ジョン・ウィック:パラベラム

2022年04月14日 木曜日

チャド・スタエルスキ製作総指揮・監督、キアヌ・リーヴス主演の2019年のアメリカ映画「ジョン・ウィック:パラベラム(John Wick: Chapter 3 – Parabellum)」
シリーズ三作目。

全作「ジョン・ウィック:チャプター2」で犯罪組織を支配する主席連合の規則を破り、殺人を行ってはならないコンチネンタル・ホテルの中で敵を殺してしまったジョン・ウィックは主席連合から高額な懸賞金をかけられ、あらゆる殺し屋から命を狙われてしまった。

このシリーズは一作目二作目と続けて見たので三作目も見ようと思っていたけれど、一作目は結構おもしろく、そこからの期待で二作目を続けて見たら一作目に比べると話がそれ程でもなかったので三作目に対する見たい感が薄れてしまい、二作目から三カ月位経ってしまってからこの三作目を見たけれど、その期待薄が的中しおもしろくはなかった。
話は全然盛り上がらず、やたらとアクション場面が多いし長いしで結構早い段階から飽きてしまっていた。

話は、一作目は始まってからを非常に丁寧に描いてジョン・ウィックの復讐がすんなりと入って来て、復讐という分かりやすい軸で一気に突っ走っていた所にアクションだったので中々おもしろかったけれど、二作目の時点で過去の契約の縛りと巻き込まれで戦う羽目になり、一作目程の勢いが無く、更にこの三作目はジョン・ウィックの自業自得で大勢が敵に回り、それを殺して行くだけという話なのでドンドンと話がつまらなく感じてしまった。
ずっとジョン・ウィックの行動原理が何かが分からず、ただ敵が襲って来るので全員を殺しまくっているだけにしか見えず、しかもジョン・ウィックが我慢がきかずに前作で敵を殺してしまった事がそもそもの原因だし、今作はジョン・ウィックが動けば動く程周りの人を不幸にし、今までジョン・ウィックを助けてくれた人を不幸にするという単なる我がままの疫病神にしか思えず、主人公としてのジョン・ウィックがつまらなくなってしまっていて主人公を見るにも身が入って行かなかった。

それに今回は話は二の次で、やたらとアクション場面が多く、一場面一場面のアクションが長く、ここまでアクションの連続だと序盤で早くも食傷気味になり、見ていてもまたかよ…感になってしまったし、十分見たから次行ってよ…になってしまっていた。
ハル・ベリーとのアクション場面は犬が凄い!犬を指導している人が凄い!とは思ったけれど、正直しつこ過ぎと思ってしまった。

キアヌ・リーヴスはこれまでの二作に比べるとアクションを物凄く頑張ってはいるけれど、やっぱり所々で相手の次の行動待ちの一瞬の変な間があり、これが凄く気になる。
このシリーズのキアヌ・リーヴスを見ていると、アクション指導の人とタップリ打ち合わせて、その通りにキッチリ動いている感を感じてしまって、そこでのアクションが上手くない様な気がする。
それに、ジョン・ウィックは五年間の活動休止期間や戦い続けてボロボロだという事があるにしろ、やっぱりドタドタと走る姿を見ても最強の殺し屋には見えないんだよなぁ。
敵もジョン・ウィックに攻撃仕掛けられるのに何故かマゴマゴして何もしないという事が結構あったけれど、これって最早日本の時代劇とか特撮ヒーローモノの手下の雑魚敵が主人公達に襲い掛かれるのに襲い掛からないというアレと同じ決まり事になっているのかな。

そう言えば、一作目二作目はどうだったか覚えていないけれど、今回は青やピンクのネオンライトが光る雨降る夜の街とかの感じがサイバーパンクっぽく、特に敵の殺し屋が道端で開いている寿司屋とか「ブレードランナー」っぽいし、最後のコンチネンタル・ホテルでの戦いでは館内の照明が消えて何故か緑の非常灯になるのなんかマトリックスシリーズっぽくて、ジョン・ウィックの不死身最強感がSFよりはファンタジーではあるけれど、セットや照明がSFっぽい感じがした。
と思って調べてみたら、監督のチャド・スタエルスキって「マトリックス」でキアヌ・リーヴスのスタントをしていた人なのか。
今回もローレンス・フィッシュバーンが出ているし、チャド・スタエルスキってマトリックスシリーズが好きなんだろうなぁ。

あと思ったのは、やっぱりハリウッド映画は英語が出来るかどうかなんだろうという事。
この映画の日本人?の殺し屋ゼロがほぼ英語での会話の中に何言か日本語の台詞があったけれど、演じているマーク・ダカスコスは祖母が日本人のアメリカ人で日本語が喋れないんだろうからの変に訛り切った日本語の台詞になっていたのは役としてアクションが出来ないといけないのはあるけれど、ちゃんとアメリカ人が聞き取れる英語を喋れないと難しいという事なんだろうなぁ。
でも、このシリーズでは色んな言語の敵が時々母語で喋る場面があったけれど、その言語を知っている人からすると結構気持ち悪い発音とか表現とかになっているんだろうか?

この映画、わたしは一作目のじっくりと復讐を描くのが結構はまり、アクションはそんなでもなく、そこで見てしまっているのでこの三作目は全然おもしろくなかった。
この続編が今後公開されるみたいだけれど、この三作目みたいな話はとにかくアクションで押せ押せだともういいかな…と思ってしまう。

☆☆★★★
 
 
関連:ジョン・ウィック
   ジョン・ウィック:チャプター2

ランダム 存在の確率

2022年04月11日 月曜日

ジェームズ・ウォード・バーキット監督・脚本、エミリー・バルドーニ主演の2013年のアメリカ映画「ランダム 存在の確率(Coherence)」

八人の男女が家に集まってパーティーをしていた。
その夜はミラー彗星が接近しており、彗星の影響なのか携帯電話やインターネットが繋がらなくなっていた。
突然停電となるが近所では一軒だけ家の明かりがついており、その家に様子を見に行き家の中を覗いた一人が驚いて戻って来た。
その家が自分達がいる家と全く同じで全く同じ自分達がいたと言う。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので前知識も無く見てみたけれど、発想や設定は抜群におもしろいだけに映像や演出が駄目過ぎて物凄く勿体無く感じてしまった。

初めは何気無い友達同士の会話劇から、突如近くに自分達と全く同じ家と自分達が現れて、これが一体何で、彼らは何なのかのサスペンスで進めて行きながら、それが無数に存在する並行世界が繋がると言う展開になって行くのは非常におもしろく、細かい部分での脚本も非常に良い。
本人達は自分の家に戻って来ていたり、自分の世界の友人が戻って来ていると思わせておいて、実は違っていたというバラシに持って行く所なんて上手い。
それに、前に割れていたグラスが今は割れていないとか、写真を撮った時に「違う写真だ!」「いや、同じ写真だ。」とか、所々で映す映像が前と違っていたり、話す内容の齟齬があったりと細かい部分で実は同じ世界の人物ではなく各並行世界の人物が入り乱れているというのを仕込んでいたりして、後から見ると良く分かるという作りの上手さがある。

後から思うとで一番思ったのは、初めに出て来たマイクがテレビドラマの「ロズウェル 星の恋人たち」にジョーというレギュラーで全話に出演していた話。
わたしは「ロズウェル」を見た事がないので、この話が出て来た時に本当なのかと思って調べてみたらレギュラーの役者にマイクという人はいないし、この映画でマイクを演じているニコラス・ブレンドンも出演していないし、そもそもジョーという役もいなくて、なんだそういう笑かしの一ネタか…と思っただけだったけれど、後から思うと「ロズウェル」が大好きで見ていたと言った女性がマイクに対して「あなた本当に出ていた?」という様な態度で全然ピンと来ていなかったのって、実はこれって「ロズウェル」という現実にあるドラマをわざわざ出している事からも既にこの映画の初めの時点で映画自体が別の現実を歩んでいる並行世界という事だし、マイクとマイクにピンと来ていない女性はそれぞれ別の並行世界の人間だという事なのかと思うと、そうとう脚本が練り込んでいると思われて物凄く感心した。
この各人物同士で話や記憶が噛み合っている様で微妙にずれているのは結構初めからあって、これが単に記憶違いだったり、忘れているという日常でもよくある事なので気にも留めないけれど、その気にも留めない事を利用して後の並行世界に繋げるという上手さは凄い。
所々で入る真っ暗になって場面が終わる編集も、真っ暗後はそのまま話や時間が続いているのに何の為のぶった切りなんだろう?と初めは思っていたけれど、この真っ暗編集も真っ暗前後で違う並行世界になっているという事なのか?と思うと成程とは思った。

ただ、人物達の行動には余り納得出来ない部分もあり、初めは自分達がした行動と全く同じ行動を相手方もすると気付いたら、こちらが何もしなければ何もならないからそんなに焦らなくてもいいじゃんと思ったり、全く同じ家と同じ自分達なら何でそこまで元の世界や本来の友人にこだわるのかがいまいちピンと来なかった。
これで家にいるだけとか、同じなんだからこだわらなくていいじゃん!だと話が何も展開しないからだろうけれど、この映画が良く出来ているのは終盤にこれも解決させていて、皆が何も行動しないままで家で楽しくパーティーを続けている並行世界が出て来て、それが正解の様に見せていたし、最後エムは元の世界にこだわらずに世界を自分で選んだしで、その前半の行動も最後への伏線だったのかと感心。
まあ、人が二・三人だと話はまとまりやすいけれど八人もいるとまとまり難いから色んな人がいないといけないので登場人物達が皆癖が必要だったというのもあったけれど、昔からドッペルゲンガーと会ったら死ぬとか、実際にはしなかったけれど過去や未来の自分と出会ったら宇宙が崩壊するってドクも言っていたから、下手に自分に会わない方が良いというのは一般教養としてあるのかと思ったけれどそうでもないのか。

話は上手いしおもしろいけれど、どうにも映像が酷く、カメラは手持ちカメラで常にブレまくって見難い事この上ない。
わたしはこのブレブレカメラが大嫌い。
この話や設定からドキュメンタリーっぽくする狙いがあるんだろうなとは思ったけれど、調べてみたら IMDbのTriviaには「各役者には本人だけが見れるその日の目標となる短い文章が渡され、それを基に役者が演じるので自由に動き、自由に動ける為にカメラがそれを追うという形にした」という事が書かれていてこういう映像や演出になったのかで成程とは思ったけれど、だとしたらカメラマンがただ単に下手なだけなんじゃないの?とも思ってしまった。
手元の寄りとか、一人の人物が動かずにいるバストショットでも映像のピントが合っていなかったけれど、これってその場面だけの切り抜きの撮影の気がするし、長い場面の中の続きの画だとしてもピントが合っていないとか下手過ぎ。
人物の動きが無い場面でも映像が小刻みに震えていたけれど、これってカメラを持つ手がカメラの重さや疲れでプルプル震えているとしか思えず、カメラマン駄目だろ。

それに問題を感じたのは外の暗い所を通ったら別の並行世界に行っている事。
家から出ると外が真っ暗で、この外の時の画面は常に真っ暗で、所々人物は薄っすら見えるけれどビリビリした画質の悪さになったり、この外の映像はほぼ何なのか分からないのに暗い所を通ったら別世界に行っているとか、そもそも外の映像全部真っ暗じゃん!暗い所って何処だったの?で何だかよく分からない事になってしまっていた。

あと、この映画では彗星が地球に近づくと無数の並行世界と繋がってしまうとか、外の暗い所が並行世界の繋がり部分とか、よく考えると何じゃそりゃ?な非常に便利なファンタジーではある。

この映画、設定や話は上手いし、後から思うと…な良く練られて仕込まれた脚本は上手いのに映像が常にブレブレで見てて面倒臭くなってしまうし、誰が何しているのか分かり難い下手な映像が問題。
もっと優秀な映像撮影・制作の人で撮りなおしたらもっと良いのになぁと思ってしまった。

☆☆☆★★

ジェイソン・ボーン

2022年04月01日 金曜日

ポール・グリーングラス製作・監督・脚本、マット・デイモン製作・主演の2016年のアメリカ映画「ジェイソン・ボーン(Jason Bourne)」
シリーズ五作目。
ただしマット・デイモンがジェイソン・ボーンを演じる映画としては四作目。

前作「ボーン・スプレマシー」から数年後。
世界を転々とするジェイソン・ボーンの下に元CIA局員のニッキー・パーソンズが現れ、CIAが新たな計画を行おうとしていると知らせて来た。
ニッキー・パーソンズからもらった資料の中にはジェイソン・ボーンを暗殺者に洗脳したトレッドストーン計画の資料もあり、トレッドストーン計画に父親が関わっていた事を知り、その事実を探ろうとする。
一方CIAはジェイソン・ボーンの存在に危機を感じジェイソン・ボーンを殺害しようとする。

このシリーズはジェレミー・レナー主演の「ボーン・レガシー」以外のマット・デイモンが出ている映画を続けて見続けて、一作目のおもしろさから二作目以降はほとんど同じ事の繰り返しで飽きていて、今の所最終作のこの四作目も見たけれど、やっぱりこれまでの映画の使い回しの様な展開が多くて大しておもしろくなかった。

このシリーズって、ジェイソン・ボーンが失われた自分の記憶を求める → それでは困るCIAがジェイソン・ボーンを殺そうとする → ジェイソン・ボーンが逃げる → ジェイソン・ボーンが反撃するという展開の繰り返しばかりを続けて来たけれど、この映画でもやっぱり同じ事を飽きずに繰り返している。
今回の序盤で大事な情報提供者が遠距離からの狙撃で殺されるのは三作目と同じだし、仲間となって連れ添った女性が序盤で遠距離からの狙撃で殺されるのは二作目と同じだし、CIAの上層部は常に何かしら悪い事をしていて、ジェイソン・ボーンがいたら困るので殺そうとするというのも全作同じだし、CIAの中にジェイソン・ボーンを理解して助けようとする女性局員がいるのは二作目三作目と同じだし、一人の凄腕の殺し屋がジェイソン・ボーンを突け狙うのは二作目と同じだし、見ている方にとっては結構どうでもいいジェイソン・ボーンの過去の記憶が思い出され、それが大した事の無い結末に行き着くのは三作目と同じだしで、このシリーズってずっと同じ事を繰り返している印象しかない。

それに、どんなに人が大勢いて混乱している場所でもCIAは簡単にジェイソン・ボーンを見付けるし、現地の警察も速攻でジェイソン・ボーンを見付けて追っかけて来るという都合の良さもシリーズ通して変わらず。
ギリシアの警察はあのデモから暴動になった混乱状態でも町の何処を封鎖しているとかの情報を速攻で完璧に集積しているという情報収集能力を持ち、混乱状態でも殺人を察知出来て速攻で部隊を送れるというトンデモない能力を持っていたりもして、ギリシアの警察最強過ぎ。

CIAも遠距離で携帯電話をハッキングして、その近くにあるパソコンに刺したメモリ内の情報を一瞬で消し去るという超技術を使っている割に、外部のディープドリームという何だか分からない技術を頼って世界での情報収集を企んでいたけれど、三作目でエシュロンを使って世界中の電話通信の中から特定の言葉を拾い出して話した人物を特定しているのだから今更何が必要だったのだろう?
このディープドリームも、開発者?創設者?が演説してけれど非常に抽象的な話ばかりで何をするプログラム?SNS?なのかもサッパリ分からない代物で、如何にもコンピューター関係をよく分からない人(ポール・グリーングラス?)がそれっぽい事を入れる為に適当に胡麻化してぶち込んだ感じしかしない。

そして、二作目三作目と比べると少しはましにはなっているけれど、普通の場面でもカメラをぶらし、アクション場面ではブレブレの映像を短く繋ぐ演出や編集は相変わらずで、やっぱり見難いし、誰が何しているのかが分かり難い。
このポール・グリーングラスの演出・編集は本当に嫌い。

この映画と言うか、シリーズ自体が二作目以降同じ事の繰り返しで二作目の時点で結構飽きていたけれど、似た様な内容で何故の更なる続編?と疑問に思ったし、2007年の「ボーン・アルティメイタム」から九年も経ってからの何故の更なる続編?という意味でもよく分からない映画だった。

☆★★★★
 
 
関連:ボーン・アイデンティティー
   ボーン・スプレマシー
   ボーン・アルティメイタム

ボーン・アルティメイタム

2022年03月31日 木曜日

ポール・グリーングラス監督、マット・デイモン主演の2007年のアメリカ映画「ボーン・アルティメイタム(The Bourne Ultimatum)」
シリーズ三作目。
ロバート・ラドラムの小説「最後の暗殺者」が原作。

ジェイソン・ボーンは自分の記憶を取り戻そうとしており、偶然見かけた新聞記事に自分の事が書かれているのを見付けた。
ジェイソン・ボーンはその記事を書いた記者と接触すると自分を暗殺者に仕立てたトレッドストーン計画とは別にブラックブライアー計画がある事を知らされた。
その記者を追っていたCIAにジェイソン・ボーンの存在が知られ、ジェイソン・ボーンを危険視したCIAはジェイソン・ボーンを殺害しようとする。

このシリーズは一作目は結構おもしろく見たけれど、二作目がそんなにはまらずで、続けてこの三作目も見てみたけれど、やっぱりはまらずでそれ程楽しめなかった。

三作目になるとこれまでの二作と似た様な展開に結構飽きていて、ジェイソン・ボーンが失われた自分の記憶を求める → それでは困るCIAがジェイソン・ボーンを殺そうとする → ジェイソン・ボーンが逃げる → ジェイソン・ボーンが反撃するの展開が毎度なので、既視感を感じてしまって楽しめなくなっていた。
ジェイソン・ボーンに連れ添う協力する女性が正体を隠す為に髪の毛を黒色に染めてハサミで髪の毛を切るけれど、何故かジェイソン・ボーンは変装も何もしないのは一作目で見たし、自分を殺そうとする殺し屋とカーチェイス後、ジェイソン・ボーンは傷付きながらも無事で敵の殺し屋は死にかけで運転席でグッタリしているのを見たジェイソン・ボーンは銃を構えながらも殺し屋を殺さないと言うのも二作目で見たし、CIAは都合が良い位あっさりと情報を割り出すし部隊も次々と送り込むけれど、常にジェイソン・ボーンに翻弄され続け、ジェイソン・ボーンを殺そうとするのは悪い事をしていたCIA局員で捜査の指揮を執っているって、何度も見た事ばかり。
今回もパメラ・ランディが出て来てジェイソン・ボーン擁護派ではあるけれど、余りジェイソン・ボーンには役立たず、結局ジェイソン・ボーンから重要な情報を提供してもらうという立場で、CIAの人達が全然賢くも凄くも見えないまま。
ジェイソン・ボーンがCIAのビルに侵入する場面を描かないという作り手側の手抜き的なズルさがあったけれど、それにしてもCIAに直接ジェイソン・ボーンがやって来たのを全く何も知らないし、セキュリティもガバガバ過ぎるCIAって馬鹿過ぎでしょ。
白昼堂々大勢の人ごみの中で記者を殺害する様なCIAで、無謀過ぎて問題が起きたらとにかく殺せ!というCIAを馬鹿に描いてはいたけれど、上から下まで悪党か馬鹿ばかりというCIAの描き方は安っぽい気がしてならなかった。
記者の殺害はどう説明したのかも、どう見ても揉み消せないのに揉み消したのかとかさえも描いていなかったし、何故か簡単にジェイソン・ボーンを発見して追いかけて来るCIAや地元の警察とかも、何だか作り手側に都合が良過ぎるなぁ…と思って見ていた。

あと、よく分からなかったのがブラックブライアー計画の中心人物にアルバート・ハーシュ博士がいた事。
アルバート・ハーシュ博士はトレッドストーン計画の洗脳の責任者?だったのに、何故関係無いブラックブライアー計画でも関係していたんだろう?
これもジェイソン・ボーンとアルバート・ハーシュ博士を対面させる為だけの設定の様な気がした。

話はシリーズを通してのジェイソン・ボーンの記憶で引っ張って来て、この映画でその結末的にトレッドストーン計画の始まりが分かるに分かるけれど、結構だからどうした的な話で、一作目でのトレッドストーン計画で暗殺者に作り替えられたという説明以上でもない感じで、見ても「はあ、そうですか…」位しか感想がなかった。

話はずっとこれで来ているので、まあそんなモノかとは思ったけれど、一番駄目だったのが短いカット割りのアクション場面。
一作目と二作目三作目では監督が違っており、一作目では結構ちゃんとアクションを見せていたのに、二作目三作目ではやたらとカット割りが早く、しかもカメラの寄りが多く、常にカメラがぶれていて見難い上に誰が何をしているのかが分かり難くてしょうがない。
これって、正に2000年代の流行りになっていた作り手側がカッコいいと思っている撮影や編集で、わたしはこれが大嫌い。
ただただ見難い。
それに加えてアクション場面以外でも常にカメラがぶれており、ずっと見難い。
この常にカメラをぶらして人物や対象が画面内でフラフラしていたり、そこから急に何かに寄ったりする演出って、今見ると時代っぽくて古臭く感じるし、この手法って2000年代に製作費が安いビデオ映画とかで多用されている印象が強くて、これだけで映像が安っぽく感じてしまっていた。

この映画、二作目でトレッドストーン計画が終わったのに更にブラックブライアー計画を出して来て取って付けた感があったり、全体的にこれまでと似た様な事をしていて、何よりも見辛いカメラのブレと短い編集が駄目で全くはまらず。
一作目が一番おもしろく見れたと言う事は、二作目三作目の監督のポール・グリーングラスがわたしが全く駄目だったという事か。

☆☆★★★
 
 
関連:ボーン・アイデンティティー
   ボーン・スプレマシー
   ジェイソン・ボーン

SF巨大生物の島

2022年03月28日 月曜日

サイ・エンドフィールド監督、マイケル・クレイグ主演の1961年の映画「SF巨大生物の島(Mysterious Island)」
ジュール・ヴェルヌの小説「神秘の島」が原作。

南北戦争で南軍の捕虜となっていた北軍のサイラス・ハーディング大尉と部下達は南軍の気球を強奪し脱走し、何日も風に流されてある島に漂着した。
その島を捜索すると巨大な蟹や鳥が現れて彼らを襲ったが何時も誰かが彼らを助けてくれている様だった。

前知識は何も無く、題名と古いSF映画という部分だけで見てみたけれど、1961年の映画なので結構間延びはするものの変なほのぼの感と意外な展開で結構おもしろかった。

まず1961年の映画なのに南北戦争時代が舞台で意外。
更に気球で島へと移動するもの意外な展開。
島では当然題名通り巨大生物が登場するけれど、今時の映画だと次々と仲間が簡単にやられて行くのが典型だと思っているので皆が無事という展開は結構目新しく、襲って来た蟹や鳥を倒したら大量の食糧が手に入って明るくパーティーになるも思っていなかった展開。
それに、この手のサバイバルモノだと大抵仲間同士で揉めて悲惨な展開になるものだと思ってしまっていたけれど、北軍の兵士が大半の中に南軍の兵士が一人いるのでこの人が揉める要員なのかと思ったら特に揉めずに仲良くやっていたのも意外。
後から女性二人が漂着したけれど、男共でサバイバルしている中に急に女性がやって来たら女性で揉めるのが典型だと思っていたら特に揉めずなのも意外。
更に、初めから誰かがいるのでは?という伏線はあったものの、突然ノーチラス号やネモ船長の話が出て来て、ネモ船長と助け合う展開も意外。
ある程度近年の映画やテレビドラマに毒されてしまっている身からすると、その典型にはまらない常にそこはそうならないんだ…や、何その展開!?が多くて、この意外性で楽しめてしまった。

この映画を見てから調べて知ったのが、ジュール・ヴェルヌの小説「神秘の島」が原作で、「神秘の島」が「海底二万里」の後の小説だからネモ船長が登場するのは続編的な話なら当たり前なのかと分かったけれど、何も知らない状態でこの映画を見たので急にネモ船長が出て来て結構ぶっ飛んだ話だな!とか、凄い話の繋げ方するなぁ!と思ってしまった。

ただ、「神秘の島」ではどういった表現になっているのかは知らないけれど、この映画での巨大蟹や巨鳥とのアクション場面の後に皆で巨大蟹や巨鳥を調理して食べちゃう陽気さとかほのぼの感が好きだった。
特に、巨大蟹を穴に落とせ!穴は間欠泉だったので茹で蟹の出来上がり!には笑ってしまった。

しかし、終始展開は間延びしており結構退屈。
終盤の船を引き上げるどうのこうの話は最後の締めの盛り上げないといけない所なのに長くて退屈だった。

それに、致命的なのは主人公であるはずのサイラス・ハーディングが一番魅力が無い事。
周りの部下達は徐々に役が立つし、後から来た女性二人も叔母の方は初めは何だかウザい感じだったのが文句を言わずに何でもこなし、巨鳥にも立ち向かい、逆に姪は後からもう嫌だと言う若さを見せたりと人物を立たせるのに、サイラス・ハーディングは常に俺が正しい。何故俺に従わない?的な態度でいけ好かないし、ネモ船長が登場すると完全にネモ船長が全部持って行ってしまってサイラス・ハーディングの存在感が薄くなってしまっている。
人物的にサイラス・ハーディングが一番おもしろくないかも。
それに、サイラス・ハーディングがこんな人物なら、もっとネモ船長とやり合う様な場面もあって良さそうなのに、この二人の関係は結構あっさりで終わってしまうのも勿体ない気がした。

邦題が「SF巨大生物の島」なので、どうしてもレイ・ハリーハウゼンのストップモーション・アニメーションを期待するけれど、巨大蟹と巨鳥と巨大蜂だけが散発的に登場するだけで非常に物足りない。
邦題の「SF」はどうなの?とは思うし、この映画の特徴を使って邦題を付けるとなると「巨大生物の島」にはなるのだろうけれど、話の主題はそこじゃなくてネモ船長の方で、巨大生物はあくまでおまけ程度。
原作の「神秘の島」では巨大生物は全然関係無い様だし、映画を作る時に見せ場を求めて巨大生物を入れたんだろうか?
ただ、主題のネモ船長は登場が遅過ぎるという事もあるけれど。

この映画、何も知らずに邦題の「SF巨大生物の島」にミスリードされて見たら、最終的にあのネモ船長の最後を描くと言う展開は意外過ぎてぶっ飛んでると思ったし、巨大生物の島でのサバイバルなのにほんわかした感じが何かおもしろかった。

☆☆☆★★