ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門

2022年09月12日 月曜日

ジョン・ウー監督・脚本・出演、レオン・タン主演の1976年の香港映画「ジャッキー・チェンの秘龍拳/少林門(The Hand Of Death)」

清の時代になると清は少林寺を弾圧し始めた。
少林寺で拳法を学んだシー・シャオフェンは少林寺を裏切って清側につき、少林寺の門徒達を次々と殺して行った。
逃げ延びたユン・フェイは拳法を学び、清を倒す為に動いているチャン・イーを助け、シー・シャオフェンを倒す為にある村へと赴いた。
その村ではシー・シャオフェンの部下達が暴れており、ユン・フェイは彼らに兄を殺された青年や愛する女性を死なせてしまった剣士を味方に付けてシー・シャオフェン一味と戦おうとする。

この映画は映画自体はそんなにおもしろくはなかったけれど、色んな部分でびっくり。

まず、題名に「ジャッキー・チェンの」と付いているからジャッキー・チェンが主演かと思って見たのにジャッキー・チェンは脇役で主役は別にいる。
しかも、若い時代のジャッキー・チェンは目が小さいと言うか、腫れぼったいと言うかで、これ本当にジャッキー・チェン?と思ってしまう位その後のジャッキー・チェンの顔とは何か違う。
ただ、演技やアクションはジャッキー・チェンなので少し引いた映像だとジャッキー・チェンと分かるけれど、顔に寄るとジャッキー・チェン?となってしまう不思議な感じ。
ジャッキー・チェンのやられた時の痛がる顔芸はこの頃からだったのは感心。

主人公演じるレオン・タンは小柄でほとんどの役者から頭半分位背が低く、しかも体も小さいので強い主人公感が無い。
アクションも変な間があったり、いまいち迫力に欠け、若いジャッキー・チェンの方が上手い気がした。

サモ・ハン・キンポーが敵役で出て来るのだけれど、初めは凶暴な無法者だったのが暫くすると主人公の力を認めて気に入り仲間に誘い出して単なる悪い敵ではなく、少し頭の悪い情のある乱暴者というジャイアンみたいな可愛らしさが出て来た役だったのはおもしろかった。
サモ・ハン・キンポーは分かりやすい悪役の象徴として少し出っ歯の入れ歯を付けているのが昔の香港映画感が溢れている。

見ていて気付かなかったけれど後から調べて知ったのが、ジャッキー・チェンとサモ・ハン・キンポーだけでなくユン・ピョウも出ていたのにもびっくり。
何処で出ていたのか気付かなかったのでザっと見直してみたら、シー・シャオフェンが弓の練習している場面でお茶を出して矢で射抜かれる役がユン・ピョウだった。
この役が何処の回し者だとか、シー・シャオフェンを暗殺しようとしていたのは誰とか一切振りも無いし、その後も触れられずで無理矢理入れた様な場面ではあった。

更に後から調べて知って一番びっくりしたのはこの映画の監督がジョン・ウーだと知らず、しかもジョン・ウーは主人公達が守ろうとしたチャン・イー役で出演までしていた事。
そう言えば、脇役の背景を長く描いたり、大事な人を殺されての復讐で戦うけれど次々と死んで行く仲間のハードボイルド感とかってジョン・ウーっぽさなんだろうか?と思ったけれど、この時ってジョン・ウーが自分で役者までしていたのか。
ジョン・ウーって歳を取ってからの姿は何となく知っているけれど、この時29歳で、若い時って結構痩せていて精悍な感じだったとは知らなかった。

話は、悪い敵を倒そうとする主人公が単身敵地に乗り込んで多勢に無勢で逃げ帰って敵を想定した修練を積んだり、哀しい過去を持つ特徴のある仲間を集めて、更に主人公用の対ボス戦の武器を作ったり、鈍らになった剣士の剣を研ぎなおし、八虎将や二人の隊長と戦い、最終的に主人公とボスの一騎打ちとなるという非常に熱い設定や展開なのに何故かあんまりおもしろくない。
今見てしまうからの間延び感を感じてしまう部分はあるのだろうけれど、アクションがいまいちおもしろくないのが大きいのだろうか?
ジョン・ウーがまだ若手でカンフーの見せ方が上手くないのかと思ったけれど、ジャッキー・チェンのアクション部分は結構おもしろかったから主人公役のレオン・タンとボス役のジェームズ・ティエンの二人が何かいまいちだったのかもしれない。
最後の一騎打ちは展開としては盛り上がるはずなのにしょっぱさも感じてしまった。

この映画、日本では劇場公開していないみたいなので、その後のジャッキー・チェン人気で世に出せたと思われるのでこの題名も仕方無いのかなとは思う。
話自体は何だか盛り上がらずで大しておもしろくないけれど、若い脇役のジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーを見るにはおもしろかったし、同じく若い時のジョン・ウーの監督映画としてやジョン・ウー自身の出演作として見ると、その部分では楽しめた。

☆☆★★★

シークレット ウインドウ

2022年09月09日 金曜日

デヴィッド・コープ監督・脚本、ジョニー・デップ主演の2004年のアメリカ映画「シークレット ウインドウ(Secret Window)」
スティーヴン・キングの小説「秘密の窓、秘密の庭(Secret Window, Secret Garden)」が原作。

小説家のモート・レイニーは人里離れた家で暮らしていたが、ある日見知らぬ男がやって来て自分の作品を盗んだと言って来た。
モート・レイニーは男が置いて行った小説を読んでみると以前発表した自分の小説と一字一句同じだった。
再び男が現れたので男にこの小説は何時書いたのか聞くとモート・レイニーの小説の発表よりも数年後だった。
モート・レイニーはそれを告げるが信じない男はモート・レイニーを徐々に脅し始めた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、ジョニー・デップのサスペンス?ホラー?と言う前知識位で見てみた。
なりそうな方向になり、結局そうなるよなぁ…で驚きは無く、それはそれでいいのだけれど展開がそこじゃないだろうという部分を見せるのがいまいちではあった。

オープニング・クレジットでスティーヴン・キング原作と分かり、小説家が見知らぬ男に脅されるって「ミザリー」とかのスティーヴン・キングっぽさ満開で、まあジョン・シューターがそういう事ね…は原作が1990年だから当時は成程と思ったかもしれないけれど今見てしまうと有り勝ちでそれ程おもしろくはなかった。

そこよりは描きの分量が気になり、モート・レイニーと男のやり取りは非常に長めに描くのだけれど、これが男がモート・レイニーを精神的にドンドンと追い詰めて行く様子を恐怖を持って描くかと言えばそうでもなく、非常にのっぺりとしていて怖さが無く、モート・レイニーが追い詰められて行く感が非常に薄い。
これは落ちが分かるとモート・レイニーがそう望んでいる部分があったから男とのああいうやり取りになったというのは分かるとは言え、落ちが分からない状態だと怖さが無いのでサスペンスやホラーとしては非常にぬるかった。
落ちにしても、その種明かしまでのモート・レイニーの精神状態の変化がぬるいので、そうですか…という感じで落ちが弾けないままで終わってしまい、やっぱりぬるい。

この話がおもしろくないと感じたのは何かなぁ?と考えたら、嫌な結末だからではなく結局モート・レイニーのオナニーショーを見せられた感があったからだと思った。
鬱屈したイライラをオナニーでぶつけて、モート・レイニーは一発抜いて気持ち良くなってめでたしめでたしだけれど、それを見せられてもこっちはどうすればいいんだろう?になってしまった。

それにジョン・シューター演じるジョン・タトゥーロが全然に印象に残らないのってわざとの配役なんだろうか?
ジョン・シューターが出て来て次の場面では既にどんな顔だった覚えていないって役柄としてはピッタリなのかもしれないけれど、逆に印象に残らないので役が凄く弱く感じられてしまって恐怖の対象なのにその恐怖感所か存在感すら弱いってどうなの?

一番気になったのは初めに出て来た家政婦の女性。
始めにモート・レイニーとのやり取りがあって役を立たせていたからその後に何か関わって来るのかな?と思ったら、それ以降全く登場せず。
別にいなくてもよかったのでは?

映像的には結構色々な事をしていて、実際の外での撮影を見せながら秘密の窓をくぐると家の中のセットへと移動するのをワンカットで見せていたり、鏡を使って色々な見せ方もしていて、特におもしろかったのがジョニー・デップが正面に見ている鏡にはジョニー・デップの後ろ姿が映っており、ジョニー・デップが正面のまま鏡に近づくと後ろ姿が近づいて来るというの。
こんなの初めて見た気がして、これのホラー感は非常におもしろかった。

この映画、話としては初めにキッチリ振った方向に話が行って振り通りに終わるので非常に真っ直ぐなので大しておもしろくなく、多分ジョニー・デップを見る映画なのかと思った。
ジョニー・デップって見た目的に変な人を演じる事が多い印象だけれど、こういう普通の人の方が全然良いと思ってしまう。
ただ、この映画ではサスペンスなのに結構コメディ的な演技もしているので、そこでも怖さが薄れていたのかなぁ?とは思った。

☆☆★★★

ダークナイト ライジング

2022年08月31日 水曜日

クリストファー・ノーラン製作・監督・脚本、クリスチャン・ベール主演の2012年の映画「ダークナイト ライジングThe Dark Knight Rises)」
ダークナイト トリロジー三作目。

前作から八年。
ハービー・デントの犯罪が隠されたままハービー・デントを犯罪撲滅の象徴とし、デント法を施行した事によってゴッサム・シティでは犯罪が減っていた。
一方ブルース・ウェインは人目を避けて暮らし、バットマンも八年間現れていなかった。
ある日、ブルース・ウェインの屋敷に泥棒が入り、その泥棒はセリーナ・カイルで、彼女の目的はブルース・ウェインの指紋を手に入れる事だと判明。
その指紋を悪用してブルース・ウェインを貶めようとしたウェイン産業の役員が依頼しており、更にはベインと呼ばれている傭兵がゴッサム・シティの地下で暗躍し始めた。
危険を感じたブルース・ウェインは再びバットマンとなりベインの計画を探り阻止し始めた。

Amazon プライムビデオでダークナイト・トリロジーの配信が終わりそうで、確か以前に一作目の「バットマン ビギンズ」を見たはずだったけれど、それ以降は見た記憶が無かったので、一作目、二作目と見たので続けて見てみた。
前作がやたらと評判が良過ぎるの知ってから見た反動でそれ程はまらなかったけれど結構おもしろくはあったので、その続編なのである程度期待して見てみたけれど一作目と二作目を合わせて焼き直した様に思えてしまって全然だった。
一作目と同じ影の同盟が何だかよく分からない理由でゴッサム・シティを破壊しようとするという展開と、二作目でのジョーカーが常に先手を取ってバットマンや警察を翻弄し続ける展開をこの映画でも同じ様にしていて既視感ばかりを感じて全然乗って行けず。

一作目の時からラーズ・アル・グール率いる影の同盟がやたらとゴッサム・シティを壊していたがったけれど、この理由が全然ピンと来ず、今回もベインが同じ様な事を言って同じ様な事をしているので、やっぱりピンと来ず。
ラーズ・アル・グールのゴッサム・シティが悪に溢れかえり堕落した街だから破壊すると言うのもよく分からなかったけれど、今作のゴッサム・シティって犯罪が減って大分上向いているんじゃないの?と思ったら、ベインは金持がどうのこうのの話をして、とにかくゴッサム・シティの破壊が前提で話が進むので終始ベインに乗って行けず。
結局このベインの理屈や説教は何の意味も無く、惚れた女性がラーズ・アル・グールの娘タリアで、タリアは父親の復讐の為にゴッサム・シティを破壊したかったからベインはゴッサム・シティを破壊しようとしただけなので、最後になって話が非常にしょうもなくなってもいて更に乗って行けず。
この最後にミランダ・テイトが実はラーズ・アル・グールの娘タリアでしたというのも途中でラーズ・アル・グールの息子がベインでは?というミスリードが入るのだけれど、アメコミのバットマンを知っていると「流石にラーズ・アル・グールの息子がベインとか無茶し過ぎでしょ。」「ラーズ・アル・グールの子供ってタリア・アル・グールじゃん…?」となって、最後のどんでん返しまで何となく気が付いてしまうし、この身近な仲間が実は黒幕でした…って、ハリウッド映画はどれだけこの擦られまくってしょうもない展開が好きなんだろうかで大分興ざめ。

ベインの行動も、二作目で感じた常に悪者が様々な情報を持って先手を打って準備し行動し、ほとんど悪者の思い通りに進んで、バットマンと警察は間抜けかの様にもてあそばれて最後に逆転するという展開が似ていて既視感だし、これがどうにも乗って行けずで、結局はバットマンがボコボコになって、そこから立ち上がるという、正に「人はなぜ落ちるのか。這い上がるためだ」という言葉を見せる為の展開で、それを見せる為が先行しているのが気になり過ぎて乗れないまま。
ゴッサム・シティの全警官を動員して生き埋めにされる展開は流石に笑ってしまったし、あれだけ各地で多くの爆破物を仕掛けているのに誰も気付かず成功するとか、二作目のジョーカーの時もそうだったけれどゴッサム・シティの人って本当に大量の爆破物を気付かないんだよね。
そのゴッサム・シティの人々って二作目の時は市民によって正義が行われる事を信じても良いという話になっていたのに、この映画では爆弾で脅されているとは言え、ベインがゴッサム・シティを支配した後に抵抗してるのは小規模の警察だけで市民の抵抗が一切無いとか、この「市民なんて結局こんなもの。正義を行うのは警察とバットマンだけ」になってしまっていたのが物凄くガッカリだった。

このベインが簡単にゴッサム・シティを掌握出来たのって都合良過ぎるなぁ…と思っていたけれど、これ何でなんだろう?と思って少し腑に落ちたのは、多分「No Man’s Land」をやりたかったからなんだろうと思ったから。
「No Man’s Land」はバットマンの話の中でも有名で、地震で崩壊したゴッサム・シティを隔離して数か月でゴッサム・シティがヴィラン達の支配下となり、バットマンは現れないって、この映画の展開と似ている。

それに終盤でベインが支配しているのにブルース・ウェインが怪我してバットマンが現れない、何だかまごついて結構退屈な場面とかも「Knightfall」をやりたかったからなはず。
「Knightfall」も有名な話で、正にベインによってアーカム・アサイラムの収容者を全員解放し、バットマンを弱らせて襲って背骨を折って活動出来なくさせて、そこからバットマンが復活して来るという話だったけれど、これまで独自路線のオリジナル要素が多かったダークナイト・トリロジーで最後の三作目で急にアメコミの話を多用したり話の軸にしたのって何でだろ?

ベインもアメコミだとバットマンの背骨をへし折った強敵として有名ではあるけれど、いざ実際に実写化するとヘンテコなマスク付けてアフレコの様な加工した声で話す、とにかく肉弾戦のマッチョマンの感じがしょっぱくて何だかなぁ…な感じだったし、どうでもいい演説が非常にウザかった。
本来ならいよいよバットマンとベインの直接対決で一番の盛り上がり所となるはずの市庁舎前での対決が、周りは大勢過ぎる警官達と囚人達の殴り合いはコントっぽいし、しかも昼間のバットマンはやっぱり珍奇なコスプレ野郎にしか見えずでしょっぱい感じで笑えてしまった。
それに、話はずっとバットマン対ベインで煽っておいたのに、最後は突然セリーナ・カイルが現れて銃をぶっ放して、ベインは死んだの?どうなったの?も分からないままで終わって、急に黒幕になったタリアの方に話が移行するのでベインが実は当て馬だったと分かって尻すぼみ感が半端無かった。

あと、気になったのはバットマンの正体を知っている知らない問題。
二作目がバットマンの正体は誰だ?が話の重要な要素になっていたけれど、今作では大分バットマンの正体が結構な人にばれていて、ジョン・ブレイクが自分も孤児だから見ぬけたという大分無茶な理由でブルース・ウェインだと見抜いたり、セリーナ・カイルはブルース・ウェインを破滅させる情報を売っていて信用なんてあったものでもないのに何故か信用して正体もバレるのは気にしていなかったり、影の同盟側は正体を知っていて、だけれど世間にはばらさないとか、何よりあれだけ身近で行動を共にしている勘の鋭いはずのジェームズ・ゴードンがバットマンの正体に最後まで全く気付いていなかったとか何の冗談?だった。
バットマンの装備や乗り物があれだけ金かかっていたり超技術なのに資金力や技術力を考えてブルース・ウェインでは?と言う話が一切出て来ないし、ブルース・ウェインが引きこもって表に出て来なくなったらバットマンも消えてしまったのに誰も怪しまないとか、やっぱりゴッサム・シティの人々って馬鹿なんじゃないかと思ってしまった。

それと時間のいい加減さも。
最後核融合爆弾が爆発するまで後一分位なのに、ザ・バットに爆弾引っ張らせて海の沖合まで行くのに一分以上かかっているのに都合良く爆発しないとか、途中でも昼間で明るかったのに数分後には真っ暗な夜になっていたり、夜だったのが急に朝になったりと時間の扱い方が結構いい加減だった。

この映画、最後のこの後も続く様な締め方は好きでシリーズを締めるには上手い終わりだったのだけれど、一作目と二作目を足した焼き直し感を感じて結構飽きてしまったし、ベインの魅力も無いし、シリーズを通してそれまで正義だ悪だ、バットマンのその後をどうするのかをやっていたのに、結局バットマン万歳!で後継者の一人のヒーローが誕生する可能性だけで終わるのってどうなの?とは思ってしまった。

☆☆★★★
 
 
関連:バットマン ビギンズ
   ダークナイト

ダークナイト

2022年08月29日 月曜日

クリストファー・ノーラン製作・監督・脚本、クリスチャン・ベール主演の2008年の映画「ダークナイトThe Dark Knight)」
ダークナイト トリロジーの二作目。

ブルース・ウェインはバットマンとして活動し始めた事で汚職が蔓延るゴッサム・シティの中でもゴッサム市警のジム・ゴードンがバットマンに協力し、検事のハービー・デントも犯罪撲滅に熱心になり、徐々に犯罪者達が捕まり始めていた。
そんな中に謎の犯罪者ジョーカーが現れてゴッサム・シティのマフィア達の金を盗み出した。
対策を話し合うマフィア達の元にジョーカーが現れ、マフィア達が追い詰められ始めている元凶であるバットマンを殺すので金をよこせと要求して来た。
マフィア達がジョーカーの提案を受け入れるとジョーカーはバットマンが正体を明かすまで市民を殺し続けると脅迫し出した。

Amazon プライムビデオでダークナイト・トリロジーの配信が終わりそうで、確か以前に一作目の「バットマン ビギンズ」を見たはずだったけれど、それ以降は見た記憶が無かったので、一作目から続けて見てみた。
世間ではこの映画が傑作だとやたらと評価が高いのを知っていたので異常な程に期待が高かったり、こっちもどんなもんだ?と構え過ぎて見てしまったからか、確かにおもしろかったけれどそこまでなのかとも思ってもしまって、わたしの中では結構微妙な所になってしまった。

一作目よりもブルース・ウェイン周りの人間をじっくりと描き、特にジェームズ・ゴードンやハービー・デントが良い者側の主人公じゃないかと思える位に描き、そこに正にジョーカー的に神出鬼没であらゆる事が自由自在のジョーカーという強烈な悪役が出て来てバットマン対ジョーカーの映画としては非常におもしろかった。

そのジェームズ・ゴードン、ハービー・デント、ジョーカーが強烈な分だけブルース・ウェインやバットマンの存在が薄くなり、バットマンは活躍しているけれど見終わると何かバットマンの印象が薄い感じで終わってしまい、強烈な主人公バットマンの映画と言うよりも群像劇感でバットマンが物足りない気がした。

それに、この映画がジョーカーが常に先手を打ってかき乱すという映画なので当然なんだけれど、「ジョーカー出て来る → 皆で追いかける → ジョーカー逃げ切る」とか、「ジョーカー捕まる → ジョーカー逃げる」という展開が結構続き、これだと「バットマンや警察側がやりました!」の展開の次に「バットマンや警察側がやられました…」の展開になってバットマンや警察側が間抜けに見えて来てしまったり、ジョーカーがやたらと用意周到過ぎで、実行には大勢の人が必要だったり、時間をかけないと無理だろという事も短時間で出来てしまっている展開の為の都合の良さがどうにも乗って行けない部分だった。
流石に建物が倒壊する位の大量の爆薬を病院に仕掛けているのに誰一人として気付く事無く爆破成功させていたけれど、爆破という派手な映像やジョーカーを見せる為の見せ場として必要だとしても、ちょっと見せ場の為の都合の良さを感じてしまって結構白けてしまったし。
元々わたしが他の映画やドラマでも行っちゃってる犯罪者が常に先手を取って、賢いはずの主人公側の人々が翻弄されまくるという展開になると物凄く醒めてしまうからというのもあるんだけれど、このジョーカーの感じは終始乗っていけなかった。

後から思い返すと香港でのやり取りって展開上別に必要無かったのでは?と思ったけれど、これってバットマンの見せ場が少ないからバットマンを見せる為に入れたのかな?とも思った。

あと不満だったのが、ヒース・レジャーのジョーカーは行っちゃってるヤバさは抜群なんだけれど、ジョーカーなのにジョークは言わないし、変なブラックユーモア的な事をしない終始真面目なジョーカーだった事。
だったら別にジョーカーでなくともよくない?と思ってしまった。
ジョークだったらアルフレッド・ペニーワースの方がジョーカーだったし。

笑ってしまったのがバットマンの方で、バットモービルで頑張らないといけない時に運転席が前の方に潜って行って、そっちの方が運転し辛いんじゃないの?と思う変形マシン感とか、そのバットモービルが大破すると中から無傷でバットポッド出て来たりとか実用感は無い無駄に凝っているのが最早ふざけてる様に思えてしまったし、犯罪者には強いのに犬に何度もやられまくるのには笑ってしまい、特に何度も犬にやられるって何か意味があったのかしらん。
ジョーカーの捕まって逃げる展開とか、この犬にやられるとか、一作の映画内で何度も同じ事を繰り返すのって何の必要性なんだろうとずっと考えてしまった位必要無い天丼に思えた。

それと一作目に続きスケアクロウになってしまったジョナサン・クレインも出て来たけれど、これではただの薬物の売人になってしまっていて、結局一作目のジョナサン・クレインが何をしたかったのかとかはよく分からないままだし、一作目でお座なりな退場だったので続編でけり付けましたよ的に逮捕されて終わりというちょっとの出演にも笑ってしまった。

もう一つ不満だったのが、レイチェル・ドーズ。
役者が一作目のケイティ・ホームズからマギー・ジレンホールに変わっていて、役者の降板は仕方ないとは言え流石に続編で別人はキツイよなぁ。
一作目でのケイティ・ホームズが結構酷評されたらしく、ゴールデンラズベリー賞で最低助演女優賞に入れられてしまった位だったから首切れたのかなぁ?
だけれど後任のマギー・ジレンホールが良いという訳でもなく、このレイチェル・ドーズを見ていても大富豪でバットマンのブルース・ウェインとゴッサム・シティの正義の顔になって来たハービー・デントの二人が惚れていたのが全然よく分からない魅力が見えて来ない人物なのはどうなの?
ブルース・ウェインは幼馴染というのはあるけれど、今回はレイチェル・ドーズの検事としての活躍がほぼ無しでハービー・デントは何に惚れたんだろう?

そう言えば、一作目でゴッサム・シティに高架鉄道が行き渡っていたけれど今回はその高架鉄道が無くなっていたのは前回で酷い使われた方して終点近くの一部が壊れたので全線廃止にしたんだろうか?
特に説明も無く、一作目の無かった事感が凄かった。

この映画、大失敗はわたしがこの映画の公開時位の時期に見なかった事。
映画はバットマン対ジョーカーとしてはおもしろいのだけれど、公開から既に十五年近く経って世間のやたらと傑作だという意見を知ってしまってからの異常な程の高い期待から見てしまったので、逆にそうか?になってしまった。
この映画でのバットマンとジョーカーは表裏一体とか、正義と悪との曖昧さとかや葛藤ってアメコミのバットマンでずっとやっている印象があるからか、そのバットマンとジョーカーを描いたアメコミ映画としては良く出来た映画だとは思ったけれど、寧ろバットマンっぽいしアメコミっぽいけれどそれ以上なんだろうか?とは思ったし、既に三部作と知っているので三作目でどう締めるんだろう?が先にあるからか中間地点の二作目だと思って見てしまってそんなでもなくなったのだろうかで見る前の異常に高かった期待値を超えなかったのだろうなぁ。

☆☆☆★★
 
 
関連:バットマン ビギンズ
   ダークナイト ライジング

バットマン ビギンズ

2022年08月27日 土曜日

クリストファー・ノーラン監督・脚本、クリスチャン・ベール主演の2005年の映画「バットマン ビギンズ(Batman Begins)」
DCコミックスのバットマンの映画化。
ダークナイト トリロジーの一作目。

ゴッサム・シティで大企業ウェイン産業を所有しているトーマス・ウェインは妻との息子ブルース・ウェインとでオペラを見に行き強盗にあってウェイン夫妻は殺されてしまい、幼いブルース・ウェインだけが生き残った。
大人になったブルース・ウェインは犯罪者と戦う為に世界を放浪して犯罪者達の中に潜り込んで犯罪者の考えや行動を学んでいたが逮捕され収監された。
そのブルース・ウェインの下にラーズ・アル・グールの代理人が現れ、悪と戦う組織影の同盟へと勧誘された。
ブルース・ウェインはヒマラヤへと赴き、影の同盟に戦い方を教わった。
影の同盟はブルース・ウェインが組織に加わる為に殺人犯の処刑を命じたがブルース・ウェインは拒否し、影の同盟の拠点を破壊してしまった。
ゴッサム・シティに戻ったブルース・ウェインはウェイン産業に入ってウェイン産業の技術を使って装備を集め、犯罪者に恐怖を印象付けるためにバットマンとして犯罪者と戦い始めた。

以前、この映画を見た事がある気がするのだけれど、Amazon プライムビデオでダークナイト トリロジーの三作の配信が終わりそうだったので一作目から見てみる事にした。

題名通りにブルース・ウェインがどういう境遇で、何を思ってバットマンになっていったのかをじっくり描いていて、アクションもありつつブルース・ウェインを中心とした人間関係やそれぞの人物の葛藤や想い等が軸として描かれ、人間ドラマとしても非常におもしろかった。

父親がゴッサム・シティを何とかしようとしていたのに殺されてしまい、その思いを受け継いでゴッサム・シティを救う為にバットマンになるブルース・ウェインの動機が分かりやすく描かれ、ルーシャス・フォックスの協力を得てバットマンの装備を集めたり、アルフレッド・ペニーワースとバットマンの装備やバットケイブを作って行く工程とかはワクワクしたし、堕落した警察の中で何とかやっているジェームズ・ゴードンを味方につけて行ったりと、孤独なダークヒーローの印象がありそうなバットマンって、アメコミの方でもバッツファミリーと言われている位協力者や仲間が多いというのも描いていて、バットマンとその周辺が作られて行く過程がちゃんと描かれていて良く出来ていた。

ただ、じっくりと現実味で描いて行く分だけに引っ掛かる部分が出て来ると結構つまづいてしまった。
影の同盟がヒマラヤで忍者で行き成り「う~ん…」となったし、渡辺謙のラーズ・アル・グールは偽物でリーアム・ニーソンが本物のラーズ・アル・グールでした…が「だから何?」でこの意図がよく分からなかったし、結局渡辺謙のラーズ・アル・グールって何の目的でラーズ・アル・グールを演じていたのかもよく分からず、この偽ラーズ・アル・グールを出す必要性がさっぱり分からなかった。

スケアクロウになったジョナサン・クレインも、アーカム・アサイラムで収容者を使って何かの実験をしていたみたいだけれどそこは深堀されず、あの不思議な粉はどうやって作ったのかとか、金で影の同盟に協力したとかは言っていたけれどそもそもの動機がよく分からず、結局スケアクロウもジョナサン・クレインもよく分からないままでお座なり。

前半で両親の殺害の犯人がジョー・チルで、ジョー・チルはカーマイン・ファルコーニに繋がり、ファルコーニからブルース・ウェインがバットマンになって行くというのを描いていたから後半でこの流れの決着をつけるのかと思いきや、ファルコーニは薬でおかしくなりました…で以降は全く描かれずで、前半の大事な流れの結末が描かれないのも不満。

この色々な要素を入れて色々出しておきながら後がお座なりって脚本家のデヴィッド・S・ゴイヤーっぽいと言うか、デヴィッド・S・ゴイヤー臭がすると言うか、わたしのデヴィッド・S・ゴイヤーの評価が極端に低いからそう感じたのかしれないけれど、実際この映画以降の続編の二作はデヴィッド・S・ゴイヤーは原案だけで脚本には入っていないので、そういう事だったのかと思う。

それにバットマンの映画だから仕方ないとは言え、あれだけ前半をじっくり描いて、ゴッサム・シティに戻って「さぁブルース・ウェインどうするの?」となった時にバットマンのスーツを作り、コウモリ型のバットラングを一つ一つ手作りで作る非常に変質的な程のマニアックさはやっぱりヘンテコな感じ。
バットマンが出て来るとどうしても珍奇なコスプレ自警団になってしまうので、それまでの流れが急にぶっ壊れる感じが少々あった。
ここまで現実感で作ったのなら思い切ってバットマンの造形をもっと変えても良かったのでは?とも思ってしまった。

あと、脇を濃いベテランの役者陣で固めていて、登場人物が新たに出て来る度にニヤニヤしてしまった。
マイケル・ケイン、リーアム・ニーソン、ゲイリー・オールドマンモーガン・フリーマンルトガー・ハウアーと彼らの存在で映像的にも重厚さが出ていたのは間違いないけれど、揃えた感と言うか、配役に力入れました感が凄くて、その濃厚さでニヤニヤ。
ケイティ・ホームズはわたしはそんなでもなく、それよりもスケアクロウ役のキリアン・マーフィーがベテラン陣に負けず濃さを発揮していた感じがした。

見ていて感じたのは、ゴッサム・シティって現実のニューヨークのあだ名だからニューヨークの印象があるのかなと思ったけれど、何だかシカゴっぽかった事。
この映画で架空の高架鉄道を走らせていたけれど、実際のシカゴでも高架鉄道のシカゴ・Lが走っていて、アメリカで高架鉄道と言えばシカゴの印象になっているからで、この映画での実際の撮影もシカゴでの撮影が多かったそうだけれどシカゴで撮影するから高架鉄道を映画に入れたのか、高架鉄道の発想が先で、じゃあ撮影はシカゴにしようだったのか、どっちなんだろう?

それと、エンド・クレジットでは「BATMAN CREATED BY BOB KANE」と出ていて、この2005年の時でもまだボブ・ケインだけでビル・フィンガーはクレジットされていない時だったか…と、良くない方のバットマンの闇を最後に感じてしまった。

この映画、じっくりとバットマンの誕生を描き、クリスチャン・ベールを始め役者陣の濃さで見応えがあるし、ちゃんとバットマンが活躍して悪者を倒すヒーロー映画にもなっているし、ガジェットの楽しさもあるし、次回作のジョーカーの登場を期待させて終わるなんて抜群の締めだしで、バットマンの一作目の映画としては非常に良かった。

☆☆☆★★
 
 
関連:ダークナイト
   ダークナイト ライジング