2022年07月11日 月曜日
近年は見ているスポーツはNFLはシーズン開始からレギュラーシーズンを見ているけれど、他のスポーツとなるとこの「ウィンブルドン」の男子決勝位。
ただもう二十年位はずっと見続けているのが「ウィンブルドン」
で、今年の男子決勝はノバク・ジョコビッチ対ニック・キリオス。
キリオスは全然知らなかったけれど第1セットはジョコビッチを攻めていて、その後は冷静なジョコビッチが勝っておもしろい試合だった。
キリオスは試合の途中でずっと文句言ったりしていて今でもこういう選手いるんだと思ったし、このずっと何か言っているのは見ていてちょっとおもしろかった。
試合後に解説やインタビューでこの二人がSNSでどうしたとか、夕食をおごるとかの話が出て来て何なのかさっぱり分からなかったので調べてみたら、以前にキリオスがジョコビッチにネット上で噛みついて二人は犬猿の仲と言われたりしたけれどジョコビッチのコロナ禍でのオーストラリアとの対応で批判を受けた時にキリオスがジョコビッチを擁護して関係が変わり、この決勝の前に二人のやり取りで「この試合で勝った方が夕食おごりね」となっての試合が終わってからのあのインタビューだったのか。
準決勝でラファエル・ナダルが棄権してキリオスが不戦勝で勝ち上がって来たのでちょっとジョコビッチ対ナダルの決勝も見たかったな…と思ってしまったけれど、このジョコビッチとキリオスの関係性を知ると凄く良い決勝戦じゃん。
試合後の勝って嬉しいけれどキリオスに気を使いつつジョークも言うジョコビッチと負けて悔しいけれど何か清々しそうなキリオスが何か楽しそうに喋っているのなんて最高の幕締。
映画とか連続ドラマの最後みたいな感じで凄く良い決勝戦だった。
スポーツ | Comments (0) »
2022年07月02日 土曜日
ジェームズ・ワン原案・監督、ジェイソン・モモア主演の2018年のアメリカ映画「アクアマン(Aquaman)」
DCエクステンデッド・ユニバースの六作目。
DCコミックスのアクアマンを実写映画化。
地上人の父親と海中のアトランティス王国の海底人の母親から生まれたアーサー・カリーはアクアマンとして人々を救っていた。
アーサー・カリーの異父弟のアトランティス王国のオーム王は、海を汚し、海の生物を殺している地上人は危険だとして海の七つの王国が一つになり地上に総攻撃をかけるべきだと主張しゼベル王国のネレウス王と同盟を結み、更には七つの王国から認められて全権を握るオーシャンマスターになろうとしていた。
ある日地上に大津波が押し寄せてアーサー・カリーと父親の乗った自動車も波に飲み込まれたが水を操る女性に助けられた。
彼女はネレウス王の娘であり、オームの許婚であるメラで、これから海と地上の戦争を起こそうとしているオームを止められるのはアトランティス王国の王族であるアーサー・カリーで、彼が初代アトランティス国王のトライデントを手に入れれば王となり戦争を止められると言って来た。
アーサー・カリーは王には興味がなかったが地上への攻撃を止める為にアトランティス王国へと向かった。
クリストファー・リーヴのスーパーマンシリーズを四作見て、「スーパーマン リターンズ」を見て、「マン・オブ・スティール」とスーパーマンの映画を続けて見て、更に「マン・オブ・スティール」と同じDCEUのこの「アクアマン」の配信が終わりそうだったので見てみた。
DCEUがザック・スナイダーの暗い感じで進んで、結局評価的にも興行的にも上手く行かなかった為にテコ入れが必要となり、大失敗だった「ジャスティス・リーグ」の次の映画がこの「アクアマン」だった為なのか、とにかく受けそうな要素を入れまくり、見た目にも派手に分かり易く作りましたよ!的な映画で、結果DCEUの中で一番の大ヒットとなって、確かにスーパーヒーローモノはこういう方が受けそうだよなぁと思いはしたけれど、わたしはそんなにでもなかった。
確かに細かい事は気にするな!な感じで冗談も言うアクアマンは人物が立っているし、アクションも見せ場は多く、銃でも爆発でも大丈夫な無敵のアクアマンは見ていてもおもしろいし、そこに王族の権力闘争だの、戦争を止められるかだのを軸に宝物を探し出し、謎解きをし、恋愛要素や異父兄弟の関係だのを入れて、まあ全方位に向けて作っているど真ん中の娯楽映画に出来上がっている。
だからと言って別におもしろいとは余り感じず、何だかこのド派手なアクションに色んな事を入れている感じでおもしろそうなのにそんなに思わないのは、全世界で大ヒットしたワイルド・スピードシリーズっぽいなぁ…と思って見てたけれど、後から監督のジェームズ・ワンって「ワイルド・スピード SKY MISSION」も監督してたのかと知り、やっぱりそんな感じだからわたしはいまいちなのかと改めて思った。
話はアクアマンが地上にいる時や子供の時に訓練を受けていた等の話は結構おもしろかったけれど、あれだけの大きな国で凄く科学技術も進んでいるのに未だに王権制度で国を維持出て来ていて、ほんの数人で国を動かしているとか、血統や決闘で王が決まるとか、初代国王の武器を持てば権力が移譲されて全権力を握れるとか、古代王国の歴史の話をそのまま今している感じに白けてしまったり、古臭い血筋による権力闘争の話だったのが急にトライデントを探すインディアナ・ジョーンズ的冒険話に変わってしまったのは笑ってしまったし、海賊のデイビッド・ケインはちゃんと父親の復讐の為にブラックマンタになってやって来るし、死んでいないっぽい母親はちゃんと生きているし、アクアマンはちゃんと王となってオーム倒すしで、冒険話だけが意外だったけれどそれ以外は「ふ~ん…」で終わってしまった。
冒険話で一番気になったのが、確かアトランティスの初代王が死んだ?のは数万年前だったはずなのにイタリアで瓶をはめた石像って結構最近作った像なはずで、トライデントを隠すには時系列無茶苦茶じゃん。
この映画でのジェイソン・モモアのアクアマンは結構良いけれど、わたしの印象ではアクアマンは金髪の優男で、オームの方が見た目アクアマンっぽい印象だった。
DCEUの中でアメコミっぽいアクアマンにしてしまうと目立たないというのがあるんだろうけれど、思い切って変えたんだろうなぁ。
そのジェイソン・モモアのアクアマンって見ていたらアメリカのプロレスラーに見えて来て、特にWWEのスーパースター感が強いと言うか、ローマン・レインズに見えて仕方なかった。
体の入れ墨感や、ローマン・レインズも何故か地上にいるのに常に髪の毛が濡れている感じとかもそう見えてしまった理由。
それにアクアマンとオームの舌戦からの大勢の観衆がいる中でのリングでの一対一での戦いって、ほとんどWWEの何時もの展開だし。
役者では、ニコール・キッドマン、ウィレム・デフォー、ドルフ・ラングレンらの濃いベテラン俳優が出ていたけれど、何時からかスーパーヒーローモノの脇役には濃いベテラン俳優を配役して固めて来ようとする流れがあるけれど、この映画も正にそれだった。
ドルフ・ラングレンはずっと気付かず、見終わってからネレウス王がドルフ・ラングレンだと気付いた。
歳を取ってからのドルフ・ラングレンをほぼ見ていなかったし、髭面長髪だからかずっとこの役者誰なんだろう?とは思っていた。
それにしてもこの映画での役者陣は常にベチョベチョに濡れていないといけないので撮影は大変だったのか面倒臭かったのかだろうなぁ。
この映画、アクアマンはキャラが立っていたし、見た目も派手だし、見せ所はあるけれど、わたしには常に突き抜けて来る感じはなく、まあそんな感じ…と終始60点位の気持ちで見ていて、DCEUで見たのが二作目だったけれどDCEUには大して興味は湧かず、この映画ではアメコミの方のアクアマンにも興味は湧かなかった。
☆☆★★★
関連:マン・オブ・スティール
スーサイド・スクワッド
DCコミックス, アメコミ, 映画 | Comments (0) »
2022年06月30日 木曜日
ザック・スナイダー監督、ヘンリー・カヴィル主演の2013年のアメリカ映画「マン・オブ・スティール(Man of Steel)」
この映画の公開時点は違ったが、後にDCコミックスのキャラクターを使った映画シリーズのDCエクステンデッド・ユニバースの一作目となった映画。
クリプトン星は間もなく星の寿命が尽きようとしていた中でゾッド将軍がクーデターを起こし混乱状態となった。
ゾッド将軍への協力を拒否したジョー・エルはゾッド将軍に捕まるが逃げ出し、ゾッド一味に命を狙われたのでクリプトン人達の遺伝子を記録したコデックスを盗み出し、滅び行くクリプトン星から脱出させる息子のカル・エルにコデックスを預けた。
ゾッド一味は捕まりファントム・ゾーンに追放されるがクリプトン星が爆発した事によりゾッド一味が解放された。
地球でケント夫妻に育てられたカル・エルはクラーク・ケントとして生きていたが自分の特殊な力はジョナサン・ケントから明かすべきではないと言われ、自分が本当は何者なのかを探そうと放浪して暮らしていた。
クラーク・ケントは北極で数万年前にクリプトン人が植民地化を行う為に宇宙中に派遣していた宇宙船を発見し自分が何者なのかを知った。
そこにゾッド一味の宇宙船が現れて地球人として暮らしているカル・エルを差し出せと要求して来た。
クリストファー・リーヴのスーパーマンシリーズを四作続けて見て、ブランドン・ラウスの「スーパーマン リターンズ」も続けて見たので、続けてこの「マン・オブ・スティール」も見てみたのだけれど、確かにこれまでの路線とは違う所に行かないといけないというのも分かるし、CGや合成がより進んで映像的は凄くなってはいるのだけれど、わたしはどうにも終始盛り上がらず、カタルシスも無くで、つまらない訳ではないけれどおもしろいかと言えばそうでもない映画だった。
初めはラッセル・クロウ演じるジョー・エルのアクション場面からなんだけれど、クリプトン人の服は珍奇だし、ジョー・エルの鎧?も悪役っぽいし、何よりジョー・エルが何かの生き物に乗って行動する所が別にスーパーマンでやる必要性も感じられずで、掴みが全然はまらず。
その後も、放浪し続けているクラーク・ケントを見せながら子供時代も見せる手法は今回はこういう感じなのか…位ではあったけれど、クラーク・ケントを演じるヘンリー・カヴィルが髭モサモサで胸毛モサモサで寒そうな地方(カナダっぽい?)だったのでウルヴァリンに見えて来て、序盤はずっと何を見ているのだろう?状態になってしまった。
このスーパーマンはスーパーマンになるまでが長く、スーパーマンのカッコ良さが見たいのに中々スーパーマンが出て来ないので結構飽きている部分があった。
それにこのスーパーマン、33歳まで自分探しって長くない?
これって完全にヘンリー・カヴィルを配役したから遅出のスーパーマンにしていない?
このスーパーマンの悩む感じってハイティーンや二十代位までならスッと入って来るけれど、三十過ぎって結構きつくないか?
中盤でやっとスーパーマンとして覚醒してゾッド一味との戦いになったけれど、これがあんまりおもしろくなかった。
普通の場面では普通の人間の動きだけれど、アクションになると動きが速過ぎだし、カメラも普通の場面でも元々キッチリと固定せずに微妙にブレさせていて気にはなっていたけれどアクション場面ではやたらと早く動かして編集も短くして何やっているのか分かり難い見せ方。
わたしは以前からこのカメラをぶらして短く編集するという見せ方が大嫌いなので、この映画でもアクションがいまいちはまらず。
あと、遠目の宇宙の映像から急に宇宙船に寄ってピントを合わせるという演出も嫌い。
それにあれだけ建物に激突してぶっ壊しながら戦い続けていたので決着はどうするんだ?と思っていたら、スーパーマンがゾッド将軍の首捻って終わりって、その呆気無さに肩透かしを食らってしまった。
あれだけ物にぶつかっても首を地面に押し付けても大丈夫なのに首は折れるんだ。
その前のゾッド将軍が目からのビームで家族を狙っていた時にスーパーマンがゾッド将軍の頭を押さえて守っていたけれど、あれってゾッド将軍は目を動かせるんだから意味無くない?と思って見ていた。
本当だったらスーパーマンが必死にゾッド将軍の顔を左側に向けさせ、ゾッド将軍はその状態で目玉を右に寄せているという間抜けな映像になっているはず。
で、結局あの家族って無事だったのか死んでしまったのかすら見せないって何なのだろう?
わたしがスーパーマンの映画を続けて見ていたので、どうしてもヘンリー・カヴィルのスーパーマンの印象が弱くなってしまったのもある。
それまでスーパーマンの映画を全く見ていなかったのにスーパーマンの印象と言えばクリストファー・リーヴのスーパーマンで、実際クリストファー・リーヴの映画を見てみたら、まさしくクリストファー・リーヴのスーパーマンこそがスーパーマンになり、何かいまいちと思ってしまったブランドン・ラウスのスーパーマンの後のヘンリー・カヴィルのスーパーマンだから仕方ないけれど、ヘンリー・カヴィルって結構髭濃いし、あんまり晴れやかなスーパーマンっぽくなく見えてしまった。
それはこのスーパーマンは自分の事ばかりで全然人を助けないというのもあったと思う。
スーパーマンの印象って、メトロポリスが攻撃されてビルの窓ガラスが割れて道の人々の上に降りかかって来た時に飛んで来てヒートビジョンでガラスを消滅させて去って行くというのがスーパーマンなのに、このスーパーマンはメトロポリスが攻撃されて物凄い被害で多くの人が死んでいるのに気にしている様子は無く、とにかくゾッド将軍って、これで人々がスーパーマンを称賛する訳ないじゃない。
このスーパーマンで人々がスーパーマンを求めるって無理やり過ぎ。
ここら辺は見ていて思ったのは、そもそもザック・スナイダーってスーパーマン興味無いんじゃないの?という事。
スーパーマンを変にこじらせた内気な三十代にしてみたり、スーパーマンを映像的に見せるって事が無く、見た目の気持ち良いカッコいいスーパーマンが無くて、「スーパーマン リターンズ」での墜落する飛行機を救うスーパーマンとか、宇宙空間で漂うスーパーマンとか、自動車を持ち上げるスーパーマンとか、画的に見せるスーパーマンを見せていたブライアン・シンガーの方がスーパーマン愛が溢れていて好印象だったし。
あと、死んだはずのジョー・エルが後から出て来て活躍したり、田舎の農場のジョナサン・ケントとか、脇役がラッセル・クロウとかケビン・コスナーとかダイアン・レインにローレンス・フィッシュバーンにクリストファー・メローニとか濃過ぎるので、ヘンリー・カヴィルのスーパーマンが弱くなってしまっている気がした。
それにしてもジョナサン・ケントの墓標に「1951-1997」と刻まれていて、あのケビン・コスナーが46歳って無理あり過ぎ。
久々にケビン・コスナーを見て、「ああ、何だかおじいちゃんになったなぁ」と思っていたのに46歳設定って、設定だけならミスキャストじゃない。
この映画、そこまでつまらない訳ではないけれど終始盛り上がらず、スーパーマンが常にウジウジしていて爽快感が無く、スーパーマンの悩みを描く割に大惨事で人々が大勢死んでいるはずなのにそれは全然描かず、大勢の人々を助けられなかったスーパーマンの後悔や悩みは描かないチグハグさというか狡さがあったりで全然はまらなかった。
これが巷で聞く、はまる人は絶賛するけれど、はまらない人は何だかなぁ…なザック・スナイダー映画そのものなのかな?
☆☆★★★
関連:スーパーマン(1978年)
スーパーマンII 冒険篇
スーパーマンIII/電子の要塞
スーパーマンIV/最強の敵
スーパーマン リターンズ
スーサイド・スクワッド
アクアマン
アメコミ, 映画 | Comments (0) »
2022年06月29日 水曜日
ブライアン・シンガー製作・監督、ブランドン・ラウス主演の2006年のアメリカ映画「スーパーマン リターンズ(Superman Returns)」
1978年の映画「スーパーマン」。1980年の映画「スーパーマンII 冒険篇」の続編。
スーパーマンは故郷のクリプトン星の残骸が見つかったという話を知り、宇宙に旅立ってから五年が経ち再び地球へと戻って来た。
スーパーマンは再びクラーク・ケントとして暮らして行く事になり、デイリー・プラネットに復帰。
デイリー・プラネットで同僚であり、クラーク・ケントが恋心を持っていたロイス・レインには子供がおり、パートナーと暮らしていた事を知る。
レックス・ルーサーはスーパーマンが突然いなくなり、レックス・ルーサーの裁判でスーパーマンが証言しなかった為に釈放となっていた。
レックス・ルーサーは北極の孤独の要塞からクリプトンのクリスタルを盗み出し、隕石の中に含まれるクリプトナイトを手に入れ、両方を合わせて海に入れる事により爆発的に鉱物を作り出せる事を知り、それを使って北アメリカを沈めて新たな大陸を作り出そうとしていた。
クリストファー・リーヴのスーパーマンシリーズ四作を見たので続けて「スーパーマン リターンズ」も見てみた。
この映画自体は色々詰め込みながらも見せ場も多くて飽きる事無くおもしろかったけれど、やっぱりこの映画の立ち位置が微妙なので、どうしても映画が微妙な感じになってしまっているのが勿体無いと思ってしまった。
映画自体は題名通りに突然いなくなったスーパーマンの帰還を描いていて、始まりから墜落しそうな飛行機を助けるという見た目的にもアクション的にも抜群な登場で掴みは良く、敵はスーパーヴィランではなく、それまでの映画の宿敵レックス・ルーサーが、これまでの様に土地にこだわって今までの土地を壊して新たな大陸を作り出そうとして、これまでの映画のレックス・ルーサーのやっていた事を更に大きくしたという今までの流れを汲んでいるし、これまで余り活かせていなかったロイス・レインの新聞記者設定も謎の大停電の調査からレックス・ルーサーに辿り着くという展開も見せて活かしているし、そのクラーク・ケントとスーパーマンとロイス・レインの恋愛関係も子供や別の相手という新たな要素を入れて新展開を見せているし、アクションもCGをバリバリ使いながらもブライアン・シンガーっぽい抑え目ながらも見せるアクションで良いし、有名なスーパーマン初登場の1938年の「Action Comics #1」のカバーアートを再現するスーパーマンが自動車を持ち上げている場面を入れたり、有名な台詞の「空を見ろ!鳥だ!飛行機だ!スーパーマンだ!(Look! Up in the sky! It’s a bird! It’s a plane! It’s Superman!)」をジミー・オルセンが撮ったピンボケの写真を見ながら「これ鳥じゃない?飛行機だ。いやこれは…」と笑いの場面にして入れていたりと、結構色んな要素を入れ込んで、それが結構上手い事入っていておもしろかった。
ただ、この映画が何故か完全リブートの新作ではなく「スーパーマンII」の1980年から26年経っての続編映画にしてしまったので、どうしても馴染めない部分や疑問が出て来てしまう。
始まりから「スーパーマンII」にも無かったスーパーマンが突然いなくなった話から始まり、これは後からロイス・レインに子供がいて、その子供がマーロン・ブランドが演じていたスーパーマンの本当の父親のジョー・エルの言葉がスーパーマンに引き継がれるという展開にしたかったからだとは分かるものの、前の映画でも無かった展開を入れていて、何だ?何だ?と序盤でつまずいた。
しかも、このスーパーマンがいなくなった事でロイス・レインも記事を書いていたけれど、神の様なスーパーヒーローは必要なのか?という題材も扱いながら、それに関して何も結論的なモノを見せないまま終わるし、それは今後も人間が考えて行かないといけない事だ…的な教訓めいた結論も無いまま、本当に投げっぱなしで終わってしまうし。
恋愛話も、以前のクリストファー・リーヴのスーパーマンでもスーパーマンを出しに使ってクラーク・ケントの方に振り向いてもらおうとする姑息な感じがあったけれど、今回はロイス・レインは既に子供もいて家庭もあるのにスーパーマンで結構攻めるし、家まで飛んで行って盗み見や盗み聞きしているわで、やっぱりこのシリーズのスーパーマンは前から恋愛部分は全然好きになれない。
一方のロイス・レインも、一緒に暮らしているパートナーにはどうやらスーパーマンの子供だと言っていない感じだし、スーパーマンにも子供の存在を言わないし、スーパーマンが戻って来たらスーパーマンに夢中でパートナーに対する愛情が余り見られず、結局パートナーは自分の息子だと思っていたのがスーパーマンの子供だと知ったのかどうかも描かれていないし、スーパーマンの子供を導入した割に非常に中途半端なままで投げっぱなしになっている。
これは多分当時はこの映画の続編も決まっていたのでそこで描くつもりだったのかもしれないけれど結局続編は作られずだったので非常にモヤモヤしたまま。
あと、「スーパーマンII」の続編となってしまうとどうしてもクリストファー・リーヴのスーパーマンと見比べてしまうのはしょうがなく、特にわたしはクリストファー・リーヴのスーパーマンシリーズ四作を続けて見た後のこの映画なのでクリストファー・リーヴのスーパーマンの印象が強過ぎるというのもあったけれど、ブランドン・ラウスのクラーク・ケントの方は結構良い感じだった。
クリストファー・リーヴのクラーク・ケントはもっとドジっ子だったし、もっとお茶目ではあったけれど、クリストファー・リーヴのクラーク・ケントに似ていて背の高い真面目な青年が良く出ていて良かった。
ただ、ブランドン・ラウスのスーパーマンとなると何か印象が弱く、あのクリストファー・リーヴのスーパーマンの精悍さやカッコ良さに比べると相当物足りなかった。
加えて悪かったのが、スーパーマンが空を飛ぶ場面ではブランドン・ラウスの合成ではなくスーパーマンを丸々CGで作ってしまっていたのも大分良くなかった。
ロイス・レイン役のケイト・ボスワースも印象が弱くて、スーパーマンとロイス・レインが向き合っての場面になると「♪お前~誰だよ!」ロックンロールだった。
一方、レックス・ルーサー役のケヴィン・スペイシーは濃くて良く、しかも時々ジーン・ハックマンに見えて来る位だった。
この映画、映画自体は大分良くおもしろかったけれど、やっぱり「スーパーマンII」の続編にしてしまった事で色んな要素を引き継がなくてはならず、そこに今までとは違う要素を入れるとなると何だかなぁ…と思ってしまう部分が出て来て、これは完全リブートで一から始めた方が良かったと強く思ってしまった映画だった。
☆☆☆★★
関連:スーパーマン(1978年)
スーパーマンII 冒険篇
スーパーマンIII/電子の要塞
スーパーマンIV/最強の敵
マン・オブ・スティール
アメコミ, 映画 | Comments (0) »
2022年06月26日 日曜日
シドニー・J・フューリー監督、クリストファー・リーヴ主演の1987年の映画「スーパーマンIV/最強の敵(Superman IV: The Quest for Peace)」
シリーズ四作目。
サミットでの会議は上手く行かず、世界各国は核軍拡へと進み始めた。
それを思い悩んだスーパーマンは国連で核廃絶を宣言。
打ち上げた核ミサイルを次々と捕らえて太陽へと廃棄していた。
しかし、軍拡で儲けようとする武器商人等と手を組んだレックス・ルーサーはスーパーマンの髪の毛から新たな命を誕生させてスーパーマンと戦わせようと思い付き、抽出したスーパーマンの遺伝子を核ミサイルに乗せて太陽で爆発させるとニュークリアマンが誕生した。
ニュークリアマンはスーパーマンを破壊しようと攻撃を始めた。
クリストファー・リーヴのスーパーマンのシリーズは一作目が非常に良かったのに、それ以降はいまいち過ぎで、いよいよシリーズ最終作だったけれど、やっぱりこれもおもしろそうな要素はあるのにどれもお座なりで全然おもしろくないままで終わってしまった。
この四作目は結構意欲的な題材が多く、デイリー・プラネットが売上不振で売却され、新たなオーナーは売る為には飛ばし記事的な見出しで売れれば良いと考える人物で、それに対抗しようとする編集長率いる生粋の記者達。
世界が核の脅威でどうなるのか?に対し、圧倒的な力を持ったスーパーマンはどう行動するべきか?と思い悩む。
スモールビルの生家を売りたいけれど農家をする人に売りたい。
スーパーマン以上の強さの新たな敵。
ロイス・レーンは相変わらずスーパーマンに夢中で、デイリー・プラネットの発行人となったオーナーの娘は真面目過ぎるクラーク・ケントに夢中になるという対比的な恋愛話。
硬軟混ぜて色んな要素があり、これらをちゃんと一つずつ膨らませて描けば結構おもしろい話になったと思うのに、どれもそれ以上は無いし、その結末的なモノさえ無かったりする。
変わってしまったデイリー・プラネットをジャーナリストの誇りで取り戻す…様な話は無く、オーナーの娘がクラーク・ケントに徐々に影響されて「新聞は真実を伝えるべきだ!」となって行ったから、ここら辺りのジャーナリズム精神から何かが変わるのかと思いきや、それまで何の伏線も無いまま最後に突然編集長がお金を集めて株買ったから新たなオーナーは小株主だ!でめでたしめでたしになってしまう唐突で都合良過ぎる結末。
核兵器をスーパーマンが太陽に投げ込んで問題解決になっていたけれど、それするとあちこちの国がスーパーマンを非難して、英語を喋るスーパーマンの活動の中心であるアメリカが戦争起こされる様な気がしないでもないし、これもその後のスーパーマンの悩みや考えが一切描かれずに最後に「やっぱり僕は間違っていた」的な話で皆で平和を作るんだみたいな話をして、スーパーマンの思いがさっぱり意味が分からなかった。
スモールビルの実家を売りに出していたので、と言う事は母親は死んだと思われるけれど、それは一切描かれず。
一作目で父との別れがあり、最終作で母との別れで、また新たな生き方をして行くクラーク・ケントを見せれば良かったのにと思った。
ニュークリアマンは最早意味不明だらけ。
スーパーマンの遺伝子を使ったのにスーパーマンと似ていない。
何故レックス・ルーサーは行き成り遺伝子工学の専門家になったのか?
スーパーマンの遺伝子を服の生地と混ぜて核ミサイルで太陽に打ち込んだら、人型生命体誕生とかぶっ飛び過ぎ。
ニュークリアマンは初めはレックス・ルーサーを部下だと言っていたのに、いつの間にかレックス・ルーサーの言う事を聞いているし。
ニュークリアマンは何故かスーパーマンを破壊する事を植え付けられており、それなのにスーパーマンと戦わずに町を破壊するのが先決。
オーナーの娘の写真が載っていた新聞を見てデイリー・プラネットに行くけれど、その理由は一切不明。
デイリー・プラネットにやって来て暴れ始めたニュークリアマンをスーパーマンは実力行使で止めもせず、待てと説得しかしない。
スーパーマンとニュークリアマンは宇宙空間でも生きているのは元々クリプトン人がそうだからで何となく分かるけれど、普通の人間のオーナーの娘が宇宙空間で普通に生きているとか何のこっちゃ?
ロイス・レーンとの恋愛も一作目で既にやったスーパーマンとロイス・レーンで空を飛ぶとか、二作目やったスーパーマンはクラーク・ケントだと正体を明かし、スーパーマンがロイス・レーンにキスするとロイス・レーンの記憶が消えるという謎の超能力とかをまたやっていて、一緒に空を飛ぶ方はまだしもキスの方は都合良過ぎで二作目で大いに白けたのにまたやり、しかもあっさりだし。
ロイス・レーンとスーパーマンも、オーナーの娘とクラーク・ケントの関係も最後に結局どうなったのかさえ描かず。
折角詰め込んだ事がことごとく何にもならないとか何だこの脚本。
製作会社がキャノン・フィルムズに変わって大分製作費が安くなり、合成や特撮が安くなってしまったのは仕方無いのは分かるけれど、それにしても脚本はもっともっと詰めなくていけなかったと思うのだけれど。
クリストファー・リーヴのスーパーマンとクラーク・ケントは変わらず良いものの、ジーン・ハックマンのレックス・ルーサーは役として弱く、結局スーパーマンへの復讐心なのか何なのか分からない行動原理の人物だったし、ロイス・レーン役のマーゴット・キダーは一作目から十年近く経ったから歳も取ってのおばさんと言うよりも、時々おばあさんに見えてしまう位覇気が無く、一作目の魅力のあったロイス・レーンは何処へ…だった。
この映画、最終作になってやっとクレジットの一番初めに載る事が出来たクリストファー・リーヴだったのに、こんなにおもしろくなりそうでならない最終作って勿体無いし、シリーズとしても非常に残念。
一作目の監督だったリチャード・ドナーがそのまま二作目三作目と作っていれば全然違う良いシリーズになっていたんだろうなぁと思ってしまった。
☆★★★★
関連:スーパーマン(1978年)
スーパーマンII 冒険篇
スーパーマンIII/電子の要塞
スーパーマン リターンズ
マン・オブ・スティール
アメコミ, 映画 | Comments (0) »