女吸血鬼

2022年06月01日 水曜日

中川信夫監督、天知茂主演の1959年の日本映画「女吸血鬼」

松村伊都子の誕生日パーティーに許婚の大木民夫が訪れると突然停電となり、松村家の開かずの間に一人の女性がいるのが見つかった。
その女性は二十年前に突如失踪した松村伊都子の母親美和子だったが、失踪した当時から歳を取っていない様な若さだった。
失踪後の事を語り出した美和子によると、九州の島原で竹中信敬という男に惹かれる様に近づき拉致されたが、竹中信敬は江戸時代の天草四郎時貞の家臣であり、天草四郎時貞の娘勝姫に恋焦がれていたが勝姫の自決を手伝い、勝姫の血を月夜に飲んだ事で不老不死の吸血鬼となり今まで生き逃れ、今でも勝姫への思いが強く、勝姫の血を引いている美和子を拉致したと言うのだった。
その竹中の下から逃げ出した美和子だったが、竹中は美和子を追って東京へとやって来て美和子を再び拉致した。
母親を取り戻そうと大木民夫と伊都子は島原へと向かった。

どうやら、この映画は日本初の吸血鬼映画らしく、吸血鬼を演じる天知茂の不気味さや一風変わった吸血鬼の設定はいいのだけれど、全体的にまったりとした空気が流れてサスペンスやホラーとしては大分退屈だった。

この映画の特徴は独特な吸血鬼の設定。
死んでしまった好きな人の血を飲んだから吸血鬼となった。
月夜に血を飲んだので月を見ると牙が生えて血に飢え出す。
日光は問題無く、日中でも歩き回れる。
血に飢えるのが嫌らしく、むしろ月夜を嫌っている。
血を吸われた相手は死亡するだけで吸血鬼にはならない。
キリシタンだからなのかは不明だけれど十字架は大丈夫そう。
等々、ドラキュラの様な西洋の吸血鬼とは全く違い、どちらかと言うと妖怪の吸血鬼というのは結構新鮮。
変に西欧化されていない日本妖怪の吸血鬼という設定は今見るとおもしろかった。

ただ、この吸血鬼竹中の行動がいまいち分からずで戸惑う、つまづく場面が多かった。
竹中は描いた母親の画を何故二科展に出したのか?
母親逃亡 → 何処行ったか分からない → 母親の画を出せば誰かが画に気付くかも → 一日中画を張っておこう → 娘来たー! → 家分かった!って事?回りくど過ぎない?
家が分かった後でも画を送ったりして、何故さっさと母親をさらわないのか?
母親がいなくなったのが島原で、母親が竹中の事は全部喋っているのだから吸血鬼の居場所は直ぐばれるでしょ。
吸血鬼に仕える人々も誰で、何故仕えているのかも不明で、半裸の坊主男は何?
この半裸の坊主男の登場は笑ってしまった。
終盤に突然老化?なのかで爆発白髪頭になったのは何?
等々、何だかよく分からない事が多かった。

他でも吸血鬼が女性を襲っているのに、誰も助けずにただ見ているだけとか、警察もあっさり天知茂を見逃すわ、銃声が聞こえたら逃げ出すわで役立たずだし、展開の為の人々が多過ぎなのも脚本が酷い所。

最後に急に吸血鬼竹中対大木の立ち回りになったけれど、吸血鬼が普通の新聞記者大木と力も早さもほぼ互角なのはどうなの?
吸血鬼と言っても不老不死なだけで、別に強くないのか。
後ろ飛びで階段を何段かだけ登れるという特殊技能は発揮していたけれど、これじゃあ吸血鬼という設定の意味が弱いよなぁ…。

一番の不思議は題名。
この吸血鬼竹中は相手の血を吸ってもその人は吸血鬼にはならず、吸血鬼は天知茂一人だけなので、じゃあ題名の「女吸血鬼」は何なの?って事。
別に題名は「吸血鬼」でも、「~の吸血鬼」や「吸血鬼の~」でもいいのに、題名に「女」を付けたのかが不思議。

この映画、日本妖怪の吸血鬼として見たらこんなモノだとは思うけれど、ホラー映画としては微妙過ぎるし、勝姫に対する異常な執着から来る母親に対する異常な愛情のホラーとしても描きは足りないし、娘やその許婚も役が立ちそうでそれ程立たない感じで、何処も不十分な映画だった。
まあ、吸血鬼を演じる天知茂を見る映画かもしれない。

☆☆★★★

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