愛要素とかを入れてしまったので散漫になってしまって、結局何を見せたいのか分からない映画になってしまった印象。

登場人物は六人だけなので、この人間関係で見せるのかとも思ったけれど、初めはそんな六人の会話劇で進んだものの火星に行くと意味も無く急に登場人物が死亡し、残った三人もおもしろい関係を見せず、最後に脱出出来る探査船は二人しか乗れないのでそこでの葛藤を描くのかと思ったら都合良く登場人物が死亡してヴァル・キルマーが生き残るとか、何の為の登場人物だったのか分からない様な登場人物達。

設定とかも、宇宙空間を長期間航行する宇宙船が太陽フレアを受けて壊滅状態って、何で対策していないの?と疑問だし、ロボットのAMEEは登場人物の便利な道具としては活躍せず、このロボットは誰からの助けも無い状態で何の迷いも無い機械が殺しにやって来るというサスペンスをしたかっただけの為の導入だったし、藻で酸素を作り出すのに酸素を作り出す虫がいたのは回りくどいし、藻で十分酸素を作り出せるのにその藻を食べてしまい、予想よりも少ない酸素しか生み出さず、金属の施設も崩壊させる危険な虫が地球を救うとは思えないし、やっぱりこの虫も人間には意図が不明な恐怖が襲って来るというエイリアン的なホラーをしたかった為の導入で、そんなに色んな要素を入れなくてもと思ってしまった。

あとそんなに科学技術が進んでいる訳でもないのに既に人工重力を使っているのは撮影での予算の都合か。

役者は、1990年代は勢いが良かったヴァル・キルマーが何だかいまいちパッとしなくなった時期だったと思うけれど、この役も初めは変わったサングラスをかけてガムを噛み続けていて結構癖のある人物かと思いきや、映画が進んで行くと大分普通な人物でしかなく、終始弾けないまま。
キャリー=アン・モスは1999年の「マトリックス」大ヒット後の2000年のこの映画で、結構美味しい役だし、最後活躍するのが彼女なので、最終的には誰が主人公だったっけ?になってしまった。
2008年からのテレビドラマ「メンタリスト」の主人公パトリック・ジェーン役でお馴染みになったサイモン・ベイカーが出ているけれど、この役ももう少し葛藤したり、活躍したりがあるのかと思いきや薄くて終わってしまった。
その他トム・サイズモアテレンス・スタンプベンジャミン・ブラットも出ているけれど、もう少し役を立ててもよかったのでは?と思う物足りなさだった。

この映画、ロボットと虫がなければサスペンスSFと人間関係で見せるSF映画になっていた気がしないでもない映画で、変にハリウッド的な方向性にせずにハードSF方面で攻めたらもっとおもしろくなっていた様な気がしてしまった。

☆☆★★★

メッセージ

2022年06月15日 水曜日

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、エイミー・アダムス主演の2016年のアメリカ映画「メッセージArrival)」
テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」が原作。

世界十二ヶ所に巨大な物体が突如現れた。
各国が調査を行っている中、以前アメリカ軍と仕事をした言語学者のルイーズ・バンクスの下に軍人がやって来て、物体内部の生命体と接触した時の音声を聞かせ、相手の言葉の理解の為にルイーズ・バンクスに調査の依頼を申し出て来た。
調査を引き受ける事となったルイーズ・バンクスは理論物理学者のイアン・ドネリーと共に物体周辺に設営された基地に赴き、軍人達と巨大な物体の中に入って生命体と接触して彼らの言葉を理解しようとする。

この映画はファーストコンタクトモノ位の前知識で見てみて、主人公達がヘプタポッドと何度も接触して彼らの言葉ではなく文字らしきモノを理解し解読して行くという展開は非常におもしろかったけれど、最終盤になると結構投げっぱなしな上に話がグダグダになるので突然つまらなくなってしまった。

初めから、地球に地球外生命体がやって来るファーストコンタクトモノのアメリカ映画では有り勝ち過ぎる、相手の宇宙人はわざわざ向こうからやって来たのに何故か向こうからは積極的に接触して来なかったり、物凄い科学技術を持っているのに地球人側の分かる形で情報を伝えようとしないとか、謎で進める展開の為だけに向こうから来ておいてやたらと不親切設定に常に「???」と疑問ばかりではあったけれど、初めはヘプタポッドの言葉を理解しようとしたのが、彼らの見せる図形が文字らしいと分かり、それを読み取ろうとする展開はおもしろかった。
ただそれも、地球人が何となく文字を理解して来たなと思ったら次の場面では既に地球人がヘプタポッドの文字で対話出来ているすっ飛ばしをしてしまい、そこをもっと丁寧に描かないとそこまでの展開が意味無くなっちゃうじゃんと思ってしまう、時間内に納めないといけない製作側の都合に思えて、そこから冷め始めていた。

終盤になると、中国が物体を攻撃し出すとか言い出して、まるで宇宙戦争勃発か?みたいな雰囲気になるけれど、その前にアメリカの物体内で爆弾を爆発させているのにヘプタポッドは特に何も対応していないのだから、中国が攻撃してもヘプタポッドが反撃して来る気もしないし、攻撃した所で物体には全然効かないとか、攻撃を受けて消えてしまうとかの展開にしかならないんじゃないの?と思って、皆は勝手に何を慌てているんだろうと疑問だった。
なので、主人公が中国の攻撃を止めさせて世界を救った風になっていたけれど、それもいまいちピンと来ず。

そこから主人公が物体の中に入ると、何故かヘプタポッドの文字を完璧に理解出来る様になり、更に未来を見る事が出来る能力まで手に入れるとか何じゃそりゃ?
ヘプタポッドが全ての時間を並列的に見ているというのはそういう設定なのかと思うけれど、彼らの文字を理解すると地球人も未来を見えるとかもう都合良過ぎ。
チンパンジーが人間の文字を理解出来たら急に喋り出すのと変わらない位ファンタジー。

これは映画の始まりから主人公と子供との出来事を見せていて、それが過去の出来事の様にミスリードさせておいて実は未来の出来事でしたと最後の落ちの為のミスリードとしては正解ではあるけれど、これだとヘプタポッドと出会う前から主人公が未来を見ている様な感じになってしまっていて何だかよく分からず、落ちの為に狙い過ぎなやり方だなぁと思ってしまった。
それに娘といる時のエイミー・アダムスと、そこからの主人公が大学で働いている所のエイミー・アダムスの顔が全然老けていないので、初めの段階で主人公の過去を見せていると思っても現在は全然老けていないの何でだろ?で物凄く引っかかてはいたし。

ヘプタポッドも、わざわざ自分達からやって来ておいて地球人に対して情報を伝える事に非積極的なら何しに来たの?とか、三千年後に助けてもらう為に何故三千年前にやって来ているの?とか、地球人がどうやら文字を理解出来る様になったみたいなので帰りますとか、まあ展開の為だけの都合の良過ぎる行動や説明の無さ。
ここら辺の「謎の地球外生命体だから!」でぶん投げてしまうお手軽さって、もうファーストコンタクトモノの映画では辟易してしまう。

それに、主人公もよく分からないのは、未来が見えてしまい、未来では夫となった物理学者とも別れるし、自分の娘は病気で自分よりも先に死んでしまうのに、それでもその未来を迎えようとする意味。
別に映画内で未来は変わらないとか、未来は変えられないとかの話は無かったし、ヘプタポッドも未来が分かっているのにわざわざ三千年前にやって来て地球人と接触して何かを変えようとしている感じだったから主人公の未来も変えられるはずなのに、描かれているのは主人公は離婚や娘の死を受け入れる為にその未来に進もうとするという事だけで、これの意味が本当によく分からなかった。
既に分かっている自分の娘が病気で若くして死んで行く姿を見ようって、この主人公は単にマゾヒスティックなだけなのか、若くして死んで行く娘の人生よりも自分が一時的に娘と楽しい時間を過ごせるんだからそっちの方を選ぶトンデモない自分勝手な人間なのか、何だか本当によく分からない。

あと、ずっと疑問だったのはジェレミー・レナーが演じていた理論物理学者の存在。
ヘプタポッドと対話する。ヘプタポッドの文字を理解するという場面で理論物理学者って、いる?
ずっとこの物理学者、何しているの?と疑問だった。
この物理学者の存在って、主人公が見ていたのが実は未来だったという落ちの為に必要だった、主人公の側に何時もいて、主人公とくっつく未来の夫となる男性であり、娘の父親が実はこの人でしたという落ちの為の存在でしかない様に思えた。

映像的には非常に抑えながらも綺麗ではあるんだけれど、常に薄暗いのは何?

この映画、文字を理解して行くという展開は結構おもしろかったけれど、展開の為に都合の良い不親切な地球外生命体という如何にもなファーストコンタクトモノのアメリカ映画だし、最終的にヘプタポッドも主人公も何だか分からないままで感動にねじ込んでいて、ファーストコンタクトモノのアメリカ映画って結局自己啓発みたいな所に落ち着かせる事が多い印象だけれど、そうなるとわたしは「どうぞご自由に…」でどうもよくなってしまう。

☆★★★★