メッセージ
2022年06月15日 水曜日ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、エイミー・アダムス主演の2016年のアメリカ映画「メッセージ(Arrival)」
テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」が原作。
世界十二ヶ所に巨大な物体が突如現れた。
各国が調査を行っている中、以前アメリカ軍と仕事をした言語学者のルイーズ・バンクスの下に軍人がやって来て、物体内部の生命体と接触した時の音声を聞かせ、相手の言葉の理解の為にルイーズ・バンクスに調査の依頼を申し出て来た。
調査を引き受ける事となったルイーズ・バンクスは理論物理学者のイアン・ドネリーと共に物体周辺に設営された基地に赴き、軍人達と巨大な物体の中に入って生命体と接触して彼らの言葉を理解しようとする。
この映画はファーストコンタクトモノ位の前知識で見てみて、主人公達がヘプタポッドと何度も接触して彼らの言葉ではなく文字らしきモノを理解し解読して行くという展開は非常におもしろかったけれど、最終盤になると結構投げっぱなしな上に話がグダグダになるので突然つまらなくなってしまった。
初めから、地球に地球外生命体がやって来るファーストコンタクトモノのアメリカ映画では有り勝ち過ぎる、相手の宇宙人はわざわざ向こうからやって来たのに何故か向こうからは積極的に接触して来なかったり、物凄い科学技術を持っているのに地球人側の分かる形で情報を伝えようとしないとか、謎で進める展開の為だけに向こうから来ておいてやたらと不親切設定に常に「???」と疑問ばかりではあったけれど、初めはヘプタポッドの言葉を理解しようとしたのが、彼らの見せる図形が文字らしいと分かり、それを読み取ろうとする展開はおもしろかった。
ただそれも、地球人が何となく文字を理解して来たなと思ったら次の場面では既に地球人がヘプタポッドの文字で対話出来ているすっ飛ばしをしてしまい、そこをもっと丁寧に描かないとそこまでの展開が意味無くなっちゃうじゃんと思ってしまう、時間内に納めないといけない製作側の都合に思えて、そこから冷め始めていた。
終盤になると、中国が物体を攻撃し出すとか言い出して、まるで宇宙戦争勃発か?みたいな雰囲気になるけれど、その前にアメリカの物体内で爆弾を爆発させているのにヘプタポッドは特に何も対応していないのだから、中国が攻撃してもヘプタポッドが反撃して来る気もしないし、攻撃した所で物体には全然効かないとか、攻撃を受けて消えてしまうとかの展開にしかならないんじゃないの?と思って、皆は勝手に何を慌てているんだろうと疑問だった。
なので、主人公が中国の攻撃を止めさせて世界を救った風になっていたけれど、それもいまいちピンと来ず。
そこから主人公が物体の中に入ると、何故かヘプタポッドの文字を完璧に理解出来る様になり、更に未来を見る事が出来る能力まで手に入れるとか何じゃそりゃ?
ヘプタポッドが全ての時間を並列的に見ているというのはそういう設定なのかと思うけれど、彼らの文字を理解すると地球人も未来を見えるとかもう都合良過ぎ。
チンパンジーが人間の文字を理解出来たら急に喋り出すのと変わらない位ファンタジー。
これは映画の始まりから主人公と子供との出来事を見せていて、それが過去の出来事の様にミスリードさせておいて実は未来の出来事でしたと最後の落ちの為のミスリードとしては正解ではあるけれど、これだとヘプタポッドと出会う前から主人公が未来を見ている様な感じになってしまっていて何だかよく分からず、落ちの為に狙い過ぎなやり方だなぁと思ってしまった。
それに娘といる時のエイミー・アダムスと、そこからの主人公が大学で働いている所のエイミー・アダムスの顔が全然老けていないので、初めの段階で主人公の過去を見せていると思っても現在は全然老けていないの何でだろ?で物凄く引っかかてはいたし。
ヘプタポッドも、わざわざ自分達からやって来ておいて地球人に対して情報を伝える事に非積極的なら何しに来たの?とか、三千年後に助けてもらう為に何故三千年前にやって来ているの?とか、地球人がどうやら文字を理解出来る様になったみたいなので帰りますとか、まあ展開の為だけの都合の良過ぎる行動や説明の無さ。
ここら辺の「謎の地球外生命体だから!」でぶん投げてしまうお手軽さって、もうファーストコンタクトモノの映画では辟易してしまう。
それに、主人公もよく分からないのは、未来が見えてしまい、未来では夫となった物理学者とも別れるし、自分の娘は病気で自分よりも先に死んでしまうのに、それでもその未来を迎えようとする意味。
別に映画内で未来は変わらないとか、未来は変えられないとかの話は無かったし、ヘプタポッドも未来が分かっているのにわざわざ三千年前にやって来て地球人と接触して何かを変えようとしている感じだったから主人公の未来も変えられるはずなのに、描かれているのは主人公は離婚や娘の死を受け入れる為にその未来に進もうとするという事だけで、これの意味が本当によく分からなかった。
既に分かっている自分の娘が病気で若くして死んで行く姿を見ようって、この主人公は単にマゾヒスティックなだけなのか、若くして死んで行く娘の人生よりも自分が一時的に娘と楽しい時間を過ごせるんだからそっちの方を選ぶトンデモない自分勝手な人間なのか、何だか本当によく分からない。
あと、ずっと疑問だったのはジェレミー・レナーが演じていた理論物理学者の存在。
ヘプタポッドと対話する。ヘプタポッドの文字を理解するという場面で理論物理学者って、いる?
ずっとこの物理学者、何しているの?と疑問だった。
この物理学者の存在って、主人公が見ていたのが実は未来だったという落ちの為に必要だった、主人公の側に何時もいて、主人公とくっつく未来の夫となる男性であり、娘の父親が実はこの人でしたという落ちの為の存在でしかない様に思えた。
映像的には非常に抑えながらも綺麗ではあるんだけれど、常に薄暗いのは何?
この映画、文字を理解して行くという展開は結構おもしろかったけれど、展開の為に都合の良い不親切な地球外生命体という如何にもなファーストコンタクトモノのアメリカ映画だし、最終的にヘプタポッドも主人公も何だか分からないままで感動にねじ込んでいて、ファーストコンタクトモノのアメリカ映画って結局自己啓発みたいな所に落ち着かせる事が多い印象だけれど、そうなるとわたしは「どうぞご自由に…」でどうもよくなってしまう。
☆★★★★