2012-09

勝利への脱出

2012年09月11日 火曜日

マイケル・ケインシルヴェスター・スタローン、そしてペレまで共演した映画「勝利への脱出(Escape to Victory)」。

第二次世界大戦中、捕虜収容所の連合軍の兵士達が、そこのドイツ兵との親善試合としてサッカーの試合をする事になったが話は大きくなり、ドイツ選抜チームと連合軍選抜チームとの親善試合をする事に。そこにチームの脱走計画も持ち上がって来る。

要は、映画「大脱走」から脱走部分を少し引き、そこにサッカーを入れた感じ。何よりシルヴェスター・スタローンが一人アメリカ兵で、一人で脱走し、再び戻って来るなんて、「大脱走」のスティーブ・マックイーンみたいだし。
脱走か、サッカーかで悩むのは、サッカーの魅力を伝えるのに十分。占領下のパリでの試合で、人々が熱狂するする姿は、サッカーが単なるスポーツだけではない大きな力を秘めている事を見せる。
しかし、見せ方は非常に散漫。収容所生活は他の映画と違い、快適とまでは行かないけれど、虐待の悲惨さや惨めさ等は全然描かれない。皆でサッカーの練習して、周りの皆がほのぼのと見守っているのだから、これが何の映画か分からなくなって来る。一方サッカーは、前半はそれ程描かれず、終盤はずっと試合なので、結局収容所生活もサッカーも非常に不均等な配分。そして何より、そこまで積み上げて来た戦争下のサッカーと兵士という題材を、悩みや葛藤もほぼ無く、最終的に何か結実する事も無く、ぶっ放しの放り投げで終えてしまうのは酷過ぎる。
演出も、押されている時は落ちる音楽、押している時は盛り上げと非常に分かり易い分、しょっぱさが見え隠れ。

マイケル・ケインはまだ48歳で、今の姿に慣れていると若い。序盤を見ていると、彼が主役かと思うのに、最後の方になると、あれ程前に出ていた彼も脇役の様になってしまう。
その後半の主役、シルヴェスター・スタローンは、始めはマイケル・ケインの脇で無茶する若者で脇役としては良かったのに、最終的にシルヴェスター・スタローンの映画みたいになってしまうのは少々残念。それと、彼の恋愛要素なんていらんだろうと思っていたら、最後の観客が押し寄せる中二人が抱き合うという、「ロッキー」のエイドリアンとの抱擁のパロディがしたかったからなのか。
ペレの見せ場もちゃんとあり、試合場面では綺麗なオーバーヘッドキックでのゴールを、何度もスローで見せる優遇。でも演技的な事からか、主役級でも、脇役で目立つ役でも無い。

脱走を描く映画にしては、そこでの悩みや葛藤、計画の仕掛けや実際の行動でのワクワク感は無い。収容所はほのぼのしているし、戦争下の緊迫した感も余り無い。サッカー映画としては、漫画みたいな試合経過と言い、素人のシルヴェスター・スタローンが代表選手と五分に渡り合えていたり、こちらもどうもいまいち。
結局脱走とサッカーという組み合わせにしてみたけれど、それが上手く噛み合わないままサッカーに寄り掛かり、どちらも中途半端のまま終わってしまっている。悲惨な、不遇な時代だからこそ、もっと戦争下の方を描き、その中でのサッカーを描くべきでは?と思ってしまう映画。

☆☆★★★

ブルーサンダー

2012年09月12日 水曜日

ジョン・バダム監督、ロイ・シャイダー主演のヘリコプター映画「ブルーサンダー(Blue Thunder)」。

ヘリコプターからの監視・追跡と言うと、映画やドラマでも良く見るし、犯罪追跡のドキュメントと言うよりも衝撃映像的な海外の番組を安く買い付けて紹介する番組で良く見るけれど、普通は主人公を補佐・援護する脇役で終わる所を、そちらのヘリコプターからの監視・追跡をしている警官を主人公に置いた珍しい話。その使い方は、このヘリコプターでの捜査が市民の生活を覗き、プライバシーを侵害するので評判が良くない等、今見ても結構成程と関心する扱い方。
話的には、このヘリコプターでの偵察に新型機体が配備され、それを巡る陰謀と殺人事件を絡めて進んで行く。でもサスペンスは少しもっちゃりして、キビキビ感が無いので少々退屈する部分はある。

見所はやっぱり、後半の市街地でのヘリコプター戦。用水路を低空で飛ぶヘリコプターは、操縦士が流石な制御で迫力満点。でもこの市街戦は、始めヘリコプター二台、次は戦闘機、そして最後は主犯格が乗る戦闘ヘリと、まるで安っぽいゲームのボス戦までの流れみたい。

結構訳の分からない所も。戦闘機から狙われた主人公のヘリコプターは、熱誘導のミサイル発射を町の建物からの排気の熱でその建物にミサイルをぶつけ回避するけれど、それまで市民を守るはずだった良い人だったのに、ビル爆破で中にいるだろう市民が死のうとも何とも思っていない非情さが行き成り出て来たりする。しかしその建物の中の人は普通の料理人なのに超能力者の集団なのか、まだミサイルが飛んで来てもいないのに何故か異変を察知し、外へ退避して皆無事と言う無茶苦茶な都合の良さ。しかしその次には大きなビルがミサイルで吹っ飛ぶ事になり、無人なんて事もないだろうから、その大丈夫でしたと言う言い訳も無に帰してしまうのだが。更に、市街だと隠れれる所も沢山あり、相手をかわす事も出来るからと積極的に町で戦い、敵に向けて銃を撃つけれど後ろのビルまで破壊するという、単なる無法者にまで落ちてしまう。でも、悪者の悪巧みを暴いたからめでたしめでたしで、まるで正義の人のまま終わってしまう。

この最新ヘリコ「ブルーサンダー」の見た目は角ばっていて、外側にゴテッと謎の装置が付いていて、如何にも80年代的SF機械感。
でも良いのは、80年代の映画なので全部ちゃんとヘリコプターを飛ばしているので現実感が高い所。21世紀の映画になるとCGでやってしまうので、確かに映像的には迫力あるモノだけれど、嘘臭さ、偽物感は一杯で、どうしても覚めてしまう部分がある。

ロイ・シャイダーの寝顔、うなされる顔が死の臭いがして怖い。

始まりは、何時もは脇役のヘリコプターからの偵察員の話なので結構おもしろく見ていたのに、中盤辺りからのサスペンスは緊張感が無く間延びする感じだし、終盤の見せ場のヘリコプターでの戦闘も、急にロイ・シャイダーが市民の生死を考えず無茶苦茶して、あれれ感は強いし、展開も非常に真っ直ぐで特に捻りは無いしで、どうにも盛り上がらない、いまいち感が強くなってしまった映画。

☆☆★★★

G-SHOCK DW-6400

2012年09月13日 木曜日

何時も使っている腕時計のG-SHOCKのベゼルと言われる外のカバーが何時の間に崩壊。ボロボロに砕けたので、それを丸ごと外して使っていたけれど、「これじゃあなぁ…」と思い棚を探してみると、別のG-SHOCK「DW-6400」を発見。

 
 
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ご覧の様にベルトが切れてしまったので、そのまま眠らされていた事を思い出す。
折角なので、この「DW-6400」純正のベルトを探してみるが、CASIOのサイト見ても良く分からないしで検索していたら、このベルトだけ売っている所を発見。通販しようかと思ったら、店舗もあったので自転車で行って来て買って来る。

 
 
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違う話題。ベルトを検索している時、「ベルト」と「バンド」という二つの表記・言い方がある事に気付き、どっちが正しいのか悩む。CASIOでは「バンド」で、一般的にはバンドの様。更に調べてみると、「バンド」は体に直接つけ、衣服を締め付ける。「ベルト」は衣服の上につけて衣服を締め付けるそうだ。なので、わたしの使い方からしても、腕時計のは「バンド」。

さて、バンドを買ったので付ける事にした。ただ、電池も切れていたというか、裏蓋を開けてみたら電池が入っていなかったので、また棚を探ってみるとボタン電池あったのでこれ用に取って置いた物だと思い入れてみる。入れるけれどはまらない。時計の説明書を出して読んでみると、この電池はCR2032で、「DW-6400」の電池はCR2016だと判明。そりゃあはまらない。電池を105円均一店で買って来て、入れる。

 
 
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入れたけれど、液晶に何も映らない。何度か入れ直してみても、エラー的な表示ばかり。この「DW-6400」の発売は1994年だから、「もう20年近く経つので液晶も限界か…。」と諦めかけるが、とにかく何度も電池の位置を回してみたりして入れ直してみる。するとちゃんとした表示を示す。喜んで蓋を閉め、バンドを付けて、ショックアブソーバーも付ける。

 
 
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復活。また使える運びとなった。

バンド交換で気を付けないといけないのは、バンド根元の本体と繋ぎ止めるバネ棒。

 
 
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交換用のバンドにはバネ棒が入っていなかったので、前のを取って置かないと、これだけ新たに買わないといけなくなってしまう。

その後、喜び勇んで付けていたら、腕に違和感が。手首の内側を見るとショックアブソーバーがズレている。良く見ると根本部分が割れていた。どうしようもないので暫くそのまま付けていたら、もう一方も付け根部分も割れソックリ取れてしまった。更に、もう一つの方のショックアブソーバーも付け根部分が割れ、両方とも取れてしまった…。

 
 
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暗所でずっと保管していたのに、こうもあっさりと崩壊するとは…。耐久性を売りにしていたG-SHOCKも、ウレタンの経年劣化には全く目が向いてなかった様だ。十年、二十年後にこういう崩壊を起こすのを見ると、何か虚しく、切なくなって来る。

10何年振りかに東京へ

2012年09月14日 金曜日

普段旅行なんてせず、他県へ行くにしても自転車で走る為に行く位なモノだけれど、親戚の結婚式があったので東京へ。
東京へ行くのも十年振り位。新幹線に乗るのも十五年振り位のモノ。
だけれどそんなに感慨も無く、東京は「大きな街だなぁ~…。」位の感想。東京以外の都市が平均化され、その平均化の基が東京だと思うので、見慣れた平均化された街を拡大した様な位で「ふ~ん。」となってしまう。それに、移動は地下鉄が便利なので地下鉄に乗って移動していたけれど、それだと街の雰囲気が見えて来ず、各地域の配置からの全体像が見えて来ない。歩くにしても距離は一定の狭さででしかなく、やっぱりその街の雰囲気を味わう、街の構造を理解するには、ある程度距離を周れる自転車でないとと思った。

おもしろいと思ったのは神田から神保町辺り。すぐ北は電気街からオタクの街になってしまった秋葉原で、オフィス街の中に老舗の古い建物がある神田から、スポーツ用品専門店が軒を連ね、やがて各専門書を扱う古本屋街になる街の流れが何か楽しかった。専門店とは言いつつも、各店で被る部分はあるのに、特に神保町の古本屋が集まっても成り立っていて、街全体の収支とかが気になる地域。古さを売る部分はあるのに、前の靖国通りが結構大きな幹線道路で、静かな街ではないのに古本屋街というのもおもしろい。

本来の目的は結婚式だけれど、むしろ目的はアメコミ探しと、食べ物。

続く

東京のアメコミ状況

2012年09月15日 土曜日

元々旅行もしなくなったし、東京なんて、まあ行く事も無いので、東京に行ったらまずはアメコミ探し。東京各地のブックオフの様なチェーン店や、個人営業の古本屋、紀伊国屋等の洋書を扱う書店や、新刊のコミックスを扱う様なアメコミ専門店を周ってみた。

ブックオフの様なチェーン店はターミナル駅近くの店舗は大きく数階に渡って売り場があり、洋書の棚も大きく取ってあるけれど、アメコミは全然少ない。それ以外の都市部外の店舗になると急に面積は小さくなり、正直個人営業の古本屋と大して変わらなかったりする大きさで、品揃えも大した事は無い。もちろん古本屋なので在庫は流動的だし、たまたま巡り合わなかっただけかもしれないけれど、わざわざ周ってみる必要性は無かったかも。ターミナル駅近くの店舗巡りで十分の様な気がする。

まんだらけの様な古本漫画専門店でも、日本語翻訳版は最近の連続発刊で結構数はあるけれど、原書はTPBが少しと、コミックスは全然見当たらなかった。

紀伊國屋書店の新宿本店の洋書売り場のアメコミ棚は、アメコミ専門店よりも充実しているかもしれない種類の豊富さ。ただTPBだけの扱いだし、値段的にはインターネットで購入した方が安いはず。手に取って中を見れるので、その点では良いかもしれない。

期待して行ってみた神保町も全ての店を一つ一つ覗いて行ったのではないので確かではないけれど、アメコミを扱っているのは数件で、それも多分買取した時に付けた値段そのままで、「これがそんな値段?」と思えてしまう物も多く、「だから売れ残っているのか…?」と思う店も。
種類的にも多く、値段的にも良かったのは「@ワンダー」。

 
 
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推理小説やSF小説等を中心に扱うけれど、一棚、二棚位アメコミが置いてあり、最近と言っても1990年代辺りからのコミックスは105円からあり、古いモノはそれなりな値段で売っていた。「X-FACTOR」の初期メンバーの時期をまとめて売っていて、欲しくはあったけれどそれなりなお値段なので買わず。その代わりとは言わないが、X-MEN関連を幾つか購入。DC系が多く、VERTIGODynamite Entertainmentが多く、結構渋め。
中々良い店だけれど、ここの値札シールは最悪。ゆっくり剥がしても、シールなはずなのにシール本体の裏面がツルツルになり、粘着面が全部コミックス本体に残ってしまう。カバーがコーティングされている様な日本の本ならまだしも、印刷も紙質もそれ程良くない特に古めのコミックスでは、残った粘着物を消しゴムでこすって取ろうとすれば下のコミックス本体のインクまでこすれ取られて薄くなるし、セロテープでペチペチ引っ付けて取ろうとすれば下のコミックス本体の表面まで剥がれるし。それが分かっているのか、値札シールは裏面の広告の部分に付いている。「あ~あ」感しかない。

アメコミ専門店では「BLISTER comics」に行ってみた。

 
 
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最近の新刊からバックナンバーもあり、そんなには大きくない店だけれど品揃えはなかなか。ここでも100円均一を中心にX-MEN関連を幾つか購入。
このブリスターは営業時間が水・木・金曜日は17:00~20:00、土曜日は11:00~18:00と変則的なので、物凄く行き難いし、閉店一時間前位には行かないと一冊づつ探していると一時間なんてあっと言う間。

今回東京買い出しで買って来た分。

 
 
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こちらはコミックス。50冊位。

 
 
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こちらはTPB類。

もっと足繁く色んな所に出向けばあるのかもしれないけれど、世界有数の大都市、漫画大国の中心地東京でも、海外コミックスはマイノリティー。MARVEL COMICSやDC COMICSがほとんどで、SPAWNでさえほぼ見なかったし、バンド・デシネに至っては何処に売っているのかさえ良く分からない。
10年以上前は10軒もなかったとは思うけれど、それ位のアメコミを扱っていた店があったのに、今ではアメコミの原書のコミックスの方を専門的に扱う店は二軒位のはず。東京に次ぐ大都市であるはずの大阪や名古屋でも10年位前には数軒あったアメコミ取扱店も、ほぼ全滅。
最近は翻訳アメコミが次々と出される状況にはなって来ているけれど、アメコミを買うには、特にTPBじゃあなくコミックスの方を買うには、実は寂しい、厳しい状況なのかとも思う。大型書店等の洋書売り場ではTPBは取り扱うけれど、コミックスの方は最近は見かけないし。今ならインターネットで買えてしまうので売れるか分からない在庫ばかり抱える実店舗での販売はより難しいのかもしれない。ヘトヘトになって東京を歩き回って探すより、海外通販した方が確実だし、値段的にもそれなりで買えるのだけれど、店で見つけた時の喜びや、これがあれかと眺めたりする、買うという事の楽しみが好き。アメコミを読む為に買っていると言うよりは、むしろわたしは探して買うという事の方にばかり重心がかかっている気がする。

サンシャイン・シティー

2012年09月16日 日曜日

東京行ったらすべき事を移動中の電車の中で思い出した。

池袋に向かう電車の中で地図を見ていたら、「サンシャイン60の文字が目に留まり思い出した。そう、P-MODELの「サンシャイン・シティー」じゃん、と。
という訳で、サンシャインシティまで「サンシャイン・シティー」を繰り返し聞きながら歩いて行ってみる。

 
 
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わたしは東京にも、関東にも住んだ事無いので、この歌詞は「へ~、そうなんだ。」とはなるけれど、ピンと来ない。しかもこの曲は1979年のサンシャインシティなので、わたしにとっては最早存在しなかった現実で、最早平行世界モノのSF。
サンシャインシティも、外観は昭和の臭いがあるけれど、中へ入れば良く見る今時の商店が並ぶ商店街。曲の実感の無さと、曲と目の前の現実の乖離で頭がクラクラ、意識はボーっと遠い所へ行ってしまう。2012年なのか、1979年なのか分からない、時間錯誤の夢の中を歩く感じで少々怖さを感じ、サッと池袋の駅へと逃げ出す。
ただ、平沢進の「あー!」の所では、確かにサンシャイン60の上の方から平沢が落ちて来ていたけれど。

もう一つ、夏と言えば毎年ケラリーノ・サンドロヴィッチみのすけ中野テルヲの「LONG VACATION」で、「LONG VACATION」は渋谷系だったそうなので、渋谷に行った時に「LONG VACATION」を聞きながら歩いてみる。

 
 
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更にこっちは分からない。「渋谷系って何ぞや?」だし。曲に渋谷の雰囲気があるのかさえ分からないしで、何とも意味があったのか。

あと、もう一つ。「TRICK」の山田奈緒子の住んでいる池田荘のロケ地を見に行った時は、「TRICK」のサントラを聞きながら行って見た。

 
 
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こちらは「おおっ!」と感動したけれど、最早TVドラマは終わって久しいので、何だか妙な虚無感ばかりが残った。

この作り物の音楽と目の前の現実を一致させようとする行為って、時代性とある程度の知識と認識が必要なので、両方がガッチリ噛み合う事は稀で、心地良い一致感で喜ぶというの中々難しい。だけれど、その不一致感、現実とのズレ、もしくは定着している聴き慣れた音楽とズレている現実を楽しむってのも中々良いかもしれない。

東京の蕎麦

2012年09月17日 月曜日

東京に来たらすべき事を、二日位経ってから思い出した。
東京では蕎麦を食べなくちゃ。
と言う訳で、蕎麦を食べて来た。

 
 
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行ったのは神田の「神田まつや」。
わたしは、基本的に味はどうでも良い所があり、食べた瞬間に忘れてしまう様な位のモノなのだけれど、「東京の蕎麦ってこんな感じなのか。」というのは良く分かる蕎麦。こしのある蕎麦と辛目の汁。食べてみて成程な江戸の蕎麦。店の外観が老舗っぽく、入り辛い感じもするけれど、至って庶民的な値段と行き易さのお店。普段蕎麦はほぼ食べる事も無く、うどんと蕎麦があったらうどんに行くけれど、これでこれからは蕎麦に行く様な気がする。

 
 
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あと、天丼も。やっぱり普段天丼も食べないけれど、天丼って中々美味しいじゃないか。
江戸の庶民の味を少しは堪能。

ココ・アヴァン・シャネル

2012年09月18日 火曜日

シャネルの起業者、ココ・シャネルをオドレイ・トトゥが演じた伝記的映画「ココ・アヴァン・シャネルCoco avant Chanel)」。

孤児として育ち、その後姉と一緒に歌手を目指すも芽は出ず、将校の元で暮らし始める内に恋愛なのかな関係になりつつ、服飾に対する興味を追求し始める。

ココ・シャネルが主人公なのだから、彼女の洋服等の装飾品に対する姿勢や思いが中心になって来るのかと思いきや、貴族的上流社会での恋愛話に終始する。
良く分からないのは、彼女の思い。絢爛豪華な服を嫌い、質素に見える服を作り、着るのは、貧乏だったからの金持ちに対する反感なのかもはっきりしない一方で、金持ちのお屋敷で暮らし喜んでいるし、その上流階級を批判する割にそこから一向に出て行かないし。服に対する興味は、自分で衣装を縫っていたからだけでは説明としては分からないし。現在から見て、この20世紀初頭のフランスの上流階級の衣装は珍奇にしか見えないけれど、彼女もそう感じ、それを嫌うのは、今の感覚で見ればすんなり入って来るけれど、それが当たり前だった中で何故彼女がそう感じたのかが全然見えて来ない。彼女はちょっと偏屈以外の描かれ方しかなく、今でも一大ブランドであるシャネルの創業者、ココ・シャネルという人物を描く物語としては、全くおもしろくもないし、興味も引かない。内容的にはココ・シャネルでなくとも全然成立してしまう、20世紀初頭の男女の恋愛劇。
苦労からの成功譚としても結構弱い。孤児の部分は出て来るけれど、そこはあっさり。貧乏した、苦労したのも少し描かれる位で、早い段階で金持ちの将校の元で暮らし、この描かれ方だとむしろ彼女は凄く人に恵まれ、運が良い人にしか見えない。
映画としても、展開が非常に平板で、それぞれの話が流れて行く感じ。

意外だったのは、初めのシャネルの服装。シャネルと言うと、金ピカでギラギラ、ゴテゴテしているという印象を勝手に持っているけれど、この映画の彼女が作るのは、その貴族的な女性の衣装、やたらとゴテゴテと飾りを付ける帽子や服ではなく、非常に大人しい、素朴な服ばかり。今だとユニクロとかの普段着的な印象を受けた。

本編でも「年齢不詳」とネタにしていたけれど、オドレイ・トトゥの役としては若い年齢なのだけれど、どうにも雰囲気はおばちゃんっぽい。オドレイ・トトゥがおばちゃん顔というのもあるけれど、「アメリ」の時はまだ少女っぽさもあった二十代前半から、この映画では三十代になり、急に老けた感じ。役的に二十代中盤位なはずで、若い女性なはずなのに、オドレイ・トトゥがその年齢以上に老けて見えてしまうのは配役的に失敗かもしれない。
ただ演技は、将校の元では憂鬱な表情で、それ以外では明るい表情で、表情で語る部分が多いのは流石。

ココ・シャネルの話だけれど、話は彼女の恋愛の部分ばかりで、衣装の創作は描かれるけれどそれも少々で話の主題ではない。更に衣装による成功や女性解放も描かれはするけれど、それもおまけ程度の扱い。今まで散々恋愛話で来たのに、最終的に急に先進的な服飾家ココ・シャネルとしてそこでまとめようとするけれど、ただただ取って付けた感しかない。服に関しては非常に攻撃的、先鋭的なのに、恋愛は煮え切らない普通の女性で、別にココ・シャネルでする必要も無い恋愛物語でもない様に思えた。何だか、監督・脚本をしたアンヌ・フォンテーヌが、ココ・シャネルの伝記の気に入った所を抜き出してポンポンと置いて並べて行った感じの映画で、どうにも見せ方は足りないし、盛り上がりにも欠けるし、ココ・シャネルを見せるには物足りなさ過ぎる。

☆☆★★★

コーチ・カーター

2012年09月19日 水曜日

サミュエル・L・ジャクソン主演の映画「コーチ・カーター(Coach Carter)」。

環境の良くない下町の、出来の良くない高校の弱小バスケットチームの選手達を変える為に新しいコーチがやって来る。

所謂落ちこぼれの若者が何かに熱中し、新たな人生を切り開いて行くという、これまで何本も作られて目新しさの無い、非常に王道な学園モノ。しかも、この映画も実話を基に映画化したという、やっぱり良く聞くの。
違いと言えば、こういう映画では学生達は初めは新しい大人に反発し、練習も茶化して真面にしないという入りだけれど、この映画ではバスケットチームの学生は基本的にバスケットが好きで強くなりたいと思っているので、文句は言うけれど真面目にコーチの言う事は聞き、真面目に練習する。分かりやすい青春、思春期の反発は少な目。基本的に学生達はコーチを受け入れ、チームの仲間思いで、皆良い奴ばかり。そして、練習の効果は速攻で現れ、すぐに試合に勝ってしまう。所謂スポ根モノなんだけれど、映画の主題も、コーチのカーターが重要視しているのも教育の部分で、バスケットで強くなる事だけでなく、勉強でも成績を上げさせ、バスケットでは相手を侮辱する事を止めさせ、これからの人生や人としての成長をさせ、引き上げる事を考えている。彼らの校長や教師、特にバスケットで勝てば自分達が気持ち良いからと学生や若者として見ていない周囲の大人達の描き方を見ていると、若者を引っ張り上げるのは大人の責任の部分が強いと主張する。スポーツ青春映画ではあるけれど、実は非常に社会派な題材を扱っている。

この映画を見て思ったのは、アメリカのスポーツの分厚さ。あくまで創作物だけれど、こんな高校の弱小チームにも教師ではなく外部からのコーチが来るのがそれ程無茶ではないなんて、日本の高校で一番競技人口が多いだろう野球でも、公立高校や弱小野球部でコーチを雇うなんて無いだろうし、アメリカのスポーツの裾野が広さは半端無い。大学生のバスケットやフットボールの試合がTVで結構な視聴率も取る様だし、する方も見る方も皆スポーツ大好きで、多くの人に根付いているのは凄い。

敬意の表しとして「sir,名前」と付け、喋り終わった後に「~,sir.」と付けるけれど、この「sir」の翻訳が気になる所。「sir,名前」は「~君」で、最後の「~,sir.」は「~です。」と訳してある。成程なと思いつつ、「~君」というのも少し違う気もするけれど、「~さん」だとサミュエル・L・ジャクソンがおかまっぽくなるし、別の言葉の翻訳の微妙な所は難しい。

サミュエル・L・ジャクソンって、よく脇役で色んな映画にちょこっとだけ出演するけれど、その時は非常に濃いけれど結構どうでも良い役だったりして微妙な感じ。逆に主役だと、変に抑え気味で強烈さが薄れる。この映画でも、非常に厳しいコーチなのに、何故彼がそんなに彼らに対して真剣で厳しいのか、指導方法はどうやって考えたのか等の理由には少しだけ触れる位で、人物の背景や葛藤の描かれ方が少ないので、不自然な人物だし、印象が弱くなってしまっている。
どうにもこの人物が気になったので、本当のコーチ・カーターこと、Ken Carterのサイトを見てみたのだけれど、コーチとしての活動の記録や、2009年にはImpact Academyという寄宿学校を開いたとはあるけれど、コーチになるまでや、なった経緯とか記されてないので、やっぱり謎。

それとこのコーチ、ケン・カーターだけれど、監督がトーマス・カーターって、カーターだから監督の依頼が行ったのか?

この映画が単なる「馬鹿な若者がスポーツに熱中して更生し、上手く行きました」の映画ではなく、スポーツで勝てばそれで良いと言う周りの人間に振り回される事無く、彼らにはその後の人生があり、むしろそれをどうするかが重要な事として描く、非常に社会的な映画。不良学生の成功譚の学園モノは大抵クソつまらないけれど、この映画は現実の不安や問題をどう解決するかを描いているので、なかなかの良作。その分だけ、バスケットでの勝利よりも、この子達がその後どうなるのかの方に気が行き、どうしても後半のバスケットの試合がどうでもよくなってしまうのだけれど。

☆☆☆★★

イントゥ・ザ・ワイルド

2012年09月20日 木曜日

実際にいたクリストファー・マッカンドレスを基に、ジョン・クラカワーが書いた小説「荒野へ」を原作とし、ショーン・ペンが監督・脚本をした映画「イントゥ・ザ・ワイルドInto the Wild)」。

恵まれた環境や、物が溢れる社会に違和感を感じ、アラスカへと旅を始めた若者のロードムービー。

こういう良いとこのボンが日々の暮らしに飽き始め、自分を見つめ直す旅に出るという話自体全く持って興味を引かないし、古典小説の台詞を引用したり、詩的な文章を喋る様な感傷的というか、小寒い20代の若者が自分に酔って独り言を言ったりとか、そんな奴は更に興味は無い。しかも、演出として人物の思いは常に独白というのがうっとおしい。原作が小説だからといって説明的過ぎで、役者の演技を補う訳ではなく、話の軸が独白の方で、役者が脇的になる事が多くなると、「だったら小説読んだ方が…」と思ってしまう。

さっぱり分からないのは、世捨て人を気取った感じはあるのに、結構文明社会を利用している所。自分で自分の自動車を壊して物質が溢れる社会から決別したはずなのに、ヒッチハイクで自動車に乗せてもらうし、「お金や斧に頼らず、自分一人で生きて行く!」と言いながら廃棄されたバスで暮らし、銃で獲物を仕留めるし、思い切ったはずなのに非常に中途半端な感じ。普通、大自然の中で生きて暮らそうとするなら自分で家建てようとするのに、それもしないし、結末も「そりゃそうだ」なモノ。
見ているとこの主人公は、自然暮らしに憧れたと言うよりは、自分が感じる不満に対する反抗として自然の中で暮らしているだけなので、行動力はあるけれど中高生の様な恥ずかしさに、共感や関心を感じる事も一切無く終わって行った。
最終的に、町に戻って来る様な挫折感しかない様な終わりでなく、望んだモノの中での終わりだからハッピーエンドで良かったじゃないと思ったし。

主人公のエミール・ハーシュは、この無謀な理屈馬鹿の若者を良く演じてはいるけれど、脚本的な部分や演出の部分なのか、いまいち考えている事が掴み難い感じではある。だから、本人が何がしたいのか分からない日々に、見ている方が付き合わされている感じは良く出ていたけれど。あと、痩せこけて死にかけているけれど、作られたガリガリなので感心はするけれど、血色が良過ぎて緊迫感は無い。

最後に実際のクリストファー・マッカンドレスの写真が出て、これがある程度の実話だと分かるけれど、実話だと分かると実際の所は本人しか分からない事がより強調され、逆に作り物感は強くなる。そして演出的にも、この延々とどうでも良い御託を並べ立てて「ふ~ん」とも思わない、青春の悩みだけを描いた映画って退屈以外の何物でもない。見事に響かない映画だった。

☆★★★★