恋するレシピ ~理想のオトコの作り方~

2012年09月06日 木曜日

マシュー・マコノヒーサラ・ジェシカ・パーカー共演の恋愛映画「恋するレシピ ~理想のオトコの作り方~(Failure to Launch)」。

三十半ばの独身遊び人マシュー・マコノヒーは実家暮らしの為、親が家から独立させようとサラ・ジェシカ・パーカーに依頼。これまで彼女は自分に惚れさせ、家を出させるという方法を取っていたけれど、やがて本気で惚れ始め…。

自分の本当の身分や立場を隠して近づき、やがて恋に落ちると言う、恋愛映画の王道過ぎる程王道、ベタな展開なので、まあそれなりな映画でしかない。
一番の問題はサラ・ジェシカ・パーカーの人物設定。これまで自分に惚れさせるという方法でやって来たのに、今回は何で本気で惚れたのかは描かれず、いまいち分からない。それにやり口がデート商法や、もう売春婦じゃない。しかも正体が彼にバレ、「車からさっさと降りろ。」と言われたのに「何で?」と自分が他人を嘘で操っている事を何にも分かっておらず、後悔すらない最悪なクソ女。正体が分かってもそれでもいいって、マシュー・マコノヒーは相当お人好し。
それにサラ・ジェシカ・パーカーは良い女として描かれるけれど、彼女は面長の魔女にしか見えない。

あと、やたらと男達が動物に噛まれたり、攻撃されたりするけれど、これは何なのだろう?動物は純粋な人間にはなつき、意地悪い人間には吠え立てるという善悪の判断としてよく出て来るけれど、この映画なら攻撃されるのはサラ・ジェシカ・パーカーだろうと。最後はサラ・ジェシカ・パーカーがヒッチコックの「鳥」並みに鳥に突かれるか、動物の総攻撃でボロボロになってハッピーエンドじゃあないの?

おもしろいのはアメリカの成人男性の社会生活の固定化。アメリカでは成人男性が親元、実家暮らしというのは相当駄目な男性として見られていて、良い男でもすぐフラれるなんて、一方でやたらと家族を大事にだの、家族同士でベッタベタな愛情表現をしまくりなのに、独立せず実家暮らしは駄目とは何だか相反してるようにも思える。個人の自由が大事にされる社会なはずなのに、男性像が狭い範囲で固定されているのには違和感。日本だと、昔から親と暮らす男性は、結婚の時揉める原因だけれど、むしろ面倒見が良い、親孝行と褒められる立場で言われる事が多いのと比べると更に違和感。アメリカの保守的過ぎる一面が垣間見える。
単に実家暮らしだからというよりは、本当はマザコン気味の彼と、そのいたせりつくせりな母親がキャシー・ベイツだという事の方が大きく取り上げるべきじゃあないの?

それと何で邦題が「恋するレシピ ~理想のオトコの作り方~」なんだ?誰も登場人物に料理人はいないし、料理が取り上げられるのは親が作っていた料理をマシュー・マコノヒーがするというのが一回だけ出て来るだけ。

この映画、マシュー・マコノヒーは実家暮らしでも大分稼いでいる様だし、友人と遊びまくって、恋愛もバンバン行っているしで、大分謳歌していて全然良い人生じゃんと思え、嘘で商売し、都合が悪くなったらやめますと言う都合だけが良いクソ女と引っ付き、何だか可哀そうになって来た。

☆★★★★

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