コーチ・カーター

2012年09月19日 水曜日

サミュエル・L・ジャクソン主演の映画「コーチ・カーター(Coach Carter)」。

環境の良くない下町の、出来の良くない高校の弱小バスケットチームの選手達を変える為に新しいコーチがやって来る。

所謂落ちこぼれの若者が何かに熱中し、新たな人生を切り開いて行くという、これまで何本も作られて目新しさの無い、非常に王道な学園モノ。しかも、この映画も実話を基に映画化したという、やっぱり良く聞くの。
違いと言えば、こういう映画では学生達は初めは新しい大人に反発し、練習も茶化して真面にしないという入りだけれど、この映画ではバスケットチームの学生は基本的にバスケットが好きで強くなりたいと思っているので、文句は言うけれど真面目にコーチの言う事は聞き、真面目に練習する。分かりやすい青春、思春期の反発は少な目。基本的に学生達はコーチを受け入れ、チームの仲間思いで、皆良い奴ばかり。そして、練習の効果は速攻で現れ、すぐに試合に勝ってしまう。所謂スポ根モノなんだけれど、映画の主題も、コーチのカーターが重要視しているのも教育の部分で、バスケットで強くなる事だけでなく、勉強でも成績を上げさせ、バスケットでは相手を侮辱する事を止めさせ、これからの人生や人としての成長をさせ、引き上げる事を考えている。彼らの校長や教師、特にバスケットで勝てば自分達が気持ち良いからと学生や若者として見ていない周囲の大人達の描き方を見ていると、若者を引っ張り上げるのは大人の責任の部分が強いと主張する。スポーツ青春映画ではあるけれど、実は非常に社会派な題材を扱っている。

この映画を見て思ったのは、アメリカのスポーツの分厚さ。あくまで創作物だけれど、こんな高校の弱小チームにも教師ではなく外部からのコーチが来るのがそれ程無茶ではないなんて、日本の高校で一番競技人口が多いだろう野球でも、公立高校や弱小野球部でコーチを雇うなんて無いだろうし、アメリカのスポーツの裾野が広さは半端無い。大学生のバスケットやフットボールの試合がTVで結構な視聴率も取る様だし、する方も見る方も皆スポーツ大好きで、多くの人に根付いているのは凄い。

敬意の表しとして「sir,名前」と付け、喋り終わった後に「~,sir.」と付けるけれど、この「sir」の翻訳が気になる所。「sir,名前」は「~君」で、最後の「~,sir.」は「~です。」と訳してある。成程なと思いつつ、「~君」というのも少し違う気もするけれど、「~さん」だとサミュエル・L・ジャクソンがおかまっぽくなるし、別の言葉の翻訳の微妙な所は難しい。

サミュエル・L・ジャクソンって、よく脇役で色んな映画にちょこっとだけ出演するけれど、その時は非常に濃いけれど結構どうでも良い役だったりして微妙な感じ。逆に主役だと、変に抑え気味で強烈さが薄れる。この映画でも、非常に厳しいコーチなのに、何故彼がそんなに彼らに対して真剣で厳しいのか、指導方法はどうやって考えたのか等の理由には少しだけ触れる位で、人物の背景や葛藤の描かれ方が少ないので、不自然な人物だし、印象が弱くなってしまっている。
どうにもこの人物が気になったので、本当のコーチ・カーターこと、Ken Carterのサイトを見てみたのだけれど、コーチとしての活動の記録や、2009年にはImpact Academyという寄宿学校を開いたとはあるけれど、コーチになるまでや、なった経緯とか記されてないので、やっぱり謎。

それとこのコーチ、ケン・カーターだけれど、監督がトーマス・カーターって、カーターだから監督の依頼が行ったのか?

この映画が単なる「馬鹿な若者がスポーツに熱中して更生し、上手く行きました」の映画ではなく、スポーツで勝てばそれで良いと言う周りの人間に振り回される事無く、彼らにはその後の人生があり、むしろそれをどうするかが重要な事として描く、非常に社会的な映画。不良学生の成功譚の学園モノは大抵クソつまらないけれど、この映画は現実の不安や問題をどう解決するかを描いているので、なかなかの良作。その分だけ、バスケットでの勝利よりも、この子達がその後どうなるのかの方に気が行き、どうしても後半のバスケットの試合がどうでもよくなってしまうのだけれど。

☆☆☆★★

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