導火線 FLASH POINT

2022年08月26日 金曜日

ウィルソン・イップ監督、ドニー・イェン製作・主演の2007年の香港映画「導火線 FLASH POINT」

1997年の中国返還前の香港。
マー刑事と相棒ウィルソン刑事は三兄弟の犯罪者を逮捕する為に捜査をしており、ウィルソン刑事は三兄弟の仲間となり潜入捜査をしていた。
警察は三兄弟の長男を逮捕する事は出来たが、ウィルソンが刑事だとバレてしまい、次男と三男は逃げ延びてウィルソンが裁判で証言しない様にウィルソンの彼女を誘拐した。
彼女を救い出す為にウィルソンは敵のアジトへと行くが、マー刑事は裁判が取り下げられて自由となった長男を人質に取ってウィルソンを救い出しに行った。

ドニー・イェンのアクション映画っぽかったので見てみたら、初めの場面でドニー・イェンが総合格闘技的な締め技を見せて、この掴みのアクションのおもしろさで一気に興味を持ったのだけれど、これ以降が退屈する話が延々と続き、最後の最後でやっとドニー・イェンのアクションを出しては来るのにそこまでが持たずで大分いまいち。

ドニー・イェンが主演のはずで、最後もドニー・イェンのアクションを見せまくるのだけれど、話はルイス・クー演じるウィルソン刑事の話ばかりで、この映画のほとんどはウィルソン刑事が主人公の話。
二人の刑事の関係性を見せるにはドニー・イェンとルイス・クーの配分が極端で、序盤から終盤までウィルソン刑事の話なのに初めと終わりの美味しい所だけをドニー・イェンが持って行ってしまう感じで、何を見せたいのかが分からない焦点の当て方。

話自体も潜入捜査をしていた刑事の正体がバレて復讐されるという非常に分かりやすい話なのに、展開がやたらとゆったりして非常にまどろっこしくておもしろくなく、見せ場もほぼ無いままで大分退屈で集中力は切れてしまった。

これだけ話をじっくりと描いているのに話は結構お座なり。
敵の三兄弟はほぼ三兄弟だけでやっていてこじんまりとした犯罪者にしか見えず、結局三兄弟は何をしていて、何をしたいのかがいまいち分からないので悪役として弱い。
ウィルソン刑事が潜入捜査官だとバレてしまうのだけれど、何故バレたのか、次男は何を不審に思って気付いたのかとかは全然描かれない。
マー刑事はやり過ぎな捜査で犯罪者をボコボコにし過ぎて音楽隊に転属になり、そこに母親が会いに来るとかの背景も見せているけれど、終盤でマー刑事が怒って三男を殺してしまうのも初めの設定が無くてもそりゃあ怒るだろ…だし、母親も多分マー刑事の母親と三兄弟の母親の対比を見せたかったのだろうけれど、それがほぼ活きていないとか、脚本がどうにも練られていない感ばかり。

ただ、最後のドニー・イェン対コリン・チョウのアクション場面は見もの。
と言うか、ここまでを早送って、色々あってコリン・チョウが悪い犯罪者でドニー・イェンが良い者の刑事とさえ分れば、このアクション場面だけを見てもいいと思う位。
殴る蹴るはカンフーの土台があるのだろうけれど、そこにマウントポジションから殴りを防御したり、腕ひしぎ十字固めや三角締等の関節技や一本背負い等の投げ技や寝技等色んな格闘技を混ぜたアクションをやっていて、これの見応えは凄い。
最後にこれで映画を一気に爆発させようとする意図は分かるけれど、これまでにほとんどドニー・イェンのアクションが無いのはキツくて、アクションの配分も悪い。

その敵役のコリン・チョウって、マトリックスシリーズでセラフ役だった人か。
あんまりピンと来なかったのは、セラフって終始サングラスを付けていたからなのか。
この映画のコリン・チョウを見ていたら、この人目が小さいなぁ…とは思ったけれど。

あと思ったのが、何故この映画の時代が1997年の中国返還前である必要があったのかと疑問だった。
設定とか展開とか、途中途中で黒色にフェードアウトしたり、音楽の演出とかから勝手に1990年代前後の香港ノワールの雰囲気を出したいからの舞台設定なのかな?とは思った。

この映画、軸となる話で退屈してしまい、ほとんどはドニー・イェンが主人公ではないのに最後にドニー・イェンを見せる為の一番の見せ場を作っているので結局全体的に何だかチグハグな印象になってしまい、話はどうでもいいので最後のドニー・イェンのアクションだけ見てもいいかもしれない映画だった。

☆☆★★★

インターステラー

2022年08月11日 木曜日

クリストファー・ノーラン製作・監督・脚本、マシュー・マコノヒー主演の2014年の映画「インターステラーInterstellar)」

近未来の地球では異常気象や植物の病気で食糧危機が起こり世界は衰退していた。
元パイロットだったジョセフ・クーパーは父親と息子と娘で農場を営んでいた。
ジョセフ・クーパーの娘は以前から家に幽霊がいると言っており、ジョセフ・クーパーはそれを信じていなかったが娘は本が本棚から落ちる現象を調べていた。
やがてジョセフ・クーパーはそれが何かの情報ではないかと気付き、その情報は位置を示しており、ジョセフ・クーパーと娘がそこに向かうと秘密の施設があり捕らわれてしまった。
その施設は以前に解体されたはずのNASAの研究施設で、このままでは地球の植物が全滅して人類は滅んでしまうと考えたNASAの人々は、数十年前に土星付近に突如現れたワームホールを通って別の恒星系へと行き、人間が居住可能な惑星を探すラザロ計画を行なっていた。
ジョセフ・クーパーはその宇宙船のパイロットとして誘われ、家族を残して長期間の宇宙探査へと向かう事にした。

わたしの前知識としてはクリストファー・ノーランの宇宙モノのSF映画位で見てみて、その宇宙モノのハードSFに前半から掴まれっぱなしでずっと見入って非常におもしろかったのだけれど、終盤の伏線を回収する為の一気な都合の良さで白けてしまい、見終わった後は何だかなぁ…で一杯になってしまった。

導入から、アメリカの片田舎の生活を描いているのだけれど所々で現実とは違う世界というのを見せ、この世界は一体どうなっているんだ?のミステリー的な見せ方に捕まれ、そこから一気に王道の地球外移住の宇宙探査モノになり、宇宙航行にワームホールに未知の惑星にブラックホールとハードSFを映像で見せるのが非常に上手くて集中力が切れる事無く見入っていた。
宇宙船のドッキング場面はサスペンスとスペクタクルだし、宇宙船を回転させて遠心力で宇宙船に重力を作るのを詳しく見せたり、宇宙船が回転しているので窓から回転している地球が見えているとか、宇宙船に付けたカメラ視点の映像なので周囲が動いているとか、映像的にも非常におもしろかった。
ワームホールは他の恒星系が歪んでいたり、未知の惑星では巨大な津波だったり、雲が凍って上も大地の様とかの映像も良く、この景色が歪むとか上下が分からないとかの映像ってクリストファー・ノーラン好きだよなぁと思って見ていた。

ただ、あれ?と思う部分も結構多く、わたしが嫌いなハリウッド映画によくある典型とかも引っ掛かる部分でもあった。
彼らはトンデモない技術力を持っているのに何故か直接接触して来ないハリウッドのファーストコンタクトモノの典型。
モールス信号最強!のハリウッド映画の典型。
ブラックホールの近くの惑星は重力が強いのに探査船のジェット噴射で引力圏外に出ていたけれど、そこより重力が弱い地球から出る時は何段式のロケットが必要だったのは何?
何故かワームホールを抜けて向こうからやって来る電磁波は受信出来るけれど、器機の故障なのかこちらからの送信は出来ない?向こうが受信出来ていない?という都合の良い制限された状況。
先発隊も主人公達も惑星の静止軌道上で停泊して無人探査船を惑星に送り込んで調べてから人間が行くとか一切せず、常にイチかバチかで突っ込んで行く無謀さ。頭の悪さ。
ブランド教授はブラックホール内部の情報が無いと重力の方程式が解けず、多くの人間が住めるスペースコロニーを送り出せないと言っているけれど、これが意味不明で、宇宙船を何度もワームホールへと送り出しているのだから何度も部品を運んで向こうで組み立てて、現状でもやっている遠心力で重力を作り出せばいいのに何故それは出来ないの?
と等々、気に出したら引っ掛かる事ばかりが増えて行った。

極めつけが最後の主人公がブラックホールに落ちた以降で、まあ何かの意思?生命体?が五次元空間を作り出したのはそういうものだろう…と納得はしつつもSFというよりもファンタジー的になってしまって興味が薄れてしまい、こういうモノだからこういうモノなんです!に置いてけ堀感があり、特にあれだけの技術力?なのに何故か主人公が行けるのは本棚の裏だけという展開の都合上の便利さに、トンデモない情報量のデータをモールス信号に変換して腕時計で送るとか、そもそもどうやって腕時計の内部構造に干渉して、どうやって腕時計の内部の機械構造を規則的なモールス信号の動きにしているの?とかは都合良く一切説明しないし、ワームホールから大分離れた所にあったブラックホールから出たら土星のワームホール付近にいる便利さとか、ここまで結構なハードSFで進めていたのに突然説明をぶん投げたファンタジーで片付けてしまい、これって伏線を上手く回収して主人公を帰還させる為だけの脚本の都合上の展開にしか思えず一気に醒めてしまった。
最近「伏線回収」が見え透いてしまう展開が非常に駄目で、お笑いとかでも「伏線回収」しているのが分かると一気に醒めるし、「伏線回収」という言葉自体が陳腐に思えて嫌いになっている事もあるのかなぁ。

それに、愛の物語としても微妙。
主人公の娘への愛は分かるけれど、主人公の父親や息子への愛がほとんど描かれておらず、「娘大好き!親父と息子?何それ?」な主人公は一体何なんだろう?
主人公の父親に対する想いはさっぱり分からず、自分勝手に家を出て行く主人公が息子に「家族を守ってくれ」と言い、それを律儀に農場を守っていた息子に対する愛情は全然無く、主人公が帰還した後娘が生きている事を知って嬉しがっていたけれど「息子はどうなった?」さえ聞かない父親って何?
この主人公の親父と息子への無関心さが怖かったし、クリストファー・ノーランのこの親父と息子への興味無さが怖かった。

あと、後半になって突然マット・デイモンが登場してちょっと驚きで、わたしはマット・デイモンが出演している事を知らなかったので行き成りちょっとだけの役で出て来て笑ってしまったのだけれど、それ以上にそこまで散々天才だ!天才だ!と振りに振っていたマン博士役がマット・デイモンで、そのマット・デイモンはやっぱり天才には見えず、冴えない大学生位にしか見えず、きっちりドッキングしていないエアロック開けて吹っ飛んで終わる、やっぱり頭の悪い人物で、天才マン博士役としては全くの配役ミスだけれど頭の悪いかき乱し役のコメディリリーフとしては良かったかも。

最後に主人公が宇宙船に乗って宇宙に出て行こうとする場面を見て、クリストファー・ノーランってスター・ウォーズが好きなのかな?と思った。
それまで白い宇宙服だったのが急に黒い宇宙服で成長したルーク・スカイウォーカーかよと思ったし、宇宙船の前に主人公が乗って後部座席にTARSが乗ってるって、ルーク・スカイウォーカーとR2-D2のXウイングだし。

主人公のマシュー・マコノヒーは最近見た1997年の映画「コンタクト」での軽い感じから二十年位経って渋さが出て良い感じになっているなぁと思ったけれど、歳を取ってからのトム・クルーズノア・ワイリーに似ている気がして変な集中力の削がれがあった。

あの元海兵隊が使っていたロボットTARSの造形は今までに無い、良くも悪くも斬新な箱型ロボットというのはおもしろかった。
ただ、あの形って地上でも宇宙空間でも邪魔だし、変形すると突如高速に機敏に動いてはいたけれど通常では動きが悪そうで、あの構造であの動きだと床が傷だらけになって文句しか言われなさそうで、何であんな形なのかと思った。
もしかすると、話が最終的に新版「2001年宇宙の旅」みたいになって、何でそこまで「2001年宇宙の旅」に捕らわれているの?と残念ではあったけれど、あの四角いロボットってモノリスから来ていたのだろうか?

この映画、前半中盤のハードSFとしては非常におもしろかったけれど、最後の「伏線回収」の為の展開で急に白けてしまい、娘だけにしか興味が無く息子は気にかけず、アメリア・ブランドに自分を受け入れてもらえる自信しかなく宇宙に出て行く主人公が急に怖くなってしまって、見終わると何だかなぁ…な感じになってしまう映画でした。

☆☆☆★★

紀元前1万年

2022年08月05日 金曜日

ローランド・エメリッヒ製作・監督・脚本、スティーヴン・ストレイト主演の2008年の映画「紀元前1万年10,000 BC)」

紀元前1万年のある地域に暮らすヤガル族の村にヤガル族とは違う青い目の少女エバレットが現れ、巫女はそのエバレットがヤガル族の未来を導く存在だと言う。
ヤガル族のデレーはエバレットに惚れるが、突如現れた他部族の部隊にエバレットとヤガル族の人々が拉致されてしまったので数人の仲間と共にデレーはエバレットを救い出す旅に出た。

ローランド・エメリッヒの映画という事で見てみたのだけれど、ローランド・エメリッヒの凄さを感じてしまった映画。
こんな酷い内容でも企画を通せ、多額の製作費を集められ、ちゃんと完成させて世界公開出来るって、ローランド・エメリッヒの映画製作能力の半端無さったらない。
そこが凄過ぎるんだけれど、肝心の内容は大味なローランド・エメリッヒ映画でも相当大味で、見せ場もいまいち過ぎてつまらない。
軸となる話は非常に分かり易いけれど細部や謎に関する説明は放棄して結局何なのか分からないままで終わってしまう事が多く、それもあってどの人物も役が立ちそうな感じだけれど印象に残らず、早い段階から興味は湧かず、見終わってもつまらないまま。

話の軸は惚れた女性を取り戻しに行くというだけの話で、ここはすんなり入って来るのだけれど、それ以外の部分がさっぱり分からない事だらけ。
ヤガル族は雪山に住んでいるのに隙間が空いたスカスカの服で寒くないの?
ただでさえ食べ物が無いと言っているのに、何であんな何も無い荒野のど真ん中に住んでいるの?
他部族は大分遠くまで時間をかけて出かけて来て、少人数で少人数を捕虜にして、また時間をかけて自分の領地まで戻る効率の悪さや、何故そこまでして遠征や手間暇をかけるのか?
他部族の部隊は後の大勢の人々はほったらかしにして去っているけれど、案の定追跡されて、そもそも近場で全員捕虜にすればあんなに遠征しなくていいじゃん。
雪山の直ぐ側にジャングルがあり、そのジャングルを抜けると直ぐ荒野って、まるで狭いオープンワールドのゲームで変化を出す為に継ぎ接ぎした様な世界設定。
ピラミッドを作っていた部族はあれだけの他部族の捕虜がいるのに、どうやって反乱も無く抑えられていたのかよく分からないし、あれだけの数のマンモスを手懐けられている技術?もよく分からず。
神だと言う人間がいたけれど、何で神だと言っているだけで捕虜達が従っているのかも不明。
主人公の父親が出て行った理由も結局よく分からないし、エバレットに関する事も出自とか、青い目の子供の予言の意味とか、エバレットの死んでから生き返る意味とか、全部放棄。

題名の「紀元前1万年」にミスリードされてしまって、この時代に鉄器とかピラミッドとか有り得ないと思ってしまったけれど、現実ではないローランド・エメリッヒ世界のファンタジーだと思って見ればそうなんだろう。
初めにドレッドヘアーで現代英語を喋っている石器時代人という時点で石器時代コントにしか思えなかったし。

ただ、主人公の父親が出て行った理由が曖昧だったり、エバレットの予言の種明かしが一切無かったり、そもそも青い目の子供って何だったの?だし、ピラミッド部族の支配者?が全然顔を見せず、やたらと背が高く、やたらと星の印を気にしていたので、例えば実は宇宙人だったとか何かがあるのかと思いきや何もないまま槍で串刺しで死亡とか、思わせ振りに入れに入れ込んで引っ張りまくっていたのに何も無いままって、脚本としてどうなの?
これって、ローランド・エメリッヒが最後の方でまとめる時に忘れていたとか、面倒臭くなったので放棄した感じがするんだけれど…。

あと、映像も結構酷い。
2008年の映画なのに序盤から背景と人物の合成が浮いていて、非常に安っぽいクロマキー合成みたいな映像の場面があったり、ジャングルの場面は背の高い草を画面の前に持って来て、今誰が何をしているのかが分かり難かったり。

この映画、この内容の企画からこの映画を作れたローランド・エメリッヒの凄さを見る為の映画の気がして、映画自体はローランド・エメリッヒ映画でも最低の駄作だと思う。
ローランド・エメリッヒ映画って基本的に内容が無いけれど、もっと見せ場や上手く掴む感じだったはずだと思っていたんだけれどなぁ…。

★★★★★

ライフ(2017年)

2022年08月03日 水曜日

ダニエル・エスピノーサ監督、ジェイク・ジレンホール主演の2017年の映画「ライフ(Life)」

地球から送り出した無人火星探査機が火星の土を地球付近まで持ち帰り、その土を国際宇宙ステーションの中で乗組員達が分析を始めた。
土の中には単細胞生物がいた事が分かり、火星の気候を再現すると動き出した。
その生物は急激に大きくなり始め、知性らしきものも現れ始めた。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、表示されている画像が宇宙モノの現代SFっぽいという位の前知識で見てみたけれど、入りは良かったのに単なるエイリアン襲撃モノだったのでがっかり。

始まりは撮影に手間暇かけたんだろうなぁと思える宇宙ステーションでの無重量の映像が良く、火星の土の中に生物がいたという調査研究のハードSFな感じでじっくりと見せて行くので「これからどうなるんだろう?」で結構ワクワクして見ていた。
しかし、あの単細胞生物が急激に大きくなって動き出した所辺りからハードSF感が減って怪しさを感じていたけれど、生物が電流装置を壊して持ち出してグローブを破った所で「それはやり過ぎ…」で急激に興味が失せてしまった。
それ以降はこれまで擦られて来た密室でモンスターが襲って来るエイリアンモノでしかなくなって、まあ退屈。
てっきりハードSFだと思っていたのに、初めはハードSFだったのに、急にエイリアンが人々を襲って行く為だけのやたらと都合の良い設定や展開で全然つまらない。
単細胞から大きくなり過ぎとか、火星の環境下で生きていたはずの生物が何故か地球の大気下の無重量状態に速攻で完全に対応し周囲の機械や施設を完全に理解し行動していたり、強力な火を受けても全然平気とか、火星の生物なのに宇宙に出ても変わらず生きて行動出来ているとか、酸素が無い状況でも生きて行動しているのに宇宙ステーションの中で無酸素にすれば活動を休止するだろうとか、設定の都合の良さったら無い。
これって、単に生物を自由に動かして最後まで人々を襲わせ続ける展開の為だけに必要だったという事だけで、この生物感の無さと言うか、単なるファンタジーのモンスターでしかない感じが全然受け入れられないまま。
特に他の宇宙関連の技術は現代の物で結構しっかりと描いている分、このモンスターの都合の良い感じが余計に際立って醒めてしまった。

それにこの生物は初めのまだ小さい時から動き過ぎ、CGで動かし過ぎでこんな生物いないだろう感が一杯だった上に、成長して顔とか出て来たらその造形が如何にもデザイナーが考えた怖そうな生物感満載で更に醒めてしまった。
あの生物の蛸みたい造形って無重量状態だから動けていたし、海の中だと動けると思うけれど、火星の陸上で生きていたというのは相当無理があると思うのだけれど。

登場人物達も初めはそれぞれの背景を描いて人物を際立たせていたので、この人々の人間関係で見せて行くのかと思っていたら単なるモンスターパニック映画になってしまい、後から思うとこの人物描写って必要だった?ってなってしまった。

この映画、役者を集めて、お金をかけて、これまでに粗製乱造されて来た狭い場所でのエイリアン襲撃モノをした映画。
初めからそういう映画だとある程度知って見たらそこそこおもしろいのかもしれないけれど、前知識無しで序盤のハードSF感で期待して見てしまうと序盤を過ぎるとそれからは延々とつまらなくなってしまう。
真田広之が流石と思ったのは演技とかではなく、この映画のインタビューで「この夏は、お化け屋敷の代わりに『ライフ』を見てください」と言っていた事。
正にそう言う事で、これを始めに知っていたら、そういう映画として見れていたんだろうなぁ。
でも、それでもおもしろく見れたかと言えばそうではない気しかしない。

☆★★★★

スーサイド・スクワッド

2022年07月30日 土曜日

デヴィッド・エアー監督・脚本、ウィル・スミスジャレッド・レトマーゴット・ロビー出演の2016年のアメリカ映画「スーサイド・スクワッドSuicide Squad)」
DCコミックスの各キャラクターやスーサイド・スクワッドが原作。
DCエクステンデッド・ユニバースの三作目。

政府高官のアマンダ・ウォラーは特殊な能力を持ったメタヒューマン達への対策として犯罪者を使い、何か問題があれば使い捨てに出来る部隊を結成しようとしていた。
その部隊にデッドショットと呼ばれる殺し屋フロイド・ロートン。
ジョーカーの恋人ハーレイ・クイン。
キャプテン・ブーメラン、エル・ディアブロ、キラー・クロック、スリップノット達を集め、特殊部隊大佐リック・フラッグに率いらせた。
リック・フラッグは以前から考古学者ジューン・ムーンの警護に当たって恋仲となっていたが、ジューン・ムーンは遺跡でエンチャントレスと呼ばれる古代の魔女の魂の封印を解いた事でエンチャントレスに体を乗っ取られており、リック・フラッグはその事も知っていた。
エンチャントレスは心臓をアマンダ・ウォラーに取られて言う事を聞いていたが、アマンダ・ウォラーから心臓を取り返して逃亡。
人間達を支配しようと魔法を使って町を荒らしており、その対処の為に部隊が派遣される事となった。

Amazon プライムビデオで配信が終わりそうだったので、メン・イン・ブラックシリーズに続いてアメコミ原作映画、かつウィル・スミスの映画を続けて見てみた。
全然何も期待して見なかったからか結構おもしろくはあった。

各個人を紹介してスーサイド・スクワッドの結成。
そこから話は一本でエンチャントレスと戦うという非常に分かり易い展開で王道なチームヒーローモノをやっている。
ただ、スーサイド・スクワッドなので悪党が終結する使い捨て部隊と思って見たらそうではないので「何じゃ、こりゃ?」にはなるんだとも思った。

スーサイド・スクワッドはアメコミでは読んだ事は無く、DCヴィラン達を使ったヒーローチーム位の偏見だけれど、この映画だとヴィラン達がヴィランらしさがないと言うか、ヴィラン部分を大して描かないので小悪党感しかないし、徐々にヴィラン同士で友情が芽生えたのかで仲間感が出て来て、本当にDCヴィラン達を使ったヒーローチーム。
DCエクステンデッド・ユニバースの三作目という早い段階でこれをやる必要性ってあったのか?とは思う。
シリーズ全体で見たら、これならジャスティス・リーグに向けて各メンバーの個人映画をやった方が良かったと思うし、ある程度先に色んな映画でヴィランを顔見世で登場させて、そのヴィラン達を集めてスーサイド・スクワッドを作って、そのメンバーが次々と死んで行ってしまう映画でも良かったのでは?とも思ってしまった。
この映画でも各メンバーの背景がざっと描かれていたけれど、それなら最初にバーンとスーサイド・スクワッドの活躍を出して、後からそのメンバーの背景を一話使ってシリーズを進めて行く連続ドラマの方が良かったのでは?と見ていて思ったし。

この映画ではやたらとハーレイ・クインが良い!と言う話を見たけれど、わたしはそこの期待値が高過ぎたからなのか大してではあった。
ハーレイ・クインのジョークはおもしろくなかったし、ジョーカーとの関係も元々サイコパスな犯罪者同士の恋愛は興味無いし、何故ハーレイ・クインはそこまでジョーカーに惚れているのかが分からないし、ジョーカーも何故そこまでハーレイ・クインに入れ込んでいるのかが分からずで全然ハーレイ・クインに乗って行けなかった。
この映画でのジョーカーは孤高の道化感が無く、ハリウッド映画の悪役でよく出て来る頭のおかしいチンピラ感しかない物凄い小物感が何かしっくり来ず。
わたしのジョーカーの印象って、大嫌いで大好きなのがバットマンで、ハーレイ・クインは利用出来たら利用する位で大して興味が無い印象だからか、このジョーカーのハーレイ・クインに対する愛情や入れ込み方が物凄く気持ち悪かった。
ジョーカーの「俺の女に手を出すな!」と言う若いチンピラ感が凄い小物感になってしまっていたし。

このハーレイ・クインよりはデッドショットとか、キラー・クロックとか、エル・ディアブロとかの方が印象が強く、エル・ディアブロなんてほぼ自分で能力を制御出来ずに反省してひっそりと死んで行こうとしている哀しき能力者で、このダークヒーロー感の押し出しの強さったらない。
ただ、最後に能力が覚醒して謎のほねほね炎に変身するのは意味不明。
と言うか、この部隊の中でエル・ディアブロだけメタヒューマンが過ぎるのは何なのだろう?
他の人はキラー・クロックを除き普通の人じゃん。
精神科医だったのにやたらと身体能力が高くなり、飛んでいるヘリコプターからビルの屋上に飛び降りても全然平気なハーレイ・クインは普通の人間ではないか。

キラー・クロックは服を脱いだら意外とガタイが小さいのが気になった。
顔が大きい割に体は普通の人並みだったし。

あと、カタナのコスプレ感は凄かった。
役柄的に別にいらないし、あれっ?と思う程日本語の演技は下手だし、何だかよく分からない背景を台詞だけで入れ込むしで非常にしょっぱい。

おっ!と思ったのは、ハーレイ・クインとジョーカーで1999年のアメコミ「Batman: Harley Quinn」のアレックス・ロスのカバーアートを再現していた場面。
こういう映画でカバーアートの再現するのって好き。

以前から気になっているのが「Suicide」の表記や発音。
英語だと「súːəsὰɪd」なので「スーアサイド」に近いけれど、何故カタカナ表記は「スーサイド」なんだろうと。
「Suicide」なんだから「スーイサイド」でもいいのに、何故最初の「i」を無視して「スーサイド」なんだろう。

この映画、このノリでヒットしたのは分かるけれど、単にチームヒーローモノになってしまっていてDCヴィランを集めたスーサイド・スクワッドとしては意味があんまり無い様に思うし、やっぱりシリーズ三作目でこれをする意味が分からず、DCEUって何をしようとしていたんだろうか?とも思ってしまった。

☆☆☆★★
 
 
関連:マン・オブ・スティール
   アクアマン