フライト・ゲーム

2022年10月21日 金曜日

ジャウム・コレット=セラ監督、リーアム・ニーソン主演の2014年のアメリカ映画「フライト・ゲームNon-Stop)」

酒に依存しながらアメリカ航空保安官の仕事を続けているビル・マークスは航空保安官としての仕事でニューヨーク発ロンドン行きの飛行機に乗った。
離陸後暫くするとビル・マークスの携帯電話に誰からからメッセージが入り「口座に1億5000万ドルを入金しなければ二十分毎に乗客を殺して行く」と書かれていた。
ビル・マークスはこのメッセージを疑いながらも航空保安官の身分を隠しながらメッセージを送った犯人を捜し始めた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、リーアム・ニーソンが出ている飛行機内での密室モノ位の前知識で見てみた。
始まりで主人公のリーアム・ニーソンが酒を飲んでいたり、娘の写真を見ていたりと、安全を守るはずの航空保安官が駄目な奴という設定が出て来た時点でこの王道な設定、悪く言ってしまえばベタ過ぎな人物設定で大丈夫?と入りの期待が低かったからか、最後までワクワク、ハラハラで飽きさせずに見せ切る映画で中々おもしろかった。

この手の飛行機内だけでの話はテロリストが機内を牛耳って主人公と数人が頑張るか、主人公が乗客に気付かれずに一人で頑張る様な展開が多い中、その部分もありつつも初めに見せた駄目な主人公という設定を使って犯人の仕掛けによって主人公に問題があって主人公がテロを起こそうとしているのでは?と周りの人々に信じ込ませるという展開に持って行き、本来なら皆で協力し合う時なのに主人公が窮地に追い込まれて行くという状況になるのが上手い。
これって、初めに主人公が酒を飲んでいたり、主人公目線の映像がスローになったりぼやけていたりしたから本当に主人公自身が何を考えているのか分からない信用できない語り手として主人公がテロリストの可能性もあるのでは?と観客に見せる意図かあったのかと思ったけれど、主人公は完全に正義の人としか描かれないのでそこはなかったのか。

乗客達は誰もが怪しく思えるのだけれど最終的に皆が協力する展開は結構熱かったし、こういう展開は好き。

密室サスペンスとして結構おもしろかったけれど曖昧と言うか、お座なりな部分もあって、後から思うといまいちな部分も。
序盤から携帯電話でのメッセージの文章のやり取りを空中に見せて主人公の表情と行動を文章と共に見せる位しっかり描いて見せていたのに、犯人側がどうやってメッセージを送っていたのかは全然描かれず。
主人公達が乗客の行動を見張っていたけれど、犯人が二人だからどちらかが隙をついて送っていたという事なんだろうか?

犯人が二人だったけれど、一人は飛行機の爆破が目的で、もう一人は金が目的だったので飛行機から逃げ出すつもりなのに逃げれないとなるとそりゃあ揉めるし、初めから一番大事な所で揉める計画って問題ありじゃない?
それに、何故犯人達は主人公のこれまでを詳しく知っていて狙いにしたかとか、何故もう一人の航空保安官も問題があるのを知っていて、何故その二人が同じ飛行機に乗るのを知っていて、何故事前に二人が乗る飛行機のトイレの壁に細工して穴を開けられているのかとか、説明しない部分が結構あって、説明しないのは作り手側の都合の良さで結構覚めてしまった。

それと機長を殺した意味もいまいち分からなかった。
コクピットは密室なので主人公に疑いがかかる訳でも無いし、機長がいなくても副操縦士がいるので操縦は問題無いし、一瞬だけ副操縦士に疑いを向ける為だけという事?

役者は、リーアム・ニーソンはまだ五十歳位までは演技派という印象だったのが歳を取ってからアクション俳優になった印象で、この映画ではサスペンスが中心ではあるもののリーアム・ニーソンのアクションも所々に入り、正にアクション俳優のサスペンス映画。
最後に犯人に向けて後ろ飛びで銃を撃つ場面の見せ方とか笑ってしまったし、主人公の六十代でのこの強さの驚きもそうだったけれど、それよりも文章を打つ早さの驚きの方が大きかった。
ジュリアン・ムーアは他の映画でもそうでもなかったけれど、この映画のジュリアン・ムーアは何か良かった。

この映画、後から思うと色々いい加減で都合のいい部分もあるけれど、飛行機内だけの密室サスペンスとしては原題が「Non-Stop」という様に次々と展開して行って最後までおもしろく見れました。

☆☆☆★★

チャッピー

2022年10月14日 金曜日

ニール・ブロムカンプ監督・脚本の2015年のアメリカ映画「チャッピー(CHAPPiE)」

2016年。南アフリカのヨハネスブルグの警察は多発する犯罪に対して兵器会社テトラバールが開発した人型の人工知能搭載ロボットであるスカウトを導入して犯罪を減らしていた。
スカウトを開発したディオン・ウィルソンは更なる人工知能を開発しており、新しいプログラムをインストールしようと攻撃を受けて廃棄処分となった1体のスカウトを会社から密かに持ち出した。
そこに金で困り大金を盗み出す為に邪魔なスカウトを停止させる方法を知っていると思ったギャング達がディオン・ウィルソンを誘拐。
しかし、スカウトを停止させる方法が無いと知ったギャング達はバラバラになったスカウトを見付け、ディオン・ウィルソンに組立てさせた。
ディオン・ウィルソンはそのスカウトにプログラムをインストールするとスカウトはまるで人間の子供の様な反応を見せながら学習を始め徐々に自らの考えも言葉で話す様になった。
そのスカウトをチャッピーと名付けたが自分達の為に犯罪をさせようとするギャング達は創造性を見せたチャッピーを育てたいディオン・ウィルソンを追い出してチャッピーをギャングとして育て始めた。

この映画はニール・ブロムカンプが2004年に作った二分弱の短編映画「Tetra Vaal」を基に長編化した映画なんだけれど、確かわたしはこの「Tetra Vaal」を何時か、大分昔に見たはずで、その時この「Tetra Vaal」の雰囲気が物凄く良く感じて、これが長編だったらおもしろそうと思ったのを覚えていて、それから多分十数年後に見てみた。

この映画は人間っぽい人工知能を描いていて人工知能と人間という古典的な題材をちゃんと現代で描いている中々おもしろい映画ではあったのだけれど、チャッピーを人間的に、感傷的に描き過ぎていて違和感を感じたり、ニール・ブロムカンプの映像や描いている題材の雰囲気は結構好きなのに「エリジウム」でもあったハリウッド映画的展開や盛り上げに白けてしまう部分もあったりで微妙な所もあった。

チャッピーは基本的に良い奴で、本当の親は創造性を信じるエンジニアなのにギャングに育てられてしまった、まるで貧しいけれど真っ直ぐに育てたい良い母と暴力を振るい悪い道に引きずり込む父親のいる家に里子に出された人間の子供を描いている様な話で、ロボットではあるけれど共感し易く作ってあり人工知能を見せるのには非常に上手いと思った。

ただ、そういう事を描きたいが先にあるのでチャッピーがやたらと人間的である必要があるのは分かるし、ディオン・ウィルソンがそういう人工知能として作ったと言われればそうなんだろうけれど、プログラムとしての人工知能が人間的と言うか、共感させようとする狙いが見えてしまってどうにも乗って行けず。
チャッピーの初めの子供みたいな反応って、まっさらな人工知能にしては人間的で、その後の反応も何故か人間の子供的な興味や優しさがあり、何故銃は怖がるのに投げ物は喜んでいるのか?の理由は無いし、ディオン・ウィルソンが作ったから彼の言う事を守る理由がよく分からないとか、全ての学びが余りに間を飛ばして一を聞いて千や万を知るになっていて都合良く感じてしまった。
子供から思春期に至る子供をチャッピーでやるのは分かるけれど、もう少しその過程を描いて欲しかった。

人間側も描きが少なく、ディオン・ウィルソンは最後あんまり戸惑いも無くあっさりと変化を受け入れていたり、ニンジャのチャッピーに対する感覚がいまいち見えて来なかったり、ヒュー・ジャックマンは何でそこまで自分の研究にこだわっているのか?とか、全然採用されないムースを研究し続けられている理由とか、何か人間の描きが足りない様に感じてしまった。
「エリジウム」に続けてシガニー・ウィーバーが出ているんだけれど、わざわざシガニー・ウィーバーが演じているので何かに絡んで来るのかと思いきや特に何かをする訳でも無い脇役でしかなく、この役が別にシガニー・ウィーバーである必要が全然無かったのも「?」だった。

終盤までは人間の様になって来た人工知能と人間の関係を描いていたのに、終盤になるとチャッピー対ムースの銃撃戦という、まさにハリウッドのアクション映画でよくある最後に主人公と敵のボスの一対一の殴り合いで決着をつける見せ場の為のアクション場面みたいな事をするので急に醒めてしまい、しかもムースの操作に人間の意識とか必要無さそうなのに人間の頭の外のヘルメットから人間の全意識を収集してデータ化出来る超技術が登場し、まだプログラムの人工知能のチャッピーのデータを解析するのは分かるとしても人間の全意識を一瞬でデータ化してとんでもない量になるはずのそのデータを一瞬で容量の限られたロボットの記憶媒体に入れて、そのデータでロボットを動かすとか、もうやり過ぎで一気に醒めてしまった。
この最後は思い付いたオチの為に大分やり過ぎてしまった感じ。

ただ、ニール・ブロムカンプの映画って何時も最後ハッピーエンド風だけれどそうではない、怖い感じで終わるのはおもしろいと思う。

この映画が描いている人工知能と人間とか、ロボットによる治安とかって、そもそもの一番の問題はテトラバールの緩々なガードキーの管理なんじゃないかと思ってしまった。
ガードキーでスカウトを無線で操作出来ているのに外部からのハッキング等が不可能なのは都合が良過ぎるけれど、町中の治安もそうだし、暴走したり誤作動があるだけで人に危害が及ぶスカウトは絶対に外部から侵入されてはいけないのに会社内部では何重のセキュリティチェックもせずに持ち出しは簡単に出来るし、持ち出しても明日までに返さないと上司に報告するだけとか、ここの会社の管理がザル過ぎるのが何より問題。
だからチャッピーは勝手に作れちゃうし、会社は終わりだろうし。

この映画、やりたい事や見せたい事は分かるのでここに乗って行けたらおもしろく見れるんだろうけれど、色々引っ掛かってしまうともっと脚本を詰めて欲しかったと思ってしまった。

☆☆★★★

世界侵略: ロサンゼルス決戦

2022年10月13日 木曜日

ジョナサン・リーベスマン監督、アーロン・エッカート主演の2011年のアメリカ映画「世界侵略: ロサンゼルス決戦(Battle: Los Angeles)」

アメリカ海兵隊隊員のマイケル・ナンツ二等軍曹は年齢による体力の低下もあり海兵隊からの除隊を願い出した。
その日、突如地球に流星群が近づいている事が分かり、世界各地の海に流星群が飛来。
流星群の中は機械で、そこから無数の人型の物体が現れ攻撃を仕掛けて来た。
マイケル・ナンツにも召集がかかり、ロサンゼルスの町に取り残された市民の救出へと向かった。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、雰囲気的に宇宙人侵略モノの大作映画ぽかったので期待して見てみたら、話も映像も非常に安っぽく、典型に次ぐ典型で、これまでのこの手の映画をパロディで安く仕上げたかの様な酷くてつまらない映画だった。

始まった所から、まず地球が侵略されているのを見せて、そこから登場人物の丁寧な紹介になるという展開からして王道と言えばいいけれど、余りに典型過ぎて安っぽさ、しょっぱさを感じてしまっていた。
そこから部隊が町に出て行くと、これまでの何かで見た様な展開ばかりが続き、しかもそれらが見事におもしろくもない。
ヘリコプターに乗って助かったと思ったら当然ヘリコプターは撃ち落される。
主人公以外の勇気がある人物はやられちゃう。
妻への手紙を書いていた人も当然途中で死亡等々。

始めに丁寧に分かりやすく各登場人物紹介していたから、その各登場人物を見せて行くのかと思いきや、特に人物を立てずに人物紹介での背景も特に活かさず次々と死んで行くだけで、何の為の丁寧な人物紹介だったのか?というどうしようもない脚本。
しかも皆が同じ格好で、カメラを手持ちでぶらしまくっているので誰が何をしていて誰がやられたのかが非常に分かりにくく、早々と誰がどうなったかはどうでもよくなってしまった。

そして、最初の人物達は死んで行くだけなので途中で別部隊に合流して早くも新キャラ登場なんだけれど、兵士の中にミシェル・ロドリゲスがいて笑ってしまった。
ミシェル・ロドリゲスってこういう映画で、こういう人物をやたらと演じている印象で、この映画でもすっごいミシェル・ロドリゲス。

酷いのは映像もで、臨場感を出す為に手持ちカメラで映像をぶれさせるという安っぽい演出が常で、これって本当に見難いだけ。
しかも、やたらと人物の寄りが多くて周囲を映す事が少ないのは、製作費を大量に出せないからなるべく周りの破壊された町のセットやCGでの背景を使わない為に見せない様にしているのかな?と思ってしまった。
引いた時の町での破壊された自動車の置き方の安っぽさはなかったし、警察署での壁の汚し方とか、何故か天井の板が外れて何かの線がやたらと出ているのかと非常に安っぽかったし。
製作費が7000万ドルらしく、こういう映画にしては低予算だと思うからなるべくお金をかけない。見せないというのを実行していたんだろうなぁ。
だから広い場面での撮影が少なく、撮影しやすい室内や町中の狭い範囲だけでの撮影ばかり。
だから映像的にも非常に安っぽいんだろうなぁ。

こういう宇宙人侵略モノって、とにかく町の崩壊や戦闘を見せる為に常に宇宙人の侵略意図が不明ではあるのだけれど、それにしてもこの映画の宇宙人は酷い。
本当の意図が説明されておらず地球人の勝手な予想しか出て来なかったけれど、それにしても地球の資源(水?)を奪う為って、恒星間航行出来ているのに他の無人惑星や衛星の水とか土星の環の様なそこら辺にある氷を溶かすとかしないの?だし、そもそも地球側の戦力の情報収集もしたかも怪しくて、地球側の部隊をそれ程圧倒しない歩兵で制圧しようとしたり、結局わざわざ恒星間航行して総攻撃かけているのにやられちゃう馬鹿な宇宙人とか、もうギャグとかコメディ。
この手の宇宙人侵略モノの宇宙人って何でこんなに馬鹿なんだろう?
資源目当てならこっそり毒ガスとか生物兵器撒くとか、宇宙に浮いている巨大な岩石にブースター付けて都市に落とすとか、都市に大量破壊兵器バンバン打ち込めばいいじゃん…と何時も思ってしまう。
それだとこういう映画にはならないからだけなんだろうけれど、これってヨーロッパやアメリカのこれまでの侵略の歴史から来ているのだろうか?
恒星間航行出来るなら資源なんて無人惑星や衛星から幾らでも確保出来るだろうし、戦闘目的の戦闘民族なら名乗りもないまま急襲して勝っても名誉が無くて意味が無いだろうしで、突然訳も分からず襲って来る宇宙人のフィクションとしてもしょっぱさしかないのに、突然訳も分からず侵略して来るってヨーロッパやアメリカの歴史から来るコンプレックスやトラウマに感じてしまう。

この映画、脚本はこれまでの典型を継ぎ接ぎしただけの様な面白味の無い話で、人物も立てそうな始まりに反してどの人物も全然立たず仕舞い。
映像もB級C級のビデオ映画である様な臨場感の勘違い手持ちブレブレカメラで見辛いだけで、肝心のずっと続く戦闘もおもしろくないという何処を取ってもおもしろくない映画だった。
まあ、これはこれまでの映画のパスティーシュやパロディとしてみたらおもしろいのかもしれない。

☆★★★★

キングオブコント2022

2022年10月09日 日曜日

「キングオブコント」って、わたしは最早若手のネタ番組感覚でしか見ていなくなってしまっているのだけれど、それが何でかな?と考えたら、以前は結構中堅やベテランも出ていたのに最近はほぼ若手だけになってしまって、しかもこれで優勝してもその後売れっ子になるとも限らないとなるとそりゃそうか。
それに、その若手が一発かまそうと思いつつも緊張してやっていたらネタ番組としても微妙な感じはあるのかもしれないけれど、今年物凄く気になって笑いに乗って行けなかったのが仕込みの笑い屋の反応。
審査員の後ろの観客は全員若い女性だけで、しかも大して笑い所でも無い所でもきっちりと笑い、拍手をしているってどんだけテレビ的な教育が行き届いた一般観覧者なんだ。
何だか初期の「THE W」の製作側の意図しか見えない良く出来た観客みたい。
最近の「キングオブコント」を見ていると以前の準決勝まで行った芸人が観客で見ていて審査する方がネタ番組的にも良かった気がする。

ヤングマスター 師弟出馬

2022年09月26日 月曜日

ジャッキー・チェン監督・脚本・主演の1980年の香港映画「ヤングマスター 師弟出馬

孤児だったキョンとロンは道場の師匠に拾われて育てらていた。
その道場と敵対する道場との獅子舞合戦が行わるのだったが、キョンが怪我をして獅子舞い行事に出られなくなった為代わりにロンが獅子舞をする事となった。
行事の当日、敵対する道場の獅子舞と対決するとその獅子舞に入っていたのはキョンだった。
キョンは敵対する道場主から金を受け取って獅子舞に入っており、その事が師匠に知られてしまった為に道場を飛び出し敵対する道場に雇ってもらいに行った。
キョンを兄の様に慕っていたロンはキョンを探そうとするが、キョンは道場主の口車に乗って護送される囚人の逃亡を手伝う事となり、役人から追われる身となっていた。

ジャッキー・チェンの初期の映画で、ゴールデン・ハーベストに移籍後初監督主演作映画。
ボコボコにやられたり、痛がる所も笑いを入れたり、色んな物を使って戦う等これ以降のジャッキー・チェンの映画でよく見る要素が多く入っていて楽しいカンフーアクション映画。
ただ、やっぱりこの時期の香港映画だからなのか話は結構雑で、アクションは多いので楽しめる一方、各場面場面が長くて結構ダレてしまった。

序盤のジャッキー・チェンの大きな扇子やスカートを履いて戦ったりと道具を使ったおもしろいアクションや、敵もユン・ピョウの椅子を使って攻撃して来たり、縄を使う敵や、最後の敵は非常に独特の間を持った足技の達人で殴り攻撃からの腕や手の関節技を出したりとアクションは多種多様でどの場面でも色んな事をしていておもしろい。
ただ、どの場面も戦っている時間が長く、素早いアクションなのに全体の時間が長いので結構間延びを感じてしまい、アクション場面が多いのでちょっと飽きてしまった。
特に最終対決はジャッキー・チェンがボコボコにやれて一息ついて、また敵と戦ってボコボコにされるの繰り返しで、ちょっとしつこく感じてしまった。
多分、近年のアクション映画だとここまで一つのアクション場面に時間を割かないのに慣れてしまっているのがあるのかも。

話もアクション時間が長いのでそこで足踏み状態で先に進まない事が多くて、段々とアクションは分かったから話を進めてよ…と思ったり、その一方で特に終盤は急に話が進んで何だかよく分からないまま丸め込まれた感があって、全体的に進展の緩急が変な感じ。
序盤であれだけジャッキー・チェンと兄弟子の話を見せていたので後で二人の関係性や想いを描くのかと思いきやそれはほぼ無く、結局兄弟子が金に走り犯罪の手助けまでしていた理由は何だか分からないままだし、あれだけ揉めたのに兄弟子が突然帰って来て皆で仲良しとかも意味が分からない。
ジャッキー・チェンが指名手配犯だと思われている展開が長々と続いて一向に話は進まず、そこで登場したユン・ピョウやその親の署長とジャッキー・チェンの関係も特に結末的なモノがある訳でも無く、ユン・ピョウと署長とのアクションを見せる為に入れただけという展開だし。
最終対決では長々と見せるけれど、そこまでのジャッキー・チェンと敵との確執も大して無いので何だかよく分からない戦いだし。

以前から聞く話では昔の香港映画では脚本はその日とか、その場で渡されてドンドン変わって行くらしかったそうで、だからこの時代の香港アクション映画に脚本部分を求めちゃいけないのかもしれないけれど、それにしてももっと脚本が練られていたらアクションはおもしろいのだからもっとおもしろくなった様な気がしてならない。

この映画、話は気にせずジャッキー・チェン対ユン・ピョウとか、最終対決とかだけ見ても全然良さそうな感じ。

☆☆★★★