ニューヨークの恋人

2012年06月26日 火曜日

メグ・ライアンヒュー・ジャックマン共演の映画「ニューヨークの恋人(Kate & Leopold)」。

メグ・ライアンとヒュー・ジャックマンって共演してたんだと「へ~」と思う恋愛映画。恋愛映画なのだけれど一風変わっていて、ヒュー・ジャックマンは100年以上前の貴族。でも、リーヴ・シュレイバーを追っかけ現代にやって来てしまう時間移動のてんやわんやのコメディ。王子様に憧れる働く女性を、相手は本当に貴族でやってみましたな映画。話は王道のラブコメ。展開はそうなるだろうで意外性は少ないけれど、最後が無理矢理のめでたしめでたしでつまんない。時代が違っても想い続けているで良いじゃない。
それに、時間移動は機械によらず、穴が開いてのそこに飛び込むと言う、まあ便利、都合の良い設定。リーヴ・シュレイバーは計器等で調査すらしないし。まあ、コメディだからそこら辺はお手軽に済ませているのだろうけれど。それに、メグ・ライアンは市場調査業者で、ヒュー・ジャックマンは貴族で上品に喋るからコマーシャルに起用で上手い事行くとは、まあ都合良過ぎ。ヘラッと笑って見る分の展開。

おもしろいのは、100年前でも現代でも上品な趣味や会話は絵画やオペラ等で通じ、連綿と続く文化の受け継ぎがなされている事に関心。平気で100年以上前の屋敷がニューヨークの街中に残っているのも、欧米の文化感の表れに、そこにも関心。
疑問としては、ヒュー・ジャックマンは今まで家事をした事無いであろうに、食事の準備や片付けは一体どうしたのだろうか?そこら辺の描写は無い。

ヒュー・ジャックマンはたっぱもあるし、シャキッと歩く姿は確かに貴族然としていてカッコ良い。ヒュー・ジャックマンは100年以上前の人なので、喋り方は時代劇がかっているけれど、使っている言葉自体はどうなのだろう?日本だと明治期と今じゃあ相当言葉が違うし。時代の移り変わりによる英語の言い回しの変化は、会話英語の歴史まで詳しくないと難しいな。
メグ・ライアンって、キーファー・サザーランドに似ていると思ったけれど、このメグちゃんはもう40歳だからかドナルド・サザーランドと似ている。
元々わたしはメグ・ライアンがそんなでもないけれど、この映画の男性陣は非常に魅力的。ヒュー・ジャックマン、リーヴ・シュレイバー、ブレッキン・メイヤー、誰もが良い人で、少し抜けていて、見ていて楽しい人物を好演。ただ、いきなり始まりでヒュー・ジャックマンとリーヴ・シュレイバーが出て来ての追いかけっこは「ウルヴァリン: X-MEN ZERO」を思い浮かべてしまいニタニタ。

主人公のレオポルド・オルバニー公爵がエレベーターの発明者として出て来るけれど、調べてみてもそんな話は見当たらないので史実ではないと思われる。実際にレオポルド王子、アルバニー公爵(Prince Leopold, Duke of Albany)と言う人物が19世紀後半にはいたけれど、この人物と同一人物では無い様。この映画のレオポルドと同じ歳の30歳に死去しているし。

「えっ!?」と思ったのは、ニューヨークの道端での犬の糞のやり取りで、警官は注意して違反切符を切るけれど糞はそのまま。あれって誰も何もしないのだろうか?
この映画の設定は「ティファニーで朝食を」の舞台設定と同じ、アパートメントの上下階で男女が暮らし、ベランダの階段伝いで勝手にやって来てと、劇中でも「ムーン・リバー」が流して自ら宣言している様に、そっから取っている。
あと、邦題は素っ気無いよなぁ。

現代に王子様をやって来させた恋愛コメディとして、ベタで楽しく見れる。メグ・ライアンはメグ・ライアンで、大して良くもないけれど、ヒュー・ジャックマンの上品な貴族がコメディと優しさを誘い、なかなか良い。ただ、惜しむらくは結末が…。強引な上に、これまでの話を投げ出す感じの、「愛こそ全て」感でなんだかなぁ…。

☆☆☆★★

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