2012-09

魔法にかけられて

2012年09月01日 土曜日

ディズニーの2007年の実写映画「魔法にかけられて(Enchanted)」。

ディズニー・アニメーションで散々描かれて来たベタな姫と王子というアニメーション世界の住人が、実写である現実の世界に来てしまい、てんやわんやになるお話。

本編前の「Walt Disney Pictures」のロゴのシンデレラ城までをグイングインとCGで見せる始まりから、そのまま城内の本まで一気に寄る演出で、すで掴まれる。しかも、その本は飛び出す絵本で、その本の中に入れば2Dアニメーションになり、CGから2Dアニメーションへの繋ぎも上手過ぎる。
ただその後の2Dアニメーションが余り良くない出来。背景は物凄く淡いのに、人物達はクッキリハッキリ、非常にデジタル作画っぽいし、ディズニーと言うよりは他社のアメリカンアニメーションっぽい。作画も劇場様にしては安っぽいし。そうなのに、どうやら2Dアニメーションは全編手描きらしい。やっぱり手描きで継続的に作っていないと技術は繋がらないし、進歩も望めないものなのか?手描きらしいけれど、CGを多用した前後に寄る演出はどうも浮いているし。これは日本のアニメでもCG使えるので使ってしまうが、前後の動きは2Dアニメーションだとどうも上手く見せていない気がする。

実写になってからも、いまいち感は拭えない。何より、アニメーション世界から現れたジゼル姫がアニメーションと全然顔が違い、しかも演じているエイミー・アダムスは実際この時33歳で、若い姫と言うのが無理あり過ぎ。人物の見た目もそうだけれど、綺麗なアニメーション世界から来たのに現実世界の違和感で戸惑う事も無く、アニメーション世界から来たのという説得力は無く、単に30歳位のコスプレしている痛い人にしか見えない。言動も明らかに夢の国の住人で、どう見てもどっかの病院から抜け出して来たか、薬物中毒にしか見えないのに、周りの人が意外と普通に接していて、現実の人間のおかしさばかりが目立ってしまう。
このアニメーション世界の住人が現実世界にやって来て、そのアニメーション世界の非現実さをくさして笑わせるというのを期待していたけれど、そこはディズニー映画でしかなく、パロディにはしているけれど緩い、子供向けの笑いでしかない。ただ、ジゼルが水槽の水飲んで熱帯魚を吐き出すとか、アニメーション世界の住人でも意味が分からない。現実世界にリスが来た時点で、子供向け映画と気付くべきか。
それに、この昔話の王子が原題のニューヨークにやって来るって、「ニューヨークの恋人」ですでにしているから、その異質感をした所で今更というのもある。

ミュージカル映画なのだけれど、歌う人はアニメーション世界の人々だけで、普通の人間ではないからだから歌うという、ミュージカル映画の馬鹿らしさを補完する説得力を持たせるのかと思いきや、ミュージカルになると周りの現実世界の人間も頭がおかしくなりミュージカルに参加してしまい、それにパトリック・デンプシーは戸惑っているのに突っ込む事もないという、結局普通のミュージカル映画でしかないのは非常に残念。折角のアニメーション世界の住人だからという設定を潰しているとしか思えない。
それに、吹き替えで見てしまったので、原語の歌は結構聞いていられるけれど、日本語だと物凄く恥ずかしくて見てられない。

この映画の主人公のエイミー・アダムスがどうも良くない。演技は良いし、頭のおかしさの強調も良いけれど、やっぱり姫と言うには歳行き過ぎているし、可愛らしくない。
ただ、王子のジェームズ・マースデンは良い。男前で真面目だけれどアホっぽいという、映画「X-MEN」シリーズでの我らがリーダー、サイクロップスとか、他の映画でも見るまさにピッタリな役。しかも、吹き替えだと気付かないけれど、本人は歌が物凄く上手いし、上手い上に歌でもアホっぽさも出しているという上手さ。
ナザニエル役のティモシー・スポールは、アニメーションからそのまま出て来た様な見た目で笑ってしまった。

主人公ジゼル姫の吹き替えの木村聡子は、舞台や歌を中心に活動している人だそうで歌は上手いけれど、声優はこれが初めてらしく物凄い下手。大学の音楽学学部出てるからか、教育テレビの何かのお姉さん的な喋り方。一方エイミー・アダムスの実際の歌はそんなに上手くなく、歌い出すと急におばさんっぽくなってしまう。

小ネタとしてはこれまでのディズニー・アニメーションのパロディが入っている様だけれど、元のアニメーションを良く知らないので余り分からず。ただ、ジェームズ・マースデンが立つ背景の看板の中に、彼も出演していた「スーパーマン リターンズ」の看板があったり。

折角アニメーション世界の住人が現実世界に来てしまったという異質な状況を、くさす様な笑いにする事も無く、ミュージカル映画の作り物感、非現実さをパロディにして笑わせる事も無く、ただ単に普通にミュージカルをしてしまっている。自分達が現実世界の人間の創作物でしかないというメタフィクションをする訳でも無く、折角の題材を活かし切れず、ファミリームービーに落とし込んだ感じ。「奥行きがある!」とか、「何この顔の黒いの?シミ!何それ!」とか、現実世界だからのネタは幾らでもあるだろうに。
それに現実世界での話が進むのに、終盤は単なるファンタジーでしかなくなり、「何じゃそりゃ…」感は半端無く、グダッと終わり、非常にしょうもない締めを見せる。ミュージカル場面も少ないし、恋愛部分は「何じゃそりゃ…」なしょっぱさだし、ミュージカル映画としても、恋愛映画としても、アニメーションのパロディとしても、どれを取っても中途半端、しょうもない出来でしかない。
アニメーション世界の住人が現実世界に来たという前情報からのわたしの期待からは遠く離れていた。もっと色々出来るはずなのに、やっぱりディズニー映画。この題材で他の会社が作れば、もっと大人向けの、おもしろい映画が出来たはずなのにと残念感一杯の映画。

☆★★★★

アメコミを沢山買ったので箱を作る

2012年09月02日 日曜日

今年の夏はアメコミを読むではなく、購入の流行期。

以前も買った古本屋で、沢山買うと安くなるセールしていたので、また100冊程コミックスを購入。「Wolverine」「Deadpool」「The Avengers」「Civil War」関連を買ってみる。

 
 
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それだけでなく、別の日、別の古本屋で日本語翻訳版やTPB等を見付ける事が多かったので、安かったので購入。安いから買う。
アメリカでは、コミックスなら1冊Near Mintでも3~4ドル、TPBでも20~30ドル位なのに、何でか知らないけれど日本ではやたらとプレミア、言い換えればボッタクリな値段になってしまっている「Wolverine: Snikt!」も安く売っていたので購入。

 
 
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買ったは良いけれど、収納場所が無いので箱を作る。

 
 
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以前何処かのコミックスを販売しているお店で見た収納方法の、長方形の段ボールに入れる為に、近くの店で段ボールをもらって来て、切って張って、箱を作る。少々雑でも部屋の隅に置いておく為の箱なので問題無し。

 
 
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箱を作ったけれど、既に中は満杯。しかも、あとこんな満杯の箱が四つ置いてある。最近は映画とTVドラマばかりで、一切アメコミの読書に手を付けていない…。

メイド・イン・マンハッタン

2012年09月03日 月曜日

ジェニファー・ロペス主演の映画「メイド・イン・マンハッタン(Maid in Manhattan)」。

てっきり、下町でたくましく生きる人々の話「Made in Manhattan」かと思いきや「Maid in Manhattan」で、題名そのままのマンハッタンのホテルのメイドの話。バツイチ、子持ちの出来るメイド、ジェニファー・ロペスが宿泊客の政治家と恋に落ちる。

始まりは、一流ホテルの裏側と働く人々を見せるコメディで結構楽しいのに、恋愛話が始まるとその部分は至って普通な展開になり、あんまりおもしろくない。ホテルを巡る人々の人生模様のコメディを見せるなら楽しめるけれど、これも結局は恋愛映画のベタ過ぎる「男前・金持ち・社会的地位がある良過ぎる男性と、何でか彼に惚れられる普通な女性」という普通な設定で、お互いの事をはっきり知らないまま出会い恋に落ち、それが原因で悩んで離れるけれど上手く行く…と、まあこれまであった恋愛映画と大して変わり映えしない展開。

これの見る所は、やっぱりアメリカの社会的身分差。ジェニファー・ロペスはヒスパニック系で、メイド達は黒人が多い。マネージャー陣は白人で、金持ちの宿泊客も白人。一番はレイフ・ファインズは共和党の大統領候補なのに、恋する相手はホテルの使用人。彼は共和党の政治家なのに物凄く民主党的でリベラルな考え方っぽいのは、単に政治家として生きる事を余り望んでいない良いとこの坊ちゃんだからという位の理由か。本来ならバッチバチに政治的信条で本人達も対立し、周囲の人からも色々言われる所なのに、そこら辺は非常にサラッと。そこを描きはするけれどあんまり触れないのは、これも監督ウェイン・ワンが香港生まれの人だからか。折角の設定も活かし切れていない感じは強く、もっと突っ込んでも良いと思えるけれど。

気になったのはレイフ・ファインズの参謀の名前がジェリー・シーゲル。Jerry Siegelと言えば「スーパーマン」の生みの親のライター。何でこの名前?

この映画、恋愛が主題でなければ、ホテルの宿泊客の偏屈な人々の生活模様と、プロだけれど普通な優しい明るく働く人々に、社会的身分や政治的信条等も入れた話でおもしろいのに、恋愛が主軸になると普通過ぎる展開しか見せず、恋愛映画にしたもったないさが悔やまれる。
で、この映画って保守層とリベラル層のどっちに受けたのだろうか?どっちにも良い顔して、どっちも掴み損ねている感じはするけれど。

☆☆☆★★

アメリ

2012年09月04日 火曜日

今でもB・C・D級映画の買い付けばかりしているアルバトロス・フィルムが、勝手に雰囲気でホラー映画だと思った社員が買い付けて来てみたら全く逆の女性受けする心温まる話で、これが当たってしまった映画「アメリ(Le Fabuleux Destin d’Amélie Poulain)」。
これを書くにあたってアルバトロス・フィルムのサイトを見てみたら「アメリ」のタイトルIDが1番で、やっぱり稼ぎ頭なのか一番初めに持って来ていたのでちょっと笑ってしまった。

小学生の様な、少女みたいに自分の世界で生きる女性アメリが周りの人を、自分も幸せにして行く。

一癖も二癖もある登場人物達を入り組んだ脚本と奇抜な映像で見せるけれど、ほっこりする日常の微笑ましい風景が流れ続ける。
アメリの反応が子供がそのまま大人になった様な感じで、分かり易く喜ぶし、怒るし、気が引けるしで見ていて楽しい。
そのアメリを演じるオドレイ・トトゥの可愛らしさが爆発し、オドレイ・トトゥが配役された時点で出来上がっている様な映画。
彼女の行動を見ていると自分が親でなくとも小さな娘を見守る様な心配とワクワク感でずっと持って行かれる。

話も幸せを彼方此方に撒いて行く様なアメリによって人々が徐々に結び付き、誰もが気持ち良い展開を見せる関係になり、見終わると爽快さと心地良さで満たされる。
ただ、この映画の問題は始まりから序盤で、始まってすぐ本編に関係の無い短い場面の連続で、登場人物達の紹介を誰か分からないナレーションで、後半の何かに関わって来る事も無いその人のどうでも良い細かな情報を詰め込んで来るので行き成り置いてけ堀。
更に、序盤は特に何が起こる訳でも無く、後半への登場人物達の配置の紹介と長いネタ振りなので見ていても疲れて来る。
これが見事に結実する何かの振りでも無く、厚みを見せようとただ放り込んでいるだけ。
これに乗れるかどうかでこの映画を見れるかどうかが決まって来る様に思えた。
そこで諦めかけるけれど中盤からこの物語の向かう先が見え始め、アメリを中心に展開がこねくりまわされて行く所はおもしろい。
恋愛と言うよりは気持ち良い人間関係の構築に至るグネグネな回り道を微笑みで見せる。
それと舞台がフランスなので出て来る日常の飲食物や物等の名前や正体がさっぱり分からず非常に戸惑う。
見慣れない食材と食べ物、知らない文化が多く、フランス人からしたら当たり前でもわたしには何のこっちゃで「ちょっと待って!」でつまずく。

「アメリ」と言えば、「スプーンを顔の横に掲げたオドレイ・トトゥ」の場面がポスターに使われたのかで有名だけれど、その場面は映画本編では「クレーム・ブリュレのおこげを潰すのが好き」という、これ以降何の関係も無いそこだけの場面。
これもそうだけれど印象が強い場面の連続の割に話とは関係無い場面が多く、見終わったらその場面が印象に残っていない事が多い。

映像や演出的には結構実験的な所が多い。
わざとのカメラ目線や、アクション映画みたいに「ブワッ」と音を入れてカメラをパンさせるけれど全然大した場面でも無かったりする。
手紙の偽造場面でカメラ目線で始め早回しなんてバラエティ番組を見ている様。
全体的の雰囲気がそんな感じなのでかけ離れてはいないけれど、どうにも違和感を感じた。
それとこの監督のジャン=ピエール・ジュネって、前後のカメラの寄りや移動が多い。
ただ、この人の映像での世界観の創り方、見せ方は上手い。
常にフィルターを入れてセピア調だけれど緑がかっていて、派手にも地味にも見せ、映像もお伽話的な夢想的雰囲気。

オドレイ・トトゥは非常に可愛らしく、可愛らしい女性を演じていて非常に良い。
劇中でも実際も23歳なのだけれど、もっと歳が行っている様にも見えた。
と言うか、この人がおばちゃん顔なのかもしれない。
彼女を見ていたらミスターこと、鈴井貴之を思い出してしまった。

この映画始まって30分位で「この映画二時間もあるの…」と挫けそうになるけれど、そこを超えると一気に話がおもしろくなり、ずっと釘付け。
爽やかで心地良い時間に浸れる。
脚本も序盤は耐え切れないけれど、中盤辺りからは良く出来た展開を見せ、回りくどい感じがおもしろい。
本当に序盤とそれ以降の差が激しいので30分位耐え切れば非常に良い映画。

☆☆☆☆★

ローマの休日

2012年09月05日 水曜日

オードリー・ヘプバーン初主演の映画「ローマの休日(Roman Holiday)」。

ヨーロッパ中を親善旅行で旅周る姫様が、その過密さと堅苦しさで嫌になり、一人で街へと飛び出す。

王族が市井の人々に混ざり、羽目を外し遊び周り、恋もしと言う非常に王道な話。台無しに言ってしまうと「暴れん坊将軍」。
この映画はやっぱり、オードリー・ヘプバーンを主役に選んだ事でほぼ完成している。オードリー・ヘプバーンの仕草や表情が愛らしく、演出や演技も一つ一つ可愛らしくしていて、この彼女の魅力には男性も女性もたまらないはず。

この映画二時間位あるけれど、それもあっと言う間。始まりの登場からの脱出で一気に掴まれるけれど、それからのグレゴリー・ペックの話になるとちょっと退屈。そこは分かったから、早く二人の話に行ってよと思ってしまう。それ以降の街での買い物、髪を短く切ったり、スクーターの二人乗りでのローマの観光なんて最高に楽しい。ただ、スクーターの場面は遠目からの映像では、誰か分からない二人が乗っていて、折角の場面は台無し。
有名過ぎる真実の口は、単におちょけた場面かと思いきや、二人共が真実を隠しながら接し、その後でお互いが知り、それでどうなるのかの暗示でもあるという、実は良く出来た場面だった事に感心。
船上の乱闘場面では、オードリー・ヘプバーンがジェフ・ジャレット並みにギター攻撃したりとはしゃぎまくるけれど、でも水に落ちた人に浮き輪を投げたりする可愛らしさもありで、やっぱりオードリー・ヘプバーンの魅力が前面に出ている。
それに何と言ってもこの映画が良いのは、今時の映画だと「愛こそ全て!」で、全てを捨てて自分の気持ちを優先させ、その後が上手く行くのか分からないままハッピーエンドにするけれど、これは今までの事は一夜の夢で、ちゃんと自分の背負っている責任や立場を認識し、再び元の生活に戻って行く事。哀しくも心地良い後味が最高に良い。最後の、全員に語る言葉なのに、一人に対して話していて、しかも目でお互いに語る場面が非常良い。

ただやはり1953年の映画なので、演出的にはもっちゃりした所はある。今だと会話のやり取りは何回も人物の顔のカットの切り返しで見せる所を一場面ワンカットで見せたり、会話のやり取りや一場面が少々長かったり。それに最後に二人が抱きしめ合う所は、グレゴリー・ペックの顔じゃあなくて、オードリー・ヘプバーンの顔を映すべきだろうがと。
それに、この映画も「暴れん坊将軍」の新さんと同じく、普段の王女を気付かないなんてあるのかしら?特にこれは、散々彼女の写真も載り、その話題で持ち切り、しかもあれだけ綺麗なのだから、街の男性は幾らでも振り返るだろうに。

しかしこの映画以降、オードリー・ヘプバーンの映画は、オードリー・ヘプバーンは良いとこのお嬢さんだけど結構尻が軽い、相手役の恋に落ちる男性は中年から壮年のおっさんで、歳の差があり過ぎて違和感がある等、そればかりに思える設定ばかりなのは、この映画がそうだったからそうなったのか。

驚いたのはトレヴィの泉の中で子供が石像にぶら下がって遊んでいたりする事。やっぱり時代か。それにスペイン広場は意外と人が少ないのは、この映画の効果での集客・観光なんだろうなぁ。
何より一番驚いたのは、薄ら禿げのデブのランニングシャツのおっさんが、思いっ切りオードリー・ヘプバーンにブッチュリとキスをする。「何で!?」と驚き、オードリー・ヘプバーンが普通に微笑んでいるのも「何で!?」。
あと、船上での場面で、オードリー・ヘプバーンの肩にハエが止まり、しかも羽音まで入っているのに何で取り直しや、切らなかったのだろうか。

このオードリー・ヘプバーンは、着飾った時は気品溢れる王女に、しかし普通の時は普通な女の子で、本人はもちろん、衣装や化粧は流石。でも、これ以降の映画の方が若々しく見えるのは、映画業界で磨かれて行ったと言う事なのか。それと彼女の声が少し鼻にかかり、子供っぽさ、甘ったるさがあるのも、役にぴったり。
グレゴリー・ペックは結構歳取ってるおじさんと思って見ていたら、この映画の時は37歳。昔の俳優って、今から見ると老け過ぎ。

王道な恋愛劇だけれど、楽しさは半端無い。終始オードリー・ヘプバーンの魅力爆発で、初主演でこれだけ輝き、人々を今でも魅了するなんて本当に凄い女優。最後の締め方も、安易にしてしまわないこの切なさが名作として残る所以。映像も、展開も、後味もどれを取っても素晴らしいし、良く出来た映画。

☆☆☆☆★

恋するレシピ ~理想のオトコの作り方~

2012年09月06日 木曜日

マシュー・マコノヒーサラ・ジェシカ・パーカー共演の恋愛映画「恋するレシピ ~理想のオトコの作り方~(Failure to Launch)」。

三十半ばの独身遊び人マシュー・マコノヒーは実家暮らしの為、親が家から独立させようとサラ・ジェシカ・パーカーに依頼。これまで彼女は自分に惚れさせ、家を出させるという方法を取っていたけれど、やがて本気で惚れ始め…。

自分の本当の身分や立場を隠して近づき、やがて恋に落ちると言う、恋愛映画の王道過ぎる程王道、ベタな展開なので、まあそれなりな映画でしかない。
一番の問題はサラ・ジェシカ・パーカーの人物設定。これまで自分に惚れさせるという方法でやって来たのに、今回は何で本気で惚れたのかは描かれず、いまいち分からない。それにやり口がデート商法や、もう売春婦じゃない。しかも正体が彼にバレ、「車からさっさと降りろ。」と言われたのに「何で?」と自分が他人を嘘で操っている事を何にも分かっておらず、後悔すらない最悪なクソ女。正体が分かってもそれでもいいって、マシュー・マコノヒーは相当お人好し。
それにサラ・ジェシカ・パーカーは良い女として描かれるけれど、彼女は面長の魔女にしか見えない。

あと、やたらと男達が動物に噛まれたり、攻撃されたりするけれど、これは何なのだろう?動物は純粋な人間にはなつき、意地悪い人間には吠え立てるという善悪の判断としてよく出て来るけれど、この映画なら攻撃されるのはサラ・ジェシカ・パーカーだろうと。最後はサラ・ジェシカ・パーカーがヒッチコックの「鳥」並みに鳥に突かれるか、動物の総攻撃でボロボロになってハッピーエンドじゃあないの?

おもしろいのはアメリカの成人男性の社会生活の固定化。アメリカでは成人男性が親元、実家暮らしというのは相当駄目な男性として見られていて、良い男でもすぐフラれるなんて、一方でやたらと家族を大事にだの、家族同士でベッタベタな愛情表現をしまくりなのに、独立せず実家暮らしは駄目とは何だか相反してるようにも思える。個人の自由が大事にされる社会なはずなのに、男性像が狭い範囲で固定されているのには違和感。日本だと、昔から親と暮らす男性は、結婚の時揉める原因だけれど、むしろ面倒見が良い、親孝行と褒められる立場で言われる事が多いのと比べると更に違和感。アメリカの保守的過ぎる一面が垣間見える。
単に実家暮らしだからというよりは、本当はマザコン気味の彼と、そのいたせりつくせりな母親がキャシー・ベイツだという事の方が大きく取り上げるべきじゃあないの?

それと何で邦題が「恋するレシピ ~理想のオトコの作り方~」なんだ?誰も登場人物に料理人はいないし、料理が取り上げられるのは親が作っていた料理をマシュー・マコノヒーがするというのが一回だけ出て来るだけ。

この映画、マシュー・マコノヒーは実家暮らしでも大分稼いでいる様だし、友人と遊びまくって、恋愛もバンバン行っているしで、大分謳歌していて全然良い人生じゃんと思え、嘘で商売し、都合が悪くなったらやめますと言う都合だけが良いクソ女と引っ付き、何だか可哀そうになって来た。

☆★★★★

マレーナ

2012年09月07日 金曜日

ジュゼッペ・トルナトーレ監督、モニカ・ベルッチ出演のイタリア映画「マレーナ(Malèna)」。

町中の男が振り向くモニカ・ベルッチに惚れてしまった少年は、彼女をつけ回して彼女の生活を覗き見る。

始まりは主人公が自転車を買ってもらう所からで、場所はイタリアなのだから映画「自転車泥棒」を思い浮かべてしまうけれど当然全然違うお話。それ以降は少年の淡い恋の出来事かと思いきや、思春期の少年の下ネタの性衝動の行動で、若い子が見れば共感出来るのかは分からないが、「10代なんて美しい訳が無い。」と思っている人や、若さは恥ずかしいとしか思わない人にとっては、この行動と妄想の恥ずかしに何ら面白味は感じないはず。やたらと少年の性の下ネタと、下らない妄想で押すので、ジュゼッペ・トルナトーレが監督だからと「ニュー・シネマ・パラダイス」的なモノを期待すると面食らうし、落胆は半端無い。
この映画、始まりは少年の変態的、犯罪者的恋の話だったのに、中盤辺りからか、何時の間にかモニカ・ベルッチの人生を少年を語り部として通して見、しかし徐々に少年の存在感は薄れ、もはやその少年すら必要の無いモニカ・ベルッチの話になってしまって終り、結局の所少年の日の思い出と、女性の生きる難しさや残酷さ、どちらにも焦点を当てようとして、美味しい所を一挙両得しようとした為にぶれ、どっちつかずのまま終わってしまう。と言うか、見終わると全然少年いらんじゃんと思わせてしまう。

全ての人物の描き方が極端過ぎるのも気になる所。若い男性は、主人公の少年を含め、皆性的欲望に駆られ下品な話しかしない。女性はヒステリックで嫉妬深く恥知らず。少年は無垢の様に描かれているけれど、下着泥棒するは、モニカ・ベルッチをつけ回し、人の家を毎日覗いて生活を監視していて、子供の時の淡い思い出ではなく、完全に一線を越えてしまったやばい子。この子の父親はすぐ殴り、しかもまだ小学生か中学生位なのに娼館に連れて行くしで、この父親だからの息子なのか。それにモニカ・ベルッチのリンチまでの不満の鬱積の描きが足りないので唐突な上に、それに対して誰も何も反応しない不自然さや、他の展開でもそうだけれど、取り上げたい事をそこだけ取り上げ強調し過ぎなので、不自然さに違和感ばかり感じる。

良いのは町の雰囲気だけれど、町の人の台詞や動きの見せ方はそこだけ切り取った様な説明的な場面ばかりだし、途中途中の少年の妄想は急にコメディになり、それが大しておもしろくなく、そこだけ雰囲気が違い、ちぐはぐな感じ。

モニカ・ベルッチの出世作らしいが、これのモニカ・ベルッチはそんなに綺麗じゃあない。
少年役のジュゼッペ・スルファーロはまだ子供なのにおっさんみたいな濃い顔で、凄く違和感。でもこの役ようやったなぁ。大人に「綺麗な人とキスできるから、これやって!ね。」と説得されたのだろうか。

この映画は淡くない戦争の下の少年の思い出の話。少年の成長を人の良さを描いた「ニュー・シネマ・パラダイス」のカウンターとして作った様な感じ。結局少年もモニカ・ベルッチも自業自得の様な感じは強く、人々の醜悪さを描くには物足りなく、淡くも無く、良い話でも無く、人の裏を描くには、やばい少年の目を通しているので訳が分かり難く、何だか全部中途半端な上に、物語としておもしろくないので、どうにも…な映画。

☆★★★★

恋は嵐のように

2012年09月08日 土曜日

サンドラ・ブロックベン・アフレック共演の恋愛映画「恋は嵐のように(Forces of Nature)」。

バードストライクを起こした飛行機にたまたま乗り合わせた二人が恋に落ちるという非常にベタな恋愛話。しかし、ベン・アフレックは自分の結婚式に行く飛行機だったけれど、何やかんやばかりの不運が上手い事続き、サンドラ・ブロックと旅を続ける事になる。

これも見ていてもベン・アフレックのしょっぱい男性像に「あ~あ…」としか思わなくなって来る。「自分は真面目」と言い、結婚相手の事を「愛してる」と何度も言うけれど、マリッジ・ブルーにかられ結婚相手への思いさえブレ初める。さっさと目的地まで行けば良いのに、「やれるかもしれない…」で何やかんや理由付けてサンドラ・ブロックと一緒にいるし、始めはサンドラ・ブロックが馬鹿っぽく、尻軽っぽく描かれているのに、終わり頃になるとそれはむしろベン・アフレックの方に思えて来る。
二人がくっつくと言うのは分かり切った事なのに、その感情の変化がいまいち描かれていないのに、一笑いを狙った位のどうでもいい事が多く、二人の旅が長く感じられる。誰がベン・アフレックのストリップなんか見たいのか?

アメリカの恋愛映画では必ずと言っていい程出て来る、政治的信条の違いによる家庭環境の違いは、ベン・アフレックはニューヨーカーのコピーライターでリベラル派、結婚相手のモーラ・ティアニーの家は田舎の良いとこで、共和党支持者だけれど母親は「良い男だから。」とクリントンに入れ、だから娘がベン・アフレックと結婚するという非常に分かり易い構図。

サンドラ・ブロックは35歳。ベン・アフレックは27歳。結構歳の差がある恋愛劇なのに、あんまり違和感を感じないのはサンドラ・ブロックが若々しいし、ベン・アフレックはやっぱり老け顔。

これ吹き替えで見てしまったけれど、モーラ・ティアニーは葛城七穂ではないし、主役二人は全然声が合っていない。特にベン・アフレックはまだ20代なのに、40過ぎのおっさんにしか見えなくなる声で、配役の失敗。

映画とは直接関係無いけれど、ちょうど嵐が来始めた時に大雨・洪水警報が出て来たのには笑った。しかし、これを放送していたDlifeって衛星放送なので日本全土の気象警報出すから、このデジタル放送時代に果たして必要なのかも分からない事していて、非常にうっとおしい。

サンドラ・ブロックは何時もとは少し違う蓮っ葉な感じで良いのに、ベン・アフレックの恋愛映画って毎回つまらない訳ではないなけれど、おもしろくも何とも無い映画ばかり。この映画も結局、ベン・アフレックが結婚直前なのにフラフラと浮気心が起きるアホで、しかもサンドラ・ブロックに抱いていた幻想があっさり砕けたので、結婚相手に会ったら「愛している」なんて恥ずかしくも、自省も無く言ってしまう最低な男。結婚は考えるな、勢いでするモンだという事が言いたかった映画なのだろうか?

☆☆★★★

アトランティスのこころ

2012年09月09日 日曜日

スティーヴン・キング原作、アンソニー・ホプキンス主演の映画「アトランティスのこころ(Hearts in Atlantis)」。

母子家庭の家の二階に引っ越して来たアンソニー・ホプキンスと少年のお話。

始めはホラー作家スティーヴン・キングのもう一面の、懐かしさ溢れる少し昔のおじいさんと子供の心温まる交流かと思いきや、アンソニー・ホプキンスは不思議な力を見せ、怪しい奴らの存在をほのめかし始め、何が展開されるのか良く分からない、非常にフワフワと掴み所の無い展開になる。この、何かあるぞと言う振りがある分、子供の日常をまったり描く部分がどうにも退屈して来る。
交流の部分は、べったりという事でもなくサラッとしていてそれ程だし、子供の時の話は特に何か劇的な事も無く、少年時代の懐かしさもいまいちだし、謎の部分の引っ張りもそこの部分は全然見せないし、脚本は散漫で緩慢。懐かしさの部分で楽しんで良いのか、謎の部分に興味を馳せば良いのか、最後までどちっつかずで、こちらの掴み所と捕まれ所が無い。

アンソニー・ホプキンスが初め登場した時、二階にあんな、恐ろしい程の目力と顔の迫力を持ったおじいさん来たら、怖くてしょうがないと思うけれど、それも謎の力を持っているという事でなる程の配役。でも、アンソニー・ホプキンスが全然力が入っていない様な感じで、意外と印象に残らない薄さ。
少年役のアントン・イェルチンは変に大人びた演技をしている。

この映画、何を楽しんだら良いのか、いまいち理解しないまま終わってしまった。少年時代の懐かしさなら、アンソニー・ホプキンスの能力は全然いらないし、アンソニー・ホプキンスの事件の顛末は一体何じゃこりゃな、訳が分からず必要性が見出せない話だし、そちらの不思議部分を楽しむには全然描きが少な過ぎるし、感動の部分と不思議の部分が見事に混ざり合わず、結局何がしたいのかさっぱり分からない映画だった。

☆★★★★

ザスーラ

2012年09月10日 月曜日

驚くべき大ヒット映画になった「アベンジャーズ」では製作総指揮、「アイアンマン1・2」で監督・製作総指揮していたジョン・ファヴローの「アイアンマン」前に監督した映画「ザスーラ(Zathura: A Space Adventure)」。

この映画、ボードゲームで出た目が実際に現実に起こるというのは、映画「ジュマンジ」と同じと思ったら、どちらも同じクリス・ヴァン・オールズバーグの絵本が原作だからか。
「ジュマンジ」は動物系だったけれど、こちらは宇宙SFのボードゲーム。「ジュマンジ」ではロビン・ウィリアムズという狂言回しがいたので一癖あったけれど、こちらはそんな人物もおらず、非常に真っ直ぐなファミリームービー。展開的にも何か一気に逸脱する様な事も無く、しかも二時間近くもあるので、後半になると少々退屈して来る。もっと流れ良く、ポンポンと行っても良かったと思える。それに「ジュマンジ」のロビン・ウィリアムズは一捻りある設定からの展開を見せたけれど、この映画ではそのロビン・ウィリアムズ的立ち位置の宇宙飛行士は意味が分からない、意味の余り無い結末を見せてしまう。

ボードゲームの「ザスーラ」はパルプSF雑誌風の画のブリキの玩具で、この映画で一番見た目が良いのがこの玩具。この玩具が非常に良く出来ていて、この映画見るとこれが欲しくなって来る。ただ外箱の画が1930~1940年代風の現在の画なので、マニアが外箱だけ新調した感じ。
これ以外もロボットの造形や動きも非常に良い。ロボットは上半身が大き過ぎるので激しく動くと足元がおぼつかない、ふらつくという細かい動きを見せ、この人間臭い機械感の表現が良い。だから監督のジョン・ファヴローは「アイアンマン」に選ばれたのか?

子供達の父親がティム・ロビンスなのだけれど、どうもティム・ロビンスの優しい父親というのがしっくり来なく、顔が怖く、何か一物を抱えた人にしか見えない。こんなボードゲームのある家に住んでるのだから、何かしらの秘密を握っているのかと思いきや、普通の父親で、別にティム・ロビンスでなくともいい配役。
姉役のクリステン・スチュワートって、「トワイライト」シリーズの主人公なのか。でも、この映画ではいる必要がないと思えるのだけれど。
この二人もそうだけれど、主人公二人以外の存在感の薄さと言ったら…。

これ、吹き替え版で見てしまったのだけれど、子供達の吹き替えが実際に子供なので、大して減り張りも無く、上手くも無い平板的な子供演技する子供の吹き替えを二時間近く聞き続けるのは、正直しんどい。

これで評価を得たのか、ジョン・ファヴローはこの次に「アイアンマン」を監督。繋がりは無いけれど前作的な「ジュマンジ」の監督ジョー・ジョンストンは「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」の監督をしているという、少し不思議な縁。

自分の家の中で宇宙SFで冒険するという発想はおもしろいけれど、主人公の子供達が幼過ぎるので、どうしても映画の対象年齢は低くなってしまう。映像的にも見せるし、美術のレトロ・フューチャー感も良く、ファミリームービーとしては中々上手く出来ていると思うけれど、やっぱり大人が熱中する様な映画ではないので、どうしても評価はそれなりになってしまう。
これ映画の一本ではなく、主人公兄弟の年齢をもっと上げ、連続テレビドラマでしたら、結構おもしろいSFシリーズになる様な気がするのだけど。

☆☆☆★★