パニッシャー(2004年)

2022年06月12日 日曜日

ジョナサン・ヘンズリー監督・脚本、トーマス・ジェーン主演の2004年のアメリカ映画「パニッシャー(The Punisher)」
マーベル・コミックスのキャラクターのパニッシャーの映画化。

潜入捜査官のフランク・キャッスルは違法な武器取引の潜入捜査を行っており、その捜査の逮捕の時怯えて銃を撃った容疑者のボビー・セイントはFBIに射殺されてしまった。
ボビー・セイントの父親ハワード・セイントは息子の死の原因を調べて潜入捜査官のフランク・キャッスルへと辿り着き、フランク・キャッスルの家族全員の殺害を命じた。
フランク・キャッスルの一族が集まった所をハワード・セイントの部下が襲撃し、フランク・キャッスルの妻と息子も殺され、抵抗したフランク・キャッスルも殺されたかと思われたが何とか生き延びていた。
フランク・キャッスルは復讐の為にハワード・セイントとその妻と部下の行動を調べ上げて復讐を果たそうとする。

パニッシャーと言えば、珍奇なコスチュームを身に着けてスーパーパワーを持ってはいけるけれど悪人を殺さないヒーロー達の中で、家族の復讐の為に犯罪・拷問・殺しもいとわないアンチヒーローという存在なので異質で目立つ存在なんだけれど、そのパニッシャーだけを抜き出してしまうとハードボイルドな映画ではよくある設定の人物になってしまい、この映画も正に有り勝ちなハードボイルド映画でしかなく、そのハードボイルド映画としては結構微妙だし、パニッシャーである必要も感じられずに非常に微妙な映画になっていた。

アメコミでのパニッシャーで知っている事と言えば、ニューヨークのセントラルパークで家族でいた所に犯罪者の抗争に巻き込まれて妻子が死んでしまって、その復讐の為にパニッシャーとなった位なんだけれど、この映画ではプエルトリコでの休暇中に恨んだハワード・セイントに部下を送られて襲撃されるという全然違う入り。
多分、ニューヨークのセントラルパークで撮影出来るだけの製作費や手間が無かったのかと思うし、それはそれでいいのだけれど、このプエルトリコというわざわざの設定が後に何かなるのかと思いきや何もならないのでよく分からず。
プエルトリコで呪術師と呼ばれている人が出て来たので、このパニッシャーは魔術的な要素も加わるのかと思いきや何も無く、呪術師がフランク・キャッスルを単に助けただけなので、この呪術師という特殊な設定いる?と思ってしまった。

その後アメリカに戻って来たフランク・キャッスルは見知らぬ三人が住むアパートメントで暮らす事となるのだけれど、この部分が結構余計。
パニッシャーの設定的にハードボイルドな展開になるから終始ハードボイルドで行けばいいのに、このアパートメントが舞台になると変にコメディ的な感じになってしまい、アパートメントの話になると結構だれてしまう。
他の住人を結構掘り下げたりとかはパニッシャーの話としては必要無い気がするし、妻子が目の前で殺された事を知っているだろう住人の男性二人が女性住人とフランク・キャッスルを引っ付けようとか余りに無神経過ぎるし、この三人のコメディ的な話もいらないでしょ。
全く説明も無くフランク・キャッスルが住んでいるアパートメントが何故か敵にバレてしまい、ロシア人の殺し屋(ケビン・ナッシュ)が現れてフランク・キャッスルと戦う場面はほぼコメディで、パニッシャーのハードボイルドな雰囲気ぶち壊し。
このアパートメントでの話を無くして、フランク・キャッスルがハワード・セイントの周辺調査から罠を仕掛けて陥れて行くという展開だけでも良かった気がした。
もう一人の南部からの殺し屋もダイナーで食事していたフランク・キャッスルの前に現れてギターを弾きながら自作の歌を歌い出し、じゃあと言って去り、その後に自動車に乗ったフランク・キャッスルを襲うとか笑ってしまった。
これってどこまで本気だったのだろう?

どうやらこの映画は初めの想定していた予算よりも半額位しか映画会社が出さず、しかも撮影日数も短かった様で何度も脚本の書き直しをしたらしく、だから全体的にチグハグ感があるのかもしれない。

主人公のフランク・キャッスル役のトーマス・ジェーンって、この影のあるヒーロー感を何処かで見た事あるなぁ…と思っていたけれど、最近見た「ディープ・ブルー」に出ていた人か。
アパートメントの女性住人ジョーン役のレベッカ・ローミンって、映画X-MENシリーズで初期のミスティークを演じていた人か。
レベッカ・ローミンがこの映画に出ているって事は、映画X-MENシリーズは2000年からなので今みたいに何でも合流のマーベル映画ではなく、この映画「パニッシャー」と映画X-MENシリーズは繋げる気は無かったという事なのか。

この映画、パニッシャーだけ抜き出すと普通なハードボイルド映画になり、ハードボイルド映画なのに変にコメディ調になったりしてハードボイルドに振り切れていなくて微妙な出来だし、この内容でパニッシャーである必要性があんまり無い様な気がして、全体的に非常に微妙だった。

この映画の事を調べていたら、トーマス・ジェーンはこのパニッシャーを気に入っていたのか、2012年に非公式な短編映画「The Punisher: Dirty Laundry」を公開していた(YouTubeで全編公開しています。「THE PUNISHER: DIRTY LAUNDRY [BOOTLEG UNIVERSE]
これは非常にハードボイルドで暴力的で、映像も非常に乾いて位感じで、このパニッシャーだったら結構受けたんじゃないかと思う位良い感じ。
しかも何故かチョイ役でロン・パールマンが出ていて、八年後の非公式短編だし、何故なんだ?ではあるけれど、この短編映画の方が短くて印象が残り、本当にこれでパニッシャーやっていたら全然違う評価だったんだろうなぁ。

☆☆★★★

ゼロ・グラビティ

2022年06月10日 金曜日

アルフォンソ・キュアロン製作・監督・脚本、サンドラ・ブロックジョージ・クルーニー共演の2013年の映画「ゼロ・グラビティGravity)」

ライアン・ストーンとマット・コワルスキーとシャリフの三名はスペースシャトルから宇宙空間で船外活動を行い、ハッブル宇宙望遠鏡の修理を行っていた。
管制から報告が入り、ロシアが自国の人工衛星の破壊を行った所、その破片が他の人工衛星にぶつかってしまい大量の破片が分散し、猛スピードでスペースシャトル付近へと迫っていると言う。
三人は慌てて作業を中断してスペースシャトルへと戻ろうとするが大量の破片が到来して次々とぶつかり、スペースシャトルは大破。
シャリフは死亡し、ライアン・ストーンとマット・コワルスキーの二人だけが生き残った。
二人は宇宙服の酸素やジェットパックの燃料も少なくなり始めた中、付近の国際宇宙ステーションへと向かい出した。

宇宙空間での船外活動中に事故が起こり、乗っていたスペースシャトルが壊れて宇宙に投げ出されたらどうなるのか?を描き切る現代を舞台にしたハードSFで、何とか生き延びて地球に帰ろうとするという話だけで一本映画を作った非常に真っ直ぐな映画という部分で非常に爽快だし、常に宇宙空間の映像を見せ続けるという映画という部分も非常に素晴らしい。
最後に少しだけ地球が出ては来るけれど、初っ端から宇宙空間での船外活動から始まって、そのまま一気に宇宙空間の映像だけで見せ切っていて、ちゃんとサスペンスでもあるし、アクションでもあるしで、ずっと掴まれたままで見切ってしまった。

映像もこれでもかと言わんばかりの無重量状態の宇宙空間を見せ、宇宙服のマスク部分に反射して映る歪んでいるけれどクッキリ映る地球とか、登場人物視点で周囲がグルングルン回る映像とか、上下左右も無い宇宙ステーションでの移動とか、綺麗だったりおもしろい映像がたんまりと連続して来て没入感や宇宙空間にいる疑似体験感は凄い。
ただその分、ここは緊張する場面とか、今危険な所とかを音楽で盛り上げたりする従来の演出があると結構覚めてしまった。
宇宙での虚空感や虚無感を見せるなら音楽は管制やジョージ・クルーニーが流している音楽だけで、後は無音の方が緊迫感はあった様な気がした。

あと、展開と映像が主軸でもあるので人物の掘りがそんなに深くなかったのも気になった部分。
サンドラ・ブロックは大分絶望感で生きているのに何故宇宙まで来ているのか?とか、宇宙で死んでも全然構わない風だったのに地球との通信だけで地球にそこまでして帰ろうという理由がいまいち見えて来なかった。
多分、普段前向きに生きている人はサンドラ・ブロックがすんなりと入って来るのかもしれないと思うのだけれど、わたしはいまいち入って来ず、作中の台詞でも人は何時か死ぬって言っていた様に何時かは死ぬんだから何かがある訳でもない地球に別に帰らなくてもいいんじゃないの…と思ってしまったのは、わたしに色々と問題が有るのかもしれない。
ジョージ・クルーニーは常に前向きで、陽気で冗談を言い、何故か自信があるって結局何時ものジョージ・クルーニーで役の背景が全然見えて来ない人物ではあった。
ジョージ・クルーニーはジョージ・クルーニーなんだけれど、サンドラ・ブロックは良い演技。
映画「アド・アストラ」のブラッド・ピットもそうだったけれど、宇宙空間で一人で生き方や死に方を考えるという設定って役者が輝く設定なのかと思ったし、この設定だと役者が色々と発揮しまくれるんだろうなぁ。

この映画、初めから宇宙空間での映像を見せて掴み、そこから一気に生きて地球に帰るという話で突きっきり、ローラーコースター映画として抜群に良いし、映像的にもまあ見せるし上手い。
話が心に響くというモノでもないけれど、見せる映画としては非常に良く出来たハードSF映画だった。

☆☆☆☆★

アイランド

2022年06月03日 金曜日

マイケル・ベイ製作・監督、ユアン・マクレガースカーレット・ヨハンソン共演の2005年のアメリカ映画「アイランドThe Island)」

地球は汚染されてしまい、生き残った一部の人間は全てが管理された施設で暮らしていた。
その人々は無作為の抽選で汚染されていない島「アイランド」に行く事が出来、皆はそれを心待ちに望んでいた。
その中のリンカーン・6・エコーは生活に満足しながらも何かの不安を感じていたが、ある日施設の工場で生きた蛾を見付けた事で汚染された外部で虫が生きている事を疑問に思い始め、施設の普段足を踏み入れる事のない場所に潜り込んだ。
そこでリンカーンは「アイランド」に行ったはずの人が臓器摘出の手術を行なわれ、妊娠した女性が子供を産んだ後に殺されるのを見てしまった。
リンカーンは日頃から仲が良く、「アイランド」への抽選に当たったジョーダン・2・デルタを連れて施設から逃亡。
外の世界は汚染等無く、人々が普通に暮らしていた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、SFだと思う位の前知識で見てみたけれど、序盤はユートピアと思った世界がディストピアだったという王道SFだったのが中盤からマイケル・ベイらしいカーチェイスとアクション映画になり、結果王道のハリウッドのアクション映画に収束して行くという展開でつまらない訳ではないけれど、そんなにおもしろい映画でもない映画だった。

始まりは、管理された世界で気の良い人々が感情が乏しい人間に管理されているという時点で何かの虚構の世界だと直ぐに思ったけれど、それが臓器や子供を作り出す為のクローン人間を作り出す施設だったという世界のバラシ方は、「で、どうなるんだ?」で結構興味を持って見れていた。
そこから主人公達が外に出たら何故か超人的な体力を発揮して逃げ続けても疲れず、自動車が真っ二つになる様な事故でもビルの何十階から落ちても平気な主人公達が警察とも銃撃戦をしながら追って来る特殊部隊と銃撃戦とカーチェイスになり、それまでのディストピアSFからの急激な方向転換には笑ってしまった。
で、最終的には何故か主人公と科学者であり経営者の医師のバーナード・メリックが直接対決で勝敗を決めるアクション映画になり、主人公がクローンを外の世界に出してめでたしめでたしと、まあよくあるハリウッド映画になってしまったと言うか、マイケル・ベイっぽい大味なハリウッド映画になっていて、序盤と見終わった後では印象が全然違うのは笑い所。

初めに結構おもしろいと思ったクローンと臓器のSF部分も、あれだけ手間暇かけて大規模な施設作って大勢で運営管理していたら収支的に大分損が出ているんじゃない?とか、何故クローンをあの培養液の中だけで育てないのか?とか、あれだけの人がいてクローンだから何の罪悪感も無い人々ばかりとかの、その前提が無いと話が進まないからという設定のツッコミ所があったりするし、依頼人と全く同じクローンなのに両方捕まえて詳しく検証もせずにその場で撃ち殺してしまう追跡部隊とか、その追跡部隊の隊長はこれまで敵だったのに終盤で突如奴隷の設定が飛び出して来て主人公に味方したりと、終盤でも何じゃそりゃ?な事も多かった。

役者は流石に製作費をかけた大作だけあって、ユアン・マクレガー、スカーレット・ヨハンソン、ショーン・ビーンスティーヴ・ブシェミマイケル・クラーク・ダンカンと有名所を使っていたけれど、この中だとマイケル・クラーク・ダンカンの役って思わせ振りな最初の登場なのに特に必要な役でもなくてマイケル・クラーク・ダンカンでなくともいいという変な配役。
主人公の友人ジョーンズ・3・エコー役だったイーサン・フィリップスって、「スタートレック:ヴォイジャー」のニーリックス役だった人か。
何処かで見た事ある様な、無い様な…だったけれど、ニーリックスは常に特殊メイクだったからか。
吹き替え版だとちゃんと同じチョーさんなのか。

この映画、金持の為の臓器の為のクローン人間だったという展開はSFとしておもしろかったものの、それ以降がマイケル・ベイのアクション映画になってしまって変な方向転換と言うか、マイケル・ベイ製作・監督だからそうなるしかない方向転換で、見終わるとマイケル・ベイのアクション映画見たなという感想になってしまい、入口と出口の感想が全く違ってしまう映画だった。

☆☆★★★

ジュピター

2022年06月02日 木曜日

ラナ・ウォシャウスキーアンディ・ウォシャウスキー製作・監督・脚本、ミラ・クニス主演の2015年の映画「ジュピターJupiter Ascending)」

アメリカで清掃員として働いているロシア移民のジュピターはお金を得る為に卵子を提供する手術を受けようとすると医師達に拘束され、そこに突如一人の男が現れて医師達を次々と撃ち殺して行った。
医師達は異星人の正体を現し、ジュピターはその男に拉致された。
その男ケイン・ワイズは、ジュピターは全宇宙を支配している一族から命を狙われており、そのため自分がジュピターを助けに来たと告げた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、SFだと思うという位の前知識で見てみたけれど、まあ色々と酷いし、結構序盤から退屈して真面に見てはいなかった。

初めの段階で、貧乏な女の子が実は宇宙の命運を司る人物で、カッコいいマッチョな男性が助けてくれるなんて正にベタベタなヤングアダルト小説っぽくって、てっきり数巻あるSFのYA小説を映画化した映画か…と思ってしまったので、どういった映画なのかを見ながら調べてみたら、ウォシャウスキー兄弟(当時は姉弟)のオリジナル映画だと知って、悪い意味で驚いた。
ウォシャウスキー兄弟と言えばマトリックスシリーズを作り上げ、おもしろい設定や映像で他の映画やテレビ等でもパロディ化される位の時代の寵児だったのに、それ以降の映画は全然な評価ばかりだったと思うけれど、実際見てみたら理由が分かった。
設定はつまらない。話は様々な部分で説明が足りない独りよがり。構成がつまらないと、酷い出来。

初めから映像でジュピターの両親の出会いやジュピターの誕生を見せて、そこにわざわざナレーションを入れてまで丁寧過ぎる説明をしていて、これが後の何かにとって重要だからかと思ったけれどそうでもなく、ジュピターはたまたま遺伝子が同じというぶっ飛んだ都合のいい理由で話が進むので両親の話は一切関係無いし、母親が他人を信じなくなったからジュピターもそうなのかと思いきや、他人の言っている事を疑う感じでもなく、三兄弟の話にホイホイ乗っちゃうしで、この導入の丁寧過ぎる説明が意味不明。

その後も普通の少女ジュピターが突然宇宙規模の戦いに巻き込まれるという展開なのに、ジュピターの日常を描く前にアブラサクス側の話を見せてしまうので当然こことジュピターが関わって来ると思うのでジュピターの突然の巻き囲まれ感が無い。

それ以降もジュピターの遺伝子がアブラサクス家の母親と全く一緒という馬鹿みたいな理由で狙われるけれど、そもそもジュピターが遺伝子検査を受けたみたいな描写も説明も無いのにアブラサクス側がジュピターを狙っていたりする不思議とか、ジュピターが「陛下(Majesty)」と呼ばれるのに何で自分がそう呼ばれているのかを全く聞かないし、ジュピターは巻き込まれるだけで自分で何かをしないし、ジュピターの遺伝子が母親と全く一緒でも母親ではないんだから王位を継承出来んの?とか、あれだけ科学技術が進んでいるのに遺伝子工学が都合良く遅れていて問題があるとか、まあ脚本の展開上の都合だけのツッコミしかない展開ばかり。

全宇宙を支配しているアブラサクス三兄弟も、これだけの絶対的長期的王権を維持しているのに地球一つで崩壊する可能性があるとかよく分からないし、そもそもどういった仕組みでこの権力構造になっているのかも分からない適当さだし。

一番酷いのは、アブラサクス三兄弟の一人一人にジュピターが呼ばれて危機が起こるのでチャニング・テイタムが空を走りながら助けに来てくれるという展開を三度もやってしまった事。
ジュピターも毎度毎度相手に乗っかって追い詰めらるし、何で同じ事を三度も見せられなくてはいけないんだ…。

結局最後はアブラサクス三兄弟の長男は死亡したと思われるけれど、他の二人は生きているんじゃないの?で、問題は全て解決してジュピターも地球も大丈夫なの?かがよく分からないまま。
もしかしてこれって、続編やるつもりでぶん投げたままなのかしらん?

そう言えば、ウォシャウスキー兄弟の映画ってマトリックスシリーズもそうだったけれど、強大な力と科学力を持った相手が地球人を管理して育てて、そこからエネルギー等の何かを得るという非常に回りくどい面倒臭い事をしているけれど、これ好き過ぎない?

あと、見ていてもセットや衣装とかはスター・ウォーズシリーズとか「デューン 砂の惑星」とかの影響しか感じず、寧ろそれが悪い方にしか転ばなかった「フィフス・エレメント」っぽいし、話はYA小説だしで、このオリジナルの無さ加減は何なのだろう?

この映画の一番の見所は直ぐ死ぬ俳優でお馴染みショーン・ビーンが最後まで死なずにいる事。
役柄的に死にそう、死ぬだろうと思ったのに生き残り、これがこの映画の一番の驚き所だった。

この映画、ウォシャウスキー姉弟が自分達がやりたい様にやった結果、自分達が分かっているだけで見てる方は「これ何?」「理由は?」が多く、展開も登場人物達も濃そうな感じはするけれど印象に残らずさっさと次に行ってしまい、連続ドラマかシリーズモノの映画の総集編を見せられている様な酷い映画だった。

★★★★★

女吸血鬼

2022年06月01日 水曜日

中川信夫監督、天知茂主演の1959年の日本映画「女吸血鬼」

松村伊都子の誕生日パーティーに許婚の大木民夫が訪れると突然停電となり、松村家の開かずの間に一人の女性がいるのが見つかった。
その女性は二十年前に突如失踪した松村伊都子の母親美和子だったが、失踪した当時から歳を取っていない様な若さだった。
失踪後の事を語り出した美和子によると、九州の島原で竹中信敬という男に惹かれる様に近づき拉致されたが、竹中信敬は江戸時代の天草四郎時貞の家臣であり、天草四郎時貞の娘勝姫に恋焦がれていたが勝姫の自決を手伝い、勝姫の血を月夜に飲んだ事で不老不死の吸血鬼となり今まで生き逃れ、今でも勝姫への思いが強く、勝姫の血を引いている美和子を拉致したと言うのだった。
その竹中の下から逃げ出した美和子だったが、竹中は美和子を追って東京へとやって来て美和子を再び拉致した。
母親を取り戻そうと大木民夫と伊都子は島原へと向かった。

どうやら、この映画は日本初の吸血鬼映画らしく、吸血鬼を演じる天知茂の不気味さや一風変わった吸血鬼の設定はいいのだけれど、全体的にまったりとした空気が流れてサスペンスやホラーとしては大分退屈だった。

この映画の特徴は独特な吸血鬼の設定。
死んでしまった好きな人の血を飲んだから吸血鬼となった。
月夜に血を飲んだので月を見ると牙が生えて血に飢え出す。
日光は問題無く、日中でも歩き回れる。
血に飢えるのが嫌らしく、むしろ月夜を嫌っている。
血を吸われた相手は死亡するだけで吸血鬼にはならない。
キリシタンだからなのかは不明だけれど十字架は大丈夫そう。
等々、ドラキュラの様な西洋の吸血鬼とは全く違い、どちらかと言うと妖怪の吸血鬼というのは結構新鮮。
変に西欧化されていない日本妖怪の吸血鬼という設定は今見るとおもしろかった。

ただ、この吸血鬼竹中の行動がいまいち分からずで戸惑う、つまづく場面が多かった。
竹中は描いた母親の画を何故二科展に出したのか?
母親逃亡 → 何処行ったか分からない → 母親の画を出せば誰かが画に気付くかも → 一日中画を張っておこう → 娘来たー! → 家分かった!って事?回りくど過ぎない?
家が分かった後でも画を送ったりして、何故さっさと母親をさらわないのか?
母親がいなくなったのが島原で、母親が竹中の事は全部喋っているのだから吸血鬼の居場所は直ぐばれるでしょ。
吸血鬼に仕える人々も誰で、何故仕えているのかも不明で、半裸の坊主男は何?
この半裸の坊主男の登場は笑ってしまった。
終盤に突然老化?なのかで爆発白髪頭になったのは何?
等々、何だかよく分からない事が多かった。

他でも吸血鬼が女性を襲っているのに、誰も助けずにただ見ているだけとか、警察もあっさり天知茂を見逃すわ、銃声が聞こえたら逃げ出すわで役立たずだし、展開の為の人々が多過ぎなのも脚本が酷い所。

最後に急に吸血鬼竹中対大木の立ち回りになったけれど、吸血鬼が普通の新聞記者大木と力も早さもほぼ互角なのはどうなの?
吸血鬼と言っても不老不死なだけで、別に強くないのか。
後ろ飛びで階段を何段かだけ登れるという特殊技能は発揮していたけれど、これじゃあ吸血鬼という設定の意味が弱いよなぁ…。

一番の不思議は題名。
この吸血鬼竹中は相手の血を吸ってもその人は吸血鬼にはならず、吸血鬼は天知茂一人だけなので、じゃあ題名の「女吸血鬼」は何なの?って事。
別に題名は「吸血鬼」でも、「~の吸血鬼」や「吸血鬼の~」でもいいのに、題名に「女」を付けたのかが不思議。

この映画、日本妖怪の吸血鬼として見たらこんなモノだとは思うけれど、ホラー映画としては微妙過ぎるし、勝姫に対する異常な執着から来る母親に対する異常な愛情のホラーとしても描きは足りないし、娘やその許婚も役が立ちそうでそれ程立たない感じで、何処も不十分な映画だった。
まあ、吸血鬼を演じる天知茂を見る映画かもしれない。

☆☆★★★